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委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


平成26年2月定例会企画文化観光委員会 質疑・質問
質疑・質問者:天野 進吾 議員
質疑・質問日:03/11/2014
会派名:自民改革会議


○天野(進)委員
 十分に時間があるようですので、最初は一括で質問をしようと思いましたけども、一問一答方式で参りたいと思います。
 先ほど来、10番委員からも出されました遠江八景のことです。
 まず、お尋ねしたいのは、この発想というのは、どこで生まれたんですか。極めて珍しい行政として考えるにはユニークな発想だったと思っております。
 そして、その八景の名づけの結果、何が得られるのか、それについてお尋ねをしたいと思います。
 中国の瀟湘八景、これがもとになって近江八景が誕生しております。そしてその近江八景をまたまねして今度は遠江八景が生まれたんでしょう。今回委員会説明資料19ページに選定委員のお名前があります。この選定委員の中で残念ながら静岡県の方は、お1人だけではないのかなと思います。全員よその方。だからこそ、ここに横にいらっしゃる委員の方々が先ほど来、遠江というのは、遠州というのは大井川の西までなんだよと、浜名湖周辺だけじゃない、それを言っているわけです。私が生まれたのも、私は遠州で生まれた。おやじはそう言っております。遠州、それは掛川だったんですね。あそこも堂々たる遠州、それを遠江と日本語では言っていたわけです。それを急に、非常に狭い地域に持っていってしまったその発想はどこにあるのか、それについて、まずお聞きいたしたいと思います。よろしく。

○疋田交流政策課長
 遠江八景の遠江でございますが、天野委員御指摘のとおり、これは遠江は遠州と同義でございます。大井川以西の県西部、中東遠の地域を指す言葉でございます。古くは、この遠江は、「遠淡海(とおつあはうみ)」と書きあらわしております。語源は琵琶湖を「近淡海(ちかつあはうみ)」と称したことに対しまして、遠くにある淡水湖という意味で「遠淡海(とおつあはうみ)」とあらわしたということに由来しております。
 このため、今回浜名湖周辺の文化的景観、これを集めるということに際しまして、昔の言葉に倣いまして遠江という言葉を浜名湖を遠江と指すという言葉で使わせていただいております。
 この発想は、選定委員会の中で御議論いただいたわけでございます。
 選定委員会の委員の中では、神谷昌志先生は地元の浜松市の方です。田中章義先生は静岡市に御在住の方でございます。それから有馬朗人委員長も、かつて浜松にお住まいでいらっしゃったということで、遠江ということの言葉の意味については、選定委員の先生方も十分御理解の上で決めていただきました。

○天野(進)委員
 御丁寧に、どこに住んでいたかまで言ってくれたんですけども、静岡県のことについて話をしているんですから、本当は全員に静岡県に住んでいてほしいと思っております。出身ということで、私は先ほど申し上げたわけであります。それはさておいて、例えば近江にいるから近藤という名字が生まれ、遠江だから遠藤という言葉が生まれた。この歴史というのは、御存じのとおりだと思うんです。やっぱり遠州と遠江の歴史は、今お話がありましたけれども、それは承知の上です。
 しかし、いささかそれが今、大変に嫌われている中国の瀟湘のまねというのは、私は大変に気に食わないんだわな、正直言うと。中国を何でまねしなきゃならない。そういう思いであります。
 既に決まっている近江八景についてはもう昔の話ですから、それはいたし方ないけれども、今さら私たち静岡県が、遠江八景なんていう格好をつけて、しかもここに書かれているその八景の読み方、これを全部読める人はほとんどいないでしょう。何か四文字熟語をまたつくっちゃったという感じがしないわけじゃありませんけれども、そんな感がいたします。
 今、答弁をされて趣旨はわかります。ですから、それはそれとして、私は、そんな思いを持っているということだけ申し上げておきます。

 次に、平成26年度関係の議案説明書27ページ、天竜浜名湖鉄道のことについて申し上げます。
 まず、お尋ねしたいのは、天竜浜名湖鉄道、赤字問題でずっと困っている問題です。これまで全国の赤字路線がいろいろなアイデアを持って、その赤字からの脱却を努力しております。その全国の試みというものを調べたことがありますか。あったら教えてください。先にそれを伺います。

○宮ア交通政策課長
 全国の第三セクター鉄道、あるいは地方地域鉄道とございますけれども、昨年度、天竜浜名湖鉄道のPTについて有識者もお加わりいただいて検討を進める中で、当然、利用をいかに拡大するかということが議論になりました。
 その中で、全国の鉄道の利用促進の取り組み等を調べてはございます。PTの報告書の中でも、幾つか事例について取り上げさせていただいたところでございます。
 また、第三セクター鉄道も含めまして全国の地域鉄道の中の91事業者のうちほぼ76%、8割近い鉄道が赤字の状況にございます。第三セクター鉄道にあっては、その沿線の市町あるいは県がこの天竜浜名湖線と同様に経営助成等を進めている事例もございます。
 それが、全部で幾つあるかというのは、今、資料がないもんですから、すぐにお答えできないんですけども、そういった取り組みを進めている状況でございます。

○天野(進)委員
 赤字路線でお客さんが来ないということで悩んで大変長い間努力しているにもかかわらず、今回平均14%の運賃改定というんですから、大変に勇気あることだと思っております。果たして、それによってさらに厳しくなるのかなという感じはしますけれども、先ほど私がアイデアといったのは、つい先日、NHKのテレビかどこのテレビかわからないけれども、どこか赤字路線で自転車持ち込み乗車というのがあったんですね。大成功でお客がいっぱいふえた。そういうことは、今まで考えたことはありますか。それについてお聞きします。

○宮ア交通政策課長
 電車というか汽車の中に、自転車をそのまま持ち込んで、そのままおりてまた乗って行くという上毛電気鉄道の取り組みを知事が本会議でも御答弁しましたけれども、そこは平成15年度に試験的に開始しまして、平成24年度に自転車の持ち込み台数自体は当初400台ぐらいだったものが、4万台を超えるような実績が上がってきているという状況でございます。ただ全体の輸送人員自体は御多分に漏れず減少傾向にあるということでございます。
 天竜浜名湖鉄道についても自転車の持ち込みということの提言をいただきまして、ことし天竜浜名湖線市町会議の事業の中で実証試験を行うと伺っております。鉄道に安全に乗っていただくことが、まず第一でございますので、そういったことに適用できるかどうか等も検証を含めた上で検討を進めていくということで伺っております。

○天野(進)委員
 自転車を持ち込んで、果たしてどうだろうかと、いろいろこれから精査するという話であります。要はまず試みることです。そして試みて失敗だったらさっさと元へ戻せばいい、そのぐらいのずうずうしさが、私は行政に求められるだろうと思うんですね。さまざまな試みをやってください。ぜひ、そういうことによって天竜浜名湖線も息づくときがあるかもわかりません。方法があるかもわかりません。それを期待いたしております。

 3つ目、文化振興事業費についてです。
 平成26年度関係の議案説明書36ページです。伊豆文学賞、静岡国際オペラコンクール、ふじのくに芸術祭等の実施で、平成25年度4054万円、26年度1億2040万円、この3倍になった理由をまずお示しください。お願いします。

○京極文化政策課長
 文化振興事業費につきましては、平成26年度は、3年に一度開催をしております静岡国際オペラコンクールを開催いたします。その開催に当たりまして、経費として約9650万円を要しますので、その分が増額となっております。

○天野(進)委員
 しかし驚いた。オペラコンクールに9000万円、静岡県民の中で、オペラを見て理解できる人間が何%いるんですかね。恐らく、この前に座っている方々は、ほとんど縁のない方々です。(笑声)
 私はつい最近、伊豆文学賞を得た小説、優秀賞と準優秀賞ですが3つを読みました。読んでいて、私も書いてみようかなという気になりました。私は、もう伊豆文学賞も相当な回数になってマンネリ化しているために、あえて小説の舞台を伊豆に持ってきただけの作品というのがあるんですよ。どうですか、これ。静岡県文学賞にしないですか。そうしたら浜松も入ってきますよ。遠江も入ります。私たち駿河も入ってきます。そういう時期じゃないかな。伊豆文学賞は、伊豆新世紀創造祭のときに生まれたものです。あれから長い年月がたったんですから、そろそろ私は変えてもいいんじゃないかなと思っております。これは別に答えは必要ありません。私の希望を申し上げました。

 でも、オペラコンクールに9000万円かかるというのは、もう一度、金の価値から考えていただきたいなと思っております。
 今までオペラコンクールで優勝したり、入賞した方で、静岡県民で、そして今オペラの世界で頑張っている方がいらっしゃったら教えてほしい。恐らくそういう方はなかっただろう、あるいは音楽のまちだからというだけでオペラという浜松市民も余りなじみのないそういう世界をやっているんじゃないかと私は思いますけれども、京極文化政策課長、申しわけございませんけど、もう1つお答えいただけますか。よろしく。

○京極文化政策課長
 まず1点目、伊豆文学フェスティバルにつきましては17回開催しております。当初は伊豆のいろいろな史跡ですとか、魅力を使って小説、また随筆、それから紀行文を書いていただくということで始まりましたけども、数年前から、やはり全県的な取り組みとしたいということで、静岡県全体の事物を材料として取り上げていただくということで、内容については変更をしております。
 ただ、名称につきましては、伊豆の振興の意味もあり、今回も伊豆文学フェスティバルということで、伊豆地域の市町と協力しまして、伊豆の振興にも結びつけたイベントにしていきたいということで、伊豆文学塾を開催するなど取り組んでいるところです。

 それから、静岡国際オペラコンクールにつきましては、なかなかオペラというのは敷居が高いということもありますけども、平成26年度が7回目になります。これまで6回開催をしてまいりまして上位に入賞された方々、これは世界的なコンクールですので、例えばイタリアですとか、中国、韓国、そういった方々が受賞をしておりまして、それぞれの国、もしくはヨーロッパのオペラハウスで活躍をしている方々が多くいらっしゃいます。
 また、そうした方々が、受賞の翌々年には、県民オペラを県内で開催をしておりますけども、その主役として来ていただきまして、実力を披露していただくといった機会も設けて県内にオペラ文化をできるだけ普及させていきたいということで取り組みをしているところでございます。

○天野(進)委員
 オペラ文化を普及させようということと、能文化を普及させようというのは同じようなものだと思っております。
 その論議についてはさておきまして、伊豆という狭隘な地域だけじゃなくて、静岡県全体というなら、やっぱり、その場合には伊豆文学賞よりも静岡文学賞のほうが世間に納得できるんじゃないのかなというふうに私は思っております。

 さて、ここで、委員の皆様方にも恐縮ですけどもお願いがあるんです。実は、過日の本会議の一般質問でも私が取り上げた問題であります。まさにきょう3月11日、だからこそ、私は、皆さんに聞いていただきたい。そして職員の皆様方は、将来はその担当になるかもわからないという前提の中で、あえて3月11日きょうお話をさせてもらいたいと思うんです。
 あれだけの大震災、私は率直に言って、人災だと思わざるを得ないんです。なぜか、たわいない話じゃありません。今まで三陸沖地震、三陸というのは、どれだけ大きな津波に被害をこうむってきたか、その歴史を知っていれば、遠州灘で地震があると心配するよりも、はるかに向こうのほうが意義あるでしょう。
 きょう私は少し調べてきました。徳川家康が住んでいた慶長16年、慶長三陸地震というのがありました。この慶長三陸地震、死者が1,783人、行方不明も入れて約5,000人と言われております。そのときの震度は4から5というふうに言われているんです。建物の被害はなくて津波によってやられているんですよね。そして寛政年間1793年、このときにも死者が1,000人出ております。そして明治29年、明治三陸地震というのを、過日、本会議で紹介しましたけれども、震度4、津波の高さ38メートル、死者・行方不明者2万1959人、そして昭和の三陸地震、1933年――昭和8年、津波の高さ、このときは28メートル、しかし震度は5、死者1,522人、行方不明者1,542人、3,000人近い方々が亡くなっているわけです。そして御紹介申し上げましたあのチリ沖地震、私は高校時代です。あの南米のチリで地震が起き、そしてその津波は、日本にまで到達した。この結果また三陸では100名余の方々が亡くなっております。そのときの浜松の津波の高さは1.1メートル、浜岡周辺については記録もされていないのであります。駿河湾にも入ってきておりません。いかに三陸は津波に弱いか、そのことを歴史が如実に教えているんじゃありませんか。
 私たちは石橋克彦東大教授が提唱した駿河湾地震に対し2兆円のお金をかけました。津波対策予算は5%にも満たない。そして2兆円のお金をかけて、私たちは地震対策を講じたんです。そして今、突然、地震対策の中で津波被害のほうがむしろ大きい、しかも過日の原子力規制委員会では、マグニチュード9.6、あのチリ沖地震が過去の歴史の中で最大の地震だと言われている、世界で、それが9.5なんですよ。それ以上に9.6という数字を出して、国民をただただ恐怖に陥らせているじゃありませんか。何が悪い、恐らく私は、学者の中で、一番厳しい数字を上げた人間のその数字がとられ、そして新聞が考えることもなく、ただ恫喝した。その結果、三陸地震が忘れ去られたんです。三陸の危険性というのを忘れた。2兆円のお金があったら、恐らく三陸ではもっと多く人々が助かったはずです。あんな災害はなかったはずです。2兆円というのは静岡県のお金です。国家が国を挙げて取り組むならば、10兆円の金は優に出せるでしょう。そうしたら、私はあんな災害は起きなかった、そんなふうに思ったわけです。
 きょうは、全く舞台は違いますけれども、あえて三・一一というこの日に皆さんに申し上げておきたい、それは私の気持ちとして申し上げました。以上です。
 最後に、職員の皆さんの中で、今年度退職される方が相当いらっしゃる、長い間本当に御苦労さまだったと思います。
 きょう、この席の中では、一番前に3人、おそろいでございます。宇佐美稔さん、そして影山武司さん、そして加藤博明さん、せっかくこういうとこですから、思い出を一つ語っていただけませんか。たとえ反省することがあったとしても、そんなことは言わずに、自慢すべきことを言ってください、期待しております。よろしく。

○宇佐美文化・観光部部長代理
 それでは、一番初めということで、私は昭和52年4月から37年間でございます。本当に長いようで短かったということでございますし、委員の先生方には部付主幹という職で、平成13年度、14年度のころにお世話になったと思っています。
 一番思い出に残っていること、よく日本人ですと三大何とかということを言いますけども、私の思い出は、昭和61年には道路建設課でちょうど4年目の平成元年のときに第二東名が図面に引かれ、それを見させていただいたときに沼津の工業団地の上に線を引いていまして、大丈夫かなと思ったことがございましたが、昨年静岡県内だけ開通したということで大変思い出に残っております。
 2つ目は、県庁別館をつくったということです。平成5年から7年、別館は耐震のことがございまして、青葉駐車場と別館に携わったということです。私の記憶ですと別館だけで193億円という巨額のお金を使いました。天野委員も御存じのとおり、この下は水がたくさん出て、非常に大変な工事だったということがございまして、地下46メートルぐらいまで掘って施工したということで、本当に私は個人的にはトーチカと言っていますけども、これが倒れたら県内の建物が全て倒れるんじゃないかというそのころの思い出がございます。
 最後は、昨年の富士山世界文化遺産の登録ということです。カンボジアのプノンペンに私も行かせていただきまして、あの場に立たせていただいたということで、本当に最後にいい経験をさせていただいたと思っています。
 これから、富士山世界遺産センターのこともございますけども、やはり、いかにして守っていくか、あのときの感激を忘れず、後世に我々の子孫たちがしっかり守っていくことが大事と思っております。以上3つということで思い出しながら、考えたことでございました。本当に37年間ありがとうございました。(拍手)

○影山文化・観光部理事(学術担当)
 私、この委員会でも発言の回数が少なくて、大変目立たない存在で最後にこういう発言の機会を与えられまして、まことにありがとうございます。
 私、昭和54年に県庁に入りまして、昭和50年代といいますと、その当時は、神奈川県の長洲知事が主張されました地方の時代というのが1つのキーワードになっておりまして、地方の時代という言葉によって、非常に自治体の職員が大きな希望というか、あるいは勇気といいますか、そういったものを与えられたということを記憶しております。私も昭和54年に入ったときに、新採職員の研修のレポートの中に、そういう地方の時代への期待と自分なりの決意といったものを書いたことを、ついきのうのことのように思い出しております。
 果たして、その決意がどれだけ自分なりに実践できたのかというのは、内心じくじたるものがないわけではありませんけれども、比較的県庁の中でも自由な発想とか、あるいは自由に提案できるような仕事、機会を与えられておりました。そういった意味では非常に幸せだったと思っております。
 実は、私は35年の県庁生活でございますが、そのうちの10年間というのは、もう今解散してなくなってしまいました財団法人静岡総合研究機構に研究員として勤めておりました。そういう中で、県、あるいは市町村の計画づくりとか、あるいは地域づくり、そういったものにかかわって仕事をさせていただきました。
 その時代の先端的な課題に向き合いながら、新しい解決策を提案して、それなりに施策化していくところに携わってきたということで、幾つか思い出となるものがございます。例えば今ワークショップということは、本当に普通のことになりましたけれども、こういった計画づくりの中で、住民参加の手法をどう取り入れていくのかがまだ確定していない段階で、そういったものを導入し始めたとか、あるいはきょうも観光の計画がございましたが、国の総合研究開発機構がございますが、そこから委託を受けて、国際観光戦略といったものを全国まだそんなにインバウンドの取り組みがなかった時代に調査をかけてやったこととか、あるいは中山間地域についての調査研究など、それなりに自治体の施策展開に少しはお役に立てたんじゃないかなとこの場でございますので、少し自負をさせていただきたいというように思います。
 それから、最後になりますけれども、最後の1年間は、高校と大学の連携・接続のあり方検討委員会を担当させていただきました。当委員会ではなかなか質問も余りなくて、答える場面も少なかったんですが、これについての思いを少しだけ語らせていただきます。
 最初は飛び入学というのが、前面に出まして厳しい御意見もいただきました。しかし、この検討委員会の目的というのは、一人一人の能力、あるいは才能をより一層伸ばしていく柔軟な教育システムをいかにつくっていくんだということにあるんだろうと思っております。日本の戦後の教育の仕組みというのが、どうも今のグローバル化、あるいは国際化競争の激しい中で、やや硬直化しているのかということ。平等主義というのが、どこかで横並び主義になって、一人一人の才能を大きく伸ばしていく足かせになっているんじゃないか、あるいはいわゆる普通科の高校から大学を出て、一流の企業へ入っていくという進路がよくて、例えば物づくりを支える技術、あるいは技能を育てる、育成をしている専門高校等、こういったところの社会的評価がなかなか高まらない。こういったところで、果たして単線型の社会でいいのかどうかいうことも問題意識を持ちながらこの1年間議論をして、3月28日に最後の検討委員会がございます。そこで提言がまとまるということになっております。そういう検討の場に微力ながらかかわらせていただいたことを大変光栄に思っております。この検討委員会の提言を踏まえて、きっかけにして本県の教育システムというのは、そういった一人一人の才能を大きく伸ばしていく方向で進んでいきますことを願います。
 また、委員の先生方におきましても、ぜひ御支援賜りますようお願いを申し上げまして、お礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

○加藤文化・観光部理事兼観光・空港振興局長
 トリを務めさせていただきます。
 一言御礼を申し上げます。私は新規採用が教育委員会の教育事務として採用されまして、沼津の山村の小さな小学校に赴任をいたしました。それから転機が訪れましたのは、何といっても1998年の長野オリンピック組織委員会に出向をしたことでございまして、ここでオリンピックのノウハウをいろいろと学ばせていただきました。それで出向が終わりまして、教育委員会は採ってくれないということなものですから、知事部局にお世話になりました。平成10年4月から、そのときから伊豆新世紀創造祭、それから静岡国体、広報、それから今の観光部門に移ってまいりました。
 先ほどの3番委員のお話ではございませんけれど、普通のセクションじゃないところを歩かせていただきました。そういう中で、いろいろやったことは2番委員が言われましたやはり試みてみることを第一に教わりまして、やってみてだめなら、ごめんなさいという世界をずっと来ました。
 この中で一番に記憶に残ったのは、観光部門に来てからですけども、空港開港を経験したことでございます。
 いずれにしましても、自分の生きている間は、二度とないことばかりをやらせていただいたということは非常に幸せであったと思っております。
 その中で、空港開港の前から観光部門に来まして、躍動の時代といいますか、予算もさることながら、私は、最初は生活・文化部観光コンベンション室に配属になりましたけども、その後は、産業部の観光局、それから文化・観光部の観光局と、毎年、2年ごとぐらいに変わってまいりまして、予算も空港開港費マーケットという懐かしい名前もございますけども、そういう中でやらせていただきました。何しろ、静岡を知ってもらう、これ一筋でございまして、今までは東西、首都圏、あるいは中京圏、大阪等にプロモーションしていたものが、急に北海道、あるいは沖縄、九州、そして海外までと、何をしていいかわからない時代もございましたけども、そういうことも経験させていただきました。
 そして得たことは、やはり、自分自身が静岡を一番好きだなということも実感をしたわけでございます。そういう中に立って、観光を担当させてもらいました。これは本当に自分にとって幸せなことかなというふうにつくづく感じている次第でございます。
 そういう中で、私が8年間、この観光部門を担当させていただきました。常々言うんですけども、一生懸命やって、そしておもてなしのある観光ということで心がけてまいりまして、どうにか最後は少し観光交流客数、あるいは宿泊客数も伸びてまいりました。そういうことで御勘弁願いたいと思いますけども、頑張ったつもりでございます。自分には、女性特有の自分への御褒美を上げたいなと男性でもそういうことは可能かと思っております。そんなことでいろいろとお世話になりました。失敗談を挙げるといろいろございます、先ほど天野委員から言われましたように成功のことだけ話させてもらいました。いずれにしましても、悔いのない公務員生活を送らせてもらったと思っています。
 委員の方々には本当にいつも温かい目で見守ってもらいました。時には叱咤激励もいただきました。そういう中で御厚情を賜りましたことを深く感謝を申し上げます。今後文化・観光部をますます御指導御鞭撻を賜りますようお願いを申し上げまして、私の感謝の言葉といたします。本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○天野(進)委員
 3人の退職者からそれぞれお話をいただきました。率直に言うと、何で60歳が定年だよ。この社会で60歳定年というのは、大変に大きな国家のマイナスと私は理解しております。そういう意味では、皆様方それぞれ大いに頑張っていただきたい。しかし今それを県としては、とめようがないというのが実態ですので、御理解いただきながら、これからの人生は大石哲司議員をごらんになれば15年先輩です、皆さん。この元気さを持っていただければ、新しい人生は大きく開いていくはずであります。元気で頑張っていただくことを心から祈念して感謝の言葉にかえさせていただきます。ありがとうございました。

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