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委員会会議録

質問文書

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平成21年10月海外就航地交流推進特別委員会 質疑・質問
質疑・質問者:阿部 卓也 議員
質疑・質問日:10/27/2009
会派名:平成21


○阿部(卓)委員
 2つお聞きします。まず1つ目にお聞きするんですが、朝鮮通信使というのは朝鮮からおいでいただいてたわけですね。日本から逆にこういう使節団ってなかったんですか。

○金兩基氏
 行きませんでした。

○阿部(卓)委員
 それはなぜですか。

○金兩基氏
 それはですね、1つには朝鮮が秀吉の侵攻のあの二の舞を踏みたくなかったっていう警戒心があります。そのかわり釜山に博物館があるんですが、あのかいわいに「日本館」という日本人の居住エリアがありまして、そこに500人以上常駐していた。そこを貿易、交易の里として自由にできるようなシステムにしました。それから、朝鮮通信使はソウルからそれぞればらばらに釜山に到着して、釜山で集団を組みました。来るルートもそれぞればらばらでした。そういうことがあります。
 ついでに言いますと、朝鮮通信使を「朝鮮通信使」と言うのはおかしいという反論が韓国に出まして、私は韓国で基調講演をしたときに、シンポジウムでそのことに答えた。なぜ反論が出たかというと、日本の解釈の中で、朝鮮通信使は江戸時代に朝貢に来たんだという解釈がかなりあるんです。貢ぎ物に来ている使節団だという解釈をするから、それを「朝鮮通信使」と言ったって、「それは歴史的に違うという意味だ」と。私は違うんです。朝鮮から日本へ行ったから、「朝鮮通信使」とネーミングしても矛盾はないと。それを朝貢と絡めて考えることに問題があると。だからそれがなければ、通信使って言えばどこから行った通信使か、どこから来た通信使か。「日本通信使」と言うかって言ったらそうではない。日本から通信使が来たかというふうになる。だから「地図にも書くけど、朝鮮から渡ってくる、朝鮮側から来るだろう」と。「ルートも書くだろう」と。「それなら、朝鮮通信使として問題ないんではないか」と言いました。反論ありませんでした。でも一部にそういう意見があると、日本のマスメディアは、そういう意見は目立つから、ぴゃっと一本釣りして、そいつがかぁーと行って、皆さんが読むと、それがあるんじゃないかなって、こうなるという現象はあります。
 トラブルは学会でもよくある。この前も400周年のときのシンポジウムで、私の弟子で今韓国で助教授やっている静岡市出身の日本人がいますが、彼が「いつも仲良しだったとは言えないんじゃないか」と発言したので、私はこう言いました。「日米は、世界で一番仲良しだ」と。「ところがしばしばもめるだろう、それも乗り超えるだろう。完全に仲良しでいられるというのはどこにあるんだ」って。「それで戦にならなかっただろう。けんかにならなかっただろう。でも言うことは言うだろう。これが交流じゃないのか」っていうふうに。僕の弟子なんですけど、そういう視点を持ったもんで、公に指摘してきました。だから、私たちは大きなものを乗り越えることを考えながら――特にこの中でお若い議員だと思いますけど――今ね、そういう発想をして進めていってほしいなあと思います。

○阿部(卓)委員
 もう1つ、先ほど先生が日韓併合のことをおっしゃいました。私は、かねがねずっと壁に当たっていたんですが、日清戦争において、その和平条約である下関条約の第1条は、「清国は大韓帝国を独立国として認めること」というのがイの一番の第1条にあったわけですね。当時は、大日本帝国としたら、大韓帝国を独立国として隣国として付き合っていこうと思っていたという認識で、その歴史の断片は感じているんですが、その後日韓併合までの間に、日本が国際情勢の中でかなり外圧受けて、朝鮮半島まで敵に回すことは怖いということで併合に踏み切ったのかなと思っているんですが、先生はそのあたりをどういう解釈をされておられますか。近現代史ですが。

○金兩基氏
 これはね、村松剛さんって筑波大学の人たち、日本の学会で文芸春秋がやって、大論争が起きてました。そのときにも答えたんですけどね、同じような質問で。日清戦争の直後に、王妃であった閔妃を三浦梧楼という――日本は当時大使がいません、公使が筆頭です――公使が中心になって王宮に攻め入って、浪人をつくって斬殺、そして死体を焼却したという事件があった。初めは、日本とは仲良かったんです。ところが日本のやることに閔妃が不信感を抱いて、ロシアに近づき始めたんです。それで閔妃を暗殺しました。そのときには、まだ朝鮮王朝の時代ですね。そのときの朝鮮王朝がそういう苦い体験をするものですから、我等も独立国であるという意味で大韓帝国というふうに国名を変えます。それは閔妃暗殺が契機です。そこで日本が清国との関係でそれをうたったとしても、それは形だけのもので、真意でなかったというのは、その後の10年間でわかるわけですね。そして閔妃を暗殺したことも、国際世論に負けて、広島で裁判を開きます。全員無罪になります。でも今の歴史は、三浦梧楼公使を首謀としてやったということだけは、歴史の上では日本でもそれを否定する意見がありません。
 それから、もう1つは、韓国併合の条文を読んでみてください。今でも通じる条文があります。
そして、もう1つついでに言います。なぜ、韓国併合、日韓併合なのに朝鮮人と呼ぶんですか。なぜ朝鮮と呼んだんでしょうか。日韓併合でしょう。日本帝国が大韓帝国を併合したんでしょう。だから韓国人でしょう。なぜ朝鮮人と呼んだか。僕はね、歴史学んでないんですけどね、歴史の本を何冊も書いているんですよ。私が質問することに、歴史家が答えてくれないんですよ。だから調べることになって、歴史の本を何冊も書いています。私の編著の中で、歴史学者が書いてもいます。それはね、韓国併合の条文にあるんです。「以降韓国を朝鮮とす、御名御璽」です。御名御璽というのは明治天皇なんです。だから、韓国語が朝鮮語になり、韓国が朝鮮になるんです。「そのことも理解しないで日本と韓国のことを語るんですか」って、村松剛とのやりとりがありました。これは、雑誌にもそのまま出ましたから。そしたら、何も答えられませんよ。だから、なぜだかという一次資料を見つけていませんが、韓国という「国」の字が当時の明治政府にとっては目ざわりだったんです。滅ぼしてしまう国に、「国」という名前がついたら目ざわりだと。私はそれだって書いて、これを否定する人はいません。でも、目ざわりだったから、韓国を朝鮮にしたという一次資料も見つかりません。でも、これ以外に考えようがないというんで、私はこの提案をして、もう相当たちますが、否定されていません。
 それから、村松剛さんはこう言いました。「ロシアが朝鮮を併合していたらどう思いますか、もっとよくなったと思いますか、悪くなったと思いますか」という質問を僕にしましたよ。私、答えずにずっと待っていました。そしたら、司会者が田久保忠衛さんという、よく出ている方で、彼が司会をしてね、もう一回僕に振ってきました。それで、こう言ったんですね。「歴史にイフは禁物だから、あえて答えなかった。でも、あえて言うならば、日本が閔妃を暗殺しなかったら、どうなりましたか、村松さん、お答え願いたい」。答えられないんですよ。それで僕はこう言ったんですね。「今のような歴史認識で日本と韓国の摩擦を問い合うということは、現象論でしかない。本当に仲良くするために討論するんですか」と聞いたぐらい。「歴史に学ぶということは、いいことも学ぶけど、悪いことは二度と繰り返さないために学ぶんじゃないですか」って。その部分がね、どうしても欠如するんですよ。悪い歴史を学んじゃうんですよ、知らないから。もうあまたにあるじゃないですか。そういうことを言いました。そして、「閔妃が暗殺されずに、もう1つは、みずからロシアを選び、あるいは日本を選んだら、それはみずからの責任です」と。嫌がる大韓帝国を、日本は無理強いして兄弟国だと言う名のもとに併合しました。「そのことはどう考えますか」と言ったら、だれも反論しませんでした。
でもそういう質問をしてくださるといいんですよ。委員の先生方がね、社会で影響力を持った方々がそこら辺をあいまいにしているより、わからないときは質問してくれる方がいいのです。

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