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委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


令和2年2月定例会厚生委員会 質疑・質問
質疑・質問者:杉山 盛雄 議員
質疑・質問日:03/10/2020
会派名:自民改革会議


○杉山(盛)委員

 それでは、最後に1問質問して、言葉を添えたいと思います。

 各会派から本当にさまざまな質問がありましたが、ただはっきりしていることは明確な特効薬がない、これが一番の不安。それから今世界中が国難であると思いますが、ま

ず池田部長に今までの質問等に対しての総括をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

○池田健康福祉部長

 今回の新型コロナウイルスでございますけれども、やはり今2番委員が言ったように、特効薬がないのが一番問題でありまして、もし特効薬があればインフルエンザと何ら

変わらないとも言えるわけですので、本当にいち早く開発されないかなと願っているところでございます。

 ただ、我々は願うのが役割ではございません。できることを最大限にやって、県民の不安を解消していくことで、きょういろいろいただいた御意見を参考にしながら直ちに

行動に移したいと思います。ありがとうございました。

○杉山(盛)委員

 最後に提言をしたいと思いますけれども、県としてやれるべき点は全部やると同時に、先ほどの質問の中で部局の横断的な情報を持ち合わせていないとのことです。これだ

けは県としてさまざまな問題を共有しながら、話し合いをしっかりとやっていただきたいと最後にお願いを申し上げます。

 そして、慣例でありますので、私から最後にはなむけの言葉を送りたいと思います。

厚生委員会の説明者の中に、この3月をもちまして御勇退される方々がいらっしゃいます。

 今答弁いただきました池田和久健康福祉部長、そして長岡正喜生活衛生局長、森健衛生課長の3名であります。

 この方々が県に奉職してから現在に至るまで、我が国の取り巻く情勢は大きく変化したわけでありますが、この間それぞれのお立場で尽力されてこられました。私から若干

の略歴等を御披露しながら感謝の言葉を改めて申し上げたいと思います。

 まず、池田健康福祉部長でありますが、昭和57年度に入庁されまして、若いころから県庁のエースとして期待され活躍されてきました。

 平成25年度は、財政課長として本県財政のかじ取りをなされ、平成26年度は教育委員会事務局教育総務課長として、多岐にわたり教育課題の解決や対策の推進に手腕を発揮

されたわけであります。そして平成30年度から健康福祉部長となり、健康福祉行政全般にわたりさまざまな政策を先頭に立って進めていただきました。

 特に、本庶佑京都大学高等研究特別教授からの提言を受ける中で、健康寿命延伸の取り組みにおいて中核となる人材を養成する静岡社会健康医学大学院大学の設立に着実に準備を進められて、静岡県が再び健康寿命日本一になるための道筋をつくられたと思っております。

 若干話をずらしますと、池田部長は名前が見てのとおり和久といいますが、それをもじって先輩からは「わぎゅう」と非常にかわいがられ、特に元副知事、現在の土屋補佐

官などは本当に頼りにしながら、またかわいがっていたそうであります。

 そのような部長であったからこそ、親睦会の折には真っ先にマイクを手にして歌い出し、若い職員の先頭に立って盛り上げるなど大変部下思いであったそうでありますが、

私から言わせりゃただの歌好きであったのかなと思っているわけであります。

 そして私ごとですが、私の携帯電話には池田部長じゃなくてまだ池田部付として電話番号が入っているほど、長いこと個人的には大変お世話になったわけであります。

 先ほどまでコロナウイルスの集中調査を行っていましたけれども、健康福祉部では本当にこのような困難な事案が降って湧いてくるわけですが、そんなときに池田部長が先

頭に立ってこんなに頑張っているから私たちも全力で頑張ろうと、職員が全員そのような気持ちになるのも、仕事もでき、部下への気配りもできる池田部長であったからこそ

だと思っております。いわば健康福祉部ワンチームの大キャプテンであったわけであります。

 そんな池田部長ですから、コロナ問題の収束を見ずに退職することは断腸の思いだと思いますが、後輩が頑張っていただけると思っております。本当に38年間御苦労さまで

した。お疲れさまでございました。

 次に、長岡生活衛生局長でありますが、昭和60年度に獣医として入庁され、衛生行政関係につきまして35年の長きにわたりましてさまざまな役職を務められ、特に平成27年

度からは衛生課長を、そして平成30年度からは生活衛生局長を務められてまいりました。

長岡局長は本県において、HACCP普及の草分け的存在であります。

 令和3年までに、全ての職員と事業者がHACCPに沿った衛生管理を行うことになる一大転換期を迎えておりますが、大きな混乱もなく、また準備が進められていること

も、局長の御指導のたまものと思っております。

 また、長岡さんは中国産冷凍餃子事件であったり、桜海老の産地偽装事件であったり、世間を騒がした案件にかかわるとともに、食中毒に対応した件数は20件を超えるなど

県の衛生職員の中でも類を見ない経験を積まれた方であります。問題のあるところに長岡ありと言っても過言ではありません。

 難しい問題に関与し、解決してきた長岡局長ですが、健康福祉部で開催したボッチャ大会には若い職員を率いて参加されたり、その後の反省会まで参加するなど若い職員に

とってかけがえのない理想の上司であったと思われるわけであります。

 ぜひ、今後も困難な課題があったときには後輩職員に御指導賜りたいと思っております。大変にお疲れさまでございました。

 最後に、森衛生課長です。昭和60年度に獣医師として入庁され、35年の長きにわたりさまざまな役職を経験され、平成27年から衛生課の技監、平成30年度からは衛生課長を

務められてきました。

 森課長と言えば、日本の食を取り巻く環境が大混乱となりましたBSE、いわゆる狂牛病の対策に当たられました。当時牛丼チェーンから牛丼が消えてしまう衝撃的な事象

が発生したことも記憶にあるところでございますが、こういった中、森課長が本県BSE検査体制を整備し、また静岡食の安全のためのアクションプランを策定し、生産から

流通、消費に至る食の安全・心を総合的に確保する取り組みを推進されてまいりました。

 このような課長の活躍のおかげで牛丼も復活し、牛丼に限らず我々も安心して食生活を楽しむことができております。ちなみに森課長は肉料理ではやっぱり牛丼が大好きだ

と言っております。

 また、森課長は平成30年6月からいわゆる民泊の開始も主動されました。一時は大きな混乱が起こるのではと危惧されましたが、森課長の御指導によりまして問題もなく開

始され、順調な運用が続いております。森課長が築かれた食の安全安心を守る意識は後輩職員に引き継がれていくと思います。大変にお疲れさまでございました。

 さて、以上のように3名の皆さんにこれまでの御活躍、成果となってさまざまなところで花が咲き、本県の発展に寄与されてきたわけでありますが、今後ともこれまでと変

わらず、本県のために御尽力を賜りますように心からお願いを申し上げます。

 そしてあわせまして、健康福祉部そして静岡がんセンター局におかれましては、この場にいらっしゃる方々以外にも多くの方がこの3月をもって退職されます。お一人お一

人にはなむけのお言葉を伝えたいところでありますが、かないませんことをお許しいただきたいと思います。皆さん本当にこれまでありがとうございました。

 それでは、ここで我々県議会議員や後輩の県職員に対しまして、これまでの貴重な経験などを踏まえ、一言ずつお話をいただければ幸いでございます。

 まず、池田健康福祉部長、そして長岡生活衛生局長、森衛生課長の順番でお願いをしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

○池田健康福祉部長

 過分なお言葉をいただきまして、まことにありがとうございました。

 38年県の職員をやっておりまして、最初観光貿易課という課がございまして配属されました。

 そこで浙江省展を初年度に開催し、それ以来浙江省との関係が続いておりまして、当時は与える一方で何らメリットがないじゃないかと思われていた交流だったんですけれ

ども、今は全く立場が逆転したような形になっておりまして、本当に38年という年月で中国はあれだけ成長できるんだなと改めて感じております。

 それから、そのときに非常に仕事が忙しい部署だったんですけれども、夜残業していたら通産省から出向していた次長に酒を飲みに連れていかれまして、そこで当時読んで

いました城山三郎の「官僚たちの夏」の話をしました。通産省というのはすごいダイナミックな仕事をやってますねと話をしたら、来るかって言われ次の異動先が通産省でご

ざいまして、しかも「官僚たちの夏」の舞台となった課で通産省のビジョンをつくる課だったんですね。1985年ですから90年代ビジョンにはちょっと早過ぎるのでビジョンを

つくる年ではなかったんですけれども、1985年9月にG5合意があり、240円の為替レートが一気に160円に上がりまして、これから日本経済どうなるんだという局面を迎えま

して21世紀ビジョンをつくろうという話になって、急遽21世紀ビジョンをつくることになりました。

 当時物すごく忙しくて、NHKスペシャルかな、今もありますけれどもそこのプロデューサーが取材させてくれって言ったんですが、忙しいから断ったと。そのようなとこ

ろでございました。

 本当に当時の仲間が戦友のように今も全員と――衆議院議員、参議院議員といろいろ偉くなっておりますけれども――年賀状をやりとりしてまして、非常に大きな経験をさ

せていただきました。

 その後、先ほどお話しした工業技術センター整備をやりまして、財政課に何回も通っている間に次に財政課に連れていかれまして、ここもちょっとトラブルがありました。

初年度、県議選があり3月の第1週ぐらいで議会が終わりまして時間があったのでカナダにスキーに行っちゃったんですね、1年目で。そしたら課長補佐から生意気だと言わ

れ担当を外されまして電算開発に回されました。しかしそれが私の財政課生活を長くしたもとでございまして、開発できるまで6年おりました。

 その後、文化芸術大学の整備に加わりまして、そのときも4月に赴任しましたら、5月に学長候補者の高坂先生が亡くなりまして、4年のうちにつくれと言われていたのが

もう1年遊んでしまったわけですね。それを3年間で整備した経験がございます。

 その後、また財政課に呼ばれまして、財政補佐をやりました。そのときに十二指腸潰瘍を患いましてちょっと死にかけたんですけれども、退院したのが2000年12月31日でご

ざいました。ちょうど20世紀の最後の日に退院しまして、その日からたばこをやめました。21世紀は吸ってないことになります。それから体の調子が非常によくなりまして、

禍福は糾える縄の如しといいますけれども、禍を転じて福と為すところが私にあるのかどうかわかりませんが、そういった経験を幾つかさせていただきました。

 一番印象に残るのが、その後危機管理部に参りまして危機政策課長をやりました。そこで東日本大震災がございまして、本当は地域防災計画を策定する物すごい忙しい年

だったんですけれども、災害があった岩手県を支援するため毎週バスをチャーターしまして、県の人間13人、市の人間を12人1パックにして毎週交代で支援に行く制度をつく

りました。これが静岡県の今後の地震津波対策には生きるんではないかと、非常に一番印象に残った事業でございます。

 その後、先ほどございましたけれども財政課長。地震津波対策アクションプログラムをまとめてできたところに財政課長のお声がかかりまして、その最初の仕事が6月補正

で地震津波対策アクションプログラムに予算をつけると。何かお手盛りのような仕事で本当にいいんだろうかと思ったんですけれども、そういったことがございました。

 そして、その後教育委員会にまいりまして、そこでも教育長が突然おやめになり、教育長人事にいろいろ問題があって教育長不在の半年間も経験しました。

 その後、県立総合病院、健康福祉部と異動してきましたけれども、とにかく私の場合は周りの同僚、あるいは先輩に非常に恵まれまして、私自身は能力がないんですけれど

もチームでいろいろな仕事をやってまいりました。本当に幸せだと思ってます。

 私は行くところでいろいろな事件が起きますので、新型コロナウイルスもそういう意味では最小限で抑えてはおりますけれども、残りの3週間、常に最悪のことを考えて、

南海トラフの地震もこの3週間のうちに起きるかもしれないなど、常に最悪を考えて行動していきたいと思います。最後まで気を緩めることなくやりたいと思います。本日は

まことにありがとうございました。(拍手)

○長岡生活衛生局長

 先ほどは、過分なるお言葉本当にありがとうございました。

 御説明にもございましたけれども、私は説明員といたしまして衛生課長3年、生活衛生局長2年の通算5年間この厚生委員会に出席させていただきまして、委員の皆様にい

ろいろ御指導、御助言をいただき、本当にありがとうございました。

 自分はこの35年間、公衆衛生獣医師として採用されてから、健康福祉部から1回も出たことがございません。その間、食品衛生業務や食肉検査業務などを中心に、県民の皆

様にとって一番身近な食の安全を守ってきたという自負がございます。

 平成7年に県で初めてHACCPを勉強してこいと、当時、国立公衆衛生院というところがあり1カ月間派遣されまして、HACCPシステムの勉強をしてまいりました。

それで初めて県のHACCPシステムの専門監視員になったわけでございますけれども、その後県庁などで総合衛生管理製造過程の承認指導ですとか、対米・対EU輸出水産

食品認定指導、もしくはHACCPの講演会などに携わってまいりました。

 このたび食品衛生法が改正されまして、HACCPに沿った衛生管理が制度化されることに対しまして、ここまで来るのに25年間かかったという思いと同時に、今後このシ

ステムが定着するにはこれからが重要であると考えております。

 退職後は、HACCPの定着に少しでも尽力できるよう引き続き努力してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。(拍手)

○森衛生課長

 初めに、この厚生委員会という場でこのような機会をいただきましたこと、まことにありがとうございます。また2番委員におかれましては、過分なる御紹介をいただきま

してありがとうございます。

 私は長岡生活衛生局長と同期なんですけれども、ちょっと生い立ちは違いまして、現場がすごく長くて平成13年に41歳で初めて県庁デビューしました。その年がまさに先ほ

ど御紹介いただきましたBSE、いわゆる狂牛病が国内千葉県で初めて発生した年でありました。

 右も左もわからないまま仕事をしているうちに、9月からBSEだと、対応しろと言われまして、その当時の上司がめちゃくちゃな人で、静岡県は何においても初めてじゃ

なきゃだめだと、国内でBSE検査を最初にやれということで調べましたらBSEの検査キットがまだ国内にはなくて、研究用でしか輸入していないと上司に報告したとこ

ろ、小笠のと畜場で研究すればいいじゃないか、輸入しろと命令が下ったことがありました。もちろんそれはできませんで、そうこうするうちに国が全国統一の検査をするこ

とで対応しました。そういった厳しい教えもありましたけれど、それが今になっては非常にいい経験だったのかなと思っております。

 これまでは、飲み会以外で終電に乗ったことはなかったんですけれど、その当時はほぼ毎日終電で帰るという日々で、そのころ子供はまだ5歳ぐらいだったんですけれど、

日曜日に寝かそうと思ったら、また来週遊ぼうねって言われまして、かなりきつかったことを今でも覚えています。

 ただ、今となっては本当にいい経験ですし、自分の仕事上の自信になったと思っています。私の後輩にも時間外をやれとは言いませんけれども、やはり自分の中で自信が持

てる仕事を何かやってもらいたいなと思っております。

 最後に、厚生委員会の委員の皆様方、並びに池田部長を初めとする健康福祉部の皆様方に本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。(拍手)

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