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ホーム > ようこそ知事室へ > 記者会見 > 2011年3月30日(水)

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知事記者会見

2011年3月30日(水)


発表項目 1.岩手県訪問報告・所感 2.被災者の受け入れ 3.県制度融資における「緊急経済対策枠」 4.県内行事の自粛に関して
発表項目 5.新しい行財政改革大綱の策定 6.不適正経理に対する再発防止策
被災者の受け入れ
浜岡原子力発電所関係、富士山静岡空港関係
浜岡原子力発電所関係、津波対策(1)
浜岡原子力発電所関係、津波対策(2)
浜岡原子力発電所関係、津波対策(3)

発表項目 1.岩手県訪問報告・所感 2.被災者の受け入れ 3.県制度融資における「緊急経済対策枠」 4.県内行事の自粛に関して

【岩手県訪問報告・所感】

    <知事>
     前回の記者会見は3月17日ですね。午前11時からだったかと思うのですけれども、それからいろんなことがございました。その日の午後に、全国知事会の方から、本県の担当が岩手県になるというふうに言われまして、そして私の方から遠野というのを勝手に決めたのです。そしてすぐに、そこで受け入れてもらえるかどうか、前岩手県知事、前総務大臣と、彼(増田寛也氏)が知事時代にアドバイザーをしていた関係で、遠野に受け入れてもらえるかどうかの打診をいたしました。即、動いていただいて、大丈夫だということが分かりまして、遠野に拠点を設けると。そして、達増(たっそ)岩手県知事にファックスを送りまして、「そうしてよろしいですか」ということで、「かまわない」ということがございまして、早速先遣隊を3月19日に送り、20日に遠野に入っていただきました。
     今日はいくつか御報告することがございますが、まず、この東北地方を襲いました地震と津波に関することから御報告申し上げたいというふうに思います。
    本県の危機調整監の小平(おだいら)さんが、4人の危機管理部、さらに交通基盤部6人、くらし・環境部1人、合計11人を率いて現地入りされました。遠野市は、市庁舎が全壊と判断されて、その中で仕事ができないという状況になりましたが、一方、遠野というのは、花巻から東に50〜60キロ行ったところです。そして、そこからさらに50キロ東に行きますと釜石。その北側に大槌町、山田町。釜石の南側に大船渡とか陸前高田がございます。こうした扇の要にあって花巻空港と近いということから選んだ訳でございますが、さすがに遠野市、自らの市庁舎が全壊の判断の中で仕事ができない。したがって、現地の情報が手に入らないという中で、早速小平危機調整監他、うちの現地調査隊が入って、情報を遠野市市長に伝え、遠野市に出張してきた県庁の職員に伝え、それを達増知事に伝えるという仕事が始まりました。そして、丸一週間経ちまして、私が3月25日と26日に20名の精鋭部隊を、この時は岩田危機報道監を隊長として入りましたところ、すでに小平危機調整監が下ごしらえをしていただいていたので、雪の降る中、横断幕を掲げて「ありがとう ふじのくにの皆様方」、そういうことがございました。
    そこで、我々は新しく本部を見た訳でございますが、我々の現地支援調整本部というのは、遠野市にとって文化財となっているような素晴らしい建物を提供してくださって、その道路を隔てた広場のところには、ボランティアの方々の仮設の拠点を設けてよいということになりまして、さらに、現地は道路が寸断されていたり狭くなっているので軽トラックが必要だという情報もいただいておりましたところ、その情報は私が現地に入る以前に分かっておりましたので、5台の軽トラックを買い上げるということを、スズキ自動車会長兼社長に申し上げましたところ、「いや、とんでもない。10台を差し上げる。」ということになりまして、10台の軽トラックを遠野市にお引渡しするということから始まった訳でございますが、私どもが今、遠野におきまして、そこを拠点に支援に従事しておりますけれども、これは、末端組織の中に入るということでございまして、私がどうしても行かねばならないと思いましたのは、支援というのは、これは指揮系統がしっかりしていないとばらばらになります。したがいまして、達増知事のところにまず仁義を切りにまいりまして、県の支援組織の末端に入らせていただくと。そして、県の支援組織の組織図を見せていただきまして、そのことによって、県の北部にある盛岡に対して、県の南半分は遠野市がこれを受け持つということでございましたので、その岩手県、遠野市、その遠野市の末端組織の中に入るという条件の下で御支援申し上げるという、そういうシステムを明確にした上で、今、雪の降る中、吹雪いている空気がございました。この中にも御試聴された方がいらっしゃると思いますけれども、その中で支援活動をしているということでございます。
    今回、このような形で末端の中に入っているのは、岩手県に割り当てられました大阪府、和歌山県、長野県、東北の数県がございますが、大阪府、和歌山県の人たちは1人ずつ送っていらっしゃるそうですけれども、全国知事会の指示を待っていらっしゃるそうです。仕事がないですね。それから、私がまいりました当日、長野県から3人の方が来られていましたけれども、来られて視察をして帰られました。したがって、今、実質上支援をしているのは我々だけだというふうな自負と誇りと使命感を持って従事しています。
    こういう形で実質的に県の危機管理部が中心になって支援ができているということにおきまして、まず、先遣隊で、場合によってはテント生活ということを覚悟の上で入った小平危機調整監他、現在、岩田危機報道監の下で、厳しい生活の中で支援に当たっている方々に心から感謝申し上げたいと思います。そして、このような支援活動をするについて、それを御許可いただきました達増知事、遠野市の本田市長、そしてお骨折りをいただきました増田寛也前岩手県知事、前総務大臣に感謝を申し上げたいというふうに思う次第でございます。
     現地は、遠野市の市役所は全壊いたしまして、そのような地震の被害があったことは言うまでもありませんけれども、実際、釜石、その10キロほど北にあります大槌町、さらにその10キロ北にございます山田町に入りますと、極めて特徴的な景観に気付かされます。それは、(津波が来なかった山側の地域は)屋根瓦一枚落ちていないことです。普通、地震がございますと、青色のビニールシートに覆われます。私が阪神・淡路大震災で現地に入った時も、さらにこの間の3月15日の富士宮市、富士市における地震の時にも、瓦がたくさん落ちまして、ブルーシートが被らされておりましたけれども、それがありません。しかし、ある所より海側になりますと、完全に一網打尽に全壊しているという光景がありました。これは、(沿岸部の平坦な)陸地地域におきましては、地震にもまして、津波が襲ったところは、これは爆撃に遭ったかのごとくすべて持っていかれた。波にさらわれたというすさまじい凄惨な光景が広がっていました。
    そうした中で、本県は12,000人の方々を受け入れる用意がありますということをお伝え申し上げるとともに、その時に彼らが必要とされていたのは、緊急物資ではなくて、緊急物資は足りていると。そうではなくて、野菜がないために冷たい血が出たりするのですね。ですから、レタスのような新鮮な野菜が欲しい、ビタミンCが欲しいというようなことでしたので、こちらのオレンジや、トマトや、チンゲンサイや、レタス等を軽トラックで運びましたところ、本当に喜んでいただきました。
    一方、私は帰りの飛行機で、皆様方を一人でも二人でもお連れ申し上げるというつもりで行ったのでございますけれども、極めて興味深いと同時に感動的なお話に何度も接しました。それは、東北の方々の絆の強さでございます。喜びも悲しみの皆ともにするのだということで、友達が、いや家族が、あるいは仕事仲間が、あるいは地域の仲間達が海にさらわれた、あるいは泥の中に埋まっている。こうした人たちを置いて自分たちは離れることはできない。だから元気な者も、厳しい者も一緒になってこの地域の再建をしていきたいということで、この地域の絆を通して、コミュニティを通して、この復興を図っていくのだという、それを例外なくお語りになり、私もそれに対して納得したということでございます。



    【被災者の受け入れ】

    <知事>
     今、我々は被災者の受け入れといたしまして、岩手県、宮城県、福島県の三県に対しまして、受け入れる用意があると正式に申し出をいたしました。県内市町に照会いたしました結果、旅館、ホテル、公的施設、企業保養所等で、現時点で併せて15,000人の受け入れが可能でございます。被災県から被災者を受け入れる要請を受けた後で、受け入れる市町と連携して避難所を開設することにいたしております。受け入れ対象者は、静岡県への避難を希望する被災者。受け入れ先は、旅館、ホテル、公的施設等でございます。受け入れ期間は、目安としてでございますけれども、発災から2ヶ月程度。もちろん延長も考えてございます。費用負担は、1人一泊5千円以内を目途として、県において負担をするということでございます。しかし、岩手県におきましては今申しましたような事情です。一方、福島県におきましては、津川祥吾国会議員・国土交通省政務官が現地に入られていて、連絡を取りましたところ、「受け入れられる用意があるか」というので「受け入れられる用意がある」と。そして、しかしながら、このように申し出をするということと、実際上申し出を待つというようなことをしていることとは違う。ですから実際上、受け入れる用意があるならば、文字通り現地に入って本当に一人一人の、家族ごとの、地域ごとの細かな実情をしっかり知って、それに応じた受け入れをする必要があるかと思います。私は、この15,000人の受け入れが可能であるという申し出をいたしましたということで終わったと思っておりませんで、ここからが出発であるというふうに思っております。



    【県制度融資における「緊急経済対策枠」】

    <知事>
     一方、今、県内におきましても、極めて厳しい経済的な被害が出ておりまして、それを受けまして県制度融資における震災対応につきまして、中小企業災害対策資金を発動しているところでございますが、伊豆地域すなわち富士川より以東の東部、なかんずく伊豆地域におきまして、多くの中小企業、商工団体、そして宿泊業を営む諸団体から、資金繰りが極めて厳しいということで、無担保でより有利な県制度融資が求められました。そこで、県といたしましては、経済変動対策貸付に新しく緊急経済対策枠。これを、融資限度枠を当初5千万円から3千万円上げて8千万円に設定いたしまして、追加金融支援を行うことといたしました。しかしながら、これでは不十分であるということで、県信用保証協会におかれては、中小企業災害対策資金の利用にあたって、現在独自措置として無担保保証枠8千万円に、5百万円の上乗せをなさいました。さらにその上に、1千万円の無担保保証枠、仮称「県災害対策資金プラス1,000」これを追加することといたしましたので、併せてお知らせするものであります。県信用保証協会のこの勇断に対しまして敬意を表します。この制度は、すなわち「県災害対策資金プラス1,000」は、4月1日から取り扱いを開始することになっております。



    【県内行事の自粛に関して】

    <知事>
    これに関連いたしまして、県の中で、いわゆる自粛ムードが必要以上に蔓延しているという感想を持っております。私は個人的に、西部の浜松における、あの凧揚げの浜松祭りというものに対して高い評価を持っておりました。それが、この度自粛ということで取り止めになったことを非常に残念に思っております。あれは、孫が生まれた、その孫が無事に育つようにということで数百年の歴史を持った行事でございます。それは、地元の人たちが同じコミュニティに生きているのだというコミュニティ力、地域力、地域の絆を確かめ合う非常に重要な行事でございます。なるほど本来はそういう新しく生まれたお子様のために凧を揚げるということでございましたでしょう。しかし、今はこのやらまいか精神で、東北の方々を応援しているということを付け加えることができると思います。あるいは安倍川の花火が中止された。あの花火も一発ずつ一発ずつ、応援しているぞというメッセージを込めることができるはずでございます。
    そのように思っておりました中、数日前、須山の浅間神社にまいりましたところ、そこでも何十周年かの記念のお祭りを取り止めるようなことを言われたというので、富士山の麓でその地域の人たちの絆を確かめ合う、これは危機の時に大事な絆である。それを確かめ合う行事を取り止めるというのは、私には納得がいかないというふうに申しましたところ、渡辺宮司他、「いや、実はそのとおりで、本当はやりたいけれども、周りが自粛ムードでやれそうにないと思っていた」と。「いや、やりたまえ」と。「しからば、花火はどうしましょうか」と。「花火も、一発一発に、その応援のメッセージを込めて上げられればよろしい」ということになりまして、それで今やるというふうになっております。
    ですから、私は、これをどんどん止めていきますと、北東北の有名なねぶた祭り、あるいは秋田のお祭り(竿灯)、仙台の七夕祭り、これが、自分たちが被災しているがために他の地域の人たちが自粛しているとなると、彼らが自分たちの心を励ますためにやるそのお祭りもできなくなります。ですから、今、全国高校野球大会で東北の少年たちが全力プレーをして、それが勇気を与えたように、我々もこれは自粛ムードではなくて、これは応援ムードでやる必要があると思います。
    そして、我々は、今15,000人の方々をお迎えする余裕がありますけれども、一方でそれは、15,000人もの人たちを受け入れるだけの空席があるということでもあります。言い換えますと、県東部ならびに伊豆半島の旅館、ホテルは、今閑古鳥が鳴いております。なるほど計画停電によって電気が来ない。したがって洗濯のリネンも出せない、あるいは料理もままにならないということでございますが、今そこの人たちがいわゆる失業手当を出さざるを得ない、あるいは緊急融資をくださいというふうに言っていますけれども、我々にできることがあります。なるほど十分なおもてなしが彼らはできる状態ではないので、それなりの割引をして、そしてできれば割引をして働きたいというふうにおっしゃるので、それならば富士川以西の我々県民が2百万人以上いる訳でございますから、その人たちがそこに泊まりに行くような、そういう形での応援もできるというふうに思うのでございます。これが人助けになる。さもなければただただお金を出して、そして場合によっては仕事においては路頭に迷うということになりかねないという訳でございますから、私は今、県におきましては富士川以西の人たちが、以東の人たちが計画停電で困られているので、不便であることは承知の上で、そこに行って、そして彼らに仕事を差し上げるというふうにする時が来ているというふうに思います。
    自粛ムードは、もう今日これを限りにして、改めて応援ムードに変えたいというふうに私は強く思っている次第でございます。6月17日、18日の全国食育大会も、これを一旦県は中止をすると、部局の方ではお決めになりましたが、これを国の方に働きかけまして、これをやるというふうに変えてもらいました。これは防災と食育という、こういう二つを組み合わせて、改めてこの時に東北の方々に対して応援をすると同時に、もしこういうことがあった時に食というものをどうするか。まさに三日も水や食べ物がないと、本当に人間は絶望の淵に立たされます。今回のように、吹雪の中、雨の中、あるいは氷点下の中で、真っ暗の中で、人々が生きている時に、どのように食というものが大切かということを考えるという絶好の機会でもあるということでございまして、自粛ムードではなくて、これを平時に変え、通常に変え、いやむしろ応援の気持ちを変えて、思いやりの心をそれぞれ形にするために、いろいろなイベントはしっかりと支えてまいりたいというふうに思っております。
    さらに、計画停電の結果、いろいろと支障がきておりますので、これからはいわゆる自家発電というものを持つことが、それが緊急の時の備えになります。遇遇(ぐうぐう)、本県おきましてはヤマハ発動機があって、自家発電できるような機械を作られているということでございますから、本県におきましては、もしものことを考えまして、この発電機というものをさらにしっかりと備えられるような、そういう体制も整えてまいりたいというふうに思います。まさにこの危機の中で備える、また、危機の余波を被っている東部、伊豆半島を助けるということが大切でございます。




発表項目 5.新しい行財政改革大綱の策定 6.不適正経理に対する再発防止策

【新しい行財政改革大綱の策定】


<知事>
 次は、新しい行財政改革大綱の策定についてでございます。
 ふじのくに行財政革新戦略会議からいただきました御意見・御提言を踏まえた内容で、行財政改革大綱を策定いたしましたので報告をいたします。
 これは、パブリックコメントや県議会の審議を経たものであります。大綱は、総合計画の戦略の1つであります「“ふじのくに”の自立の実現」を目標に掲げまして、10年後の達成を見据えて総合計画を着実に推進していくために必要な行財政改革の方針と具体的な取組を、数値目標を掲げて明確にしております。「透明性の高い行政運営」、「効果的で能率的な行政運営」、「未来を見据えた戦略的な行政運営」という3つの戦略を大綱の柱としているものでございまして、計画期間は総合計画の基本計画と整合させまして、平成22年度から25年度の4年間としております。この大綱を着実に推進して、地方自治のモデルとなるような地域主権の時代を拓いてまいりたいと考えております。
 主な取組につきましては、お手元に配布しました「県庁のしごと改革ニュース」に記載しておりますので、御参照いただければと存じます。



【不適正経理に対する再発防止策】

<知事>
 続きまして、不適正経理に対する再発防止策でございます。
 再発防止策の策定に当たりましては、全庁横断組織であります「再発防止検討チーム」を設置いたしました。そして、「物品調達・物品管理システム等の見直し」、「予算執行面での適切な運用」、「内部牽制の強化」、「職員の意識改革」の4項目に取りまとめたものでございます。冒頭の「物品調達・物品管理システム等の見直し」におきましては、サプライセンターを活用した集中調達の拡大を図るとともに、緊急時には口頭決裁をするという全国でも初めてのやり方の他、少額物品への概算物品取得伺の導入等、他県に先駆けた抜本的な対策に取り組む予定でございます。県民の皆様の信頼を回復できるように、不適正経理の根絶に向けて、再発防止策の実施に全力で取り組んでまいる決意でございます。
 また、今後の進捗状況や効果につきましても、県民の皆様に逐次報告をしてまいるつもりでございます。

 以上、私の方からの発表項目を申し上げました。




被災者の受け入れ

【被災者の受け入れ】


<記者>
 幹事社から一点質問です。
 この被災者の受け入れですが、これは一人当たり5千円というのは県だけで負担するのか、それとも市町とか旅館組合とか、そういうところは負担されないのかということと、予算はどのように対応されるのでしょうか。

<知事>
 これは担当部長がいますね。

<くらし・環境部部長>
 ホテル、旅館等におきましては5千円以内で、それぞれの単価がございますけれども5千円以内で対応すると。それで、これは災害救助法の枠組みの中で処理することになります。県で、避難所の設営に係る経費については負担をしておいて、後は災害救助法の仕組みで被災県との調整をしながら、国から出る分は国が出すと。国から出ない分については静岡県が見るということになりますので、必要な措置については、また規模が決まったところで対応するということであります。




浜岡原子力発電所関係、富士山静岡空港関係

【浜岡原子力発電所関係】

【富士山静岡空港関係】

<記者>
 幹事社質問です。二点あります。
 一つは、浜岡原子力発電所関係ですが、3号機再開に向けて中部電力では29日まで災害対策訓練を実施するとのことですが、その結果を踏まえ、3号機運転再開について改めて所見をお聞かせください。
 もう一点は、富士山静岡空港関係です。小松線の運休、松本線もなくなり、さらに東日本大震災で航空需要を取り巻く環境がますます厳しくなっています。大韓航空も4月の運休を発表されたのですが、その中で今後どのように対応されていくのか、御所見をお聞かせください。

<知事>
 まず、浜岡原発のうち3号機の運転再開についての御質問ですけれども、これは、津波対策を万全にしない限り、再開は難しいという判断を持っております。
 
 それから、富士山静岡空港に関することでございますが、静岡空港は内憂外患です。非常に厳しくなりました。中国東方航空も便が減る。また、チャーター便が来る予定になっておりましたが、これもキャンセルということになりました。そして、大韓航空が4月運休ということでございます。しかしまったく暗いニュースばかりではなくてですね、アシアナ航空の方は、キャンセルしないというふうに言われています。ですから、若干の風評被害も影響をしているかなと思っておる訳ですけれども、本県を観光される限りにおきましては、伊豆半島から浜名湖に至るまで、なるほど伊豆半島は計画停電もございますけれども、いわゆる放射能の被害がある訳ではございませんので、こうしたところを正確にお伝え申し上げまして、アシアナ航空、つながっておりますので、大韓航空もなるべく早く再開していただけるように働きかけてまいりたいと思っております。
 国内便につきましては、小松空港が特に石川県の方々、福井県の方々も御利用できるはずだったのですけれども、その利用が伸びないということがございまして、そのために赤字を生む原因になっているということがございました。そのために、これは中止と。熊本の方は、まだ正式に廃止となった訳ではありませんので、樺島熊本県知事と交流を深めてさらに廃止にならないような方向で協力をしてまいりたいと思っております。
 現在、搭乗率全体で62パーセント強ですが、2月末までの搭乗率でございますけれども、3月には落ち込む見込みなので、60パーセント、61パーセントというところまで落ち込むかもしれません。そういう状況ですね。しかし今、人々が例えば静岡県の方々は特にそうですけれども、計画停電でその影響をもろに被っておられるので、今は行楽に行く時ではないというような自粛ムードが非常に強いですね。そうしたこともあって、海外に行くとかいうことも少ない。そうしたことが国内全体に響いているのではないかということで、今、この嵐をじっと耐えて、静岡空港の持っているポテンシャルそれ自体について、私は揺るぎのない確信を持っておりますので、これを春風とともに暗雲を吹き飛ばして、また元の発展の脈絡の中に置いてみたいと考えております。




浜岡原子力発電所関係、津波対策(1)

【浜岡原子力発電所関係、津波対策】


<記者>
 今おっしゃった津波対策関連ですが、これは中部電力というのは、現在の東海地震を中心に防災対策を取っていますが、今回の地震はかなり広い範囲でマグニチュード8ではなく9.0ということで、東南海と南海を合わせた時の三連動が起きた時の被害状況を見直すという動きが県内の市町の間に出てきています。それに合わせて県として津波対策を見直す考えがあるのでしょうか。

<知事>
 あります。まず、マグニチュード9という地震が三陸沖で起きたと。その結果、女川原発、福島第一原発、第二原発で原子炉が揺れました。その揺れた数値について、すべての号機の数値が分からないので、政府の対策統合本部の事務を預かられているという細野豪志氏に連絡を差し上げまして、東京電力が持っている揺れのガル数を全部欲しいというふうに申し上げ、そのガル数を昨日いただきましたので、それを皆様方のお手元にお配りしました。御覧いただきましたら分かりますように、福島第一原発の3号機が東西方向に507ガルという数値を示しています。これが最高です。一番低いのが福島第二原発2号機の東西方向への揺れ196ガルというものでございます。ただ、女川原発におけるガル数は567.5でございます。そして、福島原発の1号機、2号機、5号機の数値は分からないというのでございます。これは、計測器それ自体が故障したのか、ともかく、その数値を隠しているのではなくて計測器が見られないのか、ともかく今分かっているガル数におきましては、いずれも600ガルを切っているということですね。したがって、マグニチュード9で原発は現在アベイラブルな数値におきましては、600ガル以下だということです。浜岡原発は、800ガルまで大丈夫なように設計されており、御承知のように、余裕を持たせて1,000ガルまで耐えられる仕組みになっている訳です。ですから、私は地震に対しては、もちろん1号機、2号機、5号機の数値をできる限り早く正確に公表してもらう必要がございますけれども、少なくとも今日分かっている数値に関しましては、マグニチュード9によって原子炉それ自体が耐えられないことはないということがここに表れていると思っております。
一方、女川原発は、前の津波の教訓を受けて、14.8メートルの高台のところに造られました。しかし、福島原発は、それよりはるかに低い一桁台(メートル)のところに建っています。それで、結局津波に襲われてやられたということですね。そして、本県の浜岡原発は、標高6メートル、8メートルのところに建てられています。3号機、4号機が6メートル、5号機が8メートルです。しかし、これが今回のような10メートルを越す津波がまいりますと、それに浸る可能性があるということです。そのために、今回津波の最大の問題、すなわち冷やす作業をするための発電機がやられたと。緊急用の発電機がやられたということで、今日の災害を非常にひどくしている訳でございますけれども、そのための訓練をなさった訳でございますけれども、これはですね、私は放射能漏れまで事態が悪化してきていると。そして、いわゆる原子力に事故が起こった場合における三原則、止める、冷やす、閉じ込める。止めることに成功しても冷やすことに失敗しますと閉じ込めることができないということが分かったということでございます。その冷やすことができなかったのが津波によったということでございますので、津波対策をしっかり講じない以上は、これは再開をできないという、そういうことになるのではないかとは思いますね。ですから、津波対策がしっかり講じられているということを正確に明瞭に分かるように人々に説明できない限り、これは再開もしばらく延期せざるを得ないのではないかというふうに思っております。

<記者>
 津波の件ですが、津波対策で、今、国の方でも安全に関するガイドラインが間もなく出るということとされていますが、この十分な津波対策というのは、何をもってというふうにお考えでしょうか。

<知事>
 津波対策としまして、中部電力の方は12メートル余りの防潮堤と言いますか防潮壁を造るというふうに言われていますね。この防潮壁というものを耐震性をしっかりと備えた壁を造りたいというふうに伺っているのですが、私が心配しますのは、この間、山田町にまいりました時に、沼崎町長さんにお目にかかりました。沼崎町長さんは、家を流された訳です。その沼崎町長さんは、実は50年前にも家を流されたのです。チリ津波で家を流されて、その悲劇を繰り返さないために、俗に万里の長城と言われた世界最大級の防波堤をお造りになった。それが根こそぎやられた。つまり、これは地震でやられたのではなくて、津波でやられているのです。ですから、耐震性があって12メートルの防波壁を造ってそれで安心かというとなれば、これは必ずしも安心とは言えないでしょう。ですから、今回、同じような立地しておりながら、女川においては14.8メートルという高台に移されたことによって、まったく被害を受けていない。もちろん被害は出ましたよ。しかし発電機がやられなかった。ですから無事なのですね。ここにもすでに、津波に対する一つの回答が出ています。今までのチリ津波、あるいは明治の大津波というのがあって、その記憶がだんだんと薄れて、そして人々がだんだんと漁民を中心にですね、沿岸地域に居住し始めて、みんなで渡れば怖くないということから、だんだんと町が形成されて、そしてかつてあった悲劇をまた繰り返したということでございます。そして、今度ばかりは戦後に造られたこの原発もですね、その悲劇に遭った。しかし、それに対して、津波に浸かった、それでは発電機でつなげたらいいということですけれども、もし、その溶融のようなことが起こった場合には、放射能が出ます。発電機がつなげるかどうかということも、今のように放射能の真っ只中で非常に苦しい作業を英雄的な形でなさっておられる方がいますけれども、そういうふうな極めて厳しい状況を生みかねないということで、津波対策というのは、私は12メートルの防波堤で十分なものだとは思っていません。

<記者>
 そうしますと、例えば訓練であるとか設備の点検をもう一度したりとか、計画を作った時点では、まだ不十分だということなのでしょうか。動いている原発に対しても関わってくるかと思いますが、いかがでしょうか。

<知事>
 おっしゃるとおりです。関わってきます。同じ状況です。来年の早々には、4号機も5号機も定期検査に入りますから。同じ状況が出てくるに違いありません。私は、今回、中部電力が何をもって危機としたかということの判断において、3月11日に地震が起きた、あっという間に本県における東部18,000軒が停電になりました。それだけではなくて、東京電力、東北電力の管轄下のところが停電になった。そして、停電であるがために、特に原発においても電気がないがために、いろいろな支障を来たした。したがって、そこにおける緊急事態は何であったのかというと、この電力不足を早く補って、そしてなるべく早く日常生活に帰られるように、仕事ができるようにすることであった。その状況がすでにあった、そこに。しかし中部電力はすでに内部点検を終え、かつ原子力安全・保安院の点検も終えているにも関わらず、じっと見ていたぐらいです。そして、需要不足という、その時の危機がさらに広まって今、放射能の拡散という、そういう新しい危機が加わった。そうなりますと、危機の本質が変わったので、あるいは危機の本質が拡大したので、彼らの決断の遅さが3号機の再開についても延期、さらに4号機、5号機の定期検査後の運転についても、多くの人が不安を持つということになった。このことをきわめて残念に思っております。

<記者>
 関連しての質問ですが、知事は冒頭に、「津波対策を万全にしない限り、再開は難しい」とおっしゃいました。防波堤については、まだ十分ではないという御発言がありました。その他に中部電力が、今回の大震災の後に、ディーゼル発電に切り離れたものを高台に置いたりとか、海水ポンプの代替品を同じく高台にとか、津波に被った場合にもすぐに復旧する措置というものをいろいろ対策として掲げております。それら一連の大震災の中部電力の津波対策全体を見ても不十分だというお考えでしょうか。

<知事>
 津波でやられたというのが、すでに3月11日、12日の段階で、ほぼ蓋然性の高い原因として共有されていた訳です。したがって、津波対策に対してどういう措置を取るか、中部電力は発電車両を2台、25メートルの高台のところに備える。かつ、2、3年かけて耐震性の高い防波堤を設けると言われた。しかし、その時の危機は、その暫定的な、言わば対策を明確に世間に公表すると同時に、私は需要不足を、電力の需要不足を補うことであったと思います。その危機に対処する決断ができた時だった。しかし、今は実は、それにプラスアルファ、冷やすことに失敗した結果、放射能が漏れ出したと。しかもそれが、被害が水だけでなくて海水だけでなくて、いわゆる農作物にまで広がる。水道水にまで広がってきたということになりまして、こうなりますと、単に津波対策だけでなくて、放射能漏れが出た時にどうするかという訓練をしなければならないことになります。したがって、これは言わば今回の原発事故すべての経験したことを踏まえた訓練にならざるを得ないということになりますので、そういう事態を招いたのはどうしてかと。決断が遅かったからだと思いますね。

<記者>
 放射能漏れを踏まえた訓練などをきちんとしない限りは、再開は認められないということですか。

<知事>
 これは、海江田経済産業大臣が、間もなくその方針を出されるでしょう。しかし、放射能漏れは、しかもまだ現段階におきまして、これを止める状況には立ち至っていないという中で、放射能漏れに対する危機感というものは、単に福島県の方々のみならず、日本国、いや、全世界で共有されています。こうした中で、そうしたものを想定しない、訓練をしていないということができない。訓練はせざるを得ないでしょう。ですから、そうした、ある意味でこれまで想定していなかった訓練をしなければいけないことを通して、もし電力不足に対する、つまりこれまでの大義名分であった電力の安定供給ということができなくなるとすれば、自らが自分の首を絞めたのだというふうに思います。
私は、現状における原子力安全・保安院の検査が終わった時点で、放射能漏れや、まだそれ以外のことも出てくるかもしれません。そうしたことに対する訓練は、長期的なものです。とりあえず短期的な危機にどう対処するかという決断をしなかったこと、これが中部電力の電力を供給するという、そういう機能に対して、世間がそう簡単にそれを許さないと。今、地元の方々における安心感を与える、そのための訓練を、日を追うごとに厳しい訓練をしなければならないというものになっていくと思いますね。




浜岡原子力発電所関係、津波対策(2)

<記者>

 津波対策が十分かというところが、どこをもって知事がそうだと、いわゆる3号機再開を認める基準となるのかというところが今ひとつ分からなかったのですが、つまり国がガイドラインを出して原子力安全・保安院が調査をする、それでオーケーが出る、それだけでは不十分で、さらに放射能漏れを想定した訓練や内部のガイドライン、こういったものをきちんと明記しないと認められないということですか。

<知事>
 これは、地元の方がそこで生活している訳ですから、地元の了解なしに動かすことはできないと思いますね。ですから、国が新しくガイドラインをお出しになる、中部電力がそれに応えられる、そうしてそれを御説明されると。その中で、地元の方々がどのような態度を取られるかですね、これはそれを尊重したいと思います。ただ、地元の方々もですね、いわゆる感情的な恐怖心ということだけでなくて、それぞれ説明を納得のいく形で説明してもらって、分かるようにしていただいて、何が危険なのかと。どうして安全というふうに、仮に原子力安全・保安院が言ったならば、安全なのかということについての理由も、これから共有していただくということが大事だと思います。その理由が根拠のないものであれば、それを理詰めでお互いに感情ではなくて科学的な根拠、技術的な対策ということについて、それはそれなりにお互いに信頼をし合っていくということが大切だと思います。
ちなみに、津波に関しましては、もちろん従来の津波、これは東海地震がマグニチュード8.0、三連動でマグニチュード8.7でございますが、それに関わる想定される津波についての対策は9割方終わっているのです。今回の10メートルを越すようなものではなくて、マグニチュード8.0とか8.7というものに対する津波は終わっています。ただ、いわゆる津波に関しましては、御承知のように、津波だ、さあ高台に逃げろというのが基本です。高いところに逃げる。すぐ高いところがないところ、例えば焼津ですね、あるいは清水。こうしたところは、そうした避難タワーとか、高い建物だとか、1階や2階は波に襲われる可能性があるから上に逃げれば大丈夫だというようなことを含めて、これからまだ処置をしなくてはなりませんが、いわゆる今想定されている津波に関しましては、9割方終わっているのです。
私が今問題にしているのは、強く申し上げましたのは、浜岡原発についてのことでございまして、静岡県下は、もうすでに安政の大地震の時には南伊豆で10メートル近い波が来ている。それはもう記録に残っています。あるいは、関東大震災の時には、熱海に、今の市庁舎のすぐ下のところまで波が来ているのです。そういう経験を踏まえて津波対策というものについては市町にお知らせをしておりますので、ですから、その津波対策につきましては、今までは地震にどちらかというと力点が置かれていましたので、やはり津波の恐ろしさを見るとですね、これは時速50キロという射流と言われるすごいスピードと力を持って襲ってくると。これは逃げ場がありませんので、高台、高いところに逃げる以外にないと。あるいは、しっかりした鉄筋コンクリート。しかも、すぐ山よりは遠いところ。(津波が)山に当たると、その跳ね返りで鉄骨などは折れるということですので、鉄骨だったら安心という訳でもないのですね。そういうことを踏まえて、どこに避難すれば一番いいのかということを、改めて見直していただくということがありますが、私は、何か津波対策が十分でないと言ったのは、10メートル以上のものに対してということでございまして、特に浜岡原発について申し上げたことで、現在の三連動、特に東海地震ですね、これに関連しましては今までどおり津波対策はやってまいりました。これについて、さらに厳しい津波対策を講じなくてはならないということはございますけれども、それはこれからのことであるということです。

<記者>
 先程の「決断が遅かった」という御発言の意味を確認したいのですが、これは、状況が刻々と変わっていく中で、早い段階で決断をしなかったから再開が難しくなったということではないのですか。

<知事>
 そのとおりです。もし中部電力が、「原子力は安全である」と今まで言ってこられました。それに本当に自信があり、内部チェックをし、そして防水チェックもやり、もう3月11日の段階でやっている訳ですから。そして、発電機を設け、そして津波に対しては12メートルの防潮壁を設けるということでですね、今、この停電、東部の方で悲鳴を上げました。私は中部電力の支局長を呼んで、何とかしてくださいということで、このヘルツ、周波数を変えて東部を優先的に停電を解消してほしいということを言ったくらいです。それは、その時はその時期だった訳です。そうすると、この110万キロワットの電力はその日から調整運転とはいえ、実質上電力を供給することができた。しかし、今それは非常に難しくなった。私は別に、あの時に中部電力が基本的な方針として本県の原発は津波に対しても地震に対しても大丈夫だと。地震に対しては、今手に入っているガル数においては600ガルを超えることはないと。だからここは大丈夫だと。800ガルまで余裕があるから。かつ、津波に対しては、電源がやられたので、電源の措置をし、濡れないように発電機のところはしっかりと今、点検したと。だからその時点ではそれでよかったと思いますね。それをしなかったと思います。

<記者>
 先日、(中部電力の)水野社長がいらっしゃった時に、「電力の安定供給のためになるべく早く起動させたい」という旨をお伝えになって、知事はそれに対して「同感だ」と。あの時点では、動かすことに対して同意をしていたけど、今は気持ちが変わったというふうに受け止めていいのでしょうか。

<知事>
 気持ちではありません。危機の性質が変わったということです。

<記者>
 性質が変わったというのは、その後刻々と伝わってくる福島の事故の状況を受けて、今は地域の方々を含めて同意を得られる状況ではなくなったという、状況の変化のことをおっしゃっているのですか。

<知事>
 そうです。原発それ自体、危機が、水で冷やすというところから、実際は燃料棒に問題があるということまで明らかになってきました。ですから、津波対策だけではなくて、実は燃料棒が溶けた時、いわゆる放射能が漏れ出した時にどうするかという、それはその時はそうではなかったですからね。

<記者>
 結果的に考えると、その時は状況が分からなかったけれども、その後分かったことで、起動をその時点でしなくてよかったというふうに思われているのでしょうか。その後、ひどい状況が出てくれば、動き出したらそれが止まらないということであれば、その後ひどい状況が出てきた中で、「もう動き出しちゃいました」ということだと逆に深刻な事態を招くような気がしますが、そのあたりはいかがですか。

<知事>
 ともかく、定期点検というものがございます。13ヶ月ごとに定期点検があります。ですから、これから4号機、5号機の定期点検がある。その時には、これはおやりになるでしょう、定期点検は。その時までに、それなりの対策が打てますね。ですから短期的に必要にされていることと、中期的・長期的にしなくてはいけないこととは違います。しかし、危機が起これば対策は変わってきますから。ですから私は、要するに、中部電力は何もしないで平時のための訓練をしていたと。それが慎重でありすぎたと言いますかね。困っている人を助けるためにガソリンを運ばないといけない。あるいは電気を送らなければいけないという時に、それをやらないで運べる車はどうなっているか、ガソリンの備蓄はどうなっているかということを点検しているうちに運べなくなったという状況ではないかと思います。

<記者>
 それを踏まえて、3号機の起動というのは、現時点で知事はどれくらい、先程の質問と重なりますが、今の時点ではもう、すぐにということは難しいというふうにお考えですか。

<知事>
 二つのことが条件としてあります。それは、国がどのような方針を出されるか、これが一つです。もう一つは、地元住民の理解が得られるかどうか、この二つです。

<記者>
 それは、この間、社長がいらした時とは明らかに状況が違って、あの時の判断基準とは変わっているということですか。

<知事>
 私はもうすでに判断を、11日の段階でしていました。すなわち、その以前に、すでに点検は終わっていたのです。そして地元の方々は、浜岡原発3号機を動かしてくれという要請もされていたのですよ。ですが、今そういうことを言っていられますか。地元の人は逆になっているでしょう。どうしてですか、その理由は。放射能が漏れたからです。

<記者>
 今の時点では、もうその時の状況の判断とは変わっているということですね。

<知事>
 そうです。危機の性質が変わりましたので対策が変わったということですね。




浜岡原子力発電所関係、津波対策(3)

33

<記者>
 先程、従来想定されている地震、津波の対策はできているということでしたが、実際に知事が岩手県に入られて、三陸沿岸部の被害を御覧になったと思いますが、今回、こういった津波が起きて、かなり岩手県の方では漁港関係者にかなり大きな被害が起きています。焼津と清水のお話も出ましたが、改めて三連動、想定されているものよりも大きな津波が来た時の漁港に対する対策というものを考え直さなければならないと思いますが、そのあたり、現地を見て思われることはありますか。

<知事>
 現地の状況は凄惨です。現在、これは東北関東大震災と言われたり、東北地方太平洋沖地震というふうに言われています。なるほど地震の被害は一ノ関におきましても栗原地方におきましても震度7でございましたから、相当な揺れが続いたと。友人に聞けば6分くらい続いたと、一ノ関の友人が言っておりました。しかし、三陸の方、これは震度が6弱だったと思うのですが、ここにいらしている方も御一緒に(取材を)された訳ですけれども、ブルーシートを被っているところが一つもなかった。それから、我々は避難所に行ったのです。それは大槌町の高台にございます。井上ひさしの「吉里吉里人」というのがございますけれども、あの吉里吉里というのは元々の地名としてあるのですね。その吉里吉里小学校というのが避難所になっていたのですね。その避難所に私たちがまいりまして、そしていろいろなものをお届けした訳ですが、その時に、高台のところに海から見て左側が小学校で、右側が墓地になっていたのです。私は車を降りて、坂を下りて、小学校の門に入ろうとした時に、ふとお墓を見た訳ですが、墓石が一つも落ちていない。どれも落ちていないのですよ。墓は揺れたはずで、普通倒れますね。それが倒れていない。そして、大槌はもう釜石からずっと三陸全部そうですけれども、川伝いにものすごい物が上がってきたということは、その残骸と言いますか、車から船から材木、電気冷蔵庫から、ありとあらゆる物が運び込まれて上流の方に来ている訳ですが、それが来ているすぐ上のところは、まったく普通なのです。ですから、あれは津波の厳しさを強烈に印象付けるものでした。ですから、あの津波は逃げようがないというくらいの迫力というか恐ろしいものです。ですから、それは皆様方は報道等で御存知でしょうけれども、ともかく大槌町は町長さんが職員を優先された結果、自ら流されて命を落とされた。あるいは大槌町の副町長さんは、家族を亡くされたようですね。それは本当にお気の毒を絵に描いたようなものでございましたが、そういう津波の恐ろしさというのは、私は本県の小平危機調整監に案内されて車で入っていった訳です。彼の説明を受けながら入っていった訳ですが、釜石に、山を越えて来る訳です。ところが普通の町並みなのです。そうすると彼が、「町並みが一変しますよ」と。本当に、文字通り一変するのです。あるところから海側は全部やられている。ですから、私はこれは、本県が津波というものを受けた時に、どれ程の破壊力を持ってそれが迫ってくるかということを、危機調整監他、交通基盤部、くらし・環境部の方も現地に入ったということでございます。今は20人が入っています。うちの担当は、遠野市自体がなかなか援助を出すことができない、しょっちゅう出てくる大槌町と山田町です。山田町というのは万里の長城と言われて世界から注目を集めた防波堤を築いたところです。そこがうちの担当なのです。陸前高田におきましても同じ状況がテレビで映されて皆様方も御承知と思いますが、それを目の当たりにすると、津波に対しては人工物で耐えうるものは実質上ないと言っていい。なるほど鉄骨は一部残っています。しかし、鉄骨の間にあった物すべてが持っていかれていますから。ですから、そういうものなのです。
 ただ、津波の高さというのもですね、一番高いところは今回30メートル近かったというふうに言われておりますが、これは上に乗り出してくるというような形で、ぼーんとぶつかって、波が、波飛沫といっても大きな水圧のまま押し寄せてくると。それにまた後ろの波が被さるというふうになりますと、高さが一気に10メートル、20メートルということになりますので、津波だといえば、高いところに着の身着のまま即逃げると。高いところに。それをしっかり訓練する以外に方法はないということを、おそらく現地に入れば体で知ることができる。それを今、私どもは、人事ではないと。我が事だとして、そういう本物の救援活動、同時にこれがもし自分たちで起こったときにどうするかという学習活動をしてもらっているというふうに思っておりまして、毎週、だいたい7日から10日ごとくらいに、この20人の精鋭部隊をお送りいたしまして、その都度その都度、現地の要求している必要物、情報、物資が違ってきますので、それをお届け申し上げていきたいと思います。
ただ、本当に素晴らしいと思うのは、繰り返しますけれども、現地の絆です。そして、この絆を強めるために、皆が元気になろうとしているのですね。ですから、こちらが「大変ですね」と同情するのではなくて、やはり元気を持っていってさしあげると。フレッシュなフルーツ、フレッシュな野菜、そして暖かい下着、きれいな下着、あるいは石鹸、眼鏡、補聴器、髭剃り。文字通り日用品の必要なものは段々変わってきます。女性だと鏡が欲しいもしれない。あるいは口紅が欲しいかもしれない。クリームが欲しいかもしれない。ドライヤーが欲しいかもしれない。頭が濡れてしまうと風邪を引きますからね。ですから、そうしたものは本当にその末端に入っていかないと分かりません。ですから、私は今日15,000人の受け入れを正式に申し出ましたといっても、実際は15,000人の一人一人顔が違うし状況が違う。ですから、その現場に言って必要を聞いて、それに応じたきめ細かな支援をしていく以外に、本当の支援はありえないというふうに思っておりまして、ですから、今日、冒頭で申しました15,000人の方々を受け入れるという時に、実際は一人一人、例えば福島ですと、本当に根こそぎ町から出て行かざるを得なくなったという人たちがいらっしゃいます。そうした人たちの状況を、人数が多ければいいという人数の問題ではなくて、一人一人の状況に応じて支援を差し上げるということが必要です。私がこちらで待ちの姿勢は間違いだと。なるべく邪魔にならない形で入っていって、現地の需要をしっかり捉えて、それに応じて受け入れるなり、あるいは支援をするなり、そういう訓練を今私たちはやらなくてはならない。津波においては、逃げること以外ありません。

<記者>
 逃げること以外ないとなると、県内の津波対策としては、人工物ではどうすることもできないとなると、今想定されている東海地震の津波に耐えられる対策はしているけれども、それ以上のことはもうできないということですか。

<知事>
 いいえ、ありますよ。もちろん、水門があった方が、それで弱まりますから。ましてや、その水門の高さ以下ですと、津波に襲われることはありません。しかし、それを超えた場合にはそれを止めることはできないということですね。人工物で、なるほどあの大津波にはさすがの万里の長城と称せられた防波堤も役に立たなかったということは、想定外のことが起こりうるということなので、防波堤があるから、一応5メートル、6メートルの津波、あるいは10メートル以下の津波には、それは対応はできていますよと言っても、これは津波が起こったときには想定外のことが起こりうるという危機意識を持って、高いところに、あるいは日頃逃げなさいと言われているところに、即座に逃げるということ以外に、悲劇を小さくする方法はないというふうに思っています。

<記者>
 とは言っても、復興に向けて、現地は漁業関係者も、向こうは養殖が多いので復興しようと思っている部分があると思っているというのがあると思います。それが今度、想定外のことが起きたとき、マグニチュード9が起きて津波が20、30メートルのものが来るというのはすでに想定内のことになる訳で、今回の規模のものが来たときに県内はどういう対応を取るのかということをお聞かせください。

<知事>
 これは、向こうでは津波で襲われたところはやられたと言いました。しかし、全滅している訳ではないのですね。今申しましたように、元気な人が、悲劇のあった人、一緒にその地域を復興したいというふうにしている。漁業関係者も一緒です。船がやられた、沖合に出ていて津波で持ち上がってまた下がった。この上下運動を繰り返して生き延びた漁船もいる訳です。そうしますと、今度は、これを再開することができる。ですから今我々は、いかにして復興を助けるかと同時に、復興ビジョンを中長期的なものを描く。そうした試みをしっかり、我々も参画する形で、参画するつもりなのですが、どのように新しい、これは北海道でもやられています。えりも町、襟裳岬は日高山脈の一番突端です。えりも町の中心街が突端の西側にあって、東側に庶野という集落があります。そこのところの漁場が、相当きつい被害を受けました。ですからこれは、北海道・東北が、どのように漁業を含めて復興するかということについて、その今我々は生きたテキストをもらっていると思っています。全滅はしてないですよ。町全体、漁業全体が。また、復興計画につきましても、これまでと同じような町をつくるという訳にはいかない。どのような町をつくるか。仮設住宅を造ったらいいというものではありません。やはり、この百年間で仮に同じような津波が来ても大丈夫なように、しかも、悲劇に遭った人が、あの悲劇がこういう形で美しい町に生まれ変わったと言われるような復興案を作らないといけません。まさに今、後藤新平の帝都復興案のようなものが、東北あるいは北海道・東北復興案。奥尻島もやられましたから。かつて津波で一網打尽でしたね。そういうようなことを踏まえて、私は東北地方を中心にした、新しい「ほくとう銀河プラン」(北海道・東北21世紀構想)のようなものが打ち立てられないことには、亡くなられた方に対して申し訳ないと。彼らは、誰かを助けるために、あるいは大事な人を残して亡くなられていかれたので、そうしたことが二度と起こらないようにするためには、中長期的な復興案を作らなければいけないし、その復興案をにらみながら、この地域の地域づくりをやっていかざるを得ないということで、短期的に防波堤はちゃんとやります。しかし想定外のことが起こりうる。しかし、想定外のことが起こった時にどういうふうにするかということに、我々も参画しながら、北海道・東北の復興に関与し、邪魔をしない形で関与し、地域の自立を助けるとともに、我々の地域の自立の範として、模範として、それを生かしてまいると、私の決意でおります。




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