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委員会会議録

委員会補足文書

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平成29年10月社会資本・まちづくり特別委員会
常葉大学 准教授 小村隆史氏 【 意見陳述 】 発言日: 10/06/2017 会派名:


○小村隆史氏
 よろしくお願いします。常葉大学の小村でございます。
 このような機会をいただきましたことに、まずもってお礼申し上げます。
 最初に、自己紹介を兼ねて、10分、15分ぐらいのビデオを見ていただきたいと思っております。2013年で、東日本大震災から2年たった3月のタイミングに合わせまして、静岡第一テレビさんがまとめてくださったテレビ特番の中の1シーンです。
 そこで私がこだわっているのが、重要施設の立地という話であります。その点につきまして、ちょっとお話をさせていただきたいと考えております。
(ビデオ上映)
 防災の観点を考える上で、日本の防災の決定的な限界は、避難を教えていることなんです。避難すれば何とかなる、避難経路とか避難先とか、津波避難タワーもそうですけれども、実は私がいつも、市民向けのセミナー等々で申し上げていることは、99対1あるいは98対2ということを、どこまで理解してくださっているのかということです。99対1あるいは98対2というのは、公務員と公務員でないものの比率です。公務員でないものが98とか99、残りの1%、2%、この中には消防も警察も自衛隊も医療陣も含めるということになるんですけれども、そこに頼って何とかなるわけはないよって。そういうところを、さて、どのくらい理解していただけているのかということなんです。
(ビデオ上映)
 これは、防災まちづくりの話を言うならば、極めてまともな成功事例です。情けないのも幾つもありますが。
(ビデオ上映)
 これは、1月とか2月の時点です。状況はそこから変わってはおりますが、基本的な問題意識、背景は変わっていません。
(ビデオ上映)
 この気合いの入らない返事。この気合いの入らない返事が、防災の限界と言ったらいいんでしょうか。今、行われている防災、災害対策が、いかに的外れなことをやってるかということです。自分の命の守り方、言葉をかえると方法論になります。この保育園児たちは、当然のことながら親の言うことを聞く。保育園の先生の言うことを聞く。あるいはジャーンと鐘が鳴ったら、この高台のところに向けて駆け出していけばいい。子供たちはそれでいいでしょう。小学生、中学生は、それぞれ守り方がありますよね。
 さらに言うと、後で細かくお話ししたいと思いますが、次の我々が覚悟しておくべき災害というのは、基本的に3種類ぐらいに分けて考えることができると思います。
 1つは、直下型の地震です。こいつは、いつ、どこで起こるかわかりません。残念ながら、この静岡もやられる可能性は、現実的にはあります。
 2つ目は、風水害。この場合は、土砂災害と浸水害という形になります。場所さえまともに選んでいれば、風水害にやられることはありません。そのために、ハザードマップづくりも展開しています。ゾーニングはもうちょっと頑張ってほしいなというところであります。
 避けられない、ただしうまくすると20年ぐらいの執行猶予期間があるのが、南海トラフの巨大地震です。では、その南海トラフの巨大地震を意識したまちづくりは――まさにこの委員会のメインテーマだと思いますけれども――どういう形になっているんだろうかという問題提起が、私が考えていることです。
(ビデオ上映)
 入院患者全員70歳以上です。60歳以下でお亡くなりになった方は、職員です。
(ビデオ上映)
 皆さんであれば、釜石の奇跡という言葉をどこかでお聞きになったことがあるんじゃないかと思います。岩手県釜石市にいた小中学生、つまり公的な管理下にあった子供たちのほぼ全員が逃げ得たとのことです。それはそれで評価すべきことだと思いますが、でも私は聞きたい。避難しなくちゃならないようなところに学校を建てたのは、誰の責任だ。避難に失敗していたら、一体どうなるんでしょうね。重要施設って、そういうところにあっていいんですか。
 災害に強いまちづくりの出発点というのは、やはり重要施設の立地だと思います。その重要施設として私が述べているのは、このビデオの中でも申し上げましたけど、4つのカテゴリーを考えています。まず、行政の拠点。医療機関、学校、社会福祉施設。社会福祉施設も、動ける方はまだいいです。問題は、特別養護老人ホームないし特別のつかない養護老人ホームといった、動けない方がいらっしゃるところ。しかし、現実には、姥捨てのような状況というのは発生してます。それってどう考えればいいんだろうと思うわけです。
 そういうのに規制をかけられる立場にいらっしゃるのが、皆さん方ではないでしょうか。もうちょっとビデオが続きます。
(ビデオ上映)
 避難しなくても済むような場所、そこにいれば助かるという場所、そういうところにやはりいてほしいわけです。そういう状況を、今すぐとかは言わんわけですよ。多分、今すぐと言う必要はない。ただ、中長期的な計画はしっかり立てる必要がある。また、常に長く持つものの場所は慎重に考えにゃいかんという話です。
(ビデオ上映)
 これが、東日本大震災を経た私自身の問題意識の基本的なところであり、狙っているのは、やはり避難を教えるのではなく、避難しなくて済む町をどうやってつくっていくのかということになるんだろうなと思います。そうすると、考える要素は2つあります。
 1つは、立地の議論です。もう1つは、人工構造物でどうやって守るかということ。この2つに基本的にはなります。
 もう少し、立地の話をさせていただきたいと思います。お手元に小冊子を配らせていただきました。これは、消防、防災系の世界では久しく知られた老舗の雑誌になります。近代消防という雑誌の2013年の秋の号なんですけれども、その中で私自身が述べているところ、ページをめくっていただくと、細かいところは後で時間のあったときにでも読んでいただければ結構です。地図を見ていただきたい。ここが一体どうなっているのかというところです。地図と写真を見ていただければ、大体、言いたいメッセージは伝わると思うんですけれども。
 その前の11ページに、こういう言葉を書きました。3.11後の防災論議に、時間軸の観点はありやなしや。東日本大震災を直接見聞きしたあの時代の大人は何をしていたのかと。2035年、プラスアルファ年の中学生から文句を言われないように、そういう問題意識が入っています。高台移転を含む長期計画をつくるのは、今の世代の責任。2035年、プラスアルファ年のそのとき、社会の中心を担っている世代に、正しい知識とイメージを持たせるのも、今の世代の責任。具体的に言うならば、高校生、大学生です。約20年後、社会の中核に立ってますが、その彼ら、彼女らが、逃げりゃいいという感覚でいてもらもらっちゃあ困るわけです。
 釜石市の奇跡と言われた場所は、こういうところです。ここに、海が見えています。3階建ての校舎の3階に車が突っ込んでいます。ちなみに、居残りの教員の方が1人、お亡くなりになっています。
 さて、どう考えればいいんでしょう。ここに立地をしたのは誰の責任か。
 ちなみに、釜石の奇跡と並んで、鵜住居の悲劇という言葉をお聞きになった方は、この中にいらっしゃるでしょうか。鵜住居。鵜飼いの鵜です。それから住居と漢字で書きまして「うのすまい」と読ませるそうです。実は鵜住居のここ、ここに示していないんですけれども、防災センターがあります。その鵜住居防災センターの2階に避難室との名がつけられた部屋がありまして、そこに人々が集まって、200数十名、お亡くなりになっています。実はその鵜住居の防災センター、消防の出張所でもあるんですけれども、そこに、実は鵜住居小学校がかつてあったんです。2階の天井ぎりぎりのところまで水がきてしまったそうです。
 今、どうなっているかというと、ちなみにここの部分ですね。こちら側の川すその部分に、鵜住居と細い漢字が書いてある。この山肌を切り崩しまして、保育園と小学校、中学校が合同して建てて使っています。
 私が考えてほしかったなと思っているのが、ここにあります吉里吉里小学校です。この吉里吉里小学校は、ごらんいただいてわかるように、高台に、外階段のついている形で学校が建てられています。何かあったらここに逃げればいいじゃないか。だから家にいるときでも、登下校の途中でも、もちろん授業があるときでも、何かあったらここから上に逃げると。こういう形ができているのが吉里吉里でした。
 ちなみに吉里吉里は、この右側の地図を見ておわかりいただけるかと思いますが、過去の災害から、この一番低い部分には基本的に住家がなかったんです。それが、国道よりも西側に高台移転しました。ただ、これが十分に設定できていなかったということになりましょうか。
 また、悲劇と、そして教訓が学べるところとして私が注目しているのが、志津川という町です。宮城県の北のはずれのほうにあります。ここは、避難勧告の放送をしながら殉職された遠藤未希さんのお名前で知られているところです。
 ちょっとわかりにくいかもしれませんけれど、左の端のほうに、鉄骨がむき出しになっている3階建ての防災対策庁舎があります。ここは、上のアンテナも含めて水をかぶってしまいました。そのシーンは、実はここに新しくできた町に行くと、佐藤さんというカメラマン――地元の写真館を営んでいる方がスタジオをつくってまして、その中に門外不出の、つまりそこではコピーもとらせない、写真も撮らせないんですけど、そのときどういうふうになったかという写真があります。機会がありましたら、その写真を見るだけでも、非常に価値があると思います。
 でも、考えておきたいのは、病院もやられました。40数名の死人が出ました。防災対策庁舎におられた方も、相当数死にました。今、何をやってるかというと、ここのベイサイドアリーナというところに、町役場が動き、病院も動き、消防署も動きという形になってきています。幸いにもここは、高台に、保育園も小学校も中学校も高校もありました。という意味で、実質的な被害は受けていません。不幸なことに、特養がありました。特別養護老人ホームの慈恵園というのがございますけれども、この慈恵園さん、47人だったかな、お亡くなりになっています。実は、この場所に、かつては志津川中学校があったんです。この志津川中学校は高台移転をしました。その跡地利用として、特養を持ってきました。しかし、その特養で40数名、介護に当たっている人も含めて、お亡くなりになっています。我々は、どういう形の町をつくっていけばいいのかということを、ずっと考えています。
 ビデオの中で、これは慈恵園ですね。そして、ベイサイドアリーナ、この時点ではまだ体育館ぐらいしかありませんでした。高台移転が間に合っていたならば、ここは極めてうまくいった町として、評価されたんじゃないかなというふうに思っています。
 お示ししたのが、ビデオでお見せした石巻市立雄勝病院です。このことを忘れずにという自戒の意味も込めまして、今、皆さんのお手元に、1枚配らせていただいております。私自身が仲間とともに、この清水の、あるいは広く静岡全般の防災を考えていきたいと、県の支援もいただきまして、ふじのくにDIGセミナーを、毎月第2土曜日に行っております。今月も来週の週末になりますが14日に行います。その特別企画として、静岡市清水区の医療機関と市役所庁舎の移転、そして火発新設を考えるという、清水の防災まちづくりDIGを行っております。
 この下にあるのが、同じ雄勝病院の写真です。意図的にぼんやりと書いてるんですけれども、やっぱりこういうことを繰り返しちゃいけないよねということです。
 いろいろと思うところはあるわけです。雄勝病院は、地理的にはこういうところにありまして、奥まった湾に面しているわけですから、当然のことながら、津波はどんどん集約されて高くなります。
 では、なぜここに病院を建ててしまったんだろうかとなるわけです。
 単純に防災のことを考えればいいというわけではないと思っています。そこが、ここの皆さんの、つまりここは、社会資本・まちづくり特別委員会の場ということであるんですが、その重要なテーマを、ちょっと裏を見ていただきたい。裏にこういう3つのキーワードを書かせていただいています。防災ということと、にぎわい、なりわい。これはどう考えればいいんでしょうね。この3つの関係性。私は、立場的に防災の話を追求する者です。この場所にこの施設があっちゃまずいだろうという話を言う人間です。しかしながら、考えようによっては、そんなことはもう先のことだ、今のことを考えねばならない、にぎわいのことが先だ、なりわいが重要だと、そういう人間は当然いてしかるべきです。問題はどこにどう接点を置くかということなんです。
 というので、ちょっとした作業に移りたいと思うのですが、済みません、じゃあちょっと、テーブルを中のほうに入れていただけますでしょうか。もしよろしければ、その場でも構いません。立っていただいたほうがイメージをされやすいと思います。
 恐らく皆さん、スマホを通常に使っていると思います。スマホで、地理院地図というのを、今お持ちであれば、探していただけませんでしょうか。地理院地図。何が違うかと言いますと、スマホでは、その場所の標高をワンクリックで確認することができるというものです。ちょっと実際にやってみましょうか。地理院地図って検索して、出ました。場所を探して、自分のお住まいの場所に動かせますので、そこに行ってもらい、スマホですと下向きの矢印が多分出てくると思います。その下向きの矢印をやると、その場所の標高が出てきます。地図を自分の好きなところ、任意の場所に落としていただければと思います。
 これを実際に、標高を確認しながらいきたいんですが、その際に、お話ししているように、私は防災の立場の人間です。安全性を考える人間です。想定外というのを言いわけにしちゃいけないと考えている者です。というわけで、当然のことながら、過去最大はどのくらいのものだったんだろうかということを考える。そうすると、この清水という場所は、どうも1498年の明応の倒壊のときに、標高3メートルあたりまでは津波がきたんじゃないか。
 これは私の同僚の阿部先生が、現在学会誌に投稿している視点の結論なんですけれども、そういう話があるそうです。
 防災地理院から地理院地図というサイトにまいりまして、これによって、本当に標高がすぐにわかる時代になっています。ぜひこのあたりをと言っていただいたら。

○中澤(通)委員長
 千歳町、もうちょっと南、区役所の近く。

○小村隆史氏
 区役所の近くですか。はい。この辺ですか。
 例えば、ここは標高2.1メートルになっています。新清水駅のほうに行きますと、1.8メートル。浜田のところの学校のグラウンドのほうに行きますと、ここは2.1メートル。簡単に標高を確認することができるようになっています。
 じゃあ、既往最大――私たちの業界ではそう言っておりますけれども、過去最大というのは、一体どんなもんだったんだろうかと考えますと、3メートルぐらいじゃなかったかと。我が同僚の阿部先生によるところでございまして、それによりますと、こういうことになっています。これが、その1498年、明応東海のときのイメージです。この明応東海のイメージからすると、実はこれ、三保半島は全戸水没したと思われる。が、遡上高のラインはおおよそ3メートル。すなわち、標高3メートルのラインぐらいまでで津波はとまったんじゃないかなと思われる。
 実は、別のタイプのシミュレーションをやりますと、別の数字が出てきます。中央防災会議。日本の防災を取りまとめているところが、お墨つきを与えた被害の想定。こういう形で数字が出てきます。この三保半島は、余り水をかぶっていないんですが、遡上高のラインはおよそ2.6メートル、余り違いありません。こちらのほうが多分、津波の高さはそんなに高くなかったんでしょうが、押しの時間が長くて、それで奥まで入っていって、引きという形になっていった。こちらのほうは、押しの時間がそれほど長くはなかったので、余り高いところまでいかなかったんじゃないかというのが、阿部先生の御説明でした。
 では、考えていただきたい。単純にこういう数字といったらいいんでしょうか、議論ができるんじゃないかなと思います。過去最大レベル。これに心理的安全係数。プラス危険ライン、注意ライン。こういう形で物事を整理することができませんかということなんです。それをどういう形でやるかと言いますと、本当は皆さんにやっていただければと思ったんですが、ちょっと時間が厳しそうなので、お渡ししましたこのチラシの裏側に、ぼんやりと見えるような形になっていて、実は赤の線と黄色の線が引いてあります。
御存じでしょうか。東日本大震災の後、こういう石碑が話題になりました。「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」岩手の宮古の姉吉というところにございます。時間があれば、そのときのビデオを見ていただきたいんですけれども、そこは省略します。
 では、心理的な安全係数も含めて、ここより下に家を建てるなのラインは、標高何メートルのラインならよろしいのでしょうか。願わくば、こっちは建てないほうがいいよねというラインは、どこに引くのでしょうか。
 実はきょうの午前中、学生にもそんな問題提起をしてみました。過去最大が3メートルならどうでしょうか。心理的安全係数を1とか2とかにとって、赤ラインが標高5メートルぐらいになり、黄色ラインはできれば8メートルとか10メートルかなと。全ての学生に聞いたわけじゃないですけれども、学生の一部は、おっと思う話をしました。いや、赤ラインは3メートルとか、場合によっては2.5メートル、2メートルでもいい。これは、私には実のところない発想でした。現実の線を引くことを考えると、現実にそこで生きている人たち、そのことを考えている人たちが考えるならば、それはひょっとしたらありなのかなというところでもあります。
 まちづくり、どうしましょう。もちろんこれは、強制力としてやることもできないわけじゃないです。そのための制度はあります。津波防災地域づくり法という法律があり、それには、イエローのラインとオレンジのラインを引くことができます。さらに、市町村が条例で定めれば、レッドのラインも引くことができます。ただし、これは強制力があるので、そこから下は、もう新規はだめよという話です。なかなか厳しい話にはなります。
 でも、20年先のことを考えるならば、どう考えていったらいいでしょうか。ちょっとこれを配っていただけませんでしょうか。皆さんにお配りするのは、静岡市の立地適正化、すなわち、新しい町の形はどうあるべきかということを考えている資料の抜粋です。注目していただきたいのは、この将来イメージです。大きな客船が来るという、そういう町を狙っている。ここはよくわかります。
 で、私のような者からすると、何かプロムナードがあるな、それに駅に直結しているな、そこはわかったと。ここに、防潮堤は確認できますか、この絵に。この絵に防潮堤は確認できないんですよ。ということは、何を意味するかというと、こうきちゃうわけですよ、津波が。例えばこういう形で道路に沿って、人工構造物によって守るという、そういう選択肢は十二分にあり得ると思います。時間的には、まだ間に合います。
 でも、本来そういう将来構想を考えてしかるべき皆さんが、そのことを過度に、意図的に避けている。そこにあるのは、お話しした防災の考え方、安全安心の考え方と、にぎわい、なりわい。ここに衝突が起こり得るわけです。だから、都合の悪いことには目をつぶると。
 ここ清水に、海洋文化の交流センターをつくろうと、その考え方、これはよくわかります。これも同じく、各集約型拠点。つまりこれから先、人間は少なくなっていくわけです。そうすると、めり張りをつけたまちづくりは当然。そのめり張りをつけたまちづくりの拠点として、静岡の清水は、駅周辺を海洋文化拠点として整備し、市役所、区役所、総合病院、子育て支援センター、地域福祉推進センター、大学、専修学校、博物館、博物館相当施設等々を導こうと。考え方はよくわかる。でも、ここに予定されている災害があるんですよね。その予定されている災害を無視して計画する。それは重要施設の立地、先ほど言った未来形の議論。2035年の子供たちに、あの東日本大震災を見聞きした大人たちは一体何を考えてたんだ、目先のことばっかやってと、私としては言われたくないと思います。
 さらに言うと、かなりの方が見落とされているんじゃないかと思う重要な論点があります。その重要な論点は、大津波警報が発令しているときに、津波リスクがある場所に人を行かせていいんですかという話です。これは何かと言いますと、東日本大震災のときに、大津波警報が解除されるまで、どのくらいの時間がかかったのかということについての気象庁の報告資料です。見ていただきたいのは、上から2番目とか3番目の話です。岩手県、宮城県、あるいは福島県もあると思いますけれども、地震は11日の午後2時46分、14時46分に起きています。赤の大津波警報、かつ10メートル以上というものが解除されたのは、翌日の午前3時20分。大津波警報が津波警報に格下げになったのは、丸一日たった12日の20時20分。さらに大津波注意報に格下げになったのが、1日半たった13日の午前7時30分ということになります。
 では、お伺いしたい。現在進行形の計画。清水の計画ですけれども、その中で、ピロティ形式にするから大丈夫ですという議論はあります。何かあったら自衛隊の部隊が道路を啓開してくれますという話はあります。でも、そこが津波リスクのないところとは、さすがに言っていません。
 では、その医療機関へは、行政は、大津波警報が解除されるまで、どうするんですか。そこに行けって命令するんですか。そこに行ってはいけないと命令するんですか。
 実際に東日本大震災で行われた行為は、大津波警報が津波警報になり、注意報になって初めて、行方不明者の捜索のためのオペレーションが開始されました。それまでの間はブレーキかけてます。
 そういう津波リスクのあるところに、行政の拠点があります。医療の拠点もつくろうとしています。行っていいんですか。これ、下手やったら殺人罪に問われますよ。少なくても重過失致死という話になると思います。重過失致死じゃないでしょうね。明らかにリスクがあることがわかってるから。それ、どう考えるんでしょうか。
 まちづくり、特に災害リスク等の話、特に重要な拠点のあり方、避難できない場所、ないし避難してはいけない人たち、24時間365日機能してもらわなければならない人たち、その人たちの拠点は、災害リスクのある場所にあっては困る。なりわいの話になると、なかなか難しいことなのですが。とすると、せめて住まいはそこには持たないでほしい。だから昼間動いているときは、逃げられるような状況をつくっておく。このあたりが妥協の線なのかもしれませんが、実のところ、ここまではいけないだろうなと思います。
考えていただきたいのがこっちですね。縮尺を違えましたが、清水の地図です。御注目いただきたいのは、東海道線が走っている場所です。このあたりまでは静清バイパスと一緒になっていて、でも清水港のほうに1回寄って、大きく動いています。海岸からの最短距離をとれば、津波のこういう話があり得るんです。ここには東海道新幹線のライン。この東海道新幹線のラインは、それはさすがに津波リスクを考えざるを得ないという話になります。これから先の清水港の立ち位置。そこに、集う人々への安全性の提供。この問題を考えたときに、さすがにこの議論がそう簡単に受け入れられるとは、私も思っていません。でも議員の方々であれば、これぐらいのスケール感で物を考えていただければありがたいなと思いました。
 これは、私が論文を掲載させていただいたものなんですけれども、例えばこういう形の問題提起をさせていただいています。資料2の、お手元にお配りしたA3横のものです。災害図上訓練DIGを活用した災害対策あれこれの第30回のものです。30回のものと33回、2つ用意させていただいていますけれども、30回のほうの右上に、こんなことを書いています。
 コンパクトな市街地中心部という考え方は大変魅力的です。人口減少社会に突入した日本です。まちの中核機能はコンパクトに、可能ならば徒歩圏内におさまるようにというのは、説得力のあるコンセプトです。例えばドイツのように、市庁舎と教会と広場によって形づくられるまちの中心部、そぞろ歩きにふさわしい街並み、オープンエアのカフェ、停留所の数も便数も多く遅くまで動いているトラム、路面電車等々からなるまちのたたずまい。そのようなイメージからすれば、JR清水駅近くにコンパクトなまちをという構想は理解できます。しかし、それらは清水港の近くになければならないのか。この点については、大いに議論すべきでしょう。
 海運と鉄路が密接不可分であった時代は終わりました。清水駅と清水港が隣接あるいは密接していなくてはならない合理的理由はありません。なくなりました。先に石巻赤十字病院の内陸移転について述べましたが、仙石線や常磐線のように、東日本大震災の被害を受けての話とはいえ、内陸移転した鉄道の事例もあります。まずは重要施設を安全な場所に動かし、その周辺を安全で便利な場所とすることで、時間はかかるだろうが、ゆっくりとまちの重心を動かしていくという発想が、地震津波防災には求められていたはずです。とすれば、ひょっとしたらハード対策で守り切れるものであるかもしれないが、津波リスクが明らかな沿岸部でのにぎわいづくりは、長い目引いた目で見た場合、健全あるいは合理的と言えるのでしょうか。
 こういう問題提起をさせていただいておりますが、同時に、もう1枚のほうを見ていただきたいなと思います。42ページに、こんなことを書かせていただきました。
 清水DIGでは、答えを求める質問はしないでくださいと参加者に何度も言いました。病院移転賛成派対反対派の党派的対立に巻き込まれてはたまらないと思っていたからです。しかし、ファシリテーションの途中で、あることに気づいたのです。清水DIGには今まで12時間を費やしました。それでも時間は足りない。というよりも、理想と理想のぶつかりあいにそう簡単に答えを出せる訳がない。そもそも、どれだけの論点、どれだけの理想を地図上に載せてきたのか。少子高齢化が急速に進む日本では、コンパクトシティー化は不可欠です。そこで、国費を投じて各自治体にコンパクトシティーの理想をまとめさせた訳で、それが立地適正化計画です。静岡市の計画は、本年3月末にできたばかりですが、例えば清水駅周辺を海洋文化拠点とし、市役所、区役所、総合病院、子育て支援センター等々11の施設を誘導したいとの理想が語られています。立地適正化計画以外にも、考慮すべき論点すなわち理想、ビジョンは幾つもあるでしょう。それらを取りそろえ、丁寧に論じ、性急に策定せず、生半可な意味づけや知識でもって、未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえる心。帚木蓬生先生――精神科医でかつ歴史の本も随分書いていらっしゃる方で、その方の「ネガティブ・ケイパビリティ」という本から出していますけど、その持ち方が重要だったんじゃないかなと思っています。
 もう少し言いましょう。その左にはこんなことを書きました。
 避難を語るのではなく、避難しなくて済むまちづくりを。対応を語るのではなく、対応しなくて済むまちづくりを。私は、おかげさまで無事に避難できましたではなく、おかげさまで避難しなくても済むまちづくりが間に合いましたと言われたいと思っています。避難で命を守れるかもしれないが、避難で人生は守れない、故郷も守れないということを徹底すべき、との一節こそ、東日本大震災最大の教訓なのですから。
 海溝型地震の周期性に鑑みて、南海トラフ巨大地震を見据えた地震津波防災まちづくりには20年ほどの猶予期間、計画年限があります。であればこそ、その時には誰かに頼むから大丈夫の類の主張を許してはあかんのです。第二次世界大戦の敗戦から新幹線開通まで19年。それに匹敵する時間をかけるなら、そのゴールは、避難しなくて済むまちづくり、災害対応の必要のないまちづくりでしょう。はなから外部支援を当てにして被害必至の場所に拠点を構えるは、いただけません。予防に勝る防災なしの原則からしても、長期計画の9割5分の努力は、被害を出さないまちづくりに投入されるべきでしょう。
 最後、残念ながらきょうは、大きな地図を見せることができないんですけれども、覚悟しなければならない巨大な災害と言っているのは、神奈川県の西部、静岡、愛知――山梨を忘れてました――それから三重、和歌山、状況により大阪、徳島の南部、高知、愛媛の南部、状況により大分、宮崎、指が折れただけで、これで12なんです。この12の府県が同時に被災を受けるかもしれない巨大災害です。現状では、何とか15万人の外部支援部隊を投入することが可能ですが、これがそのレベルで維持できるかということは、よくわかりません。
 海上自衛隊で、ホバークラフト揚力艇を持っているおおすみ型の輸送艦は3隻しかありません。オールジャパンでホバークラフト揚力艇は6隻しかありません。そのことを考えてみてください。桜ヶ丘病院が低地に移転して、何かあったら自衛隊に道路啓開を頼むから大丈夫。ちょっと待ってくれと。自衛隊で、この近くにこういう道路啓開をやれる部隊はどこにいるのか。座間にいたよなと。あと愛知の豊川にはいたよなと。でも、富士の裾野、御殿場にどれぐらいいたっけ。これが正しい認識でしょう。
 そういうことを考えたまちづくり、また広い意味では社会資本整備を、私としては考えていきたいなというところでございます。
 ちょっと超過してしまいましたけれども、とりあえず1時間というお話でしたので、私の話はここまでとさせていただき、あとは皆様からの質問にお答えしたいと思っております。
 御清聴いただきまして、ありがとうございました。

○中澤(通)委員長
 どうもありがとうございました。
 以上で、小村先生からの説明が終わりました。
 これより質疑に入らせていただきます。
 委員の方々にお願いいたしますが、質問は一問一答方式でお願いをいたします。
 それでは、質問、御意見がありましたら、御発言を願いたいと思います。よろしくどうぞ、お願いいたします。

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