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委員会会議録

質問文書

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平成20年2月定例会産業委員会 質疑・質問
質疑・質問者:遠藤 榮 議員
質疑・質問日:03/12/2008
会派名:自由民主党県議団


○遠藤委員
 私は質問と言いましょうか、既に委員長が送別の言葉も申し上げましたが、一応、私も考えてること、特に山田局長と井理事に対しまして、37年間という長い間、我が静岡県のため、また県政のために大変御尽力をいただいて、今回退官をしていくわけでありますので、仲間としてまたお世話になった人として一言ごあいさつを申し上げたいと思います。
 まさに、水を制するものは国を制するということで、企業局は工業用水それから水道水という形の中でずっとやられてきた。土地のほうもあるわけでございますが、これはまさに私たち静岡県が工業出荷高においては全国3位という位置を続けてくることができたということは、1つは工業用水があったからこそそういうのがある。それから、またいろんな面で日本一安い水道水もあったということで、地形的なこともありますが水に恵まれた大変裕福な県である。それを支えてきたのが私は企業局だと思っております。
 私は、企業局長というのは知事と対等な立場にあると組織的にはそう考えてきております。特に山田局長さんにお会いしたときに、キャラクターの変わった方がおられるなと本当に思いました。しかしながら考えてみますと、言葉はきついかもしれませんが、考えることはユーザーのためとか企業のために、そして地域のために県民のために、大変身を粉にしてやっぱりそういう問題に取り組んできた。そういうことに対しまして本当に心から敬意を表したいと思いますし、井理事は本当にまじめそのもの、局長とはちょっと逆に全くキャラクターが違うような形の方であったように感じます。河川、砂防の関係で御尽力をされてきたということで、本当に心から敬意を表したいと思いますし、いみじくも2人とも助役で出られてる。山田局長は最も難しい、今日は二人正副委員長がいますが、沼津の助役という形で、斎藤衛さんですか、そういう形の中で大変苦労されてきた。局長のキャラクターで本当に乗り切ってきたと思いますし、当時の県会議員というのは、今の人たちとはちょっと違ったような非常に個性のある方々が多かったような感じがいたすわけでございまして、そういう中を、市長との間をうまく繕うというんですか、そういうことをされてきたと。
 それから井理事は、浜北の長谷川さんという東大出の非常に頭のいいという、私は会ったことがありませんのでよくわかりませんが、そういう方のところに仕えて、そして市民とか職員とうまく連携をとりながらやられてきたということでございまして、たまたまこの2人の方は我々県議会、いわば県政と同時に地方の経験もされてきて、まさに広い面での見識を持たれた方であるわけでございます。
 そういうとこで昭和46年、私はちょうど30歳であったわけでありますが、そのときに入ってきたわけでありますが、ちょうどその時代が、何て言うんでしょうか、財政的にもぼちぼち落ちつくかなという感じのときであったように感じますが、考えてみますとこのときにいろんな事件が起きているんですね。日航機と自衛隊機が岩手県の雫石でぶつかって、死んだのはほとんど富士の人なんです。それとか、大久保清だかと言う連続殺人鬼とか、そういう非常に事件の多かった年かなということと同時に、「知床旅情」とか、「私の城下町」、古いやつだと言われますがということで、そういう流行歌もはやった年だと伺っております。
 こういう時代の流れが変わってきたときの時代に入ってきて、そして長年にわたりまして先ほど申し上げましたとおり、大変我々県政のため、県民のため、我々議会のためにも御尽力をいただきましたことに対しまして、心から敬意と感謝を申し上げたいと思いますし、私もそうなんですが、やはりこの世の中で一番大切なことは健康でなければならないと思いますし、そしていつでも健康でいたいというのは万人の願いであろうかと思います。
 昨日だれかちょっと言ったんですが、還暦は第二の人生のスタートであるなんてことを言ってた方もあるわけでございますが、奥様を初め家族の皆様方に大変御尽力をいただきながら今日まできたわけでございまして、送別の言葉になったかどうかわかりませんが、今後我々後輩のため、また県政のため頑張っていただきたいと思いますし、願わくばお二人にそれぞれ思い出か我々に教訓かございましたらお願い申し上げたいと思います。

○山田企業局長
 今、遠藤委員から心温まるお言葉をいただきましてありがとうございました。
 振り返ってみますと転勤が13回ありました。一番短いのが1年、一番長いのが4年であちこち行ったなと改めて思います。
 最初に県へ入ったときに、福祉事務所に配属になりました。榛原郡の担当をしまして、今覚えているのは八十幾つのおじいさんを相良の老人ホームに入れたら、その晩に首をつっちゃいました。ただ、縄が荒縄だったもんですから、体のほうが重かったもんですから下へ落ちて助かったとか。あるいは、これも高齢者の単身の家に行ったときに、1カ月前の敬老会のときにもらったビールの小瓶に新聞紙を丸めてふたがしてあって、これを飲めって汚い茶わんで出されて、目をつぶって飲んだという思い出があります。
 長くやったのが土地利用の規制の関係を2回、都合8年やりました。特に、2回目の主幹のときにはバブルのときでして、県内のゴルフ場の計画が60カ所ぐらいありました。最終的に、私が4年間いて許可したのが河合楽器、スズキ、それから伊豆急、いわゆる県内の企業しか認めないというそういう心づもりでやって、とにかくゴルフの会員権によって被害者を出さないという熱い思いでやった覚えがあります。
 それから空港も、実は3年ずつ2回やりました。最初のときには候補地があそこに決まって、空港対策室が初めてできて、そのときに13人が庁内から呼ばれて初めて部屋をつくったというのが思い出です。とにかく1回現地に行こうということでマイクロバスで行ったときに、今、空港をつくっている反対の北側の権現原という茶原がありますけども、あそこを見て、おおここはなかなかいいとこだ、それならすぐできるなと言ったら、ばかそっちじゃないよ、反対のあの山だと言われたのをよく覚えています。
 それから、沼津の助役で3年行かしてもらいました。いわゆる地方自治の最前線でいろんな仕事をやらしてもらったというのを非常に覚えています。おかげさまで沼津市を去るときに送別会が13回ありまして、3月中に消化できなくて4月にまたわざわざ2回行ったということがありました。考えてみれば、私のような者がよく首にならずにここまで来たなというのが正直な気持ちで、実際正直に言ってやりたいことは全部やったというのが今の気持ちです。大変お世話になりました。ありがとうございました。(拍手)

○井企業局理事
 貴重な時間をいただきましてありがとうございました。また、遠藤先生にはいろいろありがとうございました。
 先生の紹介にもありましたように、私は河川、砂防を中心にやってきました。それで、特に思い入れがあるのが砂防のほうの、私は急傾斜の事業がまだはしりの段階で、これの普及とそれから技術指針、それから災害現場でのその事業採択、これらを全部現地に行ってやった。そういうことで、常に思い入れがあります。そういう意味で私の経歴の中で砂防というのが今でも私は軸足だと考えております。
 それで河川のほうは工事係長をやらせていただきまして、その当時、相当の県単費がありましてこれは先生方の御要望にこたえるようにどうやって振り分けるかとか、本当に今から思うと隔世の感がありまして、かなり潤沢にあったという時代がありました。そのころ担当させていただきました。
 私の転換期は先ほど説明いただきましたように、浜北の助役をやらせていただいたことが、私の経歴の中で転換期かなと。中でも、直接市民と対話させていただいたということが非常によかったんですけども、一番は赴任早々、浜松市から合併の話が出ました。それで急遽、助役がその準備委員会の委員になれということで、公開の場でもって討論を、そういうのが毎月1回ありました。そういう中で、浜北を代表しましてアピールするというような役目を担わされまして、当時長谷川市長ときょうはここだけはしっかりアピールしなきゃというようなことで、当時浜松市とのいわゆる対抗馬として私の役割があったもんですから、そういう面で大きな勉強をさせていただきました。
 それと一番の収穫はやはり多くの人との出会いがあったということで、浜北、浜松、あのあたりを僕は東部の人間ですから、知らない世界で多くの人たちと出会ったというのが一番私の収穫だと思っています。
 それから、浜北の2年間を終わりまして企業局へ来ました。企業局は正直言って、私、土木の技術なんですけども初めての職場ということで、当時先ほどありましたように遠州水道の太田川の問題がもう本当に活発で、反対団体から多くの公開質問状が届いておりました。そんな中で、私はそのときに太田川問題を解決することが私の使命だとも思い、痛感しました。そういう意味で一生懸命やってきたわけですけども、この委員会におきましても太田川が重点課題の1つということで、多くの質問を受けまして活発な意見を述べさせていただきました。
 それで、太田川の水問題を担当しまして感じましたことは、ふだん蛇口をひねれば水が当たり前のように出てくるという私もそういう認識しかなかったんですけども、いざ地震とかが起こりますと必ず水が欲しいということで、またトイレ、それからふろ、洗濯。この水がないということが必ず第1面に出ます。そういうことで水の大切さ。それからもっと大きな目で見ますと、世界的にも異常気象ということで水不足が騒がれております。そういう中で、やはり水は財産であるということをここで改めて私は勉強させていただきまして、それで太田川につきましても、地震や頻繁に起こります天竜川の渇水に対して、やはり貴重な財産ということでこれを活用していくというのが、企業局にとって使命かなと思っております。
 そういうことで、多くの人たちに助けられましてここまで来ました。ありがとうございました。以上で終わります。(拍手)

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