• 携帯電話向けページ
  • Other language
  • 文字サイズ・色合いの変更
  • 組織(部署)から探す
  • リンク集
  • サイトマップ
  • ホーム
  • くらし・環境
  • 健康・福祉
  • 教育・文化
  • 産業・雇用
  • 交流・まちづくり
  • 県政情報

ホーム > 静岡県議会 > 委員会会議録 > 質問文書

ここから本文です。

委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


平成28年2月企画くらし環境委員会 質疑・質問
質疑・質問者:天野 一 議員
質疑・質問日:03/09/2016
会派名:自民改革会議


○天野(一)委員
 それでは、一括質問方式で数点質問させてもらいます。
 1つは、フード・ロジスティクスパーク構想が静岡市清水区で進んでいるということなんですけれども、これは藤枝市で先にこの構想が進んでいるんですけれども、県の中部地区の藤枝市と静岡市清水区の構想は将来連携を考えているのか、単独でそれぞれ進もうと考えているのか、まず1点お伺いしたいと思います。

 今、新たな組織体制のところで、地域外交局が非常に重要なところ、知事直轄組織になったわけですけれども、県民から見ると県の外交について、そんなに重要に思っていないんですね。
 それから、東京オリンピック・パラリンピックのことについても、一部の関係者は非常に重要だと思っているんですが、県民のほとんどの人から見れば、関心はあるけれども県政の重要な課題じゃないんですね。私は12月の知事の施政方針のときに雇用の問題とか、人口減少の問題とか、医療福祉の問題が後のほうになっていて、スポーツと地域外交が前面に押し出された施政方針に愕然としました。これで本当にいいんだろうかと。今、県民が望んでいるのは、もっと地道な、そして中長期的な展望の中で確実に何をするのかということではないだろうかと。現実に中小企業の経営、経済、そういった問題について触れないで、華々しいことをやっていることについて、吉林知事戦略監に所見をお伺いしたいと思います。

 それから、地域外交をやっていて、私は35周年とか3周年という県庁主体の周年記念事業はやめるべきだと思っている。私は主役は県民、市民、市町だと思うんですね。そこをサポートするのが県。県が主役で市町はその傘下の中でという考え方の中で動いているような感じがする。主役は県民。そういった意味からすると今、企画広報部が考えている県のあり方は本当にいいだろうかということを私は感じていますけれども、その件については白井企画広報部長にお伺いしたいなと思っています。

 そして、川勝知事になってから今まで、いろいろ重要な計画は有識者会議と称する人たちが考えて、しかも5回か6回、審議会という会議をやって、それで決まっていってしまうんですね。本当は県庁の職員が汗をかいて知恵を出して、そこで苦労して、そして県民の多くの人の意見を聞いてやるべきなのが、有識者会議という名のもとで、ほとんど決まっているこの実情について、これでいいのかという疑問点を持っておりますけれども、この点についてお伺いしたい。

 また、広聴広報は知事主体でもちろんやるわけであります。もちろんいいんですけれども、広聴広報のあり方についても県民が本当に望んでいる問題について広聴広報をしているかという視点をぜひ考えてもらいたい。今の県がやっている、例えば目立つ事業だけでなくて、本当に県民の一人一人が困っている問題、そして抱えている問題。例えば先ほど出ましたがパスポートの問題も若者がということはもちろん大事ですが、学校へ行く授業料が払えない高校生もたくさんいるんです。その人たちに外国へ外国へという施策だけでいいのかと。本当に困っている家庭の子供たちのことを配慮するならば、そういった施策だけで県政はいいのかと私はそう思うわけですが、その辺についてお伺いしたいと思います。

○吉林知事戦略監
 2番委員の質問にお答えいたします。
 まず1つは、知事の政策の中でスポーツ、地域外交等が前に出て、本来の雇用、人口減少対策、健康福祉等が後退しているんじゃないかという御質問でございます。
 私といたしましては、私どもの県づくりについては、いわゆる総合計画後期アクションプラン、それから昨今つくりました人口ビジョン、地方創生総合戦略に基づいて、期間をしっかり決めて事業を進めております。
 その柱といたしましては、特に後期アクションプランについては、最初に命を守ることをうたっております。それから8つの重点分野でございますが、その中でも今年度の当初を見ていただくとよくわかるんですけれども、並べかえをしまして、2番目は内陸フロンティアあるいは産業と雇用、そういったものを前面に押し出して、まず1つのグループとして第2順位として打ち出しております。
 それから、その次に人口減少あるいは健康長寿、そういったものをベースにいたしまして、最後に富士山をベースにしたいろいろなものをしっかりやっていくという、8つの重点分野についても後期アクションプランに並んでいる順番を少し変えまして、今年度の当初予算の2つ目の柱の中にそれをしっかりと明示してございます。
 ただ、当初予算につきましては、何を今重点的にやるかということの議論の中で、やはり伊豆で初めて東京オリンピックが決まりますし、それからやはり私どもの県として、ものづくりも大切でございますけれども、観光あるいはサービス産業等もやはり1つの柱としなければいけない。気候は温暖ですし、それからあるいは食べるものもおいしい、あるいはいろいろなプロサッカーチームもございますので、スポーツというものを1つの切り口に、競技力向上だけでなくてそれを地域の活性化に生かせるようなことができないかということで、少しスポーツを広めに捉えて、それを地域の活性化につなげるということも1つの柱に打ち出していくというようなことも含めて、今回予算の柱の中では3本の項目と8つの項目、これをバランスよくやっていきます。
 もう1つは、県財政あるいは組織等についてもしっかりそれを支える財政を見ていく中で、平成28年度当初予算につきましては政策を打ち出したところでございます。御理解いただきたいと思います。よろしくお願いします。

○白井企画広報部長
 まず、地域外交の展開を例に出され、外国との周年事業を県が主体で行うのはやめるべき、県民が主体であるというお話でございます。
 県のさまざまな事業を進めるに当たりまして、やはり県民本位で、県民の皆さんが主役であるという姿勢は私は常に持って仕事をしてまいりました。したがいまして周年事業を例に出されましたけれども、そういう行事、イベントに対して多くの県民の皆様の参加と、それからそこに参加することによって喜びを感じていただけるとか一緒に祝っていただける事業の仕方を進めてまいりたいと思いますし、これからも組織としてそういうものを継承していくように残りの期間、努めてまいります。

 それから、物事を有識者会議で決めるということでよいのかというお話でございますけれども、企画広報部ではさまざまな計画ものを持っておりますので、総合計画にしても、東静岡駅南口県有地の文化力の拠点にしても、さまざまに有識者会議をお願いしております。
 有識者会議では、検討いただくテーマによりまして、地元の皆さんのようによく静岡をわかってらっしゃる方と、もう少しグローバルにオールジャパンであったり、グローバルな形で御意見、提言をいただける皆さんということで、適材適所で有識者の方をお願いしておりますが、有識者の方の御審議をいただくための資料の作成は、県職員が汗を流してつくっているものであり、組織を挙げて提案をする資料については、十分な検討を重ねて有識者会議にかけております。
 その資料をつくるに当たりましては、当然ながら県民の皆様の御意向を常に肌で感じながら、把握しながら資料をつくっております。そういう中で的確なアドバイス等をいただきながら県の仕事を適切に進めていくことで取り組んでいることについては、御理解をいただきたいと思います。

 それから、最後に広聴広報の関係でございますが、知事、部局長も県民の皆さんの意見を直接聞く、そういうお話を聞く場面をつくるために外に出ていきます。それから県が行っていることを皆さんに正しく知っていただくために、広報活動にも力を入れています。そういう中で広聴として県民の皆さんの声が伝わりやすいような環境をつくり、県民の皆様の意見を県政に反映する開かれた県政を目指しております。
 毎年行っている県政世論調査の中でも、2番委員が御指摘のとおり、確かに一人一人が困っている問題、不安を抱えている問題のアンケートに対する調査もいただいております。それにつきましてはそれぞれ担当する各部局がその結果を踏まえて必要な対策をとる、必要な事業の予算化を図る、そういうことで調査結果を生かさせていただいております。
 例として挙げられました高校生のパスポート取得、外国へということにつきましても、そのような困っている状況にあることも考えた上で、教育委員会においてグローバルな人材を育てるための基金を活用をしていく動きも出ているわけでございまして、県民の皆様の声を適切に県政に反映していく姿勢をこれからも持って県政に当たっていってもらえると思っております。

○広岡地域政策課長兼内陸フロンティア推進室長
 フード・ロジスティクスパーク構想について、今まで取り組んできた藤枝市と、それから平成28年度から予定しております清水区との取り組みの連携についてお答えいたします。
 まず、私どもといたしましては、今まで取り組んできた3つの市――三島市、藤枝市、袋井市のそれぞれのエリアにそれぞれの特徴がございます。そういったこともございますことから、その場所の魅力を最大限生かして取り組んでいただくと。食ということではテーマは一緒なんですけれども、それぞれの置かれた地域でやはり成り立ちが違ったり、あるいは得意とする分野が違ってございます。ですから、まずはそこのエリアの中でしっかり足場を固めて取り組みをしていっていただきたいと考えておるところでございます。したがいまして最初から連携というのは今のところ考えてございません。

○天野(一)委員
 御回答ありがとうございました。
 別に責める気はないですが、ただ3本のあれが先に言っていましたね。僕はあれ逆だと思うんです。先に8本のほうへ行って、最後に地域外交とスポーツが来たほうがよかったなと。感想です。答えなくていいです。

 それから、広聴広報と有識者会議。
 有識者会議ははっきり言って事務の方がつくった案を検討するわけですね、実際は汗をかいているんですから。有識者会議にお墨つきをもらって、有識者が言ったんだからではなくて、本当は県当局の皆さんが汗をかいたのを出せる仕組みにしたほうがいいと思いますし、有識者って無責任だから、いいかげんなところでいいって言ったのがそのまま通っちゃうところがありますので、またそれも答えなくていいですからね。

 それから、多文化共生と地域外交。
 さっき朝鮮通信使の話が出ましたね。朝鮮通信使の関係のお茶会をやると言っていましたね。今度世界遺産になるときの、世界遺産の一番の資料が清見寺の県文化財なんですね。百十数点のうちの49点は国宝になるかもしれないにもかかわらず、縁地連――縁地連というのは朝鮮通信使に縁があった地域、これは対馬が中心になってるんですけれども、静岡市が言ってるからいいじゃなくて、この県の文化財の資料が世界遺産のときに大変重要な役目を果たすんです。朝鮮通信使の書いた直筆の詩文が残っているんですね。扁額っていうか彫ったのはだめで、それが清見寺にあるんですね。そんなところで知事と誰だか偉い人がお茶会をやって、朝鮮通信使を検証しているじゃないんですよ。県民に何で朝鮮通信使が大事な事業だったか、事件だったかということを知らしめるために、私は地域外交と多文化共生をやるべきだと思うんですね。
 ですから、文禄、慶長で秀吉が朝鮮半島に攻めていって拉致してきた人が5万人から10万人いたのを李王朝も許して、徳川家康のその後の平和な交流があったという歴史の事実は、今の韓国と日本とのぎくしゃくした歴史に対して、江戸時代に乗り越えたじゃないかという1つのあかしになるわけですね。その一番の中心が対馬なんだけれども、朝鮮通信使の資料は清見寺の県の文化財の資料なんですね。そのことの認識を県民が共有しているかというと、私は共有しているかどうかもっとそのことについてアピールすべきだと思うんですけれども、その点について再度お伺いしたいなと思います。

○白井企画広報部長
 朝鮮通信使が清見寺に宿泊し、徳川家康に謁見をしたという朝鮮歴の旧暦6月20日、清見寺でお茶会を2年続けてやっております。清見寺でお茶会を開くというのは、地域外交局が単独でやっているわけではなくて、そこに残された朝鮮通信使のさまざまな貴重な、2番委員御指摘のような文書、扁額、そういうものについては、文化・観光部の学術でも、また世界遺産でも貴重だということで連携して取り組んでいるところでございます。
 今後、世界記憶遺産としての朝鮮通信使の扱いを高めるに当たって、清見寺の果たす役割は非常に大きいと思いますので、そこにつきましては今度特に横串をしっかり刺せるような地域外交局ができます。文化・観光部の政策ともしっかりとがっちり組んでというか、県民の皆さんにもその価値を理解してもらえる取り組みをしっかりと推し進めていってもらえるように、残していきます。

○天野(一)委員
 質問の答えをありがとうございました。
 吉林章仁知事戦略監はこれで退職するんだね。またもう1回。退職して新しいところへ行くわけですけれども、1年間知事の一番の身近なところにいて知事の構想や指示の具体化、そういったそばにいたわけでありますので、1年間の感想と後輩にぜひ一言お願いしたいなと思っております。
 まず、吉林知事戦略監、お願いします。

○吉林知事戦略監
 御答弁の機会を与えていただき、ありがとうございます。
 私、再任用の1年間を含みまして、通算3年間知事戦略監を務めさせていただきました。基本的にはほとんど知事室の隣の部屋におりまして、各部局長が知事にいろいろな政策の相談に入るときに必ず同席をするのが基本的な仕事であります。各部局の仕事で特に課題があるものについては、基本的には全部承知するということでありましたので、正直言いまして特にことし1年間は15分とか30分刻みで毎日仕事をしておりましたので、相当忙しかったなというのがまず最初の感想でございます。
 特に、知事からの指示を各部局にまず正確に、あるいはある意味ではどういうことをおっしゃっているのかを、生意気みたいなんですが解説をするような形でお伝えします。特に知事の指示は部局を横断する指示がたくさんありますので、そういったものについてはできるだけ各部局長に直接お伝えするということで、私の部屋に各部局長に複数来ていただいたり、私が急ぐときは全部各部の部長室を回るようなことをして、できるだけ知事と各部の距離が近くなることを1つ心がけてまいりました。
 それからもう1つは、やはり仕事をしていろいろなアクションプラン等を進めていきますと、どうしてもいわゆる縦割りといいますか、各部局独自で動くことも多いものですから、それをできるだけ横串を通すのが2つ目の大きな仕事でございます。それにつきましてはいろいろな形でプロジェクトチームをつくったり、先ほどと同じ形で私の部屋なり各部の部屋に違う責任者、部局長を集めてそこで議論をして、できるだけ情報を共有することにもこだわりまして、その2つが私の仕事の基本ということで3年間務めてまいりました。
 ことしなぜ忙しかったかと言いますと、私どもの同僚が昨年の4月で皆やめまして、部長も新しい方がふえましたので、その部長との意思疎通を特にことしは心がけたということで、ちょっと忙しい時間も年度初めにありましたけれども、年間を通じまして委員会の皆様も御協力いただきまして、本当に1年間いい仕事ができたなと思っております。
 後輩の皆さんには、1つは私が今全庁の戦略をやっていますが、それぞれ戦略、横串というのはそれぞれのところで横串が通せるので、全庁で通してもらって、部で通してもらって、局で通してもらって、課で通してもらって、そして班で通してもらって、するとそれぞれの小さなところで横串を通してもらうと、それが大きくなると全部の横串になりますので、そういうことをぜひ班の横断とか、班の中で皆さんがやっていけば非常にありがたいなと思っています。
 それから、最後の3年、5年ころぐらいから人材育成がございまして、特に若手とのコミュニケーションをしっかりしようということと、それから県の幹部の職員、特に課長級の方の意識改革をしようということで研修もつくらせていただきました。
 それからもう1つは、女性職員のキャリア形成の支援ということで、専門スキルとか女性同士のネットワークの強化にもかかわらせていただきまして、本庁職員のキャリアアップがやはり県の政策を進めるのに一番大事なことだと思います。ぜひ、後任の幹部の方々も人材育成を1つのテーマにして、これから県庁の中でやっていただくと県庁全体のスキルが上がりますので、それが結果的に県民サービスにつながっていくと考えておりますので、そんなこともぜひお願いしたいなと思っております。
 本当に県議会の先生方には長い期間お世話になりまして、ことし1年は特にこの委員会の先生方には大変お世話になりました。ありがとうございました。(拍手)

○天野(一)委員
 この委員会では、本年度末――ことしの3月31日で退職をされる方が3人おります。本当にことし1年間委員会でお世話になって、ありがとうございました。
 最初に、白井滿企画広報部長は、昭和55年4月に沼津財務事務所主事として県の職員に採用され、以来36年間の長きにわたり静岡県職員として奉職され、県民生活室長や観光コンベンション室長、空港部理事、環境局次長、くらし・環境部部長代理、企業局長などの要職を歴任されて、本当に御苦労さまでした。ありがとうございました。
 また、浅山肇地域外交局長は、浜松財務事務所主事として県に採用され、県議会では議会事務局総務課長補佐として大変私たちもお世話になりました。地域産業課長などを歴任され、今日地域外交局長に奉職され、定年を迎えました。
 次に、近藤聡情報政策課長は、昭和53年4月に下田保健所主事として採用され、地震防災や情報分野を中心にキャリアを重ねられ、危機管理部危機情報課長や企画広報部電子県庁課長を歴任されて今日に至りました。
 3人の方は、本当に長い間御苦労さまでした。まだまだ健康で元気でありますので、退職後もぜひ健康に留意され、すばらしい人生が送れることを御祈念申し上げたいと思います。
 終わりに当たりまして、これからの後輩のためにできればお一人ずつ、退任に当たり今までの県の経験、反省、そして後輩に一言お言葉を賜ればありがたいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。

○近藤情報政策課長
 ありがとうございます。
 以前、私も議会事務局でお世話になりまして、その際は議員の皆様方に大変お世話になってありがとうございました。
 長かったのは防災局、危機管理部時代なんですけれども、阪神・淡路大震災、それから東日本大震災の支援に携わりまして、その震災の教訓を生かしまして本県の防災対策に従事をいたしました。そこで学んだことなんですけれども、県民のために先々を見据えながら、そして現場の目線で県民、事業者、公務員などそれぞれがパートナーとして自分たちは何ができるかともに考えて、みずからができることを協力してやって優先順位の高い対策を推進するということで、その大切さと喜びを学びました。これが私の原点でございまして、県職員としては、その際にはより高い専門性と、それから広域的な視点が必要だなということを痛感いたしました。
 情報統計局では、電子県庁課長時代に全庁的な県庁クラウドの構築とか、情報政策課長になりましてからは、おかげさまで広域的あるいは部局横断的な仕事、事業に携わることができまして感謝をしております。
 静岡県は、大変に高いポテンシャルを持っておりますので、これから時代の変化はますます速くなりますし、なおかつ世界的になっていくと思います。ぜひ先々を見据えながら現場の目線で、セクションにもよりますけれども関係者とパートナーシップを踏まえて、ある程度の専門性を備えて広域的、部局横断的な視点で取り組んでいただければ、静岡県の将来はきっと輝かしいものになると思います。
 退職いたしますけれども、今後も地域の一員として微力ながら頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

○浅山地域外交局長
 ただいま2番委員から退職に当たりまして過分なるお言葉をいただき、ありがとうございました。済みません、二、三日前から声がかれちゃっているものですから苦しくてしようがないんですが、お聞き苦しいと思いますけれども、よろしくお願いいたします。
 2番委員を初めまして委員の先生方、またそれと職員の皆様にはいろいろな面で助けていただきまして、これまでいろいろな御指導をいただき、それでこの3月に何とか退職することができそうです。本当に皆さんのおかげです。ありがとうございました。
 退職に当たりまして、感想的なものを1つだけ言わせていただきますと、私の県職員のスタートは、今お話しいただきましたように浜松財務事務所からスタートしたわけですけれども、それ以降は地域産業の振興だとか、中小企業の診断だとか、あるいは研究開発の支援だとか、最後は商業振興とか中小企業、しかも商工業にかかわる仕事に比較的多く携わってまいりました。
 その中でも今一番印象に残っているのが、2番委員は大変御存じだと思いますけれども、地域への産業振興という意味合いで産地を元気にさせようということで、遠州織物を使って夏服の武襯衣(むしゃ)にかかわりまして、製品開発、コンセプトづくりから販売に至るまで全部業界の方々とゼロからスタートしたというのが一番印象に残っているところでございます。その際は委員の方々、職員の方々にも御迷惑をおかけするとともに、多大な御協力をいただきましたこと、本当にこの場をおかりしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 武襯衣(むしゃ)はまだ夏の定番までには至っておりませんけれども、今は業界主導でもうこの春先、3月ごろになりますと、新作がたくさん発表されますし、また積極的な活動が展開されていることで、今、本来の目的でありました遠州織物をつくっている、生地をつくっている人たちもこの武襯衣(むしゃ)によって大きな励みになっているというお話をお伺いしまして、当初からかかわった者としてそれが一番今うれしく思っているところでございます。
 そのほか、商工業関係以外には、東京事務所とか、先ほどお話しいただきました議会事務局にも調査課と総務課に2回、通算4年間ですけれどもお世話になりまして、それで最後は地域外交局ということでいろいろな仕事、いろいろな場面を経験させていただきました。今はやり切ったという気持ちと、あのときもう少し何とかならなかったかなと、そのような反省の思いが交錯したような状況でございます。この3月になりまして、ついにといいますか、いよいよ今度は自分が県を去るというか、県を離れることになりまして、ほっとしている一方で焦りにも似たような寂しさというような感じのものが今じわじわときている段階でございます。
 今後におきましては、地域におきまして一般一県民として何らかの形で地域づくりにかかわっていきたいと思いますので、また引き続きよろしくお願いしたいと思います。
 終わりに、委員の皆様方、職員の皆様方には今後ますますの御活躍を御期待申し上げまして、お礼の言葉とさせていただきます。本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○白井企画広報部長
 ただいま私ども退職者に対しましてねぎらいと励ましのお言葉を賜りまして、まことにありがとうございました。
 私、36年県庁におりましたけれども、30代から40代にかけて9年間は財政課でした。財政課を出てから2年間、今の企画広報部の前身であるまさに企画部の部付主幹をした後は、2番委員から御紹介のあったような事業畑をずっと歩いてきました。
 それぞれに心に残る思い出はたくさんありますけれども、例えば防犯まちづくり条例をつくったり、悪質リフォーム事業者に地方で初めて業務停止命令をかけたりとか、それから東日本大震災の原発事故からの避難者の受け入れと震災瓦れきの受け入れの陣頭指揮をとったり、企業局の用地造成では、オーダーメードからレディーメードに方針転換をしたりとか、企画広報部に来ましたら、国の取り組みを先取りする形の地方創生に取り組んでまいりました。
 いろいろありましたけれども、やはり一番心に思い出として残っているのは、平成21年の6月4日を富士山静岡空港で迎えられたことだと思っています。県政最大のプロジェクトでしたので、何とか富士山静岡空港にかかわりたいなと思っていたんですけれども、あの頃はまだ平成21年の3月には必ず開港するものだと思っていましたので、平成19年の4月の異動で行けなかったときには、もう残り1年ない中での異動ではとても無理だろうなと思って諦めておりましたけれども、平成19年の7月1日付で変則的に観光コンベンション室長から空港部の企画管理室長ということでの転勤がかないました。異動がかないました。
 空港部に行ったら行ったで、とにかく工事は急ピッチで進んでるんですけれども、例えば運用ルールであるとか、マニュアルですとか、それから関連する設置条例ですとか全くありませんでしたし、まだ目下目下のさなかでしたし、空港運営会社はありましたけれども、就航を表明したのは日本航空だけと。ターミナルビルの設計に入ってるけれども、実際にそこを空港会社と県とエアラインとでどうやって使っていくかとか、どういう負担をするかも全然決まっていなかったし、ないない尽くしの中で、そのころは平成21年3月と思っていましたので、1年9カ月で本当に間に合うのかな、どうかなという不安の中でしたけれども、さらにそれに加えてANAの就航表明とJALの就航白紙化とか、FDAの就航表明であるとか、それから国際線でいうと大韓航空がアシアナの予定して公表していたダイヤの10分前到着というダイヤ発表とか、最終的には空港の開港のおくれと計器着陸誘導装置の使えない暫定開港というんですか、そんな形で6月4日を迎える前、ぎりぎりまでも多くのいろいろな利害関係者との調整があって、押したり、引いたり、泣きついたり、開き直ったり、さまざましながら何とか開港を迎えることができました。そのとき私と一緒に仕事をしてくれた部下職員には大変感謝しています。ワン・フォー・オールではないですが、ワン・フォー・エアポート、オール・フォー・エアポートで何とかかち取った開港だったと思っています。
 富士山静岡空港はことしの6月で開港7年を迎えるわけですけれども、年間利用者の70万人の達成も見えてきました。空港があることが当たり前のような感じになってきましたが、こういう開港前の苦労話ができる人もだんだん減ってきたなと思います。新幹線とか、高速道路とか、静岡県は今まで与えられてきましたけれども、唯一初めて静岡県が本気で欲しいと言ってつくった富士山静岡空港なんで、これからも何とか官民協力して盛り上げていってもらって、本当にみんなが富士山静岡空港があってよかった、あって当たり前で結構ですけれども、そういう空港になっていけるように頑張ってもらいたいと思っています。
 後輩職員にというか、託すという言葉も考えましたけれども、私自身は日々自分の中での物事の考え方とか仕事の進め方っていうのは、大体自分の口と赤ペンで全て部下に日々指示、指導して見せて示してきましたので、部下職員も私流のやり方というのは十分わかっていると思います。性格も違いますし、歩んできた道も違いますから、私流を押しつけるつもりは毛頭ありません。もっとセンスのいいやり方っていうのはいっぱいあるんだろうと思っていますので、それぞれに皆さんが皆さんなりの進め方で仕事を進めてもらえばいいと思っていますが、1つだけ残す言葉を言わせていただくとすれば、判この重みというようなことになりますでしょうか。
 私が33歳で財政課に行ったときに、決裁文書で上司から判こを1つもらうことと、それから判こを押した上司が抱える責任の重さを痛感しました。それ以来私自身はなるべくというか、いわゆるめくら判というのは押さないことをかたく誓って仕事も進めてきましたし、判こを押した以上、その責任は自分にあるつもりで行動してきました。判こを押すというその形式的な行動ということではなく、部長室で方針を決めるときがまさにそうですけれども、私がこういう方針だと決めた以上、自分が責任を持つ覚悟がありますから、部下職員には私が納得するまで何度もやり直しをさせます。どなられた職員も数多いです。けれどもその後知事とか副知事等に説明をしに行くときには全て自分の口で説明をし、だめ出しを食らったり、宿題をもらったり、それは自分の責任でそれを受けとめて、何とかリベンジというか再チャレンジ、もう一度話を聞いてくださいということをお願いをして帰ってくるという繰り返しでした。
 そういう仕事に向かうに当たって、やはり自分が責任を持たなきゃいけないということを仕事のやり方として持ってもらいたいなと強く思っています。目の前の仕事から逃げずに自分はこうするんだというものをしっかり出して、それで部下職員を指導し、そして上司の合意をもらうのに粘り強く全精力を使って立ち向かうと。そして万が一だめだと言われたときには、そのリカバリーに全精力を使う。そういうやり方でやっぱり部下を、例えば説明を担当している者が答えに窮するようであれば、そこまでに判こを押した全員が助け船を出す。そういう仕事のやり方というか、向かう姿勢をぜひ持っていただいて、部下職員から頼りがいのあるリーダーを目指して日々また頑張っていってほしいと強く思っています。
 最後に、県議会の皆さんには大変お世話になりました。私が42歳で財政課の予算総括の主幹になったころから、県議会の皆様方には何かとお世話になってまいりました。先ほど申し上げましたように、部付主幹時代――平成12年、13年ですけれども、平成13年の夏には空港の設置の是非を問う住民投票条例に関しまして、合同審査会とか継続審査も経験をいたしました。平成16年7月に初めて県民生活室長としてこの委員会の説明者の席に座ったときのことは、今でも鮮やかに覚えています。以来、12年間欠かさず常任委員会に出席をさせていただいて、拙い答弁ではありましたが、委員の先生皆様方の寛大なお気持ちのおかげで助けていただいてきました。
 私、36年の県庁の生活の中で、最初沼津財務事務所を3年、2カ所目に田子の浦港管理事務所を3年、その後30年間ずっとこのお堀の中で生活をしてきました。多分4月以降も県とのかかわり、県議会の皆様方、先生方とのかかわりのやっぱり切れないところで仕事をすることになると思います。これからも御指導、御鞭撻のほどよろしくお願い申し上げまして、本当に大変長らくお世話になりました。感謝を込めまして、お礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございます。(拍手)

お問い合わせ

静岡県議会事務局議事課

静岡市葵区追手町9-6

電話番号:054-221-3482

ファックス番号:054-221-3179

メール:gikai_giji@pref.shizuoka.lg.jp