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委員会会議録

質問文書

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平成30年2月企画文化観光委員会 質疑・質問
質疑・質問者:多家 一彦 議員
質疑・質問日:03/09/2018
会派名:自民改革会議


○多家委員
 一問質問します。
 増井地域外交監にお尋ねします。
 ことし1年、私はずっとこだわりを持ってインドについて質問してきました。本会議、常任委員会で必ずこのことを入れてきましたが、9月定例会の本会議でインドについて御答弁をいただいたとき、地域外交の東アジアの位置づけの中にインドを加えると前向きな御答弁をいただきました。そのときにマイクロソフトやグーグルなど世界の名立たるIT企業トップをインド人が務めているようにインドは多くの優秀な人材を輩出していることを指摘しました。またITを初めとした成長分野における交流を推進するのであればITに強いインド頭脳を積極的に活用するべきだとも言いました。今後の地域外交の中でどのように活用されていけばいいか聞かせてください。

○増井地域外交監
 2番委員からそういうお話があり、しっかり調べてくるようにと東南アジア駐在員をテランガーナ州ハイデラバードに派遣しました。彼らからの報告によりますと実は我々も知らなかったのですが、ハイデラバードはアメリカのグーグル、マイクロソフトなどのIT企業がアメリカのほかに支店、支社、拠点を置いているところだと知りまして、インド人はもともとITに強いとは聞いておりましたが、アメリカの大手IT企業がテランガーナ州ハイデラバードに拠点を置いていることにびっくりいたしました。
 テランガーナ州の方が静岡県にお見えになって、知事とお会いになったときにその話をしておりまして、ITは交流素材になるのではないかと感じたところでございます。2番委員がおっしゃいましたように、インド人のITに関する頭脳はそうした意味でもこれからどのように活用できるのか、いろいろ可能性としてはあるのではないかと感じております。
 また、ゾーホージャパンが川根本町にサテライトオフィスを設置して活動しておりますが、彼らもまたIT企業であり、インドとの間にはIT関係でつながりが出てくると思います。
 加えて、静岡大学がハイデラバード大学と協定を結んでいると聞いており、いろいろな意味でインドとの間にはIT関係で交流ができていくのではないかと感じております。

○多家委員
 まさしく、インドにとって静岡県にとって、これから友好的な環境を構築していくのにふさわしい道筋を増井地域外交監がお開きいただいたことに大変感謝しているところであります。
 きょう、委員会最終日になりまして増井地域外交監は38年間の静岡県庁勤めを、3月末をもっておやめになると聞いておりますけれども、増井地域外交監のお仕事は主に企画や商工労働、それから総合計画室、財政室などの企画部門や財政部門を経験したほか、平成8年2月から2年間、県ロサンゼルス駐在員事務所の駐在員として過ごされたと。まさしく財政課にも企画、計画、さまざまな分野で先進的なシンクタンク、中核を担う役職を務めてこられて最後には文化・観光部理事、企画広報部長代理、企業局長、そして新しい知事直轄組織の初代地域外交監を務められました。本当に立派な業績をお務めになってこられたと私は思っております。
 ところで、私は平成3年4月に県議会の議席をいただきました。今平成29年末ですが、この26年間を振り返ってみますとまさしく静岡県はびっくりするような輝かしい時代を過ごしてきた気がします。山本県政、斉藤県政、石川県政、川勝県政、特に石川県政時代の16年間はまさしく静岡県が大きく飛躍でき、たくましい県になった、そんな思いがします。そのときの中核を担ったのが増井地域外交監ではなかったのかなと。平成6年、平成7年、平成8年、平成9年、この時代一番血気盛んだった時代かもしれませんけれども、静岡県庁不夜城論というのがありました。いつ県庁前を通っても電気がついていると。徹夜でマージャンをして帰ろうとしたときに県庁を見たら電気がついていると。本当に県庁の皆さんはよく働かれたと思います。
 そういうことを考えて、例えば平成11年からどんなイベント、箱物をつくったか拾ってみました。平成11年のイベント、グランシップが平成11年にできているのですね。それから500億円がかかっています。それから富士山こどもの国は120億円をかけて平成11年にできています。大谷川放水路が553億円かけて平成11年に完成しました。平成12年には伊豆新世紀創造祭、そして平成13年には東海道400年祭も開催されました。そして同じ年にしずおか緑・花・祭の開催、平成14年には富士水泳場と藤枝に武道館もできました。両方とも78億円と四十数億円という随分な巨額であります。さらに平成14年にはエコパスタジアムができました。ワールドカップサッカーの会場にするという意気込みでしたが、もしサッカーの会場に指定されなければ、次の年に国体をやるからつじつまが合うという話でありましたけれども、結局両方できましたし、エコパスタジアムはまさしくレガシーとして今度のワールドカップラグビー会場にも選ばれました。また、がんセンターもその年にオープンしました。約600億円がかかったと言われております。また平成17年には浜名湖ガーデンパークが開園、平成21年には富士山静岡空港ができました、2000億円。エコパスタジアムが1300億円ですね。飛行場が2000億円。大変な金額をかけてさまざまな箱物をつくってきた。しかし平成21年には富士山の日ができましたし、お茶まつりが平成22年、平成23年は東日本大震災、また昨年は地域外交で浙江省との友好35周年を執行されたということで考えてみますと、とても信じられないイベントを毎年、毎年繰り返しやってきた。それから、2桁、3桁、4桁という巨額な箱物をつくってきた。本当に豊かだなと静岡県が自信を取り戻しているなとも感じました。
 まさしく、それを引っ張ってきたのは増井地域外交監で、またほかの方もいらっしゃるかもしれませんけれども、そういうことではなかったかなという感じがするわけです。そんな中で県庁職員を3月末に退職されるわけです。さまざまな思いがあると思いますが、後輩職員や県議会に思いのたけをぜひこの際お聞かせいただきたいと思いますが、時間も十分ありますので決して制約いたしません。ぜひよろしくお願いいたします。

○増井地域外交監
 過分なお言葉をありがとうございました。
 私、考えてみますと通算で一番長かったのが企画で9年です。次に長いのが財政課で8年です。次に長いのが商工で7年。それから土木などの公共事業で6年。これで30年になります。2番委員のお話にございましたように企画にいたのが平成元年から6年とまさしく今話に出たこどもの国などの計画、コンセプトをつくって場所を3カ所の中から1つ決めるということで富士市に決めたわけですけれども、そのときにちょうどかかわることができて大変よかったと思います。
 また、ちょうど私が企画にいたときに斉藤知事から石川知事にかわるときで平成6年のときに総合計画をつくっておりまして、そのときに新しい総合計画に携わることができまして、その中に盛り込んだ事業がその後、今2番委員がおっしゃったようなことが出てくるということで大変いい時期に計画をつくらせていただいたなと思っております。
 その後、企画部の後に商工労働部に行きまして、ロサンゼルス駐在員を3年やらせていただきましてユニバーサルデザインに戻りました。その後の平成13年から財政課に行ったわけでありまして、まさしく今2番委員がおっしゃいましたいろいろなイベントとかエコパのちょうど前で、そのときに予算査定等をやらせていただいた記憶がございます。エコパも実は全県公園化構想の中の1つになっていまして東部にこどもの国、小笠山に当時は公園と言っていましたが、そういうものを計画していた記憶がございます。本当に財政課に初めて43歳で行ったものですから非常に体力的にも厳しいときでありまして財政課ってこんな仕事をするのかとそのとき一番精神的にも肉体的にも大変な思いをした思い出があります。
 財政課へ行って、一番感じたのは説明責任という言葉であります。県民の貴重な税金を使って全部事業を組み立てていくわけでありますので財政課で一応予算調整しておりますけれども、その裏には全て税金の裏づけがあって予算を組み立てているわけでありまして何でここにこれだけつけるのかということをしっかりと県民に説明しなければいけないというのを一番感じた時期でありました。
 そして、県議会で答弁する機会もふえまして、先生方の後ろに多くの県民がいることを常に意識しながら答弁しなくちゃいけないとそのときにも非常に強く感じて今でも私は毎日思っています。
 企画と財政課、その後財政課は通算8年ですけれども3回出たり入ったりしておりまして、企画、財政課に長くいられたのは私の大変な喜びでもあるし、非常に仕事させていただいてうれしかったと思っております。
 あと、私の仕事の原点にしていることは、実は新規採用になってからの教育異動期間で3カ所、10年というのが当時ありまして、そのときのことを今でもよく覚えているのですけれども、最初に入ったのが西部民生事務所で今は健康福祉センターとなっていますが、当時は福祉事務所でありまして西部民生事務所老人福祉課で老人ホームへの入所措置、当時は今のような契約で入るのではなくて措置でしたので、その業務に携わらせていただきまして、母子福祉とかケースワーカーもさせていただきました。非常に困って苦労されている方がこんなにいるのかと初めて知りまして、大変な驚きを持って仕事をしたということであります。皆さんから大変感謝されたこともありますし、自分でも非常にやりがいがあるなと思いました。
 その後に移ったのが浜松財務事務所で、県税の滞納整理の仕事をやります。これは全く逆の世界でありまして、喜ばれることは全くなくて皆さんに塩をまかれたこともありますし、暴力団事務所にとりにいって震えたこともありますし、右翼事務所に行って監禁されたこともありますし、いろいろな怖い思いもいっぱいしましたけれども、税金を納めていただくのはこんなに大変かと本当に感じました。民生事務所と財務事務所の合計6年間が私のその後の仕事の原点になっていると強く感じたわけであります。
 その後、移ったのが都市計画課で、ここは当時昭和61年、昭和62年、昭和63年のころです。まだ平成になる前のころでありまして非常に都市計画が華やかな時代でありました。当時私がかかわった仕事としては、東部地区の東駿河湾環状道路の都市計画決定を行いました。あと浜松市の東第一土地区画整備事業がありまして、これはアクトシティの前のアクト通りとか官庁街ができていますが、そこを土地区画整理事業で全部整備いたしました。焼津市南部の土地区画整備事業という150号バイパスと周辺の土地区画整備を一体に行う事業がありまして、この大規模事業を3つ当時行っておりまして、非常に多くの意見書が出ました。
 特に思い出すのは東駿河環状道路に山ほどの意見書が来まして非常に長い道路で2メートルぐらいある図面を持って縦覧とか説明にいった記憶があります。皆さんから大変反対の意見が多い中で計画を決めたのですけれども、その後二十数年たって原からの東名取りつけ道路がまだ完成しておりませんが東名取りつけ道路中央道に至るところが完成しております。あれができたときに、皆さんから大変喜ばれました。当時の反対意見はどこへ行ったのかなというぐらい物すごく喜ばれて役人をやっていてよかったと思いました。まだ30歳になるかならないかぐらいのときに計画の仕事に携わり、二十数年たってまだ現役でいるうちに道路が完成して皆さんの喜ぶ顔が見られたのは公務員をやっていた1つの非常に大きな喜びであったと思っていまして、こういうダイナミックな仕事を公務員はできるのだと心から思った次第であります。
 そういうことで、今幾つか印象に残る仕事を申し上げました。最後に地域外交も少し申し上げなければいけませんが2年間やらせていただきまして感じたことは人の気持ちというのはみんな同じということです。いろいろな国の人と接してお話をする機会がありますが、みんなそれぞれ文化が違う、宗教が違う、言葉が違う、もちろん顔つきも違います。いろいろな違いがあるけれども話してみると実は同じ人間だなと強く感じます。食事したり、一緒にお酒を飲んだりすると、そういうところが本当によくわかって外でかぶっている仮面を外すと、元の、中の中心にある人間性というのは同じ人間だなというところに心を感じ合うときがあります。こういうのが国と国との関係をつくっていく、人と人との関係しいては国と国との良好な関係をつくっていくと感じておりまして、いろいろな立場の違い等はありますけれども、難しい困難な問題もありますが、やっぱり人と人とのつながりを大事にして、そのつながりのネットワークを広げていくことが国と国、地域と地域の将来をつくっていくと非常に感じております。本当にいい仕事をさせていただいたと思っております。
 先生方には大変お世話になりました。どうもありがとうございました。(拍手)

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