(記者)
他にいかがでしょうか。
学力調査の件なんですけれども、今回最低だったということで、各県点数を上げるために、事前に過去問を解かせるだとか、いろいろ点数を上げるための施策みたいなものをやっていると思うんですけれども、静岡県はそういうことをやってこなくて、今回みたいな結果になったと。国語に関しては最低だということで、知事の中で、点数が全てじゃないと思いますけれども、国語力を上げるためにこういうことをやった方がいいんじゃないか、みたいな考え方はありますか。
(知事)
そうですね。大人が本を読むことです。先生の後姿に、先生が本を読む方であるというふうな雰囲気が無いと、子どもは本を読まないでしょう。やっぱり子どもは親の背中を見て育ちます。同じように、先生の背中を見て子どもは学ぶということです。学ぶとは「まねぶ」すなわち「真似をする」というところから来ています。いい先生で、先生がご本の面白い話をされたりすると、それが自ずと学校図書館、本を買わずともですね、そうした習慣が身につくでしょう。読書習慣というものは、一環して本県が教育委員会が推進してきたことです。それを言っている本人が、その習慣をお持ちであるかどうか、是非強くご反省を願いたいというふうに思っております。
(記者)
あと一点よろしいですか。事前に過去問を解かせると、似たような問題をやって順位が上がるということが各県起こっていると思うんですが。順位上げるためだけでしたら、そういう対策もあるのかなと思うんですが、知事は、そういう対策についてどういうふうに思いますか?
(知事)
そういう小手先のことではなくてですね、やはり読解力が低いと。そして最後まで設問を読みきれないと。新聞の記事は、明日出るとすれば、今日一日でしょう。今日一日で書きますよね。1年かけて1問を作る。そして、論文を書く。記事だと、これ相当に力をこめて読まないと、読みきれるものではありませんけども、新聞記事は、昨日書いて明日出るというふうな、昨日今日書いて明日出るというもんですから、さっと斜め読みでもできますよね。しかし、これは小学生には難しいですよ。大人になればできる。これは読書量が増えているからですね。ですから、これは技量の問題です。それを技量はですね、点数を取るためというよりも、やはり日頃の読書をするという習慣を、どう上手につけさせるかということなんですが、先生というか指導者が、それをなさっておられないと、子どもも本を読まないでしょ。ですから、これは広い意味での大人の責任なんですね。さしあたっては先生だということを強く申し上げたい。
(記者)
2点お聞きしたいんですけども、先ず学力テストの結果の公表のことに関してですけれども、文部科学省が、先般、点数の公表に先立ちまして、全国の首長と教育長にアンケート調査を行って、公表の是非について聞いていると思うんですけども、この中で、知事は市町に関しては、市町別の点数、平均正答率に関しては、公表すべきだという見解を示されていると伺っているんですが、県内の学校別の平均正答率とかの結果についても、公表すべきだと考えるのかということが先ず1点とですね、あと昨日のですね、事業レビューにおきましても、県教委のですね、学力向上策の事業がですね縮小と、あまり効果が無いという判断が下されましたけども、県教委がやっている取り組みをどう評価されているのかというところをお聞きしたいと思います。
(知事)
県教委のやっていらっしゃる取り組みは、あまり評価していません。ですから、今教育行政のあり方を根本的に見直すと。また教育の制度も、現行の制度をベースにしながら、義務教育以外のところにおきましては、もっと柔軟にするということで、本腰をいれて改革に取り組んでいくと、法律に抵触しない形でやっているということです。
最初の質問ですけども、私は冒頭申し上げましたとおり、50m走や走り高跳びやそうしたことについてですね、どれだけ跳べたどれだけ跳べないということについて、子どもは、お互いを知るために理解して、それは序列につながっていないですよね。ただ、リレーの時に走るのが速い子を選ぶというのは誰もが納得することです。ですから、何か読書については、この子がいいと、別の子は得意ではないということで、その程度のことでしかないと。人間を測る尺度として、何かこうした英数国理社偏重のですね、文部科学省又は教育委員会、又は学校の先生。小手先の試験技術や受験技術を教える。こうしたものに対してですね、そうしたもの大したことないということですから、公表しても全く問題ないというのが私の基本的な考えです。ただ、学校別の公表はですね、やらないというその前提の下に今しているので、せめて公表が可能ということであれば市町で、教育長の方は、市町に主体性を委ねるということでしょう。あなたはと聞いたら、黙ってられました。つまりご判断が無いということですね、ただそういうことだと市町の教育委員会も、本当の判断をできる人達がいるのかどうか。やはり判断基準を自ら示さないと、そしてなぜそういう判断基準をあえてするのかと、序列が生まれると困るからで、それで序列を生むような社会はだめだという意見が一方でありながらですね、序列を生むからだめだという勇気も無い発言をされているとかということで、そうしたものの序列化は、金メダル銀メダル銅メダルと同じで、良くできる子は、ご褒美でそれを差し上げて、そしてできない子はできない子で、できないけれどもできる人は素晴らしいというふうに褒めると、我々、「文武芸三道鼎立」といっていますけども、文というのは、そういう勉強です。勉強が大事だということが分かってても成績は、悪くてもいいと。武というのはスポーツですけども、スポーツは不得意でも、スポーツというものを好むということが大切だと。芸術的な才能が全然ゼロでもですね、芸術を愛するということはできますから、そういう社会を育てるということで、何かある国語とか算数だけをもって、この人間を、少なくとも大学ぐらいまでですねみていくという偏重は、静岡県からは払拭したいと。はっきり言いますと、これはいつからかと思うんですが、戦前はそういうことなかったと思いますが、戦後、東京大学の総長がですね、「痩せたソクラテスになっても、太った豚になるな」ということを言ったでしょう。あれが基本的に間違っていると思います。「ソクラテスのごとく血を愛する。ヘラクレスのごとく逞しくあれ。ミューゼンに愛される人間にな」と言うべきだったと思いますよ。それを痩せたソクラテスということが良いと言ったがために頭でっかちの秀才が行く、そういうのが一番良いというふうになってしまったのが、そもそもの元凶ではないかと。今は東京大学の総長といってもほとんど権威はありませんけども、当時はその入学式時だとか卒業式時が大変に大きな社会的影響を持った時代にですね、誤った観念を植え付けられて以後、青白き秀才だというのがですね、しかし必ずしも頼りにならないと。そうして、東京六大学だとか何かの一番スポーツでは、最下位だというふうなことが、当たり前になっているのがですね、基本的におかしいというふうに思っています。イチロー君や松井君なんかがですね、東大を1番で出てくるのと、どっちが立派かというと、それは両方立派だと思いますよ。だからそこを、どっかと勘違いして、だってそれがずうっと尾をひいていると。今の高校卒業程度認定試験ですら、英数国理社すら受けさせないんですから。体育はどうなんですか、図工はどうなんですか、音楽はどうなんですか、そうしたことについて、無頓着で、そしてそれに仮に合格しててもですね、高卒というふうに自称できないんですよ、学歴では。こんな差別がありますか?ですから私はそれを払拭するということのためには、あえてこうした点数などというものは、人生の中では大したことがないのだと。そういう大らかな社会を作る必要があると。
公表に対してとまどっている人たちは、臆病です。先生に責任があって、子どもに責任が無いということをしっかりと明記されて、どういう子でもいいと。国語ができなくても、体育ができる。全部できなくても、ある程度のところはできていると、それぞれに皆個性であるとして、いわば障害のある方も健常者もですね、同じように社会で、仲良く生活するというのが我々の目標ですから、こうしたある一つのことによって、子どもを判断してですね、ずーと高校卒業まで、その基準でいうのがおかしいので、私はこの実学、新しい実学を尊重する、そうした教育に変えるということをいった矢先に、ありがたいことに、スポーツでこれからやっていくための追い風が、オリンピック誘致ということで、招致ということで、追い風が吹き、一方、学力テストでですね最低で、これを隠すということがでてきましたので、私はそんなものは何も隠すことはないと、スポーツは全てオープンですよ。体で、ごまかしがききません。ごまかしがきかないところは誰も知っている。それを試験の答案についてだけ、皆隠してですね、何かそれが重大事であるかのごとくに錯覚されているという風潮を、正したいと思っています。
(記者)
すみません、ちょっと1点だけ、公表の関係ですけども。校長名を公表するということですけれども、そこに学校名は記載せず、氏名だけ公表するという、そういう形を採るということですか?
(知事)
今、学校名を公表するというのは、お約束をしてできないからですね。それは、するべきではないと。元々そういう条件の下で、契約を結んで学力テストを受けているということなんです。私、契約を見まして、学校名は公表しないという前提の下で、この制度にのっかってやっているわけですね。
しかしそれならば、校長先生はと。
(記者)
順位に関して、公表する、校長名を公表する順位に関しては、小学校国語Aを限定的にやるということですか?算数も含めてということですか?
(知事)
小学校の国語ですね、今最低になったということを深刻に受け止めてですね、そのところの学校を、データが無いので、公表できるもなにも。そもそも文科省があるいは教育委員会が、私にデータを下さるかどうかもまだ分かりません。私は、これに対して非常に、具合が悪いことだなと。こういう体質が具合が悪いと思っています。
データが手に入らないというのは、不信なことです。持っているわけでしょ、ある人が。
(記者)
ありがとうございました。 |