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本会議会議録

答弁文書

開催別知事提案議員別代表質問一般質問検索用



平成30年6月静岡県議会定例会

吉川 雄二 議員(自民改革会議)の 一般質問 に対する答弁

(質問日:06/29/2018番目)
答 弁 者知事


○知事(川勝平太君) 六月議会のトリを飾るにふさわしい名調子、私を含め議場全員が聞きほれた感がございました。
 床屋のおやじ殿の話をお聞きしたのは平成二十一年のことでございました。そのときには批判、苦言、中傷、非難、これにたけた床屋のおやじ殿に一度お目にかかりたいと強く思った次第でございますけれども、足かけ十年の歳月が流れまして十年一節あるいは苦節十年といいますか十年で床屋のおやじ殿の教養、品格も含めて大いに上がり、そのぴりっと効いた批判精神ともども敬服した次第でございます。よろしくお伝えくださいませ。
 私の政治姿勢についてのうち、私の政治への姿勢についてでございます。
 政治の目的というのは、現実の人々の社会を平和にし人々の暮らしをよくすることであると私は考えております。そのためには社会、地域の現状を把握せねばなりません。現状を把握しなければ問題を解決することができないということでそのために学問も必要であると考えております。
 広く知識を古今東西に求め、日々勉強することをみずからに課しておりますがこの十年間は静岡をもってフィールドワークいわば現場学の対象といたしまして、現場で聞く県民の皆様のお声をもとに必要な政策を立てる現場主義を政治姿勢として県政運営に邁進しているところであります。現場を常に道場と心得る姿勢が要るとみずからに言い聞かせ、常に道場にあり常在道場を旨とし、お越しになる方、来る者は拒まず、お越しになる方は必ず何らかの必要があってお越しになっているので、助力は惜しまず、もちろん見返りは求めぬということを心がけております。
 九年前、私はこの議場におきまして知事就任の御挨拶と所信を申し上げました。ドイツの学者マックス・ウェーバーの「職業としての政治」という講演録から、この世が政治家の理想とするものにとって余りにも愚昧で卑俗であっても「それでもなお」――ドイツ語ではdennoch、英語ではneverthelessと――「それでもなお」と言い得る者のみが政治を職業とし得ると結んでいることを申し上げましたがその一文は今も肝に銘じております。
 毀誉褒貶にさらされるのは、常態ということで失敗をし挫折いたしましても、それでもなお屈せず堂々と誠実に国内外から憧れられる理想郷をこの静岡の地に築こうと全力で取り組んでおります。県議会の先生方、皆様の御理解と御支援をお願いを申し上げます。
 なお、御指摘いただきました冒頭で筆を折ってまでなぜ政治の道に志したのかという御指摘でございますがそれは真実ではありません。この九年間、十二冊、雑誌などに投稿したものを除きまして背表紙、表紙に名前の冠せられているもの十二冊、うち八冊が日本語で四冊が英語でことしになって二冊、書も出しております。
 なぜ勉強が必要かと、例えば私の場合には社会科学を志しております。社会科学は基本的に現状分析です。現状を分析すれば問題が明らかになりますので変えねばならないという課題が明確になるということですから実は現状分析は現状の変化と行動をはらんでいるということでございます。
 しかも日本の学問というのは、古くは聖徳太子、あの方は維摩経、法華経、勝鬘経、これをみずから熟読されて講義もなさりそれの解釈書である三経義疏もあらわされて日本を仏教の立国の基礎にされました。あるいは徳川家康公もまたこの文武両道ということで武家諸法度で文を第一に武を第二義にされた方であります。そしてまた明治維新におきましては五箇条の御誓文におきまして一条、二条、三条、四条、五条にまいりますと、「広く智識を世界に求め大いに皇基を振起すべし」とこううたっているのであります。私はこの国は学問立国を聖徳太子以来やってきた国だという感懐を持っております。
 それから、そのニヒリズムという重大な問題をお出しになられました。なるほどドイツ帝国宰相ビスマルクが政治は可能性の芸術であると言ったと。一方可能性が否定せられ続けますとニヒリズムに陥りかねません。どのようにそれを克服するかというのは極めて大きな問題であります。日本にニヒリズム、虚無主義というのが横溢したのは明治末年、特に昭和に入る直前ぐらいからだと存じますがこれはニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」というものの翻訳がされて以来だというふうに思います。ニーチェのこの書物はメッセージは神が真だと、神は真だということを言っているわけでございます。そしてそこで万物流転、生々流転するものでしかないというふうに言っております。
 しかしそのメッセージは一体何かと言いますれば、改めて見ますとツァラトゥストラとは何者ぞといいますとこれはアーリア民族の宗教であるゾロアスター教の教祖であります。そしてゾロアスター教の教祖であるツァラトゥストラのアーリア民族というのはセム系ではないということであります。言いかえるとセム系の人たちがおつくりになったユダヤ教、キリスト教、こうしたものはみずからの民族の神ではないということを言った。したがってキリスト教の神はルサンチマンであってこうした神を我々アーリア系の民族は信ずるべきではないというメッセージであったというふうに思います。
 しからばどうするかと。ツァラトゥストラ、超人になる以外にないと。しかし超人は生まれません。そうした中でニヒリズムというのが世の中に蔓延することになったかと思います。それを日本もまともに受けました。しかしそうしたものをどう克服したのかといったときに先生はこの日本の伝統にある、自然派生的な秩序というものがあると言われましたが私はそれであると思います。
 すなわち、例えば梅原猛はニーチェ、ハイデッガーに溺れるようになりほとんど酒と何がしに溺れて、ただただ放らつな生活になって死の境地をさまよわれた。そのときに出会われたのが空海であり仏教であります。その中で何がことほがれていたかと生きとし生きているものは全て仏性があって生かされているのであるということでございまして、これは一言で言えばやおよろずの神がこの世の中にいるとこの国の縄文時代以来のそういう自然発生的な価値ではなかったかと思います。己が生きているのではなくて己が生かされて、生かし生かされている関係の中で全てのものの中に救いがあるという、その自然発生的な哲学に出会って彼は救われたとみずから言われていると思います。そうした万物をことほぐ精神がこの国の中に流れているのではないかと思いまして二十一世紀、環境の時代にそうした哲学は、彼の言葉で言えば天体本学論でありますがそれは生きているのではないかというふうに思うところであります。
 私自身は常に勉強いたしまして、それでも足りないと思っておりますがそれぞれ勉強しないと要するに仁義礼智信というのがございますがそうしたものは反対のことをすると。つまり思いやりの反対、いじめとかあるいは虐待とか義、不義を働くとか、あるいは礼、無礼を働くとか智の反対、無知蒙昧であると、あるいは信、信用を失うとかこうしたことは全て勉強や努力を通してしか仁義礼智信などは身につくものではないというふうに思っておりまして、一生勉強であるというふうに思っておりまして筆を折るとか折らないとかということでなくて学問の対象がいわば書籍プラス現場になったというそういうことでございます。富国有徳の理想郷を世界に広めるという、この旗はおろしません。
 さて次に、文化行政についてのうち、そも文化とは何かについてであります。
 これは先生の言われたとおりであります。文化とは生き方であるということであります。しかしこれは翻訳語です。もともと文化というのは文によって化すると、したがって一九六〇年代から七〇年代にかけて毛沢東が文化大革命をいたしました。文によって紅衛兵を強化するということで、つまり毛語録によって実態としては青年たちを扇動して劉少奇を追い落とすということであったわけですがこれがもともとの文化の意味であります。
 しかしながら、日本は明治以降向こうの言葉を翻訳するという中でやがて文化については文化人類学とか民俗学という学問ができまして、これが人々の生き方であると、生活様式であると、目に見えないものと目に見えるものとから成っているのが文化であると。したがって衣食住も文化であります。価値観も文化であります。そうしたものが共同しているのが民族であると。文化共同体が民族であるということで文化はその民族のアイデンティティであり存在理由であると。したがってどの文化も大切にしなくてはならないということでございます。したがって多文化共生というのが結論になると。
 それから、先ほどこの脈絡におきまして日本のいわゆる和魂洋才についてこれはおかしいと言われたのはもっともそのとおりだと思います。実際あの時期におけるつまり明治期における和魂洋才の和魂というのはこの洋魂になってみせるという物すごい覚悟であります。すなわち洋才としてただに技術や枝葉のものを入れるというのではなくて、みずから相手のハートの中に入り込んで相手の持っているものも全て心の中に入れてみせるという物すごい、何といいますか取り入れることができる器量と、これが私は日本が非西洋圏で唯一この欧米の文明をトータルに入れ切ってかつそれを批判することができる地平に立つことができた、そういう姿勢であるという意味におきまして私はその和魂を実は洋魂にしてまでこの国を西洋と相並ぶものにするというその覚悟が明治時代の人々にあったというふうに思うのです。
 ちなみにこうしたものが文章として一番明確なのが福沢諭吉ですけれども、あの方の「文明論之概略」というのがありますがこの文明がくせ者です。私どもはこの「文明論之概略」をお読みになると西洋の文明を目的にすることと明確に書いているわけであります。西洋の文明を超えるために彼はそれを言ったわけです。そしてじゃあその文明とは何ぞやと言えばヨーロッパの文明ですから、しかしこれは本来の文明の意味ではありません。あやにして明らかなることが文明であるということで我々は東洋的な文明の価値を取り戻そうというようなことを学問の柱にしている人がいます。きょうは県立大学に対する御批判が出ましたけれども、文化芸術大学の横山俊夫先生がそうであります。ヨーロッパの文明批判を東洋の文明の観点からなさっている方であります。
 私自身は、先生がおっしゃるように文明の基礎には文化があると、そのとおりであります。しからばその文化と文明との関係はどうなるかといいますとつまり文化がいかにして文明になるかということは問われなければなりません。我々が持っている文化が憧れられてそれが我々と異なる文化の人に取り入れられるとします。そうすると文化はいわば遠心力を持ちそれなりの普遍性を持ちますから私はそれが文明であるというふうに考えております。
 つまり、例えばローマ文明というのがありますがもともとローマ人が持っているローマ字とキリスト教とローマ法、一つの文化でしかありません。これは便利だから周りの人が取り入れるとローマが文明になります。中国人の漢人の文化でしかない漢字、律令、儒教、これが便利だからとすごいからってみんなが取り入れると。そうするとこれは中国文明になります。ですからそれぞれの国の価値観なり生活様式でしかないものが広がると、それが文明になると。したがって今我々は英語というよりも日本語の国際化が本来の日本の文化の称揚になるということに相なります。
 ですから私はこれは私自身の定義でありますけれども、文化は生活様式、これは学問的定義であります。文明というのは憧れられて広まる文化だと、そういう今我々は地平に立っているということで日本の文化に十分にその自信を持つべきだと。なぜかというとここには東西両様の全ての文化の蓄積を自家薬籠中にしているという形での文化の形があるからだということであります。
 ちなみに、先ほどのゾロアスター教についてでもありますがあれは神様がアフラ・マズダー、それからミトラと二つの神様がいます。アフラ・マズダーはやがて阿修羅になりました。それからミトラという神様はマイトレーヤというサンスクリット語になりましてやがて漢字で弥勒になりました。そして弥勒は弥勒菩薩として日本ではやがて弥勒浄土、いわゆる兜率天のところに行く、そういう場面としてゾロアスター教は平和の宗教になって入ってきたのであります。そこがニーチェと違うところです。ですからゾロアスター教も実は七世紀、八世紀の間に日本には入ってきていたと。ヨーロッパに入ったのはせいぜい十九世紀でありますからはるかに我々のほうが進んでいたというわけであります。そも文化についていろいろと教わりましてありがとうございました。
 他の御質問につきましては、関係部局長から御答弁を申し上げます。

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