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委員会会議録

委員会補足文書

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令和5年10月子どもの孤立対策特別委員会
特定非営利活動法人日本フリースクール協会 理事長 川合雅久氏 【 意見陳述 】 発言日: 10/10/2023 会派名:


○川合雅久氏
 川合と申します。
 今日この格好で現れたのは、子供たちと出会うときにどういう形がいいか、ネクタイをしたり背広を着ていると駄目なんですね。だから、どういう格好で子供たちと接するかを、ちょっと見ていただきながら、あるときはジーパンで、あるときはもう本当に普段着で会うということをしております。すみません。この格好で失礼します。
 こういう話は文科省でヒアリングで呼ばれたとき、こういう格好でお話しさせていただきましたけれども、皆さんにお渡ししてある資料が、最新の情報を入れながら書いたもので、不登校関係やひきこもり関係など、そういった最新データがちょうど10月4日に出ましたので、その4日の数字を入れてあります。
 今日、これを全部まとめてお話しすると20時間くらいになってしまうので、この中からピックアップして、皆さんのお顔を伺いながら、どの点を話したらいいかを考えながら、話させていただきます。
 実はこの連休中も、メンタルカウンセリングと言って、合同相談会があって、不登校の子たちの相談をしておりました。この間は埼玉県のさいたまスーパーアリーナの展示室でやって、昨日は千葉でやって、大体4時間か5時間で10人以上、カウンセラーとしては大体5人くらいで当たったりするんですけれども、ですから毎回50人、来られる方はとんでもない数が来られると。組数で言うと1,000組とか1,500組という形で来られたりします。今、そのくらい増えているというのが実際ですね。
 ここにデータで書いてあるとおり、多分5年くらい前の今2倍になっています。これは文科省が出している数字なので、このとおりかというと、これよりプラスアルファは必ずあると。要するに提出するのが、例えば保健室登校や別室登校であるとか、ちょこっとだけ来た、それが休みになってなければここに含まれなかったりする場合もあるし、逆に、病気という名目でお休みする、30日以上休むということを考えたりすると、数字としてはどう収めるかという調整が、どこかでなされているかもしれないのですが、今で言うと29万9048人、約30万人もの不登校生が小中学生だけでいます。実際には大学生でも、コロナ前で8万人くらいの不登校生がありましたので、それを考えていくと、高大も含めていくと、もっとすごい数字になる。ひきこもりになると、ひきこもりは今は64歳まで考えていますので、160万人くらいいるだろうというのが、大体の概算になります。
 ただ、ひきこもりの場合の75%以上は25歳以降になるんですね。だから、その部分では、ひきこもりというのはちょっと違う考え方をするかもしれないけれども、不登校の中にもひきこもりはいるので、その人たちの対応の仕方も知っておいたほうがいいと思います。
 実際には、いじめの数など新聞等にかなり書かれていて、ネットいじめがかなり問題になっていますが、こういった問題なども含めて、お話させていただきたいと思います。
 最新の状況としては、コロナになってちょっと変わってきているのは、相談に来られる方がお母さんだけだったのが、今はお父さんも一緒に来られることが増えてきました。つまり、父親もリモートになったりして、子供のことに気づいて、一緒に相談に来られる方が増えています。それからもう1つは、本人が来ると。不登校になった本人が相談に来ることも、かなり人数的には増えています。これは、2年前くらいから急に増えていて、基本的に大体65%から70%は男の子の不登校の相談だったのですが、それが今では、女の子が半分くらいいると。場合によってはそれよりも多かったりする。だから相談に来られる方の、本人の相談もその女の子も一緒に来てくれる。兄弟がいると一緒になって不登校になっている場合もありますけれども、そういった数字上ではいろいろなことが行われていて、その結果としては今までにない形になっているのは、やはりコロナの関係でなっていると思います。
 実際に、今の小学生がどういう勉強をしているかというと、僕自身は東京にいるので、例えば孫の小学校2年生だと、タブレットをみんな家に持って帰ってきて、タブレットを使って宿題などをチェックして、例えば音読もそこに声を入れて提出と押すと、それで届くというのが今の教育現場です。だから、今までの学校で教えている現場の授業とはかなり変わってきている。小学校3年生、4年生になると、動画編集を普通に行います。もちろん中に音楽のアプリがあると、例えばiPadか何かだと、それで、もう曲を大体5分であればつくっちゃうわけですね。今の子たちは、テレビに向かって手を動かす、タブレットと同じようにタッチでやるくらいに、今は教育の道が違ってきているのですが、それが東京の場合と埼玉県と千葉県、ほかの県でもちょっと違っているのは、それを扱える先生がいるかいないかによって、いまだにその紙を使って判こを押して、できましたというところもあると。だから、タブレットはずっと学校に置きっぱなしというところもたくさんあるわけですね。これが、県や、教育委員会によって全部違っているのだろうと思います。ですから、その使い方によって、もう全然違ってきているという現状です。
 このリモートのやり方が、多分あまり勉強なさってないというのは、時代もあるんでしょうけれども、分かってないところがあって、そうなっているかもしれないと。ですから、今、通信高校がどんどん増えています。今、通信高校だけで388校くらいあります。そこに中等部もつくられていて、今度は、不登校生を扱おうというところも出てきています。
 テレビで宣伝しているN校は、多分2万5000人以上通っていると思うのですが、通信で大体25万人くらい通っているわけです。ですから、そういうところで、高校生の受皿としてはかなりできてきていると思います。
 コロナによってかなり変わってきているのは、1つは生活のリズムがかなり崩れてしまっていて、ネット依存などの問題がかなり含まれてきて、その中に、今度は不安材料であるところが、やる気をなくしている、意欲をなくしているというのが、今の問題点になっていて、そういうことが文科省の調査にも結果として出てきているのだろうというのは、想定内ですけれども、それはあります。
 そう考えていくと、フリースクールとは何ぞやということになるのですが、フリースクールそのものをよく分かっている方が少なくて、フリースクールを研究している大学の先生は、やはり数人しかいませんので、フリースクールの成り立ちや、フリースクールは何かというのが、まだよく知られてないというのが実際で、例えば教育委員会で呼ばれてお話しするときも、フリースクールって何ぞやという話からすることは多いと思います。
 今回も、フリースクールの話を簡単にさせていただきますけれども、フリースクールそのものは、世界ではデモクラティックスクールという言い方をするのですが、その範疇とまた日本の場合は違うと。実は、いろいろな考え方があるけれども、フリースクールは、本来は不登校生のためにしているわけではなくて、今までの学校制度とはちょっと違う勉強の仕方ができないかという教育論で始まっているフリースクールもあるということです。そう考えていくと、フリースクールが、例えば、主催側の歳の多い方が、昔結構勉強なさっていて、知っている方もかなりいると思いますが、シュタイナーであるとか、例えばデンマークのもう物すごい有名なグルントヴィーの教育論であるとか、フレネの考え方の教育であるとか、そういった教育論を基にしてやっているフリースクールもあるし、自分のところはこういう信条を持って、こういうことをやってますよというフリースクールもある。それから、学校、非学校として考えていくフリースクールもある。ニイルや、デューイ、フロムなど、そういう考え方や、心理学的なことを考える人たちもいる。それはピアジェとか、エリクソンの考え方を基にしてやっている人たちもいると。つまりいろいろな形のフリースクールがあって、その中で不登校生も扱っている。
 ただ、やはりそれを知らない人たちもたくさんいて、フリースクールとして不登校生だけを扱うフリースクールもつくられていると。なかなかこれが難しいところですが、言い方によってはオルタナティブスクールという、学校外の学校という考え方をしている場合もあります。
 世界で言うと、スクールという名前がつくと学校なので、日本の場合は認可されているものはほんの僅かしかありません。例えば県立のフリースクールもあるし、認可された高校がやっているフリースクールもあります。だから、フリースクールにはいろいろな種類があるわけですね。その中で、フリースクールの勉強会というのは、1980年代くらいに、僕自身は子供支援塾グループがあって、そこで子供たちをどう扱うかといって、全国のそういった人たちの集まりの中で、その中の幾つかがフリースクールにだんだん変わっていったというのが現状、現実だと思います。
 今までだと、そのうちの幾つかがもう結構有名になったり、大手になったり、形としては残っているところがあって、例えば、たまりばというところでは、多摩川(タマリバー)から始まっているのですが、そこでは川崎市がお金を出して、それで運営しているというところもあります。
 実際には考え方としては、教育学的、それとも社会学的、医療・医学的な考え方、福祉学的な考え、また国際、世界を中心にして考えたり、心理学的、脳科学的など、もういろいろな考え方ができるとは思います。
 では、不登校とは何ぞやということになりますけれども、不登校は、学校に行けない子たちで、昔は適応できない、学校不適応と言われた。昭和30年代からそういう不登校の人たちがいて、それがだんだんだんだん増えてきて、今は少子化でありながら不登校生が増えているという時代に変わってきています。不登校にも種類がたくさんあって、ただ、こういうカテゴリーで不登校生って言えないのが実際です。不登校生は、例えば校門から入れない人たちもいます。正面からは歩いて入れないから、後ろを向いて入ろうとしても入れないんですね。それは、学校という形があったところに入れない不登校です。ところが、学校には入れるけれども、教室に入れない子たちもいます。教室に入れない場合がまた理由があって、例えば先生が気にくわないとか、嫌なやつがいるとか、いじめるグループがいるとか、スクールカーストというか、組成の中の自分が認められなくて行かないとか、それから、音楽の先生が嫌、理科の先生が嫌だなどと言って、そういうところに行けない人たちもいます。
 でも、教室に入れないけれども、ほかの教室に入れる人もいます。だから、不登校の中にはいろいろな人たちがいるということです。入れないところがどこになっているかというところでは、その不登校を全体で見ております。今、朝起きられないというのが一番多いのは確かです。これを起立性調節障害とする場合もあります。起立性調節障害は、最後に障害という言葉は入っていますが、disorderという言葉は全然入っておらず、調節不全という言葉になっているのですが、起立性、要するに朝起きることができないし、気分が悪いし、顔色は悪いし、動くことができないという人たちがかなり増えていて、今、小学生の5%くらい、中学生の約1割近くが起立性調節障害と言われています。
 去年、おととしぐらいに高校生が自分が起立性調節障害だということで映画をつくって、世に広めようとした子もいますけれども、これは脳血流の問題で、血流が悪いためにうまくいかないわけです。血流がうまくいく、要するに楽しいことであるとか、好きなことであるとか、好きなタレントに会いに行くっていったら、もう血流がよくなるので、朝から起きれてしまうのですが、学校へ行くとか、嫌なことになると、なかなかそこに行けないというのが、この起立性調節障害で、この問題はこれからも増えていくだろうと考えています。
 大体は、18とか20歳ぐらいになると恋をしたりなんかして、それが治っていく人たちが多いのですが、それがまだ続くようだと、ちょっとほかの部分もあるのではないかと思うのですが、大体11項目の4項目以上当てはまると、起立性調節障害と言われたりしています。そういう子たちも今、かなり増えているので、例えば相談会で、起立性調節障害の相談というと、そちらには、もう人がずらっと並ぶくらいになっています。つまり朝起きられないからそうなっている。これを例えば夜遅くまで起きてるから、おまえは怠けていると考えられてしまったり、ゲームばかりやってるからそうなってるのではないかと言われてしまっている子たちが多くて、実際にそうかどうかを、例えば朝の血圧を測るなど、そういうところにはなかなかいってないと思います。
 では、そういう子たちが、そういう医療的なところに行けるかというと、ほとんどの人たちは行きません。だから、そこがなかなか難しいところで、嫌がるところはあります。そういうのが不登校生の中に増えているのは確かです。
 この不登校生は、今、29万9048人いますけれども、そのうちどのくらいがフリースクールに通っているかという数字ですが、数字上は、2015年くらいで大体7,000人です。たった7,000人です。例えば、個人の学習を教えてくれるようなところに不登校と言わずに行っている子たちも含めると、多分、少し増えるかもしれないけれども、7,000人くらい。LITALICOなど、発達障害系のことを研究しているグループでは、6,500人という数字が出ている。学びリンクで計算すると5,600人くらいという数字も出ている。どれが正しいか分からないのは、フリースクールと呼ばれているところに聞く数字も違っているし、そこにいる子たちの数字も違っているから、1万人以下は確かだけれども、大体7,000人くらいじゃないかと思います。つまり、フリースクールがあっても、不登校生の多くがそこに行くかというと、なかなか行っていないというのが現状です。
 それだけフリースクールがあるかというと、一番新しい冊子が、先月末に出たフリースクール白書ですが、これがゲラ刷りのときから届いていて、数字をいろいろ見たのですが、やはりフリースクールそのものが継続してやっていけないのが、実際なんです。大体3年やって3000万の赤字で潰れるのが普通なので、フリースクールをやると言ったら相当覚悟がないとやっていけないと。僕自身がフリースクール英明塾としてやっていても6000万の赤字で、結局は自分の土地、財産全てを売り払っても足らなくなっちゃった。今はちょっと違う方向に動いてますが、フリースクールをやるにはどうしたらいいかということで、いろいろなとこに教えに行ったり、いろいろなところで講演をしたりしてますけれども、実際にフリースクールがやっていけないのは確かで、それはなぜかというと、生徒が10人いても、通ってくるのが2人くらいなんです。2人の月謝でやっていかなくちゃいけないんですね。50人いても、10人来てればいいですね。そのくらい来ない。だから、一時、サポート校というのが物すごくはやったときに、入学金をどさって取って、100人入れました、200人入れました、でも来るのが20人で、1クラスで済んじゃって、入学金だけで大もうけしたという時代が20年ぐらい前にあったのですが、今はかなり変わってきて、きちんとしたものがバックでできるようになってきたので、それでもフリースクールの入学金だと、例えば有名な東京シューレで15万3000円です。月謝が5万ぐらいになるんですね。だから、1人5万くらいもらわないとやっていけないとこが多いのですが、うちで大体、自己申告制度で払えない子や、困窮者などだと、もう全くお金をもらってなくてやるという仕事をしないとやっていけないし、それまでもそういう子たちがいっぱいいました。入学金が2万くらいと。もう小さなフリースクールは大体入学金1万とか2万くらいで、月謝が1、2万でやるのが多いのですが、それでは食べていけないのが現実だと思います。
 これで、こども家庭庁がどうやっていくか分からないのですが、フリースクールの考え方からいくと、不登校だけを扱っているわけではないので、考え方を認めてくれて、自分のところの考え方の、例えば黒柳徹子さんみたいに、トモエ学園に行きましたというのがあると、それはそれで成り立っていくのかもしれないけれども、実際にはフリースクールを経営していくのは非常に難しいことは確かだと思います。
 それから、今一番問題になってるのは、そこに来ている子たちの多くが、いじめに遭っている子たちもそうですが、学校からはじかれてる子たちの多くが、学習障害または発達障害と言われて、やはり障害という言葉がついている。ここが一番問題です。ヨーロッパで、オーティズムで済めば、Aで済んでしまいますが、それが例えば障害という形になると、今一番進んでいるのが横浜市かな。大体幼稚園の頃に分かったり、小学校の低学年で分かるので、WISCというテストをします。そのテストをして、大体どんなでこぼこがあるかによって、扱っていくことになると思います。今は、その中でもIQが138以上になるところを持っている人たち、例えばアインシュタインのように数学と物理だけ100点で、あと全部零点で、大学もなかなか合格しなかったと同じような、アスペルガーという子たちもいるかもしれないけれども、そういう人たちも実際にはいるわけで、そういう子たちをどう扱うかと。これがギフテッドという形で動いているのは確かですね。これがシンガポールや韓国のように、138以上のIQを1か所でも持っていると、特別教室で特別授業を受けていかれるというのは、方法としてはあるかもしれないけれども、日本でもやはりそれは考えてもいいかなというのは、スペシャリストをつくるという考え方では、発達障害という、障害っていう言葉ではなくて、スペシャルなところを持っている子たちと扱えればいいと思います。
 ですから、自閉症スペクトラムと言われたりしているのが、DSMというアメリカのその考え方が入ってきて、DSMがVだったり、Wだったり、5だったり、もうどんどん変わっていって、今はまたちょっと違う形で見ていくことが実際には多いと思います。
 では、自閉症スペクトラムですと言われたときのグレーゾーンの人たちはどうするか。それで学校にも行けない。そういう子たちの多くが非常にコミュニケーションスキルがない、またはそういうのを持ってなかったりする。ワーキングメモリーが非常に低かったりする人たちもいて、そういう人たちを扱える人たちがいるかが、問題になるかもしれない。今一番それを扱えるのが、普通の、例えば特別支援学校に行ければいいけれども、そうでないところでグレーゾーンの人たちは、通信や、そういう臨床心理士が常駐してるようなところ、そういう人たちを扱ったことが多い人たちが扱う。フリースクールの中にもそういうのにたけているところがあって、そういう人たちを集めているところもあります。
 これは、そういった勉強をしていて、そういう子たちを集めているというのはあるんだけれども、そういうカテゴリーをつくるのがいいのかどうかは、今度は教育論の問題になってしまうので、ほかの人と分けることがいいのかどうか。これはまた少し違う問題で、この話をするとまた時間がかかってしまうので、そういうことが一番問題である。
 我々としてはどうしていくかというと、やはり、3人に1人とか、2人に1人くらいの先生をつけていないと対応できないというのが、フリースクール側では非常に難しい問題になっています。スタッフの問題ですね。本人が自分の困り事など、そういうことに気づけば、例えばお医者さんにかかったほうがいい場合もあるし、薬を飲んだほうがいい場合もあるし、そうではなくて認知行動療法をやる場合もいいかもしれないですけれども、そういうところではなかなか難しい問題もあるかもしれませんが、SST――ソーシャルスキルトレーニング、それからペアレントトレーニング――ペアトレ、要するに親に対してであったり、子供に対しての教育の仕方を確立していくのが重要で、そういうところでは結構勉強会や研さん会をやって、特に親御さんの言葉のかけ方1つで違ってくるわけですね。ですから、そういうところをトレーニングしていくなど、話をしながら、あるいは講演をしながらそういうのを学んでもらうということもしています。
 実際に、発達障害系の人たち、我々の中で発達症と呼んでいる人たちですが、そういう人たちを扱っていくというのは、今東京にはたくさんあって、就労移行施設や、就労関係のところでA型、B型などいろいろできていて、そこにつなげていくと。これがほかの県になると、なかなか少なくなっているのですが、そういうところに通って、自立支援の考え方も今までと変わってきているので、そこで支援の方法や、支援の受け方などを学んでいくことを、つながってやっているところがあったり、イオンの社長も、そういう人たちを受け入れるためのことをやったりしています。ヤマト運輸など、有名な企業の中には、そういう人たちを障害者雇用して、今はかなり受入体制としては出てきたと思います。
 これが大体、フリースクールや不登校とは何ぞやの、ほんの最初の部分ですが、その先にまだいっぱいあるわけですね。
 例えば、それを我々がどういうふうにどう考えるか、その子と会ってどういうふうに見ていくか、これを見立てと言っているのですが、どうやって見立てるか。行政は、縦割り行政がどうしてもあって、同じことを全部がやっていながらも、なかなかうまく進んでないというのは現実です。例えば、文科省では15歳までだけれども、厚労省は15歳以下にするとかって、もうはっきり決められればいいけれども、どこからというのもなかなか難しいのは確かですね。その中間的なところでは、フリースクールが活躍できるのではないかと思っていますが、それが皆さんに知っていただくだけのことができるかというのは、なかなかこれも難しいところです。
 見立てというのは、本人と会って、お医者さんが診察するのと同じように、我々が見て、この場合は医療にきちんとつなげたほうがいいのか、教育のほうにつなげたほうがいいのか、福祉につなげたほうがいいのかを見立てるわけです。もちろん違うところに考えていったり、意識を変えることによって、本人が活躍できる場に進めていくこともできると思います。その見立ての仕方、判断、判定というのはなかなか難しくて、1人でやるのもなかなか難しいです。
 僕自身、いろいろなところと一緒に今やっているのが、アウトリーチ――訪問支援です。アウトリーチは、先ほど言ったように、不登校生やひきこもりの人たちのところに行くのですが、なぜ行くのか。例えば不登校生の中で、6割は相談してますという発表になっています。4割はどこにも相談に行ってないですね。現実には、この6割の中にも、先生が行ったって絶対会わない子たちのほうが多いですね。だから、行きましたという数字であれば、それは相談に乗っています。親だけと相談してます。本人と会ってないわけですね。そうすると、もしかしたら、氷山のように、見えているところと見えてないところがあって、見えてないところのほうが多いのではないかという考え方をすると、そこの部分にはアウトリーチという訪問支援の形がいいのではないかと思って、僕自身はいろいろなとこにアウトリーチを進めている。20年くらい前から進めて、やっていたのは30年以上前からなのですが、もっと進めたほうがいいということで、東京がそれを一応考えて、東京は治安対策本部を始めたのですが、今はちょっと変わって、今年の4月から新しい対策に変わりましたけれども、そういった形ではアウトリーチが非常に効用があると言われています。
 ただ、訪問するためにやはり知らなくてはいけないことがいっぱいあるので、例えば訪問支援をする人たちの養成は、このくらいの勉強をしてもらったりしているんですね。この1冊の本くらいで、中級程度です。スーパーバイズしながらやっていくと。アウトリーチも1人で行くのではなくて、2人で行きましょうということを進めたりして、それが今は結構動いていると思います。
 ただ、これが実際にどこまで動いてるかというのは非常に難しくて、それではフリースクールの人たちがそれができるかというと、自分のところに来てる子たちを見るだけで目いっぱいで、そこまで手が回らないのが実際だと思います。そういう意味では、フリースクールの人材というのも、これからつくっていかなくちゃいけないかもしれないということはあります。
 僕自身も後継者がなかなかつくれないということがあって、例えばできそうになっても、その子が例えば女の子で、結婚したらもう入ってこれない場合もあったりするので、なかなか後継者の問題は、いろいろなところで人手不足になるのはあるかもしれないですね。これでChatGPTが動いて、どうなっていくか分からないのですが、IT関係がどこまで進むのかというのも、今後の課題になっていくので、この不登校・ひきこもり問題に関しては、やはりそこを考えていかなくてはいけないと思います。
 ここで、こういうお話をしてますが、こういうところで話をするときに、僕自身の考え方としては、子供の意見がどうやって反映したらいいのかというのが一番の問題なのです。文科省でヒアリングで呼ばれたときもそうですが、我々大人だけで考えていいのかということがあって、子供の意見をきちんと聞くというのは、どうなんだろうかと、僕の中ではいつも疑問形ではあります。
 子供の意見は何なのかと。こども基本法が今年出てきたのに、そこがなかなか進んでないと思いますけれども、例えばフレネの考え方であるとか、教育の中でも全て子供が決めていいとあったりして、フリースクールの中にはそういうところが幾つかあるんですね。子供が全て決めていいと。例えば海外のフリースクールで小学校1年生から高校3年生までの年齢の子たちが全員で会議して、全部決めるわけですね。それができるかというところが、フリースクール側の多くが考えている問題で、子供をどうやってそこに参加させるかが一番大きな問題。だから、こういうところで話をするのも、子供が話をするのが本当は一番いいのかもしれないし、子供の意見を聞くのも一番いいかもしれないというのはあります。
 いろいろな相談会や講演会など、いろいろなところが、25年くらい前から結構あっちこっちでやっていて、僕自身がそこに参加するときは、必ず子供が出ていって、子供が全部しゃべれるように、自分の好きなことをしゃべっていいよと。他のところはやはり大人が出てきて、自分のところに来なさいと、自分の学校名など、いろいろなところを連呼するだけですが、うちの子供たちだけが、子供はこういう気持ちでこうなんですという話をすると、相談では、もううちの前だけ人がいっぱい並んでしまうくらいなのですが、子供の意見は、本当はそのくらい重要ではないかなと思います。やはり大人視点でどうしても見てしまうので、大人視点だけで本当にいいのかという疑問はあります。子供の意見をどうやって反映させるかは、これからの行政の考え方にも提言したいと思っていますが、今年4月のこども基本法をもう少し見ていただいて、子供の意見をどうやって取り入れたらいいかというのが必要と思っています。
 実際に大人側って子供のことを聞かないで、俺が何とかしようとか、私が何とかしようというのがどうしてもどこの家庭でもあって、これが一番ネックになることは確かなんですね。だから、子供からヒアリングするだけでも、どうやって聞くか、聞く耳を持つというのは非常に重要と思っています。
 皆さんにお配りした中に、例えば「こわい」というところで、不安材料がどうして皆さんがそう感じるか、または子供たちがどう思うのかというのがあって、どうしても日本の考え方や教育もそうですけれども、減点主義で駄目なところばかりを指摘する、それを直せばいいという考え方になってしまう。それを加点主義にできないかというのが、いつも言っていることなのですが、加点するってすごい重要なことじゃないかと。
 僕自身も大学のときに、フランス人の先生に習っていて、3人が同じところを間違って、みんな90点なのに、僕1人だけ99と4分の3点という点数になっていたんです。みんな、何でおまえだけって言うわけです。同じところを間違ったのに。フランス人のその先生に聞いたら、君は字がきれいだとか、文章の書き方がきちんと整ってるとか、いいところだけを言ってくれて、それを全部加点しました。でも間違ってたから4分の1だけ引きましたと言って、99と4分の3点という点数をくれたわけですね。そういう考え方は、加点主義で、その考え方は非常に重要だと思って、僕自身はそのときから、いろいろなところで加点をする加点主義の考え方に。日本の場合はどうしても100点から減点していって、点数が低くなっていって、それを全部穴埋めできないと駄目みたいな、そういう見方をしてしまうけれども、それができないから、それができていいんじゃないかと思って、脱サラしてフリースクールの道に入っていったのですが、子供たちが生き生きしてどういう気持ちになるかは、こうしないと駄目だよ、こうしないとこうなれないようとかっていうふうなプレッシャーで押しつぶされるよりは、してみたいことを、いいよ、やってごらんって言えるのが一番いいのかなと思います。
 例えば僕の教え子で、小学校4年生から学校へ行ってない、人の中にも入れない、中学は1日も行かなかった。でも卒業はできた。高校はどうしようかとお母さんが、一応通信に学籍だけ入れたいと言って、通信高校に入れました。でも、勉強は嫌だと言ってやらなくて、月1回、うちには来るんですよ。電車で来ると40分間かかるのを、自転車で来るので1時間半かかって来るんですね。不登校の多くは、バスに乗れない、電車に乗れないという子が多くて、自転車だったらOKという子がいたりするので、月1回くらい通ってきて、通信のその問題をお母さんが書いて提出したりしていたのですが、17歳になる、高校3年になる前に、自分がなりたいものが見つかった。でもそれを言っても大人は1人も認めてくれないし、おまえは無理だ、100%無理だ、10年浪人しても無理だぞ、学校に行ったこともないだろう、人の中に入ったこともないだろうと、もう駄目駄目と言われて、僕のところに最終的にまた来てくれて、なりたいものが決まったんですけど駄目ですかねって。やってごらんって僕は、初めて言った人なんですね。何になりたいか、医者になりたいって言ったんですね。じゃあ、1年間こういう勉強してごらんなさい、自分がやれる気があるんだったらと、したい気持ちをまず引っ張ってあげて、本当にやる気があるんだったらやってみよう、チャレンジする気持ちをまず残そうと言って、1年間猛勉強したら、3つ受けて全部受かっちゃいまして、今お医者さんになってます。その大学の助教にもなってますので、そういう経験が今、プラスになっていて、いろいろな先生を今教えているわけです。だから、勉強っていつやるか分からないし、それを駄目駄目駄目で潰してしまうよりも、やりたいというチャレンジする気持ち、駄目でもいい、失敗してもいいじゃないかというところが、できればいいと思うんですね。
 だから、そういう子たちがたくさんいるわけです。学校に行ってないのに東大を受けて受かっちゃう人はいっぱいいるわけですね。だから、そういう考え方をしていくと、やはり失敗がプラスになる考え方は一番いいのかなと思うのです。
 では実際にどうなるか。高校とか大学で教えている教育の中では、1回失敗しただけでもう駄目と言って、もうそれで学校を辞めさせられてしまうのもあれば、点数をもらえない、単位をもらえない人たちもいます。ある教育を教える大学の学生になった子が、メールで送るのをちょっと日にちを間違って送っただけで、おまえはもう全部、この年全部単位をもらえないよと、上の学年にもう上がれなくなってしまった。え、そんな失敗でどうしてって言うんだけれども、そういう失敗をすると駄目だと思われた。またそういうふうに考えてしまう人たちがつくられてしまうと、その人たちは失敗しないことしか考えない。だから、できるかできないかでどうしても考えてしまうので、するかしないか、チャレンジするという考え方にならなくて、できるかできないかの考え方になってしまうんですね。
 だから、失敗を恐れさせない、チャレンジする気持ちをどうやってつくるかというところをやっていくと、何とかしないと駄目だよというプレッシャーよりも、要するに北風ピューピューとやっても、なかなかうまくいかないけれども、太陽のように「たい」と「よう」で、したいとかやりたい、それから自分がしようという気持ちの「たいよう」、そういう太陽の気持ちでやっていくほうが、もしかしたらこういう子たちは少なくなるのではないかと思っています。
 こういう話をすると、どうやったらこういう子たちを何とかできないかなと思うんだけれども、なかなかこれは難しい問題で、例えば相談しない人たちが4割いるというけれども、実際にはもっと多いと思うんですね。相談しても、たらい回しにされてしまって、結局きちんと受けてもらえないことになってしまうと、例えば、それが行政側にいて、できませんとなってしまうと、反行政の考え方に、子供も大人もなってしまうと。子供も大人もなってしまわないように、きちんとそこを一本化してでもいいから、きちんと受け答えができる形が必要と思っています。
 なかなか、このしなくちゃ駄目とか、してほしいのにやっていくのがなかなか難しいというのは、確かにあるんだけれども、僕自身は、皆さん御存じか分からないですが、行動経済学の中に、ナッジ理論というのがあるんですね。nudgeです。何年か前、10年か5年ぐらい前だったか、ノーベル賞を取られたナッジ理論というのがあって、1つのことをこうだぞって言ってもなかなか言うことを聞いてくれないので、そうでない方法で話をしたりするんですね。そうすると、人は知らずにそこに行くって。要するに、ちょっと肘で、おいやれよっていうような意味のナッジ理論ですが、例えばたばこをどこでも捨てちゃって、灰皿を置いて灰皿に捨てなさいと言っても、誰も言うことを聞かないんですね。灰皿を置いても聞かないからどうしようかと、アメリカでは、片方にバイデン、片方にトランプと書いて、灰皿を置いたら、どっちかに入れるようになったみたいな。要するに、捨てるなではなくて、禁止や否定という言葉ではなくて、全く違うところでそれをする。そのことによって、みんなそこにいくと。
 ドイツの空港だったか、トイレで男性がおしっこをするときに、あっちこっちに放尿しちゃうので、それをどうにかできないかと、あっちこっちにするなと書いても、誰も直してくれない。テントウムシか何かの小さい絵を真ん中に張ったら、みんな守ってくれたというような、こういうのがナッジ理論のその基なのですが、ここのところの話をしないで、こっちの全然違う話をしてあげるということをして、この気持ちに持っていくのがナッジ理論で、今、コマーシャルもそういうことをやったりすると。
 僕自身も認知行動学など、ドルフィンセラピー――イルカのセラピーをやっているときに、認知学のアトラス博士と話をしたりして、どうしたら行動するようになるか、認知を変えていくかと話をしたときに、やはりそのまま言ってもなかなか難しい。それを違う形で話すことによって、みんながそこに向くぞっていうのがいい。
例えば駿府城だから、豊臣秀吉の身長を、皆さん御存じでしょうか。織田信長の身長を知っていますか。豊臣秀吉は140センチです。織田信長は170センチですね。徳川家康は159センチです。綱吉は124センチです。なぜ生類憐みの令を出したかと、124センチの綱吉がなぜそれをしたのかは、ちょっと分かるような気がする。柳沢吉保がやったからではない。
 例えば、167センチのナポレオンが白馬に乗っているけれども、あれはポニーに乗っているというのは有名な話ですが、そういったように、ちょっと違うところの視点というのはすごく重要で、発想の仕方も非常に重要で、そういうところを見ていくのは、実は、例えば学問でも、何か研究に向かうことであっても、ほかのことをしないようにする。これをするなではなくて、違う方法でできればいいのかと思います。こういうのをナッジ理論というんです。そういう形で考えていけるといいと思います。
 実際には僕自身は、禁止をしない、否定もしない、命令もしない、強制もしない、非難もしない、批判もしない、これが大体6つのことで、でも、してもらうことをしてもらうには、そのナッジ理論のキットでやったりしますけれども、そのやり方の1つが、オープンダイアローグという、斎藤環さんが言い出していることですが、うちはその前からやっているので、そういうオープンダイアローグの考え方も含めながら、進めています。
 話はまだ半分くらいですが、これが大体、不登校・ひきこもりのちょっとした話になりますけれども、時間になりましたので、何か質問がありましたら、もっと話し足りないところを話していけるかと思います。

○鳥澤委員長
 それでは、以上で川合様からの御説明は終わりました。各それぞれの分野で御経験され、裏づけされた言葉でいただきました。ありがとうございました。
これより、質疑に入りたいと思います。
 委員の方にお願いいたします。質問はまとめてするのではなく、一問一答方式でお願いいたします。
 それでは、御質問、御意見等がございましたら御発言願います。

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