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委員会会議録

質問文書

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平成26年11月次世代人材育成特別委員会 質疑・質問
質疑・質問者:仁科 喜世志 議員
質疑・質問日:11/17/2014
会派名:自民改革会議


○仁科委員
 限られた時間の中で、御説明ありがとうございました。
 結論的に先生が言われたのは、学校の先生の本来のやるべきこと、折衷案のような形もありましたし、地域で支える、指導してくれる人がいるかというようなお話だったと思うんですけれども、自分の子供が小学校のときに、子供会という活動がありました。今もあるんですけれども。
 子供会は、地域でハード的なものは学校の施設を借りたりしているんですけれども、内容的には女子にドッヂボールがあったり、ミニバスがあったり、男子にはソフトボールがあったりして、学校が抱えているというより、親御さんが支えたり、指導する人は地域の人が支えているんですね。
 子供さんたちに参画の自由があるんですけれども、やはり今の子供って、言葉は悪いんですけれども、ある程度どうと誘いをしなければ参画もしないという。好きか嫌いかというのは参加してみて初めてわかるんだと思うんですけれども、何か子供の意思というか、親御さんの意思も入っているのかもわかりませんが、なかなかそういうものに参画できない状況がありますよね。
 そうしたときに、指導者はそんなプロ化でなく、遊び感覚があってもいいんですけれども、今の子供は、声の投げかけをしてやらないとなかなかそういうところに意思表示を示せれない、親御さんのほうも、そういう時間の融通がきかないという部分があるんですね。
 地域で支えるというのは、実際にどのような部分で組織化というか、支えが必要なのかというのを具体的に少し事例でも紹介していただければと思っています。

○大野木龍太郎氏
 子供会の実情というのが出まして、実際に今、子供会の組織自体を成り立たせるのが大変になっている地域が多いんですね。なぜか。それは、もう本当に子供たちにとって、ほかにやりたいものがいっぱいある時代なんです。
 私たちの子供時代はスポーツ少年団がちょうどできて、僕は57年生まれなんですけれども、浜松でスポーツ少年団ができたのが中学ぐらいになったときなんです。まさに子供会とかインフォーマルな子供同士で遊ぶ社会をつくりながら、遊ぶことができていた時代なんですね。だから、そういう時代に大人たちが仕掛けをつくらなくても、私たちにとっては、逆に言えば遊ぶものがなかったがゆえに遊ぶことができたんですね。
 それを考えてみると、今の子供たちがどこまでできるのかと。要するに、さっき声の投げかけとか、きっかけをつくってあげないと子供たちって、そこに対してコミットできないんじゃないかと。もう本当にそのとおりなんです。僕らの時代はそれが異年齢の関係の中で分かち伝えられてきて、自分も文化を享受できていたんですね。例えばこまもそうですし、それから草野球もそうですし。そう考えてみると、子供期の再発見なんです。
 今言ったように、子供会が、何かしてあげなきゃいけないという感じで、子供たちに遊ぶ場所、遊び方とかあらゆるものを、言ってみればお客さんにするという発想でずっときていて、子供たちがそれに見向きをしなくなってきた部分があると思うんですよ。子供たちにとっては、そこにやってはいけないことがいっぱいあり過ぎて、どうせこれやってもだめでしょみたいになって、最初からやっていい条件を言ってくれよと、そういうふうになるわけです。
 子供たちの本来持っている自由闊達な遊びたいという心を思い切り出せるような場というのは、やっぱり大人が今もある枠の中からはみ出したような発想をしていかないと、そういう場所ってつくれないんですよ。
 私が事例として1つ紹介したいのが、富士市に、ゆめ・まち・ねっとの渡部さんがやっている冒険遊び場づくりという活動です。これはどういう活動かというと、申し込み不要、参加費無料なんです。今の状況の中で、親が子供の活動に対して申し込みをしないでいける場所って、ほとんどないんですよ、実は。何かけがしたときどうするんだよとなって。冒険遊び場の基本的なスタンスは、自分でやったことは自分で責任をとるということで遊びましょうということなんです。
 今の枠の中で考えるのではなくて、本来子供だったらそう考えるよなというふうに考えたときに、その場所を守ってあげるのが大人の仕事だと思うんです。だから、こうやっちゃいかんぞではなくて、ここまではやっても全然いいんじゃないの。そういうような、言ってみれば遊びという1つの段階が、幼児期から小学校もそうだし、中学校もそう、もちろん中学校になって遊びというのはなかなか少なくなっていると思うんですけれども、その部分が今、やせ細ってしまっている。さまざまな活動への子供たちの、例えば人間関係の問題とか、それから意欲の問題とか、それから、怒りをどういうふうにコントロールするかというような問題、そういった問題に対して、子供会が本当に応えられるのかといったら、多分そういう部分では無理だと思うんです。
 そうではなくて、今言ったように、今の子供たちのそういう発想の中で、何が大事かなと考えると、地域の中でも子供たちをもう少し自由に、いいじゃないかと、これぐらいのことは俺たちだって幾らでもやってきたじゃないかと。でも、そこを放任じゃなくて、1つの見守れるようなかかわり方というのが、今大事かなと。
 でも実は、それってすごく難しくて、外国でプレーリーダーになるには、大学で学童保育とか保育士の資格をとるぐらいに勉強しないとだめなんですよ。日本はそういう意味では、子供の遊びなんかに学問は要らないよという感じでしょう。そうではないんですよ。今の子供たちの心理とか、置かれている社会的な状況というのはどうなっていて、今どうすることが大事かということをきっちりと考えながらやっていく。
 だから、子供会というのはそういう意味で、むしろ子供よりも親のための組織になっている。でも、逆に言えば、親同士が仲よくなってくれればいいのに、親同士も高学年になると、誰が世話人やるんだといってみんな抜けてしまうような。何かやっていて親も楽しいなと思えるような、そういう活動。子供に何かを与える活動じゃなくて、子供会を通して親同士がつながって、いや何かおもしろい、お互いに泊まりっこしようぜとか、さっき言ったようにきっかけの場として、子供会がお互いのプライバシー中心の世界に少し風穴をあけていけるような、何かそんなように子供会の考え方も時代に合わせて変えていかなくてはいけないんではないかなと思ったんですけど。

○仁科委員
 ありがとうございます。
 子供会というのは、かなり親御さんに負担がきているものですから、今、先生が言われたような背景というのは承知しているんですけれども、ただ、子供のほうからいくと、地域の子供と遊んだことも余りないし、そういう部分では遊びを通してでもスポーツを通してでも、地域の子供さん、周辺の近隣の人たちとの知り合いとか、そういう部分ではかなり重要なものの1つなのかなとは感じております。

 それから、もう1点お伺いしたいのは、高校の同好会云々という話があり、遊びとして見ているという言葉もありました。中学も高校も勝利至上主義ではないんですけれども、部活動って学校で1つで、私も高校のとき運動部に入っておりました。まず早朝練習から。時間はほかのものをやる余裕はありませんでした。だからといって、私自身の考え方だけかわかりませんけれども、特別それが窮屈だとか、上からの押しつけだとか、そういう感覚はなかったですね。人それぞれと言われちゃうとあれなんですけれども。
 高校でも中学でも、最初に入ろうとするのはやはり本人の意思だと思うんですね。意識を持って入ってみて、こんなはずではなかったという感じ方もあるのかもわかりませんけれども、結果がレギュラーであろうが、補欠であろうが、それをやり通していくところに価値があるように、先生方もまたそのように教育指導をしていくという部分が私は大事だと思っているんです。ただ、意識的にその3年間を振り返ったとき、中学から高校に入ったとき、あるいは高校から大学に入ったときに考え方が変わるのかもしれませんけれども、個人的な考え方、捉え方はあると思うんですけれども、どうなんでしょうか。

○大野木龍太郎氏
 実は東京のある私立の学校で、すごく生徒たちの自治活動を重視している学校があるんですけれども、でもその学校は部活がすごく弱かったんです。公立から来た先生がいて、これっていいのという話になって、要するに、うちは生徒会活動を充実してますから、部活は子供たちに好きなようにやらせてますと。だから週3日しかやってませんって言うんですね。それは勝てませんよね。それは、先生がそういうふうに思ってたんですよ。
 だから、僕がさっき言ったように、全ての子供たちがみんな試合に出て勝ちたいと思ってやるわけではないということと同じなんですけど、では週3日の中で後の3日はみんなどうしてるのという話になったときに、それは自分のやりたいことやっていると。
 だけど、もし勝ちたいと思ったときに、その後のあいてる日をどういうふうに使うかというのは、子供たちが考え出すんですね。それはなぜかというと、自分たちでやっているから。学校という全体の決まりで、ここの学校は、授業とか特別活動を大事にしているから、部活は3日しかできない。3日間はチームでやる活動だと。では後の残ってる日は、個人的な自分でやるトレーニングに充てようぜということで、初めて自分たちで一つ一つを計画設計していくわけですね。
 そういう中で、いや負けたっていいんだと、俺たちもともとほかのチームよりも練習時間も少ないし、部活、期末テストの前1週間は休みになるしといって、いろんな条件をつけて、結局自分の負けを正当化していたのを、いやそうじゃないんじゃないかと。自分たちがもし強くなろうとしたら、この限られた条件の中でどれだけのことができるかというのをやろうぜというふうになって、そこからさまざまな改革が始まるんですね。
 私が思ったのは、そういうときに、さっきやり通すということの大事さもおっしゃったんですけれども、今ある環境の中で、どうやったら最大のパフォーマンスがつくれるかなということを自分たちで考えていくことによって、試合をやったときに、途中まではすごくいい試合ができてるけど、結局うちらは最後になると負けちゃうよな。何が足りないんだろう。やっぱり体力だよな。これが続けばきっといい試合できるよなといったときに、その学校の生徒たちは何したかというと、学校のところにすごく急な坂道があるんですね。そこを坂道ダッシュでみんなで練習しようぜと。
 そういうように、何か同じことを、顧問の先生がおまえらに足りないのはこれだって言ってやるのと、自分たちがやってみて、いや、これが一番俺たちには足らないよな、これどうやったら克服できるかなというようなことをみんなで考えて、一人一人体力の問題は違うんだから、各自で目標を立ててやろうぜとか、そのように、大きな枠の中でいつも全員が同じようにやるという部分だけではなくて、一人一人が自分の問題としてスポーツを考えていけるような、そういう環境に立ったときに、能動的にスポーツにかかわれるようになるんではないかなと思ったんですね。
 だから、やっぱりやり方だと思うんです。その顧問の先生たちもそういうように考えさせるということをやってきたと思うんです。おまえら、3日しか練習する時間ないんだから、その3日何をしたらいいんだろうと、それ以外のときはどうするとか。そういうことをきちっと子供たちが納得していけば、今の子供たちって逆に、僕らのときよりも動くと思うんですよ。でも、そうじゃねえんだと、俺の言うとおりやっていればいいんだみたいに、監督、顧問の言うとおりにしていればいいんだみたいな、そういう発想って、今の子供たちって小さいときからそういう指導できてないんですよ。子育てもそうでしょう。だって、頑固おやじがいるわけではないし。
 そうすると、やっぱり、今の子供たちに合った物の考え方の中で、スポーツだって、禁欲的に1つの目標に向かって自分を高めていくというようなことを、自分が主体的にできるような、そういう環境ってつくれるんじゃないかなと思っています。それは、同好会的な発想にもつながるんではないかなと思うんですよ。だって、そういうふうにチャンピオンシップで自分が勝負したいという子もいれば、いや自分はそこまでは求めないという人もいるし、だからそこは、それに見合う受け皿をできる限りつくっていけるような、そういう柔軟性が欲しいなと思っています。

○仁科委員
 高校のときの経験を言うと、体育部をつくったんですね。サッカー部というのを。それは体育の顧問もいたわけではなくて、好きな人間がクラスを横断的にかけ合いながら、途中まで同好会でしたけれども、ようやく先生方がこっち向いてくれて。顧問は兼任でしたけど。今でもやれるところは、結構主体的にやっている部分というのはあるんではないのかなと思うんですね。
 確かにチャンピオンシップというか、上を極めていくところは、先生の言われているところが結構あって、聞くところによれば、長距離の駅伝なんていうのは、食べ物まで家庭まで入っているということも聞きますけれども、大半の部活動というのは、中学でも高校でも、それは確かに決められたものの中ではやってると思うんですね。ただそこに、一人一人のスキルアップもありながら、チームワークを高めていくという部分もあったり、そういうところというのはかなり部活動で与えられている、また本人が会得する部分というのは、貴重で大事なことだとは受けとめているんですけれども。
 誰だって統一のルールでやったときに、週に3日間の練習日であったとしても、その中で勝つためにはということで、同じ言われたことでも、一人一人はそれを受けとめて考えながら対応していると思うんですよね。
 ですから、このスポーツというのを部活と一緒に取り入れて考えていくと、私たちの委員会は次世代の人材育成ですから、与えられているスポーツ環境と次世代の育成にとって、先生が言われた指導者の部分、地域で支えていくという部分、先生方の激務という部分もあって。ではこれから、県のほうの課題として、先ほどの教員数の話だとか、あるいは民間の話という部分も触れていただきましたけれども、もっともっと先生方って忙しくなっていく気がするんですね。
 そうすると、次世代の育成に、スポーツ環境からの切り込みというか、どのようにアプローチをしていけばいいのか。私は、スポーツは生きていく上にはとても大事なことだと思っているんですけれども、それが中学校では部活動でしかないのかもわかりません。高校でもそれしかないのかもわかりませんけれども、それはそれで、与えられている子供はそれなりに意識を持ってやっていると思うんですけれども、そこの考えをいただきたいんですけれども。

○大野木龍太郎氏
 次世代にどういう人を育てていくかということにつながると思うんですよ。かつてはそういう学校体育が企業戦士を支える、まさに体力づくりと、部活動はどんなことがあっても耐えられるような、言い方は変ですけど、従順な精神をという部分があったわけですよ。
 今はそうではないだろうと。自分にとってこのことをやることが、自分を犠牲にするということではなくて、自分も育つし、会社もチームも育てていくという関係で捉えられるようになっていってほしいなと。そういうことは多様性だと思うんですよ。いろんな考えを持った人たちがいる。スポーツ、部活も当然そういうチームワーク、ハードワークの中で育つ部分もある。しかし、いろんな子たちがいることを大事にしていくような考え方も、このスポーツを通しても育っていってほしいと思うんですよ。多様性。だから私が言ったように、富士山型ではなくて八ヶ岳型。
 例えば、いろんな頂点があっていいんじゃないかと。ドイツのほうは、最終的にはチャンピオンシップとなってはいるけど、非常に多様なものがある。だから障害者のスポーツなんていうのも、全く違和感なく位置づいている。みんなスポーツをする権利があるんだよ。みんなが楽しめる権利があるんだよ。ある特定の同じ考えを持った人しかこの部活は楽しめないんだよではなくて。
 そう考えてみると、先生の経験はすごいなと思ったのは、自分たちでつくったのを認知させていくわけですよね。俺たちこんなにスポーツ好きなんだから、きちんと学校活動として場所も提供してほしいし、できればそういう部として認めてほしいというふうな。これが本来はスポーツ部活の原点だと思うんですよ。先生がやってこられたことが、まさに、生涯スポーツになるときには必要となってくるんですよ。
 学校までは枠があるからできるけど、一旦社会人になっていくと、そういう自分たちでスポーツをつくり出していくという、そのための組織運営する力とか、自分たちに足りないものがあったときに、誰とどういうふうにしたらいいか、そういうことを考える思考を持った人たち。これから私たちは、スポーツをする・見る・支えるという言い方で、今まではスポーツはするものか見るものかどちらかだったが、そうではなくて、支えるという言い方もあると。私たちにとってはやっぱり多様な、いろんなスポーツの楽しみ方があっていいし、ただそれが今の学校では、自分たちで部をつくるという発想自体を前提に考えてない部分があるので、まずはそういう部分で子供たちが自分たちでやる環境をつくるなんていうことを、先生がおっしゃってくださったような形で。
 クラブ活動というのは本来そうであって、例えば日本の部活動って、運動部のことばっかり問題になるじゃないですか。だけど、戦後の部活動って出発したときは、教科研究部からスタートしているんですよ。要するに学校の授業でわからないことや、もっと調べたいなということがあったときに、それを部活動としてやりましょうという。ということは、いろんな教科の、理科部があってもいいし、算数部だってあったっていいし、それは大学受験につながるものという発想ではなくて、本来学校教育というのは、興味関心をどんどんお互いに広げていって、それを今度は自分たちで一緒に追求する仲間をつくって、一緒にそれをやっていくような、そういう環境をつくっていくのが、まさに生徒会活動としての部活動じゃないかなと思っています。
 ということは、先生がやられたような同好会からスタートして、この学校にあるどこが代表するんだというのを、同好会の部でみんなで試合をして、1位になったところで決めようじゃないかというようなことが、本来はあってもいいわけで、みんなが同じようにやれれば。でも残念ながらそれは、今の状態ではまだ非常に希少な例で、先生の実践があったということもきょう初めて聞いたんで。
 僕が高校時代にやっぱり同好会をつくったのがありました。それは例えば、性別によって女子のバレー部がなかったと。女の子たちがバレー部をつくりたいというのでつくったんだけど、結局どこで練習したかといったらステージでやってたとかね。それから外でやったとか。それって本来はスポーツを楽しみたいという権利からすれば、生徒会が間に入って、これだけ要求が出ているんだけど、どうやってみんなでうまく使うというふうになるはずが、もう特権ですよね。学校にある1つしかないバレー部がいつも使っているんだから、おまえらそれ以外のところでやれみたいに。やっぱり、そういう私たちにとって既得権みたいなものが学校の中にある。それは学校を代表しているんだから当たり前だというような発想。でもそうではなくて、やっぱりもう少しそこを柔軟に考えられないのかなというふうに思っています。
 部活そのものをなくすとか、社会体育にしたほうがいいというのは、先生たちの今置かれている状況を考え、どれだけ先生たちがこの部活動にたくさんエネルギーを注いでいるのかということを、一旦はみんな社会で認知すべきだと。こんな大変なものを、ではどういう環境でどうしていったらいいかというのを、先生たちが本音で言えるような場をつくってほしいなと思うんです。
 部活動を熱心にやりたい先生もいれば、今の学校教育に必要だと思ってる先生もいるし、でもできれば自分は、これだけの公務を持ってるんだから、ちょっと外してほしいなとか、いろんな先生がいていいわけで、それを先生たちが気持ちよく学校教育の中でできるための教育条件って、そういう意味では人をふやすというところが大事だと思うんですけれども。相変わらず財務省も40人に減らしても大丈夫だみたいにね。では30人に減らしてみたら大丈夫だって何で言わなかったのかなとか思うんですよ。35人でだめなら、30人にしてみたらどうかなと言えばいいのに、何で40人になるのかなっていうのがわかりませんけど。最後は少し蛇足です。

○渥美委員長
 そのほか。特にスポーツ教育、あるいは部活動についての御発言をお願いしたいと思います。

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