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委員会会議録

委員会補足文書

開催別議員別委員会別検索用


平成26年11月次世代人材育成特別委員会
浜松学院大学現代コミュニケーション学部 教授 大野木龍太郎氏 【 意見陳述 】 発言日: 11/17/2014 会派名:


○大野木龍太郎氏
 皆さん、こんにちは。
 事務局の方から話がきたのが急だったので、私も先週の金曜日に三島市の生涯学習課から青少年健全育成セミナーの講師を頼まれたりして、土日が学園祭だったので、別にそれは理由ではないのですけど、皆さんにきちんとしたレポートを本当は用意したかったのですけど、雑駁的なものでお許しいただければと思っております。
 資料は、ここに全部で11枚のプリントを用意してきましたので、それに沿って私が考えていることをお話できればと思っています。
 最初のほうで総論的に述べて、総論と各論も余りよく考えたら変わってないなというところもあるので、ダブるところもあるかもしれませんがお許しください。
 まず、最初に、今の子供のスポーツをめぐる状況がどうなっているのかなということで、高度化と大衆化という言葉を、私、社会学をやっていて、高度化というのは、どちらかというと競技力向上で、大衆化というのは、生涯スポーツ、スポーツをいろんな国民が享受していけるような環境ということで、この両面からスポーツを考えていこうというふうに、今回も考えました。
 現状、2020年の東京オリンピックが開催決定になってからのスポーツ報道を見ると、大体あらゆる報道が2020年に向けてというような形で、スポーツ省の設置というのも検討されているようですけれども、そういう意味では、このトップレベルをどうするかという問題が、皆さんもきっと興味がおありかと思うのですね。今、どうなっているかというと、実は、そこにもあるように、プロ化という言葉と、それから外国人のコーチというのを、ちょっと特徴的にあげたのですけど、サッカーでいうとJリーグができて20年、この間に1998年に初めてワールドカップに出場して以来、ずっと連続でワールドカップに出ている。そして10代の青年も含めて、かなりの人数が海を渡って外国のリーグでチャレンジしていると。それから逆に言うと、日本のコーチだけではなくて外国の理論や考え方を持ったコーチを、どんどん受け入れるような形になっている種目もあります。全ての種目がそうであるわけではないです。
 2020年というと今から6年後なのですが、ちょうど中学年代をターゲットにして、東京の赤羽にナショナルトレーニングセンターというのがあるのですけど、ここは宿泊もできて寮もあってということで、今ここが、かなり競技力向上の拠点になっておりまして、ここを重点に選手強化に乗り出しているということだと思います。
 しかし、そういう、言ってみれば10代の活躍がテレビでもメディアでもいっぱい出てくる時代なのにもかかわらず、一方で、今の子供たちの体力の低下ですね。10月に必ず体力テストの結果が出ますけれども、1960年ぐらいをベースにすると、種目によってはかなり落ちているという種目もあると。
 それから、それだけではなくて、人間関係がすごくつくりにくくなってきた。そして規範意識の乱れとか、いじめや不登校もなくならない。校内暴力もふえているとか、そういう深刻な問題が出てきているわけで、この対応というものを、今まではあらゆる教育課題を、学校を中心できたのですけれども、それを地域ぐるみで子供たちを育てていく方向で、今、コミュニティスクールの委員会を開いておりますけれども、これからの子供たちは、やっぱり学校はもちろん中心なのだけれども、地域全体で子供たちを支えていくという方向が、これからの方向ではないかなということは皆さんも承知だと思います。
 もう1つ、体力、運動能力の格差の広がりということで、学力テストも同じなのですけど、運動に小さい時期から出会って、こよなくスポーツに出会うという子と、下手をすると小学校の体育の授業までは、まともにスポーツを経験したことがないというような、そこにも書いてあるんですけど、幼少期からの家庭の文化資本、スポーツや芸術、自然とどれだけ出会うことができるか。これはもう学校教育だけではその解決は限界にきており、まさに社会問題として捉えなければいけないだろうと。そういう中で、スポーツ教育、私、体育がもちろん専門なのですが、皆さんの経験された体育の授業でも体育の実技とか、保健の授業はあったかと思うのですけど、体育理論という授業が、やっと指導要領の中に位置づけられまして、年間6時間、中学、高校で計18時間、必修ということでやることになりました。そこではスポーツマンシップとかオリンピズムとか、ようやくスポーツを文化として教える教育が緒についたということで、そういう状況であるということを、まず、最初に話をしておきます。
 2番目に、グローバル化ということで、実はもう、日本人のという1つのキャパでスポーツを語るということをしないスポーツがすごくふえているんですね。ラグビーなどは今、コーチも外国人ですし、それからラグビー自体は、そこの注にも書いたんですけど、36カ月、他国でプレーすれば、その国のナショナルチームのメンバーになれるという、もうそこまでプレーヤーズファーストが進んでおりまして、サッカーは相変わらず日本国籍を取得しないとだめだと、ラモス瑠偉さんも帰化したわけですね。そのような形で桜のジャージを着る外国人がすごくふえています。だから皆さんがラグビーの試合を見ると、これ日本人のチームなのというぐらいに外国人が出ている。これはもう完全にそういう国境を越えて、グローバル化が進んでいるということですね。
 大相撲もそうです。大相撲は、外国人力士に独占されておりまして、上位は横綱もそうですし、逸ノ城もそうですし。ただし、閉鎖性的なところもありまして、外国人力士は1部屋1人なんですね。こういう制限条項を設けていると。あれだけグローバルに、いろんな国の人たちが相撲を愛していくという中で、部屋制度ではそういう閉鎖性があるとか。
 それから少年期を外国で過ごす錦織選手の活躍なんかは、あれだけ英語をペラペラにしゃべる、英語で全部やれるということは、13歳ぐらいからアメリカに渡ってエリートアカデミーでやってきている。彼のような例は、それを一般化はできませんけれども、もうそういうふうに日本だからというような枠で、スポーツは語れなくなってきているということです。
 子供たちが今、スポーツをどう語っているかということで、別に全員がスポーツに関心あるわけではない。でもやっぱり将来の目標として、オリンピックに出てメダルを取りたいと話す子供たちが大変ふえています。
 ただし、もし自分が目指していてかなわなかったとき、例えば、けがをしてしまったとか挫折してしまったとか、そのときに果たして自分がどう生きていくのかという、セカンドキャリアの問題というのはほとんど知られておりません。まさにスポーツメディアでつくられたスポーツマン像だけがひとり歩きして、みんなは憧れを持って見るけど、そこにいけるというのはほんの一部で、本当にさまざまな幸運と1つのチャンスというのもあるわけで、そういう意味では、私自身ここで1つだけ言いたいのは、相変わらず日本は、スポーツか勉強のどちらかというような言い方で、どちらを取るかという選択肢で語られることが多いんですね。
 スポーツマンであるというだけで、世間から注目されて評価をされる時代というのは、もう終わったんじゃないかなと。これからスポーツマンというのは、スポーツをしているときだけではなくて、スポーツマンが政治の問題をどう語り、地域にどういうかかわり方をするかとか、そういう意味で、スポーツマンもしっかりと評価される、そういう中で子供たちにスポーツを教えていかなくてはいけないんじゃないかなと思っています。
 4番目として、外国と日本の比較をしたときに、日本的特殊性ということで、1つはスポーツ少年団、もう1つは部活動ということで、ここを中心に話をします。部活動もそうですし、スポーツ少年団もそうなんですけれども、きょう追加資料で、私の入っているサークルの雑誌の4月号が東京オリンピックの特集だったので、そこに書かせていただいたものを皆さんには配ってあるんですけれども、スポーツ少年団って1962年にできて、そして今までもずっと継続しています。一番多いときは112万人ぐらいの団員数がいて、小学校の中では、もちろんボーイスカウト、ガールスカウト、子供会、子供会のほうがもちろん組織的には大きいんですけれども、スポーツをやる組織とすれば、最大の組織であり続けています。
 そのスポーツ少年団が揺れています。揺れているという言い方は変ですけど、一つは、理念として持っている子供たちの健全育成という部分と、それからもう一方は競技力向上という、このはざまで揺れているということです。
 それから、部活のほうは、実は中学生は8割から9割、高校生も5割以上が運動部に所属しています。これだけのニーズを地域社会で引き受けることなく、学校教育活動の枠内にずっととどめてきたんですね。長野県なんかは、放課後何時からはもう社会体育みたいにしてやっているところもありますけれども、静岡県は学校教育活動の一環としてずっと今日まできています。その指導に当たるのが教師でありまして、教師が責任者として放課後、休日、私たちは教育課程外というふうに押さえているんですけれども、かなり奉仕的なかかわりを続けてきました。しかし、皆さんも御存じのように、教師の多忙化とか、今、教師はたくさんのものを担っているということ、そして子供たちも非常に個性化、多様化してきて、本当に部活動がこのままでいいのかどうかということは問われているということです。
 それからもう一方で、県立高校もそうなんですけれども、一定枠のスポーツ推薦をとる、特待生、あるいは外部指導者、広域リーグなど、教育の一環と言いながらも、対等、平等な条件で競い合うという教育的配慮というのは、私立と公立を比べたらそういう部分も全く同じ土俵では語れませんし、果たして部活動はそれでいいのかという問題は当然出てくるわけで、そこら辺も触れていこうかなと思っております。
 それから裏をめくっていただいて、総合型についても触れてほしいということを言われたので。これは、後でも触れますけれども、多種目多世代というキーワードでスポーツを楽しもうというクラブづくりを、という理念です。皆さんも、この理念自体はそんなにおかしいとも思わないし、違和感もないと思うんですけれども、現状、今ある地域社会で行われているスポーツクラブの多くは世代別であって、それから単一種目。例えばサッカークラブとか、そういうようなものが中心です。文部科学省は、平成7年から助成事業としてこれを大々的に取り上げまして、まずは最低限各自治体に1つはつくりましょうということで、これは1つつくればそれでオーケーではなくて、それがモデルになって、タケノコのようにどんどんできていってほしいということだったんですけれども、全然目標には到達していないし、さまざまな課題がそこに出てきています。
 1つは、そこにあるように、クラブハウス、事務局を自前で持てない。要するにクラブはあっても実体がない。人はいるけど、その人たちがきちっといろんなことを決めたり、活動していく拠点を持っていないということですね。
 それから、もっとうまくなりたいとか、高度化の要求に対して、この総合型は応えられるかという問題。
 それから、地域づくりとリンクする。これはどういうことかというと、その総合型というのは、自分たちでやっていくということなんですね。誰かに全部お膳立てしてもらって、スポーツだけをするんではなくて、スポーツをする環境を自分たちで、みんなでつくっていこうと。これも皆さんから見ると、それはいいことだというふうに思うんですけれども、今子供会もそうだし、私がやっている浜松祭りもそうですけれども、小さいときに楽しませてもらったにもかかわらず、今度は自分たちが支える側に回ろうとしたときに、ごそっと継続性が途絶えてしまうという。そういう意味で、そこに書いたように新しい公共をつくる担い手が不在という問題は、このスポーツにも明らかです。
 それから、余暇を大切にする文化の未成熟ということで、ワークライフバランスって書いたんですけれども、高校、大学を出てからの20代の10年間というのが一番大事な時期なんですけれども、このときにやっぱり労働負荷が大きくて、私の卒業生たちも、それこそ営業職につくと、先生、労働時間なんてあってないようなもんですという感じで、本当に夜10時、11時というのは当たり前みたいになって、そうするとやはり、どこかでリフレッシュしていかなきゃいけないにもかかわらず、やはり土曜日、日曜日というのはもう本当に疲れをとるだけで終わってしまう。消極的な余暇の過ごし方ということで、そういう意味では単純にこの総合型をつくれば社会が変わっていくというようなものではなくて、働く環境の問題が大きく影響しているということです。
 それから、実は部活の問題にもかかわるんですけれども、自分たちで組織をつくって運営してやっていくんだという、言ってみれば自治的な活動というものが、十分学校時代に自分たちの中で洗練されてこないなという。部活動は小学校から高校まで何年間もやっているんだけれども、結局それでどんな力が育ったのか。非常にはっきり言うと、そこが育ち切れていないということが、この総合型が苦戦している原因でもないかなというふうに思っています。
 次に、各論のほうに入らせていただきますが、日本の子供たちのスポーツ環境ということで、3ページを見ていただくと、学童期、中学校、高校、大学、成人と、ここで見てわかるように、中学校以降は部活動というものがその1つの中心的な活動の場所になっておりまして、種目によっては、民間のクラブであるとか道場が、相変わらずその年代も引き受けているというのもあります。レスリングもそうだし、それから柔剣道もそうだし、それから水泳もそうだし。ただし、いろんな種目を合計してみると、やはりその受け皿は圧倒的に学校教育の中にある部活動が担ってきているということは紛れもない事実です。
 競技団体のほうから出てくるのは、そういうときの施設がなくてできないとか、指導者にきちんとした資格を持った人がいないんで、いい指導が受けられないというのをなくそうということで、地域を拠点に一貫指導を受けられるような方向がいいんではないかと。これはもうずっと言われていることなんですけれども、例えば水泳、体操、陸上、レスリング。しかし、この種目についても、中には高校から上の年代においては学校の部活動を次の拠点場所にしているのも出てきています。でも、結果的に見ると、オリンピックでメダルをとっている種目の多くは、民間の人たちがすごい支えてきている種目が多いんだなということに気づくわけです。
 それから、スポーツ少年団というのは、大体小学校区を基盤に、1年生から6年生まで所属しています。最近は、中学生年代、ジュニアユースというところもさらに継続して、スポーツ少年団として活動する種目も出てきています。それから、種目によっては、例えば野球、ソフトボール、サッカーもそうですけど、男女別に分かれるんではなくて、男女混合で行うようなものもあります。
 さっきも述べたように、スポーツ少年団と種目別競技団体の関係というのが、一番考えなくてはいけない問題です。要するに、スポーツを通しての健全育成と競技力向上というのが本当に両立するかどうかということで、この問題があると思います。
 それから、中学校年代になると、学校の部活動に大半が所属するわけで、そうすると、学校の規模であるとか、例えば小規模校だと、自分がやりたい種目はバドミントンであっても、学校で1つの部活しかできない、じゃあバスケットだけだよ、この学校でできるのはというふうに、生徒たちのニーズに応えられるような環境は当然できないわけで、そういう問題とか、それから指導者がいないという問題ですね。これは後から触れますけれども、学校の先生って、別に部活の教師になるために、先生になってるわけじゃないんで。ましてや大学時代に、僕も教員養成の一端にかかわってますけど、せいぜい触れるのは特別活動論の数時間なんですよ。だから、体罰の問題も全部そこで触れていかなくちゃいけないし、そう考えてみると、今の先生たちが専門的な指導をきちっとできるかどうかと考えると、そこはなかなか難しい問題だと思っています。
 当面する問題としては、そこに5点ほど挙げましたけれども、そうは言っても学校の部活動が今日まで継続しているのは、先生たちの献身的な、ボランティア的な位置づけで支えられてきました。これを計算した人がいるんですね。放課後、例えば3時間、土日6時間ずつやったときに、果たして時間外手当が幾らになるか。物すごい額です。全国ですから。それを調整給4%という中でやっているわけで、先生たちは、自分たちがそんなオリンピックの選手を育てるようなことはできないけれども、人間としてこの時期に部活動にかかわることは教育的意味があるんだということを、どの先生も感じているからこそ、家庭との両立大変だけど、ここは外せないなということで続けてきてるんだろうなと。そうは言っても、それが限界にきているんではないかなということも後で言いたいと思います。
 それから、過疎化、少子化で、学校単位でやる部活動というのは、子供たちがやりたいスポーツを必ずしもできる場とはなっていないということですね。逆に言うと、生徒指導的なねらいで、それこそ夏休みに40日間、本当に部活動をやらせてほしかったのは誰なのかと。もしかしたら親ではなかったのかというふうに思います。家でお昼まで寝てる、なんかぐだぐだしていて、もうそれだったら体鍛えてこいみたいな、要するに、何か学校でそうやって目いっぱい子供たちを鍛えてくれることが、本当に夏休みの過ごし方みたいになっている。本当にそれで子供たちが育つんだろうかということを改めて問い直す時期にきているんだろうなと思っています。
 それから、受験がありますよね。中3、高3の受験。そこにあるように、下手をすると、中3、高3で半年以上競技生活から遠ざかるんですね。引退なんていう言葉、おかしいですけれども。14歳から17歳の一番伸びる時期に、体力もぐんぐん伸びていく、技術もどんどん伸びていく時期に、その貴重な時間を受験に持っていかれる。ではみんなどうするんだということですよね。それは、自分たちで選ぶものではないかなと思うんです。
 例えば、公式戦は出れなくても、自分は週に2回ぐらい部活にかかわっていたほうが受験勉強にプラスなんだという子もいると思うんですよ。どういうことかというと、みんな一人一人が同じようにとらえられるんじゃなくて、一人一人が自分が部活とどうかかわるのかを判断できるような、そういうシステムが大事かなと思っています。今は残念ながら学校教育の一環ということで、では中3は夏の大会が終わったらみんなそのエネルギーを受験に向けましょうみたいにしてやっている。だから、自分でスポーツを人生にどう位置づけていくかという自己決定の大事な場面を奪われてきているということも言えるんではないかなと思います。
 その一方で、子供たちを見ると、高梨さんなんか、高校生にもかかわらず、ワールドカップに全部出ている。一体学校に行っているのだろうかと。彼女は、頭がいい子なんでそういう心配はないんだろうけれども。
 かつては学徒対外競技基準なんていうのがありまして、戦後、東京オリンピックの前あたりは、小学校の全国大会なんていうのはもちろんありませんでしたし、中学校も泊を伴う合宿もやっと許可されたという時代がありました。そういう意味では、あくまでも学校教育というのに影響を及ぼさない範囲で部活動を位置づけようとしてきたんだけれども、今は本当にその子供たちがスポーツをどうやるかは学校が決めることではないみたいな形で、個人種目なんかは特に、1年を通して強化合宿があり、対外試合があり、そうなると学校教育の中に別の世界があるという子供たちも出てきているということです。
 さて、今私は、大学に所属していますけれども、皆さんの大学時代はどうだったでしょうか。僕は大学のときに、教育系の大学に行ったんで、最後まで体育会に所属している部活をやりましたけれども、中には、いやもう少し違うスタイルでやりたいなという子たちもいたようです。大学へ入ると、高校までの部活動経験者で、さらに競技力向上のところで頑張ろうとする子は、がくっと減ります。多くは同好会に所属します。しかし、同好会だったら別に学校でなくてもいいわけですよね。地域のスポーツクラブに入ってやったっていいわけですよ。ところが、地域のスポーツクラブに所属する若者もそんなに多くなくて、同世代で固まる傾向が多いんですね。ここの問題は、もう一度、最後の展望のところで述べたいと思います。
 それから、4ページのスポーツ少年団についてなんですけれども、これはさっき言ったように、東京オリンピックを契機に少年団がつくられました。当時、青少年の非行が物すごく多くて、今はあの当時から比べると物すごい減っているんですよ。あの年代で殺人を、とかいう問題は確かに報道でされるから、何かすごく凶悪化しているというふうに言われるんですけれども、あの当時はもっと荒れていて、このスポーツ少年団もオリンピック啓発運動にという理念があったにもかかわらず、この青少年問題を解決するための1つの切り札的な感じで、子供たちにスポーツを通して、健全育成に向かっていってほしいと、そういうようなもとでやってきました。
 スポーツ少年団は、誰がそこを担ってきたかというと、そのスポーツ少年団に入っている子供たちの親であるとか、地域の人たちの中からコーチをやってくれる人とか、学校の先生も当然かかわっていた人もいるでしょう。育成母集団というのをつくって運営を担ってきています。
 しかし、その一方で、東京オリンピックが終わって、このままでは日本はメダルを取れなくなるみたいな感じで、各競技団体から、少年期のスポーツ活動をどうするんだ、もっとスポーツ少年団を活用したらどうかという競技力向上の圧力が、だんだんと高まってきまして、かつては1年通して、アメリカなんかはそうなんですけど、小学生ぐらいの年代はシーズンスポーツだったんですね。水泳なんていうのは夏にやるスポーツだとか、サッカーは冬とかね。あったかいときに野球をやるとか。でも、そういうものよりも、単一種目年間継続型でのスポーツ少年団が多数派になっていくんですね。この1970年以降だんだんと。そして、小学校レベルにおいても全国大会を開催することで、同一年代で結果を出すことが指導者に求められるようになっていきます。だから、将来にわたって基礎を培って、スポーツの楽しさに支えられたスポーツよりも、むしろ勝利を目指してひたすら練習に精進する。あの当時は質よりも量が重視されていましたので。さらにそこに忍耐とか我慢という精神的な資質が強調されてきたのが、実は日本のスポーツの歴史であったと思います。その中で体罰も温存し続けてきたということだと思います。
 92年にあり方を見直そうという提言を行っていて、1つはそういう大会至上主義、それから大人がやっているようなスポーツをそのまま子供におろしてくるやり方はだめだと。それから、少子化で子供の数が戦後半分に減っている中、海外のいろんなスポーツ理論とか指導方法がどんどん日本に入ってくるようになりました。例えば日本人は本番で力が発揮できないという、そういうのを今までは根性論でやろうとしてきたけど、そうではなくて、もっとリラックスした状態でふだんから練習に取り組むことが大事だという、心理学的な知見がどんどん入ってきまして、言ってみれば、叱る指導よりも褒めて育てろというような感じで。もちろん褒め殺しじゃないんですよ。適切な教えの中で、どこをどういうふうに褒めるかということが大事だということだと思ってます。
 そういう中で、次第に、今のままの日本のスポーツのやり方、野球も少年時代では世界一だけど、肝心な18歳から20代のときにどうなのかと。そういう問題の接点の仕方が大事じゃないかと。要するにどこをゴールと見るかということですね。そう考えてみると、そこにあるように、子供本位のスポーツのあり方を問う指導者やスポーツジャーナリスト、研究者の発言がだんだんとふえてきました。諸外国との一番の違いは、さっき言ったように小学校レベルでの全国大会があるかです。アメリカとかドイツもありません。そういう意味で、子供のスポーツの動機づけが、日本では大会での勝利、これは強く意識されています。だから年間を通してさまざまな大会とかリーグ戦が組まれている。その中で、指導者がゲームをどのように位置づけていくかによって、子供たちに大きく影響してきます。
 例えば何よりも勝つことを優先する指導者は、チーム内で最強の選手で戦うことを選択します。だから、補欠という存在が必然的に生まれます。しかし、この時期にできるだけ多くの子供たちにゲームの機会を平等に保障しようとする指導者は、勝敗も大事だけれども、ゲームから学べるように試合の仕方を工夫する。
 私がドイツのスポーツクラブを訪ねたときに、ドイツでは20名を超えるとチームを2つに分けるそうです。なぜか。それは、1人のコーチが見られる人数は20人が限度だろうと。40人も見たら、結局そこで競わせてやるやり方になってしまうと。そうすると、下手をすれば、スポーツを嫌いになってしまう子が出るんじゃないかというようなことで、ドイツの場合は非常に合理的ですね。
 もう1つ言うと、初心者、年齢が下になればなるほど、若い人に面倒見させることが日本は多いんですね。見て、まねをさせて覚えさせる。だけど、自分で考えてプレーできるように助言していくかって分かれるんですよ。子供たちはスポーツ環境を自分ではつくることはできません。だから、指導者や保護者の考え方がとても影響力を与えます。その指導者の研修制度の確立。公認資格というんですけれども、これを課題に上げたいというふうに思っています。要するに熱心でボランティアであればいいかというと、そうではないだろうと思っています。
 そんなことで、スポーツ少年団については、市町村ごとにそこに載っています。物すごいまだまだ数が多いです。学校区ごとに設置があるぐらいに考えていいんではないかなと思います。ただし、男子と女子では、やってる子の比率が3対1です。圧倒的に男の子が、スポーツ少年団にはかかわってる率が高いということですね。中学生は4%、高校生は0.5%。どこもほとんどそうですね。ということは、小学校が95%ぐらいの活動組織ということで、この表を見ていただければと思います。
 それから、総合型地域スポーツクラブの問題は、先ほども少し触れましたけれども、多分これが全ての今あるスポーツ組織を束ねることは無理だと思います。多種目多世代型スポーツクラブというのは、実はスポーツの大衆化のところになっているわけで、スポーツとの出会いとか、それからお年寄りが地域で気楽にスポーツができる。そういうときに、そこにいろんな世代の子供たちがかかわることで非常にプラスが生まれるとか、そういう意味では、これも1つのスポーツのあり方だと思っています。だけど、例えばもっとうまくなりたいなとか、もっともっと自分がその種目を一生懸命やりたいな、専門的にやりたいなという願いに応えるには、この総合型というのは、まだまだそこの広がりを持つのは無理があるだろうなと思っています。
 文部科学省はドイツのスポーツクラブをモデルにしてるんですが、ドイツは実はもう、どのクラブも1世紀以上の歴史がありまして、私が訪ねたときも、まず何をくれるかというと本なんですね。そのクラブの歴史を物語る本をくれる。いつ生まれたとか、どういうふうに発展してきたんだとか。それを考えると、私たちがやろうとしているJリーグもまだ20年ですし、Jリーグも100年構想といって、地域に根差したスポーツクラブというのを念頭に置いていますけれども、50年、100年というスパンでスポーツを考えるということがどういう意味を持っているのかなということも考えなくてはけないなと思っています。2020年の東京オリンピックが終わったら、一体次の目標は何なんだと。オリンピックを目標にするということは本当に適切かどうかということも含めて、議論が必要だろうなと思っています。
 静岡県の総合型の状況は、静岡県の体育協会に総合型のところが載ってまして、そこにあるように合併したおかげで、浜松市も9と書いてありますけれども、合併する前はもっと町村多かったんで、ない町村もあるということですね。次のところに具体的なスポーツクラブがざっと載っておりますが、見てわかるように、平成20年までにつくられたところが大変多いんですけれども、平成24年とか平成25年は余りないですよね。だから、もう余り爆発的にこれ以上ふえないんじゃないかなというような気がしています。
 時間の関係で、最後の10番、11番に入りたいと思います。
 これからスポーツをどうしていくかというときに、まずどこを一番ターゲットにして考えることがいいかというと、やはり今、教育問題は全て中学校をどうするか、中学生年代をどうするかというところに焦点化がされるのではないかなと思っています。さっき言ったように、この中学年代に入ると、学校、部活が中心になります。だから、部活をどうするかということを考えることが、今後の子供たちのスポーツを考える一番のポイントになるのではないかなと思っています。
 現在、中学生の9割が学校教育活動として部活に参加しています。学校によっては、全員参加を義務づけているところもあれば、自由に選ばせているところもあります。だけど、内申書という高校進学の資料の中に、部活動の経験って書かれるわけですね。そこが真っ白という子はどうなんだということで、先生たちはやはり、何か1つ3年間頑張ったということを、高校進学の1つの材料、資料としても重要視しているということです。
 さっきから言うように、多忙化が進む教師にとって、部活は少なからず負担になっています。でも、ほとんどの教師が何らかの顧問を引き受けて、放課後や休日の面倒を見ているということで、これは今も変わらない事実です。
 団塊世代が今、定年を迎えて、本当はもっと若い先生たちが大量に採用されるはずなんですけれども、静岡県は定数内講師ということと、それから定年を迎えた人たちを再雇用するときに、その枠を入れてやってるので爆発的に先生たちを採れない。もちろん少子化があるので、またここで20代の子をばーっと採るといびつな構造になってしまうというのもわかるんですけれども、でも実際に今はもう、中学校、小学校とも平均年齢が43か44です。そういう人たちが果たして。どうでしょうか、皆さん。中学校なんかで部活動も指導し、それから教科指導もし、クラスも面倒見て、それからいろんな校務分掌をしていく。まさに殺人的。だから外国の研究者が日本の教育制度を勉強に来るんですよ。何でこんなに日本の先生たちは頑張るんだと。ここまでこのトップレベルの水準を維持できているのはどこに原因があるんだと。だから、ある面では教師聖職論が強いんではないかなというふうな気がします。
 そういう中で、やはり子供たちにとっては、そういう先生の置かれている状況が部活動の活動を左右するんですね。例えば顧問がいないと部活動できませんとか、そういう状況でしょう。先生、僕たちだけでやるから部活をやらせてよと。これはできないんですね。そう考えてみると、ここの学校教育活動であるということが縛りになっているということもあるわけで、それからさっき言ったように、教師は部活の指導者になりたくて先生になっているわけではない。そうはいっても勤務時間外の奉仕的な意味合いが強い部活動をするのは、教育の一環として、部活が人間の育つ場としてとらえているからにほかなりません。そこは勝敗に強く動機づけられた民間のスポーツクラブとは性格を異にしていると思います。
 しかし、子供たちはどうでしょうかね。非常に競技志向の強い子もいますけれども、今はどうでしょうか、皆さん。今の男の子たちのいろんな調査をすると、自分は会社の社長になって、リーダーになって引っ張っていきたいという子はほとんど出てきません。みんなでうまく仲よく、一緒にやっていければいいというような感じで。それはもしかしたらゆとり教育がそうさせたのかもしれませんし、これは検証が必要な部分だと思いますけれども、そういう意味からすると、スポーツってやっぱりそういう時代だからこそ、逆にいい意味で人間の攻撃心というか、そういうものを発揮できるような力になるはずなんだけれども、スポーツも残念ながらそういう意味では、多様化してきています。
 純粋にスポーツを楽しみたいと思っているかどうかということで、僕も大学で学生たちに聞くんですよ。部活やってきてどんなことが役に立っていると聞くと、当然挨拶ができるようになったとか、上下関係に気を使えるようになったとか、それから粘り強くなったかなと。いつも諦めやすいんだけれども、ああやってみんなで頑張るから自分も頑張れたようなところがあってという意味で、さまざまなそういう人間形成に寄与する面がある。
 でも、それを目的にみんな部活やったのっていったらそうではないんですよ。結果としては、それはついたけれども、やっぱりスポーツを楽しみたい。楽しむためにはゲームに出たい。でも俺ずっと補欠だったよなというのは、ずっと後を引くわけですね。要するにゲームを楽しめなかったということの部分と、でもそれと代償に補欠で3年間よく頑張ったなという先生からの褒め言葉をもらえたとしても、これは本当にスポーツを楽しんだことになるんだろうかということを考えていかなくてはいけない。そこにも書いたように、楽しいから継続するのであって、その楽しさの中にゲームでの勝敗とか、できなかったことができたときとか、それから苦しさを仲間とともに乗り越えたとき。集団で1つの目標に向かって切磋琢磨するという、他の教育活動では得ることのできないインパクトを持っているのではないかなと思います。
 でも、だからといって部活動は一体誰のため、何のために行われるのかということをもう一度肝に銘じる必要があるだろうと。部活は学校のため、教師のためでもありません。子供のために行われる自主的、自治的な活動です。だから、本来は誰もが対等、平等で活動を楽しめることが前提にならなければならないと思います。たった3学年しか違わないにもかかわらず、先輩、後輩のお互いを縛り合うような自治が自由度を低め、開放的なプレーの精神が過度な緊張を要するストレスにすりかえられてしまうようではまずいと思います。
 地域で行う大人のスポーツクラブは年齢の違いは問題になりません。要するに誰がどこの仕事で社長をやろうが、自分はフリーターであろうが、スポーツをやるときというのはみんなお互い平等なんですね。では、なぜ中学校や高校では、たった学年3つしか違わない中で、それだけ人間的な上下関係が出てくるんでしょうか。そういうことを考えてみると、何か社会につながっていかないんですね、部活をやることが。社会で行われているスポーツって、もっと伸び伸びとお互いに自由にやれてるはずなんです。でも学校は教育的な活動の一環ということで、むしろそこを利用して、おまえ、上級生はしっかり下級生をリードしていかないといかんぞみたいな形で。でも、そこら辺の窮屈さを果たして子供たちがどう受けているのかなと。大学へ入るとほとんどの子が同好会に入るという理由は、何なんでしょうか、皆さん。これは、スポーツが嫌いになって部活に入らないんじゃないんですね。ああいうやり方でいつも先輩に気を使いながらやる部活って、やっぱりもういいよなという感じになってしまう。これってスポーツが本当に楽しいのかなというふうに思います。
 今、実はいろんな考え方が出てきて、大阪の市長がまたとんでもないことを言い出して。中学校の部活を民営化するんだといって。受益者負担で人材派遣会社に指導者をストックしてもらって、派遣するんだとか言ってますけれども、皆さん、どうでしょうか。
 そういう意味で、ここの社会体育の状況を見たときに、5日制もそうだったんですけど、平日の放課後3時から夜6時、7時まで、ほとんどの中学生が何らかのスポーツ種目を年間を通して継続的にやってるわけですよね、部活というのは。そこにハード面、ソフト面で、学校でない地域にそのことをやれることは可能だと思いますか。
 例えば百歩譲って、学校という施設を使いましょうと。今さら公共施設なんか建てられるような場所もお金もないしと。今も、学校は施設利用委員会というのがあって、平日の夜間であるとか、休日、学校教育活動がないときは、皆さんでそういうものをうまく使えるようなシステムをどこでもとっています。
 しかし、ソフト面はどうでしょうか。誰が面倒を見れるんでしょうか。平日の3時から6時、土日も含めて。それはボランティアで見るんでしょうか。もしそこを有償で見ようとしたときに、一体その予算は誰が出すんでしょうか。やっぱりそれは習う生徒たちからもらわなければいかんと。義務教育ですよね、もちろん。学校教育活動の一環と言っておきながら、そのときになると、いや放課後の活動だし土日だから、生徒たちはやらない子もいるし、やる子は応分な負担をすべきではないかとかという乱暴な意見まで出てきている。
 したがって、現状で、先生以外にそこに当たれるような人が一体どれだけいるのだろうかということを考えてみる。ましてや、競技経験があり指導者資格を有しているような人を充てようとしたら、その人はそれを生かして、1つの学校だけではなくて幾つかの学校の面倒見ようかという。その人に、その食いぶちではないけど、それは社会的に必要な仕事であって、学校で言う教師が授業をするのと同じぐらい価値のあるものだというような位置づけがされない限り、恐らく誰がやるのという話になると思います。したがって、ここを何とかしない限り、制度だけをいじくっても無理だろうなというふうに思っています。
 県の教育委員会も、高校の運動部においては、外部指導者確保に向けて人材派遣会社と連携して人材バンクを進めることを検討し始めましたが、県内の中学校まで広げるには膨大なストックが必要になりますので、これをどうするのかという問題があると思います。
 最後にもう1点。同好会って大学では全盛なんですよ。例えばテニスなんかは、テニスの体育会系よりも、学部ごととか学年ごとにテニスサークルがいっぱいあって、だから競技をやっている人は減ってはいないんですよ。ただし大会に出て競技団体に登録する人は減っています。でも、さっき言ったように、地域社会というのは、競技団体に登録して大会に出場するクラブばかりじゃないんですね。毎回気の合う仲間とスポーツを通していい汗をかくのが目的のフレンドリーなクラブもいっぱい存在しています。そのクラブも時には、たまには他地区のクラブと練習試合しようという、そういう発想。
 では、こういうものって、高校で何で認められないんでしょうか。高校、中学の部活動って、なぜ1種目1クラブしか認めないんでしょうか。同じ種目でも活動頻度は週1回とか2回とかいう、頻度は少ないけど活動するときは真剣にプレーを楽しもうと。でも私は、それ以外に自分がやりたいこといっぱいあるんだと、もっとほかにもいろいろやりたいことあるんだという人がいてもいいじゃないですか。それを1つのシステムの中で、みんなが全員同じようなやり方をしなければいけないというところに、むしろ無理を生じているのではないかなと思っています。
 先生たちはこう言うでしょう。そこにも書きましたが、スポーツに取り組むのに週1回で何ができるんだ、うまくなんかなるはずないよ、対外試合を目的にしないなんて目標も曖昧だなどと、人間形成に資するような活動に値しないと思っているんではないでしょうか。同好会というのはお遊びだと思っているんではないでしょうか。
 しかし、子供たちってみんな同じではないわけで、やりたいことが幾つかある子もいれば、部活動のためにほかを全て犠牲にできないで悩んでいる子もいるでしょう。大会に出るための厳しい練習に耐えるよりも、今ある自分の技量で楽しめるほうがいいと思う子供もいるでしょう。ましてや、顧問の先生がいなくても、自分たちで練習したりゲームができる力って、長い目で見たらとても重要なことではないでしょうか。いつも何か誰かが指示してくれて、きょうの練習メニューはこれだということを言われないと何もできないよりは、よっぽどスポーツに関しては自立していると思うんですね。
 そう考えてみると、富士山型という、その裾野を広げれば頂点も高くなると考えるか、八ヶ岳といって、いろんな頂上があって、いろんな山の登り方があっていいんじゃないかと。1つのチャンピオンシップがあって、あとは全部1つの裾野を形成しなくてもいいんじゃないかというように考えると、さあ今の学校教育でそういう同好会的な発想が入り込む余地があるんだろうか。そうするとやはり放課後の活動を一旦は地域社会の中に置いてみる必要が出てくるんではないかなと思うんですね。
 ただし、さっき言ったように学校施設が面倒見られたとしても、それをきちっとフォローしていく指導者の問題、これをどうするかというところが問題になってくるなと思います。できれば、折衷案ですけれども、学校の先生たちの1つの身分の中で、特別活動というもの、要するにクラス、学級活動、生徒会活動、それから部活動あたりを主として担う先生たちが、専門性を持って入ってもいいんじゃないかなというふうに思っています。
 実際に私立の学校はもうそういうシステムなんです。サッカー部のコーチをやっているのは、職員なんです。学校の先生ではないんです。そこの職員として採用されて、そのかわりあなたたちは365日その部活を強くすることをやってくれればいいという。
 今そういうシステムをとっている学校が、言ってみれば結果を残しているということを考えると、子供たちに本当にいいスポーツ環境を用意するには、学校の先生に今のまま頑張らせるというのはどうだろうかなと。もう少し学校の先生には、今抱えている教育課題、道徳も含めて、先生たちが授業でしっかり勝負ができるような環境をつくってあげる、そのためには放課後の部活は、一旦は地域社会で担えるような、そういう方向性で動き出す時期にきているんではないかなと。
 もちろん先生の中で、俺は部活も面倒見たいんだという先生がいてもいいじゃないですか。それはその先生の両立の範囲内でできますし。
 でも、全てのシステムが、今は学校教育でしかないというやり方はどうなのかなということで。特効薬的な答えにはなりませんけれども、議論のスタートとすれば、やはり小学生から中学校、高校というものを、受験に左右されずに、自分がどうスポーツとかかわるかというのを自分で決められるような、そういうスポーツ環境は、学校というシステムにいつも置いていると、絶対それはできない。置いてない子たちが今、世界で活躍しているんです。そう考えてみたらどうかなと思っています。
 与えられた時間が50分だったので、終わらせていただきます。

○渥美委員長
 ありがとうございました。
 これよりは、委員の皆さんからの質疑に入りたいと思います。
 なお、できるだけ一問一答方式でお願いしたいと思います。
 それでは、御発言願います。

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