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委員会会議録

質問文書

開催別議員別委員会別検索用


平成27年3月(閉会中)総務委員会 質疑・質問
質疑・質問者:相坂 摂治 議員
質疑・質問日:03/18/2015
会派名:自民改革会議


○相坂委員
 よろしくお願いします。
 きょうは大変お忙しい中、参考人として御出席をいただきました。ありがとうございます。
 これから幾つかの質問を一問一答方式でさせていただきます。過去に新聞報道がなされた件、さらには、先ほど参考人からも御説明がありましたこのジェトロの重要日誌等で触れていること等についても、内容に触れていかざるを得ません。この点については、我々議会としても、これまでの経過も踏まえて、やはり正確な事実を把握したいということがその理由ですから、正確にお答えをいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 まず、初めに今回大きなテーマとなっています1979年当時に報道された新聞内容について、若干確認をしたいと思います。
 まず、昭和54年5月22日付、朝日新聞朝刊に台湾のスパイ逮捕、また同日読売新聞でも密入国の台湾工作員逮捕、中国評論家が手をかすという記事があります。新聞記事によれば、警視庁公安部が台湾の工作員と、それを助けた日本人を逮捕したとのことです。すなわち台湾の工作員が昭和51年8月上旬に、台湾籍貨物船の船員に成り済まして姫路から密入国をした。そしてこの工作員は、都内に日本人と偽って住みつき情報活動をしていた。しかし海外に渡航をしなくてはならなくなり、日本人名の旅券が必要となったことから、知人の木桂藏氏に旅券をとってくれと依頼し、木氏が親類の名前を勝手に使って旅券をとり工作員に渡した。そこで警視庁公安部が台湾の工作員を逮捕するとともに、木氏についても旅券法違反などの容疑で逮捕したというのが記事の内容です。
 ここから質問させていただきます。
 まず、この新聞記事には写真も掲載をされています。この記事に書かれている木桂藏さんというのは御自身に間違いありませんでしょうか。

○木参考人
 はい。間違いありません。

○相坂委員
 一昨日、木さん御自身で記者会見を開かれました。その御説明の中で、旅券法違反幇助という説明をなされました。が、新聞記事によれば、警視庁公安部の発表として、旅券不実記載同行使、旅券法違反、出入国管理令違反幇助というふうに記載をされていますが、この発表のとおりで間違いありませんか。

○木参考人
 一部合ってますが、一部違います。旅券は私がとったんじゃありません。全く私は関係ないことですけど、私のその知り合いの彼がとったわけで、私の姉婿ですね。姉婿のあれを何か……

○竹内委員長
 罪状についてだけ。申しわけございません。

○木参考人
 罪状については一部違います。ただ、はっきり申し上げておきたいのは、弁護士がそうやってかぶってやれば、彼は軽くなるし釈放されるのでというような話で、しかもこれは文書違反だから、そういう話でした。それを信じたんです。

○相坂委員
 随時聞かせていただきます。
 次に、今のお答えでは、罪状としては事実とは違うとお答えをいただいたんだと思います。
 次の質問ですが、逮捕された後のことを伺います。起訴をされましたか。

○木参考人
 そのとおり。起訴されました。

○相坂委員
 起訴をされたのはいつになりますか。

○木参考人
 何年何月と、私は、はっきり覚えてないですけど、日にちは覚えていません。とにかく起訴されてちゃんと裁判所に行ったことは事実です。

○相坂委員
 起訴の内容についてもう少し伺います。
 起訴は公開法廷で正式裁判として行った公判請求でしたでしょうか。それとも略式裁判だったんでしょうか。

○木参考人
 私は、随分前の話でよく覚えていませんが、恐らく普通の裁判ですね。検事がいて、弁護士がいて、ちゃんとした普通の裁判であったと思います。

○相坂委員
 裁判所で裁判が行われたと伺いました。
 判決の内容について伺います。懲役でしたでしょうか――これは確認です――罰金だったんでしょうか。その上で執行猶予はつきましたでしょうか。

○木参考人
 私の記憶では罰金刑であったと思います。それで、執行猶予はつきました。これは事実です。だからその事実があって、私はそれをちゃんと認めるということを言ってあります。

○相坂委員
 このことは、木さん御自身の経歴の1つになりますけれども、このことが客観的におわかりになる資料というものはお手元にありますか。

○木参考人
 ありません。

○相坂委員
 この裁判が行われている経過の中で、1つ疑問があります。それは弁護士と木さんのやりとりです。弁護士の方が、あなたがかばえば命が助かるから、というようなことがありましたけれども、この点について少し聞いていきたいと思いますが、この弁護士さんは国選弁護人ですか、それとも木さんがお願いをした弁護士さんですか。

○木参考人
 国選弁護士です。

○相坂委員
 弁護士さんの名前を覚えていますか。

○木参考人
 全く覚えてません。

○相坂委員
 それでは、今度は記者会見で木さん御自身がさまざまな御説明をなされていますが、この旅券法違反幇助の事実はあったけれども、報道されていないことについても弁明をしたいということで御説明を行っていたように私どもは資料を拝見しています。
まず、もう少し中身について伺っていきますが、台湾工作員である、この新聞によれば許さんというふうに書かれてますね。この許さんについて、記者会見で木さんは、友人であると言っています。このことに間違いはありませんか。

○木参考人
 はい、間違いありません。ただ私は台湾の工作員であったということは新聞報道で初めて知りました。全く日本人でして、実は奥さん、子供が日本にいまして――奥さんも日本人です――知ってたもんですから、普通に日本語しゃべりますしね、うまいし。知らなかったというか、それを初めて知ったということです。そういう経緯があります。

○相坂委員
 この許さんとのことについて伺いますけれども、いつ、どこで知り合いましたか。どなたの紹介でしたか。

○木参考人
 私が香港に留学しているときに、香港で大陸から逃げてくるそれがあって、いろいろですね。その連中を逃がす、私のところもいっぱいそういう逃げてきたのがいた。そのときにいた中国人、逃げてきたグループがいて、その中にいたんですね。日本人だというので仲よくして、そのときの日本人と交流していたということ。たまたま今度は私が日本にいたら、日本にやってきて、やあやあやあと話をしていたと。というわけで、全く私は日本人だと思ってました。

○相坂委員
 改めてもう一度伺います。香港で逃げていたグループの中にいた。香港で出会った。で、日本人だと思われたわけですか。

○木参考人
 日本人だと言っていたし、私は疑いもしませんでね。日本語をしゃべるし、うまいし、ちゃんと日本の事情も。何か聞いたらかつて日本に長くいたし。奥さん、子供が日本人でちゃんといたわけで、何か生活に困っていて、お金を貸したりなんかして、何かそういうことして、困ってると思ってたんですが。青天のへきれきでそういうことが起きたので、えっていう感じで。それはそのときの私の偽らない気持ちです。

○相坂委員
 もう一度教えてください。いつ、香港で会われましたか。

○木参考人
 いや、それはね、何年何月と覚えていません。香港には4年半ぐらいおりましたので、いつだったか。もう香港ではいろいろ人が動いてましたので、正確には覚えていません。

○相坂委員
 4年間というのはいつ、何年から何年ぐらいというのはわかりますか。

○木参考人
 履歴を調べればわかりますけど、いつだったか、とにかく留学していた時期ですから、それは正式に調べればわかることですけど、それも正式な年月日は覚えておりません。

○相坂委員
 木さん御自身が御提出をされた履歴書によりますと、昭和44年に香港中文大学大学院新亜研究所終了というふうに書かれていますね。大学を卒業されたのが41年、44年には香港の大学の研究所を修了されたということですが、この間だと思っていいわけですか。

○木参考人
 はい、そうです。

○相坂委員
 はい、わかりました。
 許さんのお名前と仕事については、どのように理解をされていましたか。

○木参考人
 許さんといっても、私、実はこの人は根本さんと言ってた記憶があります。根本宏という名前で、奥さんも子供さんもそうでしたから、日本人だと思っていたんですね。何か中国語のうまい日本人だと思っていて、日本語も全く問題ない人でしたので、そう思ってたわけで、何度も申し上げますが、新聞記事を見て、えっというような、そういうことでした。

○竹内委員長
 6番委員の質問は、仕事等という話でしたので、再度答弁を。

○木参考人
 仕事ですか。仕事は何か新聞記者というような話をしてたと思います。マスコミ関係で、だから取材に来て何とかと言ってたのを覚えてます。当時私も通信社にいましたからね。

○相坂委員
 昭和41年から44年の間に香港にいらした際に逃げてきたグループの1人としてこの方に出会った。そして日本人名の根本さんだということを信用して、日本人としてのおつき合いをされていたということですが、昭和54年ですね――1979年当時なもんですから――その間、この根本さん、あるいは許さんと木さんのおつき合いはどのようなものでしたでしょうか。

○木参考人
 たまにやって来ると。また切れると、いろんな人が来ると、いろんな情報を交換する。いや、いらっしゃい、久しぶりっていう話で、そういうつき合いでしたね。

○相坂委員
 おつき合いをされていたのは香港ですか。日本ですか。

○木参考人
 知り合ったのは香港で、香港でもちろんつき合ってましたが、日本でも私の東京プレスセンターへ来て話をするということはやってました。ただ申し上げたとおり、彼1人じゃありません。多くの外国人とか日本人とつき合っていましたし、私も香港に旅行に行ったりなんかしていましたから、それで取材をして通信社としてニュースを出したりしてましたので、だから特別にそうとは思わなかったです、そのときね。そのときはそうでした。

○相坂委員
 許さんがニュースを出されていたと、今、御発言いただきましたが、そのニュースは日本で出していたという意味ですか。それとも、台湾ですか、中国ですか、香港ですか。

○木参考人
 許さんはニュースを出していたと思わないですね。出してたんじゃないかと思って。要するに記者のような感じで来ていろいろ話して。やあやあと、いやしばらくと言って、どうなってる、こうなってるという話をしていました。ただ彼と私だけじゃなくて、ほかにいっぱいいましたからね。もう留学時代から、あるいは関東周辺にいる中国系の連中がいっぱい来て、私のところはその出入りする場所になってまして、かなり人がいろいろやってました。

○相坂委員
 香港で初めて出会われました。その後は日本でもお会いされています。木さんの日本にお住まいになっている、居住されている場所をなぜ根本さんは、あるいは許さんは、香港で出会ってその後日本に入って来られた後、なぜそこがわかったんでしょうか。

○木参考人
 私は、当時香港の新聞に記事を書いていました。中国語で書いてましたので、恐らく向こうで新聞見たら私のことがわかって、あるいは知り合いがいたら実際わかるし、私は西新橋の東京プレスセンターというところにいましたから、それなりに多くの人が出入りしたんで、どこで知ったんでしょう。どこで知ったかということは私は正式にわかりません。

○相坂委員
 そのときにも日本人としての根本さんとして接触をされたということですね。

○木参考人
 そうです。私は全く日本人だろうと思ってました。

○相坂委員
 経過は把握しました。次の質問にいきます。
 逮捕された当時のことを伺います。
 木さんは、台湾本国発行の新聞である香港自由報の東京支局長であったと新聞記事には掲載をされています。朝日新聞の記事によると、観光旅行の際に台湾で知り合った許さんとの関係でということがありますが、新聞記事は台湾で知り合ったと書かれていますが、今、香港で出会った、逃げてきたグループの方と香港で出会ったというふうになってますけど、この新聞記事が正しいのか、今の御発言が正しいのか、正確にはどちらですか。

○木参考人
 それは、その記事は間違いです。私は訂正を申し入れましたが、朝日新聞は拒否しました。そしてその当時、朝日新聞は何かほかのところでも、あれは木というんじゃないコウというんだと、中国人が日本人を名乗って、にせ日本人だとこう言う。随分そういうことを書かれて、これははっきり申し上げて、当時私は中国側、毛沢東に批判的な文章を書いてましたから、それで朝日新聞が当時の思想傾向で、結構私に意地悪をしていたことは事実です。当時の状況をぜひわかっていただきたい。もう大量に逃げてきていたわけで、大混乱の時代だったわけですね。それをおわかりいただきたい。だから台湾での知り合いではありません。

○相坂委員
 そうすると、木さんが今おっしゃったとおりの内容だとするならば、そのことを客観的に証明することが可能ですか。

○木参考人
 私とそれが知り合ったって。不可能ですね、はっきり申し上げて。不可能です。証明できません。

○相坂委員
 次の質問ですけれど、読売新聞にも記事がありましたね。その読売新聞の記事では、木さんの自供で、去る49年の客員教授時代というコメントがあります。その客員教授というのは台湾でということかと思いますが、その時期の経過、お立場について御説明をいただきたいと思います。

○木参考人
 時期的には覚えてませんが、台湾の高雄に日本時代の専門学校が残って、東方工科専科大学というのがあって、それをやってる方が日本時代の方なので、それで教えに来てくれということで、私は夏休みに集中講義には行ってたことはあります。それは事実ですが、向こうではあと接触しません。はっきり申し上げて、私は国民党嫌いですから、国民党、政府とは余り会いたくないというのがあって、一党制とさよならということで、そういうことです。だから、そういう事実はそこでありません。

○相坂委員
 事実はありません。ごめんなさい、もう一度御説明ください。台湾の東方高等工専に客員教授として招かれたというふうに記事には出ていますが、そういう事実はないということをおっしゃってるんですか。

○木参考人
 だから、夏休みの集中講義で時間があるときは行って、最後に長くやったので、私は名誉教授をもらったことがあります。ずっと教えてたわけじゃなくて、本職は日本ですからね。
 もう1ついいですか。その申し上げたいのは、そして向こうの台湾の連中が日本に留学するときに、そこから利用して、東方工科専科学校――今は大学――の連中が来ると、日本に留学するときにいろいろ私は支援をして、入学パンフレットをとったり、下宿を世話したり、そのお世話はずっとやっていました。

○相坂委員
 短期で講師として招かれたというふうな御発言だったんですが、名誉教授に選ばれたとおっしゃいましたね。今回の教育長の議案として上がってきた経歴、履歴書の中には、そうしたことは書かれてありませんが、名誉教授というお立場は、いつ、そして何という大学でお立場につかれましたか。

○木参考人
 正式なあれは覚えておりませんが、県立大学の先生になっていて、かなりたって向こうから長いこといろいろ留学生の面倒見てくれてありがたいと、時々来てくれてありがたいと。名誉教授の称号を差し上げるということで、経済的にも何にもないんです。ただ称号をいただいたのは事実です。かなり後ですね、それは。

○相坂委員
 そのとき名誉教授になられた、あるいは客員教授として招かれていた時期に、許さんとの接触あるいは許さんとの交流はありましたか。

○木参考人
 全くそういうことはありません。私は日本人と思ってましたから、台湾で会うということはまずあり得なかったですね。

○相坂委員
 台湾で許さんに会ったことはないと今おっしゃったと思いますが、間違いありませんか。

○木参考人
 はい、そうです。

○相坂委員
 次の質問に行きます。
 昭和51年8月に許さんが密入国をしました。これも新聞報道ですね。昭和52年4月に、許さんがあなたに旅券をとってくれといった報道がされています。
 次に伺います。日本ではどのようなおつき合いをされていたのか、密入国以降、許さんとはどの程度の頻度でどこでお会いになっていますか。

○木参考人
 さっき申し上げたとおり、私は通信社にいて、ニュース記事を書いたり発信したりしておりました。通信社へいろいろ外国人が来て、その中で彼が1人来て、いやしばらくと言って話をして、どうなってるという話をした。そういうつき合いで、一切経済的にどうとか、何か深いつき合いをするとか、一緒に酒を飲むということ。要するに職場のつき合いで情報交換するぐらいでした。はい。

○相坂委員
 許さんがお住まいになっているところを御存じでしたでしょうか。

○木参考人
 全く知りません。

○相坂委員
 新聞報道ですと許さんは都内の調布市に、根本宏さんという日本人名で居住をしていた様子です。このことについては、じゃあ御存じないということですか。

○木参考人
 私は、そこが調布か何かよくわかりませんが、奥さんと子供さんがおられて――奥さんは日本人ですけど――そのことで何か、どこか京王線沿線の駅で一度会ったことがありますね。それだけで、自宅へ行ったことはありません。だから住所はわかりません。調布に住んでるって、きょう初めて聞きました。

○相坂委員
 じゃあ、その根本さんは日本で何をされているかは、どの程度把握をされてましたか。

○木参考人
 私は、この人は香港か台湾の通信社の社員でニュースをとって送ってるんだろうと。それから日本の横浜とか神戸とか華僑の世界でいろいろやって――何か連中はアルバイトで結構商売をやりますので――そういうこともやってるんだろうなと思って。そういえば何か中国大陸から、クチナシの花を輸入するので、ちょっと口をきいてくれと言われた、そういう記憶がありますね。

○阿部委員
 委員長。

○竹内委員長
 8番阿部委員。

○阿部委員
 時間が限られておりますので、6番委員、できれば今のも重複した質問でありますので、簡潔に聞きたいことをもう少しまとめて聞いていただくと、皆さん質問できると思います。

○竹内委員長
 8番委員の意見を認めます。6番委員、簡潔に、趣旨を明確にしてください。

○相坂委員
 注意をして質問させていただきたいとは思っていますが、新たな事実が今もお聞きのとおり――繰り返し質問しているつもりもありませんが――ようやく出てきましたね。大陸のほうに社員として、台湾か中国かの記者として情報を送っているんだろうというようなことがありましたが、奥さんと子供がいらっしゃるというところまでは知っている。そうしたことも知っていたということが今、確認がとれましたが、どんなおつき合いをされていましたか。

○木参考人
 私はあくまでも、彼がそのニュースの通信社の社員で、いろいろ集めて――新聞記者ってあっちこっちほっつき歩いて集めてくるわけで――そういうのをやってるということで、香港で会ってるから仲間だなと思ってた。それだけでございます。それでしかも彼1人じゃなくて、もう私は多くの人間とつき合ってましたから、私自身もまたあちこち記者として取材に行ったりしてましたので、特定のこの人だけ中に入れてということは全くありません。

○相坂委員
 はい、わかりました。次の質問に行きます。
 記者会見の中で、私の知らないところで私の姉婿の戸籍を入手して日本の旅券を手に入れたと釈明をしていますが、許さんから旅券が欲しいと言われたことは全くないということですか。

○木参考人
 ありません。私は、警察が来て、おまえは旅券の入手をしたんだろうとなったけど、えーっと言って、そのときにまずびっくりしたわけですね。しかも中国人だったということを初めてそこで知りました。

○相坂委員
 当時の朝日新聞の記事によると、2人の自供によるとして、許さんが木さんに頼み込んで日本人名の旅券を不正に入手する謀議をした。で、木さんはこの願いを入れて、自分の親類で岡山県内に住んでいるAさん――御親戚の方に理由を言わずに、迷惑はかけないから、住所を東京へ転入してくれということをお話をして、その後、旅券取得に必要な住民票や書類の作成に協力、偽造文書をつくっていた疑いとあります。この内容が先日の記者会見、そして今の御説明とは異なってきます。この記事に書かれている内容は間違いあるいはうそだということですか。

○木参考人
 どこがうそとか何か、とにかく私は、はっきり申し上げて、私が旅券を、その戸籍をとったんではありません。私は全く知らなくて、いろいろ私の兄弟――姉の話をしていたら、婿のところへそういう話が出てきたと。
 それからはっきり申し上げて、朝日新聞の記事は、中国に関してはずっと私はもうひどい目に遭ってますのでね。私が中国人だと言って書いたのも朝日新聞。香港自由報東京支局長と言ったのもあります。私は日本人ですよ。もうすごく腹が立ってですね。そう思ってます。ぜひそこをわかっていただきたい。

○相坂委員
 それでは記事はうそだということだと思いますけれども、じゃあここの記事というのは事実報道しているわけですから、じゃあ事実は何だったか、事実だとされていたことは何だったかというと、警視庁公安部の発表ということですね。警視庁公安部の発表がじゃあ間違いだったということで、よろしいんですか。

○木参考人
 公安部の発表というのは私は覚えていませんが、私がはっきり裁判のときに言ったのは、彼が旅券を入手、要するに住民票をとって旅券を入手すると。おまえは幇助したんだろうと。そのとき私は知らないと言ったら逃げられたんですけど、いやいや義侠心でかばってやろうと。彼が大陸へ行くのをかばってやろうというのは、身を挺して私は救えるんなら救ってやろうと。弁護士もあなたがそうやってかばえばよくなるよって。これは文書違反だから、ある程度時期がたったら消えるよって言って、そのときに。
 ぜひ、申し上げたいのは、刑法第34条の2があります。罰金以下の刑の執行を終わり又はその執行の免除を得た者が罰金以上の刑に処せられないで5年を経過したときも同様になる。だから、あんた、やがて消えるんだと。要するに交通違反とか、選挙違反のように消えるんだということで、ああそれならあるし、人を救うんだから、私がやったとかぶりましょうという話になって、それがこうしてひとり歩きになって、かなり新聞は何か膨らまし粉を入れて膨らしてるってことです。はっきり申し上げてね。それです。

○相坂委員
 その点、もうちょっと伺いますが、関与を否定すれば、許さんが大陸に送還されて処刑されることがわかっていたから――木さんの記者会見ですよ――人命救助を優先して罪をかぶることにしたと御説明をなさっておられますね。このとき、許さんから命を助けてほしいと言われたんですか。言われたとしたらどんなことを言われましたか。

○木参考人
 はい、言われていません。やっぱり別々のところにいます。彼は収監されている、私は警察に呼ばれて行くだけで、別に私自身は収監されるとか、刑務所に入るとか、全くなかったわけで。面会に行って、差し入れに行ったら何かそばにお巡りさんかなんかいますよね。面会に行ってそこで言えません。お元気ですか、石けんか何か、下着差し入れしましょうかという話で、そういう状況では、今おっしゃるような話はできません。

○相坂委員
 このときに逮捕されたのは、許さんが逮捕されました。木さん御自身もそういう……

○木参考人
 いや、私も逮捕されました。だから私は有罪になっています。それで弁護士がこれであんたが認めてかばってやれば――要するにこの罪は消えるよと。刑法第34条の2によって消えるんだって言って、かばって。私はもちろんそれをすると。それで命が助かるんならって。何度も申し上げますが、その当時の状況は今から見れば異常ですね。もうベトナムのボートピープル以上のことがあったんです。そういうことなんです。

○相坂委員
 わかりました。
 この件で逮捕されたお2人以外に関係者はいましたか。

○木参考人
 私の女房が法廷に行って、参考人としてちょっと述べております。そのとき、裁判所でたしか証言したと思います。

○相坂委員
 じゃあ、次の質問に行きます。
 ここがわからないので教えていただきたいんですけれども、木さんが犯罪を否認すると、なぜ許さんが中国に強制送還されることになるんでしょうか。許さん自身が有罪ならば、退去、強制を受ける可能性があることはわかりますけれども、木さんが犯罪を否認するかしないかというのは関係ないと思いますけれども、その点いかがですか。

○木参考人
 それは今考えればそういうことですけど、当時の混乱がありまして、私にしても、えっ、この人は中国人だし、何やってるかわからんしって。ただ弁護士が、彼はこのままいたら向こう側に連れて行かれて、あるいはという話がありました。そして彼の仲間が中国大陸で処刑されるということ。現実に随分仲間が、私の友人でもいますけど、処刑されてますからね。いや、これは何とか私が身を張って助けてやろうと。それでしたわけです。

○相坂委員
 経過はもうわかりました。ただ、この事件そのものは、やっぱり旅券法違反、出入国管理令違反というのは、これやっぱり刑事事件だと思いますね。刑事事件ですよね。刑事事件だから有罪判決も受けてしまわれたわけです。だとすれば、これは警視庁公安部が検挙した公安犯罪ではないかと。あるいはスパイ事件ではないか。ということで、この史実の中にもそうしたことで、いまだに5月21日当時のことでは、木桂藏さん御自身のお名前もジェトロの重要日誌にまだ残されているわけですね。
 なおかつ、その上でお聞きしたいのが、そうした中で、スパイ事件という大きな公安事件の中で、本当に弁護士さんが罪をかぶれというような指示を木さんにされたんですか。弁護士さんって、そういう指示をするものですか。

○木参考人
 はっきり申し上げて、今、スパイとか何とか言って、私はそういうことは全く知りません、それをね。弁護士から言われたのは、これは旅券法違反幇助だと、文書犯なんだから、あなたがかぶってやれと。それから彼が強制送還されるかなんかで、状況としてはそのときはそういう状況だったと思います、私はね。何とか彼をかばってやろうと、奥さん、子供がいますので、私はかばったわけで、今、冷静になって可能性云々と言われても、私、答えようがないですね。それは私、事実です。

○相坂委員
 そうしますと、当時のことを振り返って、木さんは義侠心でやった、やむにやまれぬ気持ちでやった、気持ちがあったというふうにお答えになっていますが、今お答えになったこと、私はよくわからなかった、知らなかったとおっしゃっていますが、義侠心があったからやられたとお答えになってますよね。この点の事実認識はされていたわけですよね。

○木参考人
 とにかく私自身は小さいときから人に助けられて、私自身も命を助けられたことが何度もあって、身を張っても助ける、要するに我が身を捨てても人を助くということはあります。私はその多くの人々のおかげで今日まで来たので、お世話になった人には、あるいは困ったら助けてあげたいという気持ちはあります――人に言うといかにももっとも――それは持ってました。いわんや目の前で問題が起きて、それで、えって、奥さん、子供がいる人が困るようになったら大変だと思ってね。まあ弁護士はそう言った以上、どうせあんた罪は消えるからということの話で。いや、もちろんということで。
 はっきり申し上げて、私はこれはしてないと言ってません。私はずっと申し上げて、そういうことがあったと、私は有罪判決を受けたということをちゃんと言ってるわけです。
 1つだけ委員長、申し上げたいのは、この事件がこの2月の下旬から出て、この委員会でああだこうだとやってる、私の発言は全く認められない。きょうが初めてなんですよね。3週間以上、私はどんな思いをしてきたか。それを皆さんわかっていただきたい。なんか逮捕された、逮捕されたなんて、交通違反で逮捕されたのがずっと載るかというぐらい言いたいですね。私の気持ちをわかってくださいよ、もう。毎日、新聞に出て、私は一生懸命県大でやってきて、留学生のこともやってきたのに、それをこれから後ろ指を指されて、とんでもない。だから、きょうは本当に皆さんに発言させていただいて、感謝してます。

○相坂委員
 記者会見の内容でもう1点伺います。今でも誇りに思っているとおっしゃいましたね。今後また同じようなことがあった場合、同じことをされますか。

○木参考人
 同じようなことはないと思います。ちょっと架空の、仮定の質問には難しいですね。今は平常時です。

○相坂委員
 はい、ありがとうございます。
 今度は、県立大学の教授に就任するときの審査のことについて伺います。
 記者会見では、県立大学の教授に就任なさるときも、問題ないとして採用されましたということですね。今、この履歴書等も配られましたけれども、当時、県立大学の教授として採用される際、あるいは採用のときに審査をされる際、この過去の事実、逮捕をされたという事実については、県立大学に知らせましたか。

○木参考人
 それは、弁護士に聞いて、こういうことがあるんですよって、いやもうあんたのは消えてると。要するに何度も言いますが、この刑法第34条の2に消滅してるとなってた。もうあんたは全く関係ないんですと、心配しないでと。それで出して、事実、当時は文部省です。文部省大学設置審議会、これはもう個人的資質を随分調べます。それから、この静岡県がやっぱりすぐに採用で私を調べて全く問題ないということで、ああそういうもんだと私は思っておりました。

○相坂委員
 つまり、前科はもう消えますね。刑法の規定で消えますが、前歴としてはやはりそうした経歴が木さんの御自身の経歴のはずなんですけれども、そうしたことをみずから知らせる必要があるとは、弁護士さんに相談をしたということですが、みずから知らせる必要があるとはお考えにはならなかったですか。

○木参考人
 何も思ってません。一々、36年前のことを持ち出してですね、私こんな選挙違反したんですよ、交通違反したんですよって一々言うかというね。それは皆さんもそうですけど、そんなことはないと思う。全く問題ないよって言って、そのとき言って話をして、ほかの人に聞いても、静岡の弁護士に聞いても、いやそれは全く問題ないんですよと言って出して、事実通ったわけですから、公的な人が審査したという事実をまず見てもらいたい。私もどうしてここだけ顕微鏡のように取り上げて、私、何かねと思ったんですが、きょうの委員さんの質問があって、かえってここではっきりしてよかったと思ってます。

○相坂委員
 それでは、今度は今回の件について伺います。
 今回も木さんからは、この経歴については、知事から教育長の依頼というか、申し入れがあった際にはお話をされたのかどうか、まずそこから教えてください。

○木参考人
 知事から2月ぐらい前でしたか、教育長を解体して新しい教育長になるから、あなたは県立大学の、いろいろ経歴があって、いろいろほかの人にはないから、ぜひ手伝ってくれないかと、ああそれならやりましょうということで、私はほかの仕事を全部今断りまして、その準備をしておりました。知事から話があったのは事実です。

○竹内委員長
 6番委員の質問は、そのときに前歴に関してお話をしたかどうかという質問だと思うんです。

○木参考人
 前歴について、知事にはちゃんと文書で、そういう事実はありましたということ、そのことをちゃんと通告してあります。文書と、それからもう1人――県の職員の方には、ある部長級の人にはこういうことがあったと。言った、言わないかになりますので、文書で私は必ず申し入れをしています。

○相坂委員
 その文書を提出されたのはいつですか。

○木参考人
 詳しい内容を覚えてませんが、2月の終わりか3月の初めごろだったと思いますが、文書でちゃんと個人的に提出してあります。

○相坂委員
 その文書に書いて申し入れをされたのが2月の末から3月の初めだということでしたが、なぜその文書を申し入れましたか。

○木参考人
 これは問題になるので、そういったこと、実はこういう事実があったんですよ。そして、要するにもうこれは消えていて、それで何ら問題なくて、県立大学の公務員として、教授として採用された。それ以外に申し上げたいのは、各県の審査委員会とか、結構あります。審議員の委員になって、国際化推進懇話会の議長とか、何かいろんな空港周辺整備対策審議会の委員とか、かなり私はやってきました。それでそのときもやっぱりいろいろしますけど、そんなの要らないということで、本当にそうだろうと思ったんです。ですから何もなかったという、しなかったということで。

○相坂委員
 ちょっと正確にお答えをいただきたいんですが、ちょっと経過を申し上げますね。
 2月26日にこの第87号議案が上程をされました。2月27日の段階で、知事のところには木さんのこうした過去の経歴についての情報が入っています。その後、木さんのところに、知事側からどのような接触、あるいは文書説明等を求める動きがあったのか。木さんがこの文書などを申し入れたとその動機につながるようなことは何だったんでしょうか。

○木参考人
 知事のほうから私には何ら接触なり交渉なり申し入れはありません。私のほうから、これはしっかりしていこうと。言った、言わないということは必ず文書にして署名捺印して――知事、こういうわけですと、これはこういうことになっていますということで説明を申し上げました。知事も何か答弁で問題なしとこう言って議会答弁してるわけで。ちょっと1つよろしいですか。

○相坂委員
 ちょっと、ここはとっても実は大事なところなんですね。3月2日に我々総務委員会を開いています。これは正規の日程です。その段階で木さんのその経歴等についての説明が、我々総務委員会にも、当局からも知事サイドからも、この正式な総務委員会の場にはそうした情報提供がなされていませんでした。その後、こうしたことがいろんなこれまでの経過の中で、こうした経歴が出てきたことによって、今この今日を迎えています。
 我々にとって大事なのは、知事当局がどのタイミングでこのことを知り得たかということなんです。
 もう一度、もう一度伺わせてください。
 2月27日に――もう一度言います――知事は、木さんの過去の経歴について認識をしたはずです。これは我々のほうもそういう報告を受けました。その上で、知事はこの木さんの経歴については調査をするべきだと考えたはずなんですが、その間、3月2日に我々が総務委員会を開いた際、これは木さん御自身にとっても、御自分の議案が通過するか、通過しないかということですから、記憶も恐らく正しい、正確な記憶が残ってらっしゃるんだろうと思いますけれども、この間、知事と木さんの間のやりとり、知事側あるいは当局サイドから、木さんの経歴についての再調査あるいは説明を求める動き、接触はあったんでしょうか。

○木参考人
 要するに全くありません。申し上げておきたい。それから、ここで1つ抜けてることがあって申し上げておきたい。そしたらいつの間にか新聞社に匿名のメールとか投書が行って、全く所在をあらわさないでどんどん出てきて、この委員会である委員がああだこうだ疑義があるとどんどん出てきた。私をほっ散らかしてどんどん進んでいってですね、しかも皆さん知ってるように、僕は大体、ああ誰がやったかがわかっていました、これは。ですけど、このことを踏まえていただきたい。匿名の人間をぜひ追及していただきたい。そう思ってます。

○竹内委員長
 質問から大分離れてますので。

○相坂委員
 知事から何の接触もなかったということは、新聞記事だけをごらんになって、自分のことがそうした形で騒動になっているというか、話題になっているから、御自分の意思で、知事や当局からの接触もないのに、文書で御自分の経歴について申し入れをしたということで間違いありませんか。

○木参考人
 はい。これは知事に心配かけるし、私自身こういうことなんで、こういうことになってますよということで、文書で申し入れをしてあります。私信でね。公信ではありません。個人でしてあります。これは間違いありません。

○相坂委員
 この文書を申し入れた正確な日時を教えてください。

○木参考人
 覚えていません――いませんが、そういうことがあってもめたんですが。

○相坂委員
 文書の形式を聞きます。メールですか、ファクスですか、郵送ですか。

○木参考人
 私はメールはしません。必ず文書にして自分で署名捺印をします。責任を問われるので、必ず私はそういう大事なことは署名捺印でしてあります。

○相坂委員
 もう一度聞きます。
 文書だということはわかりました。署名捺印をされたその文書は郵送されましたか、手渡しされましたか。

○木参考人
 郵送も手渡しもしておりません。私の自宅から知事の自宅はそんなに遠くないんです。歩いて5分ぐらいです。そこへ行って、朝郵便受けのところへ入れて、こう投函して、知事殿と書いて、だから切手代はただですね。それだけです。

○相坂委員
 そうしますと、その文書は、木さんの御判断でいくと、今も知事が持っているはずだという御認識でよろしいですね。

○木参考人
 わかりません。それはどうなさったかわかりませんが、郵便受けに入れていることは事実です。

○相坂委員
 その文書を投げ入れた日時については、正確なことはおわかりではない、記憶にないということですが、本当にこれ、記憶にありませんか。

○木参考人
 日時は覚えておりません。

○相坂委員
 総務委員会が開かれる前ですか、後ですか。

○木参考人
 それ、総務委員会というのはいつですか。それを知らない。

○相坂委員
 この文書を投げ入れた後、知事もしくは当局のほうからの接触はありましたか。

○木参考人
 ありません。

○相坂委員
 文書が届いたかどうか、心配になるようなことはありませんでしたか。

○木参考人
 全くありません。

○相坂委員
 もう一度聞きますね。
 知事が、この新聞記事等のこの一連の騒ぎの中で、知事が心配をしているだろう、心配をかけているだろうと思ったから、文書に署名捺印をして、自宅が近くなので、郵便受けに入れにわざわざ行かれたわけですよね。その後、今日に至るまで、これだけのいろんなことが、議会も延びて、臨時にも開いてということでやっている中で、知事から何ら御回答をいただいていないということについては、疑問を感じたり、どうなんだというようなお気持ちにはならなかったんですか。

○木参考人
 全くそういうことは思いません。知事も御多忙だし、きっと私のことを信じてくださってるし、それはそれでいいと。この委員会なり県議会が決定することですから、それはそれでお任せしようと。ただ黙っていると知事に迷惑かけるから、一応こういうことですよということだけは申し上げてあります。

○相坂委員
 経過があらかた何が不明かということがよくわかりました。
 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございます。

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