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委員会会議録

質問文書

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令和3年2月定例会危機管理くらし環境委員会 質疑・質問
質疑・質問者:杉山 盛雄 議員
質疑・質問日:03/10/2021
会派名:自民改革会議


○杉山(盛)委員
 一問一答方式で1問だけ。
 3月5日の新聞ですが、災害対策基本法の改正案が決定とありまして、避難勧告を廃止し指示、逃げ遅れ防ぐという記事が載っているわけです。災害時に各市町村が発令する避難勧告を廃止し、指示に一本化する意味だと思います。
 この住民への呼びかけを簡略化して風水害等で逃げ遅れるのを防ぐ狙いであるようですが、改正のいわゆる概要、そして本県の風水害対策への影響について所見を伺います。

○酒井危機対策課長
 気象庁が行う避難のための立ち退き勧告及び指示レベル4の情報を避難指示に一本化、また居住者等に対して併せて屋内での退避等の安全確保措置を指示することができることになります。避難準備、高齢者避難開始レベル3情報は高齢者等避難、災害発生レベル5の情報は緊急安全確保と名称が改正される見込みとなっております。この災害対策基本法の改正スケジュールにつきましては、4月下旬に改正法公布、5月下旬の施行が見込まれているところです。
 また、この施行に伴う本県の風水害対策等への影響ですが、災害対策基本法の改正に伴いまして避難勧告等に関するガイドラインも改正される見込みです。これにつきましては3月下旬に内閣府から県、市町への説明会が開催されることになっております。
 それから、各市町が作成しております関係機関が活動する目安となりますタイムラインがあります。こちらの情報を基に活動することになっておりますが、この見直しが必要になってくると。また住民が既に作成されたタイムライン等については、やはり出てくる情報が変わることで、再度見直しが必要ということが影響として考えられるところであります。住民避難の実効性が高まるよう、市町と連携して周知に努めてまいりたいと思います。
○杉山(盛)委員
 まさしく最後に言ったことが大事なことであって、これ逃げ遅れの防止のためにこういうふうになるんですよということは、各市町から県民に対して相当周知していかないと。今まではレベル4に関しては指示と勧告が併記されているわけですから、ここが一本化される意味をしっかりと各市町には県民に対して周知するように県からも指導していただきたいと思います。

 それでは、質問は以上でありますが、本日は最後の議会ということで、金嶋危機管理監、それと植田危機報道官が本年をもって退職と伺っておりますので、一言はなむけの言葉をしたいと思います。
 金嶋危機管理監兼危機管理部長におかれましては、昭和59年に本県に入庁され、当初は熱海財務事務所に配属、そして37年の長きにわたりまして県職員として奉職されたと伺っております。
 経営管理部自治行政課参事、裾野市副市長を経験して、平成27年4月からは危機管理部理事、危機報道官、危機管理監代理、そして危機管理監部長兼危機管理監代理を歴任して、平成31年4月から危機管理監兼危機管理部長として頑張ってきたわけであります。
 実は私は個人的に、裾野市の副市長として当時の大橋市長の下に来られたときには――大橋市長は私が最も尊敬する政治家でありますのでじっこんにしておりましたが――よくいろいろな会合また食事等も一緒にさせていただいて、お話させていただいたのを思い出しております。そのときのいろんな話の中で、金嶋さんの人間性は非常に真面目でありながら、しかし力強い、そしていろんな行政に対して真摯な方だなということで大きな思い出として残っているわけであります。
 特に、南海トラフ地震の対応策の検討や風水害の対策、そして新型コロナウイルス感染症の対策。このような様々な危機管理等を本当に強いリーダーシップを持って推進していただいたということで、これまでの豊富な行政経験、市町や現場の声を積極的に取り入れてやってこられた、また施策に反映することを大切にしてこられた方だなという印象があります。
 本当に長いこと御苦労さんでありました。またぜひ後輩また後任にはいろいろな御指導を賜りたいと思います。
 そして、植田危機管理監代理兼危機報道官におかれましては、昭和58年に本県に入庁されまして出納事務局会計課に配属されたと伺っております。38年の長きにわたりまして静岡県の職員として奉職されました。危機対策課長や原子力安全対策課長、そして危機管理部理事を経て、現在危機報道官として危機管理情報の発信や発生時の報道対策の対応に当たっているということで、先ほども8番委員からいろいろなお話がありましたように、この報道官という仕事は、ある意味大変に重要な位置であったなと本当に実感しております。先ほどの説明の中でも多少遅れるとまた問合せがくることも含めて、特にコロナ禍のこの時代は報道が非常に大事であります。
 1つ私的なことを申し上げると、昔のいろいろないわゆる意見や物を言う方々、芸能人の方やそういう方はあまりテレビに出て自分の意見や物を申さないという不文律があったように感じるんですが、最近はどこのテレビ局を見てもその辺にいる若い芸能人の子が堂々と自分の意見を述べている。これいいのか悪いのかは分かりませんが、例えばコロナが最初にはやり始めた頃は、映画館なんかは大丈夫ですよと言いきっちゃう人も中にはいて、報道とかいろいろなものによって、いろんな意味で翻弄されていることもあると思うんです。何が本当に正しくて、何がしちゃいけないんだということも含めて、報道官という仕事は大切な地位を実は占めているんだなということを、テレビを見ているだけで改めて感じるんです。でたらめを言ってるとまでは言いませんが、それぞれが言いたいことを言って世の中が翻弄されている部分もあると思う中で、そのような最後のお仕事をされてきたことに本当に心から敬意を表したいと思っています。
 また、消防庁にも派遣されまして、20年にわたって防災、危機管理のプロとして活躍されたことに心から本当に感謝したいと思います。
 お2人が県職になられた昭和58年、59年頃は、政治的には中曽根内閣が始まって、参議院議員の通常選挙で初めて比例代表制度が導入され、またロス五輪が開催された時期であります。危機管理の面では三宅島の噴火という出来事もありました。それから40年近く、平成、令和という激動の時代を本県の発展のために尽くしてこられたお2人に対しまして、危機管理くらし環境委員会の委員を代表いたしまして、改めて心から感謝と敬意を表したいと思います。
 御退陣に当たりまして、これまで長年にわたって危機管理行政に携わってこられた中、培った経験を踏まえて県当局の後輩への贈る言葉、また県行政への御所見などがありましたら、お一言ずつお話頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

○金嶋危機管理監兼危機管理部長
 ただ今2番委員から身に余るお言葉を頂き誠にありがとうございます。
 3月末をもって無事退職の日を迎えることができますのも、各委員の皆様をはじめ県議会の皆様の御指導と職員の皆さんの御協力のおかげであると心から感謝しております。
 先ほど紹介頂きましたが、私は昭和59年に県職員として採用され、この37年間出先機関と本庁をバランスよく経験させていただきまして、私自身仕事を通して本当に成長することができたと感謝しております。
 初任地の熱海財務事務所では税金の滞納整理を担当いたしました。その後東部民生事務所では高齢者福祉ケースワーク、それから県土地開発公社では、当時は第二東名、今の新東名高速道路の用地買収も担当いたしました。現場業務は大変なんですが、その重要性、大切さを身をもって経験させていただきました。
 本庁では県の予算編成、それから市町の行財政支援、農業農村振興事業など幅広い業務を担当させていただきました。その中で全県的な視点に立って政策を立案し実施するという県職員としての仕事の醍醐味も味わわせていただきました。
 先ほど2番委員からも御紹介頂きましたが、平成23年1月から4年と3か月、裾野市の副市長として当時の大橋市長の下で副市長をやっておりました。当時はリーマンショック後で裾野市の税収が落ち込んで厳しい財政状況の下での市政運営、平成23年に発生しました東日本大震災で裾野市が支援協定を結んでおりました福島県相馬市への支援など県庁ではなかなか経験できない仕事を担当させていただきました。特に岩手県の大槌町、それから山田町の震災瓦礫の受入れについては、当時県内でも反対あるいは慎重意見が多い中、大橋市長は、同じ日本人が困っているんだから協力するのは当然だという強い熱い思いの下、私も一緒になって市民の皆さんと語り合って、県内で一番最初に裾野市が受入れ支援を行いました。これが今も本当に印象深く思い出されております。
 その後、平成27年県に帰任いたしまして、以後6年間危機管理部で勤務しております。この間、平成28年には熊本地震、平成30年には西日本豪雨、令和元年の台風19号では県内の伊豆の国市、それから函南町で大規模な浸水被害が発生いたしました。ほぼ毎年のように被災地支援業務に携わってまいりました。情けは人のためならずと申しますけれども、被災地支援を通じまして多くのことを学ばせていただきました。現地に派遣された職員と意見交換する中で、避難所運営マニュアルの改定が必要だとか、あるいは避難所の生活環境の改善も必要だとか、あるいは住家被害認定の人材が不足しているとか、そういう意見も伺いました。また避難所の劣悪な環境を何とか改善したいということで、今回お諮りしております防災コミュニティーセンターの支援制度にも改善に向けて取り組んでまいりました。このような取組、本県の新たな取組を職員の皆さんと一緒になってつくり上げることができ、本当にうれしく思っております。
 静岡県は東海地震説の発表以来40年にわたり、諸先輩方が様々な防災対策に取り組まれてまいりました。ただこれらの対策に完成とか完璧というものはありません。備えていたことしか役には立たなかった、備えていただけでは十分ではなかった。この言葉は東日本大震災の被災地で災害対策に奔走されたある指揮官の言葉です。
 南海トラフ地震の切迫性が指摘されております。また大規模な風水害も頻発化しておりますが、職員の皆さんには解決すべき課題は現場にあるということを忘れずに、一歩一歩着実に防災対策の向上に取り組んでいただきたいと思います。またいざ災害が発生した際には、前例にとらわれることなく臨機応変に県民が必要とする対策にぜひともチャレンジしていただきたいと思います。
 挨拶が長くなってしまいましたが、最後に議員の皆様、職員の皆様にいま一度感謝の気持ちを申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。長い間本当にありがとうございました。(拍手)

○植田危機管理監代理兼危機報道官
 2番委員におかれましては、過分なる送別の辞を頂きましてありがとうございます。
 改めてその職責をほかの人に譲る日が近くなったことに深い感慨を覚えるものであります。
 さて、静岡県議会の委員会において、私の思いも含め答弁の機会を頂きましたことを大変光栄に存じます。
 私の県職員としての履歴についての感想であります。実に様々な仕事をしてきたものだと、そして世の移り変わりと重ね合わせて感慨深いものがあると申し上げます。
 県職員として出納事務局会計課給与係での初仕事は時刻表の見方を覚えて、出張旅費の計算をすることでありました。今日県庁内でこの仕事を担当している職員はおりません。旅費計算システムが取って代わり機械がやってくれております。また翌年には同じく資金係に異動いたしました。歳計現金の運用に携わったわけですが、当時の運用利率は5%台だったと記憶しております。ちなみに先月私が定期預金を作ったときの利率を見て、0.002であったことにまさに世の中ってこんなに変わるもんかと驚いた次第でございます。
 最初の転勤では賀茂民生事務所で老人福祉のケースワーカーになりました。当時は福祉に欠ける老人をやむを得ず老人ホームへ入所措置する制度が主でありました。管内には老人ホームが1軒しかございません。遠方の施設への入所を嫌って、ならば私はこのうちで死ぬと言っている方を、誤解を恐れずに申し上げます、甘言を弄して施設に連れていったこともあります。それが近年では在宅福祉が中心となり、デイサービス事業では家庭と施設の間を車で送迎してくれるまでになっております。これも変わったなというところでございます。
 また、御紹介頂きましたように町役場の職員、国の職員としても勤務いたしました経験が、その後の公務員人生で非常に大きな糧となっております。
 平成7年度から2年間派遣されました金谷町役場空港対策課では、地元の不安が渦巻いております説明会に連日のように参加し、地元の要望による道路側溝の整備を担当するなど文字どおりのどぶ板行政を経験させていただきました。
 平成15年度からは2年間総務省消防庁で霞が関の官僚と言われる方たちの一員として勤務いたしました。国会の会期中は質問取りと答弁の作成、それが終わったと思ったら、いきなり国際会議の準備をしろと未知の領域に踏み込んでの悪戦苦闘でございました。そこでは後に日本を担うと言っても大げさではない方々と仕事をさせていただきました。当時のカウンターパートナーでありました気象庁の課長さんは後に気象庁長官に、隣に座っておりました課長補佐と直属の上司の課長は今や国会議員であります。お仕えした消防庁長官のお1人は県知事に、お1人は次官になられるなど、浅学の私がこの皆さんと意見を交わし多くの見識、御薫陶を頂いたことは実に幸せでありました。
 次に、退任に当たり後進の方、特に若い皆さんに向けてのメッセージであります。
 危機管理部に参りましてからも、片手に余る若い職員が県職員を辞しております。それぞれに理由、事情があり、それについて物申すものではございませんが、後輩の皆さんには私と同様に多くの仕事の場面で県民の方々との対話、各省庁、市町との議論など経験を積んで定年まで勤めていただくよう願っております。
 そのためにまず申し上げるのは、仕事の現実と対峙する覚悟であります。引用でございます。君たち社員が仕事が楽しいと言うのなら、明日から社長の私は会社の入り口で君たちから入場料を取るだろう。会社のため、世のため、人のために仕事をするから社長は給料を払うのだと説いた社長は松下幸之助氏であります。私も同感です。法令に基づくとはいえ、公共の福祉のため時に県民の方々の私権を制限する権限を持つ県の仕事は楽しいものであるはずはありません。覚悟して日々精進し公正な行政運営に努めていただきたいと思っております。
 その上でさらに申し上げます。仕事は楽しくなくても、職場は楽しくすることができる。難しいことではありません。朝晩大きい声で挨拶するだけでもよい、昼休みにSNSに向けてではなく、最も近い同僚に何か一声かけるだけでいいと思います。事例を紹介いたします。今から4年前でございます。当時の新規採用職員から、私は剣道をやっています、植田さんのほかにも県庁内で剣道をする方がいたら一緒にやりませんかとのメールを頂きました。このメールがきっかけとなり、県庁剣道部を旗揚げし、以来毎月1回ではありますが、毎年の新規採用職員から私に至るまで10名を超す有段者が世代と職域を超え稽古に励んでおります。
 最後は議会への要望と感謝であります。
 昨今、執行部では働き方改革の意識も根づき、これまでの前例にこだわらず、既存事業の見直し、廃止にも努めているところであります。しかしながら何かをやめる決断は、何かをやる以上に難しいものがあります。議会におかれましては、執行部の業務内容のチェックにおいて既存事業の見直しと旧来事業の廃止もやむなしと、そういう観点からの御審査を頂ければと思います。その上で組織定数増の見直し、職員の職務改善等につきましては、新たな行政需要を見越して有能な職員を確保していく観点から寛大な御意見を頂けるよう要望いたします。
 私はこれまで危機管理部の2つの課長、それから1つの課長の代理として委員会での答弁をいたしました。各委員からは、私ども職員が陥りやすい役所の論理に対しては厳しい御指摘を頂き、民意が何であるかということを気づかせていただくとともに、過分なる励ましも頂いてまいりました。このことに深く感謝を申し上げ、今後とも当局への一層の御指導をお願いします。ありがとうございました。(拍手)

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