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ヨーロッパ駐在員報告
2000年12月 社会・時事 駐在員 : 森貴志
シェークスピアの母の家は別の家
本県との交流が進んでいる英国ウェストミッドランド地域内のシェークスピアゆかりの地で最近大きな話題となっていることがある。
その話題とは、英劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564―1616)関連施設を管理するシェークスピア・バースプレース・トラストが、シェークスピアの母が幼いころを過ごした建物として知られている観光名所「メアリー・アーデンの家」について、本人が住んだ事実はなかったと発表したことである。
同トラストに所属する郷土史家ナット・アルコック氏が中世の不動産権利書を調べ上げた結果、シェークスピアの母が幼少期をすごしたのは、同じウィルムコート村内にある「グリーブ・ファーム」と呼ばれる別の建物だと断定したことが発端となった。
アルコック氏の調査から、「メアリー・アーデンの家」は18世紀以来、シェークスピアの母が生まれ育った家と信じられてきたが、当時、現地でガイドをやっていたジョン・ジョーダンという大工が1750年ごろでっち上げたウソとみられる。つまり、ジョーダンによる冗談ということになる。
またアルコック氏は、16世紀以降の「グリーブ・ファーム」関係証書を調査し、メアリーの両親は生涯を「グリーブ・ファーム」ですごし、メアリー自身もジョン・シェークスピアと結婚後、5キロ程離れたストラトフォード・アポン・エイボンに引っ越すまでこの家で暮らしたとみている。息子ウィリアムの生まれた家はストラトフォード・アポン・エイボンにあり、現在やはり観光名所となっている。
現在「メアリー・アーデンの家」は、日本人を含め年間10万人の観光客を集める人気スポットであり千葉県丸山町の「シェイクスピア・カントリー・パーク」には復元した建物も建てられている。
同トラストの調査により、これまでの「メアリー・アーデンの家」は、関係書類からアーデン家の知人でもあったアダム・パルマーの家であることがほぼ確定的となり、今後は「パルマーズ・ファーム」と改名されるとのことである。
同トラストによると、「メアリー・アーデンの家」の職員は、これまでも「ここがシェークスピアの母の家だ」と断言したことはなかったと発表している。
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