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委員会会議録

質問文書

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平成30年2月定例会危機管理くらし環境委員会 質疑・質問
質疑・質問者:吉川 雄二 議員
質疑・質問日:03/07/2018
会派名:自民改革会議


○吉川委員
 昨日、本会議においてこの3月をもって退職なさる方々に対する感謝と送別の辞がございました。なお本委員会くらし・環境部におきましても、木くらし・環境部長、志村理事、大石建築住宅局長、市川建築確認検査室長、木下水利用課長の5名が退職されると伺っております。長きにわたり本県行政に刻んだその光彩陸離たる職責をたたえるとともに、委員会を代表して衷心より敬意と感謝の意を表したいと思います。
 さて、木部長はこれまで38年の長きにわたり静岡県職員として奉職、広報課長、知事公室長などを歴任、平成28年4月くらし・環境部長に就任されたのであります。木部長その姿勢まさに温厚にして篤実、勤勉にして実直、その働きぶりは余人をもってかえがたいものがあり、拮据精励してみずからの分を尽くすその趣はまさに能吏の名に値するものがありました。あなたのかかる功績は必ずや本県行政史に刻まれるものと確信してやみません。
 志村理事は、これまで36年の長きにわたり静岡県職員として奉職、環境ふれあい課長、賀茂農林事務所長などを歴任、平成27年4月、自然共生担当の部理事に就任されたのであります。環境行政は志村理事まさにあなたの所を得るところ、いわゆる天職であります。他に抜きん出たすぐれた見識を持って本県行政にその辣腕を振るったのであります。先ほどの志村理事の答弁でございます。道徳とは何かといったときに、それは人と人とのつき合い方の法則だと、法則であります。そんな難しいことじゃないんですね、道徳といっても。人と人とのつき合い方の法則であります。そしてこれを培うには、過去とつき合うか自然とつき合うかの2つしかありません。過去とつき合う、もしくは自然とつき合う。過去とつき合うということは、歴史であります。我々は自然から多くのことを学んできました。例えば誠実、忍耐、優しさ、思いやり、いわゆる我々が生きていく上での道徳を我々は自然から学んできたわけでございます。そういう意味におきまして、先ほどの志村理事の見識に我々は学んでいかなければならないと思います。
 さて、大石局長はこれまで37年の長きにわたり静岡県職員として奉職、建築安全推進課長、住まいづくり課長などを歴任、平成29年4月、建築住宅局長に就任されたのであります。本県建築住宅情勢の発展に向けみずからの職責を全うしたのであります。いつのときも率先して現場に赴くという姿勢は後輩、同輩をして信をおくことあたわずのものがありました。
 市川室長は、これまで38年の長きにわたり静岡県職員として奉職、浜松土木事務所技監、沼津土木事務所技監などを歴任、平成28年4月に建築確認検査室長に就任されたのであります。あなたは昭和55年、静岡西土木事務所職員としてスタートを切ったのであります。自来38年、刻苦勉励、艱難辛苦を玉とする中、建築確認検査室長をもってその職責を全うしたのであります。あなたの一言一行に信あるその様は後輩、同輩の衆望を一身に担ってやまないところがありました。
 木下課長は、これまで38年の長きにわたり静岡県職員として奉職、中遠農林事務所農山村整備部長、東部農林事務所農山村整備部長などを歴任、平成28年4月に水利用課長に就任されたのであります。あなたは実に本県農林行政のエキスパートでありました。いつのときもみずからの分を尽くすという姿勢をもって、そしてさらにそのよってくるところの実績はまことにもって畏敬の念おくことをあたわずのものがあったのであります。
 さて、述べたごとく皆様幾多の得がたい経験と知見をお持ちの方々でございます。その経験と知見の知識の大なることを思えば、それはさながら図書館1つがなくなるがごときものであります。ここで職を辞すに当たり、その感想と今後の本県行政のあり方、そしてその行政を担う後輩への助言、さらには私どもに向けての御教導、御鞭撻がありましたら、それぞれ一言ずついただきたいと思います。よろしくお願いします。

○木くらし・環境部長
 2番委員からねぎらいのお言葉をいただき、まことにありがとうございます。また、この常任委員会の席で私を含めて5人の職員に対してこういった最後の挨拶ができる場を設けていただきました東堂委員長を含めて皆さんに心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
 くらし・環境部には300人ちょっとの職員がおりますけれども、定年退職するのは全部で10人いるところでございまして、当然私ら同期になるわけなんですが、5人がそれぞれ思うところを述べさせていただいておりますので、よろしくお願い申し上げます。
 県に入りまして38年間、実は私がちょうど就職するころは、オイルショックが昭和48年なんですが第2次オイルショックということで、かなり就職状況が厳しい時代でございました。どこに就職するかという中で、大学時代に私、財政学を専攻していたので公務員になりたいというのがありまして、たまたま試験を受けましたら受かりまして、昭和55年の4月から奉職するようになりました。
 最初の職場が実はもうなくなってしまいましたけれど、浜松の繊維工業試験場というとこでございました。多分御存じないかもしれませんけれど、繊維を選分した試験場がございまして、そこで繊維関係の、本当に繊維というのは綿花から始まって着物になるまで、服になるまでの勉強をさせていただいたわけなんですけれども、そこで一番勉強になったのは、どっちかといいますとコンピューター関係の仕事を勉強させていただきました。
 それが終わった後で、西の端から今度は東の端ということで下田財務事務所にまいりまして、そこではもうなくなってしまいましたけれど料理飲食等消費税をやらせていただきました。
 その後県庁に来まして32年間ここで奉職することになりましたけれども、どうも私がいた職場はなくなってしまうか、対象事業が本当になくなってしまってちょっと寂しい思いをしていますけれども、38年間ってやっぱり長いなと改めて思います。その間、本当に私常々思うのはやはりすばらしい上司とすばらしい同僚とスタッフに恵まれたことじゃないかなと改めて思います。本当にいろんな方にお仕えしましたけれども、知事を初め副知事、それから歴代の部長さんとか局長さん、本当にすばらしい方で、褒められたことはありませんけれど叱られたことが本当に糧になってここまで来られたと改めて思います。
 それと、同僚という話になりますけれども、ちょうど入ったのが50人ぐらい同期でおりますけれども、御存じのとおり各セクションの部長、局長をやっているということで、結構優秀な人材に囲まれてきたのが本当にある面ではお互いの勉強になって、切磋琢磨というとちょっとオーバーですけれども、それがこういった形の中での38年間であったんじゃないかと思います。また、これ議員の皆さんに本当に感謝申し上げているのは、やはりこういった常任委員会とかの中でやっぱり御質問、御意見が出ます。今回もそうでしたけれども、そういった中でやはり我々が足らないことをしっかり御指摘いただいたことが改めてよかったと思います。そのたびに一生懸命勉強をさせていただいたつもりでいますんで、この姿勢は退職してからも変わらないようにぜひしたいなと思っております。
 それからあと、ここで言うのは申しわけないんですけれども、私はどっちかというと仕事中毒の人間だったように改めて思います。本当に家族に何かかなり迷惑をかけたんじゃないかなと改めて思っています。特に家内には本当に最近こういった部長をやっていて恥ずかしい限りなんですけれども、家事、それから育児、介護まではやっていませんけれども、そういった面で大変迷惑かけたなと思っていますので、そういった点でこれから反対に私が今度はしなきゃいけないんじゃないかと改めて思っているところでございます。何を言うかとか一瞬頭の中いろいろぐちゃぐちゃしているところがあるんですが、38年間でやってきた中で私が一番何をやってきたという中で振り返ってみますと、約3分の1が予算と経理の仕事をやってきました。予算経理というのは、ここにいる鈴木部長代理とか、それからあと伊藤局長もそうなんですけれども、なかなかいい話が来ません。困ったとかどうにかしてくれという話ばかり来まして、本当に何かそういったことがある面で勉強になった38年間じゃなかったかなと思います。あと38年間でまた何を残してきたのかという話になったときに、先ほど最初に繊維工業試験場でコンピューターを勉強させていただいたという話がございましたけれども、私が今残してきた特に技術の方は例えば道路をつくったり橋をつくったりで残っていきますけれど、私が残してきたのはやはり今思うと、今お手元にある議案書とか予算書でございますけれど、予算編成システムというのを平成の初めにつくりまして、今でも使っていただくのが一番うれしい思い出にといつも考えているところであります。
 それから、もう1つは焼津市に2年間お世話になりまして、本当に県民というか住民の間近の仕事を体験できたことが一番糧になっています。それが、このくらし・環境部長をさせていただいた中でやはり一番の住民の支援もわかりましたし、反対にこのくらし・環境部はまさに住まい、それから生活、これからの環境といった面で日常のことやっていますので、本当にある面で一番ためになったと改めて思います。
 あと、後輩の皆さんに何かという話がございましたけれど、私自身は本当に浅学非才なりだと絶えず思っておりますので、ぜひ残られる皆さん、特に管理職の皆さんにおかれましては、部下、後輩、同僚もそうでしょうけれど、私がよく使っているのはよく話を聞いてほしいということで大きな耳を持ってほしいということと、目は口ほどにものを言いますのでやっぱり優しい目を持ってほしいと。それから、余り小言を言わないように小さな口でと、この3つをぜひ部下の皆さんに投げかけていただきたいと思います。それとあと、後輩の皆さんにぜひお願いしたいのは、意外と県庁は縦割り社会なんですが、ぜひ仕事ののり代を持っていただくと県庁の中もきっとうまく仕事が動くんじゃないかなと改めて感じています。
 何か取りとめのない話ばかりになってしまいましたけれど、そういったことをぜひ皆さんにお伝えして、私も今度県民として、今度はサポーターとして県政を応援してまいりたいと思っております。
 今回こういった機会を与えていただきまして、本当にありがとうございました。(拍手)

○志村くらし・環境部理事(自然共生担当)
 退職に当たりまして一言御挨拶申し上げます。
 先ほどは身に余る御紹介をいただきまして、まことにありがとうございました。私は昭和57年4月に県の職員として採用されまして、36年間勤務してまいりました。私は林業職でありまして、林業の関係では森林の整備や治山事業、環境の関係では主に環境ふれあい課で県民参加の森づくりや緑化の関係を担当してまいりました。
 その36年の中で一番忘れられない仕事といいますと、やはり40代に勤務いたしました静岡空港建設事務所での自然環境保全の仕事でございました。具体的には、貴重植物の生息地の保全とか移植、あと郷土種によるポット苗ののり面の緑化、最も苦労したと思いましたのはやはりオオタカの保護対策でありました。オオタカは現在では絶滅のおそれのある種から外れておりまして、準絶滅危惧種になっておりますが、当時は開発と自然保護の対立の象徴というような生物種でありまして、その中で静岡空港のオオタカ対策は、非常に全国的にも注目されておりました。事務所では環境の担当はほぼ1人だったものですから非常に悩みもいたしましたが、周囲の県職員の皆様や市町の皆様、また一緒に取り組んでいただきました地域の動植物の専門家の皆様と協議を重ねまして、何とか地道な自然保護対策を実施していけたのは非常に心に残っております。
 そのような経験もありまして、先ほど答弁もさせていただきましたが、生物多様性地域戦略、この県職員の最後の3年間にその仕事にかかわらせていただいたのは大変幸せであったと感じております。今回、この戦略の委員長の生物の先生から冒頭の部分の言葉として、100年後、1,000年後にも自然と人は共生できる静岡県にというお言葉をいただきました。これはまさにこの行動計画を実行していくことで成り立つものであり、大変そのことが重要であると思いました。実行までかかわれずにこれで退職してしまいますが、県民の1人としてお手伝いさせていただきたいと考えます。今後は、この作成しました地域戦略を道しるべといたしまして、後輩の職員の皆様が県民や事業者の方々と一体となって地道な保護活動というか、自然保全活動を行っていただければと大いに期待しているところであります。
 最後になりますが、県政のさらなる発展と委員会の先生方のますますの御活躍をお祈りしております。本当に長い間ありがとうございました。(拍手)

○大石建築住宅局長
 先ほどは過分なお言葉を大変ありがとうございます。そして退職に当たりこのような場で挨拶をさせていただく機会をいただきまして本当にありがとうございます。
 先ほどの紹介の中にもございましたとおり、県職として採用されてから37年間がたつわけですけれども、実は採用されたのが昭和56年、建築技術職員として採用されて職務を全うしてきました。先ほどの実は7番委員の話の中にも昭和56年というキーワードがあったことは皆さん記憶にあるかと思いますけれども、実は昭和56年という年は建築基準法の大改正があって、構造的には新耐震規定が採用された年でございます。何かそんな縁を感じながら、実は耐震化であるとか地震防災であるとかに対しても仕事として携わることもできました。非常に自分としてもありがたかったなということは感じているところでございます。
 この間、実は非常に変わった仕事もさせていただきました。袋井市のエコパは皆さん御存じかと思いますけれども、小笠山総合運動公園として公園が計画され、そして当初は国体を開催するという形の中で、後から実はワールドカップを開催するというものがついてきまして、だんだん施設自体が大きくなってということが実はございました。自分はその設計を担当することができたということがございまして、実は静岡土木事務所に勤務しているときに突然当時の総務課長から、大石君この書類に判を押してくれと言われまして、退職願を持って来られました。何ですかとびっくりしたんですけれども、実は先ほど言いました2002年に日韓共催で開催しましたワールドカップサッカーの組織委員会に行ってくれということで、そちらのほうで2年半仕事をさせていただきました。そんな変わった仕事も実はこの間にさせていただき、非常に貴重な体験をさせていただいたわけですけれども、37年間建築職員として無事に職務を全うすることができたことは非常にありがたいと思いますし、一緒に仕事をさせていただいた先輩、仲間、後輩、皆さんに感謝を申し上げたいと思っております。
 それから、きょう皆さんにちょっとお時間をお借りして、残る建築職員の将来のことでちょっと危惧していることがあるものですから、そのことについてお話をさせていただきたいと思っているんですけれども、実は現在建築職の職員は141名おります。きょうこのくらし・環境部の中にあります建築住宅局、その中の3課に30名、それから経営管理部の営繕企画課、営繕工事課の2課に26名、そして交通基盤部の出先であります8つの土木事務所に44名の職員がおります。それ以外の部署にも41名が配属されているわけですけれども、それぞれの職員が将来的に自分の能力の向上であるとか、スキルアップを図ることが非常に難しい状況になっているなと実は感じているところでございます。
 原因の1つにつきましては、実は平成12年にそれまで行政が行っていた建築確認の審査、検査が民間に開放されました。その結果、現在ではほとんどが民間の確認検査機関で処理がされている状況でして、県の職員が直接その仕事に携わる機会が非常に減少していることがございます。それからもう1つ、先ほど自分がさまざまな職場で仕事をさせていただいたということを言ったんですが、実は職員の中には建築職としての能力を十分に発揮することができていないような職場で、本来建築職の所属ではないところで仕事をせざるを得ないという職員が何人かいることです。自分の経験からは、いろんな部署でいろんな人たちと仕事をすることは非常に経験になりますし、公務員としてのスキルアップにはつながると思いますけれども、建築職としての例えば資格の取得であるとか将来的なことを考えると、少しちょっとその辺は危惧するところがございます。
 建築職としての能力を図る1つの目安として、資格の取得の状況があります。一級建築士、それから建築主事という資格、建築基準適合判定資格という正式名称がございますけれども、実はこの取得率がどんどん年々低下していることがございます。来年の4月1日現在で一級建築士が51.8%、それから建築主事が46.8%という取得率になりますけれども、10年前から比べますと20%近く実は低下してしまいます。特に40歳以下の若手の職員の取得率に限っていいますと、一級建築士が22.4%、建築主事が11.8%という取得率で、一日も早く一年でも早く取得をしていただきたいということがございますし、試験を受けるときにも実務経験がいるということがございますので、人事異動の作業の際にはその辺も考慮して作業に当たっておりますけれども、建築職の方にはぜひ建築職の最低限のスキルとしてできるだけ早く資格をまずは取得していただくと、その上でさまざまな所属で多くの経験を積んで少しでも建築職としての能力のアップをするための努力をしていただきたいと感じているところでございます。
 職員は常に向上心を持って、配属された場所でさまざまな仕事につくわけですけれども、最大限建築職としての能力を発揮していただければということをお願いしながら期待しながら、お話を締めさせていただければと思います。
 委員の皆様におかれましては、今後とも建築住宅行政、そして建築関係職員につきまして御理解と御支援を賜りますようお願いいたします。どうもありがとうございました。(拍手)

○市川建築確認検査室長
 先ほどは身に余る御紹介をいただきまして、ありがとうございました。
 私も今の局長と同じで、建築職員として38年仕事をさせていただきました。出先機関、土木事務所になりますが10年、それから残りの3分の1が建築行政、3分の2が営繕行政ということで仕事をさせていただきました。特に仕事を通じて一番印象に深かったこと1点についてお話だけさせていただきたいと思います。
 業務上、各地の地震の後の被災地に何回か行く機会をいただきました。特に阪神淡路のすぐ後に応急危険度判定士として現地に行ったときの印象がいまだに生々しく残っています。建築の業務に携わる者として現地を見た印象は、個人的に感じたことですが、一たび大きな地震に見舞われますと建築物の弱点が洗い出されてしまうと。弱点はいろんな見方がございまして、老朽化ももちろん一因ですが、それ以外にも施工不良ですとか設計上の配慮不足なども考えられるわけでございますけれども、そういうふうに覚悟をすべきだなと感じたわけで、その後の仕事については自分としてはそのことを常に頭において取り組んでまいりました。退職前の最後の2年に、先ほども御紹介がありました静岡県の地震地域係数Zs、1.2という係数を全国初めて義務化したわけですけれども、その仕事に携われたのは幸せなことだったのかなと感じております。行政の仕事でこういう条例化なんかにつきましては、なかなか一朝一夕にはいかなくて時間もかけて、今回の場合は間に熊本地震等もありまして、なかなか大変だったんですけれども、関係職員が一丸となって粘り強く継続的に取り組んだ結果だというふうに感じております。
 後輩の皆さんには、この仕事を通じて感じたことですけれども、誰もが当たり前と思っているようなことが、時代の流れとともに当たり前でなくなってきているというようなことがございます。変化することについて柔軟な対応と変化をみずから時にはつくり出す姿勢も大事かなと感じているところであります。
 最後に1点だけ、皆様にお願いしたいことがございます。それは健康のことであります。健康、御承知のとおり体と心、両輪であります。特に心の問題が最近クローズアップされております。両方が健全で初めて健康ということで、特にストレスが多い社会であります。仕事上も私生活上もあると思いますが、時には休む勇気、それから誰かに相談するような勇気をぜひ持っていただきたいと思います。皆様一人一人が身近な方、家族、職場、それからいえば県民にとってかけがえのない存在だと思いますので、ぜひこの両輪を大切に今後も取り組んでいっていただきたいと思います。
 長い間お世話になりました。どうもありがとうございました。(拍手)

○木下水利用課長
 先ほどは身に余るお言葉、温かいお言葉を本当にありがとうございます。
 私は昭和55年に農業土木職員として静岡県に採用されました。多くの農業土木職員がそうであるように県の農地局、農林事務所に長く勤務しておりましたが、30代の初めに天竜川農業用水建設事務所に配属になりまして、そこで農業水利権を担当してからこれまで15年間の間、水に関する農業用水、工業用水、水道に関する水の権利調整の仕事をさせていただきました。
 水資源に関して最も印象に残っておりますのは、工業用水がなかった牧之原台地に長島ダムの水道水源と台地上に張りめぐらされておりました牧之原農業用水の管路を使って工業用水を整備し、その運営母体である東遠工業用水道企業団を設立したことでございます。
 平成15年に東遠の海岸沿いの地域、御前崎、掛川の海岸部で農業用水が工業用水として違法に使われているという問題が発覚しまして、全国的なニュースになってしまいました。その是正を当時私、水利用室におりまして担当することになりました。主幹としてこの業務を担当したんですけれども、単なる違法の是正ではつまらないと思いまして、将来に向けて牧之原台地にも工業用水を流そうと考えまして、東遠の4市を給水区域とすることを目指して関係する4市、利水団体、関係省庁と調整を進めました。平成15年から4年間この業務を担当しまして、工業用水の通水開始までを見届けることができました。現在この工業用水を東遠地域の16社のメーカーの方に使っていただいておりますが、地下水をあてに立地したものの十分な水が確保できずエンジンの組み立てだけにとどまっていたスズキ牧之原工場が現在は普通自動車の拠点になっているということで、大変うれしく思っております。最近、御前崎港まで通水する契約も出てきており、この工業用水道が牧之原台地の将来の土地利用と御前崎港の発展に寄与するものと確信しております。
 今、水利用課ではリニアの南アルプスの水問題、新たな地下水保全管理指標の確立、水道事業の経営基盤の強化のための広域連携という3つの課題を抱えております。この中でリニアの問題につきましては、今年度JR東海と交渉を行ってまいりましたが、これまでに経験した幾多の交渉の中で最も厳しい相手だったと感じております。県、利水者とJR東海との基本的な主張の溝はまだまだ深いものがございますが、来年度以降跡を継ぐ後輩には関係者間で大井川の水資源の状況について共有認識をさらに高めていただき、その上で50年後、100年後の遠い将来を見据えまして、大井川の利水に不都合が生じないように、また再協議とか継続的な調整が必要にならないような大井川の水資源が保全されるわかりやすい手法を見出していただき、関係者で合意を図っていただきたいと考えております。今回、協議をしていましてマスコミによる報道、これによる世論形成が非常に大きな後押しになりました。県議会の先生方にもぜひ応援を引き続きお願いいたします。
 県職員としてこの38年間、農業や農村そして水資源に関する事業を計画し、それを実現するために協議調整を行うことに多くの時間を割き、自分の思いとかアイデアを数々の県営事業などで形にすることができました。県という組織、上司、先輩後輩に恵まれたおかげであり、深く感謝する次第でございます。本当にどうも長い間ありがとうございました。お世話になりました。(拍手)

○吉川委員
 極めて示唆に富んだ話、県政発展に向けて示唆に富んだ話だったと思います。ありがとうございました。
 わけても大石局長の話でございます。恐らく一言なかりせばの思いでの話ではなかったかと思います。平素、私も同様のことを感じておりまして、いわゆる官から民へ。何かわかりますか、思い出しますか。小さな政府、国から地方へ、地方分権、いわゆる構造改革ですね。この弊害が今私ここに来て出てきているのではないか思います。特に行政手続において、行政のフラット化、この弊害を感じることは私だけではないと思います。したがって我々は常にして行政施策の結果をどうなるかということを、しっかりと政治の当路にあるものは読み抜いていく必要性があるのではないかと思います。
 結びに、古来、功成り名を遂げと、功成り名遂げて身退くはこれ天の道なりとあります。しかしながら、皆様方におかれましては功成り名を遂げて、なおよく後進に道を説くということで、折に触れての後進に対する叱咤激励をよろしくお願い申し上げまして、挨拶にかえたいと思います。まことに御苦労さまでございました。

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