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本会議会議録

質問文書

開催別知事提案議員別代表質問一般質問検索用



平成25年2月静岡県議会定例会 質問


質問者:

遠藤 榮 議員

質問分類

一般質問

質問日:

03/06/2013

会派名:

自民改革会議


質疑・質問事項:

1 日本人としての帰属意識の再認識について
2 森林資源の循環利用に向けた森林の造成について
3 身近な野生動物と人間生活とのかかわりについて
4 製紙産業の振興について


○議長(小楠和男君) ただいまから会議を再開します。
 質疑及び一般質問を続けます。
 通告により、六十一番 遠藤 榮君。
       (六十一番 遠藤 榮君登壇 拍手)
○六十一番(遠藤 榮君) 私は今定例会の最後の質問者となりました。論戦もいよいよ最後でありますが、当局の皆様方、最後まで的確な御答弁をいただきたいと思いますし、また議員の先生方、お疲れとも思いますがしばらくの間おつき合いをお願い申し上げたいと思います。
 それでは、私は自民改革会議所属議員といたしまして通告に基づきまして、知事並びに関係部局長に質問をいたしたいと思います。
 初めに、日本人としての帰属意識の再認識についてであります。
 昨年七月に、イギリスのロンドンにおきましてオリンピックが開催されました。日本選手団は金メダル七個、銀メダル十四個、銅メダル十七個の計三十八個のメダルを獲得し、大活躍をされました。表彰式において「君が代」が流れ日の丸が掲揚される中、表彰台の真ん中に立つ日本選手を大多数の国民が誇らしげに思い日本という国を感じたのではないでしょうか。しかし今の日本ではこのようなときでなければ日本という国家観を感じるところがないわけでございまして、そういうことを考えてみますと国家に対する意識を持つことの大切さがここでわかるのではないかと思います。
 江戸の末期に、アヘン戦争における清国の敗戦と列強による内政干渉、そしてペリー艦隊の来航による開国など急展開する国内情勢の中で藩という帰属意識から日本という国家を意識し明治の世を生み出したのは、下級藩士を中心とする若者たちでした。その思いは、このままでは日本は列強により清国と同じように踏みにじられてしまうという強固なまでの危機感であったと思います。
 昨年夏以来、尖閣諸島の問題や竹島の領土問題等におきましてはまさに当時と同様な認識を持つべき問題であると思いますが、どの程度の数の国民が危機意識を持ったかと思うと、国家に対する帰属意識の希薄さは大変な課題となっております。
 戦後、非軍事化、教育の民主化が進められる過程で国家を論じることや国を思う気持ちまでもが国民の中から一掃されてしまったことは、否めない事実であるわけであります。
 そこで、私は国家への帰属意識を醸成する端緒として、国民一人一人の意識が一つになるために国歌や国旗を活用すべきであると思います。
 国家には「君が代」、日の丸が、県には県歌、県旗が、学校には校歌、校旗があります。国旗や校旗を掲揚しつつ、君が代や校歌を歌ったときの高揚感や一体感を誰もが体験として記憶をしていると思います。しかし今では学校におきましては国歌が斉唱されるのは入学式と卒業式のみの場合がほとんどであり、社会に出れば全くといっていいほどその機会はありません。また祝日に国旗を掲揚する家庭も最近ではほとんど見られなくなってしまいました。平成十一年の国旗及び国歌に関する法律の制定にもかかわらず、浸透していない現実は残念でなりません。
 余談でありますが、この議事堂にもこちらに国旗、こちらに県旗が掲げられているわけであります。これにつきましては、昭和六十年六月二十七日に代表者会議、議運に諮り了承されたものであります。
 国民一人一人をつなぐ手だてとして、私は国旗、国歌の活用が最もふさわしいのではないかと思います。またこのつながりを確かにするためにも日ごろから挨拶を初めとする礼節も欠かしてはならないものと考えておる次第であります。
 知事は、現在の日本が抱えるこのような課題などをどのように捉えられているのか。また県政を運営をしていく中で県の組織を動かしていくためにも人の心を把握することが必要であり、そのためには錦の御旗ではありませんが求心力を高めるものが必要であると思います。
 知事は、何をもって県政を推し進めていくのかあわせて伺います。
 次に、森林資源の循環利用に向けた森林の造成について伺います。
 昨年十一月に開催されました第三十六回全国育樹祭におきましては、質、量ともに成熟し収穫時期にある森林資源の活用とそのための人づくりの大切さを全国に発信でき、次代につなぐ森林づくりを進めていく上でも大変意義があるものであったと思います。併催行事や記念行事を含め県内外から三万人もの参加をいただき盛大に開催できましたことは、県民の一人として誇らしく感じたところであります。
 さて、県は、県産材生産四十五万立方メートルの目標に向け山側の丸太の供給体制が整備されつつある状況にあり、これを受けて県内に木材加工施設を置く複数の企業が施設拡充などいよいよ本格的に動き出していると伺っています。こうした施設整備が実現すると本県の木材産業が大きく発展するだけでなく森林・林業の再生の道筋が確実なものとなり、さらに丸太や製品を運ぶ流通業などにおける雇用促進や経済への波及効果が大きくなり、期待をいたしているところであります。
 世界の木材需要は増加の傾向にあり、木材輸出国における資源ナショナリズムなども強まることが予想される中で長期的な視点に立てば外材の輸入は難しくなってくると考えられることから、国内の豊かな森林資源を継続的に活用し、短期的な為替の変動や国外の経済情勢に影響を受けない強い林業・木材産業を生まれ変えさせていく時期が到来したのではないかと私は考えます。
 本県での全国育樹祭の大会テーマは「木を植えて 育てて活かす 緑の力」とうたっているとおり、森林・林業は本来植えて育てて森林資源を伐採、利用しまた植えて育てるという資源循環の流れをつくっていく産業でありますが、本県の森林資源は十分成熟している反面樹齢二十年以下の若い森林が何と二%しかないという資源構成であります。これからは若い林から成熟した林までバランスよく配置された人工林に変えていき、資源的にもさまざまな用途に活用でき環境的にも生物多様性が確保される森林の姿を目指して、百年先の森林・林業をつくっていくことが大切であると考えます。
 そこで、現在木材の収穫手法として主に取り組んでいる利用間伐に加えて、立木の全てを伐採し再植林をする皆伐施業により森林を若返らせていく必要があると考えますが、県の取り組みについて伺います。
 次に、身近な野生動物と人間生活とのかかわりについて伺います。
 身近でどこでも見られるスズメが最近減少していると言われています。私の住んでいる新富士駅周辺におきましても昔と比べると見られる数は減少していると思われます。減少している原因としては、鉄筋コンクリートづくりのマンションが増加したことや最近の住宅は新建材の使用などでスズメの営巣場所となるすき間が少なくなってきたことと、都市化の進展で草地や水田が減少し餌となる虫や草の実が少なくなったことなどと言われています。平成二十年の繁殖期における日本全土のスズメの成鳥個体数は約一千八百万羽で、昭和三十年代の十分の一程度になっていると試算している研究者もいます。
 また、メダカも昔は小川や池、水田周りの用水路などで普通に見られましたが、都市化とともに小川が暗渠化されたり池が埋め立てられたことなどによって生息場所が失われて現在は生息数が減少しています。静岡県内に生息・生育する野生動物の実態調査をし絶滅の危険にある種類を掲載している県のレッドデータブックでは、メダカは絶滅の危険が増大している種類である絶滅危惧U類として位置づけられています。さらに磐田市の桶ヶ谷沼に生息していますベッコウトンボや遠州灘海岸に広く上陸し、産卵をしておりますアカウミガメも、都市近郊に残る自然環境に生息する身近な動物としていいと思いますが、ともに近い将来野生で絶滅の危険性が極めて高い種であります絶滅危惧のTA類として位置づけられています。
 スズメやメダカのような身近な野生動物も、我々人間と同じように地球上に存在している生物の一つであり、宇宙船地球号の乗組員の一人とも言えます。その乗組員が生息数を減少させていることは、我々人間がみずからの生活の利便性や経済利益を追求する余り野生動物そのものだけでなくその生息環境のことに関心を払わなくなってしまったからかもしれません。県内に生息しています身近な野生動物がこのまま減少していきますと本来の多様な生態系が保全できなくなるとともに、野生動物と触れ合う機会がなくなってしまうことで「舌切り雀」や「めだかの学校」といった民話や童謡などで語り継がれてきた文化もやがては失われてしまう懸念があります。そうした事態にならないためにも身近な野生動物を次の世代に引き継いでいくことが求められております。
 そこで、県民は身近な野生動物とどのようにかかわっていくのか、またそれに対して県はどのように取り組まれるのか、県の所見を伺います。
 次に、製紙産業の振興について伺います。
 御承知のとおり、製紙産業は本県を代表する地場産業であり、特に富士市及び富士宮市は全国で有数の紙の産地となっております。この富士地域における製紙産業の歴史は古く、江戸時代にミツマタを原料として手すき和紙が高品質な紙、駿河半紙として広がったことが起源とされています。明治に入りますと現在の富士市吉原地区でミツマタの大量栽培が始まり、明治十二年には栢森貞助氏らが富士地区で初めての手すき和紙工場鈎玄社を設立し近代製紙への第一歩を刻みました。その後明治二十年代になると豊富な森林資源と地下水に恵まれた富士地域では大手製紙メーカーを初め地元資本の中小メーカーの工場が次々と建設され、洋紙製造技術の導入もあり現在の産地が形成されていきました。
 平成二十二年の本県の紙・パルプ等紙製品の製造出荷額等は八千百八十九億円で、全国シェアの一一・五%を占め全国一を誇っています。このうち富士地域の紙製品の製造出荷額等は五千四百六億円で県内の六六%を占めています。このように本県経済を牽引してきた製紙産業でありますが、近年円高の影響を受けて輸入紙の増加が続いており、少子高齢化や人口減少及び電子媒体の普及によりまして国内の紙需要は減少しさらに電気料金の値上げ等によりまして生産コストが上昇するなど、非常に厳しい経営環境となっています。
 一昨年、昨年と大手製紙メーカーが富士市内での紙の生産を縮小または停止するなど富士地域は産地として大変危機的な状況にあります。このような閉塞的な状況を打破するために昨年十二月に静岡県紙業協会は、地下水の採取規制の緩和や岳南排水路の有効活用など製紙産業を取り巻くインフラ環境の改善について要望書を富士市に提出しました。やがてこのような要望書が県にも上がってくると思いますが、そういうことも含めて大変な状態になっているわけであります。
 また、昨年十一月には紙・パルプ業界初の試みとしまして紙のまち富士市を国内外にPRするイベント富士山紙フェアを富士市産業交流展示場ふじさんメッセで開催したところ、たくさんの来場者がありにぎわいを見せました。
 そこで、このようなイベントを拡大し、県の単位で紙の産地を全国に情報発信するようなイベントをぜひぜひ開催をしてほしいと願うものであります。ものづくり県を支えてきた製紙産業の振興について県はどのように考えているのか伺います。
 以上で私の質問は終わりますが、最後に自民改革会議を代表いたしまして一言御礼を申し上げたいと思います。
 午前中、岡本議員からもお話がありましたが、この三月三十一日をもちまして静岡県を退職される方々は知事部局二百三十三人、教育委員会七百十人、警察本部二百十名、合わせて千百五十三名と伺っております。退職される皆さんは、静岡県の職員として長年にわたりまして県政に携わり県政の発展と県民福祉の向上のために大変御尽力をいただきました。本県が豊かで住みやすい県として成長してきましたのも皆さんの御苦労のおかげと心から敬意と感謝を申し上げたいと思います。
 退職される皆さんの生まれた昭和二十七年、二十八年当時を顧みますと、サンフランシスコ講和条約が発効しヘルシンキで開催されたオリンピックに戦後初めて参加するなど、占領を脱して世界への仲間入りを果たした時期でもありました。また県内に目を向ければ、岳南鉄道が全線開通し佐久間ダムの建設が始まるなど復興に向けた確かな歩みが始まったころであり、またこのときに静岡商業高等学校が選抜高校野球で初優勝を遂げたのもこのときであります。
 また、職員として御活躍を始められました昭和五十年、五十一年当時はロッキード事件が政界を揺るがし、県内では浜岡原発の営業運転が開始されまた駿河湾巨大地震説が発表された時期でもありました。その後現在まで続く県政の大きな課題への対処に御尽力をされた方々も多いのではないかと思います。
 退職される皆さんは、それぞれの分野で県の職員として誇りを持って職務に当たられ、仕事をやり遂げたという達成感と同時に一抹の寂しさが胸に去来しているのではないかと推察するところであります。これからもそれぞれの分野で培われた豊かな経験と識見を生かし地域社会の発展のためにますます御活躍され、健康で快適な人生を送られますことを心から祈念申し上げまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。(拍手)
○議長(小楠和男君) 川勝知事。
       (知事 川勝平太君登壇)
○知事(川勝平太君) 遠藤榮議員にお答えいたします。重要な質問ありがとうございました。またこの三月に退職いたします職員に対しまして温かい慰労の言葉と励ましの言葉を賜りまして、ありがたく御礼を申し上げます。
 初めに、日本人としての帰属意識の再認識についてでございます。
 帰属意識につきまして平成二十四年の一月に内閣府の調査がございます。国を愛する気持ちを育てる必要性を、「そう思う」と答えた人々が八〇%、「そう思わない」という人が一〇%、「わからない」というのが九%ということでございました。日本人が国を思う気持ちが一概に弱いとは言いがたい結果も出ております。
 同じ調査でございますけれども、国を愛する気持ちが他の人と比べて強いと思うかどうかということにつきまして、「強い」と思う人が五五%、「どちらかといえば弱い」という人が七%、「わからない」という人が三八%ございます。私はこの「わからない」という人の存在がかなり大きな割合を占めているということに若干の危機意識を持っております。
 一方、国旗、国歌についてでございますけれども、やや旧聞に属しますけれども平成十六年十月二十八日の園遊会の席上、亡くなられました米長邦雄名人が陛下に対しまして「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と米長名人が言われたところ、「やはり強制になるということではないことが望ましい」と陛下がお答えになられたそうです。それを解説した当時の羽毛田宮内庁次長は、「その発言の趣旨は、自発的に掲げるあるいは歌うということが好ましいという意味である」というふうに言われました。
 その翌年、平成十七年四月に今上陛下は、記者会見の席上「世界の国々が国旗、国歌を持っており国旗、国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。国旗、国歌は国を象徴するものと考えられそれらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウイニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情には強制された姿はありません。国旗、国歌については国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます」と述べられています。私はこの今上陛下のお言葉に尽きると思っております。
 さて、国を思う気持ち、日本人としての自覚というのはどのようなときに心の中に根づくか。先ほど昨年のオリンピックの例を言われました。一たび日本人が海外に出るやみずからが日本人であることをいやが応でも認識させられます。私個人も初めて外国に行きまして、そしてそこで自分が日本人であること、そして日本をこの上なく愛しているということ、この日本を正確に発信することの強さを年を追うごとに強めました。中には長くそちらにいらしてインターナショナルになる、根無し草になる方もいらっしゃいますけれども、私はむしろ自分の大学のカレッジには六百人の中にたった一人の日本人であったということもあったのかもしれません。そうしたことがみずからの愛国の念を確実に強く根づかせました。以来日本の国のことを常に考えて今日に至っております。
 したがって、私は先生がアヘン戦争以来のことを言われましたけれども、明治維新のときに藩から国へという意識が日本中にみなぎり、そして日本国が一等国として列強の仲間入りができるようにというそういう意識を国民一丸となって持ったので、むしろ戦前のほうが日本という国に属しているという帰属意識が強かったと存じます。戦後になりましてややそうした面が今日薄らいでいるように見えるのは、むしろそうした列強とは今日は言いませんけれども先進国としていわば自他ともに認められるトップクラスの国になったということもあり、どちらかというと海外志向が緩んでいるということもあるかと存じます。しかし例えば現在侍ジャパンが第一次リーグにおきまして勝ちまして第二次リーグに行きます。それを我々は侍ジャパンというふうに言って、御本人たちも我々も侍すなわち日本人としての活躍を心から応援しているという現実がございます。
 そんな中、ことしはたまたま富士山と鎌倉の古都が世界文化遺産に登録されその可否がこの六月に決まります。古来「山は富士人は侍敷島の大和の国の宝なりけり」というふうに言われますが、富士に似合うのは太陽でございます。すなわち日の丸でございます。日出ずる国の最初の一条の光が当たるのは富士山の頂上でございますので、したがってこそ御来光を仰ぐということは特別な意味を持つのであります。そして富士の「士」というのは「さむらい」とも訓読いたしますけれども、侍は心技体一体でございまして礼に始まり礼に終わるというところがございます。私は昔で言えば錦の御旗であったかもしれませんけれども、我々は富士の国日本ということがことし侍日本と同時に日本の文化遺産として世界の共有財産になることが、恐らく国民の間に広く日本人としての帰属意識を世界の中の日本を自覚する大きな契機になるものだというふうに思っております。
 我が国の信仰と芸術の源泉としての国内外の憧れを集める富士山を抱く本県におきまして、ふじのくにづくりを通して豊かにかつ廉直に生きるというそういう気風を育ててまいりたいと思っております。
 今後とも、富士の国日本にふさわしい理想郷づくりを目指し、県民の皆様が地域への誇りと郷土愛を強く感じることができる県土づくりに邁進してまいります。
 次に、製紙産業の振興についてであります。
 製紙産業は、本県経済を牽引してまいりました大切な地場産業です。特に富士地域におきましては基幹産業としてこれまで地域経済を支えてきたものと認識しております。
 本県製紙業界は、全国シェアの約三割を占める家庭紙の分野を中心に人気イラストなどを印刷したトイレットペーパーや緑茶から抽出した消臭成分を配合したものなど、常に付加価値の高い商品開発に積極的に取り組んでおります。県では、こうした中小メーカーの取り組みに対して経営革新計画の策定支援並びに承認企業への低利融資や助成による支援をしております。
 また、富士工業技術支援センターにおきましては、品質が異なる古紙でも高品質な再生紙を効率的に生産できる工法など中小メーカーの技術力向上を目指した研究を実施するとともに、技術相談や技術指導により成果の普及に努めております。
 さらに、富士地域の関係団体が一丸となり本年十月には基幹産業である紙を全国に発信することで地域経済の復活と活力を取り戻すことを目的に、議員から御紹介賜りました本県製紙業界全体のイベントとして富士山紙フェアを計画されていると伺っております。業界の意気込みを示すものであり大変力強く受けとめております。私といたしましても、県も一丸となりまして地元市町や商工団体と関係機関と一体となって支援してまいりたいと思っております。
 先般、東部にございます紙の博物館を訪れる機会がありました。まさに日本の紙は芸術であると言って過言ではないと存じます。先ほど富士地域における江戸初期からのミツマタの栽培による和紙生産のお話をなさいましたが、日本の紙の生産は例えば源氏物語、更級日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、そうした方たちが強制されずに――源氏物語の場合は強制されたかもしれませんが――いわば身の回りにある紙があったからこそ、ああした日記が残っております。
 しかし、例えば近代をつくり上げたイギリスで紙が使われるようになるのは江戸時代以降のことでございます。それまでは羊であるとか子牛の皮に字を書いていましたからほとんどの人は読めません。そして江戸時代の大半を通じてその時代をイギリス人は読めません。アヘン戦争のときにイギリスの海軍、水兵さんたちが中国の方々に決して尊敬されなかったのは字が読めなかったからです。日本に負けて初めて日本に留学生を送りました。そのように、イギリスにおきまして紙というものが本当につくられるのは十九世紀になってパルプの生産が可能になってからであります。
 まさにそうしたことと比べた場合に、日本の紙、これが芸術性の高い、品質の高いさまざまな用途に耐え得るものをつくってきたということで、この紙産業は決して絶えさせてはならない、むしろ振興させねばならないというふうに考えております。さらに言えば富士山の水が紙をつくっていると。富士山の神々しい神様がペーパーとしての紙をつくっているというふうに思えば、紙を粗末にすることはできません。
 今後とも、業界の皆様と意見交換を密にするとともに、連携をより強化することで製紙産業の振興が図られるよう努めてまいります。
 その他の御質問につきましては、関係部局長、教育長から御答弁を申し上げます。
○議長(小楠和男君) 長島交通基盤部長。
       (交通基盤部長 長島郁夫君登壇)
○交通基盤部長(長島郁夫君) 森林資源の循環利用に向けた森林の造成についてお答えいたします。
 本県の人工林は、戦後集中的に植林され、現在では利用可能な成熟した森林が全体の八割を占め若い林が極端に少ない状態となっております。森林資源を適切に循環利用するには、皆伐による収穫後再び植林することにより若い林を造成していくことが重要であります。
 しかし、植林後五年程度行う下草刈りやニホンジカなどによる苗木の食害対策などの初期段階での育成経費が収益を著しく圧迫するため、近年森林所有者は収穫方法を植林の必要のない利用間伐に転換しており、その結果若い林の造成が進まない状況となっております。
 このため、県では、初期成長が極めて速く下草刈りや食害対策経費を削減できるエリートツリーの研究開発や植林作業における機械化、ヘクタール当たりの植林本数を現状の三分の一にする実証実験などを行い、これらの技術を組み合わせて伐採から植林まで低コストに行う一貫作業システムを構築し、育成経費を半減させる取り組みを進めてまいります。
 こうした取り組みによって、皆伐施業を促進し若い林から成熟した林までそろった資源の循環利用ができる森林の造成を進め、持続可能な森林経営の確立につなげてまいります。以上であります。
○議長(小楠和男君) 伊熊くらし・環境部長。
       (くらし・環境部長 伊熊元則君登壇)
○くらし・環境部長(伊熊元則君) 身近な野生動物と人間生活とのかかわりについてお答えいたします。
 県では、平成二十二年に希少野生動植物保護条例を制定し絶滅の危機に瀕している動植物を指定して採取や捕獲から守るとともに、自然観察会や環境学習会などにおいて県民の自然環境保護意識の醸成に努めてまいりました。このような取り組みを通じて、南アルプスのような特定の地域や一部の希少な動植物については県民の保護意識が高まってまいりましたが、人の生活圏に生息・生育している身近な野生動植物についてはまだまだ十分ではない状況にあると考えます。
 かけがえのない自然環境を後世に継承していくため、県民の皆様には豊かな自然環境が暮らしや文化、産業の礎であるとともに私たちの命を支えていることを再認識し、みずからのライフスタイルや人間中心の経済活動等を見直し環境負荷の少ない暮らしを実践しながら身近な野生動植物と接していただく必要があります。
 県といたしましては、条例に基づく指定を南アルプス地域に続き富士地域、伊豆地域、その他の地域へと順次拡大することとしておりますので、この指定に伴う調査の中で把握した身近な動植物の状況も情報発信しながら県民の保護意識を高めてまいります。以上であります。
○議長(小楠和男君) 六十一番 遠藤 榮君。
       (六十一番 遠藤 榮君登壇)
○六十一番(遠藤 榮君) 御答弁ありがとうございました。
 私は日本が大好きであります。日本人として誇りを持っています。そして静岡県が大好きであります。そして自分のふるさとが大好きであります。そういう中において知事にということで話をしたらやはり富士山の話が出たんですが、富士山というのは自然がつくったもので、我々がつくっていくこの人間関係というのはそういうものだけじゃないと思います。
 なぜ私がこういう質問をしたかといいますと、例えば県庁の中に入ってきて、正直申し上げまして僕の顔がまだ売れてないからかもしれませんが、挨拶しても答えてこないんですよね。そういうことを考えたとき、知事は立場の高いところにいる人でありますからそういうことを感じませんが、非常に気分が悪いですよね。日本人の心というのはやっぱり挨拶から始まりますので、そういうことからやっていかないと県庁というのはよくなっていかないと思うんですよ。ぜひそういうことを心得ていただきたと思います。
 それから、せっかく森林の関係でこれも苦言になって大変申しわけないんですが、大変な皆さんの御協力をいただきまして腰壁というのを議会棟につけていただきました。私は木のよさというのはペンキを塗ったり何かするべきものではないと思うんですよ。まして一番香りのいいヒノキを使っているんですよね。だからやっぱりそういうものを生かしていただきたいなということを感じました。これは答弁いりません。大学の先生方の指導も受けたようでありますが、私は木のよさというのはそのまま無垢を出してやっぱりやるべきことでなかったかなということを感じました。
 それから、製紙のことにつきましては大変御尽力いただきましてありがとうございます。私も製紙の中で育った人間でありますので本当に今大変であります。知事も日本製紙を見学されました。あの百メーター、千メーターの非常にすばらしいマシンが遊んでいるんですよね。そういうことを考えたときに、やはり並大抵のことでは富士市の産業といいましょうか紙の産業というのは立ち上がらないと思うんですよ。ぜひそういうことも含めて力をいただきたい。こんなことを言いまして、答弁は結構でありますので私の思ったことを言わせていただきました。以上であります。ありがとうございました。

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