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委員会会議録

委員会補足文書

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平成22年10月防災拠点強化特別委員会
参考人の意見陳述 静岡県隊友会 会長 松岡弘行氏、会員 大内敏夫氏 【 意見陳述 】 発言日: 10/25/2010 会派名:


○松岡弘行氏
 おはようございます。静岡県隊友会長の松岡でございますが、本日は隊友会の活動に関しまして、このような説明をさせていただく場をいただきましたことを深く感謝申し上げます。
 本日は、隊友会と県との協定に基づきます情報連絡員ということで、この4月に県と協定を結びましたので、そのお話とあわせて、隊友会には今まで過去に防災関係の経験をした会員が多くおりますので、その中から実体験に基づいた話につきましては――後ほど経歴を見ていただければわかりますように、私自身に余り経歴がありませんので――実経験の深い大内のほうから後半でお話をさせていただくということにしておりますので、よろしくお願いします。
 それでは、最初に県との防災協定に関する隊友会の情報連絡員制度について御説明をさせていただきます。
 隊友会と申しますのは、まず、陸・海・空自衛隊のOB、定年退職あるいは勇退、任期満了等やめた人間で組織された会でして、これまで社団法人として認定を受け、活動をしております。約10万人弱の人数が全国で活動しておりまして、昭和35年に創設され、今、50年を迎えております。ことしの暮れ、あるいは来年度初めには、隊友会は公益社団法人としてスタートを切る予定にしております。その中で、静岡県隊友会は、昭和35年1月にスタートしまして、現在ちょうど50年を迎えておりますが、国民との、あるいは県民とのかけ橋として活動をしてきております。
 県内に約3,000人の会員を今擁しております。それぞれは30の支部に属しておりまして、東部は御殿場を中心とする陸上自衛官出身のOB、これが主体を占めております。西部のほうは、浜松の航空自衛隊出身のOBが主体を占めているということで、静岡県は非常に特徴のある隊友会の構成人員になっておりまして、約3,000名が主として西と東に分かれているということでございます。
 また、静岡県の隊友会の中には、予備自部会というのを持っております。これは日本全国の隊友会の中では静岡県だけですが、予備自衛官部会と申します。予備自衛官というのは、ふだんは仕事をしていて、年に何日間かの決められた日数の訓練を受け、一朝有事の際には自衛官と一緒になって任務に当たるという自衛官制度があります。その予備自衛官がこの静岡県では隊友会として一緒に部会の活動をしております。今回の情報連絡員制度の中では彼らの能力も生かしてやっていく予定にしております。
 続きまして、情報連絡員につきましては、昨年の3月に静岡県の地方連絡部長――部長は静岡におりますけれども――彼と私自身が話をしました。地方連絡部長から、県内の災害発生時に何とか隊友会として協力できるものがないだろうかという話がありまして、それでは検討しようということで、お互いに検討させていただきました。隊友会の会員は、県内各地に在住しておりますので、それらの力を何とか利用できないかということで、その体制、情報の連絡手段、あるいは連絡網について、昨年3月に検討しました。それで、一応県内に在住している者が、それぞれの専門知識に基づいて情報を集められるだろうと。それから、連絡手段については、災害時に非常に有効である携帯メールを使うのがいいのではないかという案をつくっておりました。地方協力本部――地本と県隊友会の自主的な活動として、災害発生時、震度5強以上の地震が発生したとき、情報連絡員が災害の有無等を地本に伝えて、その情報の有効な部分を県の危機管理部に伝えようということでスタートしました。
 なぜ、この地本を使っているかといいますと、我々隊友会は県庁と県の災害本部との連絡手段等を全く持っておりません。地本の中には県庁の危機管理部と直通電話を持っておりますので、それを利用するのが一番いいだろうということで、地本と各情報連絡員を結ぶという形で考えました。収集の内容につきましては、資料に書いてありますように、被害の有無だとか、死傷者の有無だとか、あるいはインフラの状況だとか、それぞれの情報連絡員が見た状況をメールで地本に送るということで考えました。現在、県内に行政区域が31地域あるということで、その31区域をそれぞれの情報連絡員の活動場所として区割りしました。この地図につきましては、また後ほど示させていただきます。
 情報連絡員制度を昨年の3月にスタートさせましたところ、昨年の8月にちょうど駿河湾沖の地震がありまして、そのときの状況を情報連絡員から地本に連絡して、初めて実働しました。その後、たまたま小林危機管理監と話す機会がございまして、この制度についてお話したところ、ぜひこの情報連絡員制度を県のほうで活用させていただきたいという話がございました。それに基づきまして、いろいろ話を詰め、また、今、危機管理部には小平という隊友会の会員でもあり、陸上自衛隊のOBが勤務しておりますけれども、彼とも話をしまして、県と協定を結ぼうということで、ことしの4月、隊友会と県との間で協定を結ばせていただきました。
 その協定の締結に当たって、地本につきましては、その協定の中では含まずに、あくまでも隊友会と県庁と。ただし、連絡網としては地本を今までどおり使わせていただくということで、協定を結んだ次第であります。
 協力の内容ですけれども、これは、我々隊友会と地本だけで最初考えた、今までの情報連絡員の内容よりは若干幅広く協定のほうでは拾わせていただきました。災害発生の前の状況で、各地域で何か兆候があったような場合、この場合も情報をいただくということ。あるいは、予知の段階における県民生活の状況等についても、何か災害防止等に役立つ情報があれば、連絡員のほうから連絡を入れると。あとそのほかにつきましては、今までの地本と隊友会のほうで検討した内容と同じです。
 最後に、県から協力を求められた事項ということで、資料に1つ入れております。これに関連しまして、先日、御殿場のほうで水害がありましたけれども、この際も県から私に協力要請がありました。御殿場の状況というのを何とか情報連絡員網を使って教えてもらえないかと県庁から要請がありまして、御殿場のほうの情報連絡員等、あるいは会員を使って、御殿場の状況を県庁のほうへ連絡させていただいた経緯がございます。
 県内の地域の区分ですが、現在この31地域をそれぞれ指定して、情報連絡員網をつくろうというふうに考えております。実態なんですけれども、これは青色が現在、情報連絡員を配置しているところ、それから、ピンク色がまだ未指定のところということですが、特に、伊豆のほうがちょっと空きが多いので、今、この間を埋めようということで、求めているところでございます。なぜ難しいかと言いますと、やはり携帯メール等というのは、携帯を使うことにある程度なれている方でないとなかなか使いにくいんですね。ましてや我々OBになって、ある程度の年齢になってきますと、携帯電話をまず持っていない人が結構多い。それから、もう1つは携帯電話を持っていてもメールになれない人、特に、メールとなると非常に細かい文字を操作しなければいけないことから、使い方が非常に難しいということで、携帯メールだとなかなか協力できないというような方もおられます。
 そういう意味で、伊豆のほうでは、なかなか携帯メールを使って協力いただける方が今のところ見つからないので、今後徐々に広げていきたいことから、後で話しますけれども、携帯メールだけに頼る方法をちょっとやめようかなと今考えております。
 今後の課題として、先ほど申しました連絡手段なんですが、これは携帯メールだけではなくて、災害時にすべてがとまるわけではないので、パソコン、すなわちインターネットを使った携帯以外のメールを使用することができれば、同じように連絡できるだろうと。電話は非常に混むと思いますので、普通の一般メールを使おうということも今考えております。それから、情報収集網の充実ということで、現在、各地域、すなわち31の地域に1名の情報連絡員を配置しようとしておりますが、1人だけではなかなか情報が集まるものではありません。地域によっては、必ずしも電話が混んでいるわけではありませんので、携帯メールを使えない人でも電話連絡でも何でも、あるいは近くであれば、何かの連絡手段でもって、情報連絡員に伝えていただくと。地本に情報を連絡するのは、あくまでも情報連絡員ですが、それ以外の方の情報網をできるだけ活用しようということで、その情報網の構築を現在進めているところであります。すべての会員ができればいいんですが、なかなかできませんので、それぞれの網目をこれから深く張っていきたいということを、現在それぞれの地域、支部でお願いしているところでございます。それとあと情報伝達訓練につきましては、ことしも一部、地本との間で実施しました。今後、定期的に9月1日の防災の日等も活用しながら、この情報連絡員と地本との防災の情報伝達訓練を実施していきたいと考えております。
 これから、情報連絡員については、中身の充実ということを隊友会に求められていると思いますので、危機管理部とも協調しながら、今後ともその情報連絡網の充実に備えていきたいと考えております。私からは、以上、情報連絡員についての説明を終わります。
 続きまして、実際の防災の経験等を含めて、大内から説明させていただきます。

○大内敏夫氏
 初めまして。私、大内と申します。5月に自衛隊をやめまして、今、裾野市役所で危機管理調整監ということで勤務しています。まだ自衛官であることが抜け切らないと、そういった状況で今、勤務しています。
きょうは、阪神・淡路大震災におきます自衛隊の活動と、あと県、市町との連携状況について説明いたします。説明内容は、実際に阪神・淡路の状況ですね、2つ目はどちらかというと、私がいろいろと自衛隊で災害派遣に勤務して、こうしたほうが非常に連携がとれるのではないかということで、これ、個人的なプロポーザルです。これは個人的なものですので、市職員としてではありません。
 では、説明していきます。まず、阪神・淡路は、自衛隊にとって初めての大規模な震災でした。投入した戦力も方面隊をまたがりまして、多方面から戦力を投入したといった状況です。多くのことを自衛隊も学びました。例えば、極端な話では、装備の面について、当時は、救難関係の物はスコップしか持ってませんでした。それから、自主派遣ができませんでした。いろんな教訓を得て、それで今に至っているわけです。そう考えますと、遭ったことは非常に不幸なことなんですけれども、阪神・淡路というのは、以後の大震災に備えるためには、非常に大きな教訓を得たと。そしてその教訓がどんどんどんどん反映されてきたと思っています。
 では、これから説明をします。阪神・淡路は、1月17日、私も陸上幕僚監部で勤務していましたけれども、ちょうど官舎にいました。この起きた時間はわかりませんでしたけれども、1週間前に八戸で地震がありまして、また地震があったのかという形で、防衛省に行きました。行って、「あれ?」といったのが始まった状況です。私は、当時、防衛庁の陸上幕僚監部で、人事部というところにいました。人事部の中から1名、何かあったならば行くといった運用室というところで勤務してました。この阪神・淡路の場合においては、現地ではありませんけれども、その陸幕の運用室、そこですべての情報が入りました。どういうことがあったかということを、今でも覚えています。これはまさに指揮所も悲惨な状況です。始まった1月17日から3月のサリンが起きる前日まで、まさに勤務と。中には下着もほとんど替えられなく、買ってきたと、そういった状況でした。
 中部方面総監部、ここにありましたけれども、これだけの師団等がありますけれども、それプラス多方面から、全国から、先ほど言ったとおり自衛隊の装備品を一部移動しています。では、これから、振り返って、事実を淡々と述べていきます。
 5時47分に地震が起こりまして、自衛隊が待ったのは、この当時は、自主派遣というのがありませんでした。したがって要請派遣です。要請による派遣、それと駐屯地の近傍にだけ派遣できますよという近傍災害派遣、そういう2つしかありませんでした。そういったところで、各部隊長が、この揺れは余りにもすごいということで、非常呼集もかけて、災害派遣の要請を待っていましたけれども、なかなかありませんでした。ヘリコプター部隊は大体7時15分ごろから訓練名目で情報活動を開始しています。こういった状況です。最初に見たのは、当時は、ヘリ映電という映像が送ってくるものがありませんでしたので、ボイスの情報は入ったんですけれども、最初は異常ないという話で入ったんですね。それは確かに上空から見ると、こういう部分が最初は見えないんですよ。そして、下におりろという指示を出しておりたら、側面から見ると、これがテレビに出ている状況なんですけれども、これはひどいといったところで、これはもはや普通の震災ではないと判断しています。
 5時47分に発災して、総監部の防衛部長は、55分にはもう総監部のほうに出ています。6時10分から第一種、これ最小限の者を集めていると。そして、呼集ですね。6時30分には第三種、全員呼集という形で、部隊は逐次駐屯地に集まれと、こういった体制をとっています。その中で、今でも思いますのは、要請権者ですね、これがなかなかいないんですよね。陸幕からの指示でとにかく探せと、だれでもいいと。とにかく要請さえあれば、我々は動けるといったところで、探したんですけれども、なかなかいない。どういう状況かというと、これは機能麻痺していたと。当時の状況としては、大きな震災が起きたときにどうするかという体制がやっぱりできていなかったと思います。昼の段階で、例えば、市の職員でもなかなか集まってこなかった。約20%弱ぐらいかなと、その日の夕方で大体50%ぐらいかなといったところでした。その中で要請権者がなかなか見つからなかったと、こういった状況です。
 その中で、災害派遣できる根拠は、先ほど言ったとおり、近傍災害派遣しかできませんでしたので、例えば、警察から要請があって、警察職員を救助したとか、そういうのはありました。ただ、この段階では部隊長は腹を決めています。呼集をして、訓練名目で前進というのが、現状の姿です。一番大事なのは、その施設の通信回線なんですけれども、自衛隊は通信回線は全く別の物を使っています。したがいまして、陸上幕僚監部、これは当時、六本木ですけれども、六本木総監部、司令部、連隊と、ここは無線というか、通常の自衛隊回線は全部つながっていました。そのため、すべてそのラインだけはコミュニケーションができて、指揮もできたと、こういった状況でした。
 情報活動なんですけれども、逐次どんどん集めて、自衛隊のほうは、電話で問い合わせますけれども、電話もなかなかつながらないところもありました。その中で、何も情報が得られない地域がありました。全然つながらないところで、情報幕僚は、これが重要な情報であると分析しまして、ここは甚大な被害を受けていると判断しました。ここにとにかく戦力を投入しなくてはといったところです。
 そういった関係で、大規模震災時の自衛隊の情報活動の基本的な考えと言っていいと思うんですけれども、この場合においては、とにかく判明している各地域の被害情報と、連絡が全くとれない地域の情報、この2つを集めてきます。今回、鹿児島のほうでありましたけれども、やはりそのときにどこが連絡をとれないのかなと、そこがやはり非常に被害が大きいところだろうと判断して、あれは12普通科連隊だと思いましたけれども、前進したと思います。
 部隊は、とにかく前進しました。前進しましたけれども、乗り捨ての車両とか、逆に避難する者、それから信号機も壊れていますので、なかなか前進できなかったと。警察車両による先導は一部の部隊のみです。あとは自衛隊だけで前進しましたから、なかなか前進していかないと。あとは自衛隊が被災地の付近に入ったんですけれども、1番困ったのは、部隊が車両で移動した場合において、車両を終結する場所、どこで指揮所をつくって、どこで宿営するかということです。そこを拠点という形で持っておくわけですけれども、そこがもともとありませんでしたので、どうするかと。もうとにかく行って、どこでもいいから、とにかく公園でもいいから、とにかく入れと。そういった状況が現実の最初の姿です。これは何かというと、やっぱり日ごろの訓練がなされてなかったというのが事実のところです。調整とかですね。
 一部はインターネットにも出ていますけれども、当初の段階で、やっぱり最初はほとんど火が出てなかったんですよね。ただ、そのうち時間とともに、火が出始めたと。そのとき、これは総監部のほうから陸幕のほうにあったのは、大型ヘリコプターで空中消火、これを調整したいと。それで大型ヘリ、これはチヌークですけれども、これは自衛隊の写真じゃありませんけれども、米軍の写真ですけれども、このチヌークですね、大型ヘリです。これ約5トン、5.3トンぐらい空中から液体をまくことができます。これを使ったらどうかという話で調整しましたけれども、結論は調整相手がいないので、だれもイエスともノーとも何も言ってくれなくて、自衛隊で独自でやるわけにもいかなくて、結果的にはやりませんでした。ただ、これはやって被害が少なくなったかどうかはわかりません。やってみないとわかりませんけれども、こういったアクションもありました。
 次、地上部隊のほうは、救助活動に入っているんですけれども、これは非常に危険な状況です。大きな地震がありますと、必ず余震があります。大きな余震ですね。近傍には車があります。車にはガソリンがあります。ガラス、それからいろんな粉じんですね。何か装備品は必要なのかと言ったら、当初、部隊から上がってきたのは、マスクが欲しいと。もうほこりだらけで、苦しいと。においもすごいといった状況で、この写真にはたまたま3人写っていますけれども、こういったところで、実際自衛官は中に入っていくわけです。余震があると、後ろから足を引っ張りあげる。ただこれは自衛官だけじゃありません。3日間で自主防災組織で助けたほうがはるかに多いです。警察、消防、自衛隊、特に自衛隊はおくれましたので、こういう危険を省みず、近所の人たちが助けたというのも現状です。
 部隊で救助するときは、市の中でいえば区長さん、組長さん、民生委員、そういった人からいろんな情報を聞いて行動しています。一隊員である小隊長、班長クラスからしますと、どこの家にわからない人がいますと、安否を確認したい人がいますといった場合に、恐らくこのあたりに寝ているんじゃないかと、5時47分ですからそういった情報が1番欲しかったんですよね。そういった点で、区長さんとかから情報を聞くのが有効だったと報告が上がっています。
 では、これで阪神・淡路についての一連の流れの話は終わりますけれども、これからちょっと提案というか、一自衛官として自分でいろんな経験をして、連携をよくするためにどうするかということをお伝えします。この写真はサリンですね。私はサリンが起きてから、小伝馬町駅の現地に行きました。消防や警察と調整もしましたけれども、その後はまた同じように、運用室に入って勤務しました。ここは部隊長として。今回、小山町で災害がありましたけれども、那須の水害はそれ以上の水量でした。これからは、そこで経験した中で、私自身が今、自衛隊と行政との関係でよくしたほうがいいんじゃないかというのを、個人的にまとめたものです。
 まず平常時ですけれども、その前に自衛隊はどんなところかということを知っていただくためには、この特性ですね。自衛隊の特性は、人事において――私も今階級がようやく抜け切れたところなんですけれども――特に将官の方は大変だと思います。なかなか抜け切らないですね。それから、部隊指揮官は通常2年で交代になります。方面総監、師団長、連隊長、大隊長、中隊長ですね、中隊長は長くなる、3年ぐらいになるときもあります。それから、陸上自衛隊は、平成20年からできましたけれども、最先任上級曹長という人がいます。これは陸曹の人でトップの人をそれぞれに合わせて、方面総監の最先任上級曹長、師団長の最先任上級曹長、連隊最先任上級曹長、大隊・中隊最先任上級曹長がいます。この人たちは、陸曹の人をしっかりと指導してきます。この人たちは大体2年から6年で交代していくといった状況です。それから自衛官は早期退職するといった状況です。一佐で56歳、将官は別ですけれども、二佐以下55歳と、早目に定年すると、部隊長は必ず関係するところに表敬であいさつに行きます。そのときにはよろしくお願いしますという話です。一部、阪神・淡路では、アポイントとって行ったんですが、なかなか会ってくれなかったとか、そういう話もあったと聞いています。
 それから、部隊指揮官に防災訓練の視察を依頼すること。これは行政が主語です。それから、毎年1回、防災会議とかやるはずですけれども、その会議の参加者として自衛官を派遣してもらう形でやればいいのかなと。そうすることによって、日ごろからお互いに人柄を知って、人間関係が構築できるのかなと思います。
 次に、自衛隊の特性として、防衛警備の話では、災害隊区というのは上級部隊から指定されてます。どこの部隊がどこの地域を担当しなさいと、これは決まっています。それからもちろん災害対処訓練も実施しています。実際は、有事を想定した厳しい訓練です。今では、ある島のことを考えていろいろと訓練をやっていると思います。
 それから、毎年部隊は、自分に与えられた、担任された地域の中で、どこが危ないかということを偵察に行っています。それから、同時に通信地誌、通信がちゃんとつながるかどうか――高圧線は町のほうが影響するんですけれども、最近は高い建物が建って、つながらないときがありますので――必ず通信地誌、通信がつながるかということを確認します。
 東海の場合は、地震を予期して、自衛隊の活動拠点までの経路、場所を確認します。それから、災害拠点、ヘリポートですね。ここも実際におりて検証してみないと、大丈夫といっても実際おりてみたらちょっと違ったというのはあります。私も九州へ1回行ったときに、小型ヘリでおりるはずだった場所に実際おりたら、おりられないから別のところにしてくれというのがありました。
 行政としては、まずどの部隊が災害のときに来るかということをしっかりと把握してもらうということですね。それに応じて訓練をやっていきますよと。それから、災害地誌のほうで自衛隊との合同調査、これを一緒にやるのが非常にいいのかなと。ヘリコプター実機による実際に拠点となるところにおりてもらうと、こういうことも要るのかなと思います。ちなみに一般災害の場合の地域担任部隊は、静岡県は東西がありますけれども、御殿場にある第34普通科連隊、この部隊が主です。一部、賀茂地域だけが、第1戦車大隊の担任区域になりますけれども、ほとんどこの広大なるエリアを第34普通科連隊が全部やらなきゃだめだといった状況です。
 東海地震の場合はどうなるかというと、これは当初の担任区域ですけれども、ここに相馬原の部隊が来ます。ここは東京ですね。それから御殿場にあります富士教導団の部隊が入ってきます。事後、九州から4師団、それから東北から9師団が逐次投入されてくると、こういった状況です。
 したがって、行政で、市で連携を考えなくちゃならない。これは裾野市の一例ですけれども、裾野市の場合どうなっているかというと、東海地震の場合におきましては、富士教導団の普通科教導連隊の第4中隊が担当します。そのほかの地震、水害、土砂災害、火山、鳥インフルエンザ、国民保護関連は第1師団の、先ほど言いました第34普通科連隊の第3中隊、ここをしっかりと各市町村が押さえなければだめだと思うんです。ということで、裾野市の場合は、両方と連携をとっています。
 この写真は第4中隊が実際に東海地震で入ってくる予定の場所です。これは裾野市営総合グラウンドなんですけれども、私も5月から裾野市で勤務しておりまして、9月にそこで、この地域ですと自衛隊に紹介しました。水はここにあります、地域はこのぐらいですと。この写真に写っているのは第4中隊長ですね。左がうちの市の室長なんですけれども、こういう形でやっています。そのほかこれが終わってから、実際に裾野市で土砂災害が起きそうな場所も一緒に見て回りました。一緒に見て回ることが情報を共有化するために非常にいいのかなと思っています。 
 次に、実際に発災した場合にどうすべきかなんですけれども、自衛隊の場合は、特性として、今は自主派遣ができます。災害隊区を持っている部隊は、今、高い即応体制を維持しています。情報部隊、初動部隊を常に待機させています。自衛隊も、先ほどの災害地誌という形で、大きな地図を持って移動しているんですけれども、実際は現地の地形・地物には不慣れです。私も那須町に行ったときは、自分の部隊の中で那須町出身の人間を集めて、その人間に先導させて移動したという状況です。地図は、どちらかというと、大き目の地図です。実際に震災があった場合において、警察車両による先導が一番いいのかなと思います。これはサリンのときもそうでした。小伝馬町駅に行ったときに、最初に来たのが消防、警察でした。しかし、自衛隊の車は司令部に電話すると、部隊は出発したと言っているんですけれども、ただ現地には来ない、どうしようもないという状況でした。そういったときに、警察で捜してください、と警察に依頼しました。番号が12と書いてありますからという形で依頼したところ、5分後にはすぐ見つかりました。そして、警察が先導して、化学処理車、除染車が全部来たといったところです。私も、那須町に行ったときは、警察に頼みました。
 あとは拠点の準備ですけれども、東海地震の場合においては、今、裾野市では何かあったら先ほど言ったその拠点のところに職員を派遣すると計画しています。一般災害のときは、とにかく自衛隊と合流するポイント、そこをはっきり決めるというところかなと思っています。そうすることによって、自衛隊は実際進入しましたら、そのまま災害派遣に前進します。そこで一服するという話はありません。進入したら、その時点から、もう救助活動に入っていきます。この資料の災害派遣の流れは一例で、ヘリは要請によります。通常、要請から約1時間で駐屯地を出る体制を常にとっています。お金は何ももらっていません。隊区を持っている駐屯地は常に1時間です。例えば34普通科連隊にしますと、情報収集部隊が約8名。それから連絡班、通信班は無線がつながらなくなると困るので、中継を車で出すために2名ずつですね。初動体制部隊、これで最初に何かできることはないかということで、約20名、この人間が約1時間以内には、駐屯地を出られます。したがって、災害派遣の要請があってから、1時間後には約30名ぐらいのこの部隊は駐屯地をとにかく出ます。その後、3時間後くらいに、主要な部隊が来ます。それで、これでは余りにも少ないと判断した場合にはどんどんどんどん増援で部隊を投入するという状況です。
 これは訓練の一面ですけれども、どちらかというと、警察先導で、自衛隊の車両が入ってくるのが一番早く入れるかなと思っています。
 それから、実際に災害が起きた場合においては、まず自衛隊はどのくらい被害が起きるんだろうということを見積もって、その上で部隊の運用を考えていきます。それが計画です。したがいまして、通常に見積もった被害と、実際の被害の差を把握します。それでもって、計画どおりいかない場合においては、もともとの計画を修正してきます。これがすべての有事の場合、災害の場合もすべて同じです。
 それから、派遣の最小単位は通常小隊長、班長になることもありますけれども、小隊長クラスが最小単位になるときがあります。その際、現場レベルの調整相手が必要です。したがって、市では、市長レベルと会うのは、例えば、そこの中隊長とした場合において、現場レベルでは小隊長、班長が区長とかと調整してやっていくと、こういった状況です。
 市は、「ここは全く連絡がとれません。ここはわかりました。今現状では、このぐらいの被害です。」こういう形で被害状況を整理すればいいのかなと。その情報を提供すれば、自衛隊の判断は速いと思います。その連絡がとれない地域に、状況によっては、バイク、もしくはヘリを飛ばして、調べていくと。これは本当にまずいと判断したら、そこに投入していくといった状況になるかと思います。
 それから、県はもちろん十分充実していますけれども、市町村も代表者が勤務する場所、災害対策本部のほうに、通信機材――通常FM無線になりますけれども――それが設置できるアンテナ、それから、駐車場のスペース、これを準備していただくという形が非常に自衛隊の活動を早期にうまく運用できる状況かなと思っています。以上で、最初から45分になりましたので、これで説明を終わります。
○鈴木(洋)委員長
 どうもありがとうございました。御丁寧な説明をいただきまして、大変参考になったのではないかなと、こんな感じを受けます。以上で、松岡様、大内様からの意見陳述は終わりました。
 それでは、これより質疑応答をしていただきたいと思います。
 御質問、御意見等がありましたら、発言願います。

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