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本会議会議録

質問文書

開催別知事提案議員別代表質問一般質問検索用



平成27年2月静岡県議会定例会 質問


質問者:

天野 進吾 議員

質問分類

一般質問

質問日:

02/25/2015

会派名:

自民改革会議


質疑・質問事項:

1 相模トラフの地震に対する見解について              
2 まち、ひと、しごとの創生について                
 (1) ポスト東京時代                        
 (2) 合計特殊出生率                        
3 日本人形の里帰り計画について                  
4 教育行政について                        
  教育長としての感慨 


○議長(多家一彦君) これで大池幸男君の質問は終わりました。
 次に、五十九番 天野進吾君。
       (五十九番 天野進吾君登壇 拍手)
○五十九番(天野進吾君) 自民改革会議所属議員として当面する諸課題について、一括方式にて知事、関係部長並びに教育長にお尋ねいたします。
 まず、最近発表された相模トラフ地震の対応についてお伺いいたします。
 実は、これまでも地震災害については折々に質問や意見をさせていただいてまいりましたが、残念ながら納得できないことから、きょうも粛々とお尋ねいたします。
 最初にお尋ねすることは、昨今の自然災害に対する警告や警鐘が、しばしば該当する地域や自治体にとって対策はもとより想定すらできない極限的な数値が乱舞し、関係自治体にはまさに恫喝と映るのであります。私にはその都度、その報道は誰のため、何のためにとの疑念を払拭されないまま今日に至ったのであります。
 その至近な例として、先月三十日、県が公表した相模トラフ地震の被害想定でありますが、私には到底理解も納得もできない内容であります。翌日の静岡新聞の一面に相模トラフ地震が起きたときの被害状況について詳細に記載され、「伊東で最大津波高十七メートル」と、どでかい活字で掲載され、さらにはその脇に「四次想定を大幅超」と警告しているのであります。また熱海市の場合には、県が昨年度発表した第四次地震被害想定の最大値九メートルに対して実に一・五倍となる十四メーター、初島に至っては二倍の十八メーター、そして伊東市についても十メーターから十七メーターと拡大されて発表されたのであります。もとより四次想定は南海トラフ地震を想定した数値であることから、危機管理部としても伊東や熱海など相模湾沿岸の地域の人々に改めて相模トラフ地震の危険を警報するための試みであったと理解いたします。
 そこでお尋ねいたします。第一点として、新聞に掲載されているように、以上の数値は相模湾におけるマグニチュード八・七の地震をもとにして積算したとのことでありますが、一体何のための被害想定だったのでしょう。否、マグニチュード八・七という数字はどこから来たのでありましょうか。
 議員各位も、相模トラフ地震といえば日本人誰もが大正十二年九月一日の関東大震災を連想するでありましょう。申し上げるまでもなく関東大震災の震源地は相模湾であって、しかもその規模はマグニチュード七・九でありました。
 そこでお尋ねしますが、ただいま申し上げましたように、あの関東大震災の地震規模七・九に対し本県が心配する相模トラフ地震は八・七というこの驚異的な数値の違いは一体どこから生まれたのでしょうか。まさかとは思いますが、四年前の東日本大震災の折、研究者らがふと漏らした想定外なる言葉に、言論界はもとより市民までもこぞって想定外とは何だのきついお叱りに、自来、研究者や行政側の皆さんはいつの間にか後で文句を言われないようにと考え、自分たちの常識をはるかに超えた被害想定を提示し責任回避の手だてを講じたのではと皮肉って考えてしまいますが、いかがでしょう。この際、私の不明を承知の上で申し上げますが、この相模トラフ地震の規模についてはただいまマグニチュード八・七と申し上げましたが、何とこの数字はこれまでの史上最大の地震、一九六〇年のチリ沖地震の八・五を上回る数字であります。だとすれば予測されるこの相模トラフ地震、あるいは三連動地震であれ、その規模はチリ沖地震をはるかに上回る規模と言って差し支えないものでしょう。以上のように想像もできない巨大地震の警鐘は行政として本当に正鵠を得たものでしょうか。
 ついでにこの際、見直された堤防の高さについて言えば、例えば熱海の初島の場合には必要な堤防の高さを七メートルと新聞には掲載されておりますが、その一方で予測される津波は十七メーターとあり、まさにぬかにくぎではないでしょうか。もちろん地震国日本であれば容易に手抜きのできる課題ではないでしょう。しかしいささか大げさにして誇大妄想過ぎると私の目には映るのであります。かつて中国の春秋時代、杞の国の人々が今にも天地が崩れ落ちるのではと心配したことから御案内の杞憂という言葉が生まれましたが、なぜかそんな言葉の由来を思い出したところであります。
 さて、おせっかいと思われるでしょうが、相模トラフ地震に対するお隣の神奈川県の対策について議会事務局を通じて調べてみました。その結果、帰ってきた回答に私は大変驚きました。共通した行政課題であっても、それに対する理解と姿勢は全く異なることを知ったのであります。
 かつて静岡県は、東海地震という恫喝におびえ、およそこの四十年間に二兆円以上の地震対策費。しかもそのほとんどは耐震対策であって、津波についてはほとんど考慮されていませんでした。隣県にありながらその対応の違いに驚いたところであります。もちろん昔から備えあれば憂いなしと言うものの、近年の地震、津波、噴火などの自然災害に私たちはいささか臆病になり過ぎているのではないでしょうか。
 次に、まち、ひと、しごとの創生についてお尋ねをいたします。
 昨年、国はまち・ひと・しごと創生法を制定するとともに、十二月二十七日にはまち・ひと・しごと創生総合戦略を閣議決定したのであります。その趣旨は我が国が世界に先駆けて人口減少・超高齢化社会を迎えるに当たり、こうした待ったなしの構造的な課題に対し地方創生という重要課題に真正面から取り組む覚悟を決めたからでありましょう。
 その基本的な考え方として、人口減少という社会構造の変化が地域経済の縮小をもたらし、さらにその縮小が結果として地方の衰退を誘発するとの原理からであります。このたびの総合戦略では、そのための第一点として東京への一極集中の流れを断ち、二点目として若い世代の結婚、出産、子育ての環境をいかに整えるかにあります。
 過日、安倍内閣の担当大臣である石破茂大臣から県議会議長に宛てられた文章の中に次のような言葉があります。すなわち、「地方創生は日本の創生です。国と地方が総力を挙げて地方創生を推進し、国民の意識が変わっていけば、活力ある社会に向けて未来が開かれていくと確信しています」。なるほど、その趣旨は明快ではありますが、実際は地方にとって五里霧中と言うべきでしょう。
 そこでお尋ねする第一点は、東京への一極集中の流れを断つポスト東京時代についてお伺いいたします。もちろんポスト東京時代の言葉は、そのニュアンスから何を想定しての言葉かは理解できるところでありますが、知事が想定する東京時代の終えんとは一体どんな状況を指すのでしょう。御案内のように、今の社会の流れは確実に東京圏に収れんしつつあります。殊に二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピックの開催は、いよいよ東京圏へ人、物、金が集中することでありましょう。そして、その郊外に位置する本県はそのとばっちりをまともに受けるのであります。
 昔から私たちは、本州のど真ん中に位置し、気候風土は日本一、さらには富士山を中心に東は風光明媚な伊豆半島、西は文化の薫り漂う遠江八景など。さらには農林水産など経済産業も味方し、まさに日本一の環境を誇ることのできる地域と自慢してきたのであります。
 そこで、知事の言うポスト東京時代の日本の理想郷とすべく、どのように静岡を創生していこうとするのかお伺いいたします。
 次に、二点目の若い世代の結婚、出産、子育てに関連して、合計特殊出生率の目標値達成の具体的手法についてお尋ねいたします。
 人口問題について言えば、本県でも総合計画で人口減少社会への挑戦を唱え真正面から取り組んでまいりましたが、正直言って逓減し続ける本県の人口問題に快刀乱麻を断つ名案はないとしても、私はなお知事の英知に期待するところであります。
 そこで、川勝知事の掲げる合計特殊出生率についてお尋ねいたします。
 御案内のように、本県の合計特殊出生率は平成十六年に一・三七を記録して以来着実に回復しながら、平成二十五年には一・五三にまで伸びてきたのであります。その一方で、現在本県が掲げている目標数値は実に二・〇を提唱し、その心意気には驚くとともに感心をいたしております。厚生労働白書によれば若者の九割弱が結婚願望を持ち、さらに結婚した際の理想とする子供の数も二・一二と言われ、だとすれば一・八人程度は十分に可能だと指摘もされております。もちろん高い目標を持って挑戦することはそれはそれなりに結構でしょうが、それを具体化する手法があればその一端でも御披露いただきたいと存じます。
 次に、およそ一般質問としてはふさわしい項目ではありませんが、御理解をいただいて議員各位に共通の認識を持っていただきたく質問項目に加えさせていただきました。既に新聞等にも掲載され、多くの県民からも関心の高さをうかがわせるミス静岡富士山三保子の里帰り計画について、あえて御理解いただくべく質問の題材に加えさせていただきました。
 さて、三面記事の中ですから新聞記事を見ていない方には御不明のことでしょうから、あらかじめ人形ミス静岡について簡単に紹介させていただきます。
 昭和二年、我が国では大正天皇が薨去、それまでの大正デモクラシーの時代は終えんし、時代はきな臭いにおいの方向に大きく移り変わっていきました。同時にアメリカにおいても、日本人の移民を阻止すべく移民法が誕生するなど政治的にも怪しい雰囲気が醸し出されていったのであります。
 そんな折、アメリカではギューリック博士が中心となって両国の平和友好を求めて、昭和二年のひな祭りに間に合うように一万二千余の青い目の人形が日本に送られてきたのであります。日本はその人形を全国の小学校と幼稚園に配付。本県にも二百五十三体の人形が届けられたのであります。
 一方、アメリカ国民の平和への願いを知った我が国においても自然発生的に答礼運動が沸き上がり、時の文化人渋沢栄一を中心として伝統の市松人形をもって答礼することに決めたのであります。その結果、四十六都道府県、六大都市、さらには当時日本の統治下にあった琉球、台湾、満州など地域の名をかざした都合五十八体の日本人形が、その年のクリスマスに間に合うように急遽実行されたのであります。静岡県では後に人間国宝となった人形師平田郷陽による市松人形に、時の県知事長谷川久一氏が名づけ親となって、静岡県の代表的景観から富士山三保子と命名、晴れて太平洋を渡ったのであります。
 その富士山三保子は、このたびミズーリ州カンザスシティー博物館に保管されていることが明らかになり、ただいま担当の企画広報部が中心となってカンザスシティー博物館と交渉、急遽日本への里帰りがまとまり、来年の二月二十三日すなわち富士山の日に実行されるところとなったのであります。
 正直言って、ここに至るまでの経緯は容易ではありませんでした。殊にカンザスシティー博物館から送られた人形の写真は、昭和二年十月の渡米前の写真とは明らかにその着物の柄が異なり、さらにはその模様の中になぜか神戸市の市章が描かれていることに関係者は大きな戸惑いを覚えたのであります。しかしその後、この答礼人形にかかわる方からの協力もあってその全容は解明され、市章についても神戸市の人形と着せかえられたことが原因と、その疑いは一件落着したのであります。
 一方、アメリカから送られた一万二千余の青い目の人形のほとんどは、太平洋戦争の渦中にあって不幸にも軍事訓練の竹やりの標的となってそのほとんどを失い、今では全国に三百足らず、本県ではわずかに四つが確認されているにすぎないのであります。
 ことしは、あたかも終戦七十周年であります。さらには昭和二年に制作された富士山三保子は、来年の二月に米寿となって日本の里帰りを果たすことになりました。さらに平成七年の岐阜県を最後に忘れ去られた里帰り事業ではありますが、平和国家日本を謳歌し、そのことを確認できる意義ある企画と考えております。
 この記事が新聞に取り上げられて以来、富士山三保子の里帰りは多くの県民の注目を集めているところであれば、知事初め担当者の英知と企画力に期待するところ、極めて大であります。そこで里帰り事業の企画と意気込みについて御披露いただければと思います。
 質問の最後になってまことに恐縮でありますが、辞任を予定される教育長に御所見を伺いたく、お尋ねいたします。
 安倍徹教育長には平成二十二年四月に御就任いただき、以来思わざる諸問題に直面し、しかも任命権者との間でしばしば見解を相違するなどもって苦しい立場を余儀なくされたこと、決して少なくはありませんでした。恐らく今に至ってその感慨ははかり知れないところでしょう。
 そこで、辞任を前にする教育長にあえて望むところは、一身を教育界に奉じたあなたであれば、この際私たち議員に折々の喜びや苦しみを吐露していただき、もってこれからの静岡県の教育の糧にしてまいりたいと考えるのであります。
 余談になりますが、議員の中で恐らく唯一私が教育長の選任経験者だと存じております。思えばその折、私は新しく任命する教育長に次のような言葉を投げかけたのであります。「私は教育の世界については素人です。ですから子供たちの成長を願う学校教育については、教育長初め先生方に全権を委任します。ただ学校施設や運営費など教育のための予算については遠慮なく申し出てください」。
 さて、長い間最高学府の教育者としての経験を持ち、その後静岡県知事に就任した川勝知事であれば御理解いただけるものと思いますが、今、その生涯のほとんどを教育一筋に取り組んできた安倍教育長の心からの言葉を議会の私たちにお聞かせいただきたいと存じます。安倍教育長、いよいよ本会議の答弁もあすを残すのみであります。この際、存分に教育長としての感慨をお聞かせいただきたいと思います。
 最後に、私からも根性を持って教育に尽くされたその姿勢に心からの拍手を送らせていただきます。以上で私の質問を終わります。(拍手)
○議長(多家一彦君) 川勝知事。
       (知事 川勝平太君登壇)
○知事(川勝平太君) 天野進吾議員にお答えいたします。
 議会における質問、演説というのはかくあるべきものかというふうに感じ入って、その名調子をお聞きいたしました。
 さて、まち、ひと、しごとの創生についてのうち、ポスト東京時代についてであります。
 東京時代の終えんを何によって活気づけ、そしてふじのくにの理想郷をつくるかという御質問でございますが、私はまず、静岡県民が静岡県の持っている場の力の高さを客観的に評価されて、みずから自覚することにあるというふうに思っております。先生御指摘のとおり、本県には富士山がございます。その富士山が平成二十五年四月に世界文化遺産へとイコモスによって勧告され、二カ月後に登録されました。以後静岡の茶草場農法、三つ目に和食、四つ目に南アルプス、五つ目に本庶先生のタンプライズ、そして六つ目にSPACのアビニョン芸術祭における演劇の都としての評価。さらに七つ目に深良用水のかんがい施設としての世界遺産登録、八つ目に牧之原市の花の会の国際コンクールにおける五つの花賞、九つ目に天野浩先生のノーベル物理学賞、十番目に浜松ホトニクスのIEEEマイルストーン賞、十一個目に浜松市のユネスコ創造都市音楽分野におけるネットワーク加入、十二個目に太田朋子先生のクラフォード賞受賞、十三番目に高橋裕先生の日本国際賞。これが昨年までに世界水準として本県の持つ地域、人が認証せられたところでございます。さらに本年におきましては韮山の反射炉、伊豆半島、さらに浜松市、静岡市がサミット等の開催候補地として決まる可能性もございます。これらを合わせますと十六になります。これらの世界水準のある地域であるということ自体が、東京との比較において本県が決してまさるとも劣らない地域的魅力を持っていることであるというふうに存ずる次第でございます。
 そして、もし東京時代の終えんを画する事件が何かということになりますれば、私は国会等移転審議会が答申した首都機能の移転を決定したときというふうに存じます。一九九九年十二月に国会等移転審議会が最終報告を小渕内閣総理大臣に出しました。そしてその答申はまだ生きておりますが、宙ぶらりんになっているわけでございます。首都機能の移転先もその答申には盛り込まれております。それは東京圏外でありますので、移るということが決まった時点で東京時代の総括というものが始まるというふうに存じます。しかし今の政府にその動きはありません。
 一方、地方創生という動きが活発になり、地方創生が日本創生になるという大臣のお言葉もありました。しからば我々は地方創生をどうするかと。日本の創生のために何をするかということで富士山の価値を数え上げ、その富士山の価値に立脚した国づくりをしていく、地域づくりをしていくということで我々は平成二十三年二月二十三日にふじのくにづくり宣言をいたしました。そしてその宣言に山梨県が呼応され、そしてまたふじのくにづくり推進会議最高名誉顧問に中曽根康弘元総理大臣閣下が御就任なさり、そして平成二十三年以来、その動きは活発化しているというふうに存じます。私どもはふじのくにづくりを通してポスト東京時代を開いていくということでございます。しかしながら、なかなかにこれは抽象的であるということでございましょう。
 一方で、偶々ことしは徳川家康公、没になられて四百年目の年に当たるということで徳川四百年祭を繰り広げ、それを推進するために徳川みらい学会という、県民のさまざまな方々がベースになりまして勉強を始められております。そして徳川の平和、パクス・トクガワーナというのを、パクス・ロマーナ、パクス・ブリタニカ、パクス・アメリカーナと相並ぶものとして発信していこうというふうにしているわけでございます。私はこうしたものは一見うろんのようでございますけれども、必ず東京時代と違う時代が日本にやってくるというそういう認識を広げていくに違いないと確信しているものでございます。
 今後とも、富士山から導き出される多様な価値に立脚したポスト東京時代の新しい日本の理想郷づくり、ふじのくにづくりに全身全霊をささげ邁進してまいりますので、天野先生を初め県議会の皆様の御支援、御協力を賜りますようにお願い申し上げる次第であります。
 次に、日本人形の里帰り計画についてであります。
 先般、天野先生がお書きになられました随筆「見つかった日本人形『富士山三保子』」を拝読しました。なかなかの名調子で書かれていまして、講談調とでも言いましょうか、一気に読ませるすばらしい随筆でございました。そこに、今お話しになられたことの大半が詳細に書かれておりますけれども、アメリカ国民の平和への願いの答礼として海を渡った日本人形富士山三保子が八十八年ぶりに米寿を迎え、故郷静岡に里帰りすることになりました。米寿を迎えて年がいったかといいますと、何しろ富士山、また三保松原の三保、これを冠した名前でありますので、人が老いても悠久の美しいその姿を、三保松原、富士山があらわしておりますように美しい姿のままでこちらにお帰りになるということでございますので、まことに意義深いものでございます。里帰りを提案された丹羽御夫妻を御紹介いただきました天野進吾先生に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 今回の富士山三保子の里帰り事業の実施に当たりましては、今後、関係市町や趣旨に御賛同いただける民間の方々とともに実行委員会を立ち上げ、来年二月二十三日の富士山の日に合わせた展示会や県内の巡回展示、富士山と三保松原の絵柄の新しい着物の制作など具体的な事業について準備を進めてまいります。
 また、米国大使館の御協力を得てケネディ駐日大使の御臨席を仰ぐべく努力をいたします。また富士山三保子へのアメリカのパスポート発行についても実現できるよう働きかけるつもりでございます。また県内に保存されている、米国から贈られた青い目の人形も小学校や博物館において平和教育、国際親善としての役割を果たしておりますので、関係者の御理解を得て里帰り事業に合わせて展示する機会を設けたいと考えております。
 私どもは、今回の富士山三保子の里帰りを県民の皆様とともに盛大にお祝いし、そして改めて本県とアメリカ合衆国との将来にわたる友好のあかしとして確認する機会となるよう、実行委員会に参加する皆様とともに積極的に取り組んでまいります。
 その他の御質問につきましては、関係部局長、教育長から御答弁を申し上げますが、天野議員は、私の知る限り再質問をなさらないので、私も与えられているのは二つの質問に対する答弁でございますけれども、あえて相模トラフの地震に対する見解について申し上げます。
 一体、誰が何のために相模トラフの巨大地震は八・七、南海トラフは九・〇という数字を出したのでしょうか。この数値の出どころは内閣府であります。その同じ内閣府は関東大震災が七・九であることがわかっているにもかかわらず、あえてその数字には言及せず、向こう三十年間でマグニチュード七クラスの地震が七〇%の確率で起こるというふうに言っております。誰に対する恫喝になるでしょうか。その数字を受ける対象地域、我々であります。我々はこれを恫喝とはせずにこれを災いを福となすということで、どういう状況にも耐えてみせるということで地震・津波対策アクションプログラム二〇一三を策定しその二十三年度から十年間で、起こるであろう想定の被害を八割減らすということに取り組んでおりますので、ここほど安全な地域はないというそういう地域のPRの手段としていこうというふうに考えておりますが、しかし東京はけしからんと。東京政府はけしからんという気持ちだけはここで表明させていただきます。以上であります。
○議長(多家一彦君) 岩田危機管理監。
       (危機管理監 岩田孝仁君登壇)
○危機管理監(岩田孝仁君) 相模トラフの地震に対する見解についてお答えいたします。
 ただいま知事のほうから強い思いが、御発言いただきました。私のほうからは、最大クラスの地震であっても、ハードとソフトを組み合わせた防災対策を講じることにより被害を大幅に減らすことは可能であるというふうに考えております。県といたしましては、対策検討の基礎資料として最大クラスの地震を対象とした被害想定は必要であると考えております。相模トラフの地震につきましても国が新たにマグニチュード八・七の最大クラスの震源断層モデルを示したことから、県では対策に資するため本年一月にこれに基づく被害想定を公表したものであります。
 なお、一九六〇年のチリ地震につきましては地震の放出エネルギーに換算したモーメントマグニチュード、これは九・五とされており、私どもが想定しているマグニチュード九・〇の南海トラフ巨大地震や八・七の相模トラフ沿いの最大クラスの地震よりもさらに大きな規模の地震でありました。
 県といたしましては、地震など自然災害、自然現象においては人知を超えた事態が起こることもあるとの認識で、決しておごることなく謙虚な姿勢で臨むべきと考えており、想定される犠牲者の八割減を目指した地震・津波対策アクションプログラム二〇一三を着実に推進するなど世界に誇れる防災先進県の実現を目指してまいります。ぜひ御理解いただき、さらなる御指導をいただければというふうに考えております。以上であります。
○議長(多家一彦君) 宮城島健康福祉部長。
       (健康福祉部長 宮城島好史君登壇)
○健康福祉部長(宮城島好史君) まち、ひと、しごとの創生についてのうち、合計特殊出生率についてお答えいたします。
 県では、目標に全国一の合計特殊出生率二を掲げるふじさんっこ応援プランを策定し、結婚から妊娠、出産、子育てに至る切れ目のないさまざまな取り組みにより、その実現を目指すこととしております。
 結婚支援につきましては、本県における未婚の男女の八割以上の方々が結婚を希望していることから、企業と連携して出会いから結婚に至る仕組みづくりを構築する出会い・結婚サポートモデル事業を行うこととしております。妊娠や出産への支援では、新たに男性不妊への支援や、妊娠期から子育て期にわたるさまざまなニーズをワンストップで対応する妊娠・出産包括支援推進事業を実施いたします。子育て支援としては、保育所及び認定こども園の整備を強力に推進し待機児童ゼロの実現を図り、安心して子供を産み育てながら働き続けられる環境をつくることとしております。また、先進的で効果的な市町の取り組みを見える化するふじのくに少子化突破戦略事業により県内全ての市町の少子化対策を企画面から支援し、その取り組みを加速化させ市町の出生率の回復を目指してまいります。
 本県の合計特殊出生率は、平成十六年の一・三七から平成二十五年には一・五三までに回復しており一・八を超える市町も複数あらわれております。県民の皆様が二人から三人の子供を持ちたいという強い意志があり、それを社会全体で応援する体制を築いていけば高い目標であっても必ずや達成できるものと考えております。
 今後も、県や市町、地域や企業など全県一丸となって結婚から妊娠、出産、子育てに係るあらゆる施策に取り組み、合計特殊出生率二の実現を目指してまいります。以上であります。
○議長(多家一彦君) 安倍教育長。
       (教育長 安倍 徹君登壇)
○教育長(安倍 徹君) 天野進吾議員からは、心からの拍手を送っていただき本当にありがとうございます。存分にということでございますので、若干答弁が長くなりますけれども御容赦いただければと思います。
 教育行政についてお答えいたします。
 教育長としての感慨についてでありますが、平成二十二年四月に就任して以来五年、教育委員会事務局を預かってまいりました。この間、本県教育の充実発展、人づくりに対する知事の並々ならぬ熱い思いを多くの機会を通して感じ、薫陶を受けてまいりました。私たち教育委員会事務局の者ではとても思いつかないような施策提案にもたびたび出会い、その豊かな発想力、着想力に大いに学ばさせていただきました。そしてその熱い思いや施策提案等を受けながら、教育委員会としてどのように具現化できるかを他の教育委員とともに協議をしてまいりました。
 しかしながら、思いや願いは同じであっても、議員から御指摘がありましたように時として方法や手法において見解を異にすることもあり、そのような場面において教育長として教育委員会と知事への説明、調整など、かけ橋役を必ずしも十分果たせなかったことに今、力不足を感じているところであります。
 来年度から始まる総合教育会議が、知事と教育委員会とのそれぞれの思いをそれぞれに課せられた責務を尊重しつつ、新教育長のリーダーシップのもと方法、手段まで含めて共通理解する場となることを期待しております。本議会初日の藪田議員の代表質問への答弁でも申し上げましたように、自立と連携により建設的な議論、対話が展開されるよう願っております。あわせて教育委員会には、継承すべきものは継承しながら勇気を持って改善、改革をしていっていただければと思っています。
 この五年間、多くの学校を訪れ子供たちの生き生きとした姿に励まされ、また地域の方々の協力を得ながら先生方が懸命に教育活動に当たっている姿に接することができました。毎日の地道な学校生活の積み重ねが子供たちのたくましい成長につながっていることを改めて実感し、学校教育の環境整備、人的配置の充実の必要性を痛感いたしました。
 一方で、とうとい命が失われるという二度と起こしてはならない事故に直面し、また大震災の被災地に立ち命を守る教育は最重要課題であることを強く感じた次第であります。いじめや体罰の問題は全国的にも大きく取り上げられ、社会問題となりました。これらの事案に接するたびに心が冷たくなり、教師が児童生徒に教えることの難しさや子供たちが互いに育っていくことの複雑さを感じました。根絶に向けては人権教育が大変重要でありますが、その要諦は想像力ではないかと思っています。みずから発する言葉、行動がどのように相手に受けとめられるかという想像力を持つことが必要だと思っております。この想像力は命を守る教育にも相通じるものだと思っております。
 私は、この五年の間に議員の皆様や各界のリーダーを初めさまざまな分野で活躍されている多くの方々にお会いすることができました。私の財産ともなっております。そのような方々のお話をお伺いし、お人柄に触れて感じたことは、経験を重ねること、学ぶということは人を温かく柔らかくするということでありました。学ぶことは強くなるということだけではなく、人として柔らかくなることだと教えられました。確固たる信念を持ちながらも、一方で柔軟性、包容力を持ちながら和を大切にして、県民のためによりよい施策を行っていかなければならないことを強く感じた次第であります。
 優秀な事務局職員に支えられ、励まされての五年間でありました。山あり谷ありではありましたが、職員一人一人が気概と使命感を持ち、一丸となってその時々の課題に誠実にかつ真摯に取り組んでくれたことをありがたく思い、今、感謝をしております。この文化は、ぜひこれからも大切にしていってほしいと思っております。今後の本県教育行政が、チーム静岡のもと力強く進められることを切に願っております。以上であります。(拍手)
○議長(多家一彦君) 五十九番 天野進吾君。
       (五十九番 天野進吾君登壇)
○五十九番(天野進吾君) 今、四名の方から御答弁をいただきました。大変に誠意を持った回答をいただいたことに改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。殊に知事、非常にきつい表現を使いましたけれども、わかったことは知事のロマンです。このまちのロマン、この静岡県のあしたのロマン。それを一生懸命追求している、その心を理解させていただきます。殊に災いをもって福となすという言葉がありましたけれども、想定被害の八割を何とかしたい、残り二割は無理だとしても精いっぱいの努力をすることが今我々に課せられた仕事だという、そういう理解としていただきました。ありがとうございました。
 里帰りの企画については、実は私も驚くぐらいの大きな企画をいただいていることに改めてお礼を申し上げます。これからは官民一体となってすばらしいものにつくり上げてまいりたいと考えております。
 危機管理監、大変に生意気な表現を使わせてもらいました。しかし正直言って今はマグニチュード一つをとってみても、管理監が言われるように表面波マグニチュードとモーメントマグニチュード。例えば一九六〇年のチリ沖地震、それではモーメントマグニチュードは九・五、表面波マグニチュードは八・三から八・五。しかし九・五という数字は、実は金森博雄博士の推定値です。言うなれば一人の名前しかありませんでした。果たしてそれが本当に説得できるものでしょうか。だから私は、その数字を見ていたらわけのわからない県民ばかりが出ちゃう。そういう意味ではもっとわかりやすい表現をもって、これからの災害の大きさについてあらわしてほしいと願う次第であります。
 皆さんのその答弁に対して心から感謝をするとともに、どうぞこれからは教育長、健康を大事にし、そして精いっぱい社会に貢献していただけるようにお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)
○議長(多家一彦君) これで天野進吾君の質問は終わりました。
 以上で、本日の質疑及び一般質問を終わります。

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