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委員会会議録

質問文書

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平成23年12月定例会文教警察委員会 質疑・質問
質疑・質問者:曳田 卓 議員
質疑・質問日:12/15/2011
会派名:民主党・ふじのくに県議団


○曳田委員
 よろしくお願いします。
 教育基本条例の関係で、本当は午後にしようと思ったんですが、今の議論を聞いていますと、どうしても人事に絡む議論が出てきておりますので、若干私のほうで認識等をお伺いしたいと思います。
 御案内のとおり大阪市で大変な激戦の中で、72万対52万とかなりの大差で橋下新市長が当選されました。彼もいろいろと過激な発言をしているんですけれども、その中で報道によりますと、教育基本条例の制定を目指すと。その第一の目的が、政治主導で教育改革を図るため、教育基本条例を目指していると、こういう趣旨の発言であります。
 中身はかなりあるんですが、その中で人事に限ってこういう話があります。
 1点目は、全校長を任期つきでもって公募をする。2点目は、教員の5段階の相対評価を行って、2年連続低評価の教職員は分限処分の対象とする。3点目は、市長が学校の教育目標を定め、その目標を実現する職責を果たさない教育委員は、議会の同意を得て罷免する。
 聞くとかなり過激な文言が連なっているもので、私もにわかにこれに同意するつもりは毛頭ないんですが、やはり常々この不祥事の話を聞くにつけ、私どもも人間ですし、不祥事を起こす、大変弱いところもある。
 今の議論を聞いても管理の問題、確かに教員の場合そぐわない。つまり教員というのは、人を育てるという、ある意味では昔でいう聖職ですよね。私ども小さいときからそういうイメージで、当然――私も両親が先生だったものですから――そういう目で見てきました。
 ただ、やっぱり事ここにきますと、それだけではとどまらないのが現実じゃないかなと。
 そういう中で、まずこの辺に対して、さらにまた橋下市長が、例えば学力テストの成績は全部オープンにして、点数の低い地域には金と人を投入して平均点を上げるほうがいいと。これもまたかなり過激なんですけれども、もろもろのこういうことに関して、教育長はどのように認識されているのか、まずお伺いしたいと思います。

○安倍教育長
 私も、大阪市の教育基本条例案を読みましたけれども、今御指摘のあった特に3点――校長の任期、それから5段階相対評価、さらには教育委員の罷免ということですけれども――私がこれを読んで思いましたのは、やはりこの背景にあるものは一体何なのか。それは大阪市だけではなくて、静岡県も含めて全国的な一つの課題があるのではないかなと思います。
 具体的に申し上げれば、校長についてはやはり教育者として、さらにはいわゆる経営者として、どういうマネジメントをしていくかという部分では、まだまだ弱いのではないかという、そういう御指摘ではないかと思います。また教員ではよく言われるのは、二極化というんでしょうか、非常に忙しい先生は忙しいんだけれども、忙しくない先生は忙しくないという、そういう教員独特の社会に対しての一つの警鐘かなというふうにも思います。
 さらには、1点目と関連しまして、校長のそういうマネジメントにも関連するわけですけれども、教育委員に対してのこういう罷免という措置は、目標を達成するという、まさに教育委員会のマネジメントについての御指摘でもあろうかなというふうに思っております。
 ただ、そういう意味では、この御指摘というか、一つの問題提起を、私たちは静岡県の教育にも落とし込んで、いま一度振り返るいい機会ではないかというふうに思っています。
 1つ申し上げれば、この方法論が果たして適切かどうかというのはいろいろな議論がございますので、これについては、各都道府県の対応ということにはなろうかと思いますけれども、繰り返しになりますけれども、こういう指摘の背景というのは、どの県にもやはり共通している問題ではないかなというふうに認識しております。以上であります。

○曳田委員
 恐らくそうであろうというふうに思います。ただ、例えば少し具体的にお話をさせていただきますと、先ほどの2年連続低評価の教職員は、分限処分の対象というのは、これ非常に過激だと思うんですね。ところがこの裏にある背景が――これは橋下さんの言葉をかりるんですが――要するに先ほどの議論でも出ましたけれども、採用されない中でも、結構いろんな教職の免許を持っている方がかなりいらっしゃると。そうするとこれも過激なんですが、やはり入れかえてもいいではないかと、こういう議論を彼はしているわけですね。
 私は、余りそれはくみしないんですけれども、ただある意味では、教職員の方に緊張感を持たせるには非常に効果があるのかなと思います。ですから、試験を通って優秀かどうかというレベルは別にしても、やはり今そういう議論があるということについては、教育長はどんなふうな認識をお持ちでしょうか。

○安倍教育長
 これは、公務員制度そのものにもかかわってくることで、一度正規に採用した教員を、いわゆる他の教員でない身分のものと入れかえるというのは、制度的にもかなり大きなハードルがあるかなというふうに思います。
 一つの解決策としては、現在10年研修とか、あるいはその前の5年研修とかということで、節目節目で振り返りの機会を設けているということと、もう1つは教職員の評価制度というものも始まっております。これは毎年行われていることですので、そういう中で一人一人の教員が、採用時には持っていた高い志というか、熱い思いというのが、人間ですので5年、10年経過してやや冷めてしまったときに、今申し上げましたような研修制度とか、あるいは評価制度を使って、本人に問いかけをしながら、もう一度、気持ちを奮い立たせるというようなことをやっていくということが必要かなというふうに思います。
 さらに、制度としてこれが可能かどうかはわかりませんけれども、いわゆる正規ではなくても外部のいろいろな方を入れて教員に対して刺激を与えるという、そういう外部人材の活用というのは、これからもいろいろな方法を使ってやっていくということは必要ではないかなというふうに思っております。以上であります。

○曳田委員
 教育のことを語るのに、つらつら自分の小中高の段階を振り返って見ますと、常にまず学校に行く、勉強をする、成績を上げる、いい学校に入りたいと、何か根本なところにそういう議論があったような気がするんですね。
 ところが、先ほど細かい話で言ったのは、例えば成績をオープンにする、正直言って私もあんまりいいものではなかったなという気持ちはあるんですけど、ただその方に対して情を持って接するのもいいんですが、かといってじゃあ評価が難しいという部分で評価をしないという議論というのもやはり私の腹の中にまだ落ちないんですけれども、その辺はいかがでしょうか。

○安倍教育長
 教育の成果というのをどういうふうに評価するかというのは、非常に難しいというふうに思います。
 実際、学校経営計画書の中で、学校によってはその中に数値目標を、例えば大学の進学率を何%というような形で組み込んでいる、そういう学校もございますし、極力そういう数値を明示しない学校もあると思います。
 これはやはり教育について、その学校でどういう経営をしていくかという、それぞれの学校に求められている社会的な役割というか、責任の中で達成していく教育目標というのがあろうかなというふうに思います。
 ただ、やはり考えますのは、教育には評価がなじまないということで、甘えている部分がもしあるならば、どういう工夫をしながらその評価をしていくかということを、やはり日ごろから不断に教育委員会もまた学校現場も考えていくという姿勢は必要であると思っております。
 ただ、一律に教育の成果、目標が実現できないということで、そういう学校は再編整備をするというような、そういう考えも大阪市の条例の中には入っておりますけれども、私はそういう文面を見ますと、子供たちの成長にかかわる教育というのは、一体何なのかということを、やはり根本から考えてもらいたいなというふうには思っております。
 将来、世界的な舞台で活躍する人材もおれば、一方では地域に密着して一人の市民、地域人として活躍する人間もおりますので、一律そういうものを、世界に羽ばたく人材の育成ということでくくっていいかどうかというのは、やはり議論を要するところではないかなというふうに思っております。以上であります。

○曳田委員
 わかりました。やはり私もそういうことに関しては、自分の気持ちの中で整理ができてない部分があるんですが、私どもも議員としてこれだけ顕在化した不祥事に対しては、それはきちんと対処せざるを得ないという気持ちのほうが先行しているもので、今みたいな質問をしているわけです。
 やはり今、成果をどのように議論するかと。例えばきのうも総合計画の進捗評価案がございましたけれども、強いて言うならば教育の成果を議論する姿勢が余りなかったのかなということを感じるわけですね。それが逆に、例えば教員の方々が切磋琢磨していろんな成果を上げれば当然評価をしてもらいたいという気持ちもあると思うんですね。ところが教員の方も公務員ですから、収入が安定している部分もある。だけれどもこの教育の原点に返れば、教員というのは聖職であると。そうすると、当然その辺のところが私は今回のいろんな不祥事ということに関しますと、欠落している部分があるのかなという気がしています。
 そういう意味で、教育長の中で、例えば成果、あるいは本当に子供たちがその能力を伸ばせるような指導をしているかどうかということの評価を、今後議論するというお気持ちというか、方向性はありますでしょうか。

○安倍教育長
 私も実際、学校に勤めていたころを思い出してみますと、今、御指摘のあったことと符合するところもあるかなというふうに思っています。
 例えば、具体的に申し上げれば、学校ではさまざまな学校行事が行われているわけですけれども、学校行事が終わったときに、もちろんその反省等は行われるわけですけれども、一方では毎年同じような企画立案の中で、繰り返し学校行事が行われているのではないかなという、そういうような反省も今振り返ってみてございます。
 そういう意味では、やはり成果、この学校行事をこれだけのエネルギーをかけて、一体どれだけ子供たちの成長にとってプラスの面、あるいはマイナスの面があったのかというのを、その学校行事、あるいはいろいろな教育活動がある、そういう節目節目できちんとその成果を検証し、来年に向けてどうしたらいいかということを見直していくことは必要かなというふうに思っています。
 多くの学校が、年度末には各分掌、学年、あるいは教科から1年間の反省ということで、来年に向けてこういうことをやるという現状と課題、次年度への抱負というか、そういうことをやっているわけですけれども、そういうものをよりきめ細かくやっていく中で、教育の成果というものを教員一人一人が肌で感じていくという必要があるかなというふうに思っております。以上でございます。

○曳田委員
 最後にしますけれども、実はこの中で橋下さんが言っているのは、「政治が教育行政から余りにも遠ざけられていて、教育に民意が十分に反映されてなかった」という述懐をしているわけですね。
 たまたま私、2週間ぐらい前かな、地元のほうで小学校の見学に行ってまいりました。そこでは実験的に小学校1年生が、たしか35人学級。2年生、3年生にはそれが適応されていないと、こういうことでした。
 私どもが現地を見てあっと思ったのは、1年生の学級はたしか2学級だったのかな、25人だったんですね。それでやっぱりそれを見ていると、非常に生徒も落ちついて先生の話をよく聞いている。
ところが片や2年生の学級に行きますと、35人ぎりぎり、36人とか、こういうことですね。やっぱり雰囲気が違うわけです。それ一つ見ても、あっそうか、そういうことなんだなということを、改めてこれは反省も含めて認識をせざるを得なかったんです。
 やはり、今後そういう意味でこういう不祥事を見る限り、何らかの意見も、あるいはかなりきついことも言わなきゃならない。だけれども、やっぱり今後、政治という言葉は、ちょっと大仰かもしれませんけれども、教育長においては政治とのかかわり合いをどのように認識されているのか、そこだけ最後にお聞きして終わります。

○安倍教育長
 かつての教育委員会制度では、教育方針、あるいは教育施策プラス教育の財政というものも任されていたわけですけれども、制度が変わりまして今は財政のほうにつきましては、知事部局のほうになっておりますので、そういう意味では、私たちがこういう施策を展開していくというような方針を出しても、最終的にはそれに伴う予算的な措置というのは、オール県庁で考えていくという、そういう制度になっていますので、知事からの思いというのもそういう財政には反映をしているのかなというふうに思います。
 ですから、すべてが政治というか、いわゆる知事部局との間に開きがあるということではなく、財政的な面ではそういう連携をとりながらやっているという、そういうところに思いを反映をしていっていただけるのではないかな。具体的に言えば、静岡式35人学級というのは、これは知事のマニフェストにも大きくうたわれていることでございますので、そういう大きな力を私たちはおかりしながら、それを粛々とやっているというようなところがあるのではないかなというふうに思っています。
 ちょっとお答えになっているかどうかわかりませんけれども、以上でございます。

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