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委員会会議録

委員会補足文書

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平成26年10月次世代人材育成特別委員会
静岡産業大学総合研究所 客員研究員 中村羊一郎氏 【 意見陳述 】 発言日: 10/21/2014 会派名:


○中村羊一郎氏
 こんにちは。御紹介をいただきました、中村でございます。専門は今お話をいただきましたように、民俗学ということでございまして、地域のお年寄りからいろんなお話を聞いたり、あるいはお祭りとかいろんな行事を直接見に行くというかたちでいろんな勉強をさせていただいてまいりました。
 実は以前、13年間にわたりまして、県史の編さん室に勤めておりまして、その関係で恐らく県内ほとんどの字を回っていると思います。特に伊豆なんかは全部回った自信があるんですけど、大分昔の話ですので、今は大分忘れてきましたけれども、そうした中からそれぞれの地域でどのような伝統文化があるのかということをいろいろと見てまいりました。きょうは、とりあえず、そういった事例を幾つか御紹介をしながら次世代ということに対して、どのような問題意識を持ち、またどういう方向で考えていったらよろしいのか、私なりのお話をさせていただきたいと思います。途中からスライドを使用しますけれども、最初はちょっとお話というかたちで、ちょっと、失礼させていただいて座ります。
 いわゆる文化活動というふうなことをいう場合、非常に狭い意味で捉える方が多いわけです。一番具体的なのは、例えば文化財団で主催をしておりますいろいろなイベント等がございますが、音楽会とか演劇といったようなものが中心になっておりますし、また若い子供たちに芸術に触れさせるということで、いろんな企画があるわけですけれども、文化活動というのは必ずしもそうした、いわゆる芸術ということだけではない。むしろ先ほど委員長ともちょっと雑談したんですが、カラオケのようなものにしても、これはやっぱり広い意味での文化活動でありますし、逆に言えばカラオケという言葉そのものが世界語となっていて、韓国に行っても中国に行っても、あるいは東南アジアに行ってもカラオケの場所は幾らでもあるわけです。ということは、つまり文化というものを変な固定概念にとらわれずに、非常に幅広い視点から見ていくということが、まず第一の出発点になるのではないだろうかと。そういうことで考えていきますと、いわゆる郷土芸能というものは、言って見れば地域の伝統というものを背景にずっと継承されてきました、まさに土着の文化そのものでありますし、またその郷土芸能といわれるようなもの、あるいは各地のお祭りというものに対しまして、若い世代が本来ならば積極的にかかわって、それを維持してきたというのが過去の歴史であるわけです。
 例えば、随分前の話なんですけれども、私が焼津に奉職をしていたときに、御存じのように焼津神社荒祭りという大変大きな祭りがあります。8月のお盆の直前にあるわけですけれども、徹夜で飲み歩いて、焼津の繁華街の中をみんなで騒いで回っている。朝明るくなりますと、祭りの衣装っていうのはみんな白い着物を着ているんですけども、もうそれがぼろぼろに破けて土まみれになったようなのを着た高校生が、道端にごろごろ寝てるんですよね。みんな前の日に酒を飲まされて、ひっくり返ってるわけです。それはいかんということで、高校生のお祭りの参加はいろいろ問題があるよということになって、一時規制をされたことがあるわけですが、逆に言えば昔の祭りというものはそういうかたちで羽目を外したということと同時に、その高校生くらいの年代の者がみこしも担ぐ、のぼりも立てる。いってみれば、一番の下働きをする実動部隊であったわけです。ところが社会の大きな変化の中から、そうした一番の実動部隊であるべきところの力にあふれた若い連中が、ある意味では排除されたり、あるいは忙しい、勉強だって言って参加しなくなってきているというところにも実は地域の祭りというものが急速に衰退をしていく原因があったんではないかという気がいたします。
 今でもお祭りに行きますと、若連というはっぴを着た人がいるわけですが、ほとんど40歳以上で、何でこの人が若連だっていう話になっちゃうわけですが、しょうがないなっていうのが現実ではないかと。となってくると、その次の世代ということを考えていく場合に、この社会的に最も力のある実動部隊になりうるような世代の人たちをどのように地域に取り込んでいくかということも大変重要な問題になるのではないでしょうか。しかも、そうした若い青年たちの前に、小学校のころには小学生なりの地域的な組織というものがあって、その中で自主的にさまざまな活動というものを行っていたわけであります。それを、これからちょっとスライドで見ていただこうと思うんですが、例えば、山の神の祭りだとか、さなぶりだとか、ひょっとこ踊りとか、いろんなものがあります。山の神祭りというのは、年配の方が山の神様に山の仕事の無事を祈るということだけではなくて、むしろこれは、今の袋井になってしまいましたが、浅羽のほうでは山の神祭りといって、子供たちがまだ暗いうちに起き出して山の神様を祭ってあるほこらの前に整列するんです。そこでお祈りをするんですが、そのときに小学校6年生、5年生、4年生、3年生というぐあいに、学年の大きい順にそれぞれ段が違うんです。つまり言ってみれば、具体的に目に見える形で年齢による差というものがついていて、その差というもので組織の中での役割というものが明確に区分をされている。だから、一番上の人たちは責任があるから子分たちに対して命令を出す。下の者は早くああいう立場になりたいなと思って一生懸命務めるわけです。例えば、小山町にひょっとこ踊りというのがあるんですが、これもやっぱり上級生から下級生まで集団を組んで家々を回って小正月のころに踊りを披露する。祝儀をもらうわけですが、その祝儀の配分比率が学年によって係数が違うわけです。つまり、上級生ほどたくさん分け前がもらえる。最近は、学用品を親が配るという形になったらしいですが、かつてはそういうものでありまして、こうした自主的な子供、あるいは青年たちの組織というものがその地域における社会秩序というものを小さいときから身につけさせ、かつ自主的な判断を求めて行動するという環境をつくっていたわけですね。
 しかしまことに残念ながら、そうした環境そのものが現在大きく変わっておりまして、昔ながらの発想では、なかなか次の世代へ文化を引き継いでいくことは難しいというのが正直なところではないかと思います。
 そこで、今ちょっとお話をした事柄、ああなんだ私たちのほうにもこんなのがあったのかということを含めまして、スライドでごらんいただきたいと思います。
 それでは、お話を続けたいと思いますが、これはごらんになったことはありますか。大分前に焼津のスーパーで買ったんですが、ちょうど花見のころにつくられた花餅というある種郷土のお菓子です。これはうんと洗練されたものが、お茶の会では、お正月のお菓子として出されたりするわけですが、例えばこうした地域や伝統に根差した食文化という問題も合わせていろいろ見なくてはいけないなという気がいたします。先ほどちょっとお話をいたしました子供たちから成年へと大きく成長していく過程で、どのような行事や祭りがあったのかということを具体的に少し見ていきたいと思います。
 これは、藤枝の滝沢というところが瀬戸川の上流のほうにあるんですが、毎年2月17日に行われます田遊びという行事。田遊びというのは、昔皆さんのほとんどが農業に従事していたころに、1年間のお米の豊作を祈って行う行事でありまして、これは何をしているところかというと、稲の精霊に見立てた赤ん坊が生まれてくるところです。昔は産み落とすという言葉がありました。これは木でつくった人形を、男の人がはらみ女に扮してしゃがんで産み落とすという。文字どおり産み落とすわけです。そして、生まれたこの人形は、稲の精霊というふうに考えられるわけですから、周りでみんながはやし立て、早く大きくなって立派な実りを頼むよというふうな行事になるわけです。周りにいる小学生たちが昔風の着物を着て、せんすであおぐ、そして豊作を祈るという、こういう行事が今でも藤枝市では行われております。
 これは浜松のほうのいわゆる凧揚げ祭りでございますが、遠州一帯は、この有名な浜松祭りだけじゃなくて、森町のほうにも武家凧という大きなたこを揚げる行事がありますし、子供の誕生を祝って行うわけですが、町内挙げて祝福をする。もちろん弊害もありまして、余り金がかかるので、お祭りの直前に夜逃げをしたなんて話も聞いたこともありますけれども、江戸時代から行われていた伝統でありまして、これが非常に大きな祭りに発展をしたのが今の浜松祭りであります。
 これは磐田市ですが、大飯祭りといいまして、村に嫁いできました花嫁さんたちが初めてお正月のときに、集落の人たちからこういうお祝いをしてもらう。後ろに並んでるのがちょっと問題なんですが、一目でわかるように、なかなか微妙なものでありますが、早くいい子をつくりなさいというような話になりまして、これは大根とニンジンその他でつくるんですけれども。まだやっているのかな。この写真を撮ったのは十何年も前なんですが、こういう形で子供の成長を祈る儀礼というものが行われていました。
 これは新居の大倉戸というところにありますチャンチャコチャンという行事でありまして、ツバキの枝に人形を乗っけまして、これは一種の厄払いになるわけですが、小学生たちがみんなで集まってササの葉でもって、このデックラボーと言われる人形をたたいて村のはずれに追い出す。これも子供たちの本来は自主的な行事として、かつて盛んに行われていたものであります。
 これは岡部町の、今は藤枝市ですが、殿というところがあります。殿というのは大変古い村でありまして、恐らく平安時代ごろから有力者がいたんだろうと思います。それが殿という地名になっているんでしょうが、虫送りといいまして、この場合は8月の末なんですが、大きな灯篭、たいまつを立てまして子供たちが火を灯す。この火に害虫が集まって殺虫効果が出てくると。いわゆる昔の誘ガ灯というのがございましたね。ああいった意味で光に集まってくる虫を一挙にここに集めて追い出すという行事でありますが、これは本来、子供たちの行事。
 これは伊豆の国市、もとの大仁町神島というところで行われておりますかわかんじょうという行事で、わらでもって大きなたいまつをつくってこれを狩野川に流すわけであります。これも今はこういうふうに青年から中老と言われるような人たちが中心になってるんですが、本来は小学生の行事なんです。みんなでわらを持ち寄りまして、上級生の命令でわらをたたいて、縄をなったり、たいまつをつくったりして準備をするわけですね。そして夜、狩野川にこのような形で流すと。ほとんど同じ行事が富士市、富士川を舞台に行われております。
 これも同じ盆の行事で、静岡市の富厚里の灯篭というものでありまして、高く立てた灯篭、つまりたいまつに火を投げ上げる。これも本来は子供たちの行事。
 これは大仁の三番叟であります。伊豆半島には三番叟という郷土芸能がたくさんありますが、三番叟は3人の役があるわけですが、一番下の役は大体小学生が行うと。神事が行われる前にこうして、これは金目鯛なんですが、みんなでいただいて神様にこれから奉仕をするということをします。
 下は、やはりこれも子供行事で初午のときに、お稲荷さんをお祭りしてあるお宅にみんなでのぼりを持って行って、おこわとか何かをもらうと。右側はどんど焼きです。これもみんな本来は子供行事でありました。
 これは静岡市の宇津ノ谷のお地蔵さんの縁日で、右上がいわゆる十団子でありますね。それから、左側は同じ日に岡部側でやっぱりお地蔵さんのお祭りがありまして、これも十団子なんです。世間によく知られているのはこの右側の十団子なんですけれども、反対側でも同じようなことがある。ここで非常におもしろいのは、この下の写真に見るように子供たちが香花、シキミを集めまして、参詣に来た人たちにお花をあげてくださいといって、200円で売っていて、それを子供会の活動費にするということをやっています。
 それから、少し年がくってきますと、昔はみんな青年に入ったわけで、左側2つは舞阪のお太鼓祭り。物すごくでかい太鼓を引っ張ってたたいて回る行事ですが、そのときに新入りの若い衆に対して、上級生たちが徹底的にしごくと。舞阪の大太鼓の写真をごらんになったかもしれませんが、表面の皮に黒いしみがついています。あれはばちで太鼓をたたいたときに反発がきまして、ここが全部むけてしまって、昔は血まみれになって太鼓をたたいた。それがいわば、若い衆の通過儀礼だったんですね。右側にある力石というのは、蒲原の神社の境内にあったもので、恐らく60キロ、70キロあると思うんですが、これを若い衆が担いで一人前になれるかどうかという試しにしたということです。
 これは伊豆半島の行事でありますが、下のモノクロの写真でごらんいただけるように、これも大体15歳前後になった子供たちが若い衆の仲間入りをすると。上の写真はきちんと正座をいたしまして、仲間に入れてくださいと頼んでいるところですね。右側が伊東のお祭りですが、若い衆がおみこしを海に担ぎ込む。下は沼津市大瀬の今は勇み踊りと言っています。昔はばかばやしと言ったんですが、ばかっていうのはよくねえんじゃねいかというんで、勇み踊りという名前に変えちゃったんですけれども、ばかばやしのほうがよかったという気はするんですが、若い衆がおしろいを塗って、非日常の世界をつくってお祭りに参加をするという。これもみんな青年でなければ維持できなかったお祭りであります。
 それから、これは静岡市の山間部の有東木という集落であります。山の中に今は、何軒でしょうね。80軒なくなったんでしょうね。わさびとお茶で有名なところでありますが、ここでこうした盆踊りが毎年行われております。今はごらんのように、おじさんたちしかいないんですが、本来は青年がこれをやった。そして、青年の男たちが踊る踊りと、それから娘たちが踊る踊りが別々になっておりまして、このお祭りのお盆の晩に若い男女が知り合うとか、そういった得がたい機会をつくっていたんですね。
 今生きていれば、もう百何十歳になるような明治の中ごろに生まれたおばあちゃんから聞いた話ですと、一生懸命娘たちが踊りを踊っていると、そうっと青年たちが寄ってきて、たもとに梨を放り込む。たもとに梨を入れられるとうまく踊れませんよね。でも、それに構わず一生懸命汗を流してこの踊りを踊り合う。やがて二人の目と目が合うという機会が来るというわけで、非常に貴重な機会になっていたんです。今、残念ながらもうそういう段階を過ぎた人たちが多くなっちゃったんですけれども、昔はやっぱり、いろんな出会いの機会があったということになります。
 これは町内会の人たちが主催をして、とにかく若い衆にやってもらわないかんということで今風の太鼓を打って、ちょちょんがちょんという踊りをやっておりますけれども、伝統的なものの中からは、だんだんと若い人が減っていくということが言えるわけです。
 これは、最後に村のはずれまで行って、お盆に帰って来た御先祖の魂を送り返す。真ん中で太鼓をもっているのは町内の長老ですけれども、本来は腹の前に太鼓をずっと抱えて厳しさに耐えながらお祭りに参加していくというのが若い衆の役目だったわけです。
 現在でも、結構いろいろな形で地域の祭りというものがあるにはあるんですが、幾つかの問題点があるんではないかと私は思っております。ここにちょっとメモをしましたように、本来は伝統文化というものの継承に子供たちは非常に積極的にかかわってきていたと。なぜそういう立場があったのかというと、1つは、子供というのが神の声を聞くのに最もふさわしい、純真無垢な存在であるというところから、お祭りの中で子供に神が乗り移るといったようなニュアンスがかつてあって、それがお祭りの中で子供が重要な役目を果たす1つの背景をなしているんだろうと。ですから、子供たちが参加する行事もいろいろあったんですね。
 一方では、そうした子供の世代を超えて、いわゆる若い衆、青年団の段階になりますと、大体15歳ぐらいから結婚するまで入っているのが多いんですが、その中で非常に厳しい訓練が行われた。伊豆のおじいさんたちに話を聞いたら軍隊なんかへでもないと。俺らが若いころに経験してきたことに比べりゃ何ということはなかったということをよく言いました。現実に熱海のおじいさんに聞いた話では、共同浴場に入って先輩に気がつかなかったら後で呼び出されて、薪を並べた上に正座をさせられてぶん殴られたということを言っていました。
 実際にあった話でありますから、それがいいとは言いませんが、そういった秩序の中で、村の中でどういう行動をしたらいいのかということを、昔の人たちは自然に身につけていったわけですね。ですから、彼らが、地域の伝統文化というものを継承していく上での非常に重要な実動部隊として活動していたんだと。
 ところが、最近のいろいろな行事というものを見ていますと、先ほどの写真でごらんいただいたことですぐわかりますように、実際には大人が動かしているわけですね。つまり、形は子供がやってるんですよ。ところが、例えばどんど焼きでもマッチがすれないと。おっかなくて火をつけられないと。だから、親や町内会の役員の人が全部段取りをして、火をつけてやって、そしてさおの先にだんごか餅をつけてやって、さあ、こうやれば焼けるよと教えてやるわけです。終わるとみんなうちに帰っちゃうから、火の始末から何から全部、またこれを大人がやらないといかんと。何でそんなになっちゃったのかと。つまりこれは、形だけ昔の行事というものを子供に参加させてやらせているんだけれども、言ってみれば大人の自己満足じゃないのかという気持ちにもなってしまいます。さらに言えば、そういう形で昔の伝統行事を子供たちが体験したにしても、どういう仕組みでそれが運営されて動いてきたのかということを直接かかわらない限り、次の世代に伝えていくことはできません。つまり、新聞や何かで見れば、子供が大勢参加してにぎやかにやりましたと報道されるわけですけれども、その背景まで考えていくと、もう先はないんじゃないかという気がしてならないわけですね。こういったのが、1つの現状として認識できると思います。
 さて、こうしたお祭りとか何かということを考えていきますと、やっぱり伝統的な文化としての食というものも非常に大きな意味を持ってまいります。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。実は、今東京で和食会議というものが農水省のバックアップでできつつありまして、私もその理事の1人になってるんですが、どうやったらこの和食の普及、さらに言ってみれば、米をどうやって食べてもらうかというところにまで話が膨らんでおりまして、今後、伝統的な食文化というものが国家戦略としても大きな意味を持ってくるんだろうと思うんですが、ちょっとピントはずれだなと思ったのは、和食の向こうを張って、和茶という言葉をつくったという話が新聞に載ってましたけれども、和茶って耳で聞いて何のことか多分わからないと思うんですね。ちゃんと日本茶という言葉があるんだから、そういうところに便乗するというのはどうかなという気がするんですけれども、この和食というのもこうした伝統文化の維持という問題と深くかかわり合いがあるんだろうと思います。
 そこで、伝統的な食ということについて見ていきますと、これは森町の鍛冶島という集落であります。そこでは毎年、アワの栽培をしておりまして、このアワの栽培とそれからお祭り当日の場所を提供する役を当屋といいまして毎年交代するんですが、この当屋になりますと、1年間その世話をして、お祭りの当日にそのアワをもっておこわをつくって、村のみんなに食べてもらう。アワというのは、非常に伝統的な食の素材であります。例えば、今は掛川市になりましたが、大須賀町の三熊野神社という大変古い神社がありますが、その神社なんかでも、そもそもの始まりは、神様が紀州のほうからやってこられたときに、初めて上陸をして召し上がったのがアワだったという言い伝えがあります。アワというのは、焼き畑でつくられる作物であったわけですから、いわば米づくりよりもさらに古い時代の食文化の中心ではなかったかと考えられますが、そうしたものはもう日常の食には使いませんけれども、伝統的な祭りとして伝えているということは非常に大きな意味があるんではないかと思います。
 それから、これは手もみのお茶であります。私がおりました大学の自分のゼミの生徒たちを、毎年藤枝の茶業商工会の建物のところにつれていきまして、手もみの名人から直接学生たちに手もみの技術を教えてもらいました。たまたまいた留学生、この子はベトナムの子だったかな、一緒に参加をしたんですが、こうやって若い世代に伝統的な技法というものを少しでも味わってもらおうということもやってはいます。
 それから、これはちょっと余談になりますが、上の2つの写真は松崎町の桜葉の漬け込みであります。日本のほとんど全シェアをこの松崎町の桜葉漬けが占めているわけですけれども、この大きなおけとそれから上にしゃがみ込んで桜葉を一生懸命詰めているおばさんたち。これは嫌気性のバクテリアで発酵させますから、空気が入るとカビちゃうわけですね。したがって、空気がなるべく入らないようにびっしり詰めて上からおもしをして発酵させるわけですけれども、これをごらんください。上の写真はタイです。何をしているかというと、お茶の葉っぱを詰め込んでいるんです。お茶の葉っぱを蒸しまして、束ねてこういうおけの中に詰め込んでギュウっと上からおもしを乗せますと、お茶の葉っぱの漬物ができます。これはタイではミアンと呼んでいます。これにちょっと塩味をつけたり、場合によったら、しょうがとか砂糖とまぜて食べるわけです。食べるお茶です。私はよくミャンマーの調査に行きまして、現地でいろんなお茶のことを調べているんですけれども、ミャンマーにもラペソーという名前で全く同じこうしたお茶の漬物があるんです。そうしますと、素材は別なんですけれども、漬物にして食べるという意味においては、お茶と桜の葉っぱとは意外な共通点というのが出てくる。この下に向かって左の写真は、徳島県の阿波番茶というお茶があります。これはお茶の葉っぱをさっとゆでて、おけに漬け込んで発酵させる。ミャンマーのラペソー、タイのミヤンと全く同じ製法なんですが、これは、実はカリカリに乾燥させて飲むお茶です。右側のこれは、ミャンマーの写真なんですが、漬け込んでいるところなんです。つまり、発酵食品という意味で見ていきますと、そのつくり方とかには非常に大きな共通点があって、こうした伝統的な食文化というものも、広い視野から見直していくことが必要かなという気がいたします。
 これは何かおわかりですよね。これはイルカのみそ煮であります。私は静岡の生まれですから、小さいときからこれをよく食べていたんですが、浜松のほうに行きますとこういうものは一切食べない。伊豆の人たちは好きです。清水も好きです。おもしろいことに川根の人たちも食べる。それはやっぱり魚の流通ルートに乗っかっているんだろうと思いますし、御殿場の人もよく食べましたね。それから山梨県にも行くんです。こうしたイルカなどの食文化というのは、現在、世界的には批判されちゃうわけですけれども、やはり地域の伝統食として見ておくことがいいのではないかと。
 これはあつめ汁。いわゆるいとこ煮になるんだろうと思います。徳川家康が駿府におったころに、家来がこの煮物を差し上げたと。家康が聞くには、これはどうやってつくるんだと。そうしたら、家来がいろいろな具をおいおいに入れてまいりますと言った。そうしたら家康は、それじゃいとこじゃないかということでいとこ煮と名前がついたと言われておりますが、いとこ煮というのは、これは非常になまった言い方で、本来はお事煮と言ったらしい。お事というのは、1年間の中で神様をお祭する行事の事のある日を、事日とかお事と言ったんですね。ですから、本来は神様に供える神聖な食べ物だったんだろうと思いますが、こんなのもある意味では郷土食の1つとして着眼することができます。
 それから、これは文化政策の一端なんですが、新書版で「しずおかの文化新書」と。文化財団で年に4冊発行しております。非常に魅力的なテーマがいろいろありまして、1冊何と500円。200ページあるんですが1冊500円で売っています。実は、ここにちょっと書いておきましたように、2013年現在、全部で16冊刊行されておりまして、それぞれ3,000部印刷しているんです。うち1,000は無償配布ということで多分、先生方やそれから大学、高校なんかにわけてあると思いますが、残り2,000を有償で売っていると。ところが、発行し始めてから何年もたつんですが、1,000冊売れた本は1つしかない。あとは数百しか売れていないと。なぜ売れていないかというと、本屋さんにもなかなか目立った形で置いてもらえないし、もう1つは、キヨスクあたりに置いて静岡の宣伝になるんだから頼んだらどうですかって言うと、いや、キヨスクはこういうのを置いてくれないという話であります。文化財団のお金というのは、県から出てるわけでありますから、ある意味では税金でつくられているものであります。しかも内容的に非常におもしろいいいものなんですけれども、つくったはいいけれども、それを広く普及させるようなシステムというものがないというのは非常に残念なことです。つまり、これは文化財団の非常に大きな柱なんですけれども、そんなわけで、なかなか普及する流れがないと。もしこれが個人で商売をやるとなれば、人が集まるところに自分でしょっていって、5冊でも、10冊でも売るわけですが、財団ともなると職員をそういう形で使うわけにもいかない。ということになると、次の話はせっかくつくっても売れないじゃないかと、じゃあつくってもしょうがないだろうという話になっちゃうわけですよ。僕は、これは文化政策でいうと、非常によくないことだというふうに思います。私は文化政策審議会の委員にもしてもらっているものですから、こうした事柄についての発言をしたこともあるんですけれども、結局、汗を流してこれを広く普及するというところまではなかなかいかないと。逆に言いますと、せっかくいい仕事をして、いいものが出てるんだけれども、これを広く普及し、活用していくというような流れというものが、まだまだ弱いんじゃないかなという気がいたします。
 したがいまして、こうした問題も含めた幅広い、広い意味での文化政策というものをぜひ御理解いただいて、御支援をしていただければありがたいというふうに思います。
 そんなわけで幾つか、私なりに持っているデータでお話をしてまいりましたけれども、最近非常におもしろいなと思った新聞記事がありました。9月に日本世論調査会というところで調査をした結果、今後、社会の人口どんどん減っていくということで、これは危ないんじゃないかということを考えている人たちは非常に多い。その中で若い世代が一体どんな状況にあるのかという1つの例として、いわゆるスマホをどれぐらい持っているかと。もう、高校1年生の9割がスマホを持っている。1日当たりに、平日でも大体1時間から3時間ぐらいの間、みんな使っていると。特に、平日でも3時間以上スマホに向かっているのが3割以上いる。これが休日になると5割にもなると。別にスマホでも、いろいろな検索をして勉強に役立てているならいいんですが、たわいのない、今何食べた、今どこなんてことばっかりやってるんでは、何だろうなという気がしますよね。しかも、持ってちょっとやるだけで、毎月1万円以上の金がかかるわけですね。それでいいのかなという気がします。
 そこで問題は、じゃあやめさせたらいいじゃねえかというふうになりがちなんですが、僕はここが非常に難しいところだと思うんですね。いわゆる漫画がかつて、そんなもの読んでだめじゃないか、勉強しろと言われた経験が皆さんおありだろうと思うんですが、今や、漫画というのは日本を代表する文化であって、クールジャパンの筆頭に入っているんですね。つまりどういうふうにこの新しい時代の流れというものを捉えていったらいいのかということが、若い世代に対する我々の接し方の1つの大きな問題点になるのではないかという気が強くするわけです。スマホがこれだけ普及していると、じゃあ持たせなきゃいいじゃないかという議論は、現実には成り立たないと思うんですよね。じゃあどうするかということを考えなくてはいけない。そういうことを考えると、やっぱり若い世代の人たちにある種自主的、自覚的な行動、自主的な発想というものを持たせるようなことをしていかなければいけないのではないかと。最近の若い世代は親からのしつけができないからだとよく言います。私がかつて校長をやっていたときにも、親の再教育は不可避であると、やらないかんとよく言いました。
 しかし、よく考えてみたら、親を教育したってそれがそのまま次の世代につながっていくとは限らない。むしろそれは無理だろうと。そういうふうに育っていないんですよね。だから、逆に言えば、そういうふうに育てるということを根本的な出発点として考えていかなくてはいけないんじゃないだろうかと思います。
 八重の桜のときに、会津の教育方針で、要するにだめなものはだめ、ならぬことはならぬものということを言ってましたけれども、これは非常に簡にして要を得た表現だろうと思うんですね。いい悪いというものについての価値判断というものをしっかり身につけさせるということが必要ではないかなと思うんです。そうなってくると、やっぱり教育の問題と直接つながってくるんではないかと。
 例えば、これは全く個人的な見解なんですが、教員の採用試験なんかに問題があるんじゃないかと。今、教員になるのはすごく大変です。教員用の予備校があります。そこで一生懸命筆記試験、あるいは模擬授業の勉強をして、試験を受けるわけですが、そうやって受かった先生にどれだけパワーがあるかということはすごい不安です。私は校長会で言ったことがあるんですけれど、採用試験の順番を逆にしろと、最初に面接をやってパワーのあるのをまず選んで、その中からダメなやつを落としたらどうだということを言ったんですが、誰も賛成してくれなかったんですけれどもね。でもやっぱり、そういうようなちょっと抜本的な見直しというものをどこかでやっていかないと、非常にダメじゃないかなと思いますよ。すぐノイローゼになってしまう先生じゃ困るわけです。
 それから、もう1つは前から言われていることなんですが、先生が忙し過ぎるということがよく言われます。特に部活を担任しますと、これは大変な負担になります。やっぱりこれはかねてから言われているように、校外におけるスポーツ活動、文化活動というものと、学校での教育という問題とは、どこかできちんと区分していかないと、本当の意味でのレベルの高い教育はできないんじゃないのかなという気が非常に強くします。
 例えば、一例を挙げますと、今ほとんどの学校で漢字検定というやってるわけです。これは、協会がつくった問題をやって、同じ基準で評価をするということをやってるわけですが、昔を考えると、担任の先生が全部こうした漢字のテストの問題を自分でつくって、それがわかるまで子供たちに教えていたんですよね。だけど今は、検定やって何点採れましたってやってるんじゃ、やっぱり本当に血の通った教育はできないんじゃないかと。そういう意味でいうと、僕は日記をきちんと書かせて、それを担任の先生が一生懸命添削指導するということが、いわば日記を通じて先生と子供たちの間の交流も生まれるわけだし、子供たちが何を考えているかということもよくわかってくる。そして、それを通じて国語の授業もできるわけですね。じゃあ先生が日記の添削をするためには時間がどれぐらいかかるのか。毎日やれば数時間かかるわけです。だったら、できるだけ余分なことは排除してあげて、そういうところに先生が時間を使えるような仕組みを考えていくことが、本当の意味でものを考え、自分で善悪の判断をできるようになる子供たちを育てていく非常に大きなポイントになるのではないかと思いますね。
 そしてもう一方では、先生自身が、自分が勉強してきた事柄をさらに追及していく時間的、精神的な余裕というものも必要です。そんな意味で、やっぱり学校の教育の内容そのものも、こうした次世代の育成という問題とは、本質的に物すごい深いつながりがあるんだということを体験的に思うわけであります。
 ですから、こうした次世代の人材育成というのは、教育側が一番大きな問題だとは思いますが、先ほどのスマホの話に戻りますと、やっぱり文化的な価値観というのは、世代によって違ってくるわけです。ある程度年をとると、昔はああだった、こうだったということを言うようになります。だけどよく考えてみたら、昔はよかったなってばかり言っていたら、世の中どんどん悪くなっていって、最後は破滅するわけですね。だけど、何千年と同じことを繰り返して、みんなが言いながら世の中は続いているわけです。ということはつまり、途中から価値観が変わってくるということですね、上の世代と次の世代とは。だからその価値観が変わっていくということを認めながらも、変えてはならない部分は一体何かということをしっかりと認識しておくということ。これが先ほどのだめなものはだめということに尽きるんだろうと思います。
 そして、そのようなものをきちんと理解していく。これが本当の意味で、次の世代が信頼に足る人間として育っていくことができるかどうかということの根本にあるのではないかと思うわけです。昔はああだった、こうだったというのは簡単なんだけれども、今のようにそれぞれの町内における職業が千差万別であって、何時に集まりましょうと言ったって、みんな同じ時間に集まることは現実にはできないと。ということはつまり、それだけ社会的な背景というものが変わってしまっているということでありますから、そういうことをしっかり認識した上でこういう問題を考えていくことが必要ではないかと。
 そして、人口の減少が最大の不安材料だというふうになっている中で、静岡県がどうやってその活力を向上させていくかという、ひいては、最終的にはここになっていくんではないかと思うんですが、そういったパワーを持った静岡という地域がどれだけ力を発揮できるか、そして教育においてどれだけ次の世代に対する真剣な育て方をしていくことができるかという、こうした視点からの新たな具体策というものをみんなで考えていかなければいけないと。
 言うばっかりで何も具体論がないじゃないかという答えに対しては、私はさっき申しましたように、学校あるいは、もっと下の幼稚園からだめなものはだめというのをはっきりさせた人間の生き方というものを、まず基本的にすること。
 それから、もう1つは、好奇心をできるだけ育てること。あれは何だろうということをふと自分の発想の中から思いつくということが非常に大事なことだと思いますね。ですから、だめなものはだめと言うけれども、全てを押しつけてだめにしてしまうのではなくて、その中でいいところはほめてあげながら、社会的、あるいは文化的な関心というものを子供たちが心に持つ。それを育てていくということが本当の意味での静岡、あるいは日本を支えていく次の世代を育成していくということにつながるではないかと非常に強く感じるわけであります。
 大変一方的なお話で申しわけございませんけれども、お話は一応ここまでということにさせていただきたいと思います。
 どうも御清聴ありがとうございました。

○渥美委員長
 中村先生、ありがとうございました。
 以上で、先生からの意見陳述は終わりましたけれども、これよりは質疑に入りたいと思います。委員の皆様には、質問についてですが、まとめてするのではなくできるだけ一問一答方式でお願いしたいと思います。
 それでは、御質問、御意見のある方、発言願います。

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