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委員会会議録

質問文書

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令和5年2月定例会文教警察委員会 質疑・質問
質疑・質問者:天野 一 議員
質疑・質問日:03/02/2023
会派名:自民改革会議


○天野委員
 それでは、分割質問方式で2点御質問させていただきます。
 さきの委員会でも少し質問しましたけれども、交番の統廃合に伴って本通と弥勒の交番が弥勒に統合されます。そうした中で本通の交番が廃止されるわけですけれども、その交番は新通自治会の皆さんが暴力団事務所を追放する運動を20年前に積極的に行いその成果が出た象徴的な地であり、何としても残してほしいと地元の人たちが要望しているわけです。
 しかし、時代の流れで統廃合についてやむを得ないということで、新通自治会連合会ではこの交番と備品の無償譲渡、そして警察官立ち寄り所の形で残すことを田辺静岡市長に要望されております。県警察のこの要望への対応についてお伺いしたいと思います。

○楠ケ谷地域課長
 本通交番の廃止に伴う要望への対応についてお答えいたします。
 2番委員御指摘の要望書が静岡市長へ提出されていることは承知しております。本通交番の敷地は静岡市から借用している土地であり、静岡市との契約上、原状回復、つまり建物を解体して更地返還することになっております。ただ、土地所有者である静岡市から建物無償譲渡の要望が出された場合には、県の規定を含め様々な条件を勘案し、その可否について判断をさせていただきたいと思っております。
 また、旧庁舎に警察官が警らのために立ち寄ることは可能であります。
 引き続き、関係者、地元の方々へは丁寧な説明と対応に努めてまいりたいと思っております。

○天野委員
 どうも御答弁ありがとうございます。市と相談して地元の皆さんの気持ちをしんしゃくし、暴力団追放という歴史的な事実を残せるようにぜひしてほしいと思います。要望しておきます。

 次に、外国人、特にアジアから静岡へ働きに来る人たちが増えておりますけれども、持っている外国免許の切替え申請に行ったときに2か月といった非常に長い日数がかかると何人かの外国人が私のところに相談に来ました。もちろん外国免許の切替えについて、まずは外国免許が本物であるかなど様々な問題があることは十分認識しておりますけれども、できるだけ免許切替えの時間が短くなるような措置も大変大事ではないかと思っております。技能検査の合格率が低いこと、それから再受検まで何か月もかかることなどがあることもは十分承知しております。
 現在、県免許センターでの受検待ち日数はどのくらいになっているんでしょうか。それから今後の受検待ち日数短縮に向けた取組についてお伺いしたいと思います。

○有馬交通部参事官
 まず県内における外国免許の切替えの受検待ち日数でありますけれども、おおむね3か月から4か月といった状況であります。
 受検待ち日数の短縮に向けた今後の取組ですけれども、外国免許切替えの受検手続につきましては、受付、受検資格等の検査、学科審査、技能審査と4つの段階があります。その中でも受検資格等の検査では日本の免許制度とは異なる外国免許の取得経緯について通訳人を介して聞き取る必要があることに加え、外国免許証の真正性の点検や旅券や身分証明書、滞在期間を証明する書類といった添付書類を確認する事務に一定の時間がかかり、受検待ち日数が長期化する要因の1つとなっているところです。受検待ち日数の短縮に向けましては、技術的な問題や対応可能な職員の増員など様々な課題があると認識しておりますので、今後検討を進めてまいります。

○天野委員
 今御答弁していただいたとおり多くの課題と問題点がありますし、安易に免許証を与えて交通事故が増えても困るとのことも十分分かりますけれども、外国の人たちができるだけ早く免許を取りたいという声もありますので説明を十分し、対応を丁寧にしてあげてほしい。そのことを要望しておきます。よろしくお願いします。

 結びに、今年3月で定年退職を迎える県警本部の方が6人いると承知しております。その方々は、県警本部の仕事として県民の安全、そして本当に長い間家庭も顧みず警察の仕事に頑張ってくださったことに心から敬意と感謝を申し上げたいと思います。
 そして、今日6人の方の経歴を御紹介しながら、ぜひ同僚、後輩の皆さんに今までの経験と将来について若い人たちにはなむけのことをしていただければありがたいと思っておりますので、6人の方を紹介しながら一言お言葉を頂きたいと思っております。
 まず最初に、三原総務部長。昭和56年4月1日静岡県警察官を拝命、勤続42年。主に刑事部門を17年、総・警務部門に9年、総務部参事官、地域部長、交通部長などを歴任されました。知能犯罪調査に精通し、警察の捜査力強化に尽力され、公務員の汚職事件の捜査指揮を執るなど数々の重大事件を検挙、解決されてきました。総・警務部門では、広報課長、そして監察官を歴任され、今年度からは総務部長として警察活動を支える基盤の充実強化と警察力を最大限に発揮する組織運営に多大な貢献をされました。本当にありがとうございました。それでは後輩に一言よろしくお願いします。

○三原総務部長
 ただいま過分なるお言葉を頂きましたこと、また文教警察委員会で発言する機会を与えられましたことにまずもって感謝申し上げます。
 当委員会では説明者として6年出席させていただき、時として厳しい御指摘もありましたけれども、全て県民の生活をよりよくするためのもので総じて県警察に対する叱咤激励の意味合いが含まれていたものと思っております。
 また、当委員会では昨年退職した妻と2年間同席したこと、ある委員から妻が県下初の警察署長となったことを引き合いに女性警察官の職域拡大について主人としての感想を求められ述べたことなどがとても恥ずかしくかつ記憶に残っております。
 私ごとでありますが、警察人生のうち前半はほぼ刑事部門に属し、お茶くみ3年、雑巾かけと刑事のいろはを厳しくたたき込まれ、特に捜査二課当時は、警察署の道場に寝泊まりしながら幾多の知能犯罪を手がけてまいりました。後半になりますと総・警務部門が長くなり、特に採用補佐当時の4年間、増員606人含め約1200人の警察官を採用いたしまして既に県警の幹部あるいは主軸として勤務している姿を目の当たりにしていますと、非常に懐かしく感慨深いものがあります。
 私自身が警察官を拝命した志望動機理由も当時のテレビドラマ「太陽にほえろ」への憧れとともに近所にある駐在所の勧めで受験し、高校卒業と同時に警察学校の門をくぐったわけでありまして、42年という年月のうちに県民の期待と信頼に応える警察、「正・強・仁」の精神が体に刻み込まれたものだと思います。これもひとえによき上司、同僚、部下に支えられたからであり、職務を通じて大好きになった言葉、本気ですれば大抵のことができる、本気ですれば何でも面白い、本気でしていると誰かが助けてくれるの言葉どおり、警察は一家、愛のある絆の強い組織であったからこそであり、感謝の気持ちでいっぱいであります。警察を取り巻く環境は時代の変化とともに変わりますが県民の安全・安心を追い求め続ける姿は不変でありますので、静岡県警察のますますの御発展を祈念し贈る言葉とさせていただきます。本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○天野委員
 どうもありがとうございました。
 健康に留意してすばらしい第二の人生を送ってください。
 次に、橋交通部長。昭和56年4月1日静岡県警察官拝命、勤続42年。刑事部門15年、総・警務部門10年、生活安全部門8年、捜査第一課長、三島警察署長、地域部長などを歴任されました。捜査第一課長時代には細江署管内で発生した一家4人殺人事件や浜名湖バラバラ連続殺人の陣頭指揮を執られ全容解明に導きました。今年度交通部長として様々な取組を指揮し、交通事故件数、死者数、負傷者数のトリプル減を達成するなど安全な交通社会の実現に尽力をされました。ぜひ後輩に一言よろしくお願いします。

○橋交通部長
 ただいま身に余る御紹介を頂きました。またさらにはこのような場面で発言の機会を頂きましたこと、まずもって感謝を申し上げます。
 私は当委員会には交通部参事官、総務部参事官、地域部長、交通部長と4つのポストで対応させていただきました。その都度県民の代表たる委員の皆様からはそれぞれの部門が抱える主要な課題、安全・安心、行政サービスの向上といったまさに県民の視点で貴重な御意見を賜ってまいったと感じております。おかげさまでそういった課題をその後の業務に生かすこともできたなと感じております。本当にありがとうございました。
 私ですけれども、私は純粋に刑事という仕事をしたくて警察官を拝命しました。今御紹介にもありましたけれども、憧れの捜査一課長も経験させていただいたほか、その時々で様々な仕事を経験させていただき、その都度上司、先輩、同僚、多くの仲間に支えられて何とか任務を果たすことができたと痛感しております。今では苦労したこと、つらかったこと全てがよき思い出となっております。
 特にこの最後の1年でありますけれども、警察官としての原点である制服勤務に戻りまして県民に最も身近な脅威ともいえます交通事故抑止対策に従事することができました。年々減少傾向にある交通事故でありますけれども、死者数はゼロではなく、現実に失われている命があるわけであります。また大半の事故は県民にとって予期せぬものでありまして、被害者や御家族の人生を奪い、また加害者の人生も狂わせることもあります。そんな悲惨な事故から県民の命を守る、これが交通警察官の使命と考えて微力ながら指揮を執らせていただきました。次代を担う後輩たちにはこの気持ちを忘れずに心身ともに健康で県民のために活躍されることを期待しているところであります。
 この春から警察を離れる一抹の寂しさもありますけれども、微力ながら一県民として警察業務や行政を支えるため、また社会のために何ができるかということを模索しながらまた第二の人生を謳歌していきたいなと考えております。委員の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。(拍手)

○天野委員
 どうもありがとうございました。
 第二の人生、健康に留意して頑張ってください。
 大村総務部参事官。昭和60年4月1日静岡県警察官拝命、勤続38年。主に総務部門15年、地域部門14年、主任監察官、浜松西警察署初代署長などを歴任されました。地域部門在籍時には空き交番対策として交番相談員の大量増員を実現させたほか職質指導班の新設、山岳救助隊の増員など住民の身近で活動する地域警察の基盤強化に尽力されました。今年度は警察業務編成の要である総務部参事官として大仁警察署の開署準備や各種システム開発など警察活動の基盤強化に尽力されました。ぜひ後輩に一言よろしくお願いします。

○大村総務部参事官
 ただいま過分なるお言葉を賜り、また発言の機会を与えていただきまして本当にありがとうございます。
 私、当委員会の説明員としてはこの2年務めさせていただきましたけれども、若い頃に補助者として4年ほどこの場に同席させていただきまして、議員の皆様の非常に鋭い御指摘にたじたじとした思いが今よみがえってまいります。そのおかげもありまして、その後の県警の進めるべき方向性を確認でき業務に非常に役立ったという思いがいたしておりまして非常に感謝しております。ありがとうございました。
 私の警察人生を振り返ってみますと、前半は薬物捜査とか少年事件捜査で、当時はシンナーや覚醒剤が蔓延している時代でありまして、犯罪のピークといわれる平成14年までどんどん増えていって捕まえても捕まえても減らないということで過労で入院したり当直中に倒れてしまったこともありました。そんなときに警察改革という時代になりまして、本部に初めて登用されていろんな業務の改善や警察基盤強化に尽力させていただいた思い出があります。また後半につきましてはどちらかというと警察基盤強化で、一線の警察官の職務質問技能の向上、そのほか捜査指導、予算獲得による警察署のバックアップが中心だった警察人生かと思います。
 非常にいろいろあった中で思い出されるつらかったことにつきましては、同僚であった航空隊長以下5人が殉職するヘリの事故があったこと、そしてうれしかったことは過去に検挙、補導した被疑者や少年が子供を抱いて挨拶に来てくれたこと、地域安全活動が始まり、推進委員の皆様等が非常に地域の安全について一生懸命警察に協力しますからと尽力していただいたこと、浜松西警察署長として初めてできる警察署のため事前準備から浜松市民の方中心に非常に全面的に協力しますと心強いバックアップを頂いて無事に開署を迎えられたこと、その後浜松中央署時代からなかなか捕まらなかった一連のコンクリート片を道路に置く置き石事件とか農機具小屋の放火事件、連続ものの事件を1年かかって検挙、解決できて本当に市民の皆様には喜んでいただいたことが感慨深いところであります。
 そんなことで我々の後を引き継ぐ後輩の皆さんにはやはりまずこつこつ努力して継続していただきたいということと、もう1つは地域住民の皆様の協力に感謝しつつ住民の皆様と協働しながらぜひ治安維持のために一隅を照らすという気持ちで頑張っていただきたいなと思います。
 最後に、委員の皆様をはじめ県民の皆様には県の安全・安心のために警察に協力していただき非常に感謝しておりますし、世界で最も安全な日本の中で最も住みやすいと言われている静岡県が今後さらに安全・安心で発展して幸福度が上がりますよう祈念しております。どうもありがとうございました。(拍手)

○天野委員
 どうもありがとうございました。第二の人生、健康に留意して頑張ってください。
 次に、有馬交通部参事官。昭和57年4月1日静岡県警察官拝命、勤続41年。主に警備部門16年、総・警務部門11年、交通部門9年、焼津警察署長、地域課長などを歴任されました。警備部門在籍時には大規模警備における計画の策定等に尽力されたほか、刑事部局の危機管理部門への派遣時には県警察と知事部局の連携強化に貢献されました。
 今年度は、運転免許行政を総括する交通部参事官として指揮を執られ、キャッシュレス決済の導入に向けた取組など免許行政の利便性向上に尽力されました。本当にありがとうございました。それでは一言よろしくお願いします。

○有馬交通部参事官
 ただいま過分なるお言葉を頂きました。また文教警察委員会で発言する機会を与えられましたことに対して、まずもって感謝を申し上げます。ありがとうございます。
 私は特に委員会では説明者として地域課長で1年、交通部参事官で2年の計3年出席させていただきましたけれども、その間委員の皆様には貴重な御意見や数々の御助言を頂きまして深く感謝を申し上げます。
 私ごとでありますけれども、昭和58年3月に警察学校を卒業いたしまして、振出しが御殿場警察署の駅前派出所でありました。そこから警察人生が始まりまして40年20回の異動で様々な経験をさせていただきました。
 機動隊のとき、昭和60年8月でありましたけれども、群馬県の御巣鷹山に登りまして日航機墜落事故の現場で遺体収容と捜索活動で見たときの光景は一生忘れられないと思います。
 また、平成4年の交通機動隊、白バイ隊員であったんですけれども、緊急走行で違反者を追いかけていたところに突然前の車が右折をしまして、そこに張り当たりまして白バイを大破させてしまったんですけれども、とっさにその車を自分で飛び越えまして柔道の前方回転受け身みたいな形で着地しまして、無傷で命拾いをしたこともありました。
 また、平成13年警務課の課長補佐のときでありますけれども、9.11の米国同時多発テロがありまして県内重要防護施設の警戒警備の強化であったり、その後炭疽菌の騒ぎがありましたけれども、そういった対応に長期間多忙を極めたことなど数を挙げれば切りがありません。ただ大泥棒を捕まえたりとか大事件を解決したりとか自慢できるような大手柄はついに上げることはできませんでしたけれども、先ほどの白バイでの事故のように失敗の数だけは誰にも負けないと自負をしているところであります。失敗するたびに一人では解決できずに非常に困ってしまったり、挫折しそうにはなりましたけれども、そのときその場で本当にすばらしい上司、先輩、同僚、後輩の多くの方々から数々の助けをもらえたことで失敗を乗り越えて成長することができ、何とかここまでたどり着くことができました。
 41年前、警察官でもなるかということで何の志もなく警察官を拝命した典型的なでも警察官ではありましたけれども、この40年を振り返りまして静岡県警は本当にすばらしい組織である、職場であると胸を張って言えるということであります。来月からはOBとなって静岡県警察を応援する立場となりますけれども、今後も静岡県警察が県民の安心・安全を守るという崇高な使命を果たすために、さらにすばらしい組織、職場へと発展し続けますよう祈念いたしまして、卒業したいと思います。本当にありがとうございました。(拍手)

○天野委員
 どうもありがとうございました。第二の人生、健康に留意して頑張ってください。
 次に、山下組織犯罪対策局長様。昭和62年4月1日静岡県警察官拝命、勤続36年。刑事部門に29年在籍、捜査第四課長、組織犯罪対策課長などを歴任されました。組織犯罪対策全般に精通し、特に暴力団捜査にその手腕を発揮され、山口組傘下の後藤組に対する徹底した取締りを推進し、数多くの事件で陣頭指揮を執るなど暴力団組織の壊滅、弱体化に尽力されました。
 今年度は、組織犯罪対策局長として稲川会捜査依頼に対する民事訴訟の提起などあらゆる手腕を駆使した組織犯罪対策を推進されました。本当に御苦労さまでした。一言よろしくお願いします。

○山下組織犯罪対策局長
 ただいま過分なるお言葉本当にありがとうございます。私は、今御紹介のとおり暴力団取締り一筋で本日を迎えることができました。その中で大きな大捕り物等いろいろありましたけれども、いつも心がけているのは先頭に立っていくこと。特にガサ入れのときですね。事務所に行くときには何人かで行きますけれども必ず先頭で入る。先制攻撃ということでいつも心がけておりました。そのおかげでけがもなく今までやってくることができました。その中で拳銃の大量13丁武器庫摘発と洋上の瀬取りによります覚醒剤の押収――日本最大1トンという大きな事件に関わることはできましたけれども、相反するといいますか地道な暴力団排除活動が何しろ忘れられない思い出となっております。特に2番委員の先ほど来の話の本通地区の森田一家の事務所の撤去活動、平成13年1月2日に本通の森田一家本部事務所に拳銃が撃ち込まれたということで美尾組との対立抗争事件が勃発しました。その中で暴力団排除活動が平成、その前の昭和では浜松の一力一家の排除活動、令和では富士宮での後藤組の流れをくみます良知組の本部事務所の完全撤去といった大きな住民の方々の暴力団排除の姿勢がかいま見れたということがありました。私が強調したいのは、本通地区の住民の方々の勇気と行動力です。これはもう称賛に値すると思います。今後の暴力団の排除活動について模範となる活動であったと思っております。
 暴対法ができて30年たちましたけれども、これほどまで住民の方々の防犯意識が高まったということは当時――平成の最初の頃、私もみじんも思っていませんでした。本当に皆様方のおかげだと痛感しております。
 最後に、特殊詐欺の事件構造の解明、実態解明が我々マル暴の刑事にとって課題だと痛感しております。
 最後に、後輩に残す言葉として特殊詐欺の摘発なくして暴力団の壊滅なしということを言って終わりとしたいと思います。本当にありがとうございました。(拍手)

○天野委員
 ぜひ第二の人生、健康に留意して頑張ってください。
 次に、成宮総務課長。昭和60年4月1日静岡県警察官拝命、勤続38年。主に生活安全部門15年、総・警務部門5年。サイバー犯罪対策課長、富士宮署長などを歴任されました。サイバー犯罪対策課長として不正なアクセス事案の悪質事件の検挙、解決を推進されたほか、昨年度は生活安全企画課長として特殊詐欺の被害防止対策の陣頭指揮に当たり、県民の防犯意識の醸成に寄与されました。今年度は総務課長として警察力を最大限に発揮するため、組織運営に尽力されました。本当にありがとうございました。それでは一言よろしくお願いします。

○成宮総務課長
 ただいま身に余るお言葉を頂きまして、大変恐縮しているところであります。またこの場で発言をさせていただける機会を頂きまして、まずもって感謝申し上げます。ありがとうございます。
 私は、当委員会では補助員として3年、説明者として2年出席させていただき、委員の皆様方には様々な御指導、御助言を頂いたところであり重ねて感謝申し上げます。今後も引き続きよろしくお願いいたします。
 私は38年間静岡県警察にお世話になりました。振り返ってみますと、警部補からでしたが警察人生の大半を生活安全部門に籍を置いておりました。皆様方に御披露できるような功績はございませんが、県民の安全・安心を守るために一生懸命尽くしてきたという自負はございます。
 また、警察人生のフィナーレとなる最後の1年を総務課長という立場で組織の管理部門で勤務させていただいたことは私自身にとって何事にも代えがたい貴重な経験であったことは言うまでもありません。組織に感謝しているところです。
 この春で県警察を卒業するわけですが、残る後輩たちにはぜひ県民のための警察であることを念頭に県民の声に耳を傾け、警察として何ができるのかを考えて常にファイティングポーズを取って前向きな姿勢で取り組めば、必ずや県民の期待と信頼に応えることができるものと思っております。
 委員の皆様には、警察活動に対しましてより一層の御理解と御協力を賜りますことをお願いするとともに、皆様の今後のますますの御活躍を祈念申し上げます。誠にありがとうございました。(拍手)

○天野委員
 6名の方どうもありがとうございました。本当に県民の安全・安心のために御尽力された今までの四十何年間に本当に心から感謝を申し上げます。第二の人生、健康に留意してまたすばらしい人生を送っていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

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