本会議会議録
質問文書
令和7年2月定例会総務委員会 質疑・質問
![]() | 質疑・質問者: | 落合 愼悟 議員 |
![]() | 質疑・質問日: | 03/07/2025 |
![]() | 会派名: | 自民改革会議 |
○落合委員
私からは、総務委員会委員を代表して一言、お話させていただきたいと思います。
年度末を迎え、お集まりの説明員の中には、この委員会を最後に職を退く方がいらっしゃると伺っています。
知事直轄組織では松村昭宏地域外交担当部長、経営管理部では山岸達生経営管理部参事、出納局では松下和弘用度課長、人事委員会事務局では鈴木利枝子次長兼総務課長の4名であります。
松村地域外交担当部長におかれましては、昭和63年4月に本県に入庁され、当初は農地森林部総務課に配属、平成28年に知事直轄組織地域外交課参事として韓国駐在員事務所に赴任、平成29年に経済産業部マーケティング課長、平成31年に文化・観光部参事として一般社団法人ふじさん駿河湾フェリーへ派遣、令和3年に沼津財務事務所長、令和4年に知事直轄組織地域外交局長、令和5年度から現職。
若い頃には税務経験も多く、令和3年度には沼津財務所長として新型コロナの影響で厳しい財政状況が見込まれる中、税収確保に尽力されました。
令和4年度からは地域外交局長、地域外交担当部長を歴任され、インド・グジャラート州との間に強固な信頼関係を築き、友好協定の締結を実現するなど本県の地域外交の推進に大きく貢献されました。
山岸経営管理部参事におかれましては、昭和63年4月に本県に入庁され、当初は総務部の熱海財務事務所に配属、令和2年に経営管理部市町行財政課長、令和4年に経営管理部地域振興課長、令和5年に経営管理部地域振興局長と歴任され、令和6年度から現職。市町行財政や選挙事務、地域振興に関する部門での勤務は、通算18年に上る。地方自治のスペシャリストであります。
特に、令和2年度からは5年にわたり地域振興部門の要職を務められ、過疎地域へのイノベーション導入事業の実施や市町の意向を踏まえた権限移譲とその後の支援体制の整備など県内地域の活性化と市町の円滑な行政運営に大きく貢献されました。
また、選挙管理委員会事務局の運営にもその手腕を発揮し、適正な選挙事務の執行に活躍されました。
松下用度課長におかれましては、昭和62年4月に本県に入庁され、当初は労働部職業能力開発課に配属、令和3年度からの出納局用度課長代理を経て、令和5年度から現職。出納局の勤務経験は通算15年、そのうち用度課での勤務が12年と局内のみならず、事業部門の職員からも絶大な信頼を寄せられる物品事務のスペシャリストであります。
用度課においては、豊富な知識と経験を生かして物品事務の適正な執行に貢献されるとともに、自らの後に続く職員の育成にも尽力されました。
また、公用車の電動車化や運用適正化にも取り組まれ、脱炭素の推進や公用車管理コストの削減などにも貢献されました。
鈴木人事委員会事務局次長兼総務課長におかれましては、昭和61年4月に本県に入所され、当初は労働部労政課に配属、平成30年に経営管理部法務文書課参事、令和2年に健康福祉部地域福祉課長と歴任され、令和4年度から現職。
令和2年度から地域福祉課長として、新型コロナの感染が拡大する中、生活困窮者対策をはじめ、地域福祉の向上に大きく貢献されました。
令和4年度からは人事委員会事務局次長兼総務課長として、また監査委員事務局、労働委員会事務局の次長兼総務課長を兼任し、3つの事務局内の人事や予算、管理部門の大役を果たされました。
また、議会事務局には通算8年在籍され、平成23年度には女性で初めて海外事情調査団の随行を務められました。
この4名の皆さんにおかれましては、これまで本県行政に多大なる貢献をされましたことに、心から感謝と敬意を表したいと思います。
皆様にとって最後の委員会ですので、これまでの経験、県行政への所見や後輩に贈る言葉など、一言ずつお話し頂きたいと思います。
○松村地域外交担当部長
ただいま、2番委員から身に余るお言葉と発言の機会を頂き誠にありがとうございます。
昭和63年の入庁以来、いろいろな職務に就かせていただきましたが、37年間のうち6年間は実は単身赴任をしておりました。
結婚は割と早く27歳のときで、最初の単身赴任は東京でした。現在の経済産業省、当時の通産省の、省内の職員さんも行きたがらない非常に多忙な部署に配属され、終電に間に合えばいいのですが、大体タクシーで帰り、出勤は朝10時ぐらいでした。当時はそういう省庁が多かったと思います。そこで2年間過ごしましたが、長男が2歳で単身赴任したものですから、戻ってきたときに全然懐かず泣かれた記憶がございます。それが三十二、三歳のときでした。
2回目の単身赴任も東京で立川市でしたが、自治大学校という総務省の附属の学校で半年間、長期研修させていただきました。一転して非常に楽しい経験で、全国の都道府県、市区町村から派遣された同期100名ほどと一緒に地方自治法などの法律やディベートを学びました。今でも交流がございまして全国に知り合いがいます。
最後の単身赴任は韓国駐在員事務所で、2017年までの約3年半でした。当時の韓国の世相は今と似ていて大統領が罷免される状況でしたので、デモの中を通勤した記憶がございます。住んでいたアパートから事務所まで通常歩いて15分ぐらいのところを毎日1時間半ぐらいかけていろいろな抜け道を通って通いました。
通算6年の単身赴任の間、職務は楽しかったり、苦しかったりしましたが、家に妻を1人置いて子育てを任せっきりにしてしまったことが、心残りというか非常に申し訳なく思っており、この場を借りて妻に(笑声)――直接本人にも言いますが、皆様にも聞いていただきたくて――おわびしたいと思います。
最後に、これまで御指導頂きました県議会議員の先生方、それから職員の皆様方に、感謝し切れませんが、お礼申し上げるとともに、皆様方の健康と御多幸を祈念いたしまして私のお別れの言葉とさせていただきます。長い間ありがとうございました。(拍手)
○山岸経営管理部参事(地域振興担当)
ただいま、2番委員から過分なお言葉を頂き本当に恐縮でございます。発言の機会を頂きましたので後輩にメッセージを贈りたいと思います。
採用後、熱海総合庁舎に6年おりまして、初めて本庁に異動して配属されたのが水産課でございました。3人の係で主幹・主任が技術屋、末席の私が事務屋で、魚を卵からふ化し種苗にして放流する栽培漁業、浜岡にある温水利用研究センターを担当しました。また内水面漁場管理委員会も担当しました。
温水利用研究センターの運営は委託で大体1億円ぐらいでしたが、年間委託契約の支出負担行為は当時の出納長――特別職の決裁が必要でした。本庁に異動して二、三日で決裁をもらいに行ったところ、出納長からマダイの生存率は何%かと聞かれ、さっぱり分からなくて、書類は破かれませんでしたけれども、出直してこいと言われ、引き返しました。その後1週間ぐらい栽培漁業について猛勉強して、再度一人で決裁をもらいに行きました。当時の上司は誰もついてきてくれませんでした。出納長からいろいろ御質問を頂いて、それに答えると、少しは勉強してきたなとやっと判こを頂けました。本庁の仕事は大変厳しいものだなと洗礼を受けた記憶がございます。
年間4000万円とか5000万円の栽培漁業の施設整備の仕事も担当しました。非常に専門的な分野ですが、魚の病気の検査機器の購入も現場の声を翻訳しながら財政へ予算要求しました。
事務屋らしい仕事もございました。罰則を伴う県の規則をつくるには検察庁と協議しなければなりませんが、これも私1人で検察庁に行き、協議して回答をもらい規則改正しました。
周りから私は水産の技術屋だと思われていたようです。3年の年季が明けて当時の経理の主幹から、山岸君どこに異動するの、水産試験場と言われ、いや消防防災課ですと答えましたら、またと冗談みたいな言われ方をしました。
後輩の皆さんには、それぞれの職場でその道のプロになっていただきたいと思います。
市町村行政には、通算して18年携わらせていただきました。平成12年に市町村行政部門に異動した当時は、地方分権一括法が施行され、地方自治制度が大きく変わるタイミングでした。国、県、市町村が上下、主従の関係から平等、対等の関係に変わり、県内に74市町村ありましたが、県が包括的に一つの指導をすることはなくなりました。
大きな仕事の1つは選挙でした。異動して早々のゴールデンウイーク明けに衆議院議員選挙が見込まれる中、候補者の政見が新聞に折り込まれる選挙公報の仕事を担当しましたが、前回のファイルや資料が一切残っておらず、やり方が全く分かりませんでした。ワープロからパソコンに変わった時期だったためにファイルが一切残っていなかったのです。全て書類をパソコンで作り、マニュアルも作って、非常に苦労した記憶がございます。
そういった経験から、自分の蓄積した知識、経験はなるべく後輩に残してあげたいと思っております。
一世一代の仕事にも、いくつか携わらせていただきました。
平成13年度の静岡空港の建設の是非を問う住民投票条例制定請求、直接請求です。直接請求は本県では昭和47年以降行われておらず、また非常に複雑な制度です。私も担当として何をやったらいいか分からず、制度を解説した本も当時1冊しかありませんでした。しかし署名簿の審査は市町村の選挙管理委員会でやっていただく必要があり、そのためのマニュアルを作りました。直接請求が終わると参議院議員と県知事のダブル選挙があり、このときの県知事選挙の争点が空港建設の是非でした。
また、翌年には住民基本台帳ネットワークシステムの稼働があり、これも私1人で担当し、地獄のポジションと言われました。毎日毎日泉のように仕事が湧いてきました。庁内のとあるところに県サーバーを置き、370万県民のデータを2か月かけてセットアップしました。県は市町村の指導もしなければならず、また当時、国民が番号をつけられて自己情報コントロール権を侵害されたと非常に批判の対象になり、審査請求が22件出され、挙句の果てに裁判も起こされ、裁判所が東京地裁でしたので、私は東京地裁の被告席にも座ったことがあります。
非常に厳しい経験をしましたが、そのときのノウハウは今でもマニュアルになっております。
その後一旦外に出て、また本庁に戻ってきたのが平成19年で、そこから9年間勤めました。記憶に残っているのは、平成22年の浜名湖の境界画定です。今、地図を御覧頂きますと湖面の真ん中に線が走っています。浜松市、湖西市、新居町の2市1町で境界を画定することによって各自治体の面積が増えると交付税が3000万円増えることが当時きっかけとなり、境界画定の動きになりました。当時の湖西市は不交付団体でしたので、不交付団体の面積が増えても交付税には反映されないと湖西市に配分される湖面を新居町分にしようと当時の市長さんが考えられ、この調整に非常に苦慮し約10か月かかりました。
平成24年には、また直接請求の御縁がありまして、浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票条例制定請求です。これも私が担当しました。県庁広しといえども直接請求の担当を2回やったのは、私ともう1人しかいないと思います。
選挙については、特に衆議院が急な選挙になりますと大変だった記憶もございます。
最後の本庁勤めは平成31年からの6年間です。ここで一番記憶に残っているのはコロナ禍の選挙です。特に令和3年の県知事選挙では県内4か所の宿泊療養施設に期日前投票所を作ることになりました。投票所の設置は市区町村選挙管理委員会の仕事ですけれども、県選挙管理委員会としても動かなければならないと、当時私が課長で東部の市の担当の方にお願いをしました。そのとき、山岸課長にお願いされたら断われないと受けていただき、その言葉を非常にありがたく感じました。
最後の大きな仕事になったのは、本委員会でも審査の対象になりましたタケノコ発言をめぐる県知事への審決申請でございます。
いろいろな経験をさせていただきましたが、今後インシデントがあったら、私がやった仕事のマニュアルや書類を見ていただければと思います。
最後に、これまで公務員生活を過ごしてこれましたのも、本委員会の議員の先生方の御指導をはじめ、先輩方の指導やアドバイス、また部下のいい働きがあったからと思っております。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
○松下用度課長
先ほどは身に余るお言葉と、今回このように発言の機会を頂き感謝申し上げます。
御紹介頂いたとおり、私は38年間のうち15年間を本館1階――ちょっと薄暗くて地下1階じゃないかと感じる出納局で勤務しておりました。それ以外は出先機関の総務課の勤務が長うございました。自分としては向いていると考えていた会計、物品事務の分野に長く従事し、60歳まで務めさせていただいたことをありがたく思っております。
会計、物品事務は、県にとっては必要なものですが地味で縁の下の力持ちのような業務でございます。
出納局在籍中は、上司や先輩の指導を受けながら、地方自治法や規則を勉強し知識を蓄え、事務が適正に執行されるよう審査、検査等を行い、自らも執行してまいりました。
同時に、出先機関での実務経験を生かしながら、各所属の担当者には丁寧な説明、少しでも効果的な事務につながるアドバイス、相談への親身な対応を心がけてきました。そういったことからか、出納局を離れている時期も相談を受け、感謝され、担当を離れて15年経過しているにもかかわらず相談され対応したことをうれしく感じたこともございます。
私自身には具体的な実績はございませんけれども、間接的に県に貢献できたのではないかと思っております。
また、主査のときに3年間公務災害の認定、補償業務に就いておりました。優秀な後輩職員から刺激を受け、また審査請求や訴訟に関わるなどよい経験をさせていただくとともに、論理構成がしっかりしている文章や、僅かですが医学的なことを学ぶなど得ることが多く、印象深い職場でございました。
そこでの業務は、県職員だけでなく市町職員も対象でしたが、負傷、疾病、精神疾患、死亡の事案を扱っていく中で、この災害は防げたのではないか、または防げたらどんなによかったか残念に感じることが多々ございました。
そこで、職員の皆様には、公務災害を防ぎ、これからも安全で安心な状況で職員が十分に能力を発揮できるよう引き続き職場環境を整えていただくようお願いしたいと思っております。
最後に、これまで御指導頂きました皆様方におかれましては健康に留意され、今後も活躍されることを祈念しております。長い間本当にありがとうございました。(拍手)
○鈴木人事委員会事務局・監査委員事務局次長兼総務課長
2番委員から、紹介と身に余る温かいお言葉を頂き、またこのように発言の機会を頂きありがとうございます。
振り返ってみますと、私はどの所属でも多くの方に出会い、その都度学ぶことがございました。改めて考えますと、新規採用の職場の先輩方と、2か所目の職場が秘書課で6年間勤務いたしましたので、多くのお客様がいらっしゃったり知事が一番の上司だと言われながら経験し、上司の皆さんから教えていただいたこと、先輩の仕事の仕方を見ながら過ごしたことが今の私の一番の基本になっていると思います。その後異動のたびに励ましのメールやアドバイスを頂きました。異動では初めての分野を経験することが多かったので、戸惑ったり、また心が折れそうになることもありましたが、周囲の皆様に助けていただきここまでやってこれたと思っております。
特に、令和2年度と3年度に新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、地域福祉課長として生活に困窮した方々への対応においては、議員の皆様にも4月から臨時会で、その後も臨時会と定例会でずっと御審議頂きました。地域福祉課は福祉団体や民生委員、援護恩給など所管する業務が本当に幅広かったのですが、人々の生活が制限される中にもかかわらず、職員の皆様とは残業が続く日々を本当に一緒になって何とか乗り越えたなと思っております。異動後も偶然会うと元気に話してくださいますので、お互いに当時大変貴重な経験をしながら何とか乗り越えたと今思い出深く思っております。
また、議会事務局では通算8年間議事課でお世話になりました。本会議、常任委員会の運営をはじめ、平成23年度には海外事情調査団に随行させていただきました。もう13年も前のことになります。当時フランスで新幹線のストライキがあって利用できなくなり、朝食もバスの中で取って目的地にたどり着くという本当に議員の皆様に無理な日程をこなしていただきましたが、何とか御指導頂きながら無事任務を遂行できました。
議会事務局の仕事は、突発的な事案が発生すると議事運営を関係職員みんなで考える職場でして、連合審査会や閉会中審査など様々な経験をさせていただきました。本当にありがとうございます。
後輩の皆様には、現在労働環境が本当に大きく変化していますので、それに柔軟に対応していただきながら、やはり人と人とのつながりが大事だと思いますのでコミュニケーションを保ちながら仕事を進めていただきたいなと思っております。
最後になりますが、こうして節目といわれる年齢まで県職員として仕事を続けてこられたのは、家族の支えだけでなく、県議会議員の先生方の温かい御指導をはじめ、先輩職員の皆様、上司、同僚、後輩の皆様のおかげと心から思っております。改めて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
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