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委員会会議録

質問文書

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平成24年10月医療・福祉対策特別委員会 質疑・質問
質疑・質問者:小野 達也 議員
質疑・質問日:10/12/2012
会派名:自民改革会議


○小野(達)委員
 さまざまな意見をありがとうございます。私、前々からドクターに会ったときに聞きたいと思ったことがありまして、医療費もかさんできて、高齢者人口がふえていることもあるんですが、延命治療のいろんな現場に議員やってると立ち会うんですけども、それを見てて、いろいろ思うことがあるんですけど、先生はそういうものに対して、どういうお考え持っていますか。

○北村宏氏
 まさに、私も特別養護老人ホームの嘱託医もやってますので、そうすると、こういう言い方も変ですけど、植物人間といっては変ですけど、ほとんど自分の意思がない、そういう人たちがもうたくさんいます。ようやく、数年前から「みとり」ということやり出して、何かあっても、すぐ病院じゃなくて、もうこれ以上の医療はいいですよということを御家族の承諾――本人はほとんど意思、判断できませんので――そういうのをもらっといて、何かあっても、もう病院には連れていかない、いろいろの治療もやらないと。そういうことやり出してます。
この例で申し上げるのは、ニュージーランドでは何かあっても病院にすぐ住民は行けません。必ず開業医の方の紹介状がないと行けません。例えばうちのおばあちゃんが食べなくなったんですけどと行くと、まあいいじゃないでしょうかと、それでオーケーなんですよね。日本だと、それは大変だね、胃ろうをつくろうかとか、管入れて栄養剤をどうのこうのとなりますでしょ。そういう考え方ではないんですね。
だから、今の御質問の中には、実は日本人の今の死生観が非常にかかわっていると思います。それは恐らく今日本人というのはほとんど無宗教で、それと核家族化してて、日常の中で、死を見るということがほとんどありませんので、生きてることが当たり前で、死は非常に異常なことと、どうしても思ってしまっている。目の前に身内の方の死が迫ると、もうあたふたしてしまって、病院行かなきゃと、こうなるけど、日常の中で、ちゃんと死を見つめていれば、食べれなくなって、もう自然に亡くなればいいんじゃないかという考えがどうも受け入れられてないと。
その結果として、膨大な医療費が使われてしまってます。これは今委員がおっしゃったように、終末期医療ですね、何が何でも、命、生きてればいいんじゃないかということでやるんじゃなくて、ちゃんと尊厳死を含めた死生観というのをやっぱり国民一人一人が本当は考えないといけない、教育を含めて。そこがやっぱり欠落してるから、実際にはどういうふうに対処していいかわからなくて、どうしても医療機関に延命をお願いしてしまう。だから、お願いされた医者のほうでも、本当に意味があるのかなと、非常に疑問のところなんです。だから、そういうニュージーランドのような死生観が自然に受け入れられるようであれば、医療者もそうやらないと思いますよ、多分。積極的な延命をね。

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