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委員会会議録

質問文書

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平成30年2月定例会建設委員会 質疑・質問
質疑・質問者:小楠 和男 議員
質疑・質問日:03/08/2018
会派名:自民改革会議


○小楠委員
 質問2点、一問一答方式でお願いします。
 説明資料の中で2カ所、静岡文化芸術大学が出てきます。これは交通基盤部だけじゃなくて県政全般で、静岡文化芸術大学だとか県立大学と行政が何らかの関係を持って仕事を進めるというのは割と出てくるんですよね。否定的に申し上げるのではなくて素朴な疑問があるものですから、田子の浦港の振興についてのところで、平成28年度に静岡文化芸術大学の学生によりデザイン設計が行われとあります。そして景観施策の推進のところで、静岡文化芸術大学と連携してセミナーを開催したと。何が気になるかと。対価、支払いってどうなってるのかなと思ったんです。というのは、私は東北の震災の後ボランティアの会で代表をしていたんですけれども、文芸大の中にも復興支援に取り組んでいたサークルがございまして、もちろん顧問も当時准教授だったと思いますけれども、共催でシンポジウムを開催したことがあるんです。そのときはむしろ文芸大の講堂を使わせていただいたりということで向こうにいろいろ便宜を図っていただいたんだと思うんですけど、何ら対価、支払いは発生してないんですよ。という経験がある中で、それぞれこの田子の浦港のデザイン設計に関して何らかの対価が支払われたんですか。支払うとしたらそれは大学が受けるのか、教授、准教授みたいな先生が受けるのか、あるいは学生が受けるのかが気になったんです。
 田子の浦港と景観のところと、それぞれもしわかったら教えてください。

○安藤港湾整備課長
 静岡文芸大との契約については、事務局のほうと契約を結びまして事務局にお支払いをしている格好で、たしか単独随契で随契をさせていただいて工事の監理及び監督も含めてやっていただいたという契約でございます。

○松木景観まちづくり課長
 2番委員御指摘の説明資料117ページ、ふじのくに景観形成計画を推進するための1つの活動といたしまして、静岡文化芸術大学と連携して2月に市町職員等を対象にしたセミナーを開催とございます。こちらにつきましては、文芸大の4名の先生方をお招きしまして、静岡市内で県内の市町の担当者を集め、4名の先生からそれぞれ御講演をいただきました。御支払いに関しましては、規定の報酬と旅費を先生のほうにしてございます。

○小楠委員
 わかりました。
 ケース・バイ・ケースということなんでしょうけれども、大学の先生や学生は地方における貴重な人的財産ですので積極的に活躍してほしいなと思いますけれども、当然対価はあってしかるべきものだと思いますので、今の説明でよくわかりました。

 次に、毎回で申しわけないんですけれど浜松市の防潮堤整備についてお伺いしたいと思います。
 鈴木交通基盤部長の説明にもあったんですけれども、今回新たに寄附金と基金では費用が足りなくなったと委員会説明資料に書いてある。同時に地元から要望が出ておりました一部区間の15メートルへのかさ上げに着手するという新たな説明がありましたので、それに関連してまずお聞きしたいんですけれども、全体の事業費は足りなくなったので県も応分の費用を負担するとともに、かさ上げ等に係る費用を浜松市からも受け入れることになったんですが、現段階での全体の事業費は大体幾らぐらいになっているのか、まずそれをお聞きしたいと思います。

○中野河川海岸整備課長
 全体の事業費についてお答えします。
 高さ13メートルで一律整備する形で今まで話をしてきた中で、直近で全体の事業費をはじき直したところ、今の試算でいくと約316億円がかかると見込まれております。

○小楠委員
 私の記憶だと一条工務店グループからの寄附が300億円、地元の企業や住民の方々からの寄附が10数億円あったと思うわけですけれども、そうするとこの316億円で、13メートルでの整備はそれで完成するということでよろしいでしょうか。

○中野河川海岸整備課長
 全体事業費の内訳ですが、一条工務店から300億円、これは決まりで今まで言ってきたところです。あわせて浜松市のほうで集めている基金等を足して何とかできる形で考えていたんですが、基金の集まりぐあいもございまして、その中で316億円に対しては不足することが判明したので、今回県としても費用負担をするとしたところでございます。

○小楠委員
 わかりました。若干足りないということでしょうね。それにあわせてかさ上げという追加工事が発生することで、本当に我田引水で申しわけないんですが私の家の目の前ですから非常にありがたい話ではあるんですけれども、追加のかさ上げの工事の事業費がどのくらい必要になるのかは、実は1月30、31日で新聞2社が報道しているんですけれども、静岡新聞が20億円半ば、中日新聞が約30億円という新聞報道が先走っています。実際にかさ上げの事業費は幾らくらいなんでしょうか。

○中野河川海岸整備課長
 一部区間で高さ15メートルまでのかさ上げということで、13メートルから15メートルのかさ上げに係る分の費用については今のところ約14億円と見込んでおります。

○小楠委員
 わかりました。総事業費は316億円プラス14億円、330億円ぐらいということです。
 これは浜松の私からすると、県は事業主体としてやっていただいているんで、職員の派遣等、応分の費用負担はしていると理解はしているんですけれども、今回浜松市以外では県はレベルワンの部分について事業を進めているわけで、それを上回ることについては各市町がやっていくことになってます。
 そういう意味では、今回県費を投入するについて、やはりちゃんと説明をしておいていただいたほうが他の市町の方々にも混乱を与えないと思うんですね。この14億円も支出の内訳、県費がどれだけで市がどれだけなのかになろうかと思いますけれどもその内訳と、今回県費を投入する、支出することについての明確な説明をお願いしたいと思います。

○中野河川海岸整備課長
 費用の内訳と県費の支出についてでございますが、かさ上げに係る事業費、先ほど14億円と申しましたが、それには県費は一切入ってございません。14億円は全て市費で賄う考えでございます。
 これにつきましては2つ目の質問もそうでございますが、レベルワンまでの高さについては海岸管理者として安全・安心を守る責務があるので、そこまでは静岡県としてそれに見合う分の費用を出すことは当然の責務であろうと。ですが、そのL1を超える以上の施設整備について県は費用負担をすることはできないというのは全県としての統一した見解で、他の地域でもその考えのもとに整備を進めているところでございます。
 そういったことで、今回も17.5キロメートルのうち東側の天竜川の河口に近い部分、西側の今切口に近い部分については現況の既設高がL1の高さTP8メートルに満たないところがあったので、その区間をL1までの高さ、TP8までに上げる分の費用については県が海岸管理者として持ってもいいだろうということで、今回それを応分の負担と考えているところでございます。

○小楠委員
 地元の人間の私ならわかるんですけれど、他の人はわかんないと思うんですよね。もう少し細かく聞きますけれど、全長17.5キロメートルで整備をしてきています。今お話にあった天竜川の右岸と今切口の左岸は17.5キロメートルに入っているんですか、いないんですか。

○中野河川海岸整備課長
 今言った2カ所については、17.5キロメートルに含まれております。

○小楠委員
 わかりました。つまり、その17.5キロって最初からその数字が出ているんだけれども、実際に13メートルで整備する区間は17.5キロメートルに満たなかった、17.5キロメートルに足りなかったということなのかな、含まれているということはね。だから、細かい話で申しわけないけれども県費で天竜川の右岸と今切口の左岸を整備する、それはレベルワン対応でやると。そこまでは結構。だけどそこは13メートルにならないわけじゃないですか。そうすると17.5キロメートルを13メートルで全部整備するよと言ってきたことと違うじゃない、今の説明だと。もう一度答弁お願いします。

○中野河川海岸整備課長
 説明不足で申しわけありませんが、17.5キロメートルは今言った天竜川の端と今切口の端は含まれております。私が申したその区間についての県費を入れられるというのは、既設の高さがL1よりも低いので、L1まで上げるに見合う費用分は県が持ってもいいんじゃないかと。それは県の海岸管理者の責務じゃないかということで、そこに相当する分の費用は県の応分の費用としたということです。

○小楠委員
 ということは実際には13メートルになると。だけど、L1対応分の費用については県費を投入するということなんですね。わかりました。

 その県費の投入金額はまだ聞いてないんだけれど、いいでしょうか。

○中野河川海岸整備課長
 天竜川の直西側と今切口側の2カ所でございますが、約1キロ区間相当ございますが、金額にして約7億円相当を見込んでおります。

○小楠委員
 本当に県下全域でL1対応を基本に整備しているのかと、浜松というのは本当に御貴重な寄附をいただいてありがたい、防潮堤の整備も進んでおります。浜松ばかりとよその地域の議員からも白い目で見られることも結構ありますものですから、ちょっと細かな話も聞きましたけれども、あくまでも県は本来L1対応でやるはずだった金額を一部今回投入にすると、県として負担するということでほかの地域の方々も御理解をいただけるんじゃないかなと思います。

 最後の委員会ということで、この説明者の皆様方の中から6名の方々が本年度末で勇退をされます。まず御紹介をさせていただきます。
 交通基盤部長の鈴木克英さん。収用委員会事務局長の原田揚一さん。交通基盤部理事高次都市機能担当の増田和仁さん。建設支援局長の望月雅弘さん。公共用地課長の興津幸男さん。工事検査課長の進藤弘之さん。この6名の方が本年をもって退職をされます。
皆さん入庁されたのが昭和50年代ということですけれども、経済成長がずっと続いていた時代だろうと思います。私がこの議会へ来たのは平成7年でございまして、そのときはもうバブルは終わっていたんですが、若干まだ余韻が残っていて、県の予算なども大きく目減りせずにまだ伸びていたんですね。多分ピークだったのは平成9年だと思うんですけれども、ちょうど皆さん方が40歳になったときを境に県の財政が厳しくなり、公共投資が大幅に減少する公共事業受難の時代に入っていかれたとこら辺から、今の6人の方々は中堅、そして幹部として今日に至るまで公共事業の推進に御尽力をしていただきました。
 さまざまな工夫を加え、自分たちの仕事が減っていくというのは非常につらいことだと思います。そういう中で職員の士気を高めながら、工夫をして今日までお勤めになられたこと、心から敬意を表したいと思います。そういう意味で、私のほうから6人の皆さんの経歴を若干御紹介させていただきたいと思います。
 鈴木交通基盤部長は河川企画課長、ちょうどこのときに浜松の沿岸防潮堤の整備計画が固まりまして、私も議長のときでした。時の守屋河川砂防局長と何度も何度も議長室に足を運んでいただいたことを鮮明に覚えております。その後も河川砂防局長、浜松土木事務所長を経て西部危機管理局長、そしてことし、部長として建設行政の全般にわたって御尽力をしていただきました。
 原田収用委員会事務局長は、平成16、17年と当時の土木部の部付主幹をお務めいただき、その後議会の秘書室へお越しいただいたということで、私は直接担当になったことは多分なかったと思うんですけれども、我々議会の非常に身近なところで仕事をしていただき、多くの議員がお世話になったと思います。その後、交通基盤部の経理監、建設支援局長、危機管理部の部長代理を経て、本年収用委員会事務局長をお務めになられました。先ほど答弁にもあられましたけれども、収用委員会では国道138号バイパス関連の公共事業の収用事件の処理など、公共の利益の増進と私有財産の調整を図る、土地収用法趣旨の実現に向けて取り組んでいただきました。
 増田交通基盤部理事は、都市局、まちづくりの専門家として、先ほどの答弁の沼津、あるいは現在進行中の遠州灘海浜公園の篠原地区整備、大変な御苦労をしてこられたと推察いたします。街路整備課長、都市局長を経て、平成26年度からは高次都市機能担当の部理事として活躍されてこられました。都市計画の重点事業に本当にエキスパートとしてかかわっていただきました。御苦労さまでした。
 望月建設支援局長は河川砂防管理室や法務文書課で勤務をされたほか、収用委員会事務局、審理調整課長、公共用地課長を歴任され、昨年度から局長として建設支援局の総括、1番委員から屋台骨というお話もございました。そこを担っていただきました。御苦労さまでございました。
 興津公共用地課長は、空港地域連携課長、収用委員会事務局長の審理調整課長を経て、昨年度から公共用地課長として公共用地の取得に御尽力いただきました。ありがとうございました。
 進藤工事検査課長は、清水港管理局港湾企画課で勤務されたほか、港湾整備課長、御前崎港管理事務所長を歴任し、昨年度から工事検査課長として建設工事等の検査の総括に御尽力いただいてまいりました。
 それぞれの皆様、交通基盤部あるいは土木部等で長くお務めいただいております。冒頭に申し上げたとおり、非常に受難の時代を経て今日があるのは皆様の御尽力のたまものだと思っております。そこで、私の紹介した順番に一言ずつお言葉をいただいて、後輩の皆さん、そして我々議員に御示唆をいただけたらありがたいと思いますのでお願いいたします。

○鈴木交通基盤部長
 ただいま2番委員から過分な言葉をいただきましてありがとうございます。また丁寧な御紹介をありがとうございました。
 私が入庁しましたのは昭和57年でございます。この年は非常に災害が多い年でした。台風10号と18号が2つ静岡県に上陸しまして、新規採用で、今の新規採用職員ですとなかなか仕事をもらえないんですが、私らの時代は入って次の日から現場に行くような状況でございましたので、拙い私どもでも10件以上の災害を持たされて仕事をした記憶がございます。
 この18号では焼津市の瀬戸川の右岸側、駅の北側が破れて、今ふるさと公園となっていますけど、あそこが破れて2,800戸の浸水被害が発生して、またあの掛川の坂川ってお城の前の川ですけれど、あそこもあふれまして2,600戸以上という水害が起きました。同じ台風でですね。昭和50年代までは、結構そういった水害が静岡県内かなり頻度が高く来てまして、昭和49年、50年、51年、53年とかいう形でほぼ毎年といいますか、1年に1回か2回はそういう災害が県内に起きてたんですね。そういった時代を経験した先輩たちが我々の上にいてですね、あの57年の災害のときには本当に忙しかったんですが、そういった災害の経験等を先輩方からしっかり仕込まれた記憶が私、今でも非常に残っています。ちなみにその57年のときに、ちょっと調べましたら県内で5,797件の災害復旧400億円という金額でして、この件数は熊本地震が3,319カ所ですのでそれをはるかに上回る箇所、しかもこれを県外からの応援なし、県の職員だけでやったという、本当に当時はすごいスーパーマンがたくさんいたなと改めて感じています。
 私どもそういった形で大きな災害を経験して育てられた人間なわけなんですが、私この36年間の公務員生活、この3月で終わるわけですが、心残りといいますか唯一残念なのは、残念と言ったら怒られるかもしれませんが、入庁したときから来る来ると言われてた東海地震があと3週間ございますが現時点ではまだ来ていないのが心残りであり、少しやり残したかなという感じがあります。今の若い人たちといいますか、特に20代、30代の人たちは先ほど申しましたけれど、昭和50年代までは結構そういった形で日常的に災害が多かったわけですが、それ以降の職員はあんまりそういった経験をしてないものですから、私はよく若い人たちと話をするときに言うんですけれど、災害は覚悟を持って仕事をせないかんと。とにかく君たちの仕事で県民の、あるいは生命を財産を本当に守る、守れない、それが君たちにかかってくるんだとよく常々申すわけですが、ちょっとそこら辺、経験してればしっかり身につくと思うんですけど、そういった経験がないというのは若干の不安でございまして、できれば私どもがいる間に起きればいいなと、実はこの1年ぐらいずっと思っていたんですが、ここまで来ればそういったことはないほうがいいのかなと思っています。
 いずれにしましても、今後こういった若い人たちをそういった形でしっかり仕上げていく必要があります。まだ私と同世代に育った、言ってみれば災害のエキスパートみたいな人たちから教わった職員がまだ数年は在籍していますので、ぜひそこら辺を後輩の皆さんには若い人たちをしっかりトレーニングしてもらえればいいなと思ってます。
 あとことし部長を最後の1年だけでございましたが、させていただいた中で特に留意したことは、昨日のお話にもありましたけれど、若い人たちのやる気を削がないようにどうやったら仕事をしたらいいんだろうかということでございました。交通基盤部がことしはとにかくどぼくらぶ、先ほど9番委員からも御紹介いただきましたけれどそういった形で非常にメディア等も使って、若い方の発想を幅広く取り入れて戦略的な広報に取り組んできました。また、そのおかげで県全庁の広報グランプリもとりましたし、ICTに関する取り組みですね、ICT施工もそうですし点群データのデータベースもそうなんですが、こういったことは若い方たちのやる気を削いでいたら絶対に進みませんものですから、ぜひ今後若い人たちをいかに、言葉は悪いんですが、あおって、そういう人たちのやる気を引き出すという、仕事の仕方を今後も交通基盤部として続けていただければありがたいなと思ってます。
 最後になりますけれど、これまで多くの部分で私どもに御指導、御鞭撻いただきました委員の先生、皆様に改めて感謝申し上げますとともに、今後の御活躍を祈念いたしまして私の挨拶とさせていただきます。どうも長いことありがとうございました。

○原田収用委員会事務局長
 ただいま2番委員から過分なお言葉を賜り、またこのような発言の機会をいただきまして、感謝にたえないところでございます。
 私は昭和52年に19歳で県に採用されました。それ以後41年間になります。社会人生活のほとんどをこの県の組織の中で過ごしてまいりました。御紹介にもあったとおりでございますが、事務屋でございますのでいろんな分野に回ります。その中で主に土木、都市住宅、あるいは企業局、教育委員会、そういったところでハード整備を行う部局での予算、あるいは経理、総務など内部的な管理業務に携わることが多かったわけです。ゆえに、最後にこの公共事業の最後のよりどころと言える部署で県職員生活を全うできたことは自分にとってふさわしかったと思っております。ですので、ここでは収用を通じての所感を述べさせていただきたいと思います。
 まず、公共事業の目的であります社会資本につきましては、人間生活の全ての基本だと私は思っております。一般家庭で言えば家、あるいは家財道具、それに相当するものでありまして、安全とか医療、福祉、産業、全てのものに通じるものでございます。
私は焼津の市民でございますが、自家用車と東海道線で県庁まで通っております。2月28日の先週の水曜日になりますが、朝、通勤ルートを通っていましたら、150号バイパスを通るわけなんですが、新しくバイパスができ上がっておりまして、そこを1キロほどでございますが供用されたばかりの道を通ってまいりました。でき上がったばかりの道を通るのは本当に気持ちのいいものでございます。そこは自分が建設支援局長であった時代に収用裁決の申請を行った箇所でございます。
 用地交渉は土木事務所長にその権限が委任されておりまして、土木事務所完結の業務でございますが、私も当時は道路局長と一緒に2度地権者の方のお宅を訪問しまして、膝を突き合わせて談判したところでございます。結果的には、あなたの言うことはわかるが私は納得はしないというような形になりまして収用の手続へ行ってしまったわけなんですが、そのようなことで麻機の遊水地の地権者の方のお宅にもやはり伺いましてお話をしたことが懐かしく思い出されます。
 150号バイパスにつきましては、もうその日の帰り、あるいは翌日には既にできた道、当たり前のように車が流れている状況でございました。しかしながら、その道には多くの人の努力と汗、また地権者の方の特別な犠牲に対する感情が敷き詰められていると思っております。通る人はそれを感じることはないわけでございますが、私はそれはそれでいいと思います。時間はかかりましたが、収用により事業が進みまして工事が完了し、確実に利便性が高まりました。効果が発現されたときに投入した税が生かされていない状況は解消されました。
 収用の意義等につきましては、先ほどの答弁でも触れさせていただきましたが、任意交渉での解決がかなわない場合の切りかえも大切だなと思います。収用委員会の立場で収用制度を使ってください、使ってくださいと言うわけには、声高に言えるようなものではございませんが、事業を行う起業者は進まないことによるロス、また投入する事業費の根源が税である。そういったことに意識を強くしていただいた上、ルーチン的に割り切って対応する姿勢、これは行政の勇気、あるいは何と言いますか覚悟と言えるものかもしれませんが、そういったものも必要なのではないかなと思います。
 県の仕事は、現場の仕事も管理サイドの仕事も一般に思われるよりも随分ハードなものだと思います。41年間を振り返りますと、私自身も心が折れそうになった時期もあったと思っておりますが、その都度、上司、同僚、部下、または県議会議員の皆様方、そういった多くの方々に支えられてやり遂げることができたと思っております。
 先ほど御紹介の中にもありましたとおり、特に土木、建設部の部付主幹をやっていたとき、また議長秘書の職務に従事したときには、県議会議員の先生方にも大変お世話になりました。改めて全てのかかわった皆様方に感謝申し上げたいと思います。また微力ではございましたが、県民のために公務員の仕事を全うできた自分に対しても、よくやったぞと褒めてあげたい心境でございます。長い間本当にありがとうございました。

○増田交通基盤部理事(高次都市機能担当)
 ただいま2番委員から身に余るお言葉をいただきまして、まことにありがとうございます。
 私は昭和56年度に入庁してから37年間、土木の職員として勤務してまいりました。大きな構造物をつくりたいという気持ちからこの道を選んだわけですが、幸い東駿河湾環状道路ですとか、流域下水道の整備といった大規模なプロジェクトにもかかわれまして、非常に喜びを感じているところであります。事業説明会ですとか、工事説明会ですとか、住民の方には随分叱られた思い出もありますが、そして苦労した思い出もありますが、完成したときに便利になったなとか、暮らしやすくなったなというようなお言葉を聞いたときの喜びはひとしおでして、土木屋冥利に尽きるといった、そんなひとときでございました。
 この建設委員会には、平成23年度の街路整備課長時代から7年間連続でお世話になっております。緊張感漂うこの委員会での思い出はもう数多くあるわけですけれども、とりわけ2年前の2月議会、御紹介にありました遠州灘海浜公園の野球場の件では集中審査になりまして、何と一問一答50連発というこんな経験もさせていただいております。何人かの人間で答えをさせていただいたわけですけれども、誰が答えても趣旨が変わらないように、毎晩あの先生は何を質問するかを考えまして、100問以上想定質問をつくりまして、みんなで意思統一を図ったのを鮮明に覚えております。
 後輩の皆さんにということでありますけれど、少子超高齢社会の到来といった、これから社会経済情勢は大きく、また速いスピードで変化していくと思っておりますが、県民の安全、暮らし、そして産業を支えるインフラなくして本県の発展はないと思っております。後輩の皆さん、特に若い皆さんにおいてはそうした時代のニーズを的確に把握するような広い視野と、それからそれをアダプティブに対応できる高い技術力を身につけていただきまして、特に熱意を持って業務に当たっていただきたいと期待をしている次第でございます。
 最後になりますけれども、このような私を最後まで支えていただいた県職員の皆さん、そして県議会議員の皆さんに厚く御礼申し上げますとともに、県議会の皆様にはこれまで以上に交通基盤部への御指導、御支援をお願い申し上げまして、私からの言葉とさせていただきます。長い間どうもありがとうございました。

○望月建設支援局長
 先ほどは2番委員より心温まる、身に余る温かな言葉を頂戴いたしまして、改めまして心より感謝申し上げます。また本日このように発言をさせていただく機会をいただきまして本当にありがとうございます。
 私は昭和56年に本県の行政職職員として採用されまして、これまでに37年間数多くの部局を経験させていただきました。その中でも公共土木、交通基盤部関係の職場が最も長くなりまして、通算しますと13年間お世話になりました。振り返ってみますと、それぞれの勤務した職場におきまして、全てがよい思い出になっているということで、それだけ充実した生活を送らせていただいたのかなと思っております。それぞれの職場におきまして、県議会の先生方から厳しくも心温かな御指導を賜るとともに、さまざまな場面で上司、同僚、後輩の方々に支えていただきまして非常に恵まれた環境の中で仕事ができたということで大変感謝をしております。
 最初に採用されましたのが、当時は都市住宅部という組織の都市整備課という課でございました。そして卒業します最終の仕事として建設支援局ということで、どちらも公共土木、交通基盤関係で携わらせていただきまして感慨深いものがございます。最初の都市整備課という課では、都市計画の街路、公園、鉄道高架事業、こういった事業を所管する課でございましたが、私は事務屋で総務、経理事務を担当しながら、傍ら屋外広告物行政を担当しておりました。当時問題となっておりましたのは、先生方も御記憶かと思いますがいわゆる立て看板ですね。印刷した布を足がついた木枠に貼りつけて針金で電柱に固定していくと。そういったものが町なか至るところで掲示をされまして、これを県としてはそれを即時撤去するという法令上の権限もございましたので、私は本庁にはいましたが、当時の上司と一緒に用度課の車両、トラックを借りまして、そして町なかにペンチを持って出まして、主に県庁周辺だけでも放置しておけないということで取って回ったという、1日のうちに何百本もそういった違法な広告物を撤去した思い出がございます。
 現在は、この2年間重要な社会インフラの整備や維持管理を支えていく建設産業の担い手育成確保、それから建設現場の生産性向上という喫緊の重要な課題に取り組むことができたことで大変ありがたく思っております。これからは皆様には安全で安心でき、活力あふれる県土づくりに邁進していただきまして、私も一県民として応援させていただきたいと思っております。
 最後になりますが、県議会の先生方には御指導、御鞭撻をいただきまして本当にありがとうございました。改めて心より感謝申し上げます。静岡県のさらなる発展と皆様の御活躍、御健康をお祈りいたしております。本当にありがとうございました。

○興津公共用地課長
 2番委員には身に余るお言葉を賜り、どうも恐縮いたします。
 志を抱きまして、県の職員になって早37年が経過しようとしております。この間の約2分の1の18年間を土木公共部門に従事いたしました。またこのうち、10年間を裁判の指定代理人として従事いたしました。裁判を通じまして、仕事を進めるに当たっては関係の方々に対し、十分な誠意を持って十分に説明をすること重要性を実感したところでございます。公共用地の取得に当たりましても同様でございます。事業の必要性でありますとか、補償額の妥当性、これらを十分に説明しまして用地を提供していただくことが必要でありまして、そういうことによって社会基盤の整備がなるものではないかなと思っているところでございます。
 県職員最後の7年間を空港局、収用委員会事務局、そして建設支援局とお世話になりました。この間委員の皆様方の激励を支えとして、訴訟でありますとか、あるいは地域の対策に取り組むことができました。どうもありがとうございました。私は本年度をもって退職することになりますが、今後は県民の1人として県政の発展を見守りたいと思っております。どうも長い間ありがとうございました。

○進藤工事検査課長
 先ほどは2番委員より身に余るお言葉をいただきましてありがとうございます。また定年退職に当たりまして、このような発言の機会をいただき、感謝を申し上げます。
 振り返りますと、入庁以来土木技師として社会資本の整備、いろいろなものにかかわってまいりました。その中で静岡市内を流れます巴川の総合治水での大谷川放水路、そして麻機の遊水地、また清水港の新興津コンテナターミナル、函南町での東駿河湾環状道路など、そういったプロジェクトにも参画させていただく機会がございました。
 土木工事は地図に残る仕事と言われておりますが、転勤というものもございまして、実際に私が携わった短い期間では地図上ではちょっとしたしみぐらいにしかならないもので、とても地図に残せたということではありません。しかしながら先輩方、そしてその後を引き継いでくれた方々、その努力が一つになって今では、地図にしっかり残して、そして整備効果も発揮されていると思います。清水港の新興津コンテナターミナルは今では超大型コンテナ船が寄港する国際貿易拠点になっておりますし、東駿河湾環状道路によりまして地域の交通環境、大幅に改善しております。また私自身が巴川流域に住んでおるわけですけれども、台風や豪雨のときにも不安を覚えることなく安心して過ごすことができておりまして、私自身もこの社会資本の整備効果を享受させていただいていると感じております。
 後の世に引き継がれていく土木施設というのは一朝一夕に完成するものではなく、どうしても長い年月とそれから多くの方々の努力によってようやく地図に残るというものじゃないかなと思っております。私自身の力は小さかったですけれども、そうした事業の進捗にわずかでも貢献できたとすれば大変うれしい限りだと思っております。
 今後は一県民として静岡県の社会資本整備の進展を見守っていきたいと思います。最後に先生方のますますの御活躍を祈念しまして、引き続き交通基盤部への温かい御支援をお願いしまして私の御挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。

○小楠委員
 6人の方に代表して御挨拶をいただきましたが、交通基盤部、収用委員会関係の全ての退職者の方々に心から感謝を申し上げたいと思います。
 人生100年時代と言われています。昨年は、ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授の著書、「ライフ・シフト」が大ヒット、ベストセラーになりました。学び直しという日本語にはなっていますけれど、ギアチェンジをしなさいということなんですね。まさしく皆さんはギアチェンジのときだと思います。しっかりとギアをチェンジしていただいて、今後の人生が豊かで実りあるものになられることを心からお祈りをして終わりたいと思います。

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