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委員会会議録

委員会補足文書

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平成21年10月障害者雇用促進特別委員会
参考人の意見陳述 小久江 寛氏 【 意見陳述 】 発言日: 10/28/2009 会派名:


○小久江寛氏
 よろしくお願いします。
 初めてここに来て、さっき待合室でシーンとしたんですけれども、すごい緊張して、かえって同じ名前の委員長がそうだったので、よかったというか、ありがたいです。
 この席に僕が立たせてもらえたことは、すごい勉強にもなったし、ありがたいなと思って、本当にありがとうございます、きょうは呼んでいただいて。
 僕は、けがをして、受傷したのが1987年です。海水浴場の飛び込みによる頚椎損傷です。3番目と4番目の骨を脱臼して、救急車に運ばれたんですが、そのときにはもう普通に住所とか自分で言える状態だったんですけれども、そこから車いすの生活になって。まず受傷して、それから自分の障害がどんな障害なのかとか、――今までは風邪を引いたら、このぐらいなら寝なくても大丈夫だなとか、そういうことがわかっていたんですけれども、――それが一気に風邪を引いたらどうなるんだろうとか、――それから1週間ぐらいたって、看護婦さんが周りで慌ただしく動いていたら、僕は褥瘡(じょくそう)ができていました。全然わからないところで、そういうことから、どんどんどんどん障害を自分で受け入れるというものから始まりました。1987年の和歌山で、僕は大阪芸術大学に行っていて、夏休みになって、課題も出て、その前の日に徹夜して課題も出して、とりあえずそれから夏休みだということで海水浴場に行っているときにけがをしたのが障害を得た原因です。
 それから、和歌山労災病院に入院しまして、3カ月たてば骨の状態も安定し、――手術も終わっているので安定する――ということで、静岡の中伊豆の冷川のリハビリセンターで早くリハビリをした方がいいということで来ました。それが1988年なんです。そのときに手帳を初めて受理しました。このときも、和歌山の労災病院では「頚椎損傷とか脊髄損傷なら1カ月で手帳が出るよ」と言われて、「そうすれば医療的にもさかのぼって3カ月大丈夫なんで、心配しないでください」と言われたんですけれども、冷川の中伊豆に来たら、障害が落ちつくまでだめだと言われて、それが6カ月間かかったりして、後になってみればそういうところでも知識がなかったなと。その手帳を受けてから1年間ほど冷川にいまして、それから今度、中伊豆の冷川から家族に同行してもらっていて、大変なので、静岡リハビリテーション病院に移って、生活の主な訓練とか、――さっき言った、風邪を引いたときにどうなるとか、車いすにまだそのときは2時間ほどしか座れなかったんで、――そういう訓練を主にしました。
 それで、僕がいたときの静岡リハビリテーション病院は、どうしても脳疾患関係の人が多い病院なんで、高齢者が主に多くて、私はそのとき28だったんですけれど、28のときに行って、みんなよくしてくれんですが、訓練は余り進まなかったんですね。それで、静岡リハビリテーション病院も3年ほどいたんで、その近くに家があるんで、そこを改造して、一度家庭復帰をしました。
 家庭復帰をしたと言っても、病人と同じようで車いすに2時間ぐらいしか座れない状態で、毎日、母親に介助してもらいながら寝たりして一日を過ごすという日々でした。そのときはやっぱり今後どう自分が人生を暮らしていったらいいのかというのが全然わからない状態で、不安な状態でした。それから知り合いに紹介されて、福祉事務所を通して、国立伊東重度障害者センターという、頚椎損傷の人が70人ぐらいいて、僕みたいな障害の人から、あとは軽い、それこそ車いすから自動車ぐらいにも乗れるとか、バスケットとかスポーツも楽しめるぐらいの人たちのところに行きました。やっぱりここに行ったら、同じ障害の人たちがたくさんいましたんで、自分がどういうことをしていったら少し生活ができるのかなということが実際に見えてきました。そこで車いすの乗りおりとか、あとトイレの入り方とか、トイレの仕方、寝方とか、褥瘡(じょくそう)ができないようにするにはどうしたらいいんだろうということを勉強しまして、あと職業訓練もここでやったんですね。
 職業訓練やって、それじゃあそこを3年と7カ月ぐらいやったんですが、その次に、じゃあある程度生活は、これで家に帰っても、家族の人に負担をかけずにできるようになったなというところで、じゃあ職業訓練をどうしたらいいんだろうというふうに思って、一応、国立所沢に職業リハがあるんですけれど、そこに行きたいなと思ったんですが、そこに行くには、日常生活動作(ADL)が自立していなきゃいけない。だから、8時から5時までは車いすに乗って、なおかつスーツとかをちゃんと着て出勤してくださいという感覚から始まるんですね。そこには僕は入れないんで、家庭復帰をせざるを得なく、家庭復帰をしました。
 家庭復帰をしたところで、3年間ぐらい、僕は就職したいし、もちろん収入を得てちゃんと生活を自立していかないとと思いました。実は私、大学のときに受傷したんで、無年金なんですね。そうしたら、生活はできないなと思ったんで、何しろ自分の中で何とか生活できる収入を得なければと。収入を得なければということを考えたときに、パソコンが少しできたんで、現在の高齢者・障害者支援機構の職業センターをやっと知って、そのときは愛鷹にあったんですけれども、センターへ電話しました。就職したいんですけれども、こういうことをやりたいんですけれどもといったら、カウンセラーの方がついてくれて、障害者の合同企業面接会という、――今も年2回か3回開かれていると思うんですけれども、それに参加しました。そのときは手動の車いすだったんですけれども、自分でも余り動けない状態でした。車いすで少しパソコンができるよと言っても、そのとき、パソコンでA4に文字を打つ仕事で、大体1ページ2000円から3000円いただけた時代で、今だったらもう300円とか500円しかいただけない。それでも打てるというところで、職業センターの人と一緒にカウンセラーの方と行って、デザインの仕事をしたいという話をしたんですね。デザインとか広告をつくる、そのためのデータ入力からと思ったんですけれども、それはやっぱり僕みたいな車いすで、なおかつ自分でも操作がそんなおぼつかない障害の人は難しいと言われて、じゃあどうしたらいいんだろう、在宅で何かできることはないかなというところと、あともう一つは、もともと芸術大学にいたんで、知り合いとか友達とかに、パソコンで自分がデザインの仕事をしていきたいんだけれども、どういうものをそろえたらいいかとか教えてほしいということを相談しました。もちろん職業センターの方にも相談しても、静岡県ではそういう職種のものは障害を持っている人はちょっと難しいかなという答えでした。
 また、東京都には東京コロニーというのがあって、そこでは在宅就労の支援事業を始めたぐらいだったんですね。そこには、もちろん頚椎損傷の方とか脊髄損傷の方が主に在宅にいながら訓練を受けて職業についていくということをしていたんで、そこに電話して、そういうことは静岡ではできないかと言ったら、1都3県しかできないよと言われました。3年か4年ぐらい、そういうところですごい悩みに悩みながらでも就職したい、就職したいと言っても、技術がなければ、やっぱり企業の方も就職させるというか、就職させられないだろうとか思っていました。そのためにカラーコーディネーターの資格を取ったり、あとはデザイン専門学校に通ったり、通うときも、結局は親に行ってもらわないと自分では通えないんで、――トイレになったら困るんで、そうしたときには来てもらうとかという形で生活していました。そういうことをしながら活動をしていたんで、前労働省の在宅就労支援事業という、県内に4人の枠にたまたま声がかかり、そのときに100万円の在宅でパソコンができるためのパソコン一式を貸し出されたんですね。
 そのときに、初めてマッキントッシュのパソコンで、プリンターとスキャナと、あとはそれに附随するソフトですね、――イラストレーターとフォトショップと、――今だとインデザインなんですけれど、そのときはクォーク・エクスプレスという専門のソフトをもらいました。もらったはいいけれども、どこで勉強したらいいのかなという、今度はそこに困って、静岡でイラストレーターを教えてくれるところはあるかなと言ったら、なかったんですよね。唯一、デザイン専門学校はあるんですけれど、デザイン専門学校は学生として通わなければいけなかったんで、デザイン専門学校に3年間通うのはちょっと辛いなとか思いながら、たまたまそこに講習会があったもんで、そこにも通いました。
 そのときに、たまたま大学の同級生がいたもんですから、その人に「こうこうこうで」ということを言ったら、「こういう講習会があるから小久江さんおいで」という話で、行って通ったりしました。
 それで、デザインのことは少しわかったんですけれども、やっぱり実際に仕事をもらって技術を身につけていかないと、この業界というのは、スキルアップのための講習というのは静岡県内は全然やっていないんですね。東京と名古屋はやっているんですけれども、それが70万とか40万とかすごい金額のところで、じゃあどうしようかなと思いながら生活しているときに、また静岡市のワーク春日というところ、ここにパソコンを使った通所授産所さんができるよということで声がかかったもんで、じゃあ通うかなと。
 通おうかなと思ったんですけれども、僕は今暮らしているのは春日町なんですが、前は静岡市の谷津という、かなり藁科川の上の方のところで、通うには40分ぐらいかかる。バスで迎えに来てくれないかという話をしたら、職員の方もあきれたみたいで、だったらワーク春日のところに福祉ホームがあるから、そこで一人で生活できるようになっているから、入りなさいよと言ってくれて。ある意味、ひとり暮らしは将来的な目標だったんです。経済的に自立したらしようかなと思ったんですけれども、たまたまラッキーなことに、静岡市に独自の登録ヘルパー制度と言う、180時間使える制度があったので、一緒に使うことを市の人も了解してくれて、一人で暮ら始めながら、――初めてそのワーク春日というところで仕事をしながらという授産をやったんです。
 ワーク春日は、授産所なんで、やっぱりちゃんとした収入を得て、自分の力をどこで生かすかということで、アビリンピックに出てみましょうということで、アビリンピックに出ました。
 アビリンピックに出ながら、全国的にもこのぐらいの力なら十分やっていけるんだなということと、ワーク春日にいたときもいろんな作品をつくらせていただいて、やっぱり収入的には上がらないんで、自分で静岡新聞社が運営するアットエスというところに、これだけ高齢化社会を迎えるに当たって、バリアフリーとかユニバーサルというのは当たり前になるだろう。そういう飲食店を、逆にこういうふうにできている飲食店があるので来てくださいというふうに紹介するという形、特典を紹介する、チェックをするんじゃなくて、特典を紹介するという発想に変えて取材をしたいんだけれどもと提案したら、アットエスの方がぜひやりたいということで、それで今もそのアットエスの取材は引き続きやっています。
 そういうことをしながら、とにかく自分で何とかしなければいけないと言いながらも、ここではまだ授産所に通っているんで、工賃と言ったら、ワークはかなり県内でも工賃の額は高い方なんですけれども、平均3万円から5万円なんですね。それで、でも僕はさっき言ったように、年金がないんで、これは苦しいところで、やっぱり仕事をしなければという感覚でずっといまして、アビリンピックにも出て、アビリンピックの全国大会に出て、静岡でたまたまユニバーサル技能五輪というのがおととし開催されたんですけれども、静岡でやるんだったら、指くわえて見ているより自分が選手になって出たいなというので、香川大会にデザイン種目で出て、それで銀賞を取れたんで、成績優秀ということで、国際アビリンピックに出していただいて、そしておととし一応銀賞を取れたというところです。このころから、静岡市の障害者協会というところですね、――これも人伝えで、小久江さん、広報をやるから、広報部というか、広報委員として来ないかという話がありました。今もそこに通いながら、去年から静岡県の中央特別支援学校で1時間授業を教えているところなんです。
 結構、少しずつ少しずつですけれども、就労に近い状態には来ているんですが、やっぱり今の僕の収入源というのは、障害者協会と、あと知り合いのデザイナーから少しアルバイト感覚ですよね、レイアウトしたり、デザインを受け持ったりということをしています。
 実際、どんなものをじゃあつくっているのというので、さっきの1番に出ていたのは、これはチケット、――このポスターもつくったんですけれども、ちょっとデータが古くてなくなっていたんで、――こういうものとか、あとこれは「おもいやりナビ」というので静岡でやったときに、推進委員にもなったんで、こういうものをつくるということで、去年、こういうデザインもさせていただきました。
 あと、これは社協さんのやつで、ペットボトルキャップという、イラストを描いたりとか、これは知り合いから、それこそ静岡の知的障害の方が通うNPO法人からいただいて、パンフレット、――本当は内側もあるんですけれども、――ロゴをデザインしたりしてやっています。
 これは、そのアビリンピックで銀賞を取ったときの作品で、実際は自分のところではデータはもらえていないんで、真ん中の黒い地球は、実物と全然違います。もう少し前向きなデザインということなんで、こんな黒い部分がふえると、ちょっとデザイン的には前向きになっていないなと。あと、テキストは全部打ち込んだんで、細かいところのテキストは残っていません。こんな感じの作品をつくらせていただいているんですが、でも僕は今こういう状態で、結構いろんなところに行ったり、今回も更生相談所から「冊子をつくるんで、小久江さんアドバイスを」と言われて、行くんですけれども、やっぱり就労というのは厳しいんだなという感じです。これでも月に10万円ぐらいですかね、全部のやつを合わせても。それで、無年金障害者というので、特別障害者手当というのが少し4年か5年前にできて、5万円ほど入るんで、それで15万円ぐらい。今は、福祉ホームに実は生活しているんですが、これまた無謀なことをして、結婚もしちゃったんで、福祉ホームから早く出なきゃいけないというところになってきて、結婚したけれども、でも収入がこんな状態で、妻の方が収入が全然多いというところなんで、大変な状態で、早く何とかしなきゃいけないというのは、まだ僕は障害を持ってから20年ですよね。技術的にはどこまでできているかというのはちょっとあれなんですけれども、就職というのは、電動車いすに乗っていて、じゃあ今、僕が合同企業面接会に行ったって、やっぱりないと思うんですね。やっぱり、人伝えとか、あと人脈とか、そういうもので自分でカバーしていかなきゃいけないんだというところを実感しています。
 専門的な知識とか、専門技術を学びたい障害を持っている人がいたら、ぜひそういうところで学べる機会というものとか、そういう場所はぜひ欲しいなというのと、あとワーク春日でもそうだったんですけれども、やっぱり専門の職員の方、だからデザインができるデザイナーの方とか、そういう方にもっともっと教われば、もっと早かったんじゃないかなとか、あと実際に企業の方がそこに来て教えてくれるとか、――もっと企業との密着感ですね。
 実際、それじゃああなた仕事にならないよとか、そういうお試し期間じゃないんですけれども、今、それこそトライアル雇用というのがあるんですが、トライアル雇用も、あくまでも利用者側から入っていくパターンで、企業の人がトライアルをどう推進しているのかというところですよね。
 やっぱり、答えは、就職というのは何だかんだ言っても、企業側にあるのかなというので、企業にどう合わせられる障害かなというところが一番肝心だと思うんで、そこの部分で、もう少し企業と密着したところの就労支援というんですか、ジョブコーチも、企業側の人のジョブコーチとか、そういうものがあったらいいんじゃないかなという、この間も知的障害のお母さんとちょっと話をしていたら、その人は1年前に離職されたんですね。そこの会社が廃業になったんで、そしたらそのお母さんが積極的に自分が動いたから、今回、たまたま就職があったけれども、やっぱり就職は難しいですねということと、あとジョブコーチをお母さんが頼みたいなと思ったけれども、企業の人に嫌がられたら困るんで、やっぱりその橋渡しをする人とか、――僕の場合もそうなんですけれども、やっぱり介護保険のケアマネジャーじゃないんですけれども、ああいうようなマネジメントをしてくれる、個人的なところでもっと密着したところがあったらいいなと思います。今、静岡の場合は、生活支援センターですか、あるんですけれども、やっぱり僕みたいに専門のものをやってほしいよと言ったら、ちょっと難しいと思うんですね。なんで、その辺をぜひ専門のことができる人には専門のものという、その障害に合った職域というものは、ぜひ考えていただけたらと思います。
 これで、僕の話は終わらせていただきたいと思います。

○藤田委員長
 以上で、小久江さんからの意見陳述は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 委員の皆さんは、引き続いて一問一答方式にて御発言をお願いをいたします。
 それでは、御質問・御意見等がございましたら、御発言をお願いします。

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