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委員会会議録

質問文書

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令和2年2月定例会産業委員会 質疑・質問
質疑・質問者:山田 誠 議員
質疑・質問日:03/10/2020
会派名:自民改革会議


○山田委員
 今年度も産業委員会最後の企業局についての質問も出尽くしたということで委員会の最後になりますが、年度末を迎え産業委員会の説明員の中で企業局においては松下企業局長と大場次長がこの3月をもって退職されると伺っております。長きにわたり県行政の推進に多大な御尽力されましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
 さて、松下企業局長に置かれましては、昭和58年4月に静岡県に奉職されて以来、37年の長きにわたり一般行政職員として県行政に携わってこられました。この間経済産業部商工振興課長、政策企画部西部地域政策局長、経営管理部西部支援局長、経済産業部理事新産業集積担当などの要職を歴任され、県行政の推進に多大な貢献をされました。
 平成31年4月からは企業局長として施設更新費用や年間運営コストの削減、収益増大などの経営革新に取り組むとともに、精力的な工法展開の取り組みなどにより多くの革新を企業局にもたらし、長期的展望に至った工業用水道及び広域水道の安定供給のために御尽力されました。
 また、企業の企業用地需要の多様化に迅速的確に対応するため、新たな工業用地整備モデルであるセミ・レディーメード方式を創生するなど、今後さらなる本県産業基盤の整備に向けた道筋をつけていただきました。
 さらに、台風19号による駿豆水道の水道管破断被害の際には災害対応の陣頭指揮をとり、工期短縮による早期の断水解消のために御尽力されました。
 大場次長におかれましては、昭和57年4月に奉職をされ、以来38年の長きにわたり一般行政職員として県行政に携わってこられました。この間交通基盤部管理局経理課、ふじのくに地球環環境史ミュージアム整備課長、ふじのくに地球環境史ミュージアム副館長などの要職を歴任され、平成29年4月からは企業局次長国内産業振興担当として国内産業振興プロジェクトチームを指揮し、富士山麓フロンティアパーク小山の企業誘致ではみずから先頭に立って県内外の企業を訪問するなど精力的に取り組んでくださいました。
 また、課題解決型タスクフォースでは、コスト縮減や収益増大のために多くの助言を行うなど企業局通算14年の知識と経験を生かし、後進の指導に御尽力されました。
 退職される皆様には、今後は健康に御留意されるとともに、これまで培われた豊かな経験と見識を生かし地域社会においても御活躍されることを御祈念申し上げます。
 御退任に当たりまして、これまで携わってこられた県行政を振り返り、後輩へのアドバイスなどがありましたら一言お願い申し上げたいと思います。よろしくお願いいたします。お疲れさまでした。ありがとうございました。
 
○松下企業局長
 2番委員には、今年度3月末で退職いたします大場次長と私に対しまして過分なねぎらいの言葉とはなむけの言葉をいただきましたことを厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 また、産業委員会の委員の皆様にはこのような機会をいただきましたことを心からお礼申し上げます。
 さて、私から皆様へのメッセージは3つございます。どうぞよろしくお願いします。
 親愛なる相坂委員長、尊敬する佐野委員、そして敬愛する産業委員の委員の皆々様、私からの最初のメッセージは感謝でございます。これまで37年間にわたり勤めてまいりましたが、この1年間は決して37分の1などではなく、その大半を占めるような極めてインプレッシブルな、私にとって忘れられない1年でございます。それは委員の皆様のおかげでございます。心から深く感謝しております。
 委員会の冒頭でも申し上げましたが、今年度の最大の成果はノウハウ集の案が作成できたことでございます。このノウハウ集は若手職員を中心としたタスクフォースによる創意工夫から出発し、それが委員の先生方皆様のおかけで全国の模範となる施策として官庁速報に取り上げられ、本社デスクから厳選の中に選ばれ、そしてそれが皆様のおかげで新聞、テレビのメディアへとつながりました。
 さらには、例えば革新的な資金運用では我々のところにとどまることなく知事部局の出納局の資金運用の高度化、高利回り化にも結びついたものと考えております。また全国からも多くの問い合わせがありました。発信によりこれほどの手応えや情報の集積につながったことは初めてでございます。委員の皆様方の会派を超えましてよい施策は応援する、そして積極的にPRして県庁内の施策がもう一段効果が上がるようにアドバイスしてくれるという新たな関係が始まったことを心から感じています。
 県当局の姿勢にも変化が生じました。財政課が今年度予算編成五カ条を出すとともに、当初予算における見直しのポイントを各部局長が当初予算復活政調の場でも説明させてもらうことになりました。企業局の見直しは評価に値すると会派での復活政調、それから全員協議会での説明に皆様から拍手をいただきました。まさに青天のへきれきのようなショックを感じるとともに、企業局の若手を含めた職員の汗が報われたなと心から感じました。
 繰り返しになりますが、産業委員会の委員の皆様の温かい御支援、アドバイス、メディア等への御紹介、働きかけにより企業局が変わり、職員の人材育成につながり、県当局にもよい変化が生まれてきていると感じております。まさに委員の皆様は静岡県の宝であると感じております。
 2つ目のメッセージは、企業局の職員の皆様に向けたものであります。仕事はスピリッツを持って楽しくやっていただきたい。楽しくやるためには何が必要か。主役になっていただくことです。上司は部下が主役として取り組む環境を整え、舞台をつくってあげたいと思っています。部下はどこを以前よりも工夫したのか。どんな効果を狙っているのかを説明できないと主役にはなれません。これがスタートです。
 それで担当者は課長や局長の決裁をとるときに、どうですか。こんな工夫をしてみました。こんな効果がきっとあるはずですと自信を持って説明して自分の実力を上司にわかってもらうチャンス。こういったことが企業局の中での化学変化として今起こっています。そして来年度はこれが受け継がれてもっともっと大きな化学変化を起こしていっていただけると私は確信しております。
 委員の皆様には、4年に一度選挙があります。県民の皆様からの審判がございます。スケールの大きな話になりますが、1980年にレーガン、ときのカリフォルニア州知事とカーター大統領の選挙の行方を決めるプレジデンシャルディベートが行われました。そのディベートの勝敗を決定づけたのがレーガン州知事の最後の一言であったと言われています。
 日本語に翻訳しますと、「4年前より皆さんの生活は楽になりましたか、よくなりましたか。4年前よりもお店で物を買いやすくなりましたか。失業者は4年前より少なくなりましたか。アメリカは4年前よりも世界から尊敬されていますか。治安はよくなったと感じますか。もしこれらの答えが全てイエスであるならば、あなた方が投票する相手は明らかです。でももしそうでなかったら、これまでの4年間と同じ道をアメリカに歩んでほしくないと感じるならば、もう一人の候補者がいることをお忘れにならないでください。」このフレーズを最後にプレジデンシャルディベートをレーガンは終えております。この言葉にレーガンさん自体が俳優だったということもありますが、非常なインパクトを感じてカーター大統領はこれでノックアウトされたんじゃないかと言われている言葉です。
 しかし、こうした審判を受けるのは知事や県議会の皆様だけではなく我々職員も顔のない県民の皆様ではなく、自分の大切な人のために施策を実施しその顔の見える人の汗が報われる行政を若い人たちを中心にやっていく。こういったことを思いながら議員の皆様と同じようなお気持ちになりながら施策を運営していく。そうなれば静岡県の行政はもっともっと変わっていくのではないかと思っています。
 後輩の皆さんは、ぜひ自分が主役になって県民の皆さんの全てにわたってできる限りその汗が報われるように、誰一人として全く汗が報われないと感じる人がなくなるようにぜひ今後も頑張っていただきたい。こういったことをはなむけの言葉として述べさせてもらいたいと思っております。
 最後は静岡県の可能性です。先ほど委員の皆様を静岡県の宝だと申し上げました。職員の中にも静岡県の宝のような人や県庁の星がいます。静岡県の宝のような人とは一体どういう人でしょうか。僕はそういう人こそ県議の皆様も含めまして真のエリートだと思っています。真のエリートは自分が持って生まれた才能以上に周りの人、家族を含めて幸せにしてくれる人、勇気づける人だと思っています。
 静岡県には、企業の皆さんも含めて三方よし、自分たちの会社だけでなく先方、それから地域もよし、そういう言葉があります。また報徳の思想が根づいている地域が多いと思います。そして県議会議員の皆様と接しているときに感じるのは、富士山を見て富士山に恥ずかしくない生き方をしたい、施策を実施したい、そういう気持ちを感じたりもします。
 そうした方が実施する静岡県の施策は、たとえそれがSDGsであったとしても本物のSDGsです。バッチをつけていることがSDGsではございません。それをいかに本気でサスティナブルなものを実現しようと思ってやっているか。そうしたことが静岡県は本物の人が多く住んでいる中で本物の施策が実現されている。本物の議員の皆さんがそれをチェックしてくださる、あるいは励ましてくださる。それが静岡県だと思っています。
 そのようなことを言って東京で一人余興演説をぶっていますとスタンフォード大学の仲間たちから大きな笑いが起きて、それじゃあ静岡県には何か地の利が、場の力が宿るような不思議なことが起こったのかねと聞かれたりもします。そのとき私は実際これまで3つの奇跡が起こっていると答えています。
 1つ目は、富士山の世界遺産登録の際に三保海岸まで含めた登録が実現しました。これは三保海岸まで含めて登録をお願いすることによって富士山本体も危うくなるのではないかと非常に大きな議論になった部分でございます。でも結果はどうでしょうか。三保海岸を含めた富士山の世界遺産登録がなされました。
 2つ目は、エコパのシズオカ・ショックです。日本代表がアイルランドに勝ったのは私は奇跡ではないと思います。しかしアイルランドを破った勝てた場所、地が静岡県のエコパスタジアムだったのは奇跡とも言えるのではないでしょうか。やはりこれは知事だけではなく静岡県民、それから議員の皆さん、企業の皆さんの招待が地に宿ったんじゃないかと思っています。
 また、3つ目はトヨタのWoven Cityです。裾野の工場が東北に移転したにもかかわらず、その地の研究所がスマートシティーに生まれ変わって未来都市ができる。これを誰が予想したでしょうか。愛知県庁が僕のところに愛知県の企業局長も含めて電話をかけてこられて、何なんだ静岡県は。愛知県がこれほどいろいろ一生懸命やっているのに、何で裾野にあれがいってしまうのだと猛烈にがっかりしていました。
 その3つを申し上げると、あのスタンフォード大学に行っていた辛口の財務省や経済産業省や多くの銀行の方とかそういう人たちが僕は友達としてもつき合わせてもらっていますが、その3つは確かに奇跡に近いような気がすると言っていただいています。確実に皆さんのおがけでこの地に宿っている場の力が確かに出ています。これをさらに大きく開花させるのが委員の皆様を含めて我々の責務だと思いますし、またそれを後輩に皆様に託すとともに私はちょっと離れた場所になるのかあるいはもう少し近い場所になるのかまだよくわかりませんが、精いっぱいこれを応援して参りたいと思います。
 私からの最後のメッセージはこの3つをお話させていただいて、これで終わりにしたいと思います。
 本当に皆様心からお礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

○大場企業局次長
 2番委員には、身に余るお言葉をいただきましてありがとうございます。このような時間をいただきましてありがとうございます。
 今松下企業局長から格調の高い御挨拶があった後に私は格調の高い話はできないので、簡単に今までの県職人生の中でどういう思いを持って過ごしてきたかとどういう経験をしたか少しだけ話させていただきます。
 先ほど2番委員がおっしゃったように、私は県職人生38年のうち企業局関係が14年、交通基盤部関係が14年、同じ38年のうちの28年をこの2部局で過ごして非常に数少ない部局に在籍しました。
 仕事の内容も総務とか経理とか部付という内部管理事務が非常に多くて、その中でも企業局次長で赴任する前に、先ほど2番委員に説明していただいたようにふじのくに地球環境史ミュージアムにおりました。そこは県で初めて県立博物館をつくることが川勝知事のところで本格化し――話はもっと前に石川知事からあったのですけれども――結局川勝知事になって初めて県立博物館をつくるということでふじのくに地球環境史ミュージアムを廃校利用で県立静岡南高校につくったのですけれども、このときの思い出が非常に大きいです。
 これは途中、今の館長である安田補佐官からの展示のオーダーが非常に多くて、もうこれは絶対できない。仕事をしておりましてもそう思いましたが、そのときの私のいつもの信条としては目標をかなえたいことは必ずかなうのだと。口に出す、紙に書く、いつも言っていることを実践しただけではないのですけれども、それで何とか最後は開館にこぎつけることができました。
 その途中には、相坂委員長にもグラウンドの問題でいろいろ協力していただいたこともありまして解決できて、この38年間の中で一番の思い出です。こんなに大変なことができるなら何でもできるなと今思っていますが、その経験がつい最近だったという。もっと若いときに経験していれば別の人生が送れたんじゃないかと思っています。
 それから平成19年、平成20年に企業局の局付主幹をさせていただいて、そのときに当選した3番委員ほか今4期の皆さんと非常に親しくさせていただいて、そのときの思い出もすごいのですけれども。その後その2年と今の企業局次長の3年の5年間で県議の皆様方と非常に深いおつき合いをさせていただいて、特に県外視察には随行させていただいて先進地視察や懇親も深めさせていただき、委員の皆様、県議の皆様と非常にお世話になったことをここで重ね重ね御礼申し上げたいと思います。
 38年の最後の1年が先ほど松下企業局長が言ったように、非常にカルチャーショックではなくて感慨深い1年だったと。先ほども言いましたように政調では自民改革会議、またふじのくに県民クラブの両会派の説明で松下企業局長の説明に対して拍手をいただいた。先ほども言いましたように全員協議会でも拍手をいただいた。私の人生の中でこのような経験は一切ありません。部長は淡々と説明して、県議の皆様方に県政について御報告するということだったのですけれども、ことし1年松下企業局長のもとで仕事をさせていただき、これほどの感慨深い1年を過ごさせていただいたのはもうまさしく松下企業局長のキャラクター、人間性であるのはもちろん論をまたないところでございます。委員の皆様方が今年度非常に企業局を応援していただき御支援していただき、まさしく委員の皆様方の優しさだとそれもまさしく今年度非常に感じたところでございます。
 今まで、常任委員会に出ても単純に当局側と委員の皆様方という関係でそのような表面的な間柄であったにもかかわらず、ことし1年は松下企業局長のキャラクターでこのような経験ができたと本当に最後で感動しております。
 最後ですけれども、60歳というのはこの前同窓会に出たら昭和30年、平成を30年生きた人間だと。そうすると、今度90歳まで生きれば昭和、平成、令和を30年ずつ生きるという年になっています。同窓会に出て初めてわかりました。友達が言うので、これはいろいろなところで使えるなということできょうも使わせていただきました。90年を生きて30年、30年、30年頑張れるように生きていきたいと思います。
 これからも、委員の皆様方には県政に対し厳しくも温かい御指導をよろしくお願いいたします。御健康で御多幸でありますようにお願い申し上げます。私は4月以降この近くにいるかもしれませんけれども、もし顔を見たら無視することなく元気かと言っていただきますとありがたいです。本日は貴重な時間をいただきましてまことにありがとうございます。今までお世話になりました。ありがとうございました。(拍手)

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