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委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


令和2年2月定例会総務委員会 質疑・質問
質疑・質問者:鈴木 利幸 議員
質疑・質問日:03/10/2020
会派名:自民改革会議


○鈴木(利)委員
 一括質問方式でお願いします。
 議案第75号と第76号でございますが、6番委員も質問しましたので私からは違う質問をさせていただきます。
 まず第75号の監査委員の選任ですが、監査委員の選任に当たりまして、この人の静岡とのゆかりはどうなっているのか説明をお願いします。

 2点目は、副知事の選任でございますが、今度の副知事の選任に当たっては別に問題ないんですが、このごろ静岡県の副知事は現職の国の役人が来ないことでいろいろと障害が出ていると思っております。そこにつきまして説明をお願いしたいと思います。

○八木行政経営局長
 監査委員候補者の本県とのゆかりについてお答えいたします。
 お手元に配付させていただきました説明資料、履歴は大学卒業以降になっておりますけれども、本県沼津市の御出身でそれ以前は本県で生活されておりました方でございます。

○鈴木経営管理部長
 2番委員御指摘のとおり、副知事につきましてはここしばらく国から来ていないのは事実でございます。こういったことで国との関係がうまく持てないことにならないように我々がいろいろ工夫しながら国との連携を保てるようにしていきたいと思っております。

○鈴木(利)委員
 ありがとうございます。
 私がなぜ監査委員の話をしたかと申しますと、確かに会計士だからそろばん勘定はできると思います。それから委託もしていますのでいろんなところでかかわりをもっていますが、事業監査が一番大事だと思っておりますのでできるだけ静岡県にいた人がいいなと思っております。過去にいろんな人がいますが、大体静岡県の出身ではなかったのかなと思いますので、沼津市出身ということでございますがほとんど東京にいた人ですので事業監査もしっかりやっていただきたいと思っております。
 それから、副知事でございますが、皆さんがいろいろ苦労しているなといつも思っておりますが、退職した方では無理です。私も東京へ行ってみてそう思いますが、やっぱり現職の方に来ていただくのがいいと思っておりますので、また努力していただきたいと思います。

 それでは、私が一番期数が上でございますので、定年退職の方々の紹介をさせていただきます。
 本日が最後の委員会の出席となる職員の方々が8名おられます。
 知事直轄組織の掛澤孝壽さん、それから経営管理部の鈴木宙志さん、市川晃さん、杉本隆一さん、筑紫利之さん、出納局では神村明利さん、久保田雅子さん、そして人事委員会事務局の鈴木茂樹さんが本年をもって県を退職するということでございます。
 この8名の皆様におかれましては、これまで本県行政のために多大なる御貢献をされましたことに心から感謝と敬意を表したいと思います。
 ありがとうございました。
 せっかくの機会でございますので、長年県行政のさまざまな分野にわたり培った経験を踏まえ、県行政に対する所見や思い出、それから後輩に贈る言葉などをお話しいただければと思います。
 まずは、掛澤さんからお願いします。

○掛澤地域外交担当部長
 掛澤でございます。
 私の入庁した年は昭和60年、1985年でございました。その日の朝刊をまだ覚えていますが、電電公社がNTTに民営化されるというのが1面でした。それを振り返ると、今から見ますと本当に隔世の感がありまして、今やインターネットで瞬時に海外の人と意思を交換することができたり、静岡空港もできて非常に海外も身近になって、世界も本当に小さくなったなというのが私の実感でございます。
 私ごとでございますが、仕事の面を振り返りますと新規事業や新しいプロジェクトに本当にかかわったなという印象を持っております。印象に残っているのは4つぐらい事業があるんですけれども、今回海外の新拠点ということでコワーキングオフィスを使ってというお話をしましたが、ちょうど2000年と2001年にSOHOしずおかを立ち上げた経験があります。これも非常に大変だったんですけれども、今や世界的な規模でウィーワークであるとかリージャスなどがグローバルなコワーキングオフィスを運営しているということで、20年もたったのかなという印象を持っております。
 また、2007年には夏に急にソウルに行かないかとお話がございました。赴任まで2カ月しかなく、それまで韓国には行ったこともなくて言葉もできないということですがお引き受けして、その事務所で大韓航空、アシアナ航空の誘致やあるいは旅行会社の支店の誘致をやらせていただきました。
 特に印象に残っているのは最初に赴任したときはアパートと事務所に行きますが、事務所へ行ってもアシスタントの方がまだ採用されていなくて本当にひとりぼっちで事務所の賃貸借契約や備品の購入などを自分で起案して自分で決裁して何か妙な赴任早々の変な記憶がございます。
 そして、日本に帰ってまいりまして観光政策課の課長を拝命いたしました。そのときにうちのところに最後に回ってきたみたいですが、日本平の夢テラスを立ち上げなさいということでした。こちらは本当にいろいろな方から大変叱咤激励を受けましてストレスも多かったんですけれど、日本平夢テラスができまして私も本当に感無量でございます。
 最後に、藤枝の中部地域政策局――今の地域局ですけれども――そこで空き家が多いだとかいろいろな課題があるということで、東京の企業でIT系の企業であれば場所は問わないだろうからサテライトオフィスの誘致をやってみようかというようなことでできるかどうかわからないけれどもやってみようということで、川根本町にIT企業のインドのゾーホーの誘致をすることができました。これもゾーホーという会社を狙って来ていただいたわけではなくて、やり方としては非常に泥臭くて、職員を幕張メッセに送り込みました。なかなか会社の名前だとか連絡先のメールアドレスを教えてくれないので職員を送り込みまして、全部のブースを回って会社の名前とメールアドレスをデータベースにしてメールで一斉配信しました。170社ぐらい送ったと思います。そのうち返事をいただけたのは2社で、その中にゾーホーさんが入っていたということで本当に運がよかったなと思っております。
 ゾーホーについては本当にいろいろ思いますけれども、とにかく野球でいえば打席にまず入ってバットを振らないとバットを振れば何かが起きるということでございまして、何か挑戦してみるということが非常に大事だったな、よかったなと思っております。長々とお話ししてまいりましたけれどもこれも先輩、同僚、後輩の皆さん、そして県議を初めいろいろ私と交流をいただいた方のおかげだと思っております。本当に35年間ありがとうございました。(拍手)

○鈴木経営管理部長
 私はちょっと長くて38年間でしたけれども、自分を振り返ってみまして本当に人に恵まれて人に助けられてきたなと思います。職員の間では若いころは上司に恵まれて非常に楽しく仕事もさせていただきましたし、年をとってからは下で支えてくれる部下、職員に大変恵まれて何とかここまで来たかというところであります。
 また、県議会の議員の皆様にも実に恵まれていまして、私は部付主幹をやらせていただいて先ほど10番委員からも御指摘ありましたが農業の分野で最後の部付主幹を1年だけやらせていただきました。委員長は杉山盛雄議員でありまして、農業の関係ですので鈴木利幸議員にはいろいろお世話になり、一番最後の年に鈴木利幸議員が議長になられて私が本会議場に出席させていただいている。これは全く感慨深いなと思っているところであります。
 私が県に入りましたときに非常に印象に残っているというかずっと忘れないことがあるんですが、当時は山本敬三郎知事だったんですが多分私は知事から聞いたと思っているんですが、君たち東海地震は――当時は東海地震と言っていたましたが――今ここで起こるかもしれない。でも君たちが定年退職まで起こらないということはないんだとおっしゃいました。まだあとわずかにありますので現実になるかどうかわかりませんけれど、今のままでいけば恐らく現実にならなかったかなとは思います。ただこれは喜んでいるばかりではなくて、その38年分のエネルギーがたまっているということだと思います。
 そしてまた私が本庁に初めて来たのは民生部社会課だったんですが、そこで課長補佐に言われたのが、高齢化率が――65歳以上の人口比率ですが――当時の静岡県は私の記憶だと11%か12%ぐらいだったと思うんですけれども、将来静岡県で必ず25%を超える日が来ると。4人に1人が高齢者になると大変な社会だと。そのことをよく考えなさいと言われ、実はこれはもう現実になっていまして29%ぐらいだと思います。もう30%は恐らく確実だと思いますが、しかしそのとき思っていたほど大変な世の中になってはいないんじゃないかなと思います。
 これは、今は介護保険制度ができましたのでそういったことがあるかもしれないんですが、一番大きなのは恐らく65歳という年齢の捉え方がもうその当時とは全然違うと思います。当時は県の職員の定年が55歳で勧奨退職が当時は慣例でありまして、2年ぐらい前にやめていたんですね、そうすると53歳でやめると。今は当たり前ですが65歳まで働くということが当時はほとんど考えられなかったんじゃないかなと思います。今は65歳というのはまだまだ若くて現役だということであります。
 ただこれも地震と同じでありまして、高齢化のエネルギーはたまっているんですね。高齢化の中の高齢化が進んでいる。要介護の認定率が上がる年代は実は80歳ですね。80歳代になると要介護になる方がふえてくる。70歳代までは何とか自立していた方も80歳になると少し人の支援が必要になることが多いわけであります。そういうことを考えますと、実は私たちが勤めてきたこの時代というのはいろいろあっても平穏な時代だったのかなと思います。
 一方で、私が言われた非常に大きな課題につきましてはより切迫している状況になってきているのかなと思っているところであります。
 もちろんこういった課題につきましては引き続き県議会の議員の皆様の御指導を得て私どもの後輩職員が対応していくことになりますけれども、私も私なりに県の職員で行ってきたことなどをできれば生かして地域で少しでも役に立っていければなと思っています。
 長い間本当にいろいろありがとうございました。お世話になりました。(拍手)

○市川財務局長
 市川でございます。
 このような発言の機会をいただきましてありがとうございました。
 また議員の皆様には、この一年間御指導とさまざまな御提言をいただきまして本当にありがとうございました。
 私は昭和58年に採用になりまして37年間大変お世話になりました。
 一番最初に配属されましたのは当時の商工部の中小企業課でございました。商工会議所や商工会への補助金の事務、それから指導監査を担当しましたけれども、商工会や商工会議所のある県内の全地域に出張する機会に恵まれまして県内の地域性を肌で感じられましたことが県職員としての原点になりました。また仕事に対する基本的姿勢などを当時の上司、先輩などからいろいろな場面でたくさん教えていただきました。
 次の勤務、2カ所目の財務事務所からは税務に関する仕事が多くなりまして、現職を含めますと通算で28年になりました。実に県職員37年間のうちの4分の3を税務の仕事に携わることになりました。
 なお、8番委員とは8番委員が県職員時代初めの商工部で御一緒させていただきまして、次の異動先の財務事務所でも一緒に税金の徴収事務をともに担当いたしました。当時まさか県議会議員になられるとは思いませんでしたけれど、この総務委員会を初め御一緒させていただいたことは大変よい思い出になりました。
 私の話に戻りまして出先の財務事務所は8カ所ございますけれども、そのうちの5カ所で勤務いたしましてさまざまな税目の課税から管理事務、徴収事務まで幅広く担当いたしました。それから静岡地方税滞納整理機構にも事務局長として2年間派遣されて勤務いたしまして徴収困難な案件を担当として業務にも携わりました。
 また、本庁の税務課勤務では税務の電算システムの運用保守から開発まで2回に分けて10年間担当いたしました。最も長く同じ業務で担当いたしました。期間だけではなくてその担当した内容も一番思い出のある仕事となりました。
 折しも行政手続の電子化推進の時期と重なりまして新しい仕組みであります電子申告や電子納税、納税証明書の電子発行機やコンビニ納付など新しい仕組みや新しい手続のほとんどを主な担当として構築してまいりました。
 それから、あわせて県の大型コンピューターが廃止されることになりまして業務システムのサーバー化への移行が全庁的に行われました。健全業務を行う上で欠かすことのできない基盤であります現在の県税システムの再開発を担当したこともとても思い出深い仕事となりました。
 大きなシステムを開発することは非常に大変な業務でございまして、システム開発に関する事務について根拠を含めたその内容を理解する。それから事務処理の流れ全てを理解する必要がございます。またシステムを導入することで新たな業務改善につなげる必要がございますので、そういった視点も必要になってきます。また税金のシステムですから1円でも金額の計算間違いがありますと納税者の方に直接影響が出ますので正確性が求められまして慎重さと緊張感を強いられます。
 システムはよく委託する業者に任せれば簡単につくれるのではないかというお話がありますけれども、そういったものではございません。発注側の仕様が曖昧ですと幾らお金かけても曖昧なシステムにでき上がってしまいますので、事細かな発注仕様やそれをつくるのに非常に手間がかかります。そのためその発注仕様の打ち合わせや内容の確認に非常に手間がかかりまして、深夜までかかったり徹夜することもございました。大変でしたけれども、その分システムが完成したときの達成感は格別でした。
 行政事務ですと自分が携わった仕事でなかなか形を残すことはできませんけれども、電算システムといった形が残りまして納税者の利便性の向上や業務の事務処理の効率化に寄与できた業務を担当したことで充実感があり幸せであったかなと思っております。ぜひ後輩の皆様には、システムに限らず自分の担当の業務において新たな取り組みにチャレンジしていただければと思います。
 最後に、皆様の御健勝と今後ますます御活躍されることをお祈りしましてお礼の言葉とさせていただきます。長い間本当にありがとうございました。(拍手)

○杉本ICT推進局長
 ICT推進局長の杉本でございます。
 発言の時間をいただきまして、まことにありがとうございます。
 私は、37年間の公務員生活で生活保護が6年、それから消費者行政が6年、先ほどの市川財務局長には到底及びませんが税のほうで14年。比較的特定の分野で長く業務に従事したということでございます。
 印象に残ったことを少し申し上げますと、生活保護ではリーマンショック後の派遣切りやあるいは住居喪失者が急増したことがございまして、就労支援であるとか住宅手当の制度の導入を県内の福祉事務所の皆さんと一緒になって進めたことがございます。
 また消費者行政においては、これは忘れもしませんけれども浜松の百貨店が突然自己破産したときには1日に1,000件にも及ぶような相談がやってまいりました。これを処理することはなかなか大変だったんですけれども、こういう日が続きました。これも浜松市あるいは磐田市といった周辺の市町の皆さんと一緒になって何とか対応したところでございます。それから、悪質な訪問販売事業者に対する処分や摘発を進めました。そのために床下に潜っていろんな証拠集めをするという日々を送ったことを思い出します。市や町の消費生活相談員の皆さんにはそのときに大変お世話になりました。
 そして、何より長かったのは税でございますけれども、税におきましては特別地方消費税の廃止に伴う処理あるいは地方消費税、森林づくり県民税の創設にかかわるとともに地方税一元化構想という構想が平成17年当時あったわけですけれども、その実現に向けて広域連合静岡地方税滞納整理機構を設立するという平成における県税の主要な出来事に深くかかわることができました。まことに幸せなことだと思っているところでございます。
 いずれの業務につきましても、市や町あるいは議員の皆さんと手を携えてやってきたつもりでございます。関係者が一致団結しなければ何ひとつなし遂げることができなかったのであろうなと今振り返って思うところでございます。改めて感謝申し上げたいと思います。
 最後にICTのことについて少し申し上げさせていただきたいと思います。
 県のICT関連の予算を含めまして、ICT人材の育成や教育の推進などは、本県の教育の推進やICT関連事業につきましてはICT戦略顧問の金田康正先生に非常にお世話になって多大な御支援をいただいてきたところでございます。
 今議会にお諮りしておりますSDOのモバイルネットワーク構築事業に関して申し上げますと、これが実現すれば今後10年先を見据えても新たに生まれてくるICTの県行政の導入も対応できますし、なお一層のセキュリティーの強化も可能になってくると思っております。
 また、在宅勤務やモバイルワークに関して申し上げますと、今他の自治体で導入されている技術は拡張性に乏しく、例えばパソコン20台なら20台で100台なら100台用にシステムを構築しなければならず多額の費用がかかるようになっております。ところが金田先生の御指導により本県においてはパソコン上にデータを残さないという最先端の技術を導入することが可能となりまして、それによって今後100台、1,000台、5,000台だろうが拡張性を持ったものが安価に導入できる仕組みが構築できることとなりました。
 その金田先生が去る2月11日に急逝されました。まことに残念至極であります。痛恨のきわみであります。この場をおかりいたしまして金田先生に深く感謝を申し上げるとともに心より御冥福をお祈りしたいと思います。
 これをもちまして私の挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。(拍手)

○筑紫統計調査課長
 発言の機会をいただきましてありがとうございます。
 私が小学生だったころ21世紀は私が40歳の年になるということで遠い未来だと思っておりましたが、このたび60歳になり定年退職を迎えるということで時間がたつのがつくづく早いものだなと感じております。
 36年間の公務員生活を振り返りまして一番印象深かったのは、地震対策課にいた平成7年阪神・淡路大震災が発生し災害支援の第一陣として現地へ派遣されたことです。それ以前は大きな災害等が起きたときはその教訓を静岡県の地震対策に生かそうという観点からの調査が主な目的だったと思いますが、阪神・淡路大震災のときは何か支援をしなければいけないというこれまでの派遣とは異なるものだったと思います。
 今でこそノウハウが蓄積され東日本大震災や熊本地震などで静岡県の防災力が発揮されていますが、阪神・淡路大震災のときは一体自分に何ができるのか、それ以前に果たして無事に神戸までたどり着けるのか、そういった不安な気持ちのまま出発いたしました。救援物資の集積場所となっていました兵庫県の消防学校では荷さばきや兵庫県庁での情報収集などに当たりました。1月の底冷えする寒さや質素な食事など劣悪な環境の中、一緒に行った県職員は誰も文句も言わず皆一生懸命働いてくれたことが非常にありがたかったです。
 今月末で退職となりますが、これまで無事に勤められたのは上司を初め周りの方々の助けがあったからだとつくづく感じております。ありがとうございます。
 最後になりますが、職員の皆様、議員の皆様にはおかれましては健康に気をつけて、ますます御活躍されることを祈念しまして挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

○神村出納局長
 このような機会をいただきましてありがとうございます。
 私は採用以来17カ所に勤務してまいりまして、県庁の建物も別館、東館、本館、西館と全てを制覇いたしました。仕事も総務の関係、人事の関係、予算の関係、事業の関係ということで非常に幅広く仕事をさせていただきました。
 その中で平成10年度にNPO法の施行当時の担当ということで、それ以降も課長代理、課長、局長となりNPO関係は4回かかわることができました。担当当時は当然県庁の中で一番詳しい人間ということですので、ある意味予算も事業も思うとおりにできた時代でした。先輩からは県の職員だと前例踏襲とかそういうことを言われるけれども、なかなかそういう経験は得ることができないよということで、ある意味うらやましいと言われた覚えがございます。
 そのNPO推進の担当のときに500ほどの団体とお話をする機会がございました。その際にはNPO関係の方々の先見性であるとか、あるいは非常に熱い思いというものを肌で感じることができました。その際には、今でこそ当たり前になっておりますけれども20年も前ですので食育であるとかあるいは猫の人権、私はこういうことはNPO関係者から初めて聞きました。今では当たり前になっておりますけれども、当時は本当に非常に勉強になったと思っております。それ以降もNPOの関係の活動というのは県庁内全ての部局にかかわりのある仕事ですから、そのときの経験が非常に役立ったなと思っております。
 また、私が県民生活課長のとき、2番委員は農業をやっているということで食の問題あるいは事業者指導の問題に非常に注目をしていただきました。ライフワークだというお話をされまして、当時レストランのメニューの不適正表示などもありましたので、毎議会の委員会で食品表示の問題あるいは事業者指導の問題について質問されたという記憶がございます。
 話し始めると切りがございませんが、補助金関係で2つお話をさせていただきたいと思います。
 1件目は、平成15年度地球環境室といいまして非常に大きな名前の組織にいたときに、省エネの関係の設備を導入する補助金がございまして国の外郭団体からいただいたものですが、それと県の分と合わせまして大体5億円ぐらいの補助金をコージェネレーションシステムの導入をする企業に補助しました。ところが1週間ぐらいしたらその会社が倒産してしまいました。国の外郭団体に第一報を報告したわけですが、最初のメールが補助金返せ、遅くなると延滞金かけるぞというものでした。
 国にも当然ですけれど、経営関係の会計書類を出しておりますので我々も見抜くことができず国も見抜けなかったわけなんですが、ひたすら金返せという話でございました。そうはいっても金返せとばかり言ってもしようがありません。コージェネのシステムは、それぞれの会社ごとにオーダーメードでつくります。ですからその機械を転用していただくといっても簡単ではありません。富士市の補助金も入っておりましたので、破産管財人の弁護士さんにまずは待ってくれと話をしました。国や県から市が補助金を出しているから売り払うようなことはやめてくれ、とにかくちょっと時間をくれという話をしました。
 それからエネルギー関係の企業に対しましては、とにかく少しでもいいから部品を活用してくれる企業を探してくれないかという話をしました。結果的にはほぼ1年かかりましたけれども、引き受け先企業も見つかりまして破産管財人に対してもお金が入り債権者にもお金が返りました。それで翌年の会計検査ではよく見つけましたねと、よく再利用といいましょうか、そういうことをしましたねということでめったにないことですけれど会計検査院から褒められました。それを当時探してくれた企業にお話ししたところ非常に喜んでくれたことを覚えております。そのときには、多くの関係者に力をかりて熱い思いでやれば世の中のことは大体できるという経験をしました。
 もう1つの補助金の関係が、くらし・環境部のときなんですが、厚労省の補助金ですけれども職員の事務の不手際である団体にお金が出せなくなってしまいまして県議会にもお諮りをして1億8000万円の損害賠償をしました。その担当職員にも1800万円求償いたしました。そのときに私はその担当の方に対してヒアリング等を担当していましたが、正直申し上げまして泣いてばかりでなぜこうなったのかとか、なぜ声を発することができなかったとか、正直わからないことだらけでした。このときに痛感したのは、常日ごろから職員との会話ですね。会話をして風通しをよくしないとこういうことが起こってしまうんだなという反省でございます。
 以上、2つほど補助金のお話をさせていただきましたけれども、いずれにしても議会の議員の方、それから先輩、同僚、部下に非常に恵まれていい公務員人生だったと思っております。中学のときに覚えた言葉、それから県の職員に採用されたときに上司が言った言葉で2つの言葉がありましてそれをずっと私は肝に銘じていたものですから紹介をしますと、困難に出会ったときに逃げれば危険は2倍になる。決然として立ち向かえば危険は半分に減るという言葉と、あなたはあなたの仕事の法律になりなさいという言葉をこの数十年間肝に銘じてきております。後輩の皆さんも何かのときにちょっと思い出していただければありがたいなと思います。
 長い間本当にありがとうございました。(拍手)

○久保田集中化推進課長
 久保田雅子です。発言の機会をいただきまして感謝申し上げます。
 入庁時からほんの数年前まで、この場にいるということすら想像しておりませんでした。昭和から平成となって昨年令和となってしまいまして、時の経過をより一層思い知らされている毎日です。今では週休2日とか執務室の禁煙、育児休業も当たり前になっておりますけれども、私が入庁した当時土曜日は午前中仕事をしておりましたし、例えば通勤電車の中とか執務室でも横からたばこの煙が漂ってくることは当たり前でありました。
 その当時は育児休業も看護婦とか女性の学校の先生だけが与えられているもので、事務職にはなかったのではないかなと記憶しております。ただもうそれも今は当たり前になっております。常識だったなと思っていることも次々と変化して、そんなことをより実感しています。今後もいろいろそんなことは続いていくのであろうが自分はついていけるのかしらとちょっと不安になることもあります。
 この年度末で定年で一区切りとなりますけれども、最近では人生100年と言われております。ちょっとこれは無理かなと自分自身は思っておりますけれども、今まで周囲に助けられてきたことを恩返しできるような人生になればいいなと思っております。
 本日は貴重なお時間をいただきまして、まことにありがとうございました。(拍手)

○鈴木人事委員会事務局長
 このような機会をいただき、まことにありがとうございます。
 私も38年間静岡県職員生活をしておりまして、実はそのうちの14年が人事課におりましてあと2年は人事委員会の事務局長をやっていますが、合計16年間は人事関係の仕事をやっていました。ただそれ以外の特に管理職になってからでございますけれども、例えば研究調整課で研究機関統合しようということで分場の整理とかいろんなことやらせていただいたり、また新成長戦略研究を新たに立ち上げさせていただいたりということをやりましたし、また交通政策課長になって即天竜川の川下り事故がございまして天竜浜名湖鉄道に行きましてその後社長をやらせていただくことになりました。
 さらに、戻ってまいりまして内陸フロンティア、スポーツの関係のオリンピック、ワールドカップラグビーの準備もさせていただきました。
 先ほど2番委員から県行政に多大なる貢献をというお話がございましたが、どれだけ県行政に貢献できたかわからないんですけれども、自分なりには非常にやる気、やりがいを持ってそれぞれの仕事に当たることができたかなと思っております。
 これからの県行政に関するいろいろな所見とか後輩に贈る言葉というところでございますけれども、私が入庁した当時から比べますと本当に世の中が変わっておりますし、今東アジアとか東南アジアでいろんな問題が起きれば今回のコロナウイルスもそうですけれども、それが当然地域行政にも響いてくることがあると思います。そういうアジアだけではなくてヨーロッパ、アメリカも含めたグローバルな視点で地域行政を考えながら、さらに一方で地域にいらっしゃる住民の方々のことを現場でいろいろ感じながらこれから後輩の方々はやっていただければ、県民の1人として私も非常にありがたいなというふうに思っているところでございます。
 また、それに加えてですね、これから少子化の時代でございますし人口減少してまいりますのでより少ない資源、お金もそうですし人的資源もそうでございますけれども、そういう中で行政の機能を上げていくということが非常に重要だと思っております。そういうことにもぜひ取り組んでいただいて、これからもさらに静岡県が発展できるようにここにいらっしゃる皆さんで頑張っていただきたいと思います。
 本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○鈴木(利)委員
 皆様から思い出深いお話等々ありがとうございました。
 そして、長い間県行政に携わっていただきまして本当に御苦労さまでございました。
 これから県民としてこの県行政、静岡県をしっかりと応援していただきたいと思っております。よろしくお願いします。

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