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本会議会議録

質問文書

開催別知事提案議員別代表質問一般質問検索用



平成31年2月静岡県議会定例会 質問


質問者:

小楠 和男 議員

質問分類

一般質問

質問日:

02/22/2019

会派名:

自民改革会議


質疑・質問事項:

1 人口減少社会における将来の静岡県の姿について
2 南海トラフ地震の新たな防災対応について
3 災害ボランティアセンターの運営における行政とNPO、
NGOとの連携について
4 浜名湖の舟運と舟運を活用した観光地域づくりについて
5 浜松市沿岸防潮堤の完成後の管理と利活用について


○議長(渥美泰一君) これで林 芳久仁君の質問は終わりました。
 次に、五十六番 小楠和男君。
       (五十六番 小楠和男君登壇 拍手)
○五十六番(小楠和男君) 私は、自民改革会議所属議員として県政の諸課題について一括質問方式で質問いたします。
 まず、人口減少社会における将来の静岡県の姿について伺います。
 皆さんは、静岡県以外の都道府県でどこから来ましたかとの問いに何と答えられますか。私は浜松ですと答えます。浜松がわかっていただけない場合にのみ静岡県の浜松ですと答えます。静岡県民であることよりも浜松市民であることがはるかに私の中では優先していますし、そもそも静岡県という枠組みにずっと違和感を持っていました。
 昨今、浜松人の気質をやらまいか精神と呼んで何でもやってやろうという前向きな考え方として一般化されていますが、その根底にある浜松人の共通する思いの一つは静岡市への対抗意識、もしくは嫉妬、ひがみとも言っていいと思います。
 明治九年、ほぼ現在の静岡県の姿が成立します。静岡県の成立は浜松県の廃止と同義語でもあります。明治政府により県庁を静岡市に取られてしまったのです。この再編に不満を持った浜松の人々は、明治十六年政府に対して浜松県の再設置運動を起こしますが、一県を置くほどの国勢ではないと却下されてしまいます。
 県庁所在地でないことによる残念な扱いの一例は、銀行の本店がなくなってしまったことです。静岡県は明治時代全国で最も銀行の多かった地域として知られていますが、特に遠州地方には県内の国立銀行三行のうち二行、私立銀行二十九行のうち二十三行、銀行類似会社三十社のうち十六社があったとの記録が明治十六年の浜松市史にあります。その後県内の銀行は統合合併を繰り返しますが、昭和の戦時統制下政府の銀行合同策を受け、昭和十八年浜松を拠点としていた遠州銀行と静岡を拠点としていた静岡三十五銀行が合併し今日の静岡銀行となり、本店は静岡に置かれました。当然静岡が県庁所在地であったことが最大の理由です。
 戦後もその体制は存続し、戦後復興の資金需要を求める浜松経済界により設立されたのが浜松信用金庫でした。県庁所在地でないが故の悲哀の裏返しとして、国や県に頼らないで自分たちの地域のことは自分たちで切り開いていこうとするのがやらまいか精神だと私は考えています。
 浜松人にとって、この百四十年余に及ぶ対抗心や嫉妬から解放されるかもしれないチャンスと思われたのが、道州制に代表される国の統治機構の変革に向けた動きでした。平成十六年にスタートした第二十八次地方制度調査会は、平成十八年道州制のあり方に関する答申を出し、これにより政府、政党、地方団体、経済界などで道州制の議論が一気に盛り上がりました。
 私は先ほど申し上げた低次元の発想からのスタートでしたが、調査研究を重ねる中で国の統治機構を変革することこそ究極の地方分権、地域活性化策であり、道州制導入が必要と考えるようになりました。一地方議員のできることは限られていますが、幸いにして当時の石川嘉延知事は平成十五年に政令県及び徴税一元化を含む内政制度改革案を提案されておりましたし、川勝平太知事も知事就任以前の平成十八年の著書「文化力―日本の底力」で文化的景観を軸に日本を森、野、山、海の四つの洲くにに分け中央に集中している権限、財源、人材を委譲するべきと説かれ、現在の静岡県の道州制についての考え方となっています。お二人の考え方や手法には差があるものの国と地方の統治機構の改革に前向きな姿勢を示されており、全国知事会などを通じて強く発信していただけると期待していました。
 しかしながら、道州制の議論そのものが国民的合意を得る以前に大阪都構想の頓挫とともに鳴りを潜めてしまいました。残念でなりません。
 さて、道州制の議論とは別のところで将来の地方自治体像についての議論が始まっています。総務省が設置した自治体戦略二〇四〇構想研究会は、人口減少問題を正面から捉え高齢人口がピークを迎え生産年齢人口が急減する二〇四〇年ごろを日本の内政上の危機と位置づけ、公務員が半減する中で現状の行政サービスをフルサービスで提供できない市町村が生ずることを前提に補完すべき能力を持った都市が圏域の核となり、そうした都市がない地域では都道府県が前面に立って支援するという仕組みを示しました。この総務省の報告書をもとに第三十二次地方制度調査会において議論が始められています。当面は人口減少が深刻化する二〇四〇年ごろを見据えた市町村の圏域連携のあり方が議論の中心となると考えますが、今後都道府県の役割やその存在そのものも議論の対象になることが予想されます。
 私は、市町村が圏域で連携し圏域として自立できるだけの力を持てば現在の静岡県という行政組織の役割はなくなるのではないかと考えています。静岡県としても自治体行政の将来像、その中における県と県内市町のあるべき姿を見据えつつ今後の行政運営を進めるべきであります。
 そこで、人口減少社会において地方自治のあり方が大きく見直される中、将来の自治体としての静岡県の姿をどう描き今後どのように取り組んでいくのか、所見を伺います。
 次に、南海トラフ地震の新たな防災対応について伺います。
 東京大学の石橋克彦先生が、駿河湾地域を震源地とする東海地震説を発表したのが昭和五十一年、ことしで四十三年になります。二年後の昭和五十三年に大規模地震対策特別措置法、通称大震法が成立しました。大震法の特徴は地震予知を前提にしていることです。大震法は地震予知情報に基づいて発表される警戒宣言を受けて、あらかじめ定めておいた緊急的な対応を実施することで被害を軽減する仕組みを定めています。
 陸上における地震計やひずみ計、海底の海底地震計や水圧計などによる観測体制が整備されつつあり、地震の前兆現象を捉えることが可能であると考えられていたからにほかなりません。大震法制定後も地震観測施設の整備拡充は進められ、現在静岡県内だけでも地震計やGPSなど約五百カ所の観測所が設置されています。
 一方で、平成七年の阪神淡路大震災を受けて地震防災対策特別措置法が制定されるとともに、平成二十三年の東日本大震災の教訓から南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法が成立しました。この二本の法律では、地震が突発的に起きることを前提に最大クラスの地震・津波を想定した防災・減災対策が推進されてきました。つまり地震予知を前提とする大震法と突発地震を前提とする法律による地震対策が併存していたということになります。地震観測網が整備充実し調査研究が進むことで、南海トラフにおける地震発生の多様性が明らかになるとともに地震予知の困難さもわかってきました。
 そこで、南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会が設置され検討された結果、平成二十九年八月に現時点においては地震の発生時期や場所、規模を確度高く予測する科学的に確立した手法はないとの見解が示され、翌月南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループが最終報告を防災担当大臣に提出し、政府として正式に現時点での地震予知を断念することを認めました。これは政府の地震予知に対する政策の大転換であります。
 地震対策の根底部分が大転換したことを踏まえ、政府は中央防災会議のもと防災対策実行会議を開催し今後の方針について具体的な検討が進められることになり、昨年三月に南海トラフ沿いの異常な現象への防災対応検討ワーキンググループが設置され、静岡県などの協力も得て新たな防災対応のあり方や仕組みづくりが検討され昨年十二月に報告書が政府に提出されました。異常な現象を三つのパターンで分類した上で、平時の生活や事業を継続しつつパターンによっては一週間程度の避難やさらに一週間の警戒、津波浸水域の住民の避難すべきことなどが取りまとめられました。国では自治体や企業、住民の事前避難などの具体的な計画を策定するためのガイドラインを取りまとめる方針と聞いています。
 そこで、本県では国の方針を受け、本県独自の防災対応のガイドラインをどのような方針で取りまとめていくのか伺います。
 また、本県の県民は四十数年にわたり東海地震は予知できると信じてきました。政府の地震予知に対する大転換を県民に承知してもらうとともに新たな防災対応についても理解を深めていただくため、県民にどのように周知していくのか伺います。
 次に、災害ボランティアセンターの運営における行政とNPO、NGOとの連携について伺います。
 ボランティア元年とも呼ばれることとなった阪神淡路大震災から二十四年、この年に私は静岡県議会議員に初当選し議員活動をスタートしました。同時にこの年は私自身のボランティア活動のスタートの年でもありました。
 阪神・淡路大震災直後、当時私が所属していた浜松青年会議所は、被災地である西宮市に向けて物資を満載したトラックを出発させたのを皮切りにさまざまな形での西宮市の復興支援に取り組みました。私自身は浜松青年会議所の毎年の行事である浜松少年の船を尼崎港に寄港させ、浜松の小学生との交流により西宮市の小学生の震災後の心のケアの一助とするイベントの責任者を務めました。幾度となく西宮市を訪問し、市役所、教育委員会、社会福祉協議会などと打ち合わせを重ね何とか無事成功に導くことができました。当時はまだNPO法は成立していませんでしたが、やっていたことはまさしくNPOによる震災ボランティア活動そのものでした。
 それから十六年を経た平成二十三年、東日本大震災が発生。この年も選挙の年だったのは偶然とは思えません。このとき浜松青年会議所は動きませんでした。現役が動けばOBにも相応の援助や支援の要請があると思っていた心あるOBたちは、独自で支援活動をすることを決断し浜松やらまいか隊を結成、不肖私が代表を務めることになりました。一般の市民にも呼びかけ、浜松まつりが中止となった五月の連休にバス二台約七十人が二泊三日で石巻市を訪問し、泥出しや瓦れきの処理の活動に従事しました。その後も七月に三十名、九月に七十名、十一月に三十名が石巻市での過酷なボランティア活動に取り組んでくださいました。
 その後活動は方向性を変え、漁船を失った漁師さんに浜松からFRP船や中古の大型冷凍冷蔵庫を寄贈したほか金銭的支援を目的として三陸海の幸支援制度を立ち上げ、一万円の支援に対し三千円程度の海の幸を返礼として届ける事業により二千万円を超える支援金を石巻市雄勝町立浜の漁師さんに送り、岸壁のクレーンの補修、仮設作業場やフォークリフトの購入などに利用されました。これらの活動の窓口になったのが石巻市災害ボランティアセンターでした。その活動状況は後に石巻モデルと呼ばれて注目されることになります。
 その一は、災害ボランティアセンターの設置場所の施設、規模等です。事務局のスペース、押し寄せるボランティアの駐車場やキャンプサイト、支援物資の受け入れ、整理、保管場所の機能を満たしたのは石巻専修大学のキャンパスでした。
 その二は事務局体制の確立です。当初社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを立ち上げたものの、みずからが被災者でもあり十分に機能しませんでした。それを補ったのが、地元の青年会議所などの各種グループと経験豊富なピースボートなどのNGOやNPOを積極的に事務局体制に組み入れ担当分けすることで、作業の重複を避けスムーズなボランティアセンターの活動ができたことです。
 その三は、行政側の災害対策本部が災害ボランティアセンターの構成員であるNPOやNGOなどの各種団体を評価し活動しやすい環境を整えたことです。
 これらが石巻モデルとして研究者や社会福祉協議会関係者の注目を集め、その後の大規模災害時におけるボランティア活動の際に参考とされ取り入れられてきています。
 一方で、東日本大震災は余りにも大規模、広範囲であり、そこに参加したボランティアの活動は国際的なNGOから私たちのような無名の有志のボランティアまで幅広く、個人まで入れれば一体どれだけの人々が参加したのかさえ把握できていません。各地区の災害ボランティアセンターの集計による百五十四万人との数字や、中央共同募金会のボランティアサポート基金による助成金制度を利用した五百五十万人との数字がありますが、恐らくさらに上回る数のボランティアの方々が活動されていたことと思われます。
 余談ですが、中央共同募金会の助成金制度はボランティア活動の財源不足に悩む団体にとっては大変ありがたく、しかも使いやすい助成金制度で、私たち浜松やらまいか隊も被災地訪問の際のバスの借り上げ費などで利用させていただいたことを感謝とともに御報告させていただきます。
 地元社会福祉協議会とボランティアの連携の必要性は先ほど紹介した石巻モデルでも明らかですが、社会福祉協議会はボランティアを必要としボランティアは活動しやすい環境を求めお互いが補完する形での活動が必要であるにもかかわらず、お互いをよく知らないことによる無理や無駄が出ることが認識されたのも東日本大震災であったと思われます。
 そこで、NGO、NPO側が連携ネットワークの強化を図るため、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク、ジャパン・ボランタリー・オーガニゼーションズ・アクティブ・イン・ディザスター通称JVOAD以下ジェイボアードと呼びますが、平成二十八年に設立されました。これには国内の災害救助NPOや国際協力NGO、中間支援組織、全国社会福祉協議会や日本青年会議所などの全国組織の団体など現在二十五団体によって構成され、先ほど紹介した中央共同募金会がプログラムパートナーとして活動助成を担当することになっています。設立直前の熊本地震では地元のNPOと協力しつつ、行政、災害ボランティアセンター、NPOの三者の連携で被災者支援活動がスムーズに進んだと聞いています。その後も全国各地で風水害や地震による災害が頻発し、被災者支援のためのボランティアの活動がマスコミを通じて大きく取り上げられます。
 一方で、その受け入れ体制の整備は先ほど紹介したジェイボアードの活動や行政、社会福祉協議会の連携が進んでいるにもかかわらず、関心の高さは今ひとつと言わざるを得ません。
 静岡県では、設立準備段階にあったジェイボアードと連携をとりながら災害時のボランティア受け入れ体制の整備を進めてきたと承知しています。
 そこで、災害ボランティアセンターの運営における行政とNPO、NGOとの連携について、県の考え方を伺います。
 次に、浜名湖の舟運と舟運を活用した観光地域づくりについて伺います。
 昨今はクルーズ船ばやり、清水港でのクルーズ船誘致活動が活発に推進されているのは御承知のとおり。駿河湾フェリーなど各種フェリーへの乗船は多くの方が経験しておられるでしょう。船旅とまではいかなくても旅の行程で船を利用することは非日常的でもあり、旅に変化と彩りを添える楽しみと言えると思います。
 浜名湖もしかり陸上や橋からの景観のすばらしさはもちろんですが、船による湖上からの景観のすばらしさは経験してみないとなかなかわからないものです。私自身昨年も舘山寺花火大会は湖上の船から見学しましたし、舘山寺温泉の屋形船を貸し切って湖上での大宴会を催したことも懐かしい思い出です。
 現在は観光やレジャーとしての船の利用となってしまった浜名湖の舟運ですが、東海道線開通以前は浜松市中心部に物資を輸送する貴重な手段であり、その後も現在のような道路交通網が整備されていなかった時代には浜名湖沿岸各地から鷲津駅や弁天島駅を結ぶ通勤、通学の足として重要な交通手段でありました。奥浜名湖の観光開発が進んだバブル経済期以前は三ケ日の瀬戸、細江の寸座、舘山寺、フラワーパークを結ぶ観光航路は活況を呈していましたが、現在は定期遊覧航路のみの運航となっています。
 平成十年ごろには浜名湖花博と連動させた舟運の復活を望む声が浜名湖地域で上がり、県は平成十三年に湖の駅検討委員会を立ち上げ検討がなされたものの、事業主体や採算性など現時点では困難と位置づけました。その後平成二十年には浜松商工会議所などで浜名湖地域舟運都市構想研究会が発足し研究が進められる中、東名高速道路浜名湖サービスエリアから舘山寺フラワーパーク間に舟運を結ぶことが検討されました。関係各方面の方々の努力により平成二十五年に国土交通省が実施した浜名湖地域における交通結節点を活用した減災・地域振興に関する実証実験の結果、遊覧船事業は利用者満足度が高く地域活性化策として実現可能性が高いと検証されました。
 この結果を受けNPO浜名湖観光地域づくり協議会が発足し、平成二十六年から春から秋にかけての行楽シーズンの運航を開始し、平成三十年度からは浮桟橋の常設化が県により認められるなど二十年近くに及ぶ地元関係者の努力により浜名湖サービスエリアを拠点とする舟運事業が新たにスタートしました。通年運航によりさらなる事業の安定と拡大を見込んでいたやさき、昨年の台風二十四号により二基の浮桟橋が被災、流出し来年度の運航が危ぶまれる事態となりました。
 現在、協議会では新たな桟橋の河川占用許可申請について県と協議中とのことですが、地球温暖化の影響で平成三十一年以降も大型の台風の襲来が予想されることから、安定した舟運事業の継続には仮設の浮桟橋ではない常設の固定桟橋の整備が必要と考えます。これに対する県の対応についてまず伺います。
 また、この舟運事業は非常に重要な観光資源の一つであると考えますが、県はこうした資源を生かし浜名湖地域の観光地域づくりをどのように進めていくのか、所見を伺います。
 最後に、浜松市沿岸防潮堤の完成後の管理と利活用について伺います。
 今年の元旦も、子供のころからの習慣、決まりごとのように初日の出を見に自宅から歩いて十分ほどの遠州灘海岸に出かけました。砂浜には毎年多くの人々が元旦の初日の出を見に集まっていますが、ことし驚いたことは砂浜におりている人以外に完成した防潮堤から初日の出を見ている人々の多さでした。海抜十三メートル以上の防潮堤からの目線で見る初日の出も確かに見ごたえがありました。工事中でもこんな状況ですから、完成後は話題性も加味されさらに多くの人々でにぎわうことが想像されました。
 さて、遠州灘海岸の海岸保安林の成立過程について御紹介をしたいと思います。昔の遠州灘は荒漠たる不毛の砂地が広がっており、冬の強い西風による飛砂は田畑や集落まで埋めてしまう被害をもたらしていました。また一四九八年の明応東海地震では、浜名湖が外海につながるとともに海岸沿線の集落が津波被害に遭ったことが記録されています。このころから砂地の開拓や飛砂防止、津波対策にと地元の人々により砂堤が築かれ、松が植えられたと考えられています。天竜川が運んだ砂の漂着により海岸線が南に進むにつれて次々に堤防が築かれ、私の子供のころには五列の堤防があったと記憶しています。
 明治以降は、地元の人々とその時々の役所により堤防と黒松林の造成が進められ、現在工事中の海岸防潮堤の基礎ともいえる以前の防潮堤は、昭和五十一年から六十三年にかけて静岡県により海岸防災林造成事業として整備されています。浜松市沿岸防潮堤の工事は、計画路線の変更や一部工区の十三メートルからのかさ上げなど地元の要望を取り入れながら順調に進んでいると承知しています。海岸や海岸防災林を遊び場にしていた地元の餓鬼大将としてはもちろん、津波浸水区域に暮らす県議会議員としても一年後の完成を心待ちにしています。
 そこで、まず完成後の管理について伺います。
 事業延長十七・五キロのうち舞阪工区についてはコンクリートののり面と管理道、中田島工区の砂丘と管理道、その他では植栽されたのり面と管理道など幾種類かに分けて考えられると思いますが、それぞれの管理体制について伺います。またのり面の植栽は海岸保安林と思われますが、既存の海岸保安林との一体となった管理の手法について伺います。
 次に、利活用について伺います。
 完成後の防潮堤の管理道は、初日の出の見学を例に挙げましたが変化に富んだ眺望が楽しめる場所として多くの人々を引きつけると思われます。また日常的にウオーキングやランニング、サイクリングなどで利用されると思われますが、管理道を貸し切りにしてさまざまなイベントを開催したいとの要望が寄せられることも予想されます。これらを踏まえた上で防潮堤の完成後の利活用の考え方について伺います。以上、答弁を求め私の質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
○議長(渥美泰一君) 川勝知事。
       (知事 川勝平太君登壇)
○知事(川勝平太君) 小楠議員におかれましては、一九九五年阪神淡路大震災のときに県議会議員になられ、以来四半世紀に及ぶ議員生活をなさいまして、きょうはこの四半世紀に及ぶ議員生活のエッセンスが短いながらこの二十五分間の御質問に詰まっていたものというふうに拝聴いたしました。
 思い返せば、私が知事になりました平成二十一年七月の最初の代表質問は小楠議員によるものでございました。以来十年間さまざまな思い出がございますけれども、中でもモンゴルとの友好についてモンゴル友好議員連盟のリーダーとして、また渥美議長と御一緒にオイスカの活動にも尽力されまして、つい数日前もセレンゲ州の州知事が来られました折にもおいで賜り友好のきずなを深めていただきました。
 さらに、御令嬢のプロゴルファーの今後の御活躍も期待するところがございます。
 さて、幾つかの御質問のうち、私は人口減少社会における将来の静岡県の姿についての御質問にお答えいたします。
 全国で人口の減少と高齢化が進む中、国立社会保障・人口問題研究所によれば二〇四〇年の本県の人口は三百九万、六十五歳以上人口の割合は三七・五%になると推計されております。単独で行政サービスを維持することが困難となる県内市町の発生も懸念されます。
 こうした将来予測も踏まえ、現在国の地方制度調査会は市町の枠組みを超えた圏域単位で住民サービスを提供する新たな仕組みの法制化とともに、都道府県、市町村の二層制の見直しも視野に入れて地方行政の今後のあり方を検討なさっています。しかし地方からは地域の特性や特色を踏まえたきめ細かなサービスの維持や、市町村の自立や独立性が損なわれるのではないかという危惧も上がってきております。
 人口減少と高齢化が進む現実を直視しますならば、個々の市町がその個性を発揮しつつも行政のフルセット主義にはこだわらずに、より広域の単位で圏域を捉えることが大切です。あわせて県と市町が一体となった連携を進める必要性も高まっております。そこで県は補完性の原理に従い、また地方自治法が定める補完機能と広域行政機能を果たしていくことが求められているという認識を持っています。
 本県では、これまで市町への権限移譲を着実に進めながら市町の自治能力を高めつつも、平成二十六年度からは県と全市町との連携のもと行政経営研究会を発足させました。そして水道事業の広域連携や教育行政における市町間連携など、十五のテーマにつきまして連携の取り組みを打ち出してきました。また例えば既に賀茂地域におきましては、消費生活センターの共同設置や地域包括ケアシステムの構築、運用など小規模団体である賀茂六市町だけでは解決が難しかった行政分野における連携、補完を県が主導して進めているところであります。
 来年度は、地域づくりの基本方針策定、また県、市町連携関係業務の知事直轄組織から経営管理部への移管、危機管理部が所管する地域局の経営管理部への移管等を行いまして各地域における県、市町関係業務をこれまで以上に総合的に捉える体制といたします。そういたしますことを通して県と市町の連携をより強化し、場の力を生かした魅力ある地域づくりを推進してまいります。
 これが県内に対する我々の取り組みでございますけれども、一方私自身も浜松のやらまいか大使になりましてかれこれ十二年になります。浜松市民ないし遠州の方々の持つ駿河、静岡に対する思いは私も共有しているところがございます。こうしたものを生かしつつ新たな国の形をどうするかについて、石川前知事は政令県構想を打ち出されました。これは、平成十五年の内政改革委員会の御提言を受けて毎年総務省のほうに提言されたものです。私はそれを引き継ぎました。
 世の中には七転び八起きという言葉があります。七回目をやりまして蹴られました。門前払いです。八転び九起きというのはないんですが、もう一度やろうということで八回目、私また総務省のほうに政令県構想を提言いたしました。これもにべもなく蹴られました。
 一方、この政令県構想には国全体の構想がはらまれておりません。私は全国のいわゆる国土審議会の議論も踏まえまして大きく、先ほど御紹介いただきましたような四州に分けると。そして国はみずからが定めた法令に基づき、報告書も国のほうに提言せられて、あとは決定をするだけになっている一つの移転問題もあります。その一つの移転先は森の州と野の州のちょうど中間にございますので、私は森から野に出る、野から森に入るところはいわば鎮守の森として日本人が古来大事にしてきたものですから、そこに森の議事堂を建て鎮守の森の都をつくるのがよろしいというふうに提言しております。
 さらに、この地域におきましてはいわば山の州として山の州の州都をどこにするかということでございますけれども、静岡市、浜松市が特別自治市を目指されるということを踏まえまして、いわばそれの中間地域が望ましいというふうに思っておりました。山の州といいましても西のほう、北のほうは新潟、富山、石川などを含みます。しかしきょうのような天気ではございますけれども、北陸のほうは雪の中です。岐阜も長野も山梨県ですら数年前に陸の孤島になりました。そうしたことから私は、山の州の州都は空港があり新幹線があり高規格道路がありかつ港もあるという志太榛原地域のあたりが望ましいというようにも考えておりまして、山の州の州都の地域も実は視野に入れながら県政を運営しております。実現は遠いかもしれませんけれども、政令県構想は極めて難しいながら私はこの旗を一度もおろしたことはありません。
 県といたしましては、国の法制化の議論を待つことなく各圏域で抱える課題を早期に洗い出しまして広域行政における県のリーダーシップを的確に発揮することにより、持続可能で実効性ある地方行政の運営システムを構築し均衡ある県土の発展と県民の幸福度の向上を図ってまいります。
 その他の御質問につきましては、副知事、関係部局長から御答弁を申し上げます。
○議長(渥美泰一君) 難波副知事。
       (副知事 難波喬司君登壇)
○副知事(難波喬司君) 南海トラフ地震の新たな防災対応についてお答えをいたします。
 南海トラフ地震につきましては突然の発生を前提とすることが対策の基本となりますが、異常な現象を観測した場合に発表される臨時情報につきましては、不確実な地震発生予測であってもその情報を被害軽減に最大限生かすことも重要と考えております。
 国は、新たな防災対応として、平時の生活の継続を原則とするが津波浸水域等のうち特に脆弱性の高い住民については一週間程度事前避難することなどを基本的な考え方とし、今年度内に自治体や企業向けのガイドラインの案を策定する予定です。国が策定予定のガイドラインは標準的な防災対応を示すものであり、地域の特性などが十分には考慮されていないものと考えられます。
 このため、本県の特性である津波の到達が非常に早いことや四十年以上にわたり取り組んできた防潮堤や避難施設の整備、津波避難訓練の効果などを考慮した本県独自のガイドラインを来年度中に策定し、県民や企業の皆様が自身の防災対応を計画できるよう促してまいります。
 県のガイドライン策定に当たりましては、考慮すべき課題が幾つもあります。
 例えば、臨時情報が発表された際の一週間程度の事前避難について対象者をどう絞り込むか、事前避難先をどう確保するのか、あるいは避難行動要支援者の事前避難に伴うリスクにどう対応するのかなどの課題があります。このようなことから県が、ガイドライン策定に当たりましては県防災会議専門部会等におきまして有識者の御意見を伺い、また県内にモデル地区を設定した上でワークショップを開催するなど地域の住民の皆様や関係者との意見交換を行い、それらも考慮し実効性の高い対応策を検討してまいります。
 また、臨時情報が発表された場合の防災対応は予知を前提とした警戒宣言発令時のものとは大きく異なります。したがって県民や企業の皆様が的確に防災対応を実行できるよう各地域で出前講座やシンポジウム等を開催し、具体的な対応策を丁寧に周知してまいります。
 県といたしましては、南海トラフ地震の突然の発生に備えた対策を引き続き推進するとともに臨時情報への対応など新たな防災対応に取り組むことにより、犠牲者の最少化を目指し命を守る安全な地域づくりの実現に努めてまいります。以上であります。
○議長(渥美泰一君) 金嶋危機管理部長。
       (危機管理部長 金嶋千明君登壇)
○危機管理部長(金嶋千明君) 災害ボランティアセンターの運営における行政とNPO、NGOとの連携についてお答えいたします。
 県では、南海トラフ地震等の大規模災害時にボランティアを円滑に受け入れるため、県の社会福祉協議会及びボランティア協会と連携して災害ボランティア本部を立ち上げることとしております。このため平成十七年度から県内外のNPO等とともにボランティア受け入れの図上訓練を行ってきたほか、東日本大震災の教訓を踏まえ災害ボランティア本部に市町の災害ボランティアセンターを支援するチームを設置するなど本県独自の体制づくりを進めてまいりました。
 一方、議員御指摘のとおり市町の災害ボランティアセンターにおきましても平時からNPO等との連携体制を充実する必要があります。このため市町や社会福祉協議会の職員を対象とした研修会に今年度はNPO等の方々にも御参加いただき、ジェイボアード関係者など被災地で災害ボランティアセンターの運営に携わった方を講師に招くなど内容を充実して開催いたしました。参加者からは、行政とNPO等との連携の重要性を理解できた、継続開催してほしいなどの御意見をいただいております。
 県といたしましては、NPOやNGO等との連携強化を図るため、これらの取り組みを継続し災害発生時におけるボランティアの受け入れ体制の充実に努めてまいります。以上であります。
○議長(渥美泰一君) 渡邉文化・観光部長。
       (文化・観光部長 渡邉眞一郎君登壇)
○文化・観光部長(渡邉眞一郎君) 浜名湖の舟運と舟運を活用した観光地域づくりについてお答えいたします。
 浜名湖地域は、遠江八景に代表される美しい景観、豊かな食材、四季折々に咲き誇る花々など多彩な観光資源を有する本県を代表する観光地であり、この魅力あふれる浜名湖における舟運につきましては、平成二十六年度からNPO法人浜名湖観光地域づくり協議会が運航しており、浜名湖の観光振興に大きく貢献しているところであります。
 こうした中、議員御指摘のとおり昨年九月の台風二十四号により乗降場となる浮桟橋が流出したことから運航は中止され、現在同協議会では運航再開を目指して桟橋の設置などの準備を進めていると承知しております。
 県といたしましては、桟橋の河川占用許可に当たり舟運を含めた浜名湖を利用する方々の安全が確保され浜名湖の適正な活用がされるよう、固定桟橋の検討も含め適切な設置について指導してまいります。また固定桟橋の設置について御相談があれば、観光の視点からの支援策について検討してまいります。
 舟運は、それ自体が湖上からの絶景を楽しめるすぐれた体験プログラムでありますことに加え浜名湖周辺の魅力的な観光スポットを周遊する二次交通としての役割も果たすなど、魅力ある観光地域づくりを進める上で欠かせない資源であります。本年四月に開幕するデスティネーションキャンペーンでは、特別企画として舟を活用して浜名湖の魅力を体験できるプログラムが企画されており、県といたしましては県域DMO静岡ツーリズムビューローとも連携いたしまして、このような舟運と浜名湖周辺の魅力を組み合わせた旅行商品づくりや国内外への情報発信等を支援してまいります。
 今後とも、地域と連携しながら舟運などの浜名湖の観光資源を活用し地域全体の魅力を高めることで、浜松・浜名湖地域が国内外から憧れを呼ぶ観光地域となるよう取り組んでまいります。以上であります。
○議長(渥美泰一君) 平野交通基盤部長。
       (交通基盤部長 平野忠幸君登壇)
○交通基盤部長(平野忠幸君) 浜松市沿岸防潮堤の完成後の管理と利活用についてお答えいたします。
 完成後の防潮堤は、のり面に植栽のない区間につきましては防潮堤本体と管理道を土木事務所が管理し、のり面に植栽のある保安林内の区間につきましては防潮堤本体と管理道及び植栽木を農林事務所が管理し、周囲の保安林と一体的に健全な森林として育成してまいります。
 完成後の利活用につきましては、建設段階から一般の方の自由な利用を想定して階段や斜路を設置するとともに、転落の危険がある管理道などには防護柵を設置するなど利便性と安全性に配慮をしております。またイベントの開催等につきましては、利用の目的や方法等を勘案して防潮堤の機能や周辺の環境を損なわない範囲で安全な利活用が図られるよう調整をしてまいります。
 県といたしましては、浜松市沿岸防潮堤が津波に対する安全・安心を向上させ多くの人々に交流と憩いを提供する地域の資産として活用されるよう全力で整備を進め、来年度中に完成させてまいります。以上であります。
○議長(渥美泰一君) これで小楠和男君の質問は終わりました。(拍手)
 以上で本日の質疑及び一般質問を終わります。

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