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委員会会議録

質問文書

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平成30年2月定例会危機管理くらし環境委員会 質疑・質問
質疑・質問者:吉川 雄二 議員
質疑・質問日:03/08/2018
会派名:自民改革会議


○吉川委員
 それでは、私から一言申し上げたいと思います。
 本日、今委員会を最後として退官なさる方がおられます。外岡達朗危機管理監であります。外岡危機管理監、38年の越し方を振り返れば、まさに万感を胸に悠揚として迫らざるものがあると思います。ここに本県行政百有余年のその歴史に刻んだあなたの光彩陸離たるその足跡をたたえ、本委員会を代表して送別の辞を述べたいと思います。
 外岡危機管理監は、昭和55年春4月、実学尊重を一をもって貫く、みちのくは東北大学の学窓を巣立つや勇躍静岡県庁に入庁したのであります。自来時代38年の長きにわたり静岡県職員として、施政一貫孜々として貫かんを説き、趣をもってその職を奉じたのであります。平成25年4月危機管理部理事を拝命、27年4月危機管理監兼危機管理部長、そして29年4月には当職危機管理監とまさに要枢に遇せられたのであります。確たる経歴は常にして実践躬行を旨としたあなたの英邁な資質のなせるところであります。
 明治の建国の折、時の司法卿江藤新平は、国家の勢威は国民の安堵にありと述べているのであります。ならば今日、地方の繁栄はその地域に住む人たちの安心と安全をしかと担保することであります。まさにその圧巻が危機管理行政なのであります。あなたはかかる危機管理行政のトップとして、持ち前の才覚と見識の赴くところ大いにその辣腕を振るったのであります。時に天を仰いで慟哭、血涙地に滂沱するといった真摯な心情と、静岡県職員としての蕩揺することなき矜持に張り合わせられた使命感を持ってその職責を全うしたのであります。
 本日ここに職を辞すに当たり、その感懐と後から続く後輩にこれまで培ってきた経験を踏まえ、一言勉励の言葉を賜ればと思います。よろしくお願いいたします。

○外岡危機管理監
 吉川委員から身に余るお言葉をいただき、心にしみるものがございました。私は部付をやらせていただいたものですから、男女共同参画室長と吉川委員が議会の控室で話があって私は横にいたんですけれども、いつまでたっても話が終わらないでどうなっちゃうのかなとか、そういう思いをさせていただいたり、いろいろとお世話になって、その上でこういうお言葉をいただけましたので本当に感謝申し上げます。ありがとうございます。
 私は、38年ということで、どういうところからお話しすればいいのかあれですけれども、一番最初に東部民生事務所に配属されまして生活保護を担当いたしました。大学を卒業してすぐだったんですけれども、生活保護ということでさまざまな方、さまざまな人生、さまざまな御家庭からいろいろお話を聞いて、あなたどんな人生送ってきたのと、財産は、身寄りは、そういうところにお願いしたのっていうところから入って、じゃあこれからどうしていくのという相談、就労とか通院であるとか葬式の関係であるとか、いろんなことをさせていただきました。ポイと出の大学生が何を言うかというような、相手方としてはそうだったと思いますけれども、さまざまな人生があるんだなということを経験させていただいて、非常に勉強させていただいた思いがございます。
 その次は、静岡財務事務所で納税を担当いたしまして、事務所に行きましたら赤いシャツに白いネクタイでラメの入った背広を着て、エナメルの靴を履いたこわもての方がどんとテーブルに座ってらっしゃいまして、これはどんな滞納者なんだろうと思ったら、あれがおまえの上司だと言われました。すごいところへ来ちゃったなと思ったんですけれども、そこで納税ということで差し押さえとかそういうことも経験しまして、ピアノを押さえてきたりとか、ロッカーを押さえてきたりしまして、ロッカーをみんなで磨いて出したのはいいんですけれども、ピアノはこんなでかいものを押さえてきて置くところもないし運ぶ料金はかかるし調律もしなきゃいけないし、売れなかったらどうするんだという話があったりとか、あるいは滞納者の方から安倍川の河原へ出てこいと脅しのお言葉をいただいたりとか、ここでもいろんなことを経験させていただきました。公売手続とか差し押さえの手続とか、納税者との交渉であるとかそういったことをいろいろ先輩の指導のもとに経験させていただきました。
 その後、県庁で農業の補助金の関係を主に、統合補助金の取りまとめみたいなことをさせていただいて、自分のところだけでおさまる話じゃないので、それぞれの部へ行ってお話を聞いたり、出先機関あるいは国と市町との縦横の調整みたいなことをやらせていただいて、これもまたいろいろ自分の中で世界が広がったかなと。それ3年ぐらいやらせていただきました。
 その後で人事課へ行きまして、人事課には9年いたんですけれども、そこでは基本的な制度管理であるとか組合交渉をどういう形でまとめていくのか、長期的にどういう落ちつかせ方をしていくかとか、あるいは数年かけてこういうところへ落とし込んでいこうとか、そういった段取りとか交渉の仕方を学ばせていただいたり、あるいは事業調査で全県を回らせていただいて、県全体で一体で大体どんなことをやっているのかを学ばせていただきました。
 その後、3年ぐらい企画調整のところへ行きまして、奥大井・南アルプスマウンテンパーク構想というのがあったんですけれども、当時は地域連携構想みたいになっていて、ハードに行くというのじゃなくて、少し地ならしをしていこうみたいな雰囲気になりまして、その協議会の運営みたいなことをやったんですけれども、当時はいろいろあったんですが、地域をどう活性化させていくかということで、エコツーリズムみたいな形でいろんなところを見て回って自分のところの魅力を出して行きましょうとか、グリーンツーリズムのような形でそば打ち体験をやってその仕組みをつくっていこうとか、あるいは子供キャンプという形でいろんなところでキャンプを仕掛けて指導者を養成して、旅行とセットにさせて今でいうエコツーリズム、グリーンツーリズムということの方式を提案したりとか、あるいは南アルプスに登ったりとか、おまえ遊びに来ているのかと言われたんですけれども、そこで3年間くらい過ごしました。
 その後、2年間また人事課へ戻ってやりまして、それから次が部付主幹という形で議員の方々のお相手をさせていただいて、またここでもいろいろなタイプの方がいらっしゃって、いろんなことがあって、当局側の立場と議員さんの立場と、どちらかというと議員さんの立場になっていたかもしれないですけれども、そういうところでいろいろ経験させていただきました。
 その後、男女共同参画の専門官を2年やりまして、それから人事委員会、それからくらし・環境部の総務監ということで、ここで東日本大震災の受け入れを経験しまして、その管理局長を経て、そのときいろいろ危機管理部に対して何でだと文句を言ったかもしれないんですけれども、危機管理部へ来ることになりまして、おまえやったことあるのかって、いや初めてですとかということで、そこから5年間危機管理部でやらせていただきまして、最終的には単身赴任のような形で過ごさせていただきました。
 この中で、やはり世の中本当に38年の間人の価値観というかそういったものも変わってきて、やはり我々のころの高度成長を経て、オイルショックがあって、資源の有限性とかいうことが言われて、物より心の時代だというような形で、これからは地方の時代だよというようなところで県に入って、いろんな形でそのころというのは、どちらかというと人が大切にされていたというか、成果を生み出すのは人なんだよということで、給与とかそういう仕組みも生活給的なものとか、子供を育てていく、その子供が大人になってまた消費をしていく。要するに会社というものは従業員のものだというか、そういうような従業員とともに成長していくんだというような雰囲気があった時代だったですね。それがだんだんと短期的な成果が求められるようになって、物を売るんだったら別に国内でなくてもいい、外国で売れればいいというような話になってきたときに地方が切り捨てられていく、あるいは人が切り捨てられていく。いろんなものを切り捨てていった中でやっぱり今の少子高齢化と、だんだんと社会が小さくなってきてそれで困ってきているなと。1980年ごろ1.8ぐらいの特殊出生率というのは、大体各国そうだったんですけれども、その後日本はどんどん下がってきて、本当に切り捨ててきたことがよかったのかな、効率一辺倒で来てよかったのかなというときに危機管理というものを今考えたとき、やっぱり目に見えないものについて、もう少し長期的にものを見て備えていく必要があるのではないかなという中で、今出てきているのはやっぱり美しく、強く、しなやかに、多重防御という言い方をしたりしますけれども、要するに無駄とか、ゆとりとか、余裕とか、そういったものがある程度社会の発展とか成長を支えていたんじゃないのかなと。あるいは危機管理をやっていく上で、今先ほど地域振興との兼ね合いも出ましたけれども、まちづくりの段階から、地域づくりの段階からも復旧も復興も見据えながら危機というものを念頭に置いて社会をつくっていく。そのときにやはり何に対して備えていったらいいかということを一人一人が考える必要があるというところで、最後に危機管理というところに来させていただいて、人の命を守る、人の命をつなぐということの重要性、あるいはその責任、使命感というものを持たせていただいて、こういう立場で終わらせていただけるのは本当にありがたかったなと思っています。
 我々としては、危機管理部が県政を支えていくんだと、今回の富国有徳の美しい“ふじのくに”づくり、静岡県をドリームズ カム トゥルー
 イン ジャパンの拠点にという中でも、一番それを担っているのは危機管理だと。命を守る危機管理がまずあって、その上に人づくりがあって、富、豊かさがある、そうした中で実を図っていくという理念を打ち出している県で、危機管理という立場で人の命をつなぐ、それが持続的な発展につながっていく、社会の基盤になっていくと。ただやはりそれを実現していくには、言葉ではそうなのかもしれないですけど、魂を入れていく必要があると思うんですね。魂を入れて、そこを基本に一人一人が動いていく。どこの部署にいようと危機管理がまず大事なんだよと。危機はそこら中にあるという、いろんな意味で仕事を進めていくということは危機管理だと。いかに変化に対応して適応していくかということを認識していく必要があると思っていますので、そういうことを後輩には伝えていきたいなと思っております。
 ここまでやって来られましたのも、よい部下、よい同僚、よい上司、よい先生方、皆様に支えていただいてここまで何とか務めることができました。改めて心よりお礼を申し上げます。また最後にこういう機会をいただきましてありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。(拍手)

○吉川委員
 これからの本県行政にとって大変含蓄のある、極めて示唆に富んだ言葉の数々、まことにありがとうございました。
 つらつら思うに、外岡危機管理監とは平成15年、あなたが部付主幹の折でございました。今にして思えば、まさか私が外岡危機管理監の送別の辞を述べるとは思いませんでした。まことにもって宿世の縁と申しましょうか、人生の妙味を感じ入っております。この上は外岡危機管理監の第二の人生の壮途を祝すとともに、気を込めた奮闘、努力を御祈念、御期待申し上げたいと思います。
 さて、本委員会終了に当たり、皆様方のその労をねぎらい一言申し上げたいと思います。匪躬之節を尽くすという昔日の、いわゆる戦前の官僚が常々旨とした言葉でございます。匪躬之節を尽くすというのは、いわゆる公僕として国家に、そして陛下に尽忠するということであります。尽忠の忠は親にこう、君に忠の忠であります。戦前の官僚はいみじくも天皇の官僚でありました。よってその尽くすべき所在はただひたすら国家であり陛下でありました。しかしながら戦後はその尽くすべき所在は極めて多様な価値観を持った、それゆえ極めてファジーであり、尽くすにまことにもって困難な国民あるいは県民になったということであります。そして今日、公務員皆様に対する怨嗟の声、時としてほうはいとして起きる中、ここにおられる答弁席の皆様がこれによく耐え、その職責を全うするには、私は公僕としての登用することなき、いわゆる緩むことのない使命感をしかと持つことだと思います。まさにこのことが私は地方の繁栄の基だと思います。地方の繁栄なくして国家の繁栄はありません。今後とも私どもともども県政発展に向け、より一層の精進、努力をしてまいりたいと思います。結びに活発な御議論に衷心より感謝を申し上げまして挨拶にかえたいと思います。ありがとうございました。

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