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委員会会議録

質問文書

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平成22年10月産業連携推進特別委員会 質疑・質問
質疑・質問者:中沢 公彦 議員
質疑・質問日:10/26/2010
会派名:自民改革会議


○中沢委員
 ありがとうございました。1点、伺わせてください。
 図の5を見ると、農業経営体の、いわゆる借りた土地の面積がふえているわけですね。そうすると、日本の農業政策も、その土地、農地自体が、その所有と利用の分離というのがこれからもっと進んでいくんではないかなと思います。先生の範疇になることなのかどうなのかわかりませんが、1つお聞きしたいのは、いわゆる農振法ですよね。農振法は、いわゆる地域主権とかですね、権限移譲という部分でいうと、おくれた分野だと思ってるんですね。
 私ども地方は、農振法の権限移譲とか、そういった部分を国から県へ、県から政令市へというのは、いろいろ研究して活動しているんですけれども、その辺についてというのは、農業政策の根本の部分として、さっきの所有と利用が変わってきたりとか、後継者がいなくなってとか、自治体による集中と選択の農業集積エリアをつくりたいとか、そういう部分に関しては、どのようにお考えでいらっしゃるんですか。

○昆 吉則氏
 日本の農地と農振法、そういうことの中で、実は一番大事なのは、いわば、ここは永久に農地であるという、国家としての農地の戦略といいましょうかね。例えばフランスなんかだと、パリのそばだって、本当にもう何千年も農地であるというところがございますよね。そういうのは厳しく管理されてるわけですよね。それには明確な国家の計画があるからだと思うんです。その反面で、日本では農地改革以降、あるいは農地法ができて以降、農地を持つことが、あるいは登記することができるのは、農家しかできないわけですよね。しかも、農家というのはほんのわずかな、国民の中でいうとほんのわずかな人にすぎません。
 そして、農地が農業生産として考えられるよりも、転用されたとき、あるいはそれで宝くじに当たっちゃうようなですね。メリットのことだけが農家の側でも、農家を批判する側でも、そういうことだけで見ておられるような気がするんです。でも、農業についていろいろ、経営のあり方についていろいろ言うにしても、絶対必要なのは、やっぱり国家として、ここは農地なんだと、あるいは産業として発展させるんだということを決めることだと思います。その中で、既に、先ほど農水省の意見、国の意見だけで、それをやっていいのかどうなのかということよりも、やっぱり少なくとも県のレベル、あるいは道州制ということがあったりしますけれども、そういうレベルで、その方向を定めていくということが、その線引きをするということが、今、現状ではなかなかそれが、不明瞭でございますけれども、そのことがきちっとされておらないということが、もともとの問題なんじゃないかなという気がしております。
 だから、改めて国民の総意というよりも、多数決だけで決められることではないと思いますけれども、本当の総意として、どれだけ残すべきなのかが問題である。ただ、私どもは廃藩置県のとき以来のですね、県の中にいるわけでございます。
 シュワルツネッガーが知事をしているカリフォルニア州は、日本と同じ大きさを持っているわけですよね。そこに知事が1人しかいないわけですけれども、日本には、そこに50人近い知事がいて、区分けをする。もちろん日本は小さなサイズとは言いながらも、独自の特性を持っていて、これまで日本人一般が考えてきたことだけではなくて、新しい未来での国家の戦略図、その中での土地計画という、基本的な土地計画ですね。それはやっぱり別個に考えないと、それを抜きにして、いろいろな制度的なことだけをやると問題があるんだと思います。
 ただ、先ほど農地が、所有から借りるということになってくる。現実そうなっております。今、我が読者たちというのは、いわば小作農業をやっているわけですよね、小作農業の方々が、私ども読者、大多数なわけですよね。それが10ヘクタールだとか、50ヘクタールだとか、大きい場合は300ヘクタールぐらいまで。そういうことをやっていらっしゃる方がいます。そういう方々が、何ていうんでしょうかね。御質問の産業区域って何であるかという線引きということよりも、農業の経営としてきちっとした形をやって、それが国民に対してきちっとした役割を持てるようになると、産業的意味というのも理解されていくんではないかなという気がします。
 例えば愛知県の読者が豊田市で、トヨタの労働組合と市役所が組んで家庭菜園をやろうとして、そちらが、我が読者が借りている地代よりも高い値段を地主さんに示してるんですね。
 その結果、彼は貸しはがしに遭ってしまったということを言われたことがあって、私の知ってる自治労の人にちょっと話をしたことがあったんですが、その読者の方が、あんまりいうと地縁関係がまずくなるからやめといてくださいということがありました。
 そういうふうに、豊田の、そういう地区であっても、新しい農業を頑張ってやっていらっしゃるんですが、それでもより大きな力で、こうやって圧力が加わりますと、そういう意欲を持った小さな人がつぶされてしまうことがございます。その辺のところは本当に皆様方のようなお立場の方々が、広い視点で見ていただくことが一方では必要なんだろうと思いますね。
 答えになっているかどうかわかりませんけれども、お許しいただければと思います。

○中沢委員
 先ほど、食料自給率の議論が、無意味的なお話がありました。我々、行政に、いろいろな投げかけの中で、どうしても農業政策というか、その農地の絡みでいうと、都市計とか農振法の話というのは随所で出てきちゃうわけですけれども。農業政策の部分で、一方では、農業のあり方を議論してても、その自給率の話が出たときに、やっぱり農振法の話が出たりしているんですけれども、先生の話を聞いていると、やっぱり農振法と農業政策と。例えば自給率の問題とか、農地の確保の問題が国策として、全然整合性が取れてないような気がしてならないんですが、先生は政府の中におられて、国家政策の農業政策で矛盾に感じられていることはありますか。

○昆 吉則氏
 まさにその自給率問題が典型的です。実は日本の農業政策の根幹に、基本政策の中に自給率を高めることというのが政策として入っております。
 ただし、この政策は、かつてからあったわけじゃないんです。今、5年に一度変えられることになっているんですが、前々回に、それを決めるとき、自給率を問題にするのは消費者のはずなんですが、農業団体の側の圧力から自給率を高めることということを、その中に書き込めという強力な圧力がありまして、そういうことの中で、そういうのが出てきたという経緯がございました。私は、その委員会の中にいたわけではないですけれども、それは事実でございます。
 例えば、静岡県が典型でございますが、かつて、どこの地域も米が主体の農業であったわけですけれども、米をやめていった静岡県は、自給率を落とす農業をやっていらっしゃるわけですね。野菜をつくったって自給率は上がりませんから、ほとんど。あるいは畜産も、えさを買うということで、ほとんどは自給率に換算されません。ところが、その農業が、日本の中では健康な農業として成長しているわけです。選択的拡大というのは、まさにそれを進めたわけです。
 今、自給率というお話をされましたけれども、今、問題になっているのは、カロリーベースの自給率ということがございます。カロリーベースの自給率ということが語られ出したのは、そんな昔のことじゃございません。米の自由化をアメリカから求められたころ、あのころからなんです。それこそ選択的拡大を言ってるときに、カロリーベースの自給率は、そうすれば下がるのは承知でも、国としては、それを進めろと言ったんです。そのときは、金額ベースの自給率が問題になったわけです。そもそもカロリーベースの自給率というのは、世界の中で日本だけが問題にしていることでございます。
 例えば、日本の農林省は、イギリスの自給率は40%ぐらいから70%に上がったとか、オーストラリアが200%だとかいうことをいろいろ出します。あるいは、それぞれの国の農水省が出している数字じゃなくて、日本の農林省が、FAOの統計から計算して出している数字なんです。だから、イギリスの人に、おたくの国の自給率は幾らですかと聞いてもわからないんです。日本人が決めてるんですよ。なぜ決めているのか。今、減反政策を含む農業保護というのが、米の自給率を高める。穀類の自給率を高める。確かに穀物の自給率は25%ぐらいしかなくて、低いのは事実なんですけれども、それを高めるということが農業族といわれる人々にとってメリットがあるわけですよね。そこにお金を集中できるわけです。そういうところから出てきているわけでね。その中で語られている、今のカロリーベース自給率というのは、我々が消費する、しているとされる、供給されてる。先ほど我々の消費カロリーは終戦直後よりも低いと申し上げましたね。でも、農林省の自給率のベースになっている供給カロリーというのは2,600カロリーぐらいあるんですよ。2,500幾らカロリーがあるんです。それは何かというと、日本の国産のカロリー、それから輸入されるカロリーの。そして、少量ですけれども輸出したものを引いたものですね。それが分母になっているわけです。それを我々が消費していると。でも、消費しているという2,600カロリーって、私実は1,900カロリーぐらいですよと言いましたね。1,800幾らですよと。実は、そこにはコンビニで時間切れで捨てられてしまうもの、あるいは昔であれば、てんぷらをしても、その油を何回も使ったでしょう。でも普通の家庭だったら、てんぷら1回で捨てちゃいます。油は物すごくカロリーの高いもんでございます。あるいは外食でもどこでも、弁当でも何でも、終わったものは捨てております。
 いい例が、私、高田馬場に住んでおるんですが、高田馬場の公園の青いテントで寝ている人たちが、成人病だったりするわけですよね。日本の社会って、そういうことの中だと思うんです。そういうことを分母にして、いざ一朝ことがあったときに、我々が食えるだろうかという恐怖をあおっているのが、今の食料自給率の議論だと思うんですよ。本当に、もし我々が飢えたとしたらですよ。てんぷら油を捨てるだろうか。あるいは期限切れだ、賞味期限切れだっていって、まだ、食べられるのを、においもかぎもせずに捨てただろうかと。実はそういうことを考えてみると、これは数字のトリックにすぎませんよと。むしろその結果、農業がみずから自助努力で努力していくことよりも、安楽な場所、むしろ私は、今の農業政策というのは安楽死政策であると。守られて安楽死するよりも、我々にある可能性をもっともっと見ようじゃないですかと。実はですね、私、今回、呼ばれた最初のきっかけは、私どもの、私のスタッフである浅川芳裕という、私どもの専務が、私どもの主張を1つの本に書いたんです。日本は世界で5位の農業大国ですと。「食料自給率の嘘」という本を出しましたところ、農業の本としては信じられないことですが、既に10万部売れているんです。それぐらい関心が高いんですね。
 そういうことの中で、皆さんがどうも、今、言ってることおかしいぞと。みんな思い始めているんだと思うんですよ。食料自給率というストーリーが一番典型的におかしいぞと。だから8兆円という日本の農業の生産額というのは、世界の国々でいうと、世界で5番目ですよ。先進国の中では、世界で2位ですよ。日本は農業小国じゃないんです。それなのに海外に依存していると。カロリーベースでは依存しているかもしれません。でも、先ほど言いました金額ベースだったら、ヨーロッパの国々のほうがよっぽど海外依存度は高いんです。日本はカロリーベースということでいうから高くなっているということ。ぜひ、今ここで話す、あれないですけれども。日本は世界で5位の農業大国という、あるいは私どものホームページをごらんいただきますと、そういうデータがごらんいただけますので、自給率のことについては、そういうことで御理解いただければと思います。

○中沢委員
 どうもありがとうございました。

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