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委員会会議録

質問文書

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令和5年2月定例会建設委員会 質疑・質問
質疑・質問者:鈴木 利幸 議員
質疑・質問日:03/02/2023
会派名:自民改革会議


○鈴木(利)委員
 一問一答方式で台風15号について2点ほど質問して、最後に感謝の言葉を述べさせていただきます。
 9月の台風15号では、記録的な大雨が各地で起こりまして被害が相当出ております。まだ復旧していないところがたくさんあると感じております。被害状況や被害額が全部出たと思いますので、対応の状況なども含めて答弁をお願いします。

○加茂土木防災課長
 台風15号による公共土木施設災害は、平成以降最大の被害となり国の災害復旧事業を活用して復旧に取り組んでおります。被害箇所は、県、市町及び政令市の合計で562か所、270億1220万円の査定決定を受けました。緊急性の高い箇所につきましては大型土のうによる増破防止などの応急対応が済んでおり、現在は本格的な復旧工事に向け工事発注などの手続を進めております。
 県工事の実施に当たりましては、令和4年度から5年度にわたる債務負担行為により工事発注を行っており、大規模工事箇所につきましては令和5年度から6年度までの債務負担行為にかかる契約により工事を実施する予定であります。
 今後は、引き続き災害を受けた箇所の1日も早い復旧に努め、安全・安心な地域づくりを進めてまいります。

○鈴木(利)委員
 ありがとうございます。
 災害の復旧はスピード感を持ってやっていただきたい。社会資本の整備はスピード感を持ってやるのが県民へのサービスですのでよろしくお願いします。

 それから、台風15号を踏まえた治水対策について伺います。
 台風では――以前には七夕豪雨もございましたが――予想される雨量は大体1時間当たり35ミリを想定しているわけですが、それが100ミリを超えるようなことになりますと浸水被害や土砂災害がたくさん発生するわけでございます。
 今気象庁でもスーパーコンピューターを入れて正確な確率をこれから出していきたいという話ですが、どこまで正確な線状降水帯が分かるのかが難しいところでございます。
 今回たくさんの被害ができたわけですが、美しい“ふじのくに”まち・ひと・しごと創生総合戦略の評価において、今後の取組方針として流域治水を強力に推進するため今回の浸水被害の実績を踏まえた流域一帯となった水害対策に取り組むと書いてありますが、具体的にどのように取組を進めていくのか伺いたいと思います。

○山田河川企画課長
 2番委員御指摘のように、今回の台風15号による豪雨は河川の整備目標を大きく上回る規模でした。このように激甚化、頻発化する水災害に対しましては河川管理者が行う河川改修などの対策だけでは対応することが困難であり、あらゆる関係者が被害軽減に取り組む流域治水の考え方に基づき対応する必要があります。
 県では、台風15号を踏まえ重点対策流域として15流域を位置づけまして対策の強化を行うこととしています。今後、浸水被害の状況や要因分析を踏まえ、河川管理者が行う河川改修や市町と連携して進める流域対策に加えて住民の適切な避難行動につながるソフト対策などの被害低減策を市町と共に検討してまいります。
 特にこれらの取組を実効性のあるものとするためには、地域の水害の特性や治水対策の現状などを正しく理解し避難行動や取組につなげることが極めて大切であるため、関係市町や地域住民との意見交換や水害リスク情報に関する講習会の開催などを通じて、取るべき行動や取組を広く周知してまいりたいと思います。特に浜松市域におきましては、既に5地区で地元の説明会などを開きまして今回の台風15号の被害状況や県のこれまでの取組状況、地元の方がどういうことを求めているかについての意見交換などを進めております。こういった取組を重点対策流域、ひいてはそれ以外のところにも広めていきまして、住民や関係者と一体となった取組を進めていきたいと考えています。

○鈴木(利)委員
 ありがとうございます。
 想像を超えたような雨が降りますので、これからはその想像を超えたことに対してもできるだけの対策が取れる形を取っていただきたいと思っております。
 私の地元の浜松市は政令市になりましたのでいつも言うんですが、道路は市議会議員がやる仕事ですが、特に県の管理している河川は、計画的にしっかり整備してこれから予想できない雨量に対してもっともっと考えていかなければいけないと思っております。
 それからちょっと違う話ですが、最近の大雨の被害は、こんなところで川の水があふれるのかという状態になっていますので、都会の洪水も考えていただきたいなと思っております。

 質問は、この辺で終わらさせていただきますが、皆様に対して感謝の言葉を述べさせていただきます。
 私は本会議の今年度最後の質問者でございまして退職される方に感謝の言葉を申したわけでございますが、この委員会からも説明者で本年度で御勇退する方が5名いらっしゃるので御紹介させていただきます。
 交通基盤部長の太田博文さん、交通基盤部長代理の高木繁さん、交通基盤部理事(建築担当)の青野直己さん、交通基盤部理事(都市政策推進担当)の森見俊明さん、交通基盤部参事(土木設備・建築設備担当)の内山武志さん、5名の方が本年度末をもって定年を迎え退職されます。
 皆様方が入庁されたのは昭和60年の前半と伺っております。当時は日本電信電話公社や国鉄などの多くの官営企業が民営化され、男女雇用均等法など日本のそれまでの制度がまさに大きく変化し始めた時代と記憶しています。公共事業も青函トンネルや瀬戸大橋の開通など世界に誇る大型プロジェクトが次々に完成する一方で、平成に入ってからはバブルがはじけて経済が疲弊し公共事業への批判、事業費が縮小していく社会情勢になり、近年は大規模災害が頻発する中、皆様におかれましては必要な社会インフラ整備や維持、災害対策などそれぞれのお立場から苦労されながらも優れた手腕を発揮されてこられたと思います。
 他県では計画整備を怠った結果で災害が大きくなりましたが、我が県は計画整備、それから地震対策のおかげで大きな災害が少ないと感じました。皆様方がそれぞれの立場で御尽力された結果が本県の発展に様々な形で寄与されたことに改めて感謝を申し上げます。
 それでは、皆様方から今ここにいる後輩の職員、また我々県議会議員に対して、これまでの貴重な経験などを踏まえ一言ずつお話を頂きたいと思います。
 太田交通基盤部長、高木交通基盤部長代理、青野交通基盤部理事(建築担当)、森見交通基盤部理事(都市政策推進担当)、内山交通基盤部参事(土木設備・建築設備担当)の順でお願いします。

○太田交通基盤部長
 ただいま2番委員から身に余るお言葉を頂きまして、誠にありがとうございます。
 また、本年度の建設委員会の最後にこうした機会を頂き誠に感謝申し上げます。
 それでは、一言御挨拶させていただきます。
 まず、36年勤務したわけでございますが、それを振り返りますと新規採用で富士土木事務所富士宮支所に配属されて以降、県庁勤務が21年、出先勤務が14年、東京に1年と通算36年が経過いたしました。
 また、河川砂防局や土木事務所企画検査課の河川担当など河川関係にこのうち24年、危機管理部に4年と合わせて28年ですが、多くを河川防災関係の業務に従事してまいりました。常に天気を意識してきた気がしております。
 この間河川行政も、昔は災害復旧制度を活用した護岸整備を主体にやってまいりましたが、そのうち環境に配慮した水辺整備でありますとか、多自然川づくり、津波対策、地球温暖化による豪雨の激甚化を踏まえた水防災意識社会の再構築、国土強靱化、そして今の流域治水と様々に変化してまいりました。その時々の重点テーマに応じた施策に取り組んでまいりました。
 記憶に残ることとなりますと、まず入庁5年目に当時の建設省の治水課に派遣され毎日終電やタクシーで帰宅するという大変忙しい日々を送りました。国の仕事の仕方を目の当たりにし、河川計画もそこで学ばせてもらったことが河川行政に携わる原点となっております。また下田土木事務所では、松崎水門の建設反対運動により事業が頓挫し、事業の進め方であるとか地域の合意形成の在り方について非常に考えさせられました。静岡土木事務所では、今の麻機遊水池第2工区の事業説明地権者が200名以上いる大規模な事業でございますが、地権者会との用地交渉により非常に難航いたしましたが事業に着手することができました。また沼川の治水計画、河川整備計画を策定し、長年の懸案であった沼川新放水路の本格的な事業化が実現しました。また馬込川の河川水門の事業化も非常に難しい案件だったと思っています。
 そして、入庁以来大きな災害を経験しないでまいりましたが、終盤の幹部職員になってからは、令和元年の台風19号、令和2年度からの新型コロナウイルス感染症、緊急事態宣言、また令和3年度熱海市伊豆山の土石流災害、令和4年台風15号と立て続けに大きな災害を経験し、自身の河川防災を主とした経歴を代表するものとなっております。微力ではありましたが、最後に危機管理部と交通基盤部の両部の部長を担わせていただき、多くの皆様に支えられ今日を迎えられることを大変ありがたく感謝しております。
 自分自身が心がけてきたこととしては、我々は技術をよりどころとしますので、エビデンスに基づく論理展開や科学的思考による業務遂行に努めるとともに、常に施策の実現性、実効性、現実的かどうかを意識してきたつもりでおります。一方で、より分かりやすく、住民目線でと考えることを心がけてまいりました。特に管理職になってからは、長期的な視点とバックキャスティングということで、施策展開を実践するよう指導してまいったつもりです。また激甚化する自然災害への脅威に代表される喫緊の課題には、スピード感を持った対応を指導してまいりました。
 後輩のみんなに贈る言葉として、僭越ですが、1つは熱海市伊豆山の土砂災害の教訓が様々あります。これを今後も絶やすことなく常に共有していっていただきたいと思っております。多くの課題解決には、複数の部局であるとか、法にまたがる問題があります。それぞれの射程を超えたファジーな領域へ一歩踏み込むことが必要かと思います。
 また、建設業者との連携ということで先ほども御案内がありましたが、県は実行部隊を持たない組織でございます。いざというとき、地域の守り手となる建設業者との日頃からの信頼関係が非常に重要です。建設業界をPRし業界全体を盛り上げていっていただきたいと思っております。
 また、特に若い職員が夢のある仕事に携われるよう導いていただきたいと思っております。
 また、仕事に専念するためには心身の健康が欠かせないことから、健康管理、ストレス発散、私生活の充実、家族への思いやり、それぞれのやり方で健康増進に努めていただければと思っております。
 また、最後になりましたが、県議会の皆様方におかれましては大変長い間お世話になりました。引き続き交通基盤部はもとより建設業界への御支援、御指導をお願い申し上げまして、お礼の言葉とさせていただきます。本当に長い間どうもありがとうございました。

○高木部長代理
 ただいま2番委員から温かいお言葉を頂きましてありがとうございます。
 また、発言の機会がこの1年間なかったものですから、先ほどに引き続き二度目の発言になりますけれども、ありがとうございます。
 私は昭和61年に富士財務事務所に配属になりました。私は事務屋でございまして、技術屋さん、土木屋さんと違って様々な仕事に就いてまいりました。2か所目に田子の浦港管理事務所の勤務になりまして、勝又交通基盤部理事(交流・通商担当)と一緒に仕事をしたことがあります。そのときに新しい事務所を――今の事務所ですけれども――建てる計画がございまして、なぜか私が現事務所の素案となる図面を描きました。事務屋である私が方眼紙に鉛筆とかで図面を描いて素案を作り、予算規模を決めました。
 その後人事委員会を経て、今度は教育委員会青少年課にも行きました。青少年課では今はなくなりましたが青年の船にも乗りましたし、当時テレクラの関係がいろいろ騒ぎになってまして、テレクラ条例をつくるに当たり実態が分からないという話がございまして、当時私が一番若かったものですから、これはあくまでも仕事でございますがテレフォンクラブに電話をしたこともございました。
 その後東京事務所に行きまして、行政連絡ということで、霞ヶ関や自治省、議員会館に行ってひたすら頭を下げまくった3年間でございました。
 その後今度は国民体育大会に行きまして、開会式に小笠山総合運動公園エコパをいっぱいにしろと話がありました。過去例を考えますと、なかなか難しいというのが現実だったんですけれども、チケットは売るんですけれども、特に子供たちにということもあって教育委員会や競技団体をぐるぐる回りましてぜひ来てくださいと動いた結果、開会式は満杯になったことが思い出としてございます。
 その後今度は建築住宅課に行きまして、青野交通基盤部理事(建築担当)とも一緒にやったんですけれども、今度は姉歯事件に遭遇いたしまして、当時建築のことは分かってなかったんですけれども、いきなり答弁書を書けとか、総務係長だったので予算要求や人事異動といったこともやりました。
 また今度は秘書課に行くことになりまして、秘書課で1年間副知事のかばん持ちをやり、その後総務係長を4年やりました。当時石川知事から川勝知事に変わる過渡期のときでございましたので、県庁の文化ががらっと変わったところを目の当たりにしたところです。
 ちょっと長くなりましたけれども、その後環境ふれあい課で、芝草研究所なるものの立ち上げ、その後広報課の参事、そのときに学力テストの関係がございまして、マスコミと川勝知事とその辺をさばいたりしました。
 今度は、島田市役所で染谷市長の下2年間働くくことになりました。当時はまだリニア中央新幹線の話はなかったんですね。一方で新幹線新駅の話が盛り上がっている頃だったので、交通基盤部にはその辺の情報を取りに何度か通ったことが思い出されます。
 その後環境ふれあい課の政策監を経て、知事直轄組織総務課、そして現在に至るというところでキャリア的には自分で言うのも変ですけれども、なかなか人が行かないところを巡ってきたのかなと考えております。ある意味、波瀾万丈の公務員生活かなと思っております。
 その中でいろいろ思い出話はあるんですけれども、1つ知事直轄組織総務課時代に新型コロナウイルス感染症が出始めの頃の令和2年4月27日に政策担当部長から呼ばれました。議員発案で条例を作り基金を積むので担当をやってくれというお話がございまして、次の日の打合せに行ったところ、3番委員ほか各会派の代表者の議員の皆様が5月20日の5月臨時会に条例を出すと議員提案でつくるから実務的なことを頼む、そして基金を集めるのは次の日からやれとと言われまして、分かりましたと。今から考えるとゴールデンウイークを挟んでいますので実労とすれば2週間もなかったと思いますが、基金のことは全然分かりませんでしたけれどもいろいろ調べました。自分たちだけではできませんので、税務課にふるさと納税の話を、ロゴを作る仕事は広聴広報課にいろいろお願いをしまして突貫工事をやりました。結論から言えばうまく立ち上がって動き始めまして、特にあのときに国に先駆けていち早く医療従事者の方の支援ができたことは、基金に携わった人間として非常にうれしく思っていますし、特に3番委員にはいろいろとお世話になったところです。
 新型コロナウイルスに打ち勝つ静岡県民支え合い基金は、昨日時点で961件、4億6000万円が集まりました。非常に思い出深い仕事であったかなと思っております。
 前振りが長くなりましたけれども、いずれにしましても事務屋の私にとって、物をつくり物が残る技術屋の仕事は非常に憧れです。特に若手の職員については、もっともっと技術屋としてのプライド、志を高く持っていただけたらと思っております。
 技術屋だけでなく県全体として考えたときに、非常に危惧していますのがメンタルで倒れる職員が多いことです。やっていることは昔のほうがきつかったと思っていますが、今、若手職員も含めてどうもぱたぱたということが多いように感じられてなりません。いろいろ事情はあるんでしょうけれども、私が考えるには、みんな優秀ですから100点目指して仕事をしているのかなと。やっぱり仕事はめり張りがあっていいし、言い方が悪いですけれどもやるときはやるけれども手を抜くときは手を抜くことも必要なのかなと考えております。
 これも言い方が悪いですけれども、公務員は悪いことをしなければ首にはなりません。腹をくくればいろいろできるんじゃないかなと。昭和の時代の人間でございますのでそんなことを考えております。
 結びになりますけれども、県議会の皆様、また先輩、同僚の皆様に恵まれて何とか37年の公務員生活を全うすることができました。ここに深くお礼申し上げます。ありがとうございました。

○青野交通基盤部理事(建築担当)
 建設委員会におきましてこのような発言の機会を頂きありがとうございます。
 私は、建築担当という括弧書きがついているとおり建築の技術職員になります。最初の配属が都市住宅部営繕課でしたので、営繕で始まって営繕で終わるということなんですが、途中はほとんどが住宅行政をやっておりまして、中でも先ほども少し振っていただきましたけれども、県営住宅に一番長く関わっておりました。
 営繕関係ではこれと言ったビッグプロジェクトに巡り会うこともなく、自分の中では採用1年目に課内設計という言い方を我々はするんですけれども、要は設計を外部に委託するのではなくて、自分で――当時は当然手ですけれども――図面を描くということをやらされました。高等学校の実習棟だったんですけれども、自分の中ではこれが一番印象に残っていますし、今となってもそのときの経験が役に立っていると常に感じるところであります。
 36年間だったんですけれども、それ以外ですと、プロジェクト「TOUKAI−0」の立ち上げに当たってしまったこととか、県営住宅再生計画の策定、課長として県営住宅の特別会計の運営に関わったことなどが印象に残っております。
 そうはいっても高木部長代理のような華やかな実績がないものですから、この場では建築の組織と資格取得について話をさせていただきたいと思います。
 建築の職員は現在150名おりまして、土木職の5分の1程度の小さな組織になります。その業務は大きく分けて建築行政、住宅行政、営繕の3つで、これを本庁と出先の土木事務所で所管しております。平成18年度までは都市住宅部に建築課、住宅課、営繕課がありましたけれども、組織改編がありまして2つに分割され、現在でも建築住宅行政はくらし・環境部、営繕関係が交通基盤部に分かれております。
 建築企画に求められる業務の内容が変化し、組織改編という大きな流れの中で見直されたことは承知しております。ただ一方で、業務遂行上の連携や技術の継承、若手職員の育成、建築関係団体との連携などといった面から考えますと、1つの組織にまとまったほうがうまくいくのではないかなと感じております。
 昨年度、事業の企画構想段階から建築が関与しなさいということで、営繕関係の3課を建築管理局として拡充していただくとともに、交通基盤部に理事(建築担当)を新設していただきました。建築全体が1つにまとまることはできませんでしたが、この2年間くらし・環境部理事(建築担当)を兼務させていただきまして両部の連携を図ってまいりました。1つにまとまるまでは、少なくとも今の組織体制で両部の連携を維持していけたらなと思っております。
 次に資格取得です。
 建築職の場合、一級建築士と建築基準適合判定資格が業務で必要な資格になります。この資格取得は個人に任されております。資格取得のための学校もありますけれども、費用が決して安いものではなく学校に入るのに二の足を踏んでいる職員も多くおります。取得率が年々減少しており対策が急務だと考えております。研修会の開催や人事異動時の配慮等でスキルアップを図っていますけれども、資格取得に対して経済的な支援や取得後のインセンティブなど何か新しい対策を考えなければならないと感じております。
 建築管理局ですので、話題をこちらに移します。昨日7番委員から質問頂きましたけれども、建築には脱炭素社会の実現に向けた取組が今求められております。耐震補強を進めたときと同様に建築物の大多数は既存の建築物になりますので、これらをどのように省エネ化していくかが今後課題になってくるのかなと感じております。
 建築管理局は、これまで施設所管課から工事依頼を受けて施工をする受け身の立場でありましたけれども、省エネ改修についてはこちらから働きかけて技術的な助言を行うことが重要だと思っております。
 建築管理局には、建築、電気、機械と3つの技術職種が集まっております。企画構想段階からの関与ですとか省エネ化の機会を捉えて、建築管理局があって助かったと言われるようにみんなで一丸となって、今以上に県庁全体からの信頼を得て存在感を示してもらいたいと思っております。
 最後になりますが、御指導、御支援頂きました議員の皆様、それから上司、同僚、支えていただいた後輩職員に感謝申し上げます。長い間ありがとうございました。

○森見交通基盤部理事(都市政策推進担当)
 2番委員より身に余るねぎらいのお言葉を頂くとともに、発言の機会を頂きまして誠にありがとうございます。
 思い起こせば38年前、生まれてから22年間名古屋以外の土地で暮らしたことのなかった私が、静岡県庁で採用辞令を頂いた後、かばん1つで公用車に乗って、初めての勤務先となる下田土木事務所へ向かったのが県職員としての初日の出来事でした。天城を越え海岸線を走る国道から太平洋に浮かぶ伊豆諸島を見たとき、遠くへ来てしまったと感じたことを今でも鮮明に覚えております。親戚はもとより、親しい友人すら県内にいなかった私がこれまでやってこられたのは、職場の先輩や同僚をはじめとする全ての方々のおかげです。この場を借りて感謝申し上げます。
 38年の間には、工事現場の監督業務のほか静岡空港の建設、開港後のターミナルビルの増改築、沼津の鉄道高架、新幹線新駅、そして今回御審査頂いた遠州灘海浜公園(篠原地区)の公園整備など、それぞれ長い事業のほんの僅かな一時期ではありますが、様々な事業、事務に携わる機会を頂きました。これらの業務では、厳しい御指摘や相反する意見の対立などで思い悩み、眠れない日もあったような気もしますが、今となれば全てよい思い出です。
 さて、私の経験から後輩の方にお伝えしたいことは、出会いを大切にということと、くさってはいけないという2つです。
 県職員は定期的に異動するため、仕事上の付き合いはそのとき限りとなることが多いのですが、かつて関わった方と後にほかの仕事やプライベートで再び関わることになり、お力添えを頂いたことも少なくありませんでした。ぜひ出会いを大切にしていただきたいと思います。
 2つ目のくさってはいけないというのは、自分の意見や希望が通らなくても気持ちまでくさらせてはいけないということです。気持ちがくさると態度や言葉に出てしまいます。くさらず一生懸命やっていればその経験が後に役立つこともありますし、必ず誰かが見ていてくれるものです。
 こんな私も4月からは新しい生活が始まります。出会いを大切にしてくさらずに、今までと違う立場で新しい景色を楽しみにしていきたいと思っております。
 最後になりましたが、県議会議員の皆様には大変お世話になりました。建設委員会では、公園緑地課長以来6年間、説明者としてお世話になりました。厚く御礼申し上げるとともに、引き続き交通基盤部に対し温かい御指導と御支援を賜りますようお願い申し上げまして私のお礼の言葉とさせていただきます。本当にありがとうございました。

○内山交通基盤部参事(土木設備・建築設備担当)
 ねぎらいのお言葉を頂いた上に、このような発言の機会を頂きありがとうございます。
 私は、民間の通信機器製造会社に4年ほど勤務した後に電気職として平成元年に入庁し、以来34年間業務に従事してまいりました。
 企業局での水道施設の維持管理からスタートして、流域下水道の建設事業、県有建築物の新築、修繕等、土木設備、建築設備に偏らず幅広く業務を担当しましたが、中でも今森見交通基盤部理事(都市政策推進担当)からお話もありましたが、富士山静岡空港の建設工事から運用にわたり空港事業に携わったことが、私にとっては非常に特別な経験となりました。航空灯火という滑走路等にある照明設備ですけれども、静岡県では誰もやったことのなかった仕事に一から取り組み、先輩、同僚と数々の苦難を乗り越えて工事を完成させ、開港を迎えて1番機が離陸したときは大きな達成感を得ることができました。
 建設部門を長く歩んできましたが、行政をはじめ、ここにいらっしゃる土木職の方、それから建築職の方、農業土木等いろいろな職種の方にお世話になりました。無事に退職を迎えることができるのも御縁のあった方々のおかげであり、心から感謝を申し上げます。
 時代の大きな転換期を迎え、脱炭素の推進が求められている中、先ほど青野交通基盤部理事(建築担当)からもお話がありましたけれども、県有建築物のZEB化等、新しい施策の実現に向けて設備職員の役割はますます重要になってきております。次世代を担う後輩の皆さんのさらなる活躍を期待しています。
 また、手前みそになりますけれども、令和3年度から交通基盤部内でスタートした土木設備支援業務は年々成果を上げており、今後も高まるニーズに応えていってほしいと思っております。
 最後に、日頃から設備業界に御理解と御支援を頂いている県議会議員の皆様にお礼を申し上げるとともに、今後も引き続き御指導頂きますようお願いして私のお礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。

○鈴木(利)委員
 貴重なお話本当にありがとうございました。
 退職される皆様には、これからも健康に御留意頂きながら、今日までの豊富な経験や高い見識を生かして御活躍されますよう、心から御祈念申し上げます。長い間本当に御苦労さまでした。ありがとうございました。

○飯田委員長
 太田交通基盤部長、高木交通基盤部長代理、青野交通基盤部理事(建築担当)、森見交通基盤部理事(都市政策推進担当)、内山交通基盤部参事(土木設備・建築設備担当)、本当にお疲れさまでした。私からもお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。

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