【財務省の決裁文書改ざん問題】
(記者)
ありがとうございます。もう1点よければですね、昨日、国会で行われた佐川元国税庁長官の証人喚問を見られて、どのように公務員として感じられたのか。そのあたりお聞かせください。
(知事)
昨日は富士山火山防災対策協議会と、それから富士山世界文化遺産協議会がそれぞれ河口湖町ならびに富士吉田市で行われて、その間私はその会議に忙殺されておりましたので、テレビ中継を観ることはできませんでした。しかし、新聞やテレビの報道を見まして、それでの感想でありますけれども、吏道というのがありますね、官吏の道というのが。それは間違ったことはしてはいけないということがあります。
かつて吏道という言葉はありませんでしたけれども、士道というのがありました。武士道の士道であります。それは主君が間違ったとことをしているということが分かった場合には、臣下のものは諌言(かんげん)をすると、つまりいさめるということですね。場合によっては切腹を命ぜられることがあるかもしれません。しかし、命懸けで諌言(かんげん)をすると。もし、それでも聞かないということがありますと、主君押し込めの構造というのがありまして、座敷楼に入れてですね、「あなたはこの藩を担っていくだけの器量の持ち主でない」と言うことが実は士道だったんですね。それが廃れたのではないかと思いました。
もちろん、上司に仕えるというのは官僚の義務です。しかし、今回、公務員としてするのは公務ですね。その公務の中でも、国民の税金を扱うそういう省庁です。その省庁において、文書の書き換え、改ざんをしたと。これは公務の一環としてなさっておられるので、これをですね、訴追を受ける可能性があるから言うのを差し控えるというのは、公務を怠っていることに他なりません。公務である以上、私事ではないので、これを隠し立てをするというのは基本的に公務員としての資格に欠けると思います。それをですね、何のために隠すのかと、自分たちが全部責任を負うと、上の方に責任が及ばないようにと、あるいは下の者に責任が及ばないように。じゃあ本当に責任を負うというのは誰かと、自分だということを言わない。無責任体制をですね、そこで吐露して誰に責任があったかということを、その責任を負うべき立場にあった方が言わないというところにですね、財務省もここまで落ちたかというふうに思います。
これは、従来上の方が立派であればですよ、命懸けでも守ろうということで、さすがというところも、あっぱれということもあろうかと思いますけれど、これは潔くないということでですね、恥ずかしい所業であったというふうに思っております。訴追の可能性があるようなことをしたということであれば、公務員としてすぐ切腹ですよね、かつての士道であれば。それに値することを国民の前に、午前中も午後もさらしたということの恥を知りなさいと。恥を知らない人間は、もう人として、人間としてですね、公務員に就くべきでないというふうに思っております。廉恥心のない人を見たと、そう思っております。
それを平気で見てですね、これで自分は身の安泰だと言っている人はもっと恥ずかしいというふうに思っております。
【名古屋市立中学校での文科省の問題】
(記者)
先日、名古屋市立中学校で文科省の前事務次官の前川氏が講演したのをめぐって、文科省が講演の内容を問い合わせたりだとか、録音データの提供を求めていた問題が報道されましたけれども、これについて知事どう思われるか、ご所感を伺います。
(知事)
はい、これも同じようなことが言われますね。前川さんもいわゆる官僚の天下りに手を貸した人です。しかし、今回のことは、明らかに文科省の皆さま方が政治家の圧力に屈して、中学校に圧力をかけたということですね。こういうところにもですね、政治家の堕落と吏道の衰退を感じますね。日本のこの、国交省も、それから財務省も、文科省、文科省は特にこの間、加計問題、森友の問題、それから天下りの問題ございまして、腐っているなと思っておりましたが、まあ相変わらずみたいなことしていると。それを上に立つといいますか、影響力を持つべき、国民の負託を受けている議員の先生方もですね、資質も問われているなと。今、日本の国を背負っている方たちが、子どもたちから見てですね、どのように見られているんだろうと思うとですね、慨嘆に堪えないということがありまして、恥ずかしいことをしているということが分からない人たちが本当に増えてきたというふうに思っております。ああいうことはすべきではないですよ。言うまでもありません。
(記者)
重ねてですけれども、今回の国会議員が、文科省の役人に意見したものが質問内容に大きく反映されていたりだとかそういったこともありましたけれども。政治が教育に介入していくということについて、これは国でも地方自治体でも同じようなことがあるかとは思うんですけれども、ここについてはどのようなご意見をお持ちでしょうか。
(知事)
安倍総理というのは、第1次安倍内閣のときに教育再生会議をつくられました。私もそのうちの座長の一人であったわけですね。その中の委員の中にはですね、教員を初めからばかにしているというか、駄目な教員が多いから再教育するとか、首にしろとかいろいろなことを言われた方がたくさんいらっしゃいました。
それからまた、今総合教育会議というのがありまして、教育委員会に首長が入っていくということができるようになったわけですね。これは、一方で社会総がかりとか地域ぐるみとかという面がありまして、いい面もあるわけです。教育委員会、これも中立性とか、あるいは継続性とか安定性という隠れみのでですね、きちっとした主権者教育もできていないということがありまして、教育委員会も駄目、文科省も駄目、そして政治家も駄目という中で、なかんずく国の元締めである文科大臣を含め、今の大臣は別ですけれども、学力テストのときのわれわれとの軋轢(あつれき)もあったような大臣だとですね、文科大臣としては、私は資格に欠けていると。自らが何が間違っているか分からない、人から言われて初めて辞めたような人ですからね。そういう人たちが大臣である、またそういう人たちに近いような政治家がですね、教育に容喙(ようかい)しているということは間違っているということで、子どもたちを皆で育てなくちゃいけませんけれども、政治家が自分たちの価値観を教育の場に押し付けるということは、厳に慎まなければならない。
ちなみに、私がなぜここにいるのかというのは、文化芸術大学でですね、あそこはいわゆる経営と人事は理事長さんが、学問と教育、研究は学長がやってくださっていた。県立大学ですから、事務サイドですね、そこがいわゆる選挙マシーンだったわけです。元トップの方が後援会の会長をなさってですね、部下に、実際の職員ですよ、そういう運動をですね、するような動きがあって。私はそれに反発をして、学の独立を危うくするものだということで辞表を提出し、そして糾弾したわけですね。糾弾したのは無礼だから、けんか両成敗で自らも罰するということで辞めたわけです。
そして、私は知事になりまして、教育というものを立て直すために、大学の中に行政あるいは政治家の意図が入らないために、最高の学者を学長、理事長に据えると。今見てくださいませ、横山俊夫さん、元京大の副総長です。それから有馬先生、元東大の総長です。こちらは鬼頭先生、人口学の最高権威です。そして今度、尾池先生、京大の元学長です。そういう方になっていただいて、うちの副知事とかですね、教育長務めたからといって、そういうところの経営に携われるといったような天下りは厳に慎むようにやっているわけですが。
そうした基本的な規範がないと、ひずみがあってですね、ある先生方の地元の地域における教育への干渉というのが起こりかねないと。地域でもそうです。国で起こっていることは、それと似たようなことではないでしょうか。特定のトップの方がですね、特定のイデオロギーをお持ちになってて、それにいわば乗っかる形で学校が造られたりして、そこに便宜が図られると。その便宜にですね、官僚が乗っかって、そして不正を働くと。働いていることが分かっていながら、それを明らかにしないというのが今の現状ではないかということで、明治150年で日本の中央官僚体制は堕落したというふうに見ております。そのうちの一端が文科省の今回の事件、事案であったのではないかと見ております。 |