(知事)
【ふじのくにCNF研究開発センターのオープン】
それから次の発表項目でありますけれども、ふじのくにCNF研究開発センターがオープンいたします。5月24日に、「ふじのくにCNF研究開発センター」を、CNF、セルロースナノファイバーの中核的支援機関である富士工業技術支援センター内にオープンいたします。
県では、CNFを成長産業の一つに位置付けています。これまで、富士市内に大手製紙メーカーである日本製紙のCNF実証生産設備や、研究所を誘致いたしました。そのほか、静岡大学に寄付講座を設置いたしました。研究開発と専門人材の育成に努めているところであります。
今回、企業の製品開発に対する支援体制を強化いたしまして、CNF関連産業の集積と育成を加速化させることを目的に、ふじのくにCNF研究開発センターを設置するものであります。
ふじのくにCNF研究開発センターは、富士工業技術支援センターの既存の共同研究室4室を活用いたしまして、その1室には、静岡大学がCNFの樹脂との複合化に関する研究などを行う「静岡大学CNFサテライトオフィス」を設置なさいます。
残りの3室は、地域企業が入居し富士工業技術支援センターと共同研究を行う、いわゆる「CNFラボ」といたします。CNFラボラトリー、CNFラボは公募による入居企業の選考を経まして、今年10月に開設の予定です。
入居企業は、ラボを無料で365日、24時間使用可能となります。富士工業技術支援センターに設置されている分析・検査装置など、最新鋭の機器も無料で利用できます。また、オフィスを構える静岡大学の先生から、アドバイスなどを受けやすい環境の中で研究開発を進めることができます。
5月24日には、キックオフセミナーを開催いたしまして、CNFラボの公募に関する説明や、静岡大学CNFサテライトオフィスの紹介などを行います。
【三陸鉄道と天竜浜名湖鉄道の交流協定締結及び岩手県訪問】
最後の発表項目でありますが、天竜浜名湖鉄道と三陸リアス式鉄道との交流協定締結式出席並びに岩手県内の被災地訪問に関してであります。
5月13日に岩手県宮古市におきまして、天竜浜名湖鉄道と三陸鉄道との交流協定の締結式がございまして、そこに出席いたしました。翌日14日は、釜石市、大槌町、山田町の被災地を訪問いたしまして、震災の復興状況を視察してまいりました。全国知事会から東日本大震災復興協力本部長を昨年6月から委嘱されておりますので、被災地を訪問しているわけでございますけれども、これで就任以降3回目ということでございます。
交流協定締結式では、天浜線の長谷川社長さん、三陸鉄道の中村社長さんのほか、岩手県の千葉副知事と私とが立会人として出席いたしました。今回の協定を契機にいたしまして、二つの鉄道が協力して誘客に取り組むことで利用者拡大につながり、双方の沿線地域が活性化することを期待しております。また災害時には相互協力を行うことになっているところであります。
協定締結式が行われました後、全線のうちこの3月23日に開通したのが宮古駅から釜石駅まで、旧山田線といわれている所ですけれども、これが久慈から宮古、宮古から釜石、釜石から大船渡の盛まで、全線163キロ一挙開通することになったわけでございますが、そのうち宮古駅から釜石駅までを実際に乗車いたしました。素晴らしい車両で、天浜線を知っているものですからちょっと気後れしたくらいです。あまりに素晴らしいもので「これ特別車両ですか」と聞いたら、これは普通だと、新品なんですよ。他にレトロ車両もありますよ、お座敷車両もありますよ、8両もありますよと、全部クウェートから頂いたんですって。クウェートですね、いい国ですね。それで全国で第三セクターが運営する鉄道としては一番長いですね。それで5月の岩手というのは新緑の輝く美しい頃で、桜はすっかり終わって、これからツツジ、藤が花を付けておりましたけれども本当に美しい所でございました。ぜひ皆さま方も行って、ご覧になったらいかがでしょうか。
ちなみに鉄道の横に三陸沿岸道路というのがありまして、これもたぶん宮城あたりからずっと青森の方まで行けるんじゃないかなと思います。これもこの8年の間にできた、ほぼ完成したものでありまして、ここからの景色も最高です。ちなみに釜石に行くには花巻から高規格道路ができました。今まではアップダウンのすごい道路を経て、その昔8年前に3月26日にそこに入ったときには大変な思いをしましたけれども、今はすーっと行けるようになっておりまして、復興を感じた次第であります。
被災地としましては翌日14日に大槌町に参りまして、平野町長さん、また山田町にも参りまして佐藤町長さんと面会いたしまして、復興に関するご意見を伺い、ご要望も伺って賜ったところであります。
そしてまた、釜石はご案内のようにラグビーワールドカップの会場の一つになっております。そこも訪れたのでありますが、その会場は釜石の奇跡と呼ばれる、中学生が間一髪高台に逃げて助かった、その場所に造られたものですね。そして、中学校と小学校はそこから左前方に、きれいな丘の上に瀟洒(しょうしゃ)な建物としてできたということでございます。全体盛り土をいたしまして、かつ、10メートル以上の防潮壁をしっかり造られておりまして、かつグラウンドは最新式のグラウンドで、芝は傷まない工夫がなされているところでございまして、感動的な場所です。周りは本当にきれいですから、海、山、川そして豊かな自然、その中でできるということでございます。すぐ近くに「いのちをつなぐ未来館」というのがありまして、そのとき中学3年生で間一髪助かった、あのとき8年前ですから今は22,3歳ですかね、のどかさんとおっしゃったと思うのですけれども、素晴らしい愛情にあふれた犠牲者への痛みと、そのとき起こったことを客観的に説明されて、深く深く感動いたしました。
そこは「いのちをつなぐ未来館」となっておりますが、防災センターだったそうです。防災センターは決して避難所ではないのですね。だけど津波が来るぞということで、そこにいた地域の人たちはそこに逃げ込んで、多くの犠牲者が出たんですね。そこに建てられている、高台にして盛り土して造られているんですけれども。そんな経験もいたしました。
それから三陸鉄道の駅が、皆さん、ひょっこりひょうたん島ってご存じ。ひょっこりひょうたん島がどこにあるかご存知ですか。大槌町にあるんです。ひょうたんの形をしている島がありまして、駅がひょうたんの形をしているので「なんかしゃれてますね」って言ったら、あなた知らないの、これひょっこりひょうたん島の原作がここから生まれたと、井上ひさしさんのですね、そういう駅舎になっていたり、それから何と山田町はですね、1643年にオランダが東北の金を求めて、船をよこしたらしい、それが難破いたしまして、そういう交流があるので、駅が風車駅になっているのですよ。それから釜石のラグビー場のところで降りたらすぐのところなんですけれども、そこはラグビー用の駅になっているわけです。何か希望を持てるようなことを本当に感じましたね。大槌町と山田町はそれぞれ事情が違うので、復興の歩みは同じではありません。遅れているとか早く進んでいるとかそういう問題ではないですね。それぞれ応じた形での復興の歩みっていうのがあると実感した次第であります。
全国知事会には、今回を含めて、今まで訪問いたしました被災地の復興状況を報告したところでございます。7月の全国知事会議では、「東日本大震災からの復興提言」を提出するなど、復興協力本部長としての職務を果たす所存であります。ちなみに前回は福島に行ったのですが、福島の双葉町、大熊町、双葉町は全町民出たんですね。町長さんは新しい新双葉町を埼玉県につくるとされて、そこに移住されたわけです。その後、やっぱり帰りたいと、だけど帰れないわけですね、帰還困難区域だから。結局町長選で敗れられて、その方にお目にかかったのですけれども、本当に行き場のない方々がいらっしゃると、福島については。岩手とは違う困難を抱えていると。私は本当に復興五輪にされるのであれば、この行き場のなくなった、家も土地も奪われた方々、どこに希望があるのでしょうか。公設の建物を造って入ってくださいと、これで仮設住宅からは自由になりましたね、と言われるようなものではないのではないかと、私は国が地方創生を言うなら、自ら地方に出たらどうかと、それは1990年の国会等移転審議会がつくられて、10年間の審議を経て那須野が原に移すとお決めになったのでしょ。なんでそれを実行されないのかなと。仮にそれを実行して、那須野が原、すなわち駅でいうと新白河の南の所ですね、那須塩原という駅のすぐ近くでありますけれども、その栃木県の福島の隣ですからね、そこに新しい国の顔を一緒につくっていくというふうなことだと、何か希望が得られるのではないかというふうに思ってますが、そういうふうな案はまだどこからも出てないので、私もそういう考えを持っていますので、被災されている方とお話しをしてご意見を承ったというようなことでございます。なかなかの大きな経験でございました。
以上私からの発表項目であります。 |