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委員会会議録

委員会補足文書

開催別議員別委員会別検索用


平成26年11月次世代人材育成特別委員会
静岡文化芸術大学文化政策学部 教授 池上重弘氏 【 意見陳述 】 発言日: 11/17/2014 会派名:


○池上重弘氏
 皆様、おはようございます。
 ただいま御紹介いただきました、静岡文化芸術大学の池上でございます。
 まず、こういう機会を設けていただいて、お招きいただいたことを深く深く感謝いたします。
 恐らく県議会の委員会で、多文化共生に関する公式のヒアリングがなされるのは、静岡県議会始まって初めてのことと思います。そういう意味では、非常に貴重な機会に浴したことをうれしく思います。また、ことしというのは、いろんな意味で、多文化共生は場が動いている局面であるという認識を持っていただきたいと思っております。きょうの話の中でも紹介しますけれども、ここ三、四年、静岡県の中で育った外国につながる子供たちが、大学に進学をするようになってきています。これは、10年前は考えられなかったわけです。そういう状況が今、静岡県内で起きていて、国内でも静岡県はトップクラスの動きを示しているという状況の中で、きょうは50分の時間をいただけることを、とてもうれしく思います。
 まず、座って簡単に自己紹介をしたあと、スライドのほうに入ってまいります。
 今、渥美先生から御紹介いただいて、私はもともとはインドネシアの研究をしている文化人類学者でした。北の北海道の生まれ育ちだったわけですけれども、縁あって当時浜松の静岡県立大学短期大学部、県短という略称で親しまれていましたが、その県短に1996年着任いたしました。親戚縁者、友人、知人、誰一人いないところへの着任だったわけであります。そこに着任してから、浜松は外国人の方が非常にふえていると、いろいろな課題もあって、一方、全国でも有数の取り組みをしているということは知っていましたので、その研究を始めたのが1996年であります。ほぼ20年前。その後、浜松にずっと身を置きまして、2000年開学の静岡文化芸術大学には開学前からかかわり、現在もずっとそこに奉職しております。
 現在では、インドネシアの研究は、パーセントで言うと本当に数パーセントで、研究のアウトプットのほとんど全てといっていいと思いますけれども、これが多文化共生の分野になっています。
 それから、私の場合の研究のアウトプットというときに、いわゆる一般の学者と違うところは、論文を書く、本を書くということ以外に、生身の文脈とかかわっていくというところです。例えば静岡県であれば、静岡県多文化共生審議会というのがございますが、そこも今、副委員長ということでかかわっていますし、湖西、浜松、磐田、掛川といったところでは、行政の市長部局ないし教育委員会の関係の多文化共生、外国人の子供の関係の委員会の座長、会長等を務めております。また、つい先週ですけれども、外国人集住都市会議というのが東京でございました。これは静岡県内でいうと、先ほど言った自治体のほかに、菊川、袋井も入っていますけれども、全国26の主に日系人が多いまちがつくっている基礎自治体の合議体で、そのアドバイザーももう10年近く務めているというところでございます。また、外務省、総務省、内閣官房などの部分で、外国人の受け入れであるとか、難民の受け入れ等に関する会議体でも、話をさせていただくことがございます。何を言いたいかというと、自分のいわゆる肩書を自慢したいのではございません。私の場合は、本当に庶民レベルでいうと、公民館であぐらをかきながら地域の皆さんと意見交換をして、酒を飲みながらやる場から、中央省庁の中枢部分にかかわるような委員会も顔を出していて、さまざまな場面で行政の推進役の方々、あるいは地域の方々、外国人当事者とも接しております。
 実は今、今週も、磐田市で外国人が集住する団地で大規模な調査を行っています。この土日も学生たちはその調査をしてきましたけれども、そういった実態も見つつ政策にもかかわるところに、深く関与しながらアウトプットをしていると。そういう立場から、きょういただいたお時間の中で話をさせていただきたいと思っております。これが私のいわば立ち位置ということになります。
 それでは、パワーポイントを皆さんに御覧いただきながら、話を進めてまいりたいと思います。
 きょうは、多文化共生社会で期待される青少年像、最近の動向と今後求められる教育や施策ということで、お話を進めてまいります。
 本日は、この5つの柱で話を進めたいと思います。
 きょうの講演の目的をお話したあと、統計に見る日本で暮らす外国人ということで、本当の直近でいうと、ことし6月末のデータが出ているんですが、基本的な趨勢は昨年12月末と大きく変わっていませんので、12月末のデータを少し分析したいと思います。
 それから、教育をめぐる課題と対応ということで、余り一つ一つを細かく見ていく時間はないんですけれども、外国人の青少年、あるいは、そういった子供たちがふえてくる教育現場の課題や対応について概観します。
 きょう私が、皆さんに強くお伝えしたいということは4番目になります。ニューカマー移住第2世代の台頭ということで、これが先ほど冒頭で申し上げたように、ここ数年、極めて顕著に起きています。そして静岡県が、いわばそのトップランナーといっていい顕著な動きであります。
 ニューカマーというのは、いわゆる在日のコリアンの方々と対比する意味で、1980年代以降ふえてきた、最初はフィリピンの方などが多かったんです。静岡県についていうと、やはり90年代のブラジル、ペルーの方、それに先立ってベトナムの方などもふえていますけれども、戦前の植民地支配より、それに関連する動きとしてやってきた在日のコリアンの方々ではない動き、これをニューカマーというわけです。その移住第2世代が、今、社会に向けて発信し始めている。そういう状況認識をしております。生まれた場所は日本であったり外国であったりするわけですけれども、親と違ってこの国で教育を受けた新しい世代が、日本語で日本の社会に向けて発信し始めている。新たな動きを展開している。このことを、どうやって私たちの社会の活力に生かしていくか、これが極めて重要な課題であると、私は思っております。
 それを前提に静岡県に求められる施策ということで、幾つかの具体的な提言というか、考えていく際の視点のようなものを、最後にお示ししたいと思っております。
 それでは、本日の講演の目的であります。
 基本的には、先ほど言った内容をもう1回繰り返すことになるのですが、日本で暮らす外国人の様子ということで、かつての外国人登録者数、現在の在留外国人数をもとに、その推移を見てまいります。
 ここでのポイントは、20年前、100万人だった外国人の数が、現在、200万人を超えている。リーマンショック、震災を経て、動きは一旦減少に転じたんですけれども、ここ一、二年、また増加に転じている。そして、恐らくアベノミクスによる新たな政策の展開以降、その数はまたふえていくだろう。ただし、その内実を見てみないといけないのだということを、ここでお話したいと思います。
 教育をめぐる課題と対応では、外国につながる子供たちが置かれた状況を、幾つかの論点で御紹介するとともに、保護者層の二極化ということをお話したいと思っております。これもやはりここ数年出てきた非常に新たな動き、そして、これはどちらかというと、顕著であると同時に憂慮すべき動きの1つでもあります。若い世代による新しい動きということで、とりわけ浜松地域で、私は地殻変動という言葉を使っていますけれども、これまでなかった新しい動きが出ていると、それを幾つかの具体例をもとに紹介したいと思います。
 青少年の未来のために、学校あるいは教育現場の内と外で求められる施策をお話したいと思います。
 まず、簡単に統計を見ていきましょう。細かいことは、きょうは時間がありませんので触れませんけれども、日本で90日以上、ざっくり言って3カ月以上滞在する外国人は、在留資格を取らなければいけないわけですが、その何らかの在留資格を取っている人たちというのは、統計であらわれております。これが1990年、入管法改正、正確に言うと改正入管法の施行ですけれども、そのころは100万人だったのが、ずっとふえて200万人を超えた。220万人ぐらいまでいった。これが2008年リーマンショックのあと減ったけれども、最近また少しふえているという状況であります。220万人、230万人というのは長野県とか宮城県とかの規模です。日本でいうと十六、七%、そのくらいの数の外国人が日本に住んでいるということであります。国籍別に見ると、韓国、朝鮮の方々はピーク時70万人ぐらいから、今、50万人近くまで減っています。少子高齢化であるとか日本国籍を取得といったこともあって、在日の方々は減っています。もちろん韓国、朝鮮、とりわけ韓国から来る留学生などおりますけれども、趨勢としては減っている。それに対して中国の人たちが非常にふえている。これは顕著であります。留学生であったり、あるいは技能実習生であったり、日本人と結婚したり、あるいは日本の大学、大学院を出て、日本の企業で働いて永住ビザを取るというような人たち、さまざまな入国経路、それから日本での暮らしのあり方もあって、総数でいうと2000年代の後半に韓国、朝鮮を逆転して、今もうトップであります。
 次に、ブラジルを御覧ください。静岡県においては、やはりブラジル人の比率が一番高いわけなんですが、これが1990年、改正入管法施行以降ふえて30万人を超えたんですけれども、リーマンショックのあと急激に減って、現在もその減少傾向には歯どめはかかっていません。ガクンと減っている様子がここでおわかりいただけると思います。恐らく先生方が、とりわけ中部、西部の先生方の場合には、御自分の選挙区のあたりのですね、ブラジルの人は減っているよという話は耳にされていることと思います。
 もう1つ、この図で顕著なのはフィリピンの増加です。よく見るとフィリピン人が、現在、全国ではブラジル人を凌駕しております。実際、学校現場でも、フィリピンの子供たちがふえているよという話をよく聞くんですね。この点もこのあと考えたい、非常に重要なポイントになってまいります。
 直近のところを少し拡大したのがこれで、ブラジルの減少に対するフィリピンの人たちの増加が、この図からも読み取れます。さらに、ここまで拡大するとわかるんですけれども、下の水色が最近ぐっと伸びているのがあります。これはベトナムです。ベトナムは技能実習生で入ってくる人たちがふえていて、恐らく現在、安倍政権で言っている外国人建設就労者、あるいは技能実習制度の拡張ということが進むと、来年度4月からですけれども、このベトナムがもっとふえていくだろうと。ただし、これは単身でやって来る主に男性なので、家族形成、教育の問題、福祉の問題というような、いわゆる定住型の外国人の課題とは、少し違った課題になってこようかと思います。でも恐らく静岡県内でも、実習生としてベトナム人の姿がふえていくことになろうかなと思います。
 これは今のグラフの根拠となった数字ですので、細かいのでここでは触れません。1つだけ御覧いただきたいのは、対前年比で2009から、わかりやすくいうとリーマンショックのあと、ブラジルがマイナス14.5、13.6と10%を超える減少をして、そのあとも8.5、8.9と非常に顕著な減少をしているということであります。対して、すぐ下を見てみると、ベトナムが2011から12が17.8%、12から13が38.0%というふうな、絶対数はまだ少ないですけれども、その増加の傾向が顕著であるということがおわかりいただけるかと思います。
 さて、国籍ごとの数だけではなくて、どういう在留資格でいるのかということが極めて重要であります。これは2000年末、2005年末、2010年末と5年で区切って、永住資格を持っている人たちの数と比率を示した表です。永住資格というのは、あくまでも国籍は外国籍のまま、つまり日本国籍に帰化せずに永住資格を持って、住みたいと思えばずっと日本で住んでいけるという資格です。これは、例えば銀行でローンを借りられるとか極めて安定した在留資格ですけれども、特別永住者、これが在日のコリアンの方が主ですけれども、30%、22%、19%と減少しているのに対して、一般永住、最初、日本には何らかのほかの在留資格で入ってくるんですが、そのあと条件を満たして永住ビザを取る人たちが、2000年末、8.6%、2005年末、17.4%、2010年末、26.5%というように、明らかにふえています。2000年代に入ってから永住ビザ取得者がふえていると。ブラジルの人たちについても、実は数は減っているのですが、その中で永住資格を持っている人の比率はふえているということが言えます。
 これが2013年12月末、法務省資料をもとに比率を示したものです。法務省の資料は、数が多い順になっていますが、このグラフは少しそれを加工しまして、いわゆる定住型の人たち、それをまとめてみました。
 在日のコリアンは主な特別永住者18.1%、永住者は31.7%です。先ほど26.5%だったのを御記憶ですよね。それが31.7%に、やっぱりその3年後ぐらいでふえているわけです。つまり永住資格を持つ人たちが、日本に200万人近くいる外国人の半分いるということです。さらに定住者、日本人の配偶者という人たちがいます。日本人の配偶者等というのは、例えば日本人男性と結婚したフィリピン人がこれに当たりますし、日系の2世の人たちが、日本人の配偶者等というふうに分類されます。いわゆる日系の3世は定住者となるわけです。日系2世、3世、この日本人の配偶者等や定住者という人たちは、住む場所に制限がありませんし、就労にも制限がありません。つまり、どこに住んでどの仕事をしようが自由であるという形。この人たちは、よほど問題がなければビザの延長は可能で、何回か延長して家族全員が条件をクリアすれば、永住ビザをまとめて取るというパターンが非常に多いです。つまり永住者予備軍といってもいい。そうすると特別永住、永住者で既に永住資格を持っている半分に、永住者予備軍といっていい人たちを合わせると、その数が66.1%、すなわち3分の2、日本で暮らす外国人の3人に2人は、永住者ないしその予備軍であるということです。もちろん永住ビザを持っているから日本に永住するとは限りません。年とったら帰りたいなとか、何らかの理由で仕事を失って帰るという人もいますけれども、3分の2が日本でずっと制限なく暮らしていける状況にあるということです。
 今、中央の議論は、いかに外国人労働者を受け入れるか、その人たちを定住させないかということ。これは、あくまでも期間限定の施策であって、パーマネントな永続的な移民における施策ではないのだということを、政府は口を酸っぱくして言うわけですが、その受け入れの議論とは別に、既に実態として日本で暮らす200万人近い外国人の3分の2が、永住ないしその予備軍であるということ。このことをぜひ御確認いただきたいと思っています。また、留学生が9%、約10人に1人ですけれども、最近では留学生もその多くが日本で就職したい、あるいは日本でのキャリアを踏まえて、母国で活躍したいということを言う人たちがいます。実は、きのう、静岡県の国際交流協会である打ち合わせをしました。そこでは元留学生の韓国人と、現在県立大の留学生のミャンマー人の2人と話をしましたけれども、1人は既に製造業の企業で働いていて、もう1人は東京の企業ですけれども、全国的な企業で働くということを言っていました。したがって留学生も留学を終えて就職して、そのあと人によっては、日本人と結婚したり永住ビザを取ったりということがあり得るということで、この実態をぜひ地方の現場では、頭に置いて施策を考えなければいけないだろうと思っています。
 静岡県は、全国で見ると何番目でしょう。8番目、東京がずば抜けて多い40万人ですけれども、静岡県が7万5000人と、かつて10万人ぐらいいたのですけど、やはり減ってはいます。減ってはいますけれども、やはりベストテンくらいには入ってきます。こういう状況。さらに、先ほど申し上げたように、ブラジルの人たちの比率が減ったけれども、やはり高いし、その人たちの永住志向というのは極めて強いということ。これを、このあとの話の前提として共有したいと思います。
 それでは、教育をめぐる課題と対応ということで、ここからきょうの本題に入ってまいります。
 まず、多文化共生という言葉について、簡単な解説をしておきたいと思います。
 実は、今、磐田市の団地で行っている調査で、3つの言葉について、皆さんこれ御存じですかという質問を設定しています。それは男女共同参画、ユニバーサルデザイン、そして多文化共生という3つの言葉です。結果はまだ出ていませんけれども、例えば男女共同参画というのは、さすがに大分広まってきた。ユニバーサルデザインというのも何となく物のイメージがあるものですから、比較的イメージしやすい。対して、多文化共生というのはどうもよくわからない。わかりにくいという面があるのかもしれません。多文化共生という考え方についていろんな定義がありますけれども、行政関係ということで言うと、2006年総務省が出した多文化共生推進プログラムにはこう書いてあります。「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」、国籍や民族の多様性、多文化の承認、対等性、地域社会での参加の主体となってもらう、こういったことが盛り込まれています。
 また、2004年外国人集住都市会議が豊田で会議を行ったときに、そこで採択した豊田宣言にはこう書いてあります。「日本人住民と外国人住民が、互いの文化や価値観に対する理解と尊重を深めるなかで、健全な都市生活に欠かせない権利の尊重と義務の遂行を基本とした真の共生社会」ということが書いてあって、基本的なところは似ているんですけれども、基礎自治体がつくっている外国人集住都市会議では、権利の尊重、義務の遂行というところがかなり大きく出ていた。こういう違いがあります。けれども文化の多様性を認めていきましょう。相互理解、相互尊重を図っていきましょう。権利の尊重、義務の遂行を前提とした上で、外国人の社会参加を進めていきましょう。それが、ひいてはこの国の社会の活力につながっていく。この国の社会のあり方として、こうするほうがいいんだという大きな前提があるわけです。
 ちなみに、この多文化共生推進プログラムがいわばひな形となりまして、静岡県内では、磐田市が最初に多文化共生のプランをつくりました。そのあと掛川市、湖西、菊川などもつくっておりますし、浜松はこの多文化共生プログラムというのとは別に、最初、世界都市化ビジョン、昨年から、多文化共生都市ビジョンということで、独自の流れでつくっています。つまり何を言いたいかというと、2006年の総務省のこのプログラムが出たあと、全国の都道府県で、また、市町村で、こういうプランに乗っかった多文化共生の推進の枠組みというのが続々とできているということです。静岡県も当然こういったものをつくっております。
 では、それはどういう施策からなっているのかということですけれども、この図をごらんください。日本に限らず外国人政策というのは2つの柱がございます。
 1つは出入国政策、もう1つは社会統合政策であります。この図で見ると外国からある国に人がやってくる。その人たちをどのように受け入れるか受け入れないか、受け入れるときにどんな条件で受け入れるか、これが出入国政策であります。
 その入ってきた外国人にどんな政策を展開するのか。そして受け入れ社会側にどういう政策を展開するのか。これを社会統合政策と一般に呼んでおります。
 この2つを少し解説するとこうなります。
 出入国政策というのは、外国人受け入れの量的、質的コントロールに関すること。つまり、どのような外国人をどのような規模でどのような条件で受け入れるか。例えば二国間条約で国を限定するのか、あるいは、今の日系人の受け入れのように国は関係ない、日系ということを証明できればそれでオーケーするのか、あるいは何らかの技能を持っている人というのを得点化して受け入れるのか。いろんなやり方があります。どういう規模で、年間3万人とか、条件全く関係ないとかを決める。どんな条件で、3年間で帰ってもらいますとか、5年間いられますとか、1回入ってくれば基本的にはずっといてもいいですとか、そういう条件を決める。これが出入国政策です。
 入ってきた外国人に対して、外国人側への政策と受け入れ社会側への政策を展開するのが社会統合政策で、これは入国した外国人を、社会における対等な構成員として受け入れるためにはどうすればよいかということを、多方面にわたって考えていく政策です。
 この2つの柱が、いわば車の両輪としてあるべきなんですけれども、日本の場合は、出入国政策はあります。根拠法として出入国管理及び難民認定法、いわゆる入管法というのがあるわけですね。ところがもう一方の柱、社会統合に関してはどうか。これは社会統合基本法とか多文化共生基本法というのがございません。男女共同参画基本法というのはあるんですけれども、多文化共生基本法というのはないんですね。したがって、国としての統一的な根拠法はないので、地方の取り組みのほうが先行していました。例えば県下でいうと、浜松市などは何といってもそのトップランナーでありますし、また、人口規模がさほど大きくないけれども、また、政令指定都市ではないけれども、地域住民が非常に主体的にかかわるという意味では、磐田市の取り組みなどは、これもまたある意味では日本のトップクラスだと言えるわけです。
 日本の場合は、その社会統合の取り組みを、多文化共生ということができると思います。つまり欧米であれば、社会統合の政策と言っているものが、日本の場合は多文化共生という言葉で言っているわけです。その広がりは労働政策では雇用や労働保険、社会保障政策では医療や年金、生活扶助、住宅保障、教育政策では子供に対する教育や大人に対する公用語習得の教育機会の提供、受け入れ社会に対する政策では人権尊重や異文化理解促進、あるいは人種差別反対と。昨今のヘイトスピーチへのいろいろな動きを見てみると、やはりこの受け入れ社会に対する政策も、大事だということがおわかりいただけるかと思います。
 こういう幅がある中で、教育政策面の課題と対応をこれからお話してまいります。
 外国人の子供と義務教育の関係については、憲法第26条にこう定めてあります。教育を受ける権利、子供に教育を受けさせる義務というのがあるんですけれども、また、教育基本法第4条、9年間の義務教育と書いてあるんですが、これは日本国民、日本国籍者に限定されているという前提があります。
 文部科学省の見解は、外国人の子弟には就学義務が課せられていない。公立小中学校への就学希望の場合は受け入れる。授業料は取らない。教科書は無償で与える。これは日本人児童生徒と同様に取り扱うということで、義務ではないけれども希望があれば受け入れます。その場合の条件は日本人と同じですという、こういう基本的なスタンスになります。また、1991年、在日韓国人の法的地位及び処遇に関する覚書以降、外国人にも就学通知を送るようになってはきました。したがって、実質的な公立の教育機関への接続というのは、大分、実現していると考えています。けれども義務化されていないので、いわば網の目を抜けて落ちてしまうように、公立学校でも外国人学校でも学ばない、いわゆる不就学の子供たちというのが出てきております。
 では、関連する国際条約ではどうか、これは国際人権A規約、いわゆる社会権規約、それから児童の権利宣言、児童の権利条約といったものに、初等教育を義務的なものとし、全ての者に対して無償のものとするという取り決めがございます。したがって、国際法において、こういうことが書いてあるので、日本の場合もやはり初等教育、義務的なものとすべきだという議論が一方であります。
 義務化そのものについては反対の意見はないんですけれども、日本の場合は特殊、政治的な事情もありまして、それではどこの学校で学ぶことを義務と認めるかというところで、外国人学校の多様性、朝鮮人学校でいいのかブラジル人学校でいいのか、あるいはどういう学校であれば義務の対象として認めるのかといったような議論で、まだコンセンサスを得ていません。こういったところが課題として残っております。
 それでは、これから4つのポイントで、基本的人権としての教育を受ける権利について見ていきたいと思っております。
 基本的人権としての教育を受ける権利と、今、何げなく言いましたけれども、このことをかなり強く意識している県がございます。三重県がそうです。三重県の場合は、子供たちがたとえどういう状況であれ、今ここに地に足をつけて生活していると、そういった子供たちが義務教育の段階にいながら義務教育を受けることができないというのは、人権が保障されていない状況なのだという、非常に明確な哲学のもとに施策を展開しております。
 それでは、この4つについて簡単に触れていきましょう。
 学校への適応ということですけれども、まず、外国の子供たちは、最近は大分定住する人もふえてきましたが、やはり移動する子供たちであるということ。国境を越えた移動あるいは国内での移動が顕著であります。異なる文化、生活環境をまたいで生きています。将来の不確実さ、不安があって、どうしても勉強に集中できないという子供たちもいます。こういった子供たちには、母語でのサポートやカウンセリング、あるいは一人一人の状況を把握して、居場所をつくったり心のケアをするということが大事になってまいります。
 保護者との関係でいうと、仕事に忙しく子供と向き合う時間がなかなかとれない。日本の教育制度についての理解が不足している。言葉の壁があるということで、翻訳資料はまず必要ですけれども、ただ資料があるだけで、やっぱりなかなか中身を理解してもらえない。きめ細かな面談、家庭訪問など、そういった情報提供が必要です。
 日本の学校に子供が学んでいて、いわゆる教育熱心なブラジル人のお母さんたちですら、御本人はまだ日本で高校入試や大学進学をしたことがないものですから、そういった日本人だとよく知っている教育をめぐるさまざまな情報がわからないと言います。それは、つい先月の浜松市で行われた会議でも、極めて熱心な日本語でしゃべるお母さんが、やはり私たちも日本の教育制度はよくわからないということを話されていました。
 言葉の壁です。いわゆる生活言語と学習言語とよく言われるんですけれども、子供たちが休み時間になると、それこそ遠州弁を使って遊ぶわけですね。だけども教室の中に入って、少し抽象的な概念になるとわからない。例えば一緒に虫を取って遊んでいた子供たちが、カブトムシというのが昆虫の一種なんだということがわからない。カブトムシという1対1のものはわかるけれども、昆虫という類概念がわからない。さらに昆虫や花、植物を集めて生物だという抽象的なことになってくるとわからない。こういうようなことはしばしば言われます。
 ダブルリミテッドは、両方が制限されたという言葉ですけれども、これも深刻な課題としてあります。ポジティブに言えば、例えば本学の学生たち、このあと紹介しますけれども、日本語とポルトガル語はできる。それどころか英語もよくできて韓国語もできるなんて子もいます。そういう子がいる一方で、日本語も不十分のみならず、母語であるはずのポルトガル語も不十分、簡単な会話はできるけれども読むことができるかというと、読めないというような子供たちがいます。
 エピソードを1つ紹介します。先日、静岡県の西部のあるブラジル人が経営するピザ屋さんに行きました。そこに求人のチラシがあるんです。それはポルトガル語で書いてあります。場所はどこ、時給は幾ら、どんな業種とか、そこに片仮名で簡単な日本語で書いてあるんです。時給幾らとか仕事の内容とか、何を意味するかというと、そのポルトガル語を読めない若者層が出始めているということです。これがまさにダブルリミテッドであります。つまり抽象的な思考を何らかの言語でできない人たちが、この国で今、少しずつふえていて、さらにそういう人たちが今、家族形成を始めています。親になりつつある。これは実は日本の近代において、ほとんどなかった状況だと思っています。確かに在日のコリアンのお母さんたちの中には、字を読むことを学ぶ機会がなくて、そのまま年齢重ねていって、字が読めない在日のおばあちゃんたち、おじいちゃんたちはいます。けれども彼ら彼女らはきちっとハングルで話ができるし、韓国の文化にのっとって子育てをしてきた。生き様の芯というのを持ってきたわけです。ところが今この国で生まれつつあるダブルリミテッドの子供たちというのは、若者もいますけれども、何らかの言葉で思考を重ねるとか、それに基づいた確たる人生の生き様というのを持っているかというと、そこが非常に揺らいでいるような人たちが、今この国で出てきていると。これは非常に大きなポイントであります。
 日本語指導と教科指導を一体化していったり体系的な取り組みが必要だ。また、これは学校の中だけでは難しいので、地域との連携も必要になってきます。
 母語との関係。母語を活用した効果的な支援が有効な場合もあります。親子のコミュニケーションのツールとして、母語がやはり大事になってきますし、日本語ができる子供でも、アイデンティティーの核として母語をしっかりと使えるというのは、今後、大事になってくるだろうと思います。母語支援員の活用であるとか当事者コミュニティー、ブラジルコミュニティー、フィリピンコミュニティーとの連携も、今後、必要になってくると思います。
 進路保障であります。今、少しずつですけれども高校進学は数字ではふえています。けれども、その実態を見てみると、やはり定時制への進学が非常に多いですし、先週の外国人集住都市会議でも、高校に入った途端に、小学校、中学校であったような支援がぱったりとなくなってしまう。そこで入ったはいいけれども勉強が続かずに、リタイアしてしまうというような子供たちの存在が報告されて、何とか高校に入ってからの支援も考えてほしいということを、市町の首長が言っていました。これはおかしいですよね。例えば県立高校のことなんか、本当は県の知事が言うべきなんです。あるいは県の教育長が言うべきなんですが、それぞれのまちで育った子供が、それぞれのまちの県立高校に入るんだけれども、そこで支援がなくなってリタイアしてしまう。これは何とかならないかということで、市町の首長のほうが、やはり鋭敏な問題意識を持っているわけです。学力面の支援が必要ということで、ここでも市民団体との連携が求められます。
 進路の開拓に向けて、日本人であれば当たり前に知っている高校入試のこと、あるいは、その先の大学進学のこと、こういった情報をきめ細かに提供していくことが求められています。今、いろんな進路情報が外国語版でも出ていますけれども、かえって逆に情報量が多過ぎて、何が大事かが伝わらないというようなところもあって、当事者が欲している情報をちゃんとモニターして、そこに必要な情報を的確に発信していくと。そこでさらにもっと知りたいというときに、的確につながっていけるような情報提供のあり方が必要なんだろうなと思っています。
 最後のポイント、アイデンティティー形成であります。
 例えば、私たちの大学に進学をしたブラジル人の学生たちは、日本人の学生と普通に話をしますし、極めて優秀に勉学を進めています。そこだけ見ると、ああよかった、日本人と同じに勉強していると思いがちなのですが、それでよいのではないんです。つまり同化してしまえばいいではなくて、むしろ彼ら彼女らが、2つのバックグラウンドをつないで生きていける、そういう人材になっていくことを私たちは期待しているわけですから、やはり母国ともつながっていける、そういうアイデンティティーをしっかりと持って、生きていく必要があるかなと思います。
 一方で、ここに二分法を越えてと書いていますけれども、私たちは、日本人、ブラジル人というふうにスパッと2つに考えがちなのですが、当然そこにはいろんなグラデーションがあるわけです。1人の人間が成長の段階で、より日本人性を強調したりブラジル人性を強調したりするし、同じ人間が誰と話し合うか、誰と話をするかによって、その強調の仕方が変わってくるということは、皆さんも御理解いただけると思います。そういう多面的、多元的なアイデンティティーがあるのだということ。レインボーアイデンティティと書いていますけれども、アイデンティティーというのは、白か黒かでオセロの駒のように変わるものではなくて、虹のようにつながっているものなのです。行ったり来たり発展したり変わっていったりと、そういうものとして、外国につながる子供たちのアイデンティティーを大事にしていきたいなと思っています。
 国際理解教育の落とし穴と書いています。私たちはついつい多様な文化を理解しましょうということで、さあパウロ君、君はブラジル人なんだから、サンバを踊ってみんなに見せてあげてよなんて言うんですけれども、パウロ君は日本で生まれてサンバを踊ったことがない。先生、僕、盆踊りが得意なんですけどと言うかもしれない。そこをブラジル人なんだからというような、押しつけをやってしまっていやしないかというところです。そういうチャンスを与えようと先生方は善意で言っているんですけれども、やはり子供のあり方というものを見ないまま押しつけてしまうのは、いけないような展開になるんです。子供の主体性に歩み寄るような、そういう姿勢が求められると思います。
 以上、少しふわっと大きく話をしましたけれども、保護者層の二極化ということで、簡単に触れておきたいと思います。
 これは、先日、磐田の多文化共生の協議会でお話くださった、派遣会社の方のお話を自分なりにまとめたものです。
 90年代の出稼ぎ当初は、どうせ二、三年で帰ると。目的は貯蓄なので残業をバリバリやって、困ったらブラジル人同士で助け合えばいいので、地域とのかかわりは持たなくていいと思っていた。したがって溝ができやすかった。
 ところがリーマンショックのあと不景気になって、やはり今までみたいな働きはできないということに気がついた。これまでは単純作業ができればよい、安い賃金でも残業すればよい、都合悪ければすぐ別の仕事を探すだったのですが、そうはいかなくなった。
 一部残ることができた人たちは、やはり業務知識が豊富で日本語で仕事ができる、危機感を持って仕事をしていた人たちで、そういう人たちが将来を見据えた長い目線で、働くことについて考えるようになってきたというわけです。
 日本語を習得しようという人もふえてきました。あるいは何らかのスキル、資格を取ろうという人もふえてきました。安定性が第一だということで、時給が10円、20円高くても、家族で一緒に過ごせて、子供の教育環境のいいところで生きていきたいということを考える人たちもふえてきました。こういうような意識を持った人たちが、いわば残ったわけです。三十二、三万人から20万人を今切っていますけど、残った人たち。永住資格を持って、そういった家では子供たちもいて、子供たちがこれから紹介する新しい動きを担いつつあります。
 これは私どもの大学、静岡文化芸術大学に入学したブラジル籍の学生の入学年度です。最初は2006年、文化政策学部国際文学科に入ってまいりました。そのあと2008年、デザイン学部に2人入ったあと少し途切れたのですが、2011年、今の4年生に2人、2012年、今の3年生に4人、2013年、今の2年生に4人で、ことしもブラジルは2人、南米コロンビアが1人、さらに中国が1人というように、やはり数名の外国籍の学生が入ってまいりました。留学生ではございません。この国で学んで、日本人と同じ入試を突破して入ってきた学生です。例えば、そのうちの2人がこの2人です。彼女らは浜松市立高校のインターナショナルコースを出て、センター入試を使って入ってきた。そういう学生たちです。ちなみに、その2人の学生が書いた文章が、きょう皆様にお配りした資料の後ろにありますので、ぜひお読みいただければなと思っております。
 本学では、こういう学生たちの力を生かして、多文化子ども教育フォーラムというのをやっております。お手元の資料のカラーのもの、これが第9回の今度12月6日に行うチラシですけれども、これを2012年度から続けています。その中で、昨年少しおもしろい会がありました。
 まず、この多文化子ども教育フォーラムというのは、私が呼びかけているもので、特定のメンバーに限りません。どなたが来ても構いませんよということで集まってもらって、外国につながる子供の教育環境、それに関連する研究を進めていこうということで、そこに書いた5つのポイントでやっております。
 特に昨年の6月22日、「教育支援策をめぐって当事者学生が物申す」という少し挑発的なタイトルですけれども、この写真に写っているような本学の外国籍の学生たちが、自分たちが受けた教育を振り返って、どういう支援策がよかったか、どういうところに課題があるかということをまとめました。1週間に1回集まって、その内容を提言としてまとめたわけであります。そのあとこうやって集まった方々とグループディスカッションをして、各テーブルに1人、本学の外国につながる学生たちが入ってディスカッションをしました。これはかなり好評だったわけです。
 また、昨年度、バイリンガル絵本プロジェクトというのを展開しました。2008年に入学したデザイン学部の学生が卒業研究でつくったバイリンガル絵本、日本語とポルトガル語の小学校導入絵本を使って、ブラジルの御家庭とうちの学生たちをつなげていこうという、そういうプロジェクトです。
 まず、その背景として、先ほど来紹介しているこの学生たちが、浜松国際交流協会が行ったはままつグローバルフェアで自分たちのことを振り返って、ぜひ同じ境遇の子を支えたいということを言うわけです。
 そこで本学の卒業生が卒業制作でつくった、この「ESCOLA do JAPAO em Hamamatsu」――浜松における日本の学校――という冊子をたくさんつくりまして、それを教育委員会経由で学校に配り、ブラジル人の多い学校19校では各世帯に1冊ずつ配って、うちの学生たちのヒアリングを受け入れていただけますかというふうに問い合わせをしました。いいですよと言ってくれた御家庭には学生が出向いて、この絵本どうですか、学校のこと困ったことありませんかというようなことを聞いて回ったわけです。
 それはどういう意味を持ったかというと、本学のブラジル人卒業生がつくったバイリンガル、ユニバーサルデザイン絵本を、ブラジル人の在校生たちがブラジル人の小学生の方に、いわば思いのバトンとして届けると。よくロールモデルが必要だというふうに言います。本学にロールモデルとなるような大学進学を果たした学生はいるんですけれども、いるだけではその姿はブラジルコミュニティーの目に届かない。また日本の社会の人たちの目にも届かない。そこで卒業生がつくってくれたこの絵本を、いわばバトンのように使って、これを持っていくということで、小学生たちの御家庭に行った。もちろんその調査を受け入れるということは、何らかの形で子供の将来、日本での教育に関心を持っているような親御さんが多かったんです。実際に行くと、あんたどうやって勉強したのとか、お金どうしているのとかということを聞かれました。あるいは、いじめに遭っているんだけど、そういう経験はなかったかというようなことも聞かれたりしたようです。こうしてブラジル人の大学生と御家庭がつながっていく。こういうプロジェクトを行いました。
 これは、左側はそのプロジェクト開始前の記者会見の様子です。ブラジル人の学生たちがここに写っています。また、こちらがその絵本をつくった、今大手の製造業の会社でデザイナーをやっていますけれども、その学生。その様子を簡単に御紹介してみます。
 このプロジェクトは、ブラジル人学生の潜在力を生かす、次世代の子供たちにロールモデルを届ける、保護者に進学に関するヒアリングを実施するということが目的でした。この具体的な調査の中身については、きょうは余り触れません。これの意味について皆さんにお話したいと思います。
 ただやるだけではやっぱり意味がないので、それをどうやってフィードバック、還元するかということで、ことし1月、その家庭訪問終わったあとに、全編ポルトガル語でやるフォーラムを行いました。これがそうですけれども、回った学生たちがここではポルトガル語でしゃべります。浜松の総領事も来てくれて、ブラジル人のコミュニティーの側からもたくさん来てくれました。そこでポルトガル語のやりとりをした内容を、全部テープに起こして、日本語とポルトガル語にして、それも今、報告書で読むことができるようになっています。
 さらに、その内容を踏まえて、今度は日本語でやるフォーラムで、やはり回った学生が、今度は日本語でやっているんです。ブラジル人の保護者たちが、保護者の視点で話をしてくれるというような会をまた6月に行いました。
 ちなみに、今度、12月に移民政策学会というのが大阪であるんですけど、そこでは英語でこの内容を発表します。本学の学生たちは、日本語でもポルトガル語でも英語でもこういった報告ができるんです。また、勉強だけだと、子供たちはついてこないものですから、ことし7月に、フェスタ・ジュリーナ na SUACというのを行いました。本当はフェスタ・ジュニーナ、6月の祭りというんですけど、ブラジルでは学校でこういう踊り交わすお祭りをやります。日本の運動会のようなものです。これを大学で行いました。これも企画運営をしたのは、ブラジル人の学生やその仲間たちで、ブラジル人学校の子供たちなどを呼んで、こうやって楽しく時間を過ごしました。楽しく時間を過ごすだけであれば、実は浜松市内でも、幾つもの場所でフェスタ・ジュニーナやっているんですが、大学で行うということは、どういう意味を持つかというと、この学生たちの存在が子供たちや保護者に見える。なるほどこの大学にブラジル人のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいるんだと。
 それからキャンパスツアーを行いました。そのキャンパスツアーも日本語とポルトガル語で行うんです。学生たちが日本語とポルトガル語で行う。こんなふうにして日本の大学というのを身近に知ってもらうと。こんな動きを本学の人材だけでできるようになっています。
 ちなみに、先ほど申し上げた、今やっている磐田の団地の調査も、20名の学生実行委員がいますけれども、そのうち半分近くはポルトガル語やスペイン語や中国語の話者になります。ちょうど12年前、2002年に焼津のある団地でも、外国人と日本人の調査をやったのですが、そのときの通訳は団地の住民にお願いをしました。今回は団地の住民にお願いする必要はありません。なぜなら、本学の学生たちが、既にもう両方の言葉ができる人材になっているからということです。
 では、最後、静岡県に求められる施策ということで、幾つか絞ってお話をしたいと思っております。
 まず、1点目は、県立高校での受け入れ体制の整備です。先ほど、先週行った外国人集住都市会議で、市町の首長さんたちが、公立の高校での支援を何とか考えてほしいということを、国に対して、文部科学省に対して訴えかけたという話をしました。これは、本来では県立高校、県、県議会、県教育委員会というところで、考えていくべきことなのだろうと思っています。義務教育段階では、曲がりなりにもかなりこの10年間ほどで、体制が整ってきました。ところが高校に入ると、それがもう手のひらを返したようになくなってしまう。これは非常にもったいないです。今、高校に進みつつある子供がふえてくる中で、その子たちが何とかその先につながっていけるような体制が整備できていくと、日本の社会の、静岡県の未来につながっていくのかなと思います。
 2つ目は、進路情報の周知です。高校進学の前提になりますけれども、これは単に既存のものを多言語化するのでよしとするのではなくて、どういうニーズがあるのか、あるいは何が本当に根幹的に伝わっていないのかというようなことを吟味して、その伝え方にも工夫が必要だと思います。また、進学以外の進路の情報についても、その提供が求められていると思います。親がやっている仕事とは違う技能職で、生き生きとできることはないだろうかと、そういった現場の人たちとつながっていくような、こういう多言語での情報の提供も求められているのだろうと思います。
 出口対策、特に企業への働きかけということで、例えば、今、大学に進学する子たちがふえていますけれども、それでは、その就職はどうなのだというところが次の課題です。
 ここは公の場ですから、具体的な企業名は控えますけれども、私のゼミの4年生、ブラジル籍の学生は、非常に優秀な学生で、県内を代表する物流の企業と、県内を代表する楽器の製造の企業の内定をいただいたというようなことがあります。けれども、やはり外国籍であるというだけで、なかなか履歴書から先に進めないということも聞いております。そういった優秀な人材が今、高校、大学と進んできているという状況、本当にここ数年の動きですので、それを生かしていきたい。とりわけ静岡県の多文化共生審議会は、会長が経済界の方、今二代目ですけれども、経済界の方が会長についているという、いわゆる学識経験者ではないというところに特色がありますので、ぜひそういった経済界との連携を強めていきたいと思っています。
 最後、地域格差の是正ということで、静岡県においては、言うまでもなく西部地域に外国の方が多いわけで、その取り組みも進んでいるわけですが、中部あるいは東部のほうにも、幾つか外国人の多いところがありますし、あるいは多くなくても、課題としてあらわれていくことはあるわけです。そういったところとの格差の是正ということで、中域連携、西部、中部、東部エリア、あるいはエリアに限らず、似たような課題を抱えている市町が連携できるような、そういう動きを取っていく上で、やはり県の果たす役割は大きいんだろうなと思っております。こういったことを私からの問題提起として、50分の時間を一旦ここで切りたいと思います。
 御清聴、ありがとうございました。

○渥美委員長
 先生、大変ありがとうございました。
 以上で、池上先生の意見陳述は終わりました。これより質疑に入りたいと思います。委員の皆様には、質問はなるべく一問一答方式でお願いしたいと思います。
 それでは御発言願います。

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