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本会議会議録

答弁文書

開催別知事提案議員別代表質問一般質問検索用



平成28年2月静岡県議会定例会

鈴木 洋佑 議員(自民改革会議)の 一般質問 に対する答弁

(質問日:03/01/2016番目)
答 弁 者知事


○知事(川勝平太君) 鈴木洋佑議員にお答えいたします。
 ふじのくに型人生区分を活用した健康寿命の延伸についてであります。
 平均寿命が男女とも八十歳を超え、多くの方が六十五歳を過ぎても元気に活動されている現状では従来の六十五歳以上を高齢者としている定義を見直し、社会に支えられる人から社会を支える人、担う人へとこれまでの通念を大胆に転換していくことが重要であります。
 県では、年齢を重ねても元気であればいつまでも社会で輝き活躍できるという意識を持っていただけるようにふじのくに型人生区分を県民の皆様に提唱し、各種会議やイベント行事などあらゆる機会を活用いたしまして人生区分を普及し県民の皆様の若返り意識の醸成を図っているところでございます。
 もともと、六十五歳をもって高齢者とするという定義はWHO――世界保健機構が一九五六年に定めたものでありますが日本では昭和四十年に六十五歳以上を老年人口とするというふうにお決めになりまして今日に来ているのであります。しかしながら平均寿命が延びまして今やいわゆる学会におきましても、老年学会というものがあるそうでございますけれども高齢者の定義の検討を再検討されているということでございます。新老人クラブをつくられました日野原先生は七十六歳以上をもって老年というふうに言われているわけでございまして現実に即するならばそういうことではないかと。私どもは健康寿命の尽きるところで壮年から老年に入るということでございますので洋佑議員もそうです。私もいわば壮年の熟期と。六十六歳から七十六歳までの間にいるということでですね、先ほどおっしゃったとおりまだまだ元気ということでございまして同感でございます。
 特に私は、この壮年期すなわち四十六歳から七十六歳までの中で六十六から七十六歳、我々が壮年熟期というふうに言っている方々。年金生活に入る方が多いわけでございますけれどもしかし一方で長い人生で培われた豊かな経験と知恵をお持ちの世代です。したがってこういう世代にこそ社会の礎を築かれた世代であるだけに続く世代に対してその知恵、経験、技術を伝承していくというそういう役割を担っていっていただきたいというふうに思うわけでございます。
 このため、来年度から介護支援ボランティアや次世代を担う子供たちを育む活動など地域に貢献するさまざまな活動事例を御紹介申し上げるほか、新たに活動を始めようとされる方々に必要な情報を提供する講習会の開催などによりまして壮年熟期の方々の社会参加の意欲を高め、その実践を後押ししていこうと思っております。
 さらに、いわゆる七十五歳以上を後期高齢者という言い方は私は七十五歳以上の方に対して失礼であるというふうに存じます。やはり日本にもあるいは東洋には敬老の精神というのがございますので七十七の喜寿を皆とともにお祝い。また八十の傘寿になられますと老年としてお互いに大切にしてそしてさらに八十八、あるいは九十という米寿や卒寿になられると長老として大事にすると。そういう社会をつくり上げていきたいというふうに思っております。
 県といたしましては、ふじのくに型人生区分を活用した取り組みにより県民の皆様の社会参加を一層促進し、人類の理想でございます健康で長生きをするという健康寿命のさらなる延伸を図り世界屈指の健康長寿の都ふじのくにを不動のものとしてまいりたいという決意を固めております。
 次に、私の政治手法についてであります。簡潔にということでございますが果たしてそうなるかどうかわかりません。
 まず、自分の意見を明確に主張しそこから議論する中で着地点を見つけていくという手法ではないかというのは誤解です。私は基本的に現場主義ということです。主役は県民であり市民、町民であるという姿勢を持っております。
 そのきっかけになりましたのは、平成二十一年八月十六日知事になってまだ間もないことでございましたけれどもみずから空港の地権者でございまして反対されていた大石さんのところに参りまして一対一で話をいたしましてその場で問題を解決し、今反対者というよりもむしろ賛同者になっていただいております。またそのとき私が学びました松本さんという方の土地について県の職員が誤伐採をしたということでみずから出向きましてその現場を見、そのとおりでございましたのでそれなりのことをいたしました。結果今やその土地も売っていただくことができました。
 そのように、これはインフォーマルとフォーマルと両方含んだものでございますけれども現場に出かけるということで今、年に大体二カ月に一回ぐらいの割合でいわゆる知事広聴というのをやっておりますのでもうその数も四十五回ぐらいになったかと存じます。さらに県も広うございますのでそれぞれのところに行きましても泊まり込みで翌日朝八時過ぎから仕事ができるようにするといういわゆる移動知事室も、もう既に十七回ぐらいを数えているんじゃないかなというふうに存じます。いわゆる公務出張としての地域への出張も既に一千九百回を超えておりましてその方々からお声を聞きまして、もしその場で一緒に考えて解決できるということであればその場で解決してしまうと。これが基本的に私のやり方です。ですから頭で考えてというんじゃなくて現場で考えるというのが基本的な筋道です。
 先ほど、政治は義理と人情であるということでそういう御意見という接頭辞をつけられてその大切さを言われたわけでございますけれども、これは誰が言うかと。どなたが言われるかということです。もしそれが義理と人情に揺れた赤穂義士あるいは天野屋利兵衛あるいは若い青年たちの義理と人情に動かされて五十歳で明治十年の秋の空に散られた西郷隆盛。あるいは大正、昭和でいえば吉良の仁吉のような人が義理と人情ということを言われればですね、うなずくところがあります。私もおやじも早稲田で波風受けまして、人生劇場、義理と人情ということでまいりました。
 しかしながらですね、最高裁で敗訴判決を受け、それに対してその罪をかつての部下にあるとして訴訟を起こすなどこれは思いやりですか。かつての子分が自分に義理立てを欠いたということでこれに対して訴訟を起こす。これはいじめではありませんか。ですから誰が言うかによると。義理と人情も足すものもあるということでございます。
 ちなみに、鈴木洋佑議員が副議長になられましてお祝いの席に招かれました。その席に明治大学の応援団が来ていました。鈴木議員は下戸です。しかし明治大学の応援団になるがために飲めない酒も先輩や同僚や後輩と一緒に飲んで見事に副団長までお務めになり、そしてあの祝賀会の舞台では彼らが先生を励ましました。そしてそれを受けた鈴木議員は、鈴木副議長はどうなさったか。みずから昔のきねづかでフレー、フレー、植田議長となさったじゃないですか。私はそれに感動いたしましてそれをそのまま受けてフレー、フレー、鈴木洋佑として会場から大喝采を受けました。
 「人生意気に感じて、などか功名あげつらわん」というところがございます。私はえにしがあって今知事職を預かっております。高い権力、権限を持っております。これは何のために使うべきかということは皆様方のように強い方のためではなくて社会的弱者であるとか虐げられている人というのがいらっしゃるんですね。その人たちのために使うということでございます。その方たちが来られれば来る者は拒まず、助力は惜しまず、そして見返りは求めずと。これは私が過去七年近くみずからに言い聞かせてそれを実践してきたつもりです。もとより批判もあるかもしれません。そしてまた公人としては身に私を構えないと。うそ偽りを言わないと。上にへつらわないと。下に威張らないと。そして人の艱難を見つけてはこれを見捨てないと。廉恥心は持ってそしてみずからの信念は例え少数でも「百万人とて我行かん」ということで情理を尽くして説明しながら真っすぐ進むと。そしてものの哀れを知り人に情けをかけると。これが私の政治姿勢であり政治手法です。
 さらに言えば、議論は常にオープンでなければならないと。それは明治の初め、また敗戦の翌年の一月一日のそれぞれ明治天皇、昭和天皇が五箇条の御誓文を復唱せられました。万機公論に決すというこれが一番の基礎でありまして議論を拒むことがあってはならない。その意味において私は議論に対しては常にオープンであります。上下心を一にして盛んに経綸を行うと。あるいは「官武一途庶民に至るまで、おのおの志を遂げて、人心をして倦まざらしめん事を要す」ということがございます。そして旧来の陋習にとらわれてはならんと。天地の公道を常に考えよということです。そして常に障子をあけて見よと。世界は広いと。広く知識を世界に求めて大いに皇基をあるいはふじのくにを振起させていこうというのが私の姿勢でございます。以上であります。

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