• 携帯電話向けページ
  • Other language
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • 組織(部署)から探す
  • リンク集
  • サイトマップ
  • ホーム
  • くらし・環境
  • 健康・福祉
  • 教育・文化
  • 産業・雇用
  • 交流・まちづくり
  • 県政情報

ホーム > 静岡県議会 > 委員会会議録 > 質問文書

ここから本文です。

委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


平成19年12月定例会企画空港委員会 質疑・質問
質疑・質問者:天野 進吾 議員
質疑・質問日:12/14/2007
会派名:自由民主党県議団


○天野(進)委員
 9番委員が厳しい質問をしておりますから、時には一呼吸おくために提案のみを申し上げます。
(資料配布)
 今、お手元に配らせていただいております。これは、私が毎月1回、自分の後援会新聞を発行しておりますけれども、その中で静岡市、この郷土史をずっと書いております。その郷土史の、これは今から1年数カ月前に書いた原稿、それをコピーして皆様方にお配りさせてもらいました。
 実は、きょう申し上げるのは、これからはもう提案であります。
 前回の議会のときにも、マカオ国際空港との定期便をということで提案をさせてもらいました。これについてはきょうは一切尋ねませんけれども、今回もついでに提案をさせてもらおうと思います。
 それは、過日自民党の政調会でヒアリングがありました。そのときに、来年3月の開港までには何回かのイベントが展開されるという話を聞いた時に、私の脳裏をかすめたのは、実は、過日静岡市が家康入城400年ということでイベントを展開しました。2億円のお金を使って、それを見た人間は1,000人とはいなかったでしょう。ほとんどは知らずに終わってしまった。まさに大企業主導の地方イベントがいかにいいかげんなものかということを如実に語るものだと、私は思っておりますけれども、そういうことにお金を費やされるんじゃなくて自分たちの手でイベントを展開してほしいという思いの中で、きょうひとつ提案をさせてもらいます。
 皆様方にお配りしたこの文書、3分で読み切れるようですから、ちょっと読んじゃいます。
 「日本人で最初に空を飛んだ男『浮田幸吉』」
大工町に浄土真宗の福泉寺がある。武田の武将穴山梅雪に深い因縁を持つお寺ですが、ここでは触れずにおきます。
 狭隘な墓地の一角に、二段式につくられた墓石、上部は明治初年につくられたものか、刻まれた文字も風雨に洗われ見難くなった伊豆石、その墓標を受けるように少し大きめの下部はまだ黒光りする御影石、上下の墓石は明らかにつくった年代の違いがわかる。黒ずみった上部の墓石の正面には遠慮がちに備考斎、行年68歳とだけ書かれ、さらにその側面にも明治2年備考斎妻、俗名寿美、行年84歳と記されている。
 備考斎こと浮田幸吉は残念ながら静岡市民にはほとんどなじみのない名前であるが、あえて本日皆さんに啓蒙したく御登場願った次第です。
 飛行機の発明に挑戦した日本人の第1号が浮田幸吉です。
 天明5年、表具師を営む幸吉青年は25歳の時、玉野市にある蓮昌寺で、本堂に群がるハトにヒントを得て滑空を思い立ち、表具師らしい紙張りの模型をつくり、これを背中に背負って勇躍、橋の欄干から飛びおり、見事失敗、右足の骨折というおまけまでついた。しかし「泣き面にハチ」のたとえのごとく、幸吉は土地の役人に「奇をもてあそび、人を驚かした」という理由で捕われ、生まれ故郷の備前岡山を追放され、駿府に移り住んだのであります。駿府に転居した理由もふるっております。親戚の手だてで海運に転職した幸吉が全国の港をめぐるうち、駿河湾から見た富士山の美しさと三保の松原の天女の伝説に飛行を夢見る自身が重なり、親戚縁者の反対を押し切り、駿府での永住を決意したのであります。
 第二の人生は江川町の一角に備前の特産物を商う「櫻屋」を開業、これが当たって商売繁盛、隆盛のうちに事業を養子に任せた幸吉は、生来の器用さをもって何と、カシやツゲから入れ歯をつくり、歯科医備考斎として脚光を浴びるところとなった。
 しかし、1810年、50歳を迎えた幸吉は、なお大空に羽ばたく夢を捨てきれず、再び天空への飛行に挑戦。そして、長い錯誤と研究の末、今日のグライダーと同じ機能を持つ飛行機を製作。安倍川の河川敷において試験飛行を挙行、真夜中、多くの川越人足の協力で幸吉の乗る飛行機は見事に上昇したのでありました。飛行時間はわずか数十秒、その距離、200メートルと言われておりますが、まさに大成功のうちに実験は終了したのです。ここで、安倍川が最初の滑走路だということを御認識ください。しかし、喜びの中に迎えたその朝、番所からの役人にしょっぴかれた幸吉は再び、駿府ところ払いを言い渡され、磐田見附に転居したのであります。
 今、その際つくられた設計図をもとに、2分の1の模型が磐田市見附にある大見寺の本堂につるされております。ぜひ、この数奇の人生を歩んだ男をあなたの記憶の片隅に刻んでおいてください。
という文章をこの自分の歴史講座の中に書いてあります。どうでしょう、この浮田幸吉。私が知ったのは、実は歯科医師、技工士としての浮田幸吉を本で見ました。その時に、どこかでこの名前を見たことがある。そうだ、飛行機で見たことがあるといって調べ始めて、浮田幸吉、こういう男だというのを知ったわけです。
 今で言えば、もっと簡単にインターネットでやりゃ楽に出てきます。ぜひ見てください。
 でも、この浮田幸吉、今、磐田市では、この浮田幸吉はしばしばお祭りの中に展開をされているようです。そして、岡山の市長も数年前に来ております。しばしば岡山と磐田は、この浮田幸吉を通じて町の交流をしているようであります。
 この浮田幸吉、飛行機の世界、日本の飛行士、3人の飛行士の中の第一番目に上がってくるのがこの浮田幸吉です。この際、静岡県としてこの男をコマーシャルしませんか。私たち静岡県のちょうど新しい飛行場ができるときに、浮田幸吉をテーマとして取り上げてくれませんか。磐田市もやる気です。はっきり言って。
 浮田という家は安東にあります。そういううちでありますけれども、ぜひこの男を表に引っ張り出してほしいなということを願って、そんな提案をさせてもらいます。以上です。
 ついては、もしお答えがあればいただきたいと思います。

○岩ア空港部長
 御提案をいただき、検討させていただこうと思います。

○松永総務室長
 この方につきましては、16年か17年、ちょっと定かではありませんが、グランシップでやりました空港のイベントの時に、このような話で御紹介は申し上げたことがございます。

お問い合わせ

静岡県議会事務局議事課

静岡市葵区追手町9-6

電話番号:054-221-3482

ファックス番号:054-221-3179

メール:gikai_giji@pref.shizuoka.lg.jp