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委員会会議録

質問文書

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令和5年2月定例会厚生委員会 質疑・質問
質疑・質問者:杉山 盛雄 議員
質疑・質問日:03/01/2023
会派名:自民改革会議


○杉山(盛)委員
 一括質問方式で質問します。
 今朝の日経新聞に、出生の急減80万人割れで推計より11年早いとの記事が載っておりました。
 国では、岸田総理が異次元の少子化対策という言葉を使っておりますが、国が想定していたよりも80万人を切るのが10年以上早いと。これは全国のことですが、もちろん静岡県においても過去最少だったと想定されます。
 そして、この4月から国はこども家庭庁設置に合わせて少子化対策を進めるとのことですが、例えば児童手当の拡充などが今国会で議論されており、少子化については本県においても最優先の課題であることは間違いないところであります。
 これから国が行う対策に呼応するだけではいけないと思います。積極的な新しい施策の展開、サービス給付の主体である市町への支援など静岡県独自の異次元の少子化対策を全庁挙げて考えるべきであると思いますが、健康福祉部としてどのような考えか伺いたいと思います。

 また、第2期ふじさんっこ応援プランの中間見直しについて現在の国の動きを反映すべきだと思いますが、見直し作業が間もなく終了するとのスケジュールを伺いました。今終了するのはタイミングが悪いのではないかと思いますので、この見直しについて延期するべきだと思いますが、その対応はいかがでしょうか。

○瀬嵜健康福祉部理事(少子化対策担当)
 2番委員御指摘のとおり、昨日発表になりました令和4年の出生数速報値が79万9700人ほどで80万人割れをしました。ただこちらは速報値で、日本国内にお住まいの外国人のお子さんも入っています。半年ほどたちますと、こうした数を除いた確定値が出てくるわけですが、恐らくその数字は一昨年の81万人という数字を下回って77万人ないし76万人まで下がるだろうと言われています。
 同様に、本県の状況ですが一昨年の1年の県内での出生数が約2万1500人でした。昨日発表された本県の昨年の速報値が2万1700人ほどになっていますが、繰り返しますがこちらには外国人の数が含まれているため、これを除いた確定値は恐らく2万1000人前後で一昨年2万1500人を下回って過去最低なのは間違いないと考えております。
 したがって、少子化の急激な進行には県としても非常に危機感を持って対応しなければいけないと考えているところでございます。
 2番委員御指摘のように、今政府で6月頃をめどに従来とは次元の異なる少子化対策、子育て支援策を考えているとのことでございますけれども、それに引き続いて恐らく秋頃になりますと、この4月から新しく施行されるこども基本法に基づく従来の少子化対策大綱等を含めた新しいこども大綱が政府、こども家庭庁で策定される運びになっております。
 県では、こども基本法に基づき新しいこども大綱を踏まえた都道府県版のこども計画の策定について、令和5年度末頃から令和6年度にかけて検討作業を進めていくことを考えております。これは従来の少子化対策大綱等も含めた計画になりますので、その中でも当然のことながら少子化対策について全庁あるいは市町も含めた静岡県としての対応をしっかり考えていきたいと思っております。
 県では、令和2年度に少子化突破戦略の羅針盤を改定していろいろな分析を行ったわけですけれども、そのときの分析結果を見ますと少子化対策の実を上げるためには、私どもが主に所管しておりますいわゆる子育て支援だけではなく、若い世代の本県への移住・定住の促進や地域における就労あるいは収入関係の向上がやっぱり有効であり必要であろうとの結果を得ています。
 したがいまして、今後新しい施策やこども計画を考えるに際しては、くらし・環境部や経済産業部にも参画を願って、全庁挙げて計画をつくっていきたい。また市町についても来年度からふじのくに新・少子化突破展開事業を開始して、結婚支援や移住・定住策に重きを置きながら市町支援を新たに始めていきますが、引き続き市町とも連携して施策を展開してまいりたいと思っています。

 もう1つ御質問頂きましたふじさんっこ応援プランですけれども、法律の要請に基づいて主に市町村計画の数値の見直しを反映することが今回の中間見直しの趣旨になっております。新しい次元の異なる少子化対策、子育て支援を踏まえた計画は、繰り返しになりますが来年末頃から本格的な検討に入る新しいこども計画において検討、対応していきたいと考えているところです

○杉山(盛)委員
 スケジュールはどうなってるの。延期するとか、しないとか。

○瀬嵜健康福祉部理事(少子化対策担当)
 今回の中間見直しは行わせていただいて、新しい少子化対策、子育て支援策を盛り込んだ計画は、こども基本法に基づくこども計画として令和6年度をめどに策定を進めたいと考えております。

○杉山(盛)委員
 非常に分かりにくい答弁だったので、何が何だか分からなくて今もう頭が混乱していますが、単純なんですよね。
 あまり例に出して言うと怒られるけど、6番委員は少子化にはものすごく貢献しております。子供が8人いるわけですよ。先日、おい、さっちゃんどうだいと聞いたら、もうそろそろ子供が大きくなって就職したりして家を出始めましたと言うんですよね。少しは家の中が楽になっていいですねと言ったら何と言ったか。寂しくなりますと。子供が多いから朝トイレに行けないと言っていたから、僕らから見ると子供というか家族が大勢いたのがどんどん減っていくことはそれは楽になったと思うけど、そうじゃなくて彼は非常に寂しくなったと言ったんですよ。
 非常にすばらしいことだなと思っていますが、出生の急減の1つの大きな要因はコロナだと思いますよ。私の娘も嫁に行きましたけれども、コロナ禍の中で子供を産むことが非常に怖いと言っていましたが、やっと今年孫が生まれまして今順調に育っておりますけれども、実はテレビを見ていましたら出生率が2.幾つとか3に近いような町も日本の中にあります。全国で1.幾つなのに3に近い町があるんですよ。つまりやり方によっては増えることが実証されているわけです。だから具体的に分かりやすい政策を静岡県として立てていくことが非常に大事だなと考えておりますので、難しい話はともかく、具体的に一つ一つの政策をつくっていくことをぜひお願いしたいと思います。質問は以上です。

 そして、厚生委員会の説明者の中で本年度末をもって県を定年退職される方々がいらっしゃいます。その方々は、まず感染症対策担当部長であります鈴木宏幸さん、そして健康福祉部理事の紅野聖二さん、そして福祉長寿局長の浦田卓靖さん、それから政策管理局参事兼福祉長寿局地域福祉課人権同和対策室長という長い兼務の仕事がありますが金原義男さん、以上の4名であります。
 県に奉職されてから現在に至るまで大きく社会が変化する中で、それぞれのお立場で大変御尽力されてこられたと思います。私から少し略歴など御紹介しながら、感謝の言葉を改めて申し上げたいと思います。
 まず最初に、鈴木感染症対策担当部長です。
 鈴木部長は、昭和60年4月に入庁されました。38年の長きにわたり奉職され、平成12年度以降は医療と福祉分野を中心とした健康福祉行政に一貫して当たられて、平成29年度から医療政策課長を務めた後に医療健康局長、医療局長、健康福祉部理事を歴任し今年度は感染症対策担当部長を務められ、まさに医療行政のエキスパートであります。そして大変な活躍をされました。
 令和2年度の医療局長の際には、新型コロナウイルス感染症の蔓延という未曽有の危機に対しまして、新型コロナウイルス感染症対策チームを立ち上げ陣頭指揮を執られた。また今年度は感染症対策担当部長としてコロナの度重なる流行に対峙しつつ、その将来に備えるふじのくに感染症管理センターの開設準備など本県の感染症対策全般の企画立案や方針決定に多大な貢献をされました。
 また、県立総合病院の独法化においてプロジェクト段階から深く関わって静岡県立病院機構の設立、その後の安定的な運営を築いた立て役者であったと思います。
 このように、仕事一筋の鈴木部長と思われますが、休日は何とブラームスなどのクラシックを聴いてリフレッシュされているとのことです。その趣味からも想像できる誠実で本当に穏やかな人柄で、経験に裏打ちされた豊富な知識及びその指導力は余人をもって代え難いものであります。この言い方はあまり好きじゃないんだけどね。何かよく言う人がいるから。
 今後も本県の健康福祉行政を見守っていただきたい。そして後輩職員に指導を賜りたいと思います。本当に長い間御苦労さまでございました。
 次に、健康福祉部理事であります紅野さん、昭和61年4月に入庁され浜松財務事務所を駆け出しに37年の長きにわたり奉職されました。平成29年度からは文化政策課長、文化局長を歴任し、今年度は医療介護連携対策・社会健康医学推進担当として健康福祉部理事を務められました。
 私は平成23年度に今年度と同様に厚生委員会に所属しておりましたが、当時部付主幹でありました紅野理事には大変私がお世話をしました。(笑声)失礼ですね、大変お世話になりました。部付主幹として紅ちゃんの愛称で私ども県議とも非常に良好な関係を築き愛される存在として活躍されたわけであります。
 紅野理事は、文化政策にも通じられておりまして、平成21年度に開催いたしました国民文化祭に携わり、課長や局長として東京2020オリンピック・パラリンピック文化プログラムを推進するなど本県の文化振興に多大な貢献をされました。
 紅野理事は温厚で親しみやすく誰からも頼られる存在であるため、県庁内外に広い交友関係を持って仕事も人柄も抜群との印象がありました。
 長い間県政に貢献していただき、心から感謝を申し上げます。私も個人的に本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 次に、浦田福祉長寿局長におかれましては、昭和61年4月入庁、そして総務部統計課を駆け出しに37年間の長きにわたり奉職されました。職歴のおよそ半分が健康福祉行政に従事され、平成28年度から地域医療課医療人材室長を務められた後、介護保険課長、さらに令和3年度から福祉長寿局長を歴任されました。
 特に今年度は、牧之原市の認定こども園における痛ましい事件など安全管理指導の在り方を問われた1年でありましたが、そのような中で浦田局長は危機を自らのエネルギーに変えるかのように職員を本当に叱咤激励し、子供たちの安全確保のため園に対する是正措置や安全対策の予算化に努められました。
 また、地域医療課医療人材室長を務めた際は、県東部地域初となります静岡県立看護専門学校での助産学科の設置に道筋をつけるなど本県の医療人材確保対策にも尽力されたわけであります。
 浦田局長は、昼休みにはお堀の周りを走っている現役ランナーとのことです。その勢いをそのままに昨年9月の台風15号の際には、静岡市内が停電する中、誰よりも早く登庁し陣頭に立って被害状況の把握に努めたそうであります。
 様々な危機事案に前向きに取り組む姿勢や頼まれると嫌とは言えない親分肌の性格、退庁時には必ず職員に声がけを行う心遣いなど職員からは理想の上司であったとのことであります。
 長年にわたり健康福祉行政をはじめとした県政に貢献していただき大変御苦労さまでありました。
 そして、最後に金原政策管理局参事兼福祉長寿局地域福祉課人権同和対策室長でありますが、金原室長は昭和62年4月に入庁であります。西部民生事務所に配属された後、36年の長きわたり奉職されました。職員人生の半分以上を障害者政策や人権同和対策などの福祉分野に捧げられました。近年では西部健康福祉センターの福祉部長や人権同和対策室長などを歴任いたしました。人権同和対策室長として、新型コロナウイルス感染者やロシアのウクライナ軍事侵攻に伴う在日ロシア人、ウクライナ人への誹謗中傷など新たな人権問題についても県民への啓発に努められるなど尽力されました。
 また、金原室長におかれては議会事務局に在籍され、平成27年度に政策調査課主幹の際は我が会派が発案いたしました議員提案条例のみんなで取り組む健康長寿条例の制定の担当書記として大変な御協力を頂いたところであります。
 金原室長には、この1年なかなか厚生委員会の中で答弁の機会がありませんでしたが、額に汗をかきながら、よどみもなく非常に熱意の感じられる雄弁な答弁であると聞いております。
 長きにわたり本県の福祉、人権同和行政をお支え頂き本当にありがとうございました。御苦労さまでありました。
 以上退職される4名の皆様が、これまで本県行政の発展のために多大な尽力をされましたことに改めて心から敬意を表したいと思います。今後も健康に御留意され、これまで培われた豊かな経験と見識を生かし御活躍されることを御祈念申し上げます。
 あわせて、健康福祉部、がんセンター局におかれては、この場の方々以外にも多くの方が3月をもって退職されます。皆様には本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。
 それでは、退職に当たりまして、これまで長年にわたって様々な分野に携わってこられた経験を踏まえ、県行政に対する御所見や後輩に贈る言葉などをお話頂けたら幸いであります。
 ただいま紹介した順番で、どうぞよろしくお願い申し上げます。

○鈴木感染症対策担当部長
 2番委員から大変温かいお言葉を頂きましてありがとうございます。大変恐縮しております。このような機会を設けていただきましてありがとうございます。
 38年間、職歴を積み上げることができそうですけれども、新規採用で衛生部、当時は医務課という主管課に入って、しばらく健康福祉行政から離れていたんですけれども、平成12年に地方行政をやっていくに当たって国の政策決定や予算確保の仕方を勉強してみたい、それを地方に、自分の仕事に生かしたいと職の公募に手を挙げて人事交流で厚生省に行かせていただきました。
 そこでは、今の独り親対策の担当係長だったんですけれども、初めて福祉対策、児童虐待などを所管する課に行き福祉行政を学びました。当時ちょうど厚生省と労働省が合併する省庁合併の年になりまして、労働省と一緒になるということで労働政策も含めて独り親を支援していくこともあって、後の法律改正などに対していろいろ取り組むようなこともありました。
 当時働き方改革という言葉が全然なくて、今考えますと過労死基準をはるかに超えるような勤務をしていたんですけれども、自分のやっている仕事が全国津々浦々に行きわたる、展開されるということで、時間的には非常に厳しかったんですけれども、そういう中でモチベーションが保てたのかなと。そこを転機として、その後は23年間連続で健康福祉行政で働くことになりました。非常に転機になったことと思っております。
 それから、もう2点あるんですけれども、1つが今2番委員からも御紹介頂きましたが、平成18年に県立3病院の独法化をするプロジェクトチームが立ち上がり、そちらに配属になりました。平成21年に独法化が進みましたけれども、その間人事労務管理等の制度をつくるなどの仕事をやらせていただきました。また独法移行に当たって職員の方の不安が非常に大きいということで、そちらの交渉も担当させていただいた記憶がございます。
 そういう中で、現在県立3病院は独法化前に比べて医療従事者の数が非常に増え、非常に高度な医療が提供されています。またその医療水準が県全体の医療水準を高めることにも非常に役立っており、特に人員確保について少しでも貢献できたのであれば幸いだなと思っております。
 最後に、担当しております感染症対策についてです。
 平成8年頃O−157という病気がはやった、死亡事故があったと御記憶ある方もいらっしゃると思います。当時私は野菜係にいましてカイワレ大根が原因だとの風評被害で大変な思いをしましたけれども、考えてみれば感染症と関わりがあるのかなと思っています。
 新型コロナの感染が始まったときにちょうど局長でおりまして、それこそ手探りで対策を進めてきたところです。医療関係者の方からいろいろ御意見を伺いながらやってきましたけれども、議員からも各会派からの要望であったり先生方からの御質問であったり御意見を頂いて、我々はどうしても視野が狭くなりがちなんですけれども、そういう面で議員の先生からの御指導を頂いて施策に反映できたと思っております。
 最後に後輩の職員に対してですけれども、私は平均的な能力しかない人間だったんですけれども、これまで上司、同僚、後輩に本当に恵まれ、その中でやってこれたのが結果としてこういう形になっているかと思います。
 来年度については、特に健康福祉部にとっては保健医療計画であったり長寿保健福祉計画であったり健康増進計画であったりと非常に大きな柱となる計画の見直しがございます。
 今回のコロナで様々な取組があったと思います。医療のかかり方であったり亡くなる方も多かったこともあります。みとりの問題であるとか、また先ほどもちょっとお話に出ましたけれども少子化の問題もいろいろな社会生活に影響があるかと思います。そういった中で2040年ですね、その先を見据えてこれからいわゆる労働生産人口が1000万人も減っていくような時代を見据えた計画に恐らくなってくると思っております。私が一緒に仕事をしていた仲間は――それこそ管理職になって特に部下に恵まれたと思っておりますけれども――1を聞けば10も知るというか、1言わなくても10やってくれるような職員と一緒に仕事ができたと思っております。それらの職員の皆さんがこれから未曽有の厳しい社会になってくる中で、ぜひいい計画をつくっていただければなと思っております。
 私は新卒で入ったときに、漫然と仕事をするんじゃなくて常に課題意識を持って仕事しなさいよと言われたのを覚えておりまして、それが38年間の自分の仕事をする上での基礎になっております。
 ぜひ皆さんも、迷ったとき悩んだときがあれば県民のために何が必要なのかを考えていただいて最善の策をとっていただければと思っております。
 本当に議員の皆様、これまで一緒に仕事をしてきた仲間、上司の方、同僚、後輩、それから最後に職員人生を支えてくれた家族に感謝申し上げて挨拶としたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

○紅野健康福祉部理事(医療介護連携対策・社会健康医学推進担当)
 先ほど過分なお褒めの言葉を、それからこのような発言の機会を与えていただきまして感謝申し上げます。
 私は、37年の県職生活の中で文化振興に関わる部分が13年、それから健康福祉に関わる部分が10年ということで2つの分野に長く携わってきましたので、その2点について触れたいなと思います。
 まず最初は文化振興の分野でございますが、先ほど2番委員から御紹介のあったように国民文化祭を基本計画の策定から2009年の本番まで5年間携わらせていただきました。初めての大規模イベントで、カウントダウンボードがゼロに近づくにつれて毎日非常に不安で、準備が間に合うか心臓に悪いなと今思い出してもどきどきするような時代です。それから無事その大会を終えしばらく文化を離れまして、2017年から昨年までまた文化に5年間お世話になりました。そこでは文化芸術を切り口に福祉やまちづくり等社会課題、地域課題を解決するというアーツカウンシルの組織設立に尽力いたしました。
 文化芸術は法的な拘束があまりないということで、そこから文化の多様性や他者を認めることを学びまして、文化振興に携わる中で柔軟な考え方も身についたのではないかなと考えています。
 健康福祉に関することでございますが、これまで保健所と福祉事務所の統合であります健康福祉センターの設置条例の策定や南伊豆町と杉並区の全国初の自治体連携の特別養護老人ホームのプロジェクトに関わってきましたが、何と言っても私の県職生活の転機となったのは部付主幹でいた2年間が非常に大きな2年間だったなと思っています。
 部付主幹は議会と行政の調整役であります。その中で議員の先生方とお話しする機会も多いです。それも時間内、時間外問わず話したら切りがないのでこの短時間で話すことはできませんが、県民目線、県の考え方というものを非常に勉強させていただいて、ときにはお叱りも受けることはありましたがそれが自分の血となり肉となり、その後の県職生活に非常に身になったなと感謝しております。
 公務員生活の最後の年に医療介護の連携それから地域包括ケア推進の担当にしていただいたことは非常に幸せだなと思っています。
 地域包括ケアは専門職の連携だけじゃなくて地域の皆さんの協力が絶対必要です。今後は軸足を地域にちょっと置いて、今まで学んできた知識、経験を地域に活用できればいいかなと考えております。
 最後でありますが、これまで県職生活を続けてこれたのも総じて本当に人に恵まれ助けられてきました。それは非常に充実した公務員生活だと思っています。それはひとえに県会議員の先生方をはじめ先輩、同僚、後輩のおかげだと感謝しております。
 後輩の皆さんは優秀な方が多いです。私に比べてですけれども非常に優秀な方が多いです。ですから自分で限界をつくらないで思い切って仕事をしていただきたいなと思ってます。そこを県議会議員の先生の皆様は温かく見守って、時には厳しい目で見ていただければと思ってます。37年間長い間本当にありがとうございました。(拍手)

○浦田福祉長寿局長
 厚生委員会の貴重なお時間を賜りまして本当にありがとうございます。感謝申し上げます。
 先ほど2番委員から御紹介頂きましたとおり、私は考えてみますと18年間健康福祉部に籍を置かせていただきました。最初は同和対策の担当をやらせていただいて、人権とは何たるものかをいろいろと教わったところでございます。その次は社会福祉法人及び事業所の設立及び指導監査等の業務を行いました。思えばそのときの経験がまさに本年度の様々な保育所の事件などの対応にも少しは役立ったのかなという気もいたしております。その後は保健所の総務ということで医療監視を行ったり、県民の皆様との様々な直接のやり取りですとか地域の医療関係者の調整といったものを担当させてもらいました。その後健康増進の業務、それこそ健康増進のまさに健康寿命静岡県日本一という時代に当たらせていただいたときだったものですから、いけいけどんどんで非常に楽しい時間であったと覚えています。その後、先ほどもちょっと触れていただきましたが医療人材室長という職でまさに医療人材及び介護人材の確保を担当いたしました。本県の医療人材不足、さらには看護師の確保がなかなかままならない状況の中で、様々な方々、特に病院の医師の皆様との話もいろいろ賜りながら、あれこれ検討したことを覚えています。その後は介護保険の部署に移りまして、これも同じく介護人材の確保という、まさに人材確保の担当が何年も続きました。
 これもなかなか一朝一夕には解決しない問題でしたけれども、そうしたものに少しでも手を替え品を替え貢献できたものもあったのかなと思っております。
 最後に福祉長寿局長として今に至りますけれども、最後の最後になって保育所と幼稚園でこのような形の事件が起こってしまったことが非常に残念でならないところでございます。そうは言いましても、この県職生活の半分を健康福祉部の中で送れたことは、私自身は非常にやりがいをもって感じることができた18年間でございました。ぶっちゃけた話、職員の中では健康福祉部は必ずしも人気の高い部署ではございませんけれども、ただやはり私自身も含めて人の人生、人の生活に直接関わることができる仕事、行政をここで経験できたことは今後の私自身の生活にとってもいろいろなところで宝になるんじゃないかなと信じております。そういう意味では、前の2人も申し上げていましたけれども、私自身を周りの人がいかに支えてくれたかということに感謝をしたいなと。
 県議会議員の先生の皆様をはじめ職員、先輩、同僚、後輩そして皆で一丸となって事に当たることの大切さを学んだ気がいたします。加えて追い込まれたときにどこまで力が発揮できるか、先ほどお話のあった災害のときもそうですし、別の部署では職員が逮捕されてしまうという不祥事のときに私は総務課長でいたことがありまして、中心になってあれこれ調整したことも覚えておりますけれども、追い込まれたときに人は何ができるかがいろいろな意味で非常に鍛えられたことでありますので、そんなことも含めて今後の人生の糧にしてまいりたいと思います。いろいろとありがとうございました。(拍手)

○金原政策管理局参事兼人権同和対策室長
 遠いところから失礼いたします。
 先ほど2番委員から過分な御紹介を頂きまして、非常に恐縮すると同時に変な汗が出てきてしまいました。ありがとうございました。
 思い起こせば私は昭和の最後の時代のあたりから県に入りまして、その後平成、令和と脱落しないで何とか全うすることができて、皆様のお助けを借りながらやってこれたんだろうなと思っております。その中でやはり半分以上健康福祉部、振出しが西部民生事務所の生活保護のケースワーカー、その後県庁の中で障害福祉、障害者支援、あとはNPOのはしりのときにNPO推進室でNPOの設立などをやらせていただいたことが非常に懐かしい思い出であります。その中で議会事務局にも2回ほどお邪魔させていただいて、大して役には立たなかったんですけれども2番委員が議長を務められた際には近くでちょっとうろちょろしていたことなどもございまして、非常に懐かしい思い出でございます。
 人権同和対策室は今年度発声するのがこの機会が最初で最後というちょっとお恥ずかしいところがありますけれども、例えばハラスメントなど昔は特にそれほど問題にならなかったことが今非常に大きく取り上げられたり、ネット、SNSなどの発達によって昔では考えられないようなことが起きている時代でございます。新しい人権問題も出てきている中で、人権に対する県民の方の視線が非常に厳しくなっているのかなと思っておるんですけれども、その中でやはり差別をする意識というのはコロナのときもそうでしたが、未知のものに対する不安であったり恐怖であったり、または理解の及ばないものに対する拒否的な反応という人間の本来的な気持ちが原因になっているのかなと自分では考えておりまして、差別しないことを意識して常に念じておかないと人間はついつい差別をしてしまう部分があるのかなと思います。ですのでそういうことを常に自分の視点だけではなくてほかの人、相手の、被害を受けている方の身に立って考えていけるような形で人権啓発を続けていく必要があるのかなと。後任、後輩、同僚の方などにはそういった視点で引き続き人権啓発に携わっていただきたいと思っております。どうも長い間ありがとうございました。(拍手)

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