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委員会会議録

質問文書

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令和5年2月定例会総務委員会 質疑・質問
質疑・質問者:中谷 多加二 議員
質疑・質問日:03/02/2023
会派名:自民改革会議


○中谷委員
 午前のラストに3番委員が心温まる話をされましたが、私はちょっと厳しめの意見をいたします。
 まず、今年度も最終ということで振り返りますと、知事の様々な失言や行動に振り回された一年だったなと。あの人らしいなとも思っていますが、例えばリニア期成同盟会への加盟、それから県境工事、トンネル掘削の話、愛知県や山梨県の知事ともめた。田代ダム案については知事と森副知事で認識が違っていましたが、本会議の答弁を聞いていると森副知事が何となくなよなよってしているのかなと。これは私の感想です。総理への要請を議員の個人事務所に提出したことも指摘がありました。そして本会議で水に関する発言の陳謝。あれだけ素直に謝った知事を見たことはなかったので啞然としましたが、ああいう側面もあるかと。
 例えば、毎月2回行われている定例の知事会見で、質問をする記者と知事の答えが全くかみ合っていなくて、職員の中からはとても見ていられないと生の声を聞いたこともあります。
 また、これは本会議における知事の答弁でもしかりで、野球にたとえて言いますと、例えば知事は非常にコントロールの良いピッチャーなんです。答弁をホームベースと考えますと、最初ピッチャーである知事が投げたボールは間違いなくストライクゾーンから大きく外れている。ところが徐々にバッターに向かっていって、ホームベースを僅かにかすってストライクを取る。つまり答弁の当初は何の関係もない事柄から入り込んで、私もいつもなんじゃこりゃと思って聞いてるわけですが、その答弁の終盤になって質問に関わる単語をちょろちょろっと入れ込んで答弁を終わると。結果、質問をした議員も何だか良く分かんなくなる独特の雰囲気を持っている知事だと。しかしこれが私は問題ではないかと思っています。
 組織のトップがこのような状況であることが影響しているのかもしれませんが、私は最近の県の幹部職員の資質に疑問を持っています。例えば委員会の答弁で――総務委員会に限定しませんが――以前は質問者の意図を踏まえて土俵に乗ったような見せかけを含め正論を話して質問者をもうならせたり、後から考えるとちょっとやられちゃったなと思うようなやりとりができる、そういった幹部が結構いました。聞かれたことに対して的確な答弁をするということ。これは基本中の基本だと思っています。
 加えて、これは委員側の責任もありますが、質問の意図が分かりづらい委員の方いるわけですよ。その委員の質問の後に答弁者が委員の御質問の意味はこのようなことでいいでしょうかと確認して、それでとうとうと答え、それを聞いて質問者はよく分かりましたと、そういうやりとりがあるわけですよ。そんな質問したかなと感じるケースが過去には何回もありました。さっぱり分からず禅問答に近いなと、私も修行が足りないと思った次第ですが、逆にその明瞭な質問の趣旨を踏まえないケースもあります。意味が分からない質問を答弁者が有利なように解釈をして述べるのではなく、はっきりとした質問にもかかわらずその趣旨を踏まえない答弁をする。そして自分の理論だけをとうとうと説明する。そういう方もおいでになるように見受けられます。
 説明能力だけが幹部職員の資質ではないと思っていますが、説明をするには知っていることが必要でありますし、相手を納得させるためには相手の趣旨を踏まえることも必要なんです。これは様々な場面での交渉、調整の場でも必須な資質と考えます。私は本当に心配しています。県庁は大丈夫かと、そういう思いなんです。今一度幹部職員の登用に当たっては、しっかりとその人材の資質を見抜いて登用すべきだと私は思いますし、そのためには、一定レベルの資質を持つように研さんをさせる。素質はあるわけですから鍛えれば必ずものになると思っています。
 私が述べた幹部職員の現状認識について、いや違うということなのか、県庁内でもそのような認識も持たれているのかを石川政策推進担当部長に聞きたいと思います。

○石川政策推進担当部長
 御質問ありました幹部職員の資質、認識でございますが、私の考えを答えさせていただきます。
 お話ありましたように、議員の皆様から頂いた御質問に対して全く答弁になっていないとか、要領を得ない長い答弁をすることはあってはならないと思いますし、それは努力してなくしていくべきだと思っております。私ども県の幹部職員の答弁が十分でない部分があることはおっしゃるとおりだと思っておりますし、この点につきましては答弁した方の個人というよりは県全体としてしっかりどうお答えしていくのかを全体で真剣に捉え反省しなければいけないと思っております。
 県の幹部職員は、やはり平素から政策について考え、それをどうより良くしていくかを考えてなければいけないと思います。政策に関する御質問があった際には、趣旨をしっかりと捉えて的確な答弁をすることが必要だと思っております。県の職員全員が県全体を良くしていきたいという考えは常に持っており、それを生かして個人が日々研さんを重ね、その上で組織としてもしっかりサポートをしていかなきゃいけないと思っております。御指摘を踏まえまして、県全体としてさらなる県の発展に寄与できるよう委員の皆様からも御指導を頂きながらしっかりと取り組んでまいりたいと思います。

○中谷委員
 ありがとうございました。期待をしておりますし、不可能なことではないと思いますので、よろしくお願いします。

 それでは、今年度末をもって退職をされる幹部職員の方々に一言ずつお言葉を頂きたいわけですが、その前に簡単に紹介させていただきます。
 私が一番思い入れのある職員、畑智之出納局長。浜松市出身、昭和60年4月農業水産部農業試験場主事で採用。彼は平成19年、20年と2年間財政課の局付主幹をやっておりました。平成20年のときは私がちょうど自民党県連の幹事長を務めさせていただいておりまして、予算等々の案件で随分無理難題をお願いをしたというか、当時は上から目線だったかもしれませんが、そういう懐かしい思い出もございます。その後経済産業部管理局長、経済産業部理事、交通基盤部長代理、そして現職でございます。
 まず、畑出納局長から我々議会に対して、そして残っているこれから活躍が期待される後輩に対して、一言頂きたいと思います。

○畑出納局長
 2番委員から身に余る御紹介とこうした発言の機会を頂戴しまして感謝を申し上げます。
 御紹介の中にありましたとおり、平成19年度、20年度に部付主幹を2年間やりました。最初の頃は本当に緊張してどきどきしながら控室を回ったことを今も良く覚えております。部付主幹になったことをきっかけに、県議会議員の先生たちとは公私にわたりまして大変お世話になりました。多くの叱咤激励をもらいましたけれども、そのおかげで今日の自分があると深く感謝をしているところでございます。
 私は、昭和60年に入庁しまして、農業試験場をスタートに38年勤務いたしました。その間、12の職場を経験しましたけれども、もっとも長くいたのが財政課で通算で14年間おりました。財政課に初めて異動をしたのが36歳になる年でしたけれども、それまでの13年間のうち10年間が出先機関にいたこともありまして、異動した際は予算の仕組みは全く知らない。県債とか交付税の担当になりましたが、県債とか交付税っていう単語を聞いたことがない、議案や議案説明書も開いたことがない。こんなもうないないづくしの状態でしたので、慣れるのに本当に苦労をいたしました。特に最初の一、二カ月与えられた仕事がほとんどできなくてメンタル疾患の一歩手前ぐらいまでいったかなと思うときもありましたが、そんなとき財政課の先輩や同僚が休日出勤にまでつき合って助けてくれたこと、またある先輩が時間が解決するから大丈夫だと良く励ましてくれたこともあって、何とか乗り切ることができたのかなと思っております。
 ただ、そんな大変な状況でしたけれども、県の職員として仕事をする際は県全体を見渡して仕事をするという広い視野が必要だということを学んだ気がします。そのことが県の職員として、仕事をする上での土台になったのかと思っております。
 今年度から出納局にまいりましたけれども、入庁をして2カ所目、初めての本庁勤務が出納局でしたので、この県職員最後の勤務が再び出納局になったことに非常に感慨深いものがございます。出納局は内部管理業務が中心で地味ではありますけれども、会計や物品などの出納の仕事は大変重要だと思っています。出納局がしっかりしないと、県民の皆様の信頼を失ってしまう、そういう緊張感を持って自分自身もやってきたつもりでありますし、また出納局の職員も会計事務、物品事務のプロとして非常に高い意識を持って仕事をやってくれております。最後の職場がこの出納局で本当に良かったなと私は思っております。
 最後になりますが、良い仕事をするにはやはり心身の健康というのが私は一番大事だと思っています。後輩の皆さんには健康に御留意頂いて、さらなる研さんを積んで県政発展のために頑張っていただきたいと思います。
 職員の皆さん、委員の皆様、長い間本当にありがとうございました。(拍手)

○中谷委員
 ありがとうございました。
 県会議員というのは、3期、4期になってようやくおまえ一人前なんだと先輩に言われました。ちょうどその頃、県会議員として楽しい盛りに一緒に予算のこととかいろいろ勉強をしたことがあって印象深い方です。今後とも御壮健で。
 次に、今から読み上げる順にお言葉を頂きたいのですが、簡単に紹介をさせていただきます。
 経営管理部長土村暁文さん、静岡市出身、昭和56年5月知事公室消防防災課主事採用、勤続41年10カ月。小山町副町長、知事直轄組織地域外交局長、経営管理部理事、そして現職。後ほどお言葉を頂きたいと思います。
 次に、地域外交担当部長山本東さん、静岡市出身、昭和61年4月賀茂民生事務所主事採用、勤続37年。文化観光部勤務が長く、スポーツ局長、そして現在地域外交担当部長。
 次に、人事委員会事務局長井上隆興さん、静岡市出身、昭和61年4月衛生部下田保健所主事採用、勤続37年。経営管理部職員局人事課長代理、その後現職。
 次に、総務局長兼デジタル推進監宮越美緒子さん、山梨県南部町出身、昭和56年4月総務部人事課主事採用、勤続42年。片山虎之助部長の部長室事務として2年間お勤め頂きましたがさぞかし大変だったんじゃないか。その後出納局用度課長、企業局の東部事務所長、そして現職。
 4人の方々には長きにわたり県政発展のために御尽力頂きましたことに御礼を申し上げたいと思います。
 それでは、名前を申し上げた順に一言ずつお言葉を頂ければと思います。

○土村経営管理部長
 温かいお言葉、御紹介、それから発言の機会を頂きまして大変感謝しております。ありがとうございます。
 私は、毎年この3月の常任委員会で諸先輩方々の挨拶を拝聴しておりましたが、ついに自分の番が来たんだなと実感しております。
 先ほど御紹介のとおり、私は高校を卒業してから静岡県庁に採用されました。昭和56年採用で約42年間静岡県庁にお世話になりました。最初の職場は現在の危機管理局に当たります消防防災課でございまして、東館4館の今現在の記者クラブがあるところに当時は位置しておりました。3年間在籍いたしましたけれども、2年目の昭和57年8月2日に台風10号が愛知県の渥美半島に上陸し、本県の山間部を縦断する大変大きな災害がございました。その際は安倍川にかかる県道がいくつか落橋したり、あるいは国鉄東海道線の富士川橋梁の下り線が洪水で崩落するなどインフラにも大変影響を与えた、今年の台風15号よりも大変大きな災害だったと記憶しております。
 そういった中、本館4階の特別会議室に災害対策本部を開き先輩方と泊まり込みで災害対策本部の業務に当たったことを今でも鮮明に記憶してございます。登山シーズンのため南アルプスに取り残された登山者の方々を田町のグラウンドまで災害派遣された自衛隊のヘリで輸送していただいたり、そういったことを生々しく記憶しております。当時、私は仕事が終わってから夜間の静岡大学の短大部に通わせていただいておりました。忙しい中でも私を送り出していただきました先輩方の御配慮に大変感謝しておるところでございます。
 その後は、静岡土木事務所、開学したばかりの県立大学の勤務を経まして、市町村交流制度により富士宮市の観光課へ1年間お世話になることになりました。ここでは県の組織を初めて離れて、市町村の立場で県を見ることができました。ここから市町村課、現在の地域振興局に配置されまして、市町村課3年目には自治省、現在の総務省での1年間研修をさせていただく機会も得ました。30歳前半のこういった経験により、市町村と国の立場から本県を見直すことができ現在の私のキャリア形成につながったのかなと感じております。
 市町、特に小規模市町では一人の職員が窓口対応から現場対応、内部管理業務まで多彩な業務を行い、法令改正よりも現場を優先しなければならない場面が多々ございます。国では各省庁ごとに法令審査など専門分野の方がいらっしゃいます。
 一方、我々県職もある程度専門性がある職員がおり恵まれていますけれども、国の政策が現場で有効活用できるよう県全体のバランスを見つつ市町に助言しながら、また逆に市町の現場をしっかりと国へ伝えるなど、広域自治体として県下全体に配慮しながら県は施策を進めていくことを国等での研修を経て身を持って感じたところでございます。
 その後、小山町の副町長として割愛された期間も含めますと地域振興関係に15年ともっとも長く在籍させていただきました。
 また、本年度は経営管理部長として、我々公務員の働き方が大きく変わってくる中で大きな節目である定年延長の事務にも関わらせていただきました。
 この間、多くの同僚、上司、部下の方々に恵まれ、県議会の先生方、国や市町の職員の方々とも良い関係を築くことができ、全ての皆様に感謝の念に絶えません。本当にありがとうございました。
 最後に、私から職員の皆様にお願いといたしましては、ぜひ御自身の健康管理にくれぐれも御注意していただきたいと思います。私は52歳のときに大腸がんを患いました。健康には自信があったのですが健康診断で要精密検査となり、再検査の結果ステージ2で幸い手術により完治することができ現在全く支障はございませんが、もし検査を受けていなければ命を落としていたかもしれないと感じております。私の経験からも毎年必ず健康診断は受診していただくよう、経営管理部長としても職員の皆様にはお願いする次第でございます。 皆様の健康と今後の御活躍を祈念いたしまして、私の挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

○山本地域外交担当部長
 まず、2番委員、過分なる御紹介ありがとうございます。またこのような発言の機会与えていただきましてありがとうございます。
 昨年4月にこの職につきまして、まだコロナ禍で非常に社会が不安定な中、この地域外交の分野、少しでも前に進めたいとの気持ちで1年間やってきました。ようやく少し出口が見えた頃、この職を離れるのは、安堵するとともにちょっと寂しい気もいたします。これまで何とか1年間無事に、議員の皆様の御指導とあと一年目の私を支えてくれた地域外交局の職員、いろんな関係者のサポートがあって何とかここまでできたんだな思います。
 地域外交については、委員会でも皆様方から非常に厳しい御指導を頂いておりますが今思うのは、やはり地域外交はこれから県民の皆様とか企業の方、こういった関係者をもっと巻き込むことが非常に大事だということ何となく分かりました。
 2点目として、静岡県を世界に広める意味で、国際機関であるとか国際的なグローバル企業とかに静岡を売り込む、いろんな提携をすることをしたほうがいいかなと思いました。
 3点目、来年度くらし・環境部から多文化共生課がまいります。こちらは外国人県民生活支援で、その視点は非常に大事でありますが、その外国人県民にいかに地域の中で活力を与えるように躍動してもらうか、そういった視点も必要でございます。彼らが地域外交の施策と一体となることも必要だし、我々地域外交局の職員も外を見るばっかじゃなくて、内なる国際化を見ることも非常に大事だと思っていますので、4月以降は2つの課がセットになって地域外交を展開していくことを期待しております。
 私は、先ほど御紹介ありましたが、新規採用で下田へ行きました。民生事務所というところで、児童相談所で仕事をしたり、生活保護をやったり、社会福祉法人の監査をやったりしました。20代の後半、2年間ほど外国へ研修を行くチャンスがあり、国際的な業務に携わるいろんなセクション、イベントに従事する機会を得ることができました。清水港でのコンテナ船、客船のコートセールスであるとか、2004年の浜名湖花博の外国の出展を担当しました。また何より印象に残っていますのが2019年のラグビーワールドカップで、こちら誘致のときから業務を引き継いで誘致が成功しました。特に手を挙げた15都市のうち12都市しか会場として選ばれない状況の中、静岡が選ばれるかどうか生中継で発表するっていうときに、当時の部長以下緊張感を持って夜県庁東館でどきどきしていたことが印象に残っています。このあとオリンピックも県内開催が決まりましたが、本当に1つ悔いだったのは、あそこまで準備しておきながら新型コロナウイルスの影響で外国からのお客さんを中に入れることができなかった。これが可能であったなら、オリンピックという世界的なイベントの効果がさぞかし静岡県にもたらされたのにと思います。これが非常に残念でございます。ただこれらの経験があったので、最後の年に地域外交担当部長として仕事をやることになったのかなと自分では思っています。
 この職歴でございますので非常に外で仕事をする機会が多く、いろいろな県、外国の方、関係者と話をし、いろいろな仕事をする機会を得ましが、県庁の職員の方は今やっている自分の仕事が世界の常識ではないと自分のやっていることに疑問を持ちつつ、これからはほかの県も待ったなしで知恵の絞り合いとなりますのでどうやってたくさん社会人口を静岡県内に入れるか、本当に県庁職員の後輩の方々には幅広い視野で積極的に自分を疑って、常識を疑って仕事をしてほしいと思います。
 本当にこの1年間いろいろお世話になりました。ありがとうございます。(拍手)

○井上人事委員会事務局長
 2番委員から丁寧に御紹介頂きまして、誠にありがとうございました。
 私の勤続37年の経歴を振り返ってみますと、人事課に3回、合計で15年、人事委員会にも3回、合計で9年となりまして、この2つの所属で県職員生活の約3分の2を過ごしたことになります。職員の勤務条件に関する業務は、自分に合っていると感じておりましたので、今はとても感謝をしております。
 退職に当たり、印象に残ったことを2つお話をしたいと思います。
 1つ目は、平成3年度に自治省、今の総務省になりますが、公民部の給与課で1年間実務研修を行ったことです。
 年下のキャリアの係長さんがいて、その鋭い分析力や判断力、意思決定のスピードに驚き大いに刺激を受けました。また国で仕事をすることで、外から静岡県を見ることができたことも大きな財産だったと思います。若い職員には、環境を変えるチャンスがあったときはぜひ挑戦をして、いろいろな経験を積むことで視野を広げてほしいと思います。
 2つ目は、平成12年度に総務部の制度企画室で再任用制度の企画立案を行ったことです。
 国制度の理解から始まり、対象者へのアンケート調査、教育委員会、警察本部、人事委員会との勉強会や職員組合との協議を重ね、再任用条例の制定の起案をし、平成13年2月の県議会で条例が可決され平成13年度から施行されました。1つのことに集中して取り組み、それが条例という形になったことにやりがいを感じましたし自信にもなりました。若い職員には、目の前の課題や仕事に真摯に向き合ってほしいと思います。その再任用条例も公務員の定年齢の引上げに伴い、今月末をもって廃止となります。廃止と同じタイミングで私が定年退職を迎えることで何かしらの縁を感じます。条例も私も一定の使命を果たせたのではないかと感じております。
 これからは、私の後ろにいる後輩の職員たちが県政運営の要として力を尽くすものと思います。今後とも県議会議員の皆様の御指導をお願いいたしまして、私の挨拶といたします。長い間ありがとうございました。お世話になりました。

○宮越総務局長
 総務局長宮越でございます。このような発言の機会を頂き、また2番委員から身に余る御紹介を頂きました。本当にありがとうございます。
 先ほど御紹介にありましたが、県に入ったのが昭和56年、男女雇用機会均等法の施行前です。当時各課に庶務係があり、女性の多くは貸与された事務服を着てそこで給与、旅費、福利厚生等といった総務事務を担当しておりました。私は新規採用職員のときの人事課をはじめ通算17年も給与等の総務事務を担当しておりました。
 総務事務の最後の担当は企業局総務室でした。当時知事部局では給与等の総務事務処理を部ごとに集中的に処理し始めたところですけれども、企業局ではもう少し合理化できないかと内部での検討とか各機関との調整を行いまして、出先機関も含めて本庁で一括集中処理するように業務の仕方を変更したところです。総務事務の範囲ですけれども自らの発案でやり方を変更することができ、独立採算の企業局にあって合理化、効率化に少しは貢献できたかなと思っております。
 私が県職員として従事してきた仕事は、今の総務局もそうですけれども総務事務や出納とか内部管理的な業務がほとんどで、政策的な担当をあまりしたことがなくちょっと残念です。でも家庭や子育てとの両立に悩みもがきながら上司の理解や多くの同僚、後輩たちに助けられて裏方として県を支えてこれたと思っております。
 この年度末で一区切りになりますけれども、今後は今まで周囲に助けられてきたことを恩返しできるような人生になればいいなと思っております。
 最後になりますが、これまで温かく御指導頂きました県議会議員の先生の皆様、職員の皆さん、健康に留意されて今後も御活躍されることを祈念いたします。本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○中谷委員
 ありがとうございました。職を離れても御壮健でお過ごしになられますように心からお祈りを申し上げたい思います。
 また、委員側ですが藪田宏行議長は高等学校の卒業先輩ということでいろいろと御指導を頂いて感謝をしたいと思います。
 また、中澤通訓議員はかつて同じ釜の飯を食べていた間柄でございまして、あっちにいるのはちょっと不思議な感じがしますが、それはそれとして議員生活32年はすごいなと思いつつ、これからも御壮健でお過ごしになることを祈念して終わりたいと思います。ありがとうございました。

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