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委員会会議録

委員会補足文書

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平成28年11月スポーツ振興等特別委員会
公益財団法人日本サッカー協会 会長 田嶋幸三氏 【 意見陳述 】 発言日: 11/25/2016 会派名:


○田嶋幸三氏
 まず、このような非常に権威ある、そして静岡県の政治に直結するこの委員会で意見を言わせていただくことを、改めて感謝申し上げます。
 参考人というと、どうしても何か悪いことをした人みたいで、ちょっとどきどきはしていましたが、皆さんに非常に温かくお迎えいただき、感謝しております。
 スポーツについて、私はサッカーがしたくて、もともと熊本県生まれで東京に住んでおりましたが、埼玉県の学校に通い、常に静岡県のチームとサッカーの決勝をするという、そういうような青春時代を過ごしてきました。静岡に限らず埼玉もそうなんですけれども、最初に、皆さんに嫌がられるようなことを言わなきゃいけないなと思っています。
 まず、静岡県というのはもうスポーツ王国だったと言わざるを得ない。僕は今、JOCの常務理事もやっていて、さまざまな委員会の委員長もやっていますが、三大スポーツは、規模、それから人口、それから人気、その3つで言うと、陸上、水泳、サッカーなんですよ。この陸上、水泳、サッカー、もちろん柔道や体操やレスリングといったメダルをたくさんとるのも重要なんですけれども、やっぱりスポーツ界の中で何が重要かというとこの3つで、この3つのスポーツ王国と言われたのが静岡です。昔で言えば古橋先生から始まり、サッカーで言えば杉山さん、今、長谷部とか大島とか若干いますけれども、かつては、小野伸二、高原とか、もう主力のほとんどが静岡出身だった時代があった。陸上にしても、沼津東や韮山高校といったところから、多くの陸上の人を輩出する、そういう県であった。
 やっぱりそういう気候、それから地理的条件、そして非常に温暖で明るくて、そういう気質。これは僕が外から見たところで申し上げています。それから、人口。それから、よくスルガ銀行の岡野さんがおっしゃるんですけれども、沼津ぐらいだけで、北陸3県の経済、そして人口より大きいんだと、だからJリーグのチームがあっていいんだとおっしゃって、今度、沼津からJ3のクラブが1つできますが、そういうものがあるということ。ただ、残念ながら、かつてそういうものがあり、そして今でもそのチャンスがある。地理的なものは変わっていません。そして気候も変わらない。そして経済はどんどん発展している。人口だってほかの県と比べたら間違いなく増加傾向にある。
 そういう中で、なぜその静岡のスポーツが、今、振るわなくなっているんだと。野球だって、山下大輔さんや静岡高校、静岡商業、浜松商業、やっぱりそういうところがあったのに、最近はもう泣かず飛ばずになってしまっているという、そういうところは、抜本的に考えてみるいい機会にしていただければというふうに思っております。
 そういう日本サッカーも、先日のサウジアラビア戦で勝つことができ、今、何とかワールドカップの出場権を握れるところまできましたが、これもUAEやサウジやタイや、そういう国がどんどんのし上がってきて、うかうかはしていられないということです。
 でも、皆さん御存じですけれども、スポーツの浮き沈みというのは激しくて、我々30年前は、ワールドカップどころか、オリンピックも出られなかったんです。それこそ68年、今から40年以上前に、初めて杉山さん、釜本さんたちがメキシコオリンピックでメダルをとり、そしてサッカーが盛んになった。でも、その後またすぐ衰退したという、非常にスポーツというのは、やはりそういう浮き沈みがある。ちょっと力を入れなくなると弱くなる。でも、その分析をちゃんとしない。あのときは長池さんがいたよね、勝澤さんがいたよね、井田さんが、井田さんも勝澤先生もまだお元気ですけれども、堀田先生がいたよね、いろんなことを言いますけれども、結局言いわけにしかならないというふうに思っています。
 そういう意味では、今、残念ながら、ほかのスポーツはわかりませんが、静岡のサッカーで言うと、世界を目指すということではなく、県で勝つことを一生懸命やっているという、そういう部分。昔は本当にワールドカップに出るんだって、長谷川健太やああいう選手たちは言っていたわけですから、そういう意味では、その基準自体をやはりもっと変えていかなければいけない。これは、もしかするとほかのスポーツにも言えるんじゃないかなというふうに思っています。
 施設的に言っても、エコパやその他みんないいスタジアムはありますけれども、やはり世界基準で言うとそれほどでもない。野球場にしてもしかりです。アリーナは、バスケットのシャンソンさんとかがあり、エコパには非常にいい施設が固まっているのは事実ですけれども、今のスポーツでは、サッカー場も、もうアリーナと呼ぶようになっています。それで都市型で、そういうものが非常に期待されている。世界的な傾向で言えば、日本の公園法とかそういうものを抜きにして、中に病院や老人ホームがあるスタジアムまである。そういう町の真ん中にあるというような、世界的な傾向ではあります。そういうことを考えると、やはり静岡がスポーツ王国と言われなくなってきた理由というのが、いろいろ見えてくるのかなというふうに思っています。
 そして、私たちはこの夢があるから強くなる、常に世界を目指すことということで、私はことしの3月の末に会長になり、選挙で初めて選ばれた会長です。ただ、任期が2年だけなので、何とかその任期が2年のうちに結果を出すということは、もちろんしなければいけないと思っています。ただ、今、土台をつくることをしっかりしなければいけないんじゃないかというふうに思っています。
 私たちにはこういう2005年宣言というのがあり、JFAの理念、サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造すると。サッカーだけを発展させようなんて、そんなちんけな気持ちではやっていません。ただ、こういう理念を常に我々は意識できているかということが、僕は重要になってくるんじゃないかと思っています。そして、サッカーの普及に努めて、スポーツをより身近にする。サッカーの強化で日本代表が強くなることで、勇気と希望と感動を与える。国民に勇気と希望と感動だって、おまえら何を偉そうに上から目線で言ってるんだって、いつもお叱りは受けます。でも、これは自分たちへの戒めです。やはり、そういう意識を持たなければ、裏を返せば、もしもサウジに負けたら、多分僕の家にも何人か来たでしょうね。何か窓を割りに来る人だとか、いろいろ。でも、それぐらいのことをやはり覚悟の上でやらざるを得ないというふうに思っています。そして、常にフェアプレーでいるということを、我々は考えていっています。
 そして、私たちのサッカー界の考え方としては、底辺を広く、そして頂を高く、これはまるで本当に富士山のようですけれども、世界のサッカーでワールドカップに勝ったところは8チームしかありません。それは、ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、イングランド、フランス、イタリア、ドイツ、そしてスペイン、この8チームなんです。冷戦時代に、ソビエトもチェコもハンガリーもみんな強くして、ワールドカップで勝とうとしましたが、残念ながら勝つことができなかった。でも、それはなぜかというと、ある特定の人だけを育てるのは、サッカーは難しいんです。シンクロやレスリングのように、ある特定の人たちを育ててやるということが可能な種目もあると思いますが、サッカーは底辺を広げるグラスルーツがある。スペインだって、ドイツだって、みんなグラスルーツがある。老若男女。そして、100年を超すプロリーグがある。残念ながら、まだプロリーグは20年です。我々はそういう長期的な視野の計画のもとにやっていかなければいけないというふうに思っています。
 今、ちょうど山田委員長のほうからありました、障害者というのも、我々はサッカー協会の中に取り込み、そして今、発展させようとしています。これはサッカーファミリーをふやすと。障害者で、サッカーファミリーはそんなに極端にふえるわけではありません。でも、そのことを我々はやっていきたいと思っています。これは、我々のつくったビデオですけれども、参考にしていただければと思います。
(ビデオ上映)
 障害者団体というのは、幾つもあるんですね。実を言うと、我々は、障害者団体にタッチできませんでした。その理由というのは、皆さんの前で申し上げるのはちょっとあれなんですけれども、INASという知的障害者のサッカーの世界大会が、20年ほど前に日本でありました。そのとき、うちの当時会長だった長沼健が障害者のサッカーのほうの理事もやっていまして、彼がそこに入っていたことによって、我々は主催者の一部、後援者の中に入りました。そのときに5億近い赤字が出たんですね。ずさんな会計で。それを、当時の大物の政治家の方と言うとわかっちゃうんであれですけれども、何とかサッカー協会が一部負担してくれと言われて、1億5000万近くのお金を負担しました。それすら我々にとって非常に大きなお金でしたけれども、そのあと困ったのが、ほかの障害者団体から、私たちにもということは言われてきました。そういうことがあって、当面の間は、ちょっと障害者からは離れようということでやっていましたが、今はその時期が来たので、やっと始めることができました。
(ビデオ上映)
 これは、ドイツで行われた知的障害者の世界大会です。これには多くのサポーターも来るぐらい、盛んなものです。
(ビデオ上映)
 聾者は、本当に静かな中で試合が行われます。審判もフラッグでやったりします。でも、プレーは全然変わらない子もいるんですよ。本当にうまい子たちがいる。
(ビデオ上映)
 パラリンピック種目になっています。ブラインドサッカーです。これは、去年リオの予選で負けたんですけれども。
(ビデオ上映)
 サッカーの7団体があるんですけれども、それを全て取り入れて、今、我々のサッカー協会の加盟連盟ということにしています。
(ビデオ上映)
 彼が、一番うまい子です。
(ビデオ上映)
 これは世界大会。この間、大阪でやりました。といっても、七、八カ国しか集まらなかった。もう全然変わらないです、これはもちろん。相手はペルーです。
(ビデオ上映)
 JIFFっていう、今、北澤君を会長にして、ここで動いています。やはりこういうグラスルーツからしっかりとやっていくこと、そして、障害をもっていてもサッカーはできるということを、僕らはしっかりと伝えていくということをしなければいけないと思っています。これが、やはりグラスルーツというのを広げて、そして日本代表を強くする一歩だというふうに思っています。
 そして、どうしてもサッカー協会というと、何か強くするためだけにやっているように思われがちですけれども、我々はキッズサッカーといって、毎年全国で70万人近く、子供たちのサッカーの活動もしています。やっぱりそれは、サッカーだけを強くしようということではなくて、4歳、5歳のときに芝生の上で寝転がって、転んだりしても痛くない、そういうものをしっかりと学ばせたい。そして、その子たちが野球選手になったり、バスケットボールをやったり、いいんですよ、ほかの種目になっても。でも、そういう動けるような習慣をそのときにつけたい。
 そして同じように、我々は、グリーンプロジェクトといって、ポット苗を育成しています。それを無償で配っています。幼稚園の園庭、そして小学校の校庭。中学校になると、ちょっとクラブ活動で使って、使えなくなるので。それとか、国有地にそれを植えてもらってサッカー場にする。
 実際、つい2週間ほど前に、茨城県で見てきましたけれども、ことしの4月にみんなで何万株のポット苗をつくり、そして2カ月育てて、6月にサッカーコート3面分に、1平方メートルの真ん中に1個ずつ植えていくんです。最初見て、これが芝生になるのかと思いますけれども、水やりを、スプリンクラーの施設等はつくらなければいけないんですけれども、市で非常にそこを協力してくださったこと、国有地を無償で借りていること。その国有地をなぜ借りたかというと、周りにイオンやケーズデンキだとか、そういうものがあって、これ以上そういう大型店舗をふやすと、本当にシャッター通りになってしまうということで、そういう戦略のもと、サッカー場をつくろうと。もう本当にきれいで、日本平と同じぐらいのきれいなサッカー場が3面できるということになりました。そういうことも含めて、我々はやっているところです。
 それは、あくまでもドリーム、夢があるからだというふうに思っています。このミッションステートメント、これはもう川淵が会長の時代からやってきたもので、やはり薄れていくんですね。やっぱり川淵がやって、2006年にはサッカー協会みんなで、そして全国でやってたのが薄れてきた。それをもう1回、僕は戻したいというふうに考えて、ことしの4月から活動しています。その1つがこの障害者であり、そして代表をどうするかというのは、今からお話しする部分です。
 我々日本サッカー協会は、プロレスだとかボクシングと違って、唯一のサッカー協会で、御存じのように、バスケットボールみたいに2つのリーグとかをつくってしまったら、すぐに資格停止になってしまうんです。ですから、そういうことを考えると、これを唯一の、自分たちはそういう組織のメンバーであるということを誇りに思ってやれるか、もしくはライバルがいないからいいかげんにやっててもいいやと思うか、どっちかだと思いますけれども、どうせ働くんだったらそれは前者で働いたほうがいいに決まっている。そのことをやはり徹底させなきゃいけないと思っています。
 我々はトップ10を目指すということを言っています。トップ10に入る意味というのは、ワールドカップで優勝したいということなんです。女子はトップ10に入っていたんですよ、ずっと。だから2011年に優勝できた。残念ながら、男子はまだそんなことは言えません。ですから、そういう意味で、このトップ10を目指していきたい。トップ10にいけば、何かのチャンスで優勝することができてくると思っています。
 それで常に代表チーム、ユースの育成、指導者養成、普及と、この4つの柱をしっかりとやっていかなければいけないと思っているんです。我々はメキシコのときに、クラマーさんがこの代表チームだけをやりました。もちろんほかにもいろいろやってくださったんですよ。でも、代表チームだけをやって、釜本さん、杉山さん、小城さん、森さん、みんなが育っていった。ところが、クラマーさんが去り、あの方たちが年をとっていったら、70年代、80年代、アジアでも二流の国になっちゃった。そのときには、ユース育成も指導者養成も大事だってわかってたんです。それをもう70年からやってるんですけれども、こういうものの結果が出るのは、やっぱり10年先、20年先なんです。
 それが、96年のアトランタオリンピックにまた出始めた。そのときが小野伸二であり、高原であったり、川口能活であったりした。彼らは、ちょうど93年のJリーグの開幕を見て育ってきた世代。そして、2002年のワールドカップが目標としてあった世代です。そういう意味では、そこのいい時代を過ごして、そこで、あの選手たちが偶然育ったわけじゃありません。やっぱりそういうもののパワーだとか、その意識があったし、我々も施策として海外遠征等にどんどん行かせた。中田英寿や宮本にしても。それによって、2002年のあとも10年は彼らが支えてくれた。
 でも、その後のところというのが、今、本田、長谷部、長友の下がちゃんと育っているかというと、これは我々の失敗でもあるかもしれない。失敗というとおかしいけど、やはり今、そういう意味ではタレントはいるんです。ところが、アンダー20が4大会連続出られなかった。今度出ます。17も久保とか活躍して、2大会ぶりに出ます。あの世代で世界を知っとくことが大事なんです。
 県で勝てばいいと、お山の大将で、ある高校でずっとやる。これはサッカーに限らない。そしたらやっぱりこの天井は、ここにしかいかないんです。だから我々は、例えばトレセンという制度で、もしくは国体選抜に行ったら、ジュビロのあいつ、うまいなって静岡県のやつが思う。そしたらこの天井がここに上がるんです。国体に行ってほかの県とやったら、大阪のやつでこんなにうまいやつがいたって、また上がる。これが世界にいったらもっと上がっていく。そういう意味では、その伸びしろを上げていく必要がある。県で勝つことしか考えてなかったら、やっぱりそこどまりになってしまうというふうには思っています。
 常に世界をスタンダードにしようとやってきました。常に世界との差を分析して、そしてその課題をどう克服していくかということをやっていきたいというふうに思っています。このことを常にやって、このサイクルを1回でもさぼったら、もうすぐ落ちます。もう実際にそうやって落ちる経験もしているわけです。だから、そのことを僕らは、もう一度やり直さなきゃいけないというふうに思っています。
 世界と戦うから見えてくることがたくさんあるんです。いろんな課題というのは短期、中期、長期に分けて、この何百、何千という課題をすぐに代表チームに落とす。例えば中期であれば、背の高いひょろひょろっとした子たちを、小学校や中学校で使うと勝てないんですよ。ところが、その子たちって後でスパートをかけてきて、大きくなって体の筋肉もついてくるんですね。中学校時代は、クラムジーという、ぎこちないという意味なんですけれども、大学の講義みたいになっちゃうんですが、人間の体というのはどこもテコの原理で動くんですよね。そのテコで、思春期のときに、縦軸が先に伸びちゃうんです。つまり、ひょろひょろっと骨が伸びていく。そうすると、これを支点、力点、作用点の式に当てはめると、ここが伸びちゃうと、今まで500グラムを持ち上げられたものが、今度は持ち上げられなくなってしまう。でも、一時期を過ぎると今度はまた筋肉がついてきて、これがもっと持ち上げられるようになってくるという、そういうようなことが、人間の体でも起こって、一時期ぎこちなくなる。そういうときの選手を使ってると、勝てないんですよ。中学校とかだったら、もう発育、発達が完了して、そこでがんがん走れるやつを使ったら勝てる。もちろん長友みたいに小っちゃいやつも必要だし、メッシみたいなやつもいるんですけれども、やっぱり吉田麻也だったり、ゴールキーパーも190ぐらい、西川だって小さいんですよね。だからそういう意味では、もう今、190ないといけない。そういう選手をどう育てていくかということを、僕らはやらなきゃいけない。
 日本の選手は判断できない。それはそうですよ。小さいときから、右から、左からシュートだとかって言われて、判断のプロセスが全部カットされて育っていくんですから。だから、小さいときはもっと失敗させようよとか、オーバーコーチングやめようとか、そういうことを言ったら、10年後には自分で判断できる子が育つかもしれないとか、いろいろありますけれども、こんなことをずっと分析して、僕らはやってきます。
 最近わかってきたことは、パススピードがどうだこうだというのは、世界のトップに追いつくためにやってきた。でも、実はピッチ以外のところもみんなすごいんだと。代表選手やユース選手でも、ジャージの着方1つ、スーツの着方1つにしても、やっぱり違うんですよ。立ち居振る舞いが。それは、例えばバイエルミュンヘンやバルセロナやアーセナルといったチームのユース選手だったら、周りから見られているんですよ。本来であれば、清水東だって、藤枝東だって、そうやって見られていることを意識して、常にやらなきゃいけない。
 昔、こんなことがありました。もう今はないですよ。浦和レッズの選手が、練習なんて1時間や2時間ですよね。ジャージ着てパチンコやってたら、パチンコ屋に来てた人たちが、おまえ、こんなことやってんだったら練習しろって、クラブに通報されたとか、そういうことがありましたし、でも、今はもうそんなことする選手もきっといないでしょう。
 そういう意味では、こういうようなことを意識し始めなきゃいけないというふうに思っています。つまり、どういうことが正解かわからない。でも、はっきり言ってサッカーがうまい、スポーツができるという子だけを育てていくと、やっぱり僕は世界で勝てないんじゃないかと思ってるんです。そのことをやはりやっていかなきゃいけないというふうに思ってるんです。
 僕らは、今、改めて僕は感謝したいんですけれども、静岡県議会、そして川勝知事、それから御殿場市長の若林さん、それから御殿場の教育委員会、そして今は裾野市の村市長初め、議会の方々なんですけれども、2011年の3月11日に、我々は、福島のJビレッジで被災しました。それで、4月に入学が決まったんですよ、静岡で。この恩というのは、僕は一生忘れませんね、あの時之栖の庄司会長も含めて。やはり、たった2週間程度で100名近くの生徒が、一気にその中学や高校に引き受けていただいた、この静岡県に対する御恩というのは、僕は忘れてはならないと思っていますし、今思うと奇跡だったなというふうに思ってるぐらいです。
 そのエリートアカデミーというのは、我々が自分たちで立ち上げました。もちろん必ずしもうまくいっているわけではないし、それからやはり、福島から静岡に、これは静岡が悪いわけじゃないですよ、移ったことによってよくなった面で言うと、圧倒的に地理的によくなったんです。いろんな強豪チームと試合ができるようになった意味では、すごく我々は助かってます。Jビレッジにいるときって、夏休みはいろんなところから来てくれたんですけれども、ふだんはなかなか試合ができませんでした。そういう意味では、非常にいい環境ができたと思っています。
 僕らは、サッカー以外のどんなものを、考えなきゃいけないかというと、やはり世界でプレーする選手を育てたい、世界で通用する選手です。もちろんJリーグで通用しなきゃいけないわけですけれども、ロジカルコミュニケーションスキル――言語技術というのは、つい四、五年前の、この前の学習指導要領で、小・中・高に全て入りました。たしか、言語活動の充実という言葉で入ったと思います。ただし、実際には国語の教科書に若干そのページがふえただけであって、誰が教えるか、何時間教えるか、そういうことをやっていないんですね。
 実際に、ドイツなんかの言語技術ですと、ディベートが入ってきます。ディスカッションとディベートはもちろん違います。もう皆さん御存じだと思います。それから、再話、聞いた話を短くまとめて発表する。アセンブリー、自分に与えられた時間で発表する。ここにいらっしゃる皆さんはそういうのがお得意な方だとは思いますが、なかなかスポーツ選手はそういうことができない。
 でも、海外に行ったら、例えば長谷部選手なんかもう、しっかりとドイツ語しゃべれます。英語もしゃべれます。本田もそうです。日本で代表選手だったらあうんの呼吸だったり、俺代表なんだからおまえら俺の言うとおりやれ、俺の思うことわかれよと、そういうようなことで通用しますけど、アフリカの選手、ブラジルの選手、ドイツの選手、イタリアの選手、フランスの選手がいて、あうんの呼吸なんかあるはずがない。ちゃんと言語なのか、もしくはノンバーバルで動きだとか、そういうもので示さなきゃいけない。そういうコミュニケーションスキルというのを、僕らは大切にして、今やっているところです。
 日本語というのは、やはり言語的に、伝達するのは不利な言葉です。それは、例えば主語を省略しても、書き言葉とはまた違いますけれども、通じてしまうとかですね。察する言語なんです。よく例に出して申し上げるんですけれども、自分の子供が、たまたま妻の関係でマレーシアのインターナショナルスクールに行ってて、電話をかけてお母さんいるって言うと、彼はいるよとしか言わない。お母さんいるって。普通、日本の子だったら、じゃあかわるねってかわる。これは察してくれるんです。子供も、家に帰ってきて、お母さん、のど渇いたって言う。ドイツのお母さんだったら、あ、そうで終わりですよ。日本のお母さんだったら、麦茶にする、牛乳がいいのとかって言ってくれる。やっぱり日本語ってそれで通じてきてる。これは島国だったからかもしれない。
 でも、それが今度世界に行ったら、自分はこうしたい、ボールを左足にくれ、なぜなら自分は左ききでここにもらえばすぐシュート打てるからって伝えなきゃいけない。自分はボールを真下にコントロールした、周りに人がいて取られないようにしたいから。自分はここに走ってほしい、おまえ走れよ、なぜならおまえが左でクロス上げられるからって。全部、それは伝えなきゃいけないんです。それは、逆に言うと、伝えるっていう言葉だけじゃなくて、いつもそのことを考えながら、常に判断する人間じゃなきゃいけないんです。それをドイツの子供たちは1試合の間に、もう何十万回って判断してる。ところが、日本の子供たちは、蹴れ、シュートだとかって言われて考えずにやってる。その癖がついてしまっていることが一番問題だというふうに思っています。
 だから、外国語ができればそれにこしたことはないし、でも、そういう意味では日本語なんですよ、はっきり言って。論理的に考えるということをやらなきゃいけない。これは世界で戦うから見えてきたことなんです。このことというのは、別に、サッカーのことだけじゃないですよね。もう今、日本中がそのグローバルという言葉の中で、例えば英語を公用語にしている会社もあるぐらいですから、そういうのが当たり前になってきた。でも、実際に池袋の居酒屋へ行けば、日本語が通じない人がいっぱいいて、しかも新しく入ってきたら、普通は布巾で拭くだろうと思っても、拭いてくれないから、しょうがないからちょっと拭いてって言わなきゃいけない。やっぱり日本人ってそういう中で生きてきたんです。これがもう、言わないと通じないような世界になってきているということを、僕らは知らなきゃいけないし、世界で活躍するサッカー選手になろうと思ったら、そういうことをやらなきゃいけないと思っています。
 一番僕が困るのは、やはり、微妙とか、別に、を許すということなんですよ。これは何がいけないかというと、サッカーで言ったら、何も知らずに、何も考えずにプレーしてる子をふやすことなんです。これは思考の放棄になってしまうんです。サッカーは楽しかったかって、うちの子に帰ってきて聞いて、別になんて言おうもんなら、もう許さないですね。別にっていうのが、先生に頭にきたり、もしくは親に頭にきて言うのはわかるんですよ。でもそうじゃなくて、これを許してたら、サッカーが楽しかったか、楽しくなかったかがわからなくなってしまう。きょうはシュートを外して楽しくなかった。きょうはシュートを決めて楽しかった。いろんなことがあることを常に言っていく。この思考の放棄になってしまうことを、僕はよくないというふうに思っています。そういう意味で、自分が判断する、自分で判断できないやつは、通用しないんですよ。そういう選手を育成していくことを考えていかなきゃいけないと我々は思っています。
 サッカーって、唯一の答えがないんですよ。まだ野球のほうが、ある程度、シチュエーションが決まって、2アウトで何塁にいたら、次はバントかな、いやヒットエンドランかなとか、自由に打たすかなとかあるけど、サッカーの場合って、ボールを持ってどう動こうが、11人が自分勝手にやるしかない。我々は戦術や監督の方針等をしっかりと伝えて、その中でやるんですけれども、最後は自分で判断する選手を育てなきゃいけないということです。でも、ロジカルシンキングで一番簡単なのは、私はこう思う、その理由は、ということなんですよ。ただ、自分の理由を常に言う癖ってつけてないんですね。反対ですか、賛成ですか、いや、反対ですって言ったら、やっぱりその理由、ちゃんとなぜならが、なきゃいけないという、これは当たり前のことなんですけれども、日本の中の言語技術では育ってなかったのは事実です。
 そして、タフな心身をつくらなきゃいけないと思っています。そういう意味では今、時之栖で御世話になり、男子はまだすばらしい環境ではありません。女子は帝人さんと組んで、すばらしい環境のほうに、引っ越しをさせていただきましたが、将来的には、もしかすると20年、21年ぐらいには、まず男子からJビレッジのほうに帰っていくということをするのも、我々は視野にいれなければいけない。これは、今まだ地震等が起こっていますが、福島県のあの浜通りの復興ということを考えると、あそこにJビレッジ、サッカー、そしてアカデミーといった子供たちが戻らなければ、本当の復興にはならないと思っています。今後、静岡県協会とも話しながら、福島にアカデミーが移ったときには、このアカデミーが静岡として残るのか、残らないのか、同じ時之栖でやるのか、やらないのか、そういうことも含めて、幸い東部地区、清水、そしてジュビロと、それぞれの地区にプロチームがあるすばらしい県ですし、川崎フロンターレやマリノスからもすぐのところです。そういう意味では、いろんな形での継続が可能かというふうには思っています。
 問題解決能力をやっぱりふやさなきゃいけないと思っています。やはり、フェアプレーです。誠実でなければいけないと思っています。そして、正義感があるというのは、日本人のすばらしさだと思います。徳川260年の間に、あの戦国時代が続いていたら、きっと賄賂だなんだというのはもっと日本の中ではびこったり、八百長をやったりするやつがいたかもしれないけれども、日本は幸いそういう文化が、ほかの国に比べたらないというのがすばらしいし、そういう選手でなければいけないと思っています。そしてリスペクト。文化とか歴史、未来をリスペクトする選手をつくっていきたいというふうに思っているんです。
 やっぱりこういうことは子供たちのことでやっていきたいんですけれども、皆さんにちょっとこれは見てもらいたいんです。なでしこがなんで勝てたかということを皆さんにお伝えすると、なでしこビジョンというのをつくってくれたんです。サッカーを2015年までに、日本女性のメジャースポーツにする。女子バスケットボール、女子バレー部はあるけれども、女子サッカー部はないんですよ、中学、高校に。それをふやしていきたいと。なでしこジャパンを世界のトップクラスにするって言ってたんですけれども、トップクラスにしちゃいました。だから、次の目標を考えなきゃいけない。世界基準の個を育成するということですが、今、新しくしているのは、サッカーを女性の身近なスポーツにする。今、100万人のサッカーの選手登録の中で、女子はたった4.7%です。明らかにこれはふつり合いです。せいぜい3対7だとか、それぐらいまでに持っていきたいなと思っています。
 そして、女性が輝く社会にしていきたいというふうに思っていますが、僕は一番うれしかったのは、なでしこらしさというのを、ひたむきで芯が強くて明るくて礼儀正しい。こういう選手を育てよう、こういう選手になろうという目標をつくってくれてやっていること。このことがやはり成功の理由だったんじゃないかと思いますし、もう一度、一からこういうことをやっていきたいなというふうに思っています。
 皆さんのもとにお配りいたしました。これから数年後にわたって多くの世界大会が行われます。サッカーの部分で言うと、2016年クラブワールドカップ。2017年にはアジアの冬季大会が行われます。そして2019年にはラグビーのワールドカップ、世界柔道選手権、バレーボールのワールドカップ、そして女子ハンドボールが熊本で。2020年には東京オリンピック、御存じのとおりであります。そして、FIFAのフットサルのワールドカップをお隣の愛知県、大村知事が非常に熱心に手を挙げてくださって、まだこれは決定しておりません。そして、21年にはワールドマスターズゲーム、世界水泳選手権が福岡であります。そして、23年にはFIFAの女子のワールドカップを日本でやりたいと考えております。そして、2024年には、お隣の愛知県でアジア大会が開かれる予定です。そして、札幌では冬季のオリンピックをもう一度やろうとしているところです。
 こういうターゲットを考えると、やはりぜひ静岡からそういうオリンピックで活躍する選手、世界大会で活躍する選手を長期的な視野で育成していただけるようお願いできればというふうに、これはサッカーじゃなくて構いません。野球のWBCもあります。それから、さまざまなスポーツ、そしてやはり陸上、水泳といったメインとなるスポーツが静岡で復活することというのは、日本のスポーツ界にとって大きなエンジンになるんじゃないかというふうに思っています。ぜひ、お願いし、勝手ながら、きょうこの時間の中で、皆さんにお伝えさせていただきました。ありがとうございました。

○山田委員長
 はい、どうもありがとうございました。以上で、田嶋様からの意見陳述は終わりました。
 これより質疑に入ります。委員の方々にお願いします。質問はまとめてするのではなくて、なるべく一問一答方式でお願いいたします。
 それでは、御質問、御意見等ありましたら、発言を願います。

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