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委員会会議録

質問文書

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令和3年2月定例会建設委員会 質疑・質問
質疑・質問者:鈴木 利幸 議員
質疑・質問日:03/09/2021
会派名:自民改革会議


○鈴木(利)委員
 では、一括質問方式で、質問を1問させていただきます。
 防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策等を踏まえた本県の治水対策について伺います。国土強靱化5か年加速化対策については今議会の代表質問でもありましたが、改めてお伺いします。
 私どもも国土強靱化の3か年緊急対策の継続等を国に要望してきたところでありますが、今回防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策として激甚化する風水害や大規模地震への対策、施設の老朽化対策などが位置づけられました。先議により承認された補正予算は近年まれに見る多額の予算であったことに加え、我が会派の要望を踏まえて創設された緊急治水対策事業などによりきめ細かな対策が進められたと思います。5か年加速化対策の補正予算から令和7年度までの間で、集中的な整備により本県の治水対策は飛躍的に推進されると考えられます。
 そこで、防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策等を踏まえた今後の治水対策について取組をお伺いします。

○光信河川砂防局長
 防災・減災、国土強靱化のための5か年加速化対策を踏まえた本県の治水対策の推進についてお答えいたします。
 国では、激甚化、頻発化している豪雨災害に対して流域治水の考えの下に、河川整備はもとより流域のあらゆる関係者で水災害対策を推進する方針を打ち出しております。
 本県におきましては、七夕豪雨のときから静岡市を流れる巴川で総合治水対策、浸水が頻発する河川においては豪雨災害対策アクションプランなど流域の関係者と一体となった治水対策を進めてきたところでして、今回の流域治水は今まで本県が取り組んできたものを強力に進める取組だと考えております。
 これまでは、流域に対策をお願いすることについて、ややもすると河川整備が進まないから代わりに流域にやってもらってるのではないかと考える方がいらしたかのように感じておりましたが、今回委員の皆様方の後押しで3か年緊急対策に続き国土強靱化の5か年加速化対策が進められることになり、治水対策の根幹となる河川整備を強力に進めることができると考えております。
 この取組については、先議頂いた補正予算を含めて1年目となる令和3年度の事業をしっかり進めることが重要と考えておりますので、まずは事業の進捗管理を行ってその取組をしっかり進めることにより本県の防災・減災、それから県土の強靱化に努め、県民の安全・安心の確保に努めてまいりたいと思います。

○鈴木(利)委員
 ありがとうございます。
私も減災に関しては、災害が起きるまでにいろいろ計画して予防対策をすることをもう五、六年前から話してるんですが、うちの県は防災については全国でも一番最初を走っており、それに加えて計画的にやってきたので大きな災害が出なかったのかなと思っております。公共事業ノーとか言って真に受けてやっていない県は、大雨降って堤防なんかも決壊したんですが、うちの県はそういったことはなく、やはり計画的にやっていくことが必要かなと思っております。
 災害が起きてからでは相当なお金がかかります。その前に計画的にやっていただきたいなと思っているんですが、去年、今年と箇所づけがたくさんつきまして本当にびっくりしております。私が議員になってからこんなについているのはないんじゃないかと思っておりますが、県の安全・安心を守るための事業でございますので、胸を張って事業を進めていただきたいと思います。

 それでは最後に、この委員会の説明者から本年度末で御勇退される方が6名いらっしゃるので御紹介させていただきます。
 交通基盤部長の長繩知行さん、交通基盤部理事交流・通商担当の杉山雄二さん、交通基盤部理事高次都市機能担当の戸塚佳寿好さん、交通基盤部理事地域交通・景観担当の小澤伸行さん、交通基盤部参事営繕担当の長田真史さん、そして交通基盤部参事設備担当の石田高久さん。以上6名の方が本年度末をもって定年を迎え、退職されます。この6名の皆様方におかれましては、これまで本県の発展に様々な形で多大なる御貢献をされましたことに心から改めて感謝と敬意を表したいと思います。ありがとうございました。これからも静岡県のさらなる発展に御尽力頂くとともに、今日までの豊富な経験と見識を生かし新たな道を歩まれるよう御期待いたします。
 それでは、せっかくの機会でございますので皆様方から今ここにいる後輩の職員、また我々県議会議員に対してこれまでの貴重な経験を踏まえ、県行政に対する所見や思い出など後輩に贈る言葉などをお話し頂ければと思います。
 順序は長繩交通基盤部長、杉山交通基盤部理事、戸塚交通基盤部理事、小澤交通基盤部理事、長田交通基盤部参事、石田交通基盤部参事の順でお願いします。よろしくお願いします。

○長繩交通基盤部長
 ただいま、2番委員から身に余る温かいお言葉を頂戴いたしましてありがとうございました。また発言の機会を頂きましたので、後輩に向けて一言申し上げたいと思います。
 まず約1年前ですけれども、私が部長になると決まってから4月1日を迎えるまでにやったことを御紹介させていただきたいと思います。
私は、部の全員に対してメッセージを出したいと思っておりました。それは私の先輩のある部長が4月1日に全員にメッセージを出していたからです。こうあるべきだという姿を打ち出して、そのためにどうしたらいいかといったものがメッセージの骨格だったと思います。それが非常に印象に残っておりまして、私も同じようにしたいと、最初の動機はそのようなわけでした。
 そのメッセージはA4、1枚になっちゃいますけど要点だけ御紹介させていただきますと、私が描いた交通基盤部こうありたいという姿は、1人1人が伸び伸びと仕事して、良い影響を及ぼし合ってお互いを必要とすると、そのような部の姿を打ち出しました。その姿に一歩でも近づくために大きく4つの項目を示しました。その最初は健康第一。良い仕事は体と心の基本からということでございます。次は仕事の基本はよいコミュニケーション。これは風通しのよい職場づくりを意味します。次は自分でしっかり考える。これは仕事のやり方を言ったものです。最後が失敗に学ぶ。仕事は楽しむということです。この4本柱はそれぞれに具体的な例を挙げながらメッセージとして発出したんですけれども、それまでの長い経験の中でいろいろな先輩方から言われたことを私なりに整理してお伝えしたものです。
 こういったことは本当は繰り返し言ったほうがいいのかなとも思うんですが、あまり言い過ぎても嫌気が差すといいますか、そこら辺がちょっと難しいところがありまして、その点例えば私の前任者である宮尾前交通基盤部長の場合で申し上げますと、中学生にも分かるように説明しろということを度々おっしゃっておりました。ほかにも何回か繰り返す言葉はあったんですけれども、1つの力強いメッセージというのは、いろんなところに通用するんだなと思ったりもしております。
 例えば、中学生とはだんだん分別がついてきて世の中のことが分かってくる一方で、親に対していろいろ反発したいと。そのような中学生が納得できるように説明するには、まず国語としては易しい言葉を使わなきゃいけない。加えて我々が当たり前と思っていることでも素朴な疑問はいっぱいあると思うんですね。そういったことにちゃんと答えられるように素朴な疑問を持って、それに答える力がなきゃいけないとか、メッセージの出し方によっては長短いろいろあると思いますけれども、最後に残したい言葉としては先ほどの4つの中の最後の柱、失敗に学ぶと同じことになりますけれども、反省する力を養ってそれを成長する力につなげてほしいと。これを残したいなと思います。
 この1年間、委員の先生方には大変お世話になりましたけれども、いろいろ反省点はあったと思います。それを言われっ放しにするのではなくて、しっかり次へつなげることを毎年積み重ねることがいい組織として継続していくために大変重要じゃないかと思います。その反省をする際に、誰かがこうしたからこうなったと考えるとまた同じことを繰り返すことになりますので、あのとき自分がこうしていればこうなったんじゃないかと自分の身を置いてみて反省することは、人の失敗であったとしても自分の失敗に置き換えることができて学ぶことがたくさんあるんじゃないかなと、反省の力を養って成長に変えていくことを残したいと思います。
 今後は、あと半月ぐらい交通基盤部長としてしっかり最後まで職責を果たしてまいりたいと思いますけれども、私はもともと伊豆の伊東に生まれ、父親は浜松の出身でして、静岡県を東へ西へ行ったり来たりしているうちに静岡県に愛着が湧いて今の職に就いたこともありますので、これからにつきましても何らかの形で静岡県のお役に立てるような仕事をしていければいいなと思っております。
 議員の皆様におかれましては、引き続き御指導、御鞭撻を頂戴できますようによろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

○杉山交通基盤部理事(交流・通商担当)
 改めてこのような時間を頂きまして、誠にありがとうございます。
 部長の後で非常にしゃべりづらいんですけれども、私の公務員生活を振り返って述べさせていただきたいと思います。
 私は、昭和58年4月に港湾課技師として入庁して以来38年間になるんですけれども、その後約3分の2の21年間は港湾、漁港に携わってまいりました。このように長い間港に携わったわけですけれども、30代前半まではとにかく早く港を離れたくて毎年のように勤務意向調書に道路とか河川、いわゆる我々技術職員が俗に言う一般土木への希望を書いて、毎年書いてんじゃねえかと上司を非常に困らせていました。理由は単に港湾は事業費が少なくて目立たないと、今考えると本当に呆れてしまう理由でした。
その後30代後半になってから、実は港って面白いんじゃないかとか、ちょっと頑張ってみようかと思い始めたのが、ちょうどその頃公共事業費全体が縮小するとしておりまして、従来港湾は工業社会への寄与で、人を置き去りにして製造業を中心に「行け行け、どんどん」でやっていたと。それが暮らしを重点にする港づくりに大きく転換されまして、港っていうのはまちづくりにも貢献できるのかなと。地域が一緒になって頑張れば、何か格好いい将来像も描けるのかなと遅まきながら気づいたということです。
 そして今、私は退職するまでの8年間は港湾局の幹部職員としてこの思いを胸に、そして港湾のエキスパートでもあります難波副知事の厳しくも温かい御指導の下、例えば沼津港みなとまちづくり推進計画や清水港のウオーターフロント地区の開発計画、そして先ほど御質問に答えました清水港の港湾計画などの計画策定を行ってまいりました。特に清水港の港湾計画は17年ぶりの全面改定で、港湾課技師として入庁して退職する最後の年に改定作業に携われたのは、何かやっぱり港をやるために県に入ったのかなと思っております。
 ただ、計画とはそれを実現しなければ意味をなしません。先ほど私が申し上げた携わってきた計画もまだまだ途中ですので、それにつきましては後輩職員が引き続き早期実現に向けて取り組んでいただけることを期待しております。
 最後になりますけれども、38年間勤めることができたのも同僚や後輩職員の協力、そして県議会議員の皆様方の御指導、御鞭撻のおかげでありまして、改めてこの場を借りて深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。(拍手)

○戸塚交通基盤部理事(高次都市機能担当)
 先ほどは過分なるお言葉を頂戴しまして、また本日は発言のお時間を頂戴しまして本当にありがとうございます。
 私も、長繩交通基盤部長それから杉山交通基盤部理事と一緒に昭和58年4月に土木技術職員として静岡県に採用を頂きました。38年間静岡県に勤めさせていただきましたけれども、お2人が川のスペシャリストそれから港のスペシャリストに対しまして、私は38年間に25回も人事異動があり、この交通基盤行政以外に企画部、商工労働部、危機管理部、国の外郭団体、それから市町村役場といろんなところでいろんな仕事をさせていただきました。
 それでも今振り返ってみますと、一番思い出に残っているのは今から8年前になりますけれども平成25年4月浜松市天竜区春野町で発生しました大規模な地滑り災害です。
 当時私は天竜支局長を務めておりまして、そのとき天竜支局で工事課長を務めていたのが建設技術企画課長の廣瀬でございます。杉川という川がありまして、その川の右岸側が大規模に地滑りを起こして下を流れる杉川を埋塞させてしまったという災害です。当時は全国ネットのテレビ中継等が現場に入り連日放送していただきまして、テレビ画面では廣瀬課長が毎日出ておりましたので記憶に残っている方々もいらっしゃるかもしれません。その災害を通して一番思っておりますのが、土木の力を本当に痛切に感じました。具体的には3つの力がありまして、1つは土木技術の力、2つ目が建設業者の力、3つ目が組織の力です。
 この災害が発生した翌日、天気予報で明日は雨と予報されました。埋塞した河川の周辺には人家もありましたので、すぐに川の水を流す仮設の排水路を造らないと周辺の人家は浸水してしまう状態にありました。結果から申しますと次の日には幅30メートル、長さ250メートルの大きな排水路を1日で掘り終えまして、無事に雨をやり過ごすことができました。
 実はこういった迅速な対応ができましたのは、最初の第1報はがけの上の茶畑に亀裂が入ったよという地元住民の方からの連絡がありまして、それを受けて地元の建設業者にお願いして毎日山の動きを見てもらっておりました。そうすると1日に1ミリとか2ミリとか山が動いているわけです。
この山が本当に崩れてしまうのか、いつ崩れるのか、崩れるとどうなってしまうんだろうかを当時考えなければならないことだったんですが、支局にあるいろんな地滑り関係の本を全部引っ張り出してきまして、その中に地滑りの発生日を予測する手法が1つ書かれておりました。早速それを使って、今の動きからいつこの地滑りが発生するんだろうと計算してみましたら、早ければ1週間後に山が落ちることが分かりました。じゃあどんなことが起きるんだろうと常にシミュレーションをやらなければいけなかったんですが、支局には当時全然資料がありませんでしたので、手元にあるのは1500分の1の平面図が1枚だけ。それを廣瀬課長に渡して、すぐに山が崩れたらどうなるか予測をやってくれと。彼は一生懸命その平面図からコンターを拾って、山の断面図それから下に流れる川の線を描いてここに亀裂があると。この山が崩れるとどうなるかについては、支局長、川が全部埋まりますという回答がすぐに返ってきました。
 来週山が崩れて川が埋まってしまう、人家はある、これは大変だと。じゃあ仮設の排水路はどこに掘るんだと。一応この辺りに掘ろうと現場で決めたのですが、ただ全部民間地ですのでそこの土地の所有者は誰か、連絡先の電話番号は幾つなんだということを全部調べておきました。
そうこうしているうちに、いよいよ山が滑って川が埋まってしまったわけなんですけれども、あらかじめ用意しておいた連絡先に全部電話しまして、申し訳ないけどこういう事態なので全部川を掘らせてくれとお願いしました。地元の建設業者にもあらかじめ、もしこういう事態になったら悪いけど重機、ダンプを全部出してくれということをお願いしておきました。地元の建設業者の協力もありまして、本当にすぐ現場に駆けつけて夜通し機械を動かしてくれまして、24時間のうちにその川を掘ることができたわけですけれども、住民の安全に関わりますので、こういった作業をするのには異常を発見してから24時間山の動きを監視しなければならない。山が滑った後でまだ山の崩落が続いておりましたので、引き続き監視もやっていかなければならないと。非常に人手がかかる作業がたくさんありました。
 1人ではどうにもならないんですが、土木事務所、それから交通基盤部の職員が全部応援に来てくれていろんな重なる業務――マスコミ対応だとか現場の対応、それから国との折衝とかにみんな力を貸してくださいまして無事に乗り切ることができました。これも土木の力があってこそだなということを本当に実感したのがその災害でございます。
 今後ともいろんな局面があると思いますけれども、こういった土木の力が引き続き本県に残っていただくことを祈念するとともに、本当にこれまでいろんな方々に支えられて無事に38年間を終え、退職の日を迎えることができることにつくづく感謝をしております。この場をお借りしまして大変恐縮ですが御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(拍手)

○小澤交通基盤部理事(地域交通・景観担当)
 2番委員から身に余るお言葉を頂きまして、またこのように発言するお時間を頂きましたこと誠にありがとうございます。
 私は、大好きな郷土の静岡のお役に立ちたいという思いで入庁させていただきました。37年間の公務員生活の中で、道路や都市を中心に仕事をさせていただきました。うれしいことはもちろん多々ありましたし、当時の道路は結構軍隊調でなかなか厳しかったものですから辛いことも多々ございましたが、辞めたいと思ったことはありません。この間ふるさとの社会資本整備を担うことができまして、本当に幸せだったなとつくづく思っております。
 県議会議員の皆様とは、道路の係長時代にスタートさせていただいております。当時の課長に連れられてかばん持ちで控室を出入りさせていただき、いろいろな考え方や仕事への姿勢、そして県土への熱い思いを含め多くのことを勉強させていただきました。本当にありがとうございました。
 この建設委員会ですが、本年度を含め6年連続でお世話になっております。委員会では本当に数多くの思い出がありますが、一番の思い出は説明者として初めてこのように起立して足が震えながら応答をさせていただいたときのこと。これを昨日のことのように鮮明に覚えております。
 後輩の皆様にとのことでございます。
 時代のニーズを的確に把握する感性とか政策を立案する技術力とか実行する熱意これらはもちろん重要ですが、私がつくづく最近感じているのはどんなに良い政策を立案しても、一方的に共有できるもんじゃないということです。まず県民の代表である県議会議員の皆様に御理解頂きまして、予算として決議を頂かない限り何も進まないことを肝に銘じてほしいということです。
 このため、先ほどの能力とは別にコミュニケーション能力全般を高めることや、時によっては議員の皆様の懐に飛び込み対話するぐらいの気概を持って仕事に携わっていただければなと思っております。今後は一県民として、後輩の皆様の活躍に期待をしておるところでございます。
 最後になりますが、今までこのような私に関わっていただきました議員の皆様や職員の皆様、そして県民の皆様に厚くお礼申し上げますとともに、これまで以上にこの交通基盤部への御指導それから御支援を重ねてお願い申し上げまして、私の挨拶とさせていただきます。長い間本当にありがとうございました。(拍手)

○長田交通基盤部参事(営繕担当)
 先ほどは身に余る御紹介を頂きました。ありがとうございます。
 私は昭和61年に建築職として県に入り、今年で35年になりました。
 県に入る前に、実は1年間東京のゼネコンに勤めておりました。ここで当時を思い出しますと現場をはうような仕事をしておりまして、県に入ってからいろんなすばらしい経験をさせていただいたと感じております。
 県庁に入る際の面接で私は、その前職の経験から営繕工事の仕事はなるべくやりたくないと、東海地震対策に貢献したいと言ったことを思い出します。ただこうして営繕部門で県職を終えることに少し運命のようなものを感じます。
 県に入って県庁に21年間、出先に14年勤めました。35年の間に特に印象に残る仕事は耐震化、地震対策に関する仕事です。
 平成27年度からの3年間、課長職として皆様御存じのTOUKAI―0の業務に携わりまして、平成14年にこの制度が開始してから10年間変えられなかった木造戸建て住宅に対する30万円の補助額を15万円割り増しする制度をつくることができました。
 一方で、その機会に本来やらなければいけなかった仕事として、避難路沿いの建築物の耐震化に向けた協議を在職中にまとめられなかったことが非常に悔しい思いをしました。ただ後任が翌年には達成していただいたということで、非常にその点について感謝しております。
 最も印象的な仕事は、静岡県地震地域係数Zs1.2の条例化に担当課長として関われたことです。当時優秀な先輩がおり、その条例化の実現を局内で宣言して各方面との協議をリードしてくださりまして、協議の方法や強引な説得やスケジュールの立て方などがとても私の勉強になりました。
 このZsのことを少しお話しさせていただきますと、地震地域係数Zsの義務化とは全国レベルの地震に対する建築物の強度を南海トラフ巨大地震や東海地震などの大規模な地震に耐えられるように、県内に新築する建築物は全国の1.2倍の地震強度となるように条例で義務化したというものです。建築の世界ではどの県もなし得ていない、全国に誇れる仕組みだと考えております。
行政指導でもありまして、規制強化となるその条例が義務化になった理由としましては、私が県庁に入る前から建築職の先輩方が、県内建築技術者の方々が官民を挙げて協力し合って東海地震対策に真摯に取り組んできたからだと思います。当時から努力義務ではあったものの、県内の建築に携わる全ての人たちが建物のオーナーの方に必要性を説明、説得、時には建築の窓口でけんか腰になりながらその指導を守ることを行ってきました。その賜物であります。
 条例で義務化を検討する時点において、90%を超える新築の案件が既に1.2倍を適用されていたことを見ても、どれほど皆様が努力されてきたかが分かります。先輩方に改めて敬意を表しますとともに、条例化に関わった全ての人に感謝して県庁の面接の際に考えていた地震対策に貢献ができたということを誇りに思います。
 令和2年度の最後の最後に令和3年度からの新たな建築管理局への組織改正、これに退職する年に携われたことも忘れることができません。ここに導いてくださった方々、それから関われた皆様に感謝いたします。
 これらの経験を通しまして、面接で営繕が嫌だと言った私が一言後輩に申し上げたいことは、置かれた場所で咲きなさいという言葉を贈りたいです。本人が嫌だと思ったとしても、その場で力を尽くせば道は開け、周囲の善意によって良い方向に導かれると、そう感じます。
 令和3年度から、新たな建築管理局に対する県民の皆様の期待に応えて、偉大な先輩たちがそうであったように後輩の皆様が建築技術者として一丸となって粘り強く組織的に建築に向き合っていただけることを期待しております。
 結びに、私の公務員生活が今日まで大過なくやってこられたのは、優秀な先輩方に引き上げられ、また優秀な部下たちに支えられてきたからこそだと感じております。そのことに感謝します。そしてたくさんの経験とよい機会を与えてくださった、この静岡県に導いてくださった県議会の皆様に感謝申し上げます。35年間誠にお世話になりました。ありがとうございました。(拍手)

○石田交通基盤部参事(設備担当)
 まず、このように発言させていただく機会を設けていただきましてありがとうございます。
 私は、昭和60年に機械職として県庁に入庁しました。機械職はかなりマイナーな職種ですのでちょっとなじみがないかもしれませんが、36年間で県有建築物の整備の仕事――営繕の仕事ですね、それから下水道の維持管理や建設の仕事、建築確認検査、加えて職業訓練指導とこんな業務に携わってまいりました。そのうち26年間が県有建築物の設備の整備に関与してまいりました。
 それぞれ大分趣が異なる業務ですので各分野においていろいろ思い出がありますが、26年間と一番長く携わった県有建築物の整備の中から印象に残っている業務についてお話をさせていただきたいと思います。
 平成7年に発災した阪神・淡路大震災です。ここが設備の耐震のターニングポイントになったのではないかと思っております。阪神・淡路大震災で得られた教訓としましては、大きく2つあります。
 1つは、それまで機器が転倒しないことや移動しないことを主体に設備の耐震対策を進めてきたわけですが、阪神・淡路大震災が都市型ということもあり非常に地震の入力値が大きかったこともございます。それに伴いまして、地震入力値をもっと大きなものに対して機器が耐震性を備えるように固定を強化するといった教訓が1つあります。
 もう1つは、阪神・淡路大震災以前には考え方がなかったんですが、都市型ということで外部のライフラインが相当期間停止しました。例えば電気で言えば1週間程度、ガスに至っては3か月程度、完全復旧するまでに時間がかかっている状況です。
 特に、県有建築物に求められる耐震性能としては当然構造耐震として建物が倒壊しないことが第一なんですが、防災拠点として建物が残った場合に災害応急活動をしなければならない施設であるということです。ライフラインが途絶したときに設備が停止しますので、機能を発揮できないという事例が阪神・淡路大震災で起こりました。極端な例では病院が機能しなかったということです。
それを受けまして、平成8年に防災拠点等における設備地震対策ガイドラインを策定しました。これは今の2つの教訓を踏まえて作成したものです。このガイドラインの策定に――ちょっと若かったので主担当ではなかったんですが――参加させていただき、大学教授などの外部学識からいろいろ意見を伺ってガイドラインを策定して、その後の県有建築物の整備を進めてきたところです。
 その後10年前に、東日本の大震災が起こり津波で想定を超える被害が出ております。このときも津波被害があったとして、建物が倒壊せずに残った場合にはその建物の津波被害がなかった階の機能を確保する必要があるということでこのガイドラインを改定いたしました。このようにその時々の情勢によって1つ定めたガイドラインであっても、見直しが必要になってくるということでございます。
 ほかにも、今日8番委員からの御質問に回答させていただきましたが、省エネルギー対策であるとか今後ますます強く求められていくのではないかと思っております。
 先ほど、後輩の皆様に一言ということでございましたが、今申し上げたように後輩の皆様にはこれまでの経験とかを柔軟に見直していただく姿勢、もちろん積み上げてきたものを継承していくことは非常に重要なことと思いますが、今までのことにとらわれず柔軟な姿勢で県政の運営に携わっていただければと考えております。
 最後になりますけれども、このように大過なく健康で県の職員生活を全うすることができましたのは、家族はもとより支えていただきました議員の皆様、それから上司、同僚の方に感謝申し上げたいと思っております。ありがとうございました。(拍手)

○鈴木(利)委員
 皆様からの思い出深い話を、どうもありがとうございました。
 最後に、これからは県民としてこの静岡県の行政をしっかりと応援していただきたいと思っております。よろしくお願いします。どうもありがとうございました。(拍手)

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