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委員会会議録

質問文書

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平成28年2月定例会文教警察委員会 質疑・質問
質疑・質問者:吉川 雄二 議員
質疑・質問日:03/09/2016
会派名:自民改革会議


○吉川委員
 2番、吉川です。
 委員を代表して、本年度勇退なされる公安委員会関係の5名の皆様のその光彩陸離たる足跡をたたえるとともに、感謝の言葉を申し上げたいと思います。
 まず、大島総務部長におかれましては、36年余の警察官人生の中、総務警務部門で13年有余、刑事部門においては10年間勤務なされたのであります。総務警務部門では県警察の組織運営全般を掌握しこれを運営、さらに刑事部門にあっては、静岡県薬物の濫用の防止に関する条例の制定に努め、危険ドラッグを初めとする薬物乱用防止施策を積極的に推し進めたものであります。
 また、卓越したその捜査指揮により、沼津市愛鷹で発生した危険ドラッグ使用にかかわる保護責任者遺棄致死事件や、静岡県職員らによる贈収賄事件等と数々の事件を検挙、解決されたのであります。
 大島総務部長、それにしても思い出すのは本年年頭視閲式において、「正・強・仁」をもって成る本県の警察官400余のつわものを指揮してのあなたの凛とした雄姿であります。そしてあなたの雄姿に重なるのは「我は官軍我敵は天地容れざる朝敵ぞ」で始まる分列行進曲は、過ぐる西南の役における警視庁抜刀隊の歌であります。
 青島生活安全部長におかれましては、33年に及ぶ警察官人生のうち、生安部門に16年有余の間身を置く中、人身安全関連の対処体制の整備充実を初め、関係機関、団体と連携した特殊詐欺被害防止対策、防犯ボランティアの指導育成など防犯防止対策を推進する中、犯罪の起きにくい社会づくりに貢献されたのであります。
 青島生活安全部長、あなたの本県警察の生活安全部門における組織の鎮めとしての存在は、まさに余人をもってかえがたいものがあり、余人をして青島の前に青島なく、青島の後ろに青島なしと言わさしめたのであります。
 小林地域部長におかれましては、37年間に及ぶ警察官人生の中、総務警務部門に25年間奉職したのであります。わけても監察部門においては課長補佐、次長、主任監察官、課長を歴任され、県警察の規律保持と士気高揚に大きく貢献されたのであります。
 また、県警察学校、管区学校学生科長として若手警察官の育成にも尽力され、本年度には2,200人を擁する地域警察官の執行力強化に積極果敢に取り組まれたのであります。
 小林地域部長、あなたが身を挺して示された「正・強・仁」の奮闘は、我が静岡県警察の精髄にして、まさにその遺勲は永遠であります。後世において必ずや万古の知己を得るものと確信をしております。
 村松警備部長におかれましては、38年余に及ぶ警察官人生の中、沼津警察署長、地域部長、静岡中央警察署長を歴任されたのであります。
 警備部門に25年有余在席、地域管理のエキスパートとして冷静沈着、かつ多角的に情勢等を分析判断する中、部下職員を見事に統率、もって本県の治安維持に貢献されたのであります。
 村松警備部長、あなたは刻苦勉励して、よくみずからの分を尽くす中、常にして静岡県警察の確たる存立を図るその働きぶりは、まさに本県警察官6,000有余名のかがみであり目標でありました。
 太田刑事部参事官兼生活安全部参事官におかれましては、38年に及ぶ警察官人生の中、刑事部門に32年間勤務されたのであります。
 この間、選挙違反事件や贈収賄事件といった知能犯捜査や、強盗殺人事件等の重要凶悪事件の捜査に尽力されたのであります。
 わけても捜査第一課長としての捜査指揮は、まことにもって卓越したものがあり、伊東市八幡野の強盗殺人事件を初めとして、社会的にも注目された数々の難事件を検挙、解決されたのであります。
 太田刑事部参事官、あなたの卓越したその捜査指揮ぶりは、吉展ちゃん事件など戦後我が国の数々の難事件を解決した伝説の刑事平塚八兵衛をほうふつさせるものがあり、その功績はまさに本県警察60有余年の歴史にさん然と輝くものであります。
 また、皆様方の働きぶりは、桔椐精励して匪躬之節を尽くすといったところでありましょうか。匪躬の節を尽くすとは、我が身を顧みず、国家のため、陛下のために尽忠するということであります。尽忠するとは、忠を尽くすということであります。いわゆる滅私奉公であります。滅私奉公という価値は、戦後アメリカの占領政策の中で否定されるわけであります。しかしながら今日まで我々日本人の精神に脈々と波を打っているのであります。我が大和のこのDNAにすり込まれているのであります。
 さて皆さん、戦前の官僚は天皇の官僚でありました。したがって尽くすべき所在が極めて明確でありました。しかしながら戦後の官僚は国民の官僚ですから、その所在が極めてファジーであります。したがって県民世論の価値観の多様化の中、あるいは時としてほうふつとして起こる怨嗟の声の中、私は皆さんは本当によくやったと思います。
 370万県民を代表して、畏敬の念を持って心より敬意を表したいと思います。
 さて、これからであります。古来、高名に名を遂げて身退くはこれ天の道なりとあります。しかしながら皆様方におかれましては、高名に名を遂げてなおよく後進に道を説くということで、折に触れて後進への指導をよろしくお願いを申し上げたいと思います。
 さて、従前述べたごとく、皆様方は数々の輝かしい経験あるいは知見をお持ちの方々であります。ここで退職に当たっての感想と、今後の本県警察のあり方、そしてその県警を担う後輩への助言などがありましたら、それぞれ一言ずついただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

○大島総務部長
 このような機会をいただき、本当に光栄でございます。ありがとうございます。
 36年6カ月という警察人生でございました。とても充実しておりました。駆け出しのころは何もわからなくて、自分に務まるのか不安でございましたけれども、上司、先輩、住民の皆さん、最後は家族に助けていただいて、何とかきょうまで来られたのではないかと思っております。
 そういう仕事を覚えていくうちに、警察官でなければやることができないだいご味でございますとか、本当に生きがいというものを味わうことができまして病みつきになりました。大変幸せな警察人生だったと思っております。皆さんがいてよかったなと感謝しているところでございます。今後は賜りました御恩をお返しするということをしていきたいと思っております。
 県警とか後輩に一言ということでございますけれども、警察も行政機関である以上、当たり前ですけれども、無駄はないだとかいわゆる高い効率性を求められて、あるいはどんな違反も起きることはあってはならないと、そんな完璧性を求められて、評価も最近はスピーディーにあっと数字的に出てしまうとそんなこともありまして、なかなか一人一人の職員が余裕を持ってといいますか、潤いを持って仕事ができるのが難しくなった気がいたします。
 もちろん昔のように、先ほどもお話がございましたけれども、朝から晩まで交番の掃除をして、パトカーと白バイを磨いていたらいいという時代ではないのですけれども、警察は不器用で正直過ぎるところもございまして、皆さんからいたしますと重たいところもあるかもしれませんけれども、目覚ましい成果というものがなくても無償の奉仕といいますか、そういうものをきちんとやるというのが本当の警察の存在意義でございます。市民の皆様が本当に助けてほしいというときに、みずからの危険を顧みず生命をかけてでも住民を守り抜くというのが警察の使命、責務であると考えております。
 私が警察官になったとき、先輩から静岡は東海地震があるのだと、目の前に助けを求める人がいて、自分も危険に迫ったときどうするのだとよく考えておけと言われました。警察官はどうすべきかと、どう振る舞うのかということを考えて、ふだんは何をしてもいいのだけれども、いざというときに警察官は逃げることができないのだよと、それが警察官なんだ。そのときのために給料をもらっているのだと、心構えをつくっておけと、覚悟をしておけと、こんなことを言われました。
 それは、ここにいる幹部も皆同じだと思います。静岡県警察の職員が全員抱えている課題でございます。何十年になろうとも、それは向き合っていかなくてはならない、こんなふうに考えております。
 後輩の皆さんには、たとえどんな評価を受けましょうとも一喜一憂しないで住民を守る、ともに歩むのだという警察の原点を忘れないで、信念をもって誠実に真摯に治安維持の活動に邁進してほしいと願っているところでございます。そうした活動が住民に安心を与えますし、警察との信頼関係を築くことができますし、ひいては、治安が保たれていくのではないかと考えております。
 県議会議員の皆さんには、本当にお世話になりまして、御指導いただきました。本当にありがとうございました。引き続き県警察に対しまして、温かい御支援と深い御理解を賜りますようお願いを申し上げまして、退職の挨拶にさせていただきます。本当に長年ありがとうございました。(拍手)

○青島生活安全部長
 実は、私ここに来る前に、昭和58年4月に静岡県巡査を拝命しまして、それからいろんな署を回りました。どれだけ転勤したかって確認をしましたら20回転勤しております。沼津警察署に卒配いたしまして巡査で行って、そこで沼津では2回目、沼津の署長の経験をして、最後に生活安全部長にしていただいたのが、ちょうど20回目の転勤でございました。自分で20回も転勤したのだなと、本当にしみじみと感じました。その間に単身赴任が6回あって、掃除、洗濯をいつも自分でやっておりましたけれども、なかなか大変でございました。
 本当に、県議会の皆様方からいろんな御指導、御指摘をいただくと、やっぱり自分にも至らないところがあるなと、いつも痛感をしておりました。
 一応、静岡県警察を卒業という形になるのですけれども、後輩の皆様方にというほどあれではないのですけれども、やっぱり警察署長になると、若干鼻が高くなるケースもあるものですから、やはり思い上がらずに地元の皆様方の御意見を丁寧に聞いて、受け入れて、地元の皆さんと仲よくしなければ、やっぱり警察は立ち行かないというふうに考えておりますので、やっぱり明るく風通しのいい警察署をつくって、今後とも地元の皆様方と連携をして、いろんないい仕事ができるようにしていただければありがたいなと思っております。以上でございます。(拍手)

○小林地域部長
 37年間、本当にありがとうございました。
 昭和54年4月に静岡県警察官を拝命いたしまして、下田署から始まりまして、計18所属で37年間勤務させていただきました。
 この間、振り返ってみますと数多くの先輩、また上司、同僚等に支えられ、助けられながらここまでやってこれたということで非常に感謝しております。
 警察人生を振り返ってみまして、一番の思い出は監察課で警察改革に取り組んだことでございます。連日連夜警察に対して非常に厳しい批判を受けまして、日々監察事案の処理、あわせて対策、これに追われたことを今でも覚えております。
 そんな中で、やはり警察は県民の期待と信頼、そして、協力なくしてはこの警察の責務といいますか、目的を果たすことができないなということを改めて痛感いたしました。
 現在、大量退職、採用時代を迎えております。今、大勢の若い警察官が交番等で日夜勤務しております。先日も警察学校に行きまして、初任補修科生――一度卒業した学生ですけれど、再入校した学生でございますけれども――補修科生に話をする機会がありました。その際学生に対しまして、県民のための警察であること、これを忘れてはいけないぞと、それとみずからの仕事、警察の仕事に常に誇りと使命感を持って取り組んでほしいという2点を話してまいりました。
 私自身も今春警察を退職いたしますけれども、死ぬまで気持ちは静岡県警察官でありたいなと思っております。そしてまた、死ぬときまで我が静岡県警察を応援していきたいと思っております。引き続き警察をよろしくお願いいたします。(拍手)

○村松警備部長
 こういう発言の機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。
 私は、昭和53年4月に警察官に拝命いたしました。38年間勤務させていただきました。
 振り出しは、静岡中央警察署の駅前交番ということで、まだなりたての新米巡査がパトロールをしておりまして、ビルに映った自分の制服姿にドキッとしたことを覚えております。
 そうしてかれこれ勤務してまいりまして、県下の東部、中部、西部くまなく勤務させていただきました。とりわけ多かったのが、伊豆半島の警察署の勤務が多かった。伊豆半島はやはり人口の問題、警察署の布陣の問題もありましたが、地元の方々と密接におつき合いする機会が大変多うございます。そういう中で感じたのが住民の皆さんは警察官に対する非常な信頼を持っていただいて頼りにされたということを思っています。その信頼と頼りにされることに応えようということで、自分の力をもってして、できることは何でもやろうということで、この38年間務めてきたつもりであります。
 こういう立場になりまして、議会の先生方とお話をさせていただく機会を与えられたわけでございます。県民の代表としての皆様方の御意見、御指導をいただきながら、ああ警察官になってよかったなということを、こういう席において感じた次第であります。
 私、去るに当たりまして、一言ということでございますが、私よりは有能な後輩たちがそろっております。そういうことで後顧に憂いなく退職することができるなと思います。私はこの退職に当たりまして、これまで私を指導してくれた上司、先輩、そして支えてくれた同僚や後輩に感謝しながら、卒業いたしましたら県警の強力な応援団になる、そして警察のために尽くすということを考えながら生きてまいりたいと思います。本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○太田刑事部参事官兼生活安全部参事官
 私が何か最後に言うのは変だなと思いながらいるんですけれども、私、先ほど紹介してもらったように、38年のうち32年と少し、刑事をやらせてもらって本当によかったなと、厳しくも楽しくやらせていただいて、ようやくこれで無事に退職させてもらえるんだというのを最近感じております。
 私、最初が暴力団取り締まりの刑事を担当しまして、当たり前に選挙違反をやるんだ、汚職事件も1年に2回もやるんだといいながら、その政治的不正の事件を次にやらせていただきまして、その後、外国人、中国人、ブラジル人が大暴れしたときの外国人担当の刑事をやらせていただきました。そして相撲取りが誤認検視で間違えた愛知県の事件のときに、なぜか検死官、死体をあまり見たこともないですけれども、一生懸命勉強しました。今では生きている人間を見ても病気がわかるぐらい勉強させていただきました。そしてDNAの科学捜査が言われ始めたときに、ちょうど鑑識課長をやらせていただきました。そしてその後、捜査一課長、何の因果か私、生まれは伊東なんですけれども、故郷伊東で男女強殺、冷蔵庫の中に入れられてしまうという事件が起きてしまう。もちろん私の知り合いのところでございます。
 そんな事件にめぐり会って、そして今、振り込め詐欺、人身安全の司令塔という、時の事件に俺はいつもやれてこれたんだなということで、本当に刑事冥利に尽きたことをやってきたんだということで、今となって初めて、俺にはこの退職のときに天職だったんだという感想を持っております。
 私は、数々の先輩、上司の方から、無駄な、余計な知識を多く持て、そうすれば刑事はできるんだということを言われて、いろんな趣味を持って、いろんなことをやってきたつもりであります。そして私が言うのはおかしな話ですけれども、後輩たちに仕事は60%でいいと言ってしまうんです。というのは刑事警察をやっていると、1つの仕事をやっているときに、もう1つ大きなときが来たとき、パニックになってしまいます。そんな関係で常に余裕を持った仕事をしなさいということを、よく偉そうに言ってまいりました。
 と言いながらも、自分では必死になってどうしようどうしようと思いながらやる自分の姿が本当に、何か時々違うところから見てしまうというような、少し変なところがありましたけれども、何とかこれだけやらせていただいて、それで最後にはこういう委員会でいろいろ先生方の意見を聞いて、こちらでこう考えているんだと思いながら、自分の考え方がここも違う、そこも違うというような反省をしながら、ようやく何か、俺は警察だったんだという感覚を持つことができました。
 本当、今後、後輩にというわけではないんですけれども、仕事というのは先取りしたことをやっていかなければいけないというようなことを、いつも言っております。そんな警察のために私もこうやってやらせていただきましたので、今度は本当の意味で県民の目に俺はなれるんだと思いながら、本当に今後、警察はいろんな分野をやらなければいけないところでありますけれども、警察の活躍を期待して、よき一般市民となって協力をしていきたいと思っております。どうもありがとうございました。(拍手)

○吉川委員
 ありがとうございました。後輩の皆様も大いに奮励奮起して事に当たると思います。
 それでは、結びに送別の歌としてよく愛唱されてきた、王維の「元二の安西に使するを送る」を奉唱して、送別の辞といたします。
 渭城の朝雨 軽塵を潤し 客舎青青柳色新たなり 君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西のかた陽關を出ずれば 故人無からん
 皆様方の第二の人生に対する気鋭を超えた奮闘努力を御祈念、御期待申し上げまして、挨拶にかえます。御苦労さまでございました。

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