本会議会議録
質問文書
平成29年2月定例会企画くらし環境委員会 質疑・質問
質疑・質問者: | 小楠 和男 議員 | |
質疑・質問日: | 03/08/2017 | |
会派名: | 自民改革会議 |
○小楠委員
質問はいたしませんけれど、二度ほど発言の機会をいただきます。
質問をしないと言ったのは、9番委員が先ほど森政策企画部長に組織改編のことでお話があったものですからダブると思ってあえて質問しないのと、6番委員からも午前中に組織改編についてお話がございました。
感想だけちょっと申し上げさせていただきたいと思うんですけれども、中央官庁は出世の登竜門と言われるのが大体決まっていまして、昔の話では、大臣官房、秘書課、文書課、会計課、ここを経験すると出世していくと言われたんですね。地方自治体もよく似ているわけです。秘書課、企画課、財政課が、幹部職員を担っていくためには一度行ったほうがいいと先輩たちから聞かされましたし、実際そうなっていると私も思っています。最前列にお座りの方々は、多分この3つのうちの1つ、あるいは2つぐらいを経験している方ばかりだろうと思います。
そういう中にあって、今回、企画という歴史と伝統がある名前が部からも課からもなくなってしまう。そしてさっき言った3つの登竜門と言われるうちの秘書課と同じところにその機能が移るんです。これは、すごい組織改編だと思うんですよ。うちの会派でも大きな問題にしなかったんですけれど、本当は大問題にしてもいいぐらいの再編だと思うんですね。
例えばスピーディーな迅速な意思決定をするためだったら、財政だって知事戦略局へ持っていっちゃえば早いと思いますよね。しかしそこまでやってしまうと、実際に仕事をする県のさまざまな部署の方々がみんな知事戦略局の顔色をうかがうようになっちゃうんですよ。秘書と企画の機能が行っただけでもそうなると、私は心配しています。ぜひ、私の心配が杞憂であることを期待して、来年度以降十分な機能が発揮されることを期待したいと思います。
さて、委員会の審議も私で最後になります。3名の退職者の方々がこの委員会の説明席にいらっしゃるということで、それぞれ質問にお答えする場面がございましたので、私からは経歴を少し御披露して、感謝の言葉を申し上げたいと思います。
政策企画部長、森貴志さん。昭和58年に県庁に採用されまして、以来34年間お勤めいただきました。私たちの感覚からすると、難しい川勝知事に仕える知事公室長というイメージが非常に強いんですけれども、それ以前にも知事公室秘書監、先ほども披露がありましたけれど企画部国際室長、医務課長、東部地域政策局長などを歴任されて、この1年間、政策企画部長をお務めいただきました。先ほど申し上げました秘書と企画の両方を経験してこられた、本当に県の幹部職員の中枢として御活躍をいただきました。心より感謝と敬意を表したいと思います。
多文化共生課長、諸星雅和さん、昭和55年に採用されて以来37年間お務めいただきました。男女共同参画課長代理などを歴任されて、平成26年の4月から3年間、多文化共生課長をお務めいただきました。
私、ついこの間、議会事務局に諸星さんがいたと思って調べてみたんですが、何と平成11年、12年、もう15年以上も前でした。議会事務局議事課の主査として2年間、私たち議員もお世話になりました。平成11年には企画生活文化委員会の書記を務めて、当時の企画生活文化委員会の書記をここで務めておられた。この企画くらし環境委員会で退職されることも何かの御縁なのかなと思います。本当に御苦労さまでございました。
多文化共生課旅券室長、縣裕子さん。縣さんは平成12年の採用でございます。職務経験者採用と伺いました。それ以外で国際課参事、観光振興課参事などを歴任されて、平成25年の4月から旅券室長をお勤めいただいております。
職務経験者採用ですけれども、多分、縣さんが採用されたころも今もそんなに変わっていないと思うんですが、猛烈な倍率なんですね。昨年の例でいいますと、職務経験者採用の倍率は30倍を超えています。ちなみに一般大卒の行政職3・何倍。狭き門をくぐって県庁にお入りいただきました。しかも、この採用制度については、いわゆるお役所仕事と言われる県庁の仕事の中に民間の経験を生かしていただくことが大きな募集の理由となっていると思っています。本当に御苦労さまでございました。
それぞれお三方から御経験を生かして、後輩たち、あるいは我々議会に対してでも結構でございます、お言葉を頂戴したいと思います。
○縣多文化共生課旅券室長
まず、温かいお言葉を本当にありがとうございました。
今、御紹介にありましたように、2000年に民間職務経験者の第3期の採用で採用されまして、そのときは倍率が非常に高かったので、なぜ入ったのかわからないんですけれど、160倍でした。それからまず広報に入りまして、それから国際、観光とやらせていただきました。私がやはり一番感じたのは、ここは非常に大きな組織で民間とはすごく違うところがたくさんありまして、思うように動けないところとかもありました。議会にも何年かこういう形で委員会に参加をさせていただいた中で、正直なことを言いますと、皆さんにすごくいろんなシビアな御意見を言っていただいて、私は心の中で拍手をすることが非常に多かったんです。ぜひ、議員の皆様には、そういった目でやはり県政を厳しく見ていただいて、いろんな御意見をいただけたらと、それが県のためにも、それから県民のためにもなると思いますので、今後もぜひ厳しい指導を続けていただきたいと思います。
そして、職員の皆さんにまず一番にお願いしたいのは健康です。私も病気をしたことがありますので、何といっても健康がなければ何もできません。とにかく自分の健康、ストレスも非常に多いところではありますけども、健康を一番に考えて、皆様のますますの御活躍をお祈りして、御挨拶といたします。本当にありがとうございました。(拍手)
○諸星多文化共生課長
本当に、励ましの言葉をありがとうございました。2番委員には、私が議事課のときに副委員長としていろいろ本当にお世話になりました。これまで税務、公営企業、人事、防災などさまざまな部署を経験して、それぞれで学ぶことが多かった県職員生活でしたが、印象に残ったことを二、三だけお話させていただきたいと思います。
1つは国際交流についてです。新採のころ、青年交流事業で中国とか東南アジアを旅行することがきっかけで関心を持った国際交流に後継者養成課、国際課などで都合7年間勤務いたしました。海外からの研修生受け入れとか、あと産業青年海外研修という若手後継者を養成する事業があったんですけれども、そういう海外研修の担当とか、あと、中国浙江省との担当もいたしました。その7年間の経験の中で、さまざまな異文化との交流は本当に刺激を受けていろいろな発見があると、また、そういう異文化交流は楽しいものであると実感いたしました。また、そのことと海外で経験することが自分をマイノリティーの世界に置くということで、また違う視点で見られることが、現在は多文化共生の仕事についたわけですけれども非常に役に立っているのかなと思っております。
それから2つ目が、紹介いただきましたけれども男女共同参画課に4年おりました。その前のNPOから、同じくらし・環境部の県民生活局の中での異動だったんですけれども、男女共同参画課に異動になりましたが、男女共同参画って何で行政がやるのみたいな感じを実はそのころは持っておりまして、例えば男性も家事、育児をしなければいけないんだよとか、配偶者のことを奥さんと呼んだらだめみたいな、あれしちゃこれしちゃいけない、意識を変えなきゃいけないイメージを持っていたんですけれども、やっていくうちに男女共同参画が目指すものが、ただ単にそういう意識の問題ではなく、男女の固定的な役割意識にとらわれずに、誰もが個性を生かして能力を発揮できる社会を目指す、それが男女共同参画だと気づいたといいますか、私なりにそういう理解ができたことが事務を進める上で、非常に自信を持ってやれることにつながりました。
そういう国際交流の経験と男女共同参画の経験をちょうど合わせたものが多文化共生の事業、施策なのかなと思っております。多文化共生もまさに多様性を重んじること、それから文化の背景にとらわれずに、誰もがその文化を生かして能力を発揮できる社会を目指すものだということを、これらの経験も踏まえまして、そういう思いでやってきたつもりです。
男女共同参画の基本条例に相互理解と協調と書いてあります。相互理解はそう簡単にはできるものではないと思います。いろんな外国人と交流しましょうと言っているんですが、なかなか交流だけでは相互理解は難しいと思いますけれども、交流しながらお互いの文化を尊重して、いきいきとした多文化共生社会にできるように、少しでもそういうつもりでやってこられたことを若干誇りに思っているところでございます。退職後は、一市民として外国人県民との交流を楽しみながら、外国人も暮らしやすい社会づくりに少しでも貢献していきたいなと思っております。
最後に、議員の皆様に執行部の立場から言いますと、事業の執行に当たり、私どもが気づかないことをいろいろ指摘していただきました。また事業について応援していただいたことを心から感謝いたします。また議会事務局議事課の2年間ですけれど、昔のことですけれども、実はそのときの議会事務局長の言葉が非常に印象に残っていまして、議員の皆様は本当に何万票もの票を書いてもらって当選してきているんだと、それだけのものを背負っているんだということを忘れずに、そんな話をされたことを覚えております。
ちょうど空港の案件だったと思いますが、委員会の書記をしていたときに起立採決がありまして、そのときに委員が賛成の場合には起立されたわけです。それを見ていて何か鳥肌が立ったと。要するにそれだけの負託を受けて意思決定することをまさにその場で見られたことが、議員の皆様の職責の重さを感じることができたことで、非常にいい経験をしたかと思います。
そういうことも含めまして、議員の皆様には大変お世話になりました。以上をもちましてお礼の言葉としたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
○森政策企画部長
2番委員に多分なお言葉を賜りまして、本当にありがとうございました。偉そうなことは言えないものですから、個人の感想ということでお話をさせていただきたいと思います。
先ほど御紹介ありましたように、34年間県の職員として働きまして、率直な感想は、えっ、本当に終わってしまうのかなという感覚です。このまま、未来永劫でもないですけれども続いて仕事をするような感覚なんですが、これもまたしょうがないことだなというのが印象でございます。
先ほど御紹介いただきましたように、さまざまな部局を経験させていただきました。個人的には非常に満足してございます。特に私の場合は、本当にびっくりするように人に恵まれました。上司、それから同僚、部下もですね。本当にそれだけは思います。本当に運がよく、いい人たちにめぐり会いました。
私個人とすると、公務員生活については非常に満足した公務員生活を送れましたけれども、反省点がやはりございます。それは、私が先ほど来申し上げました、非常によい人材に恵まれていて恩恵は受けましたけれども、還元していないんじゃないかというところに反省がございます。特に言えば、上司、同僚からもらった恩を、本来であれば部下とかそういう人たちにお返ししなきゃならないんですけれども、自分にこの34年間余裕もなく、還元できなかったという反省がございます。もしも、これ以降機会があればそこに留意してやっていきたいと思ってございます。
あとは、私のこれまでの仕事の中で気がついた点をもうしばらくお耳の許す限りお話させていただければと思います。全く私ごとで、私の印象でございますけれども、私が人事の組織の総務担当をしていた平成8年4月に、緊急防災支援室――SPECTという、今はないんですけれども当時、防災の関係で民間人、それから消防を入れた組織体をつくったときに――別に私がつくったというか組織上つくったので別にみんなでつくったんですけれども――名前をつける名誉にありまして、SPECTという名前をつけさせた覚えがあります。ですからSPECTのS、P、E、C、Tですね、これは私が命名いたしました。それがそのまま通ってしまいました。何の略か。これはシズオカ・プリフェクチャー・エマージェンシー・コーディネーション・チームということです。一応名前をつけて、当時ネーティブに確認してもらいましたけれども、おかしくないからいいという程度でしっかりした英語ではなかったんですけれど、そういった思い出があります。
もう1つあるのは、先ほど御紹介いただきました国際室長のときですけれども、通常、大使館、領事館というのは東京に大使館があって大阪に領事館、これが通常のパターンですけれども、首都圏ではない地方都市浜松市にブラジルの領事館ができました。ちょうどそのときに担当させてもらいました。もちろん私がやったわけではないんですけれども、その業務に携わらせていただいて、当時、浜松市のブラジル出身の弁護士の方々と、要は地域の人たちと一緒に誘致したのが非常に大きな印象として残っています。もちろんこれは私の仕事ではないんですけれども、あの建物を見ると、はたと思い出すことがあります。
もう1つですけれども、これは医務課長時代でございますが、これはちょっと違う意味で印象的なんですけれども、今ここにいます山梨静岡県理事、ほぼ彼の力によるものではあるんですけれども、静和病院という病院を覚えていらっしゃいますでしょうか。一時、不正問題があって潰れた病院が実はありました。この大きな問題は、その問題だけではなくて、実はそこに患者がいて、病院が潰れてなくなるのと患者がほかの病院に、ちゃんと配置できるかどうかの競争だったんです。実はそこが余り皆様方には注目されてなかったんですけれど、私は一手にマスコミを引き受けていただけですけれど、本当にぎりぎりで、そのときにはその病院は非常に悪呼ばわりされていましたけれど、そこの看護師に懸命に働いていただきまして、あの感動は今でも忘れられません。そのときにもっと感動したのは、それを書く記者がいたんですけれど、その記者がもちろん病院の不正に対する文言を書きつけようとしたんですけれども、その懸命に働く姿を訴えてですね、その記者は一言も新聞の記事に書かなかったことがございまして、こういったドラマが働いていく間にあって、非常に感慨深いものがあります。
その3つが、私の公務員生活としては印象深いものではあったと思います。これからはどうなるかわかりませんけれども、これから残されていく県職員の皆様方にも、それから委員の方にも含めてですけれども、やはり一旦組織の中に入りますと、私の印象ですけれども組織の中に入っていくと、そこからものを見える範疇内にどうしてもおさまります、忙しさにかまけて。一旦、外から見る機会をなるべくつくっていったほうがいいんじゃないかなと思います。
極端な話をすると、私は組織に手を出せるわけではないんですけれども、むしろここに並んでいる幹部職員は一度出先に出たほうがいいんじゃないかとすら思っています。一度出てみて、それから戻ってくると景色が全然変わりますので、そういった意味で新しい発想が生まれるんじゃないかと。これは詮ない話でありますけれども、個人的にはそう思ってございます。
長々と私ごとをお話ししましたけれども、県議会の皆様方はこれまでも非常に温かいお言葉をかけていただきました。それから非常に我々として――我々というより私です――勉強になるお言葉をいただけて、これまで公務員生活がここまでこれたのも、ひとえに県議会の皆様方おかげと本当に冗談でなく思っております。
今後も、もちろんまだ私がここから死ぬわけではありませんので、生きております。この県内に住むわけでございますので、何かの機会に皆様方とまたお話をし、できれば何かの議論ができれば幸いだと思っています。どうも、長いことありがとうございました。本当にこれを感謝の気持ちとしてお話させていただきまして、私の言葉とさせていただきます。以上でございます。(拍手)
○小楠委員
それぞれありがとうございました。
豊富な経験を生かして、ぜひこれからも地域貢献をしつつ、人生80年とか90年という時代でございます。豊かな人生を謳歌していただけたらと思います。
もう一度立たせていただいたのは、実は私、昨年の委員会で東京事務所長が二代続けて東京で定年になるのはいかがなものかと発言させていただきました。深谷幸久さん、東京事務所長が38年間の職務を経て退任されます。深谷さんも地域外交局長を経験され、交通基盤部部長代理を経て、東京事務所長を1年間でしたけれどもお務めいただいております。お言葉をいただくわけにはいきませんけれども、私からですね、県職員としての勤務に心から感謝と敬意のお話があったとお伝えをいただけたらと思います。終わります。
○田口委員長
質疑等も出尽くしたようでありますので、このあたりで、知事直轄組織、政策企画部及び選挙管理委員会関係の質疑等を終了することに御異議ありませんか。
(「異議なし」と言う者あり)
異議なしと認め、知事直轄組織、政策企画部及び選挙管理委員会関係の質疑等を一応終わります。
これをもって、知事直轄組織、政策企画部及び選挙管理委員会関係の審査は一応終了しました。
ここで、しばらく休憩します。
再開は16時25分とします。
このページに関するお問い合わせ
静岡県議会事務局議事課
〒420-8601 静岡市葵区追手町9-6
電話番号:054-221-3482
ファクス番号:054-221-3179
gikai_giji@pref.shizuoka.lg.jp