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委員会会議録

質問文書

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平成27年2月定例会厚生委員会 質疑・質問
質疑・質問者:吉川 雄二 議員
質疑・質問日:03/03/2015
会派名:自民改革会議


○吉川委員
 本日で最後の委員会となる方がおられます。
 宮城島健康福祉部長及び堀内健康福祉部少子化対策担当理事であります。これまで両氏からは、本県行政の発展に向け多大なる御貢献を賜ってまいりました。370万県民を代表して、衷心より感謝と敬意を表したいと思います。
 さて、宮城島氏であります。
 宮城島氏の要枢に遇せられたその赫々たる経歴は、姑息偸安して一日を弥縫するの愚行を退け、常に熟慮断行して実践躬行するを旨としてきた、氏の英邁な資質のなせるところであり、桔椐精励して匪躬の節を尽くすところのその姿勢は、まことにもって能吏の名に値するものがありました。
 一方、堀内氏にあっては、いつのときも温厚篤実にして春風駘蕩としたその趣は、常にして後輩、同輩の衆望を一身に集めるところ。ときに慟哭、血涙地に滂沱するといった真摯な心情と、余人をもってかえがたい資質をもって、その職責を全うしたのであります。
 古来、功成り名を遂げて身退くは、これ天の道なりとありますが、両氏にあっては、功成り名を遂げてなおよく後進に道を説くということで、本日は本県行政に対する大所高所に立っての御所見を、さらには後進に対する薫陶のお言葉を賜ればと思います。

○堀内健康福祉部理事(少子化対策担当)
 ただいまは過分なお言葉を賜りまして、ありがとうございました。限られた時間ではございますけれども、2つほどお話をさせていただきたいと思います。
 1点は、出生目標を掲げることについてでございます。
 昨日もいろいろ御議論があったところでございますが、出生率の数値を幾つにするかということは別にいたしまして、私は何らかの目標を定めることは必要ではないかと思っております。昨年の調査結果でございますが、47都道府県中19道府県が何らかの目標を定めておりました。しかし、中身を見ていきますと、その中の2県は現状よりも低い目標を設定しておりました。それから、5県ほどは現状維持あるいは現状を上昇させるという文言だけでございました。合計特殊出生率を0.01上げるのもなかなか大変なことでございますので、こうした設定の仕方はある意味賢いとも思います。
 実際のところ、何の努力もしなければ合計特殊出生率が下がっていくことは確かではないかと思っております。しかしながら、今よりも低い目標値を定めることに対して、県民はどのように感じるのかと思ってしまいます。県は何もやる気がないのではないかと思う、あるいは合計特殊出生率や少子化対策に対する議論が県民の中で何もなされないのではないかという心配がございます。
 先日発表されました2月の人口推計は、静岡県全体で369万人でございました。合計特殊出生率2を2020年に実現するとしますと、2040年に324万人。それでももちろん減っていきます。現在の合計特殊出生率1.53を0.01から0.04ぐらい上昇させる、つまり合計特殊出生率が1.54から1.57ぐらいを実現するとしますと、2040年には309万人になります。ですので目標を2に定めたとしても人口は減っていくということでございます。
 このように目標値、それから将来の人口推計を県民に示して、そのために行政は何をやっていくのかを明らかにし示していくことは重要ではないかと思っております。
 それから、もう1つでございます。最後らしく、私のこれまでの経験についてお話ししたいと思います。
 私は、昭和52年に県議会事務局の議会図書室に初めて就職いたしました。ここでは県議の皆さんに対して図書資料を提供する仕事をしました。それから30代では現在も東館2階にございます統計情報センター、ここでは県民の皆様に統計情報を提供する仕事をさせていただきました。40代では静岡総合研究機構に派遣になりました。ここでは、みずから調査分析をするのはもちろんのこと、入札あるいはプロポーザルに参加しまして、自分で仕事を獲得してくる民間としての厳しさを十分味わいました。それから静岡がんセンターに50代になって転勤いたしましたが、ここは患者家族を徹底支援するというのを目標に掲げている病院でございますので、サービスの真髄のようなものを十分味わうことになりました。
 このように、私は誰かのためにサービスを尽くすといった仕事、あるいは民間的な仕事にかなり長く携わってまいっておりました。ただ、自分としてはこういうサービスをする仕事は非常に合っていたと思います。どのセクションでも、一応自分としては誠心誠意尽くしてきたと思っております。
 中でも、1つだけ印象に残った仕事を挙げるといたしますれば、静岡総合研究機構に在籍中に静岡がんセンターからの委託で、全国のがん患者の悩みと負担の実態調査を行いました。これは調査を実施する前からがん患者さんや全国の病院の方々からいろいろ御意見を伺いながら、調査票をつくるのにも2年ぐらい、それから実際調査票が集まってきてからは、調査票全体にぎっしりと文字が書かれた調査票8,000通近くを読み込むのに2年ぐらいかかりました。そしてこの結果を報告書にまとめまして、それをもって私はその後がんセンターに転勤になりまして、これを実務に反映できたという点は、自分の中でも非常に印象に残る仕事でございました。
 最後の2年間、この少子化対策担当という仕事に携わりましたが、少子化対策はそこに至るまでの道筋が非常に見えにくい仕事でございましたので、大変苦労もいたしましたし、戸惑いもいたしました。そんな中、この厚生委員会におきまして、先生方から時には厳しく時には温かい御意見、御助言を賜りましたことは大変ありがたく、私自身励みになりました。本当にありがとうございました。
 最後になりましたが、県議の皆様、それから職員の皆様方の御健勝とますますの御活躍をお祈り申し上げ、簡単ではございますが御挨拶とさせていただきます。
 本当にお世話になりました。ありがとうございました。(拍手)

○宮城島健康福祉部長
 ただいまの過分なお言葉を本当にありがとうございました。またこういった発言の機会を与えていただいたことに関して、大変感謝しております。
 私も昭和54年に統計課を振り出しに、静岡土木事務所、東部児童相談所と勤務の転勤を繰り返してきました。
 私が一番転機となったのが、昭和60年4月1日に勤務した児童相談所でございます。これが私の福祉人生の出発点とも言えるでしょうか。
 4月1日に、私は脳性麻痺という大変重い障害を持つ子供がいるお母さんの相談を受けて、面接を行いました。1時間ほど面接しましたけれども、そのとき、そのお母さんからこう言われました。ところで先生はどちらからいらっしゃったんですか。僕は正直言って、土木事務所から来たとは言えませんでした。静岡から来たと言って、お母さんは静岡の児童相談所と解釈してくれたんじゃないかと思うんですけれども、本当のことが言えませんでした。先生と言われるような力があるのか、能力があるのか、知識があるのか、大変に私のじくじたる思いがございました。それから一生懸命勉強し、仕事時間以外に毎日5時間以上勉強して、先生と呼ばれるような、児童相談ができるような人になろうと思って努力したわけです。
 やはり県の職員というのは、4月1日にどの部署に行ったとしてもプロフェッショナルとして、ベテランとして、県民の負託に応えられるような仕事ができなければならないと痛感いたしまして、それから3月20日になりますと必ず転勤するかもしれないと思って、私的な用は一切入れずに、転勤がもし決まったらその新しい部署に対して全力を挙げて勉強するという習慣ができました。本当にそういった面で、私の人生を変えてくれたそのお母さんの一言ではなかったかと思います。
 また、その児童相談の現場では、大変困っている方、苦しい方、障害のある方、行き場のない方が大勢いらっしゃいます。ただ、それは現場ではいかんともしがたい、相談に乗っても行く施設がない、お金もない、制度もない。それを何とかしなければならないと思ってあがいているうちに、だんだんにこんな職になってきたわけです。
 私はその後、児童課で予算をやり、財政課に行きました。財政課では、大プロジェクト――がんセンター、グランシップ、小笠山総合運動公園エコパの財政フレームをやり、交付税のある地債の発行に尽力し、地方債、臨時河川整備費債、臨時県道整備費債をたくさん発行しまして、今借金が大変多いんですけれども、そのかなりの部分は私がやった原因ではないかなと思っております。そのかわり、交付税もふえ新しい建物もしっかりできました。
 そういったことを繰り返しながら、今度は福祉に戻りまして、こども病院の周産期棟の整備ですとか、がんセンターの研究所、そして重症心身障害児施設つばさ静岡の施設整備などに取り組みました。その後は、介護保険の立ち上げに携わり、その後はずっと福祉をやりながら現在に至っているわけです。
 仕事に取り組む意味で、後輩の皆様方にぜひ考えていただきたいことは、やはり私は3つ大切なことがあると思います。1つ目は知恵です。知識を得、知恵を使って工夫をしてやっていかなければ、いい仕事はできません。
 2つ目は力です。予算も必要です。パワーも必要です。国、市町を動かさなければならないです。上司を動かすことも必要になってきます。できれば自分自身が上司となると、仕事はもっとうまくいきます。やはり係長、課長、局長と上になればなるほどやりたい仕事ができますので、そういった人を使う、または自分でなっていくことも大切だと思います。
 3つ目が勇気です。新しいことに取り組むのは勇気が要ります。特に公務員制度は減点法ですので、どんなに一生懸命やったとしても、1回失敗すると取り返しがつかないです。だけれども、チャレンジをしていかなければいい仕事はできないのではないでしょうか。私は、その知恵と力と勇気を持って新しい仕事に取り組んでほしいと思います。
 それからもう1つ、県庁の机の上ではいい仕事はできません。福祉は現場が命です。現場で困っている人の声を聞き、現場の人の血と汗と涙と工夫、これがいい仕事を生むもとではないかなと思っております。私もこれから県を去ることになりますけれども、現場を大切にして、現場の気持ちを生かして、現場の思いを伝えるような仕事を今後ともやっていきたいと思います。
 委員の皆様方、本当にいろいろお世話になって、ありがとうございました。これからも県政に少しでも役立てばと思います。本当にありがとうございました。(拍手)

○吉川委員
 ありがとうございました。
 まさに艱難辛苦を玉としてきた両氏のお言葉を拳拳服膺して拝聴し、我ら一同、さらなる県政の発展に向け、只管、鋭意精進努力する意を固めたところであります。両氏の本県福祉行政に残した光彩陸離たるその足跡は、実に両氏の蛍雪の功のしからしめるところ。よって蛍の光の第3節をもって贈る言葉といたします。
 筑紫の極み 陸の奥 海山遠く 隔つとも その真心は 隔てなく 一つに尽くせ 国の為
 蛍の光の第3節であります。しからしめるところ、雲山煙水相遠く隔つとも、一片の至情ここに相許せば、別れもまたよしであります。両氏のさらなる旅の安気を心より御祈念申し上げ、贈る言葉といたします。

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