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委員会会議録

委員会補足文書

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平成21年10月障害者雇用促進特別委員会
参考人の意見陳述 有限会社フジ化学 代表取締役 遠藤一秀氏 【 意見陳述 】 発言日: 10/28/2009 会派名:


○遠藤一秀氏
 きょうは皆さん、私を呼んでいただきまして、大変ありがとうございます。
 富士宮市で有限会社フジ化学、メッキ工場をやっております。
 それでは、始めさせていただきたいと思いますけれども、「企業からの障害者雇用の現状と課題」ということで、「障害者を特別扱いしない職場づくり〜「好き嫌い」ではなく、「自分自身のために」働く〜」ということで、私は今までやってきました。
 この「好き嫌い」というのは、いわゆる職業選択の自由というのがありますけれども、この職を好き嫌いで選ぶ自由ではなくて、本当は生きるために、将来の自分自身のために職を選ぶ自由なんではないかなと、こういうふうに思っております。
 フジ化学について、簡単に御説明させていただきます。
 富士宮市小泉というところにあります。ここは、身延線の源道寺の駅の近くです。ここにありますけれども、昭和62年に一度本社移転して、工場も新築しました。また、平成15年にも、やはりまた本社移転をして、工場を新築しました。こういったことを、私、2回経験してきました。
 そして、その間に、ISOの品質と環境の認証と、その後、経営革新の承認等もやってきました。
 それから、障害者雇用の本格的な取り組みは、この昭和63年のときに全自動亜鉛メッキ装置の導入をしたのをきっかけに障害者雇用を取り組んできました。
 それで、いろいろ会社には、経営方針・環境方針・品質方針とそろえてあるわけですけれども、この中にノーマライゼーション、経営方針の中に「地域の雇用問題においては、ノーマライゼーションを実践し、積極的に障害者雇用に取り組み、企業の社会的貢献を負う」というふうにうたってあるわけですけれども、この経営方針は、決して飾りではなく、実際に20年間実践してきました。
 ノーマライゼーションを何でそんなに実践してきたかという根底ですけれども、いわゆる私の祖父母、おじいさんとおばあさんが2人とも教育者であったということから、障害者の人とのかかわりがもともとあったわけですね。
 おじいさんは校長先生をやっていたときに、特殊学級と当時は言ったんですけれども、そこの生徒さんを仕事に連れてきたわけですね。おばあさんは沼津の聾学校の教師をやったりしておりましたけれども、そんな関係で、聴覚障害者の人を連れてきてくれました。おばあさんは民生委員なんかも兼任していたことなども、私がノーマライゼーションをやってきた根底にあるんじゃないかと思います。
 また、当時の富士見学園の岩城園長さんとの出会いというのも、22年前ですけれども、非常にきっかけになりました。
 私が今までやってきたことなんですけれども、いわゆる仕事を実際に手とり足とりで知的障害の人たちに実際に、――二人羽織ですね、手とり足とりというのは。実際に、――手をとり足をとり、二人羽織で実際に仕事を教えて、まさに体当たりの指導をしてきたわけですね。
 体当たりというのは、別に相撲をとったり、けんかをしたりするわけではないです。平成5年ぐらいのことですけれども、東京の方の施設から富士市へと戻ってきた知的障害の方がいらっしゃいまして、30代の方でした。施設をずっと歩いてきたという、そういう経験を持っていまして、かなり粗暴なところがあったんじゃないかと思うんですけれども、その人を受け入れまして、普通に作業をさせていたんですね。
 私どもはメッキ工場なものですから、排水処理をして、排水からスラッジが出るわけですね。そのスラッジを運搬するために、麻袋に当時入れて運搬できるように準備しておいたわけですけれども、そのスラッジをスコップで麻袋に入れる作業をその人にやってもらっていたときです。工場の外れの方でしばらくやっているのを、私、途中で様子を見に行ったんですね。そしたら、様子を見に行ったら、突然振り返って、スコップを振りかぶって、私にスコップでもって殴りかかってきたんですね。私もそのときに、とっさにスコップをつかんで、スコップを奪い返さないとやられてしまうわけですから、何とかスコップを取るわけですけれども、取れないですね、力が強くて。そこでもって、2人とも倒れ込んで、もみ合いをして、しばらくもみ合いをしているわけですけれども、どっちもスコップから手が離れるわけじゃなくて、これはどうなることやらと思って、助けを呼ぶために大声で叫んでも、工場の外れですから、声は全然届かないというようなこともありまして、どうにかこうにかようやくスコップを奪い返して、落ちつきなさいということで、落ちつかせました。その後、工場の事務所、外階段がありまして、2階の事務所へと私と一緒に行って、落ちついた話をしようじゃないかということ話をして、私が先に下へおりたんです。そして、階段の下でほかの者と話をしていたところ、今度は階段の上から、階段のはるか上の方からそのまま私のところに飛びかかってきまして、格闘まではいかないですけれども、飛びげりを食らいまして、そこでまた取り押さえたりしました。
 その人は、結局、その後も、私は前向きにずっと何とか仕事が定着するようにと思って努力をずっとしていったんですけれども、結局、自分の家の自宅の近所でまずは盗みに入りまして、富士警察署に捕まってしまったですね。それで、一遍また刑務所に入って、また出てきて、刑務所に入って出てきたときに、刑事さんがまたうちへ来まして、「出てくるけれど、どうしましょうか」というふうに聞かれたものですから、「本人の希望があれば受け入れる準備はありますよ」ということは答えましたけれども、それは本人がうちへその後は来なかったですね。すぐにその後、1週間もしないうちに、また近所で今度は放火をしまして、今度は放火でもって逮捕されて、そのまま後は音信はわかりませんけれども、そんな経験がありました。
 そういったわけで、その事例以外にも体当たりをした事例がいっぱいあるわけですけれども、そういった指導をしてきました。
 そういった、いわゆる手とり足とりの指導を、仕事を教えてきたこととか、生活に関することをいろいろ社会生活に順応するようにということでもっていろいろ指導してきたことを、私が一人でもってみんなの指導をしていくには、余りにも大変だなということで、私が仮にいなくてもそれができるようにするためにはどうしたらいいかなと思って、マニュアルをつくりました。そして、そのマニュアルを教育訓練資料として徹底して社員全員に毎朝の朝礼のときとか、その他、教育訓練の時間をつくって、マニュアル化した教育をしております。
 私が常にこれは思っていることなんですけれども、必ず同じ目線に立って物事を考えると、コミュニケーションも同じ目線に立ってコミュニケーションをするというような、いつもそういった気持ちでもって対応しているわけなんですけれども、そうすると知的障害者の人たちと、テレパシーなんていうのは存在しないわけですけれども、まるでテレパシーのように何か伝わるなと思っています。
 ここにもありますけれども、実際にこれは同じ目線に立つというか、例えば構内をリフトが通行するのに、危ないからリフトの前や後ろを通行しないようにというルールがあるんですけれども、――リフトの周りに近寄らないとか、いろいろ、――そのルールを教えるのに、実際にリフトの運転席に座ってもらって、リフトの運転席から眺めたときの視界、この視界がどこまできくかということをやったりするわけですね。
 トラックもそうですね、視界がどこまで見えるかと。そうすると、見えない部分がわかるわけですね。そうすると、見えない部分に自分たちがいたらひかれてしまうんだよということを認識してもらったりしました。
 また、その下は、防災訓練なんかも、これは毎年必ずきちんと、これは以前からずっとやっておりました。
 あと、いわゆる配置なんですけれども、これは適材適所ということを一応考えて配置しているわけなんですけれども、この配置と勤続年数のちょっと比較ができるんじゃないかなと思って、こんなふうにしてやってみましたけれども、でも大方の配置に皆さん分布していますね。ただ、一番多いのが11名で、やはり部品の吊るし外しのところに集中していますね。
 これが、先ほどの比較した表をグラフ化したものですけれども、11人のピンク色のところが吊るしで、白い8名のところが外しで、あと障害区分の内訳ですけれども、うち半数以上が知的でも重度の方です。重度の方が半数以上です。
 あと、うちは皆さん見学に来られると、同じことを言われるんですけれども、レベルが高い子たちばかりじゃないのかと、こう言われるんですね。例えば、授産所の方なんかにも、ことしは大不況だったもんですから、求人ということは余り積極的に言えなかったんですけれども、以前、授産所の方にも、「うちで実習を受け入れていますよ」と、「その実習の結果によっては、先の進路まで、採用まで考えてもいいから、実習させてみたらどうだ」という話をするわけですけれども、「いや、うちの子らはとてもだめだ」と、「作業できませんよ」というふうに最初からもうあきらめてしまうわけですね。「おたくに行ってみたけれども、皆、レベルの高い人ばかりだよ」と、こういうふうな意見をよく耳にしました。
 だけれども、うちへ来ている子たちは決してレベルの高い子じゃなくて、最初はうちへ来たときは大変だったんですね。実際に授産所から来た子もいます。社会生活にも適応が大変だった子もいます。いろんな子がいますけれども、うちへ来て仕事を任されることによって、自信を持つんですよね、周りから頼りにされるわけですよね、自分の配置というものを。自分が毎日やること、役目を果たすことによって、周りから頼りにされると、その頼りにされることが非常に本人がやっぱりうれしいわけですね。うれしいから、やはり自信がつくわけですね。そうすると、顔が違ってくるわけですね、顔色が、目の光も違ってくるし、そういったわけでもって、うちへ来る前から比べると、うちに来てしばらく仕事をしているうちに、レベルが高くなってきたというようなことじゃないかなとは思います。
 あと、これは2003年から2006年までというか、3枚に分かれていまして、2003年から2009年までの資料なんですけれども、これは実習の受け入れの状況です。ただ、実際には、2003年度以前の記録が見えないものですから、実習は一応21年前から毎年継続しています。しかし、ここは2003年からの資料だけですね。
 くくってみると、富士見学園さんなんかがやっぱり一番多いんですけれども、いろんなところから実習の受け入れをしています。いわゆるこの2003年からの6年間のデータで、延べ13カ所から実習を受け入れをしています。実習の受け入れ人数は79名ほどなんですけれども、そのうちうちに実際に就労しているのが6名おります、この6年間でですね。
 お給料なんですけれども、実際にこの「勤務体制により違いがある」とありますけれども、この中に給料が20万を超える者もいますけれども、この20万を超える者というものは、やはり超過時間が多いですね。多数は、10万から15万の範囲でありまして、その違いは勤務時間の違いであります。
 これは、通勤時間及び通勤手段というものを表にしましたけれども、いわゆる工場の立地する場所が立地条件から多様な通勤手段も可能にしているということで、勤めやすい環境がそろっているんじゃないかなと、こういうふうに思ったもので、ここに出させてもらいました。
 それで、永年勤続者が多いということですけれども、勤続年数は、長い人で20年、18年、17年、15年、14年と、多くの人が定着しているということです。
 先ほどの絵ですけれども、これは表彰式というふうな形で、こういった形で外部からの表彰も受けている者もいます。社内においてもこうやって表彰式とかいろいろこういったことをやって、モチベーションを上げるためにやっております。
 ことしは、昨年のちょうど今ごろから、1年ぐらい前からおかしな状況になってしまいまして、11月、12月と、もう年を越せないんじゃないのかと思うぐらいの状況で、年明けてもますます悪くなり、1月、2月ともうどん底でした。
 そんなときに、やはりみんな仕事がなくなっちゃって、不安になっちゃうわけですね。その不安になってしまうということと、もう一つは、きょうはこれでみんな帰ろうとかと言うと、いつもの時間にいつものように帰るわけではなくて、寄り道をしたり、道に外れたりすることがあったんじゃいけないなという思いから、いわゆる不安を和らげる目的にサッカー部をことしの1月に結成しました。それで、そのサッカー部を結成したり、あるいはふだんできない作業をやったりして、なるべく不安が和らぐような工夫をして頑張ってきたわけです。
 そのサッカーをやった結果、一つは、仲間を思う心というのを生んだというか、学んだわけです。この写真はつま恋でもって浜名湖カップでやったときの写真です。その後、9月につま恋の「わかふじスポーツ大会」に出たんですけれども、そのときは結果が余りによい結果ではなかったんです。我々のフジ化学FCが、チームのテントを張りまして、そのテントでもってみんな応援体制をつくって、試合を緊張して見守っていた中へ女の子たちが入り込んできたわけですね、見たこともない女の子たちが。テントの真ん中へと陣取ってキャーキャーやり始めちゃって、えっと思ったら、私の友達だと、うちのFCフジ化学の中の1人の女の子が言うもんで、特に注意するわけにもいかないから、しばらく見守っていたんですね。そしたら、今度は静大附属の特別支援学校の先生が一緒に入ってきて、私のところへ来ていろいろあいさつしたり、話をしたりしたもんで、その先生が連れてきたのかなというふうにもまた思いつつ、その先生が連れてきた、あるいはその子の友達だと言うから、特に注意もできなかったんだけれども、見守っていたわけですよ。そしたら、だんだんだんだん様子がわかってきたんですけれども、やっぱりこのチームの中の2名の男の子がその子を呼んだんですよね。これから試合だというときに、女の子を呼んでキャーキャーと、それも非常に卑わいな話を始めるわけですよね。これはけしからんということで、だけれども僕も周りのみんなが怒らないもので、僕が一人で怒ってもしようがないからと思って、だれか怒り出すのをそのまま待っていたわけなんですけれども、結局、最後まで怒らなかった。
 いずれにしても途中に見るに見かねて、静かにしなさいと、とにかく今、試合の応援をしているんだから、静かにしなさいということで、静かには一応させたんですけれども、結局、その試合が負けたわけで、その負けたことに対して、そういう女の子を呼んだ、その2名に対して、あれが原因で試合に負けたんだと、だからサッカー部は解散だと、こう言ったんですよ。
 そうしたら、その子たちが「サッカー部を解散にしないでくれ」と、「自分たちのせいでサッカー部を解散にするんじゃ、もうみんなに申しわけがない」と、「何とかしてサッカー部を続けてくれ」と、「絶対サッカー部を解散にしないでくれ、お願いします」と言ってきたんですよ。
 だから、「じゃあどういう気持ちか、その気持ちをどうやってあらわすんだ」と言ったら、「頭を坊主にしてきます」と言って、即、坊主にしてきました。
 「そこまで言うんじゃ、考えておいてやってもいいよ」と言って、最初からサッカー部を解散するつもりはなかったんですけれども、非常にみんなに申しわけないという気持ちを強く言ってくれたことが、成長したなと、サッカーをやることによって、こんなに成長したのかということを実感しました。
 それで、この写真なんですけれども、これは、ですから「わかふじ」のときはよい成績が残らなかったんですけれども、これはいわゆるつま恋、5月の浜名湖カップで非常によい結果、準優勝したということで、1月から始めて、その1月に本当にスキップができなかったんです、スキップが。スキップができなかった子たちがサッカーを、その中にはサッカーの経験者は一、二名いたんですけれども、大した経験じゃないんですよね。だから、ほとんどの者がスキップもできなかったんですけれども、その子たちがまじめな練習の積み重ねでもって、対戦相手もCチーム、浜名湖カップというランクだったからかもしれませんけれども、でも見事な成績を残したということが非常によい結果だったなと思います。
 それで、大不況の、そしてサッカーをやったりして、非常にどん底の最中に、そういった状況においても、いわゆる品質ですよね、製造業ですから、品質ですよね。サービス業であっても、サービスの質、製造業であれば、品質及び管理体制ですよね。そういった品質と管理を非常に買われておりまして、そういった評判と口コミ紹介が今までずっとうちの受注を支えてきているわけで、積極的な営業を私がかけていくということは、今まで一度もありませんでした。
 そういった口コミ紹介があったときには、一目散に積極的な営業にすっ飛んでいくわけなんですけれども、それ以外のときには、営業をかけていっても、いわゆる値崩れを起こすだけで、同業者に批判を買うだけで、やぶ蛇になってしまうものですから、積極的な営業というのはなかなかできないんですけれども、それでも口コミ紹介で新規受注に結びつきました。
 この新規受注が、プリウスの関係で、どん底に落ちたんですけれども、4月から始まった仕事が5月の連休明けには、昨年の今ごろ、11月ぐらいのレベルまではやっと何とか持ち直して、いわゆる損益分岐点というんですか、そういった収支においてはとんとんまで戻したかな、戻さないかなというところですね。
 いずれにしても、品質、あるいは管理体制、そういったものを非常に高く評価されているということだと思います。
 その具体的なあかしとしましては、一応、例えば大手部品メーカーさんなんかはいっぱいありますけれども、そういったところが監査に来るわけですね。そういったときに評価していただくわけですけれども、その評価で高得点をいただくことばかりで、例えば100点満点とか、そういった評価をたくさんいただいております。
 これは、年がら年じゅうこうやって旅行に行っているわけでもありません。忘年会を年がら年じゅうこうやってお泊り忘年会でもって豪華にやっているわけではありませんけれども、その中でこのときはライオンキングをここで見てきて、非常に感動しました。このときは、忘年会ということで、隅田川の屋形船に乗ったり、ホテルもヒルトンホテルに泊まったりして、何でそんなところへ泊るのかなと、結局、社会勉強をさせたかったんですね。
 恐らくこの子たちは、屋形船の経験だとか、ライオンキングの経験だとか、ヒルトンホテルの経験だとかというのは、一生の中でもってできるのかなとかと考えたときに、じゃあできるときにそういう経験をさせてやりたいなということと、もう一つは、非常にもっと身近なところにバス旅行とか行ったりするときもそうなんですけれども、マナーが悪いんですね。あるいは、自分自身の身なりなんかも、いわゆるパジャマみたいなものでもって来たりするときもあるんですよね。ですから、そういうことを本人に意識づけをさせるために、これはもうヒルトンホテルは絶対に絶好の場所だなと思って選びました。
 そういった場所で、とにかく周りの人に迷惑にならないようにという教育ができたと思います。特に、ヒルトンホテルというのは、世界じゅうのいろんなお客さんが来る場所であるから、決して恥ずかしくないような振る舞いをするようにと、決して恥ずかしくないような身なりをするようにというような教育ができたと思います。
 そういった思いも、やはりみんな自分の家族と同様のかわいさがあるなと。自分の家族にも、自分は思っていても一方通行であって、余り自分の家族には頼りにもされていないかもしれないですけれども、やはりこの子たちには非常に頼りにされているという、そういう思いからですね。
 ここに中途退職者の事例というのを載せてみました。これ、このまま読ませていただきますけれども、Aさんの場合ということで、この人は知的重度の方でしたけれども、兄弟で実習に来まして、Aさんの方が大変だったわけです。大変ということは、いろんな問題を抱えておったわけでして、それで実習の結果、Aさんは不採用にしました。兄弟で来ていたものですから、ここには兄と書いてありますけれども、弟を頼りにして、いつもそばにいないと仕事ができないような傾向をその実習のときに発見しまして、それを結局採用していくためには、それをサポートするだけの余裕がなければ、――本当はサポートして採用したかったんですけれども、やはりそこのところは焦らずに、一気に採用にしてしまうと、仕事はできたんですよね、だけれどもそういう部分があったもんですから、焦らずに一気に採用してしまうと、――後々問題を引くという結果を招きかねないということで、不採用というふうに、これは本当に何とかうちで採用してやりたいなという気持ちを持ちつつも、不採用という判断を下しました。弟のみ就労したわけですけれども、家がずっと遠くの方の山奥の子だったもんですから、お母さんが送迎をしてくれないと通えないもんで、車で送迎してくれました。
 それで、このAさんは、その送迎時にお母さんに一緒にいつも付き添って隣の助手席に乗ってきたわけですね。それで、私も帰りに迎えに来たときにお母さんと、本人がまだ更衣室でもって、ロッカールームで着がえて出てこないもんで、出てくるまでの間、お母さんといろいろ話をしたりするわけですけれども、そういったときにそのAさんともお母さんと一緒に助手席に乗ってくるもんですから、いろんな話をしているうちに、どんどんどんどんやっぱり何か気持ちがだんだん近くなってきたわけですね。
 それで、そのうちに、1年、2年たつうちに、こんなことを言っちゃいけないなと思いつつも、お母さんに「実習をもう一度してみるか」と言ったんですよ。そうしたら、「実習、じゃあぜひさせてください」と言って、私、なぜそんなことを言ったかと言うと、この子の弟はお給料を大体手取りでもって12万ぐらいは取っているわけなんですけれども、お母さんが送り迎えをしてくれているわけですね。お母さんも、自分の家の仕事とか、おじいさんの看病とか介護とかあるのに、お母さん参っちゃうんじゃないかな、これ大変だなと、生活も大変だろうにと、非常にそこで同情するのはよくないのかもしれないですけれども、ちょっと同情しまして、この子が12万取っているんじゃ、このお兄ちゃんももし仕事をしてお給料を取れば、2人でもって20万以上の収入になるわけだから、お母さんも随分助かるだろうになと、こう思って、「もう一度実習してみようか」と声をかけてみたんですよ。
 そしたら、そのとき非常に状態がよかったもんですから、採用しました。しかし、しばらくは普通に作業ができていたんですけれども、やはり当初から気になっていた、弟を頼りにして、そばにいないと仕事ができない傾向がやはり徐々に見えてきたんですね。ただ、これは何かきっかけがあったと思うんです。
 いわゆる、スタッフの中に優しくて非常に親身になるスタッフもおりました。そういったスタッフのかかわりが次第に依存心となって、その依存心が結局、スタッフ等がそばにいないと仕事ができなくるというふうな状態をつくってきてしまいまして、作業に入ることがだんだんできなくなってきたわけですね。ロッカールームなんかからも出てこれなくなっちゃったりしまして、かたまってしまうことがふえてきちゃったんですね。
 そういった状況がずっと長く続きまして、いろんなところに相談したり、何か手だてがないかとか、あるいは心療内科へちょっと通院してみた方がいいんじゃないかとかという、いろんな相談をお母さんともしたりしているうちに、以前就労していたところで、そこの社長さんにトイレに閉じ込められたとか、そういったことがあったということを聞いたんですね。初めて就労したときが18歳か19歳のころだったと思うんですけれども、その晩家に帰ってきたときから、突然、人が変わったように変わってしまったと。それが結局、トラウマだったと、何らかの原因でフラッシュバックしてきたんじゃないかなと、こういうふうに思われますね。
 結局、この子はB型の方へと、相談かけて、そちらでもってもう一度、その子に合った環境をつくってあげて、ちょっと時間はかかるかもしれないけれども、もう一度、そういったトラウマから解放されるような方向へと持っていくというようなことを就労支援の方と相談して、そういう方法をとりました。
 ただ、そういう入社当初にそういった様子を、これはアセスメントがまだ足りなかったと思うんですけれども、会社側が知っていれば、こうやってそういう状況になる前に何らかの対策ができたんじゃないかと思われます。
 いわゆる、この辺はコミュニケーション不足も原因しているんじゃないかとは思います。ただきっちりとしたアセスメントさえできていれば、こういう対応はできたんじゃないかと。ただ、お母さんの方が、こういったことがマイナスイメージになるんじゃないかと思われたんじゃないかと思いますね。ですから、隠したんじゃないのかなと。ただ、気持ちはわかるわけですけれども、配慮し切れない部分となってしまうということですね。
 そういうわけで、このBさんの場合も、次にCさんの場合も、いろんなケースがこうやってあるわけですね。ですけれども、そういった適応できない方が、今回の発表の資料期間の中に3名いて、退社しました。当社としては、一応、十分な環境を整えていると思っていますけれども、本人の体調とか、本人自身、あるいは家族の考え方によって、途中で退社してしまうケースもあると思います。それは、一応、本人・家族との話し合いなんかで改善できる点はないかどうか探って、改善していくというふうなことをやっております。
 また、定着できない背景というものは、やはり過保護ぎみになってしまうような点とかがあるということが考えられます。
 あと、親の思考というものも、中には、私がこれまで対応した中には、こうやって大企業とかを選ぶ傾向があるんじゃないかと思われました。
 あと、ここに「被害者意識」と書いてあります。本当は書きたくなかったんですけれども、こういうふうに感じたこともあります。
 あと、最近の事例の中に、この中に非常に悲しいというか、悔しい事例がここにありましたけれども、いわゆる母親が内縁の夫からDVを受けたので引っ越ししなければならないと、それで市役所から生活保護を受けていたということで、市役所がかかわってDVから避難するために引っ越しをするということで会社をやめさせてくれと言った例がありました。その子は非常に将来有望な子だったもんですから、私、方法はないか、仕事を継続させたいなと思ったんですけれども、市役所の話のそういったテーブルに私が乗せてもらえなかったというのが非常に残念だったなと思います。
 「今後の展望」と書いてありますけれども、私は自分の今までの経験を生かして、今後はますます就労を希望する知的障害者の人たちのために、こういったいろんなことをやっていきたいなと思っているんです。特に富士特別支援学校さんなんかは近いですし、そういったところの卒業される方が行き先があればいいわけですけれども、行き先がない方も大勢いらっしゃるので、少しでもそういうお役に立てればいいんじゃないかなと思っております。
 以上です。長くなりまして、済みませんでした。
 一応、ことしの2月24日にテレビで放映されたのと、あともう一つ、3月1日にテレビでニュースでもって大分ちょっと取り上げられたというのがあったもんですから、これ入りますか。きょう持ってきたんですけれども、ちょっと機械の方が回りませんので、残念ですけれども、以上です。

○藤田委員長
 以上で、遠藤さんからの意見陳述は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 委員の方には、先ほど来申し上げているとおり、一問一答にて簡潔にお願いします。

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