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中国駐在員報告2007年4月 経済 上海発世界同時株安
翌日、降り立った上海浦東国際空港は小雨に煙っていたが空港内も上海市街地も平穏な空気に包まれ、世界同時株安の震源地という雰囲気は微塵も感じられなかった。 その後、経済ニュースにはかなり注意を払っていたが、株安を原因とする経済パニックに至らなかったことで安堵感を覚えた。 赴任早々の出来事でもあり、また拡大を続ける中国経済への警鐘ともなったとされる今回の株安について、上海市内の経済関係団体や通信社の専門家に意見を聞いたので以下まとめて報告する。 1 中国株式市場 震源地とされる中国の株式市場であるが、1986年に中国商工銀行・上海信託投資公司が開設した店頭市場が中国で生まれた最初の株式市場である。その後、1990年に上海市場が、1991年に深セン市場が証券市場として開設された。現在これらの市場には、約1,400社が上場されているが、その多くが業績不振な国営企業群であるため、全上場株の70%を政府が保有し、それらは市場で取引されない非流通株式である。 なお、中国株式市場は、株式時価総額(注1)という指標で規模を比較すると世界全体の僅か2.5%のシェアにすぎない。 (株式時価総額における各国の市場規模)
2 世界同時株安の発生 2月27日、上海市場において、代表的な株式指数が1日で8.8%下落した。その影響は、地球をぐるりと1周し、ニューヨーク証券取引所や東京証券取引所など主要国の株式指数を下落させることとなり、「世界同時株安」となった。 3 上海株式市場での影響 上海では、確かに個人投資家の一部に大きな損失を被った者も出たが、株式市場全体としては大きな損失ではなかったといわれている。2月27日だけで指数が8.8%下落したが、これは過去1年間で130%も上昇していたものであり、その点を勘案すると、大幅な下落とはとてもいえなかった。 なお、3月21日、上海株式市場では、金融株を中心に買いが入り、市場全体の値動きを反映する上海総合株価指数の終値は最高値を更新し、約3週間で下落分を回復した。 4 上海市場での株価下落の原因 短期間に不動産取引を繰り返すことを禁止するなどの政策的な規制の実施や不動産市場の高値限界説などの流布により、これまで不動産バブルといわれるほど不動産投資に過剰流動していた資金が、最近は株式市場に流れていた。こうした中国株の加熱振りに対し、3月5日から始まる全国人民代表大会で一段と厳しい景気引き締め策が出されるのではないかと株式市場が疑心暗鬼となっている時期に、インターネットでそれに関する観測情報が流れ、これを契機として株式下落が始まったとされている。 その後、中国政府は慌てて、株式投資のキャピタルゲイン課税(注2)の強化等の引き締め策の噂を否定し、株価急落の火消しに奔走する格好になった。 (上海市内の住宅平均販売価格の上昇)
(注2)キャピタルゲイン課税とは、個人の株式譲渡益への課税のことである。 5 中国国外での株安との関連 中国株式市場の下落に誘発されたとはいえ、もともとアメリカ経済については景気後退への懸念があり、日本では円の金利引き上げに伴う「円キャリー取引」の逆転(注3)など、各国に株安になるための原因が内在していたとされている。 (注3)「円キャリー取引」の逆転とは、これまでの低金利の「円」(通貨)を借りて、高金利の通貨に投資する「円キャリー取引」が行われていたが、円の金利が上昇したことによって、この状況が逆転したことをいう。 6 今回の世界同時株安への現地専門家のコメント 2005年春の反日デモにおいて、市内の一部で発生したデモが中国各地で発生しているかのように、海外、特に日本でセンセーショナルに報道されたが、今回の株安も同様の感がある。もともと中国株は政府の影響を受けやすく、値動きが激しいことが特徴であり、かつ株式取引規模も小さい上海市場が、世界同時株安の震源地といわれることに違和感を覚える。 また、今回の株安が、過熱気味であった中国株式市場への警鐘であったという意味があったとしても、中国の国内総生産(GDP)は昨年まで4年連続で2桁の伸びを記録するなど、高度成長を続けており、中国経済にとって今回の株価下落による影響はほとんどなかったと考えられる。 なお、2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博の経済効果により中国の経済成長が牽引されていくと説明されることも多いが、万博等の効果が主因ではなく、現行の中国経済のシステムであれば2010年頃まで成長が続くことが予測されるとの意見もあった。 |
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