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委員会会議録

質問文書

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平成29年10月社会資本・まちづくり特別委員会 質疑・質問
質疑・質問者:天野 進吾 議員
質疑・質問日:10/06/2017
会派名:自民改革会議


○天野(進)委員
 今、聞かせていただきましたけれども、実は、三陸は地震があれば津波があると、小さいころ学校の教科書に出てきた。そういう具体的な例としては、チリ沖地震でもあの三陸一帯は被害をこうむった。しかし、浜松市はそのとき、わずか1メートルの津波と書いてありました。そのように、この地域は津波の来ない極めて安全な場所、津波においてはですよ、そういう場所であると私は感じた。そして、浜松市での数字が書いてありました。全国の各地域の津波の到達が、そのとき1メートルと、静岡市、浜松市には書いてありました。その統計の中には三保、清水とかは入っちゃいませんでしたけどね。
 そういうふうに書いてありましたけれども、静岡市は津波ということで、海岸端は大変に土地が下がりました。そして皆さんが困っている。しかし私がそのときに言ったのは、登呂遺跡が発見されたんだから、津波がなかったんだよと。2,000年前、登呂遺跡が生まれたわけです。そして登呂遺跡が発見されたということは、そこに昔の家があり、昔の船があり、昔の下駄があった。木でできているものが流されてはいなくて、その場所にあったということは、すなわち津波はこの2,000年間はなかった証拠じゃないだろうかと。そういうふうに言ったら、皆さん、大変喜ばれました。私のそれは勝手な考え方であります。本に出たわけじゃない。ただ私は、そういうふうに今でも信じております。あの登呂遺跡が発見されたのは、まさに地震が、津波がなかったから助かった。あそこは海岸にごく近かったわけですから、そういうことが言えるんじゃないかなと私は思っておりますけれども、いかがでしょう。

○小村隆史氏
 結論から言うと、私は済みません、意見と異なりますと言うしかないです。私は考古学の人間ではありません。また津波防災を専門にしている、つまり理学的な観点、シミュレーションをやっている人間でもありません。それがどのような形になっていたかということはわかりませんが、おっしゃるとおり、1つ理解できるところがあるとすると、津波が走る方向ですね。第一波が走る方向という観点では、確かに、プレート境界はこういう形で走っています。駿河湾の一番深いところがプレート境界です。その西側は当然のことながら、西側が上がる形で起きます、基本的には。ですので、こういう方向とこういう方向に津波が走ると。いや、ごめんなさい。富士と誤解していました。富士は、それに対して鉛直方向にありますから、第一波についてはそんなでもないという話なんですけれども、基本、静岡は正面からきますよね。ということは、地震津波学者、歴史地震学者として知られております都司嘉宣先生――東大の地震研に長くいらっしゃった方ですけれども――あの方がこのあたりについて書いた本を、私、しっかり読んではいないんですが、でも、その方がつい先日、御前崎で講演したときには、結構くるよという話をしてましたから。

○天野(進)委員
 津波がきたという歴史は、何もないんじゃないかい。あの大谷がちょっとやられたというのはあったよ。終戦時の地震で。

○小村隆史氏
 終戦時の地震、あれは比較しちゃいけません。

○天野(進)委員
 津波があったというのは言いますけどもね。

○小村隆史氏
 あれは、ここは基本的に被害を受けてないもんですからね。だから、あれは少なくとも参考にしてはいけない。

○天野(進)委員
 私は、登呂遺跡が発見されたのは、まさに2,000年来なかったからだろうと思って。

○小村隆史氏
 それは無理です。それはさすがに無理です。

○天野(進)委員
 たまたまかな。
 しかし、全て木製のものだからね。水がきてれば流れてるもんだ。

○小村隆史氏
 こうきますからね。若干隆起するという話はあるでしょうけれども、それにしても内陸に入り込まないという議論は。あと地形のところですけれどもね。

○天野(進)委員
 私のは理論じゃなくて、そういうことから勝手に私が理解をしているという。そして、その言葉は地域の方々はうれしがってるんでね。

○小村隆史氏
 うそも方便というのはわかります。

○天野(進)委員
 じゃあ登呂遺跡がどうして流れなかったかという説明はないんだよね。

○小村隆史氏
 登呂遺跡にあるものと、100年から150年に1度襲いかかってくるものとが、どういうふうにかぶるか。そこのところは私にはわかりません。ただ、ある程度に距離があるならば、津波がそこに到達するまでに、減衰していた。浸水深という厚さの意味と、勢いという速度の意味の、この2つにおいて、そこまで大きな被害はなかったというんだったら、これはこれで話は通じると思います。ただ、JRのところまでくるかって、それは幾ら何でも大げさ過ぎるだろうと思います。けれども、いかんせん、津波のシミュレーションというのはそううまくはいかないので。

○天野(進)委員
 私がそう思ってるだけだから。

○小村隆史氏
 済みません。そのときに、常葉大学の小村という人間がいるけれども、彼の意見とは一致しなかったということは、ぜひ、あわせて言っといていただけるとありがたいなと思います。彼とは意見が合わなかったと。

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