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本会議会議録

質問文書

開催別知事提案議員別代表質問一般質問検索用



平成28年9月静岡県議会定例会 質問


質問者:

多家 一彦 議員

質問分類

一般質問

質問日:

09/27/2016

会派名:

自民改革会議


質疑・質問事項:

1 新幹線空港新駅の実現に向けた今後の取り組みについて
2 主要国首脳会議について
3 住宅・建築物の耐震化の促進について
4 障害のある人への支援強化について
 (1) 障害者スポーツの振興
 (2) 通級指導教室の拡充
5 沼津市における津波対策について
 (1) 地区協議会
 (2) 「命の道」となる農道の整備
6 「プラサ ヴェルデ」の利活用について


○副議長(藪田宏行君) これで諸田洋之君の質問は終わりました。
 次に、六十三番 多家一彦君。
       (六十三番 多家一彦君登壇 拍手)
○六十三番(多家一彦君) 私は自民改革会議所属議員として知事の政治姿勢並びに県政の諸課題について、通告に基づき質問をいたします。
 私は、これまでこの本会議場で為政者、政治家の言葉の重さという観点から幾度となく川勝知事の政治姿勢に対する問いかけを行ってまいりました。知事の二期目の任期が残り一年を切った今、改めてその問いかけをしたいと思います。
 知事は就任以来、知事自身の感性や識見のもと数々のきら星のような夢と希望を県民に情熱的に語りかけてまいりました。時として知事はまるで魔法のつえをお持ちなのかと思うほど知事の投げかけは確信に満ち、県民の多くも期待をしていたのであります。
 私は、実現の見通しが示されない為政者の言動は政治不信を増すものであるとの思いを一貫して申し上げてまいりましたが、この思いを抱きつつ知事が語られる数々の夢、希望の道筋を私自身見守り、また可能な協力をしてきたつもりでもあります。
 知事が夢を語れば多くの人々がその実現を確信しその方向に向かって動いていきます。知事の二期目の最終年に入った今、県民の多くが知事の言葉を信じ共有した夢の数々はどうなっているのでしょうか。実現の道筋すら見えずむなしく時間と費用を費やして消えてしまったものはないのでしょうか。
 改めて今、為政者の言葉の重さと責任という観点から、一括質問方式で幾つかの項目について知事の姿勢を伺ってまいります。
 初めに、新幹線空港新駅の実現に向けた今後の取り組みについて伺います。
 今月十八日までブラジル・リオデジャネイロで開催されたオリンピック・パラリンピックは、日本選手の活躍もあり盛大のうちに幕を閉じ、四年後の開催都市である東京都の小池知事にオリンピック旗が手渡されました。
 五十二年前に開催された東京オリンピック・パラリンピックでは、海外から多くの方々を迎えるため羽田空港のターミナルビル増築や滑走路の拡張、東京モノレールや首都高速道路の開通など現在の我が国の骨格となる社会基盤が整備されました。
 特に私にとって忘れることのできないのは、開催日の九日前に開業した東海道新幹線であり、本県にも熱海、静岡、浜松の三駅が設置されたことを鮮明に記憶しております。その後、開業から四年後の一九六九年に三島駅が、一九八八年には新富士駅と掛川駅が同時に開業し現在の六駅体制となり、本県の産業経済、観光交流に大きな役割を果たしております。
 県は、七駅目となる新幹線駅を富士山静岡空港と直結する位置に設置する方針を示し、知事は平成二十八年二月議会の答弁において二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に合わせた新幹線空港新駅の実現を目指してまいりたいと述べておられました。
 しかしながら、その一方、本年六月に就任したJR東海静岡支社長は就任会見において新駅をつくる協議は考えていないと語ったと報道されるなど事業者であるJR東海は新幹線新駅の設置を一貫して否定しております。新幹線新駅の設置にはJR東海との合意が不可欠であり、二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピックの開催まで残り四年となる中、実現への道筋は確かなものとなるのでしょうか。
 新幹線新駅を設置するには、これまでの事例を踏まえても地元の負担ということも不可欠と認識しております。JRとの協議はもとより地元自治体等とのこうした話し合いは進展しているのでしょうか。新駅開設は着工から四年の期間が必要とも聞いており既にタイムリミットは来ております。
 こうした状況の中で、知事はこの問題を今どのように認識し、今後新幹線空港新駅実現に向けてどのように取り組んでいくのか。具体的に道筋について知事の考えをお伺いいたします。
 次に、主要国首脳会議について伺います。
 ことし五月二十六日と二十七日の二日間にわたり先進国七カ国――G7の首脳が参加する主要国首脳会議――伊勢志摩サミットが三重県で開催されました。サミットは世界経済や核軍縮などをテーマに討議され、世界経済の安定化に向けた先進七カ国の協調をうたった首脳宣言を採択して閉幕いたしました。
 サミット終了後にはオバマ大統領が、現職のアメリカ大統領として初めて被爆地である広島を訪問したことは世界中のメディアが注目しました。オバマ大統領が広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花をし核のない世界を追求する意思を示したことや平和の象徴としてみずからつくった折り鶴が資料館などに贈られたことは皆さん御承知のとおりであります。
 また、閣僚会合につきましては、四月に広島県での外務大臣会合を皮切りに農業大臣や情報通信大臣、エネルギー大臣などの大臣会合が全国十カ所で開催され、一昨日終了した長野県軽井沢町での交通大臣会合を最後に一連の会議が閉幕したところであります。
 御案内のとおり、静岡県では二年前の平成二十六年八月に知事がサミット誘致を表明して以降、主要国首脳会議を浜松市、閣僚会合を静岡市に誘致するために両市の市長、経済観光関係団体の皆さんとともにサミット誘致推進会議を組織し一致団結して誘致が実現するよう取り組んできました。当時議長であった私も、ぜひとも静岡県でサミットを開催し成功させたいとの思いで誘致に取り組んだことをつい最近のことのように思います。関係の皆さんはもとより県民の期待は大きく膨らんでいたと思います。
 しかし、今回のサミットの開催地は昨年六月に三重県志摩市とすることが安倍首相から発表されました。また閣僚会議の開催都市につきましてはその多くがサミットの誘致に手を挙げた八つの自治体からも選ばれましたが、開催に至らなかったのは残念ながら本県と名古屋市であります。
 さまざまな努力をしてきたもののこのような結果になったことについてどう受けとめておられるのか。このことを提起し熱く語られてきた知事みずからの認識を伺います。
 次に、住宅・建築物の耐震化促進について伺います。
 今回の熊本地震では、震度七の地震が繰り返し発生し建物に大きな被害をもたらしました。特に阪神・淡路大震災と同規模のマグニチュード七・三を観測した益城町では住宅が密集する地域を中心に壊滅的な被害を受けました。損傷した家屋は約十七万棟にも及び全壊も八千棟を超えました。八月には地震発生以来行方不明であった阿蘇市の大学生の遺体が発見されたとの報道がありましたが、関連死を含めて百名を超えるとうとい命がこの地震で失われました。亡くなられた方の中には家屋の倒壊により圧死された方も多数おられ、そのほとんどが旧耐震基準で建てられた家屋に住まわれていたとのことであります。県民の命を守るという観点から、改めて建物の耐震化という問題が問われているのではないかと思います。
 国では、この地震を踏まえて木造住宅の耐震補強に対して今後二年間三十万円の補助金を割り増す制度拡充を行うこととしておりますが、地震対策先進県として積極的に耐震化を進めている本県としても県民の関心が高まっているこの機会を的確に捉え耐震化に向けたさらなる取り組みが必要であります。
 また、最近の新聞に、熱海の老舗ホテルが耐震性が劣ると診断された施設を建てかえ東京オリンピックまでの開業を目指すとの記事が掲載されておりました。県内のホテル・旅館が耐震化をきっかけとしてリニューアルされ、観光産業を初めその地域が活性化することは望ましいことであります。一方で費用の問題から改修工事の着手にちゅうちょしているホテル・旅館も県内には相当数あると聞いております。こうした事業者に対する支援も重要な施策だと考えます。
 県では、地震・津波対策アクションプログラム二〇一三の減災目標である巨大地震により想定される犠牲者を平成三十四年度末までに八割減少の達成に向けて住宅及び建築物の耐震化を進めるため本年四月に耐震改修促進計画を改定いたしました。計画では平成三十二年度までに耐震化率九五%を目指すとしております。
 今後、住宅・建築物の耐震化を加速化していくため、県はどのような取り組みをしていくのか伺います。
 次に、障害のある人への支援強化についてのうち、障害者スポーツの振興について伺います。
 皆さんは、スペシャルオリンピックスを御存じでしょうか。スペシャルオリンピックスの歴史は一九六三年までさかのぼり、アメリカの故ケネディ大統領の妹であるユニス・ケネディ・シュライバー夫人が当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを提供するため自宅の庭を開放してデイキャンプを開いたのが始まりだと言われております。その後、一九六八年にスペシャルオリンピックスを設立し、現在は知的障害のある人たちにさまざまなスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を年間を通じて提供している国際的なスポーツ組織であります。
 先日、リオデジャネイロ・パラリンピックが九月七日から十二日間行われ、大きな盛り上がりを見せ閉幕したところであります。一方、このスペシャルオリンピックスは、名称が複数形であらわされているとおり数年に一度の世界大会を開くことだけが目的ではなく日常的にスポーツプログラムや教育プログラムを継続的に行うなどさまざまな活動が年間を通じて世界中で行われていることを意味していますが、その活動は余り知られていないのが実態であります。
 本県では、特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本・静岡が二〇〇六から活動を始め十年が経過しており、ことしはボウリング、バドミントン、バスケットボールの三競技のスポーツトレーニング・プログラムが提供されております。
 私は、知的に障害のある方やその御家族の方々から話を伺う機会が多くありますが、特別支援学校を卒業した後スポーツをする機会が減るためさまざまな年齢層の方に気軽に参加できるスポーツ活動などを実施してほしいという意見をよく聞きます。
 二〇二〇年には東京パラリンピックが開催されるなど障害者スポーツへの県民の関心が高まると思われますが、今後県では、日常的なスポーツの場の提供など障害者スポーツの振興を図るためどのように取り組んでいくのか伺います。
 次に、通級指導教室の拡充について伺います。
 障害者自立支援法が施行されてから十年が経過し、本年四月には障害者差別解消法が施行されました。また五月には改正発達障害者支援法が成立し、発達障害のある子供が他の子供と一緒に教育を受けられるよう配慮することや学校が目標や取り組みを定めた個別の指導計画を作成することとなりました。これまでも進められてきましたインクルーシブ教育システム構築に向けた特別支援教育の推進が一層求められております。
 文部科学省によれば特別支援教育の対象児童生徒数は、義務教育段階において約三十六万二千人であり、そのうち学習障害や注意欠陥多動性障害など比較的軽度の障害を抱えながら小中学校の通常学級に在籍し通級による指導を受けている児童生徒数は約九万人で十年間で二・三倍に増加しています。また通級による指導に必要な教員に関する市町村からの要望のうちその八割しか応えられていないという現状にあるようです。
 通級による指導とは、障害の状態や教育上必要な支援の内容が個々に異なる児童生徒に対して、通常の学級での学習におおむね参加することを前提とした上でより個別的で一人一人の教育的ニーズに即した適切な指導及び支援を提供するものであります。沼津市においても本年度五十四人の児童が通級指導教室に通っておりますが、いまだ通級による指導を受けることができない児童が多数いると伺っております。特別支援教育への理解や障害の認知度が高まる中、そういった子供たちを受け入れる学校側の環境整備も進んでいるとは思いますが、特別な指導を必要とする全ての子供たちに対応すべく通級指導教室のさらなる新設、増設が必要ではないでしょうか。
 そこで、教育長にお伺いします。現在、県内の通級指導教室の開設状況はどのようになっているのでしょうか。また県教育委員会として、どのように課題を認識し今後どのような見通しを持っているのか、教育長の所見をお伺いいたします。
 次に、沼津市における津波対策についてのうち、地区協議会について伺います。
 沼津市を初めとする伊豆半島沿岸では、伊豆半島沿岸を五十地区に分け、地域の産業や景観等との調和が図られるよう地区ごとに地区協議会を開催し津波防災対策について地元との合意形成を進めていると聞いております。
 私の地元である沼津市には七地区があり、そのうち既存の堤防高がレベル二津波高に対応している富士海岸地区を除いた六地区において地元沼津市とともに津波防災対策に取り組んでいく必要がありますが、平成二十七年度末における地区協議会の開催は内浦地区の一地区のみであります。
 東日本大震災以降、沼津市内の沿岸部では緊急対策として津波避難タワーや急傾斜地崩壊対策施設を利用した避難階段の設置が行われてきましたが、いつ起こるかわからない巨大地震に備えるためには地区協議会を通じて速やかに地元との合意形成を図り総合的な津波対策を各地区で実施していく必要があると考えます。しかし沼津市における現在の取り組み状況は目に見えて整備が進む県西部地区と比較すると相対的におくれていると感じざるを得ません。
 それには、伊豆半島地域の地理的な条件、人口集積などの社会的条件も大きく起因していると思いますが、しかし地元の皆さんにとって安心・安全の確保はゆるがせにできない問題であり、地元沼津市のみならず本県としても十分にその責務を担って対応していくことが必要と考えます。
 そこで、沼津市の地区協議会について今後どのように検討を進め、いつまでに結論を得るのか、県の考えを伺います。
 次に、命の道となる農道の整備について伺います。
 沼津市の内浦、西浦地域の丘陵地帯は、温暖な気候と日照に恵まれた西浦ミカンの産地であります。特に山田寿太郎氏が栽培中の青島温州の一部で枝変わりを発見したところから始まった寿太郎温州の品質は市場で高い評価を受け、ブランド商品として定着しております。
 しかしながら、集落とミカン畑を結ぶ農道は道幅が二メートル程度と狭小なため農業車両のすれ違いが困難で、ミカン農家の方々にとって畑への通作や収穫、運搬など農作業に大きな支障となっています。また病害虫防除やかんがいなどミカンの品質確保、向上に必要な用水についても自宅でポリタンクにくみ入れて畑へ運ぶなどその確保や供給にも大変な苦労を強いられています。
 このため県では、内浦、西浦地区において農道やかんがい用水施設等の農業基盤整備を進めており、これらにより農作業の効率化や生産条件が改善され西浦ミカン産地としてますますの発展が期待されているところであります。一方、本地域は海辺の入り江ごとに集落が形成されており、予想される東海・東南海地震において甚大な津波被害が想定されております。
 こうした中で、重須集落では東日本大震災の津波被害を教訓に農地の区画整理とあわせて高台への移転用地を創出する構想が検討されているところであります。高台への移転は人の命を助ける取り組みであり早期に実現すべきものと考えておりますが、関係者の合意形成を図りながら完了するまでには時間を要し、また移転の規模も限られたものになると認識しております。農道整備そのものの進捗のおくれも懸念されるところであります。
 西浦、内浦地域に千三百を超える世帯の方々が暮らしています。県の第四次地震被害想定では津波到達時間が十分から十五分とされており、中には高齢者の方もいるため一度に多くの住民が現在ある急な避難階段などを使い短時間で高台に避難することは困難だと思います。私は、こうした状況を踏まえ現在実施中の農道整備を大きく加速し、いざというときに津波から避難する道路としての機能を早期に確保すべきだと考えております。
 そこで、県は避難路としての機能を兼ね備えた命の道となる農道の整備をどのように進めていくのか伺います。
 次に、「プラサ ヴェルデ」の利活用について伺います。
 平成二十六年度に開館した「プラサ ヴェルデ」は、会議場施設、展示イベント施設、ホテルが一体となった全国でも数少ない総合コンベンション施設であります。施設全体のコンセプトを千本松原とし、平成二十六年度には木材利用優良施設審査において林野庁長官賞を受賞するなど県産材の活用、景観や環境への配慮が図られており、またにぎわいあふれる空間を創出する屋上庭園や交流テラス、飲食コーナーなどを備えすぐれた機能や特色を持つさまざまな用途に応じた自由なレイアウトが可能なホール、会議室がある施設となっております。
 県の東部地域に多くの機能を有する交流拠点施設が鳴り物入りで誕生しましたことは、地元に住む私としても県西部のアクトシティ、中部地域のグランシップと並ぶ交流拠点施設として大きな期待を寄せているところであります。
 しかしながら、現状を見ると週末はイベントも多くにぎわいを見せていますが、平日は閑散としていて施設の機能を十分生かしているとは感じられません。さらに、国際会議等の誘致により地域への経済波及効果が高まりにぎわいを創出するということでありましたが、繁華街である沼津駅南口はもとより周辺地域の駅北口でさえ施設の波及効果が及んでいるとは言えない状況であります。
 そこで、開館して二年を経過した今、「プラサ ヴェルデ」の現状についてどのように理解しているのか、実際の利用状況とあわせて伺います。
 また、浜松のアクトシティでいえば音楽、静岡のグランシップは文化芸術というように利用分野を特色づけそれぞれの施設の強みを発揮している中、「プラサ ヴェルデ」には特筆すべきセールスポイントがなく利用者に選ばれる施設とはなっていないのではないかと感じているところであります。
 第一期目の指定管理期間の最終年度である平成三十年度の目標を八十万人と掲げておりますが、その達成に向けて私としては不安を拭えません。この数字は静岡県東部地域をターゲットとすることだけでは達成できません。
 県内他施設との差別化を図り、施設の特性を明らかにし、県内の他地域及び首都圏にもアピールしていくことが今後の利活用に向けて必要であると考えますが、今後の展開について、県の所見を伺います。以上、答弁を求めます。
○副議長(藪田宏行君) 川勝知事。
       (知事 川勝平太君登壇)
○知事(川勝平太君) 多家議員にお答えいたします。
 東京五輪の幾つかの種目を静岡県に誘致するという夢を抱きまして、そのうち先生と御一緒に夢を実現したことは懐かしい思い出であります。もちろんこれを成功させねばなりません。ドリームカムトゥルーというふうに言いますけれども、これは老若男女、時ところを超えて夢を持ちその実現に努力をするということは極めて大切なことであると存じます。
 さて、新幹線空港新駅の実現に向けた今後の取り組みについてであります。
 まず、地元自治会との話し合いは進んでいるかということでございますけれども、これは私は反対する人がいないという認識を持っております。その根拠は島田市長さん、牧之原の市長さんほか関係者とお目にかかって話し合う機会が数多くございますけれどもそのときに励まされこそすれ反対はないと。特に毎年富士山静岡空港と地域開発をすすめる会という地元の方たちが集まる会がございまして、必ず出席し私はその場でこの件を公にしているわけでございますが青年会議所の方も来られましてそこでこれはもうぜひ進めてほしいということで地元の理解というものはしっかりございます。
 さて、それからこの新駅、富士山空港駅につきまして先生は県は七駅目となる新幹線駅を富士山静岡空港と直結する駅に設置する方針を示したと言われておりますが、実は私どもが示したのではありません。平成二十三年五月に国の交通政策審議会小委員会の答申が出ております。その答申案はその前月に出ておりまして、さらにその前年には私はこの委員会に呼ばれて話をしているわけでございますが、この小委員会の委員長は東京大学教授の家田先生であります。この中央新幹線の小委員会におきまして中央新幹線の整備により期待される効果として東海道新幹線既存駅への停車本数の増加等とともに、沿線地域の活性化にも寄与する新駅設置の可能性が公式にうたわれたのです。そして家田先生のほうからはこれは空港新駅のことを意味するということをいただいております。もうこれは五年余り前のことでございまして、二〇二七年にこのリニア新幹線、中央新幹線が開通するということもこの時点でJR東海のほうから表明されているわけでございます。
 そして、そのときになりますと既存の新幹線のダイヤが変わるということで、この件について葛西氏――JR東海の重鎮でございますが――新駅というのは最低でも二年、三年あれば十分にできると、二百億円あたりでできるということでございました。ではどうせ必要なものはいつどのようにするのが望ましいかということです。二〇二七年になってから予算を組んでやるとするとなれば、先生は四年といわれましたけれどもそれから最低でも四年はかかります。しかしこのリニア新幹線が開通したと同時にリニア新幹線とこの既存の新幹線のネットワークができればこれにこしたことはないのでその準備を進めようということでございます。
 この間何があったかといいますと、まず二〇一三年――平成二十五年の九月にブエノスアイレスにおきまして東京オリンピックというものが開かれるということがございました。そしてまた平成二十六年――翌年には首都圏空港機能強化技術検討小委員会、国の委員会の中間取りまとめにおきまして将来の首都圏の航空需要の一部を担う空港として示されたわけでございます。またその翌年――昨年でございますけれども平成二十七年三月に中央防災会議におきまして国の災害応急活動を展開する大規模な広域防災拠点として位置づけられました。その重要性が国家レベルでも認識されており、その機能強化に寄与する新幹線新駅の必要性が共有されているわけでございます。これを受けまして私どもはことしの六月、事業者であるJR東海に対しまして新幹線新駅は技術的に施工可能であるとトンネル技術の粋を極めた専門家から成る委員会の検討結果をお手渡しいたしました。
 この新幹線新駅は、ただに本県の陸・海・空の交通ネットワーク機能を高めるだけでなく首都圏及び中部東海圏の空港機能を補完する富士山静岡空港の利便性向上、防災拠点としての機能強化に大きく寄与しますので、国家的見地から見て重要な社会基盤なのであります。
 また、国内で唯一空港と高速鉄道が直結する新幹線新駅となりますので、成長戦略の柱でございます観光立国、これは日本のことでございますがその実現に向けた訪日観光客の受け入れ能力の拡大にもつながります。
 さらに、大規模な災害発生時における広域防災ネットワークの機能強化に大きな役割を果たすことを、ここでもまたシンポジウム開催などを通じて強く発信していかねばならない。私どもは義務があると思っております。あらゆる機会を通じてJR東海にこの点を強く働きかけていかねばなりません。どうせつくるのであれば私はそれを前倒しでつくるのがいいという考えでございます。
 ちなみに、中央新幹線いわゆるリニア新幹線というもののルートが今から五年前に決まったわけでございますが、そのときに誰が静岡県を通るというように予想していたでしょうか。先生はどうでしょうか。神奈川、山梨、長野、岐阜、愛知、ここを通るということになっていたのです。そしてふたを開けてみると静岡県を十キロほどを通るということで、私は決まったその五月の連休にルートを見に行きました。まだ雪がありました。また十月にはこれはトンネルなので当然土砂が出ると、その土砂の捨て場についてもみずから見聞しに行ったわけです。これは、なぜこのようにJR東海側に協力したかというと、それができ上がりますれば新幹線新駅すなわち空港駅ができるというそういう見通しを持ってであります。
 しかるに、この中央新幹線は、南アルプスのど真ん中をトンネルで抜くということが実は水量にかかわるということで水質の汚染あるいは生態系への悪影響、何といっても水量に影響するという懸念が示されていますが一切この点について明確なことはありませんが、目下のところ静岡県に何のメリットもないといっていいものであります。
 また、私は、リニア新幹線は通るところは各県は駅をつくるという、一駅はつくるということでこれまで進んできて、私自身は長野県在住のときにその代表の学者として長野県の駅をこの松本にするか、あるいは飯田にするか、松本を中心にということを県知事さんなど言っておられましたのでそのために奮闘をしておりました。今その駅はJR東海が御負担しておつくりになるんです。うちは土捨て場の提供とひょっとすると大井川の水量に影響するという悪影響のことしか言われてない。
 したがって、今私は改めましてこのJR東海のこのリニア新幹線と既存の新幹線との関係にも念頭に置きながら、JR東海が静岡県のために何ができるかということに対して強力に働きかけてまいりたいというふうに思っております。
 ちなみに、静岡県を通らない場合に、通れない場合に、例えば大井川の水量が大いに減少したとか生態系が破壊されたとかというふうになりますれば別のルートを考えねばなりません。それも考えております。相手の立場に立って考えねばなりませんが、目下のところ私どもにとって何の営利もない。そうした中で空港新幹線駅は既存の中ではつくらないと。それはもうわかっているわけです。二〇二七年以降のこととしてみんなそのレベルで話をしているわけで、現状においてリニア新幹線もできてないところでJR東海側がつくらないと言われるのは当たり前のことでそのことに何ら目くじらを立てることはありません。
 しかし、リニア中央新幹線とのかかわりで空港新駅というものが考えられている以上、これにつきましては少しく我々は一致団結して、それこそ関係市町や関係団体と連携をいたしまして何が公益に資するかと、JR東海にも静岡県にも資するかということを共有し、どうせつくるならば国家的見地から必要とされるものをつくればいい。私はこれを既に全国知事会でも言っております。二〇二七年までにつくるということであればどこかが部分開通するということもあり得ようと。したがって二〇二〇年、先生も言われました、この一九六四年、オリンピックの九日前に新幹線が開通したのです。ならば東京で行われるわけですから甲府まで、地質がわかっておりますからそこまでつくって人を乗せると、そこから身延線でおりてくると。こうした形で第一期工事をリニア新幹線、そこまでにしてはどうかと。第二期工事は名古屋から飯田までにして一番難しい南アルプスについては慎重であったほうがいいということをこの間の七月の全国知事会でもこの点について申し上げました。もちろんJR東海側もそのことは御存じだと思います。
 こうした観点で話をしておりまして、どうせつくるならば一つずつ、なるべく一気にお金をかけないでやっていかねばならないので、それを二〇二〇年のオリンピックというものが一つのめどになるということで申し上げているわけです。
 夢というのは勝手に実現されるものではありません。みずから努力して実現しなければならないのでここはぜひ御一緒にやっていきたいというふうに思っている次第であります。一日も早い新幹線新駅、この実現を目指してまいりたいという決意に変わりはありません。
 続きまして、主要国首脳会議についてであります。
 この質問が多家先生から出るとは予想をしておりませんでした。ともあれですね、世界中の注目を集めた伊勢志摩サミットを初め関係閣僚会合も高い成果をお上げになられて無事閉幕したことを開催地となった自治体及び関係の皆様に心よりお喜びを申し上げたいと思います。
 当時、県議会議長として御尽力を賜りました多家先生を初め県議会の皆様方、また超党派で活動いただきました国会議員の皆様にはまさにオール静岡で熱意を持って誘致に取り組んでいただきました。心からの感謝を覚えるものであります。
 そして、残念ながらこのサミットを初め関係閣僚会議も本県開催に至らなかったことは、まことに残念であります。特に関係閣僚会議におきましては例えば福岡県北九州市、岡山県倉敷市、富山県富山市、それぞれエネルギー大臣会合、教育大臣会合、環境大臣会合が開かれたんですけど要望もしていないんです。それにもかかわらず開かれたということですから私はいたく傷ついております。
 ただ、先生がですね、二年前の平成二十六年八月に知事がサミット誘致を表明したと言われましたのは間違いです。実はこれには歴史がありまして、それより八カ月も前にテレビの会議がございました。平成二十五年の十二月のクリスマスのときですけれども、静岡市長さんと浜松市長さんと私で新年の夢を語るということで、静岡市長さんのほうから昨年の、ことしのサミットを誘致するということをしたいと、日本平に。ついてはどうかと、すばらしいと。それを県知事、おまえが言えというわけです。あなたの夢ですからあなたが言われたらと。そしたらまた鈴木市長さんも川勝が言ったほうがいいと、自分も応援するからということで私はその公共放送を通じてサミットを静岡県に誘致しようと、日本平はすばらしいホテルもできたのですばらしい会場を提供できるということを言い、静岡市長さん、浜松市長さんも賛同をされたというのが先生が言われるときの八カ月も前のことであります。
 ところが、それから七カ月がたちまして七月十七日、これも先生の言われる月よりも一カ月以上前です。静岡県医師会役員就任披露パーティーというのが都内のホテルでありました。そこで当時外務大臣政務官であった牧野京夫先生がつかつかと寄ってこられまして、何でサミットの誘致を断念したのかと言われたのです。私は、青天のへきれきというか寝耳に水で、そんなことはありませんと申し上げました。いや、静岡市長が徳川家康公薨去四百年祭でお金がかかるから、だからやめると言ったと。そして齋木事務次官も川勝がそんなことを言うはずがないということで確かめに来たというわけです。私は、これは何かの間違いだと、すぐに静岡市長に連絡をしたいと。彼はそのときにフランスにいたんですね。それで康友市長に、失礼しました鈴木市長に言いましたところ言い出しっぺがやらないというのだからしようがないと思いましたということなんです。
 それで彼が帰ってきまして、七月二十二日静岡市長と会談しました。朝一番に彼が知事室に来てくれてですね、そしてなぜ断ったんだと言ったら、断ったということを直に言わないでフランスに行ったのは悪かったと言ったんです。そこではなくて断る前にどうして相談してくれなかったのだということだったのですが。そしてその話をといいますか、知事室で市長と知事が話をしてると、当時はこの今掘ってられる駿府城公園の駿府城をつくるべしというふうに私が言っておりました。いや、静岡の件も話をいたしました。こうしたことについては話せなかったことにしてくれと、フランスのアヴィニョンでSPACが演劇成功した、それの報告に来たということにしてくれという捨てぜりふで彼は知事室を後にされたのです。
 私は、まずそれで七月二十九日、すぐに私は知事公室長のほうから外務大臣政務官、牧野さんに宛てましてサミットを誘致する意向を伝えました。そして七月二十九日誘致断念の外務省内取り消し処理を行っていただいたんです。それからしゃにむに頑張ったわけです。そして今おっしゃった八月二十五日に記者会見で表明する。そして八月二十九日には外務省にサミット誘致計画案を提出する。
 そして、十月十六日にはふじのくに静岡県サミット誘致推進会議を開催しました。そこに、何と静岡市長も出席されていました。断念したと言った人が、もっともその前にこれは大事なことだからと、なるほど徳川家康公には金かかるかもしらんと、しかしながら洞爺湖のサミットの経済効果が幾らか知ってますかと。三百五十億円だと。PR効果は一千億円以上だと。ポストサミット効果は二百八十四億円、合計すると一千六百四十七億円ですよと。これを勘案してどうしてやめたのかと、何でそんな軽挙妄動したのかということだったわけです。今回の伊勢志摩サミットでは直接効果だけでも一千七十億円と試算されています。PR効果は三千九十八億円です。ポストサミット効果は一千四百八十九億円、合計五千六百五十七億円と試算されているんです。これを上回る効果をさえ持ち得たと僕は思うんですけど、場所がいいから。全部失ったんですよ、これ。
 あえて、そして私はこの十月十六日の何ていいますか、推進会議ですね。このときに実現への決意という文章がございますが全部で五項目となっておりますが、これは渾身の力を込めて私自身で筆をとりました。それから、またその後あちらこちらに働きかけをしたわけでございますが、国会議員の先生方は翌十一月にはふじのくに静岡県サミット誘致推進国会議員の会を開催していただくと。そしてまた十二月には岸田外務大臣と面談いたしました。そしてまた四月十六日には菅官房長官に、これは国会じゃない、首相官邸ではありましたけれども先生方に来ていただいてですね、国会議員の。面談をいたしまして本県での開催を要請したということです。それ以外にもですね、実は私個人で動いたこともあります。それは安倍首相が御決定をされるときに、サミット経験の首相、森先生とそれから福田先生はまだ御活躍中です。ですから必ず最後には相談されるだろうと思いまして森先生に昨年の二月、そして福田先生には昨年の三月に、塩谷立先生に連れて行かれるという形にしてお目にかかりまして、もし誘致が決まった場合には顧問をお引き受けいただきたいということで両氏から御快諾をいただいていたわけです。
 しかしながら、御案内のように伊勢志摩にお決めになったのは恐らく安倍首相の個人的な思い入れがあったからだというふうに思いますが、こうしたことがありましてあえなくもサミットはおろか関係閣僚会議も開かれなかった。それはそうでしょう、できないと言ったわけですから、日本平ででも。それからまた浜松市長もそれに同意されたわけですから。ですから特にこの軽挙妄動で数千億円の損害をもたらしたとすら思っておりまして、私はしゃにむにやりましただけにそれが功を奏した。それはもう信用を一回失うと、ことしはお金がかかるんでしょうと徳川さんに。だってそういうふうに言ってきたじゃありませんかと、あなた方が一緒に言うのは前言ったこととはどういうふうにつじつま合わせるんですかと、県知事さんだけが一生懸命やってるけれどもという感じですわね。だから見向きもされなかったということでございます。
○副議長(藪田宏行君) 知事に申し上げます。答弁は簡潔にお願いいたします。
○知事(川勝平太君) わかりました。その他の御質問は関係部局長、局長から御答弁をさせていただきます。ありがとうございました。
○副議長(藪田宏行君) ここで会議時間を延長します。
 木くらし・環境部長。
       (くらし・環境部長 木利夫君登壇)
○くらし・環境部長(木利夫君) 住宅・建築物の耐震化の促進についてお答えいたします。
 本県におけます木造住宅の耐震化の取り組みは、東海地震から県民の命を守る重要な施策として全国に先駆けまして平成十四年度から一戸当たり三十万円の補助をする耐震補強助成制度を創設し、県内市町と合わせまして平均約五十万円を支援する県民が利用しやすい本県独自の制度により耐震化を促進してきたところでございます。
 このたびの熊本地震の被害状況を踏まえ、国は現行の木造住宅への耐震補強制度に一定額を上乗せする拡充策を検討しております。本県といたしましても、県独自に平成二十九年度までの二カ年間の緊急措置として木造住宅の耐震化の必要性をPRしていただける耐震補強に対し、現行制度に県として十五万円、市町も合わせて最大三十万円の上乗せし耐震化を強力に進めてまいります。
 また、ホテル・旅館に代表される多くの方々が利用する建築物につきましては、現在耐震補強に対して最大三分の二を補助する制度を整備しておりますが、耐震補強には多くの経費を必要とすることから中小企業者の中には必要性は十分に認識しているものの資金面の問題から工事に着手することができない事業者もおられます。そのため中小企業者が行う耐震補強に対する県制度融資におきまして一定規模以上の建築物について融資限度額を一億円から十億円に拡大するとともに、融資期間を十年から十五年に延長することによりホテル・旅館などの多くの方々が利用される建築物の耐震化を支援してまいります。
 これらの制度拡充に必要な経費を本議会にお諮りしているところであり、県といたしましては、目標の耐震化率九五%の早期達成に向け引き続き市町、関係団体と連携を図りながら住宅・建築物の耐震化を加速化してまいります。以上であります。
○副議長(藪田宏行君) 山口健康福祉部長。
       (健康福祉部長 山口重則君登壇)
○健康福祉部長(山口重則君) 障害のある人への支援強化についてのうち、障害者スポーツの振興についてお答えいたします。
 九月七日から十八日まで開催されましたリオデジャネイロ・パラリンピック大会では、本県の選手が銀メダルを四個、銅メダル三個、合計七個のメダルの獲得を初め出場された十二名の選手が世界の強豪と堂々と競い合う姿は県民に多くの希望と感動をもたらしました。障害者スポーツは障害のある人に健康の増進や生きがいを与えるだけでなく社会参加の促進や障害のある人への理解も深めるという重要な役割を担っております。
 県では、障害のある方々が身近な地域で気軽にスポーツに親しむことのできる機会を提供するため、障害のある方々を対象としたスポーツの指導員の養成やスポーツ教室の開催などを行っております。また障害の程度や種別にかかわらず誰もが参加できるわかふじスポーツ大会を毎年開催し、陸上競技を初めフライングディスクやボッチャなど十七競技に毎年三千人以上の方々が参加しみずからの記録に挑戦するなど障害者スポーツの裾野の拡大に積極的に取り組んでおります。
 今年度からは、パラリンピックで活躍された本県の選手たちによる講演会やスポーツを通じた交流会なども開催し障害者スポーツの魅力を発信することにより、二〇二〇年東京パラリンピックに向けての機運を高め県民一人一人の障害者スポーツへの関心と理解を深めるなど障害者スポーツの一層の拡大を図ることとしております。
 今後も、県障害者スポーツ協会を初めスペシャルオリンピックス日本・静岡など関係の方々とも連携協力し、障害のある人がそれぞれの能力や生活スタイルに応じスポーツを日常的に楽しむことができる環境を整え、障害者スポーツの振興に努めてまいります。以上であります。
○副議長(藪田宏行君) 木苗教育長。
       (教育長 木苗直秀君登壇)
○教育長(木苗直秀君) 障害のある人の支援強化についてのうち、通級指導教室の拡充についてお答えいたします。
 平成二十八年五月一日現在、県内の小学校には八十三の通級指導教室が開設されており、百十六人の教諭と十人の非常勤講師が二千二百七十九人の児童の指導に当たっております。また中学校は七教室が開設されており、十人の教員が百四十四人の生徒を指導しているという状況です。
 県教育委員会といたしましては、これまで通級指導教室を計画的に拡充し、この十年間で教員数を二・一倍以上に増員してまいりました。しかし議員御指摘のとおり、急速に高まる通級指導教室のニーズに対して必ずしも十分な環境を整備できているとはいえない状況にあります。こうしたことから文部科学省より通級指導に当たる教員を加配による措置から基礎定数化するという改善案が示されました。それによると指導を必要とする子供十人当たりに一人の教員を配置することを目指しており、この案が成立すればよりきめ細かな指導が実現できるものということになります。
 県教育委員会といたしましては、通級指導に関する定数改善案の実現も国に対して強く要望するとともに、引き続き県内の通級指導教室のニーズを丁寧に把握し各市町教育委員会との連携を強化しつつ、特別な指導を必要とする全ての子供たちへの教育環境整備を進めてまいりたいと思います。以上であります。
○副議長(藪田宏行君) 村松交通基盤部長。
       (交通基盤部長 村松 篤君登壇)
○交通基盤部長(村松 篤君) 沼津市における津波対策についてのうち、地区協議会についてお答えいたします。
 県と沼津市は市の管内を七地区に分け、既存堤防高がレベル二津波高に対応している富士海岸地区を除いた内浦など六地区においてそれぞれ地区協議会を設置し住民の皆様との合意形成を図る静岡方式により津波対策を進めることとしております。
 また、各地区における合意形成に当たっては、常葉大学と連携してまず時系列による津波浸水域の変化と地域住民の避難行動を重ね合わせて避難の可能性を評価する津波避難シミュレーションを実施し、地域課題を抽出した上で津波対策の検討を行うこととしております。
 既にシミュレーション結果が出た内浦地区では、昨年度に自治会代表者等で構成される地区協議会を立ち上げ避難ルートの設定等について意見交換を行っているところであり、今年度は他の五地区においても協議会を設置し津波避難シミュレーションの結果が出た地区から地域の実情を踏まえた防潮堤のかさ上げ等のハード対策と避難等のソフト対策について検討してまいります。
 県といたしましては、引き続き沼津市と連携して来年度中を目途に地区協議会で合意形成を図り、安全で安心して暮らせる地震・津波に強い県土づくりを進めてまいります。
 次に、命の道となる農道の整備についてであります。
 県では、農業経営の安定と担い手の育成を図るため、平成二十三年度から沼津市の内浦、西浦地区地域のミカン園地五地区五百三十ヘクタールを対象として畑地かんがい施設等のほか三十六キロメートルの農道の拡幅などの整備を実施しております。この農道のうち十・二キロメートルは津波発生時の避難路として活用できることから、地震・津波対策アクションプログラム二〇一三に命を守るための避難路として位置づけ工事方法の工夫等により優先的に整備することといたしました。
 具体的には、海岸沿いの集落を起点として着手することにより避難路としての効果を早期に発現するとともに、ミカンの収穫期を回避した三月から九月までを工事期間とする債務工事の発注により事業の効率的な進捗に努めております。また工事区間に隣接する窪地のミカン園地の平たん化に建設発生土を活用するなどコスト縮減により早期の事業完了を目指してまいります。
 県といたしましては、国の農業競争力強化対策予算の積極的な確保に努め、高品質で収益性の高い西浦ミカンの生産力強化と避難路が確保された安全・安心な農村づくりを推進してまいります。以上であります。
○副議長(藪田宏行君) 西田文化・観光部長。
       (文化・観光部長 西田郁夫君登壇)
○文化・観光部長(西田郁夫君) 「プラサ ヴェルデ」の利活用についてお答えいたします。
 「プラサ ヴェルデ」は、総合コンベンション施設として首都圏から約一時間という交通の利便性のよさと、間近に世界遺産の富士山と韮山反射炉を有し海、山の自然や豊富な温泉に恵まれた富士山麓、伊豆地域に位置するという地理的特性も備えております。こうした強みを生かし、開館前から県と沼津市、静岡県東部地域コンベンションビューロー、指定管理者の四者が協働して地元のさまざまな団体、企業等を精力的に訪問する営業活動に努めてきたことにより昨年度は来館者数の目標である七十一万人を達成いたしました。開館以来音楽コンサートや子供向けの文化事業などの実施により県民の皆様に愛される施設に成長していると感じておりますが、議員御指摘のとおり平成三十年度の目標数値八十万人の達成には収容力の大きな多目的ホールなどの平日の稼働率の向上が課題となっております。
 このため、いわゆるアフターコンベンションとして新たに地域の観光施設と連携したプランを提案する営業活動に取り組んだ結果、例えば本年四月には日本SF大会の誘致に成功し世界各国からの参加者を含む千五百名が大会に参加するとともに、沼津港深海水族館でのウエルカムパーティーや沼津市内の商店による物産市での買い物を楽しんだところであります。
 また、首都圏の大手企業が長期間にわたる社員研修や社内運動会の開催などに利用することも見られることから、こうした宿泊や周辺地域の観光を含めた新たな利用形態の提案を盛り込んだ営業活動も展開しアピールしてまいります。
 今後は、海外の商談会などに積極的に参加し、国際会議や学会の主催者への招聘旅行の提案や企業等の報奨・研修旅行の誘致などを行い、コンベンションといえば「プラサ ヴェルデ」と言われるような国内外から多くの人を引きつけ地域経済に一層の発展に寄与する施設となるように努めてまいります。以上であります。
○副議長(藪田宏行君) 多家一彦君。
       (六十三番 多家一彦君登壇)
○六十三番(多家一彦君) 空港新駅、G7に対する知事の思いがうかがえました。議場の皆さんがどう思ったか、いずれにいたしましても知事の発信力は大変なものだと、そんなふうに思っておりますが、すべからく起承転結、上がりがどうなるか。大いなる期待を持ちまして質問を終わります。(拍手)
○副議長(藪田宏行君) これで多家一彦君の質問は終わりました。
 以上で本日の質疑及び一般質問を終わります。
 次会の議事日程を申し上げます。
 九月二十八日午後一時会議を開き、質疑及び一般質問を行います。
 本日はこれで散会します。

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