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委員会会議録

質問文書

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平成30年2月定例会総務委員会 質疑・質問
質疑・質問者:天野 一 議員
質疑・質問日:03/08/2018
会派名:自民改革会議


○天野(一)委員
 一括質問方式で3点質問をしたいと思っています。
 財政課の組織の問題。
 何人かの方が質問したんですけども、私は財政課というのは予算執行と、それから予算をつけてもらった部で成果が上がったかどうか、ある意味では財政課は予算をつけるところでもありますけども、チェック機能の役目も果たしていると思います。そういう意味からすると、政策をやるところと財政課を一緒にすることは、非常に問題があると思います。47都道府県で財政課を知事直轄にしているところがあるかどうかお伺いしたいと思います。

 次に、昨日も5番委員からG3サミットの話が出ました。ことし高校生までの医療費無償化を県はやる。しかし政令市の2市はやらない。G3というサミットみたいな調整するところがあるにもかかわらず、これをやらないでお互いに理解をし合うという形のものをトップ同士でしなくて同じ県民で差が出る政策をやる。来年度予算の中で高校生医療費無償化の問題が出たこと、県全体のバランスが崩れたことに対して、予算をつくるところがどう考えているかお伺いしたいと思います。

 次に、自殺の問題について本会議で私が過去質問したんですけども、過去8年間で職員が17人自殺しています。職場環境の問題、パワハラとかそういった問題の中で自殺をしている人が過去いたでしょうか。その点についてお伺いします。

○八木人事課長
 全国の都道府県で条例で直轄組織等をつくっているのは4つございますが、財政課が知事直轄組織に属してるところはございません。

○青山財政課長
 医療費助成の関係でございます。
 医療費助成にかかわらず、財政課としましては、やはり個人給付の関係のものについては公平感を持って県民がひとしく受けることが基本であると考えてございます。それはいろんな施策を考える中で社会的弱者の方への対策等を考えるときも、常に公平感を真っ先に考えて予算づけをするか、しないかを進める姿勢は変わりありません。今回の医療費助成は、健康福祉部から要求があったわけでございます。昨年の11月くらいの時点では政令市を除きまして他の市町におきましても実施をするかどうかは足並みがまだ整っていない状況でございました。その時点ではなかなか予算計上は難しいと考えていたところでございます。ただ最終的には年末までに政令市を含む市長会から高校生までの医療費の拡充をしてもらいたいという要望書も出されたりしている経緯の中、各市町において、平成30年度の4月からやるところもあれば、10月以降からスタートするところもございますけども、とりあえずは政令市を除く各市町につきましては足並みをそろえて実施をしていきたいということもございましたので最終的には政令市につきましても健康福祉部で今後も引き続き調整をしていくという中で予算計上を判断させていただいたところでございます。

○藤原職員局長
 職員の自殺についての御質問です。
 職員の自殺が発生した場合には、その原因は大変重要なことでございます。まずは所属に調査を求め事案発生までの状況、原因などについて報告を受けます。また精神科の専門医がその件についてその自殺の原因や事案発生までの所属の対応などを直接所属に聞いて調査をしております。それをもとに精神科の専門医、産業医などがメンバーとなっているメンタルヘルス検討会を行っております。自殺の原因等については、そこで検討してございますけれども、現状ではパワハラが原因であることが明らかとなった事案は現状ではございません。

○天野(一)委員
 財政課の問題ですけども、知事直轄でなかった財政課をあえて知事直轄にする。政策と予算を一体化するという知事の視点はわかるわけですけれども、本来財政課が持っている大事な機能を失わせるリスクがある組織変更は、やってはいけないんじゃないか。それをあえてやったことについては、逆に言うと今県政は、県職員はどこを向いて仕事をやっているのか、知事の顔を見て仕事をやっているのではないかと。本来県職員は県民に顔を向けて仕事をすべきなのに知事直轄をふやすことによって結果的には県民に顔を向けない組織変更ではないかと思うんですけどその点についてお伺いしたい。

 また、G3の問題。
 なぜ統一して一律でやらないのか。結果的には県民の住んでるところによって格差が出てきたり、このことによってばらばらになるわけですけれども、その不満とか不公平についてどう対応しようとしているのかお伺いしたいと思います。

 自殺問題について今そういった対応をしているけれども、今年度は自殺者はいなかったのか、その状況について教えていただきたい。

○伊藤経営管理部長
 財政課を知事直轄組織に移管をする今回の条例改正についてお答えをいたします。
 知事直轄組織は知事のためだけの組織のように受けとめられるかもしれませんが、部も知事直轄の内部組織でございます。そういった意味で部も知事直轄組織の1つですけれども、知事直轄組織はそこにぶら下がってる局を部と同じようにみなした形として、それを総称する名称としてつけてるものでございます。財政課を移管したときの影響といいますか、懸念材料は2番委員からお話がありましたが、例えば予算と決算という問題。予算はその年度の施策体系書という言い方もいたしますように施策をお金であらわしたものと言われております。それらについてその結果を決算という形で評価をしてると。それと同じように毎年政策推進の場面では総合計画をつくってPDCAサイクルを回してきちんと検証する。そういった意味で予算、決算と政策のPDCAサイクルを回すのはほとんど一体的にやってるものだと思っています。
その中で財政課を移管することに対する懸念材料は2つあるかと思います。1つは政策に引っぱられて財政規律が乱される可能性があるということ。もう1つは逆に財政規律を優先するばかりに政策議論が進まないんじゃないかということ。それは見方がまるきり逆なんですが、そういう懸念があることから他県ではそういったところというのは余りないと考えております。静岡県の場合は先ほど言ったPDCAサイクルをしっかりとやりましょうということで、ふじのくにづくり白書の中で政策と予算と検証が一体的に回ってるということでございます。それから、きょうの質疑の中で八木人事課長から説明しましたとおり静岡県の場合は一体的にやるために平成28年度から政策調整会議を設けて政策を推進する企画部門、合わせて財政、人事、行政経営、これらが一体となって議論をする。合わせてそこに財政だけではなく、企画だけでなく、知事だけではなく、各部長も入って多方面から議論する仕組みをつくっておりますので静岡県ではそういう土俵ができたということを考えまして今回知事直轄組織に財政課を移管をする決断をしたところでございます。

 それから、G3等の関係でございますけれども、先ほど青山財政課長から説明があったとおり医療費助成を高校生まで拡大するに当たりましては、知事が選挙公約で言ったという背景はあるにしろ実際にそれをどういう形で施策づくりに持っていくかという過程におきましては、個別の市町としっかりとお話をしています。そういった意味でG3は設けなかったですけども、静岡市ないし浜松市に対しては事務レベル、それから各首長に対して、それらの点をきちっとした説明を行う中で最終的には県の判断にお任せしますという言葉をいただいた結果として今回導入させていただいたということでございます。
 ただ、県内の市町ごとに差があることについてどう思いますかということを問われるならば、なるべくならば同じような制度であるのが望ましいと思っております。そのようなスタンスで各市町ごとにお願いに行っておりますけれども、結果としてはそれぞれの市町の最終的な御判断によるものでございますので、県としてはそこを曲げてまで変えることはできなかったと。
 したがいまして、もともと高校生までやっている団体もございますし導入時期につきましては10月から行うところもありますしもう少し後のところもございます。スタートラインは少しばらばらになっているのが現状でございます。

○藤原職員局長
 今年度の自殺者についての御質問です。
 今年度は2人おります。
 先ほど2番委員からお話があったように平成21年度から平成28年度までに17人、ここ数年では2人、2人、ことしも2人でございました。その2人について先ほどの検討会で検討した結果、1人は本人がドクターから入院を薦められていたんだけれども、いやそれはということで結果として入院せずに亡くなってしまった。
 もう1人は家族も職場もみんなその理由がわからないという事例でした。
 自殺数で見れば、大体年2人ですけれども、一方で2番委員から話があったパワハラについて申し上げますと、平成21年から見ますと大体年平均5件から6件の問い合わせが我々の窓口にございます。いろいろなものがあるんですけれども、中にはこれは対応しなきゃならないものがやっぱりございます。ものによっては実際その現場を相当観察しまして後で来ていただいてどういう考えなの、こういうことを私も実際に見て聞いたよ、自分自身見たよということを本人と話をしますと、その認識が全くないとか、本当にびっくりするようなこともよくあります。そういう職員の声を真摯に聞いていって管理職に対しては人はさまざまだ、じっくりできる人もいれば、すぐにできる人もいるし、さまざまだよ。パーソナリティーが仕事に出ることをちゃんと認識していただいてマネジメントをしていただくように今後も指導、助言をしてまいりたいと思います。言葉は刃物でございます。気をつけるようにこれからもしていきたいと思います。

○天野(一)委員
 財政課のことについては、そういう方向で今やっているわけですけど、ぜひ知事直轄組織になっても財政課が持っている本来の使命を失わないような形でぜひ大事な使命を遂行するように要望しておきたいと思います。
 それから、知事の特命事項といった形の中で、やはり部長さんたちもそんたくするようになると思うんですね。本来は知事ではなくて県民に顔を向けてもらう。部長さんたちも知事のことではなくて、県民の本当の声を聞くような形で政策をやってほしいということを特に要望しておきたいと思っています。

 それから、高校生の医療費の問題も県は中央集権的過ぎると思っている。本来は地域の主体性を大事にする、今市町の調整とかそういったものを本当に非常にやってくれていることは理解しますけども、県主導ではなくて本来は市町が主役であります。そこをサポートしたり調整するのが県のあり方ではないのかな。余りにも県主導でという政策が私は勝ち過ぎているんじゃないと。その1つのあらわれが高校生医療費無償化のこの施策についても少し時間を待ってやることも大事ではないかということを意見として申し述べておきたいと思います。

 自殺のことについてはわかりました。

 それでは質問をこれで終わりまして、ことしこの委員会を最後に退職する方が6人いるわけであります。6人の方はもう37年とか38年、多分近い将来には、そんなに長期間一つの職場で仕事をしている時代があったのかと言われるくらい本当に貴重な時間を県職員として頑張っていただいた6人の退職者の皆さんに心から感謝と敬意を表したいと思いますし、その6人の方にできれば最後の委員会でありますので今までの感想と後輩の皆さんに一言お言葉を残していっていただければありがたいと思います。
 6人の方は、伊藤篤志経営管理部長、内田幸男静岡県理事(内陸フロンティア担当)、松永繁樹経営管理部理事(営繕担当)、藤吉郎出納局次長兼会計管理課長、萩田弘子集中化推進課長、それから人事委員会事務局監査委員事務局の山本雅弘総務課長が本年度をもって退職しますけども、順番に一言ずつお願いしたいと思います。
 最初に、伊藤経営管理部長。
 昭和55年4月に県職員に拝命して勤続38年、以来健康福祉部病院局病院経営室長、企画部企画調整局総合計画室長、浜松市副市長、経営管理部理事、そして現在は経営管理部長と要職を経てきました。伊藤さんからぜひ一言お願いしたいと思います。

○伊藤経営管理部長
 経営管理部長伊藤です。まずは2番委員から私も含めて退職者に対しましてねぎらいの言葉をいただきましてありがとうございます。それからこのような場で最後に発言する機会をいただきましたことも本当にありがたいと思っています。どうもありがとうございます。
 プロフィールの紹介にあったとおり、私は昭和55年に県庁に入りました。恥ずかしながら県庁に入ったきっかけは明確な覚悟もない、公務員志望があったわけではなくて最終的には民間と県庁をてんびんにかけて消極的な理由から県庁に入ったという経緯がございます。そういった中で一番最初の職場は今の健康福祉部の東部看護専門学校いわゆる学校に入りました。行政の中では非常に特殊なところで、行政職員いわゆる事務職員が校長を含めて5人、あとは看護教諭が約二十数人くらいの職場で、それが一番最初の職場だったんでこれが当たり前だと思っている中でスタートしたんですが、自分が38年の公務員生活を送る上で仕事をするんだ、やるんだという思いをつくったところが最初の職場かなと思っています。特に学校ということで、自分の仕事の相手が非常に身近なところにいると。自分がやった仕事が彼女、彼らのためになるということで、自分は何のために仕事をするのかということをその職場でつくったのかなと、そういった気持ちが三十数年つながってきたのかなと思っています。
 その後は人事課に行きまして、たくさんの仕事を教えてもらうと同時にプライベートも含めてお酒の場も含めていろいろ教わり本当によき先輩方に恵まれたなと思っています。
 その後は静岡土木事務所建設業係で契約と建設業許可の仕事を行っていました。そこで初めて仕事の厳しさを味わったような記憶がございます。具体的に言うと自分が持っていた契約案件に対して業者が夜逃げをしてしまったと。ふつうに倒産してくれていればいろいろ方法はあるんだけれども、夜逃げをしていなくなっちゃったというのが余り処理方法として確立されていませんでした。もう1つは私は大学時代に民事訴訟法の中でも破産法を選択していたんですが、大学での机上での勉強というのがほとんど役に立たないなと、そういった意味でちゃんと実学も含めた勉強をしないといけないなということで仕事の厳しさも含めて教わったのがその時期だったと思っています。
 その後市町村課ということで今の市町行財政課の仕事をしておりまして、そのころやっぱり市町から交流職員がたくさん来ていてわいわいがやがや楽しくやった記憶が残っています。あわせて、その中の1年は国で研修する機会をいただきました。国の政策決定の仕組みを知ると同時に県職員、県の仕事って全然国に負けてないぞと逆に自信を持って帰ってきた記憶がございます。
 その後は自分が一番長くやった財政課で13年仕事をしました。先ほど財政課の仕事、どこを向いてやるのか、何のためにやるのか、私もそういったつもりで今までの培った経験を生かす中でやってきたと思っています。これは多分これからの財政課についてもみんな職員がそういう気持ちでやってくれるものだと信じております。
 財政課を出た後は病院局で病院経営の仕事をしていました。独立行政法人化をするときの仕事をしていまして、県から離れて独立法人化するということでたくさんの職員が不安に思っていました。その中できちんと移管ができるように仕組みをちゃんとつくって、もう1つは経営が安定するよう県からのお金をしっかりと確保する思いで3年間やった思いがございます。
 その後は、ちょうど平成21年になりますけれども、今の川勝知事に変わられた後、総合計画をつくる仕事をしていました。やっぱり石川知事から川勝知事に変わる中で、多分ですけど私も含めてどういうふうに仕事をしていったらいいのかってみんな悩んでいたと思います。その中でどうしたら知事がやろうと思っている仕事を形にして外に説明できるかを一生懸命考えた覚えがございます。あとは、物流のプランをつくったり今の内陸フロンティアを拓く取り組みの最初のきっかけをつくるような仕事もさせてもらいました。
 その後、浜松市の副市長に出て貴重な経験をしたんですが、一番思い出として残っているのは副市長として2年がたった後、体に変調がありまして、というか自覚症状はなかったんですけど、悪性腫瘍が見つかりしっかりとした治療が必要だということで途中で帰任をさせていただいたということです。抗がん剤なんかの治療を行った後、外科手術をするなどして4カ月近く休みました。その中で初めてでございますけども、健康の大事さと家族、特に女房の大事さを改めて知ったところでございます。
 後輩に送るとすれば、とにかく健康一番で仕事もしっかりやって、家庭生活も楽しむことをやってもらいたいと思います。もう1つ仕事をやるに当たっては変わること、変えることを恐れずにいろんなことにチャレンジしてほしいと思っています。公務員ってどうしてもなかなか変わることを恐れる結果として周りがどんどん進んで結果として一番後ろにいることがよくあるんで、気持ちは変わらずに仕事はどんどん変えるという形でやっていっていただければありがたいと思います。
 38年間、先輩、それから同僚、後輩に恵まれてここまでやってこれたと思っています。本当に感謝しております。また県議会の皆様方にもいろんな形で政策を交わす中でいい県政をつくるという形で仕事ができたと思っています。3月で退職となりますけれども、4月以降も自分が今まで教わってきたことを少しでもお返しできる仕事ができればと思っています。ありがとうございました。

○天野(一)委員
 内田静岡県理事にお願いしたいと思いますけど、内田県理事は富士農林事務所農山村整備課長、交通基盤部、企画広報部の理事、政策企画部理事、いろいろ経験してきております。よろしくお願いいたします。

○内田静岡県理事(内陸フロンティア担当)
 2番委員にはただいま私の経歴を御紹介していただき、また先ほどは身に余る励ましの言葉をいただきまして本当にありがとうございます。
 私は昭和55年に農業土木の技術者として島田の土地改良事務所に配属をされまして、以来きょうまで38年間県職員として勤めてきたわけですけれども、農業土木の職種としてはちょっと異例かもしれません。農業土木の所管以外のいろんな部署を経験することが非常に多くて、これを我々農業土木の職種の間ではわらじを履くって言うんですが、わらじを履いて他のセクションの仕事をするのを若いときにまず広報課から始まりまして、その後農林水産企画で一次産業全般の企画調整をやり、先ほど2番委員からも御紹介いただきましたけれども、企画部で地域政策にかかわることをやり現在は内陸のフロンティアをやっております。
まさに異動するたびにいろいろな課題、一番多かったのはやっぱりなぜかそのタイミングでは新しい計画をつくるとか変更するということもございましたけれども、一方で何か問題が起きる部署にもよく異動しました。いろいろあったんですが、一番印象に残り私の仕事の仕方を大きく変えた事件といいますか、問題というのは、農業用水が一部工業用水に使われていた他目的取水の問題が発覚したときです。これは全国的な問題にもなりましたし週刊誌にもたびたび取り上げられたんですが、発端はすごくシンプルで全く他意のないことでございました。農業用水は大規模なものになると、取水口から末端まで数十キロメートルあります。今のような最新鋭の管理システムはございませんので、オープンのいわゆる側溝のような水路を水が流れるわけです。そうすると下流で水はもう要らないといっても上を締めるとその水路の中の水がそのまま下流に流れるんですね。それが無駄にならないように途中に調整池をつくっています。池をつくってもどうしてもそこからこぼれてしまう水があるものですから、地元の方はただ水がこぼれて無駄になるんだったらせっかくだから企業に使わせてやればいいではないかという素直な、素朴なところから発覚した問題だったんです。この問題をとにかく解決するためには、新しく工業用水のための水源を生み出さなければいけないんですが、工業用水道の工事をやって水を賄うことはとてもできませんので、いろいろな方策を検討する中で唯一これが現実的だと思われたのは、農業用水を変更して工業用水を生み出す方法しかないだろうと、現状をうまく使いながら対応するということなんですが、その農業水利権は大臣の水利権で数年前に更新をしたばかりでした。ですので、担当の農政局も1年、2年前に更新したばかりのものを新たにまた更新をすることはあり得ないということだったんで我々はもう打つ手なしで頭が真っ白になったわけですが、ある本省の会議が終わった後に当時の農業土木を統括していたトップの方と懇親会の場で話をすることになりました。私は主幹で、室長と一緒に行ったんです。そのとき、この問題を解決する打つ手がありません、どうしたらいいでしょうか。そのトップの方に言ったら、そのトップの方が笑って、簡単なことではないか、国の水利権を変えればいいんでしょうとたった一言でした。その話を農政局の部長に伝えたらあり得ないと。翌日本省へ飛んでいって本当にそんなことをやっていいのかそのトップの方に聞いたら、だからおまえは頭がかたいんだよ、必要なら変えればいいじゃないかと。まさにこれが青天のへきれきのような話で、その後は非常にハイレベルな課題でしたけれども、国と県でチームを組んでその問題に当たりました。そのときに、私の中に今後の仕事に大きな影響が出たのは頭がかたくてはだめだ、必要ならどんどん勇気を持って変えろと。それは慣例だとか体面にとらわれずに必要なら変えろ。そういうことを教えていただきました。これは先ほど伊藤部長がおっしゃったことと一部重なりますけれども、変革をすることを恐れずに変えろということが今も私が仕事を進めていく上で大きな1つの柱になっています。
 最後に1点だけお話をさせていただきたいと思います。“ふじのくに”のフロンティアを拓く取り組みについてです。私は農山村計画を担当してきた人間として地域の数ヘクタールの基盤整備から国土形成計画の広域地方計画、これは首都圏と中部圏のその計画策定にもかかわらせていただく中で特に今人口減少社会の中で活力ある地域をつくっていくかという課題のときにやはり単一の特性を持った地域ではだめだと、やっぱり地域っていうのは地域それぞれがいろいろな特徴を持った個性を発揮する、そのときに最も都市と違う個性を発揮できるのは農山漁村であるという信念を持っています。そのことを私が今まで計画をつくってきた中でついに在職中の最後の計画になりましたけども、“ふじのくに”のフロンティアを拓く全体構想の中にその思いを込めさせていただきました。その言葉は共生と多中心です。都市が大きいとか小さいとか、あるいは都市と農山村ということではなくて、そこで競うんではなくてそれぞれの地域がぜひこれからの静岡県では共生をしていく、そういう地域をつくりたい。それと一極集中のような強いところに吸収される地域ではなくて農山漁村地域も個性を発揮して中心性を発揮する地域を静岡県につくりたい。それは静岡県だからできると信じています。非常に多様性に富んでいていろいろな地域資源を持った本県だからこそ恐らく地域が共生をして個性を持った多中心の魅力のある圏域をつくれるだろうと思っています。残念ながら計画の発端をつくって卒業、退職をしてしまいますけれども、今後も農業土木の技術者として特に農山村地域振興の計画に携わってきたものとして今度は直接、公務員ではございませんけれども、技術者としてまさに美しいふじのくにを外部から支えていきたいと思っています。
 これまで本当にお世話となり、ありがとうございました。

○天野(一)委員
 それでは松永経営管理部理事。
 昭和56年4月に県職員になりまして37年。主な役職としては文化・観光部文化学術局文化政策課技監、くらし・環境部建築住宅課建築安全推進課長、そして現在は経営管理部理事で営繕担当となっています。よろしくお願いします。

○松永経営管理部理事(営繕担当)
 大変貴重な時間をいただきましてありがとうございます。私のこれまでの仕事を通じました所感を述べさせていただきます。
 今御紹介にあずかりましたように昭和56年に建築技師としまして県庁に採用されました。以降37年間建築職員が歩くコースなんですけど、建築行政、住宅行政、そして営繕行政と建築の中では比較的幅広く建築業務の仕事をさせていただきました。
 具体的にどんなことをやってきたかということですけど、建築行政において印象に残っているのは建築のユニバーサルデザインに関する基準規定づくり。そして住宅行政につきましては、もう十数年前なんですけど、当時かなり老朽化が進んでおりました県営住宅を再生しようと計画づくりをいたしました。
 そして最後に営繕行政でございますが、庁舎施設、学校、病院、コンベンション施設など多くの施設の新築、改修、耐震補強工事を担当させていただきました。そういった業務を通じまして、県職員初めいろいろな方々と接して交流することができました。
 印象に残っているものを1つ御紹介しますと、がんセンター建設の際、県の看護師の方々と一緒に仕事をしました。非常に情熱を持った看護師の方々ばかりで県の技術職員も県庁の職員も圧倒される感じだったんですけど、とにかく彼女らが言うにはつくる側じゃなくてそこを使う人、いわゆる患者さんの目線で施設をつくりましょうということがありまして建物の内装、仕上げ、サイン計画、それとユニバーサルトイレがあちこちにあるんですけど、トイレの機器の一つ一つやそれ以外にもいろんな課題がございまして建物の隅々に至るまで走り回って検討した思い出がございます。
 それ以外にもいろいろな経験がありますが、そういった建築業務を通じまして県民の安全・安心、そして利便性に微力ながら貢献できたと感じております。
 後輩には、そういったいわゆる県民目線の施設づくりを念頭に置きまして、持てる力、技術力を発揮して県民に長く愛され利用される施設づくりに情熱を持って取り組んでいただきたいと願っております。
 最後になりますが、公務員生活最後の4年間に営繕の仕事をさせていただきまして大変ありがたく感じております。そして県議会議員の皆さん、先輩の方々、後輩の方々に支えられましてこれまで仕事をさせていただいたのを非常に感謝いたします。4月からは一県民として県の業務、そして営繕の業務を見守り支援していきたいと考えております。きょうは貴重な時間をいただきまして大変ありがとうございました。

○天野(一)委員
 次に藤出納局次長兼会計管理課長。
 昭和59年4月に県職員、勤続34年です。
 主な役職としては、監査委員事務局監査課調査監査兼特別監査班長、経営管理部総務局法務文書課長、そして現在は出納局次長兼会計管理課長よろしくお願いします。

○藤出納局次長兼会計管理課長
 このような機会を与えていただき本当にありがとうございます。今御紹介がありましたとおり34年間県にお世話になりました。従事してきた仕事は総務関係、監査、今の出納もそうですが総務関係が長く、大きな事業だとか計画づくりに携わったことがありません。そういう意味で県民のために何かできたという実感を持てた、そういうことを感じられた仕事としてここで御紹介するようなものが恥ずかしながらございません。それでも大きなミスもなくきょうまでやってこれたのは、部下のおかげだったと思っています。
 初めて係長になったとき、部下にどういう形で接したらいいのか、あるいは指示したらいいのか悩んだこともあります。ミスリードも多かったと思っています。それでも本当にすばらしい部下に恵まれたことに感謝しております。
 34年間勤めたわけですから、部下だったもの、来年度以降も県で活躍する後輩の皆さんに何か一言言い残すことがあればいいと思うんですが、きのうも話題になっておりましたが、今後ICT、AIで仕事のやり方が大きく変わるという話もありました。大きく変化する社会の中で、いろんな選択肢がある中で年寄りの経験談がどれだけ役に立つのか私にも自信がありません。そういう意味で気のきいたことは言えないんですけど、伊藤部長や内田県理事は変えることを恐れてはならないとおっしゃいました。自分はどうだったかと考えたとき、自分は与えられた仕事を間違わないように正確にという思いが非常に強くて変えようという発想は正直余りなかったことを反省として思っています。私を反面教師として大きく変わっていくだろう仕事のやり方、その環境に合わせて頑張っていただきたいと思っています。その人がこの場に立って挨拶するときには、こういう仕事をしたと自信を持って言えるように頑張っていただければと後輩たちには残しておきたいと思います。本当にどうもありがとうございました。

○天野(一)委員
 それでは、萩田出納局集中化推進課長。
 昭和52年5月に県職員となって勤続40年。
 出納局会計指導課長、現在は出納局集中化推進課長よろしくお願いします。

○萩田集中化推進課長
 本日はこのような発言の機会をいただきまして、本当にありがとうございます。またただいま2番委員から御紹介いただきましたように私が県に採用されたのはちょうど県立こども病院ができました昭和52年でございました。
 一番最初に配属されたのが総務部市町村課でございます。選挙権を持って初めての投票日、選挙管理委員会の事務業務をするために朝不在者投票をして出勤したことを思い出します。また当時は75市町村ございました。市町村や民間の創意工夫を事例集として取りまとめたアイデア自治という冊子を編集、発行する仕事を担当させていただいたことが大変印象に残っております。この市町村課に勤務したことが、県職員としての原点として非常にございまして、仕事に対する基本的姿勢などを当時の上司の皆様、周りの先輩職員の皆様から本当にいろいろな場面でたくさん教えていただきました。
 2カ所目からは西部地域の出先機関で30年間ほど勤務いたしまして、仕事は会計事務ですとか税務がほとんどでございました。その間には出産、育児、それから介護を経験しまして、その後再び県庁へ戻り最後に11年間在籍をした出納局で定年退職を迎えることになりました。
 出先機関で一番印象に残っていますのは、昭和58年度の農林事務所の統合があった年でございます。私はその当時、中遠農業事務所に在籍しておりまして、そこが母体になって土地改良事務所ですとか林業事務所などが一緒になって農林事務所となりました。私のいた中遠では職員数が157名、当時は県下で最大の事務所となりました。またその組織改正と通常の人事異動の結果、総務課では主事の私が一人残ってしまいまして、新年度の4月1日は人事異動の手続を粛々と夢中でやっておりましたらその日はたしか日付が変わってしまったという記憶がございます。しかしながらその経験がその後の仕事において、非常に自分の自信になっておりまして少しくらい業務量が多いときにも繁忙期を乗り越えるときにはいつもそのときのことを思い出し頑張れたような気がしております。
 これまで十数カ所の部署を勤務してまいりましたけれども、どの職場におきましても優しく丁寧に、ときには厳しく御指導いただいた上司の皆様、周囲の皆様に恵まれましてここまで勤続することができこうして定年退職を迎えられますことが私にとりましては本当にかけがえのない財産だと思っております。
 今まで本当にいつも親身になって御指導いただきました委員の皆様初め関係職員の皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいでございます。そしてまたここまで40年余りの間、ここまでたどり着くまでにはやはり忘れていけないと思いますのが家族の理解、それから家事とか育児への協力、そして何より温かい心の支えがあったからこそであると本当に強く感じているところでございます。ここまで私を本当にずっと見守り応援し続けてくれた家族の一人一人にもぜひしっかり感謝の気持ちを伝えたいと思っています。
 これまで私が歩んできました勤務所は多くが内部管理事務の部門でございましたけれども、今感じますのは県民の皆様にも職員の皆様にも信頼していただける仕事をなし遂げるための基本はやはり十分に意思疎通を図ること、そのことに尽きる気が私はしております。先ほどもこれからの仕事のやり方がというお話がございましたけれども、いろいろそういうパソコンなりそういったものに頼る時代にどんどんなっていくかと思いますが、やはり基本的にはお互いの顔を見て会話をして言葉ですとか表情ですとか、そういったところから相手の本当の気持ちが見えて、そこにぬくもりが加わって初めて信頼関係が生まれてくると感じております。
 退職後はできるだけ地域のいろんな活動にふれてその地域の方々とのコミュニケーションを大切にして何か少しでもお役に立てることを見つけゆっくり、そして生き生きと過ごしてまいりたいと思っております。
 最後に皆様の御健勝と今後ますます御活躍されることをお祈りいたしましてお礼の言葉とさせていただきます。長い間本当にありがとうございました。

○天野(一)委員
 次に山本人事委員会事務局・監査委員事務局総務課長。
 昭和56年4月に県職員となり在職37年。
 交通基盤部道路局道路保全課参事兼課長代理、交通基盤部建設支援局建設業課長、そして現在は人事委員会事務局・監査委員事務局総務課長であります。よろしくお願いします。

○山本人事委員会事務局・監査委員事務局総務課長
 発言の機会をいただきましてありがとうございます。今御紹介いただきましたように37年間お世話になりました。本年度をもって定年退職となるわけですけれども、今まで勤め続けてこれたのも県議の皆様方、それから上司、同僚、後輩のおかげだと思っております。
 37年間の中で通算して最も期間が長いのは、先ほど御紹介いただきましたけれども、土木建設関係の業務です。建設業関係、道路管理業務など17年間になります。次に長いのが総務管理関係の業務で今の人事委員会事務局・監査委員事務局の業務等8年間になります。
 この37年間の業務の中で印象に残っているのが、今の部署で言うとくらし・環境部の公営住宅課のときのことなんですけども、公営住宅課には4年間在籍しました。公営住宅課勤務1年目の平成20年にリーマンショックが起こりました。このリーマンショックを原因とする景気後退によりまして企業によって雇いどめとか派遣切りが発生しまして非正規の従業員の方の多くが職を失いました。職を失った方の中には解雇されたために社宅など企業が用意した住宅からも退去しなければならない方が多く出ました。このような仕事と住宅を失ってしまった方のために緊急避難的な措置として県営住宅を提供するために、当時年末でしたけども、県営住宅の管理業務を受託している住宅供給公社と調整しまして新たに要領を制定して県営住宅に受け入れるための体制を整えました。その後平成23年ですけども、東日本大震災が起こりました。この地震によって原子力発電所の事故が起きまして被災地から避難してきた方に対してまた県営住宅を提供するために土木事務所、それから住宅供給公社と調整して平日、休日を問わず住宅相談を受けて、その日のうちに県営住宅の鍵を渡せる体制を整えました。このような業務の経験を通じて改めて思うことは、セーフティーネットの大切さです。お話した事例は生活の基本になる住宅の提供ですけども、想定外のことが発生した場合に行政として何が支援できるのか、既存の制度の中で支援目的を達成できるのか、今までのルールの中でネックになることがあるのか、このような視点で場合によったら柔軟に対応していく必要があると思います。発生した事柄によっては、広域的な対応をとらなければならない状況もあります。このような場合、市町と協力、連携して対応することが必要になります。総合計画の中にもあります安心して暮らせる社会の実現のために県の役割は非常に大きいものがあると思います。
 以上、感じたことをお話させていただきました。本当に長い間お世話になりました。ありがとうございました。

○天野(一)委員
 6人の方、どうも貴重なお話をありがとうございました。
 100歳時代でありますので退職後にまだ約40年あります。すばらしい人生を送っていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

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